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びみょーと善に関するmorutanのブックマーク (4)

  • あるブログの終焉 - 玄倉川の岸辺

    ネットの片隅での小事件はてなブックマーク - ある個人史の終焉 - after game over heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ はてなブックマーク - heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ はてなブックマーク - hello goodbye - after game over はてなブックマーク - ブログログ復元 - after game over はてなブックマーク - ログ復元に関して実際にはまだうだうだと悩んでいる話 - after game over はてなブックマーク - 今のもんもんを、正直に書いてみる - after game over 書き手に「読者に読ませない権利」はあるのか - T

    あるブログの終焉 - 玄倉川の岸辺
    morutan
    morutan 2007/11/10
    最初の文章については修飾華美だったことはご本人も認めてます。それを「敢えて」やったことも。その後、前言撤回して出てきたのはid:hashigotanのことを慮ってです。ご本人的にはblogに未練はなかった模様(不器用なだけ
  • 404 Blog Not Found:「正しい」には二つある、あるいは二つしかない

    2007年09月20日16:00 カテゴリCode 「正しい」には二つある、あるいは二つしかない この意見は、著作権法に照らし合わせればおそらく「正しい」のだろう。 「2ちゃんねるで学ぶ著作権」で著作権を学んでいる人ともなれば、少なくとも私よりは正しい答えを知ってそうに思える。 集合知を多数決で作るのは間違い。 : ひろゆき@オープンSNS 「何が正しいのか」というのを判断するのには、 コミュニティーは絶対というわけでもないのですね。 しかし、今度は著作権法そのものが正しいのか?という質問がどうしても発生してしまう。 現行の著作権法に関しては、多くの人は実は正しいとは思っていない。そして多くの場面でそれが破られている現実を、多くの人はそれが厳密に施行されている状態より間違っているとも思っていない。 そして、この「ある程度法律が破れた状態が実は正しい状態である」というのは、著作権法に限った話

    404 Blog Not Found:「正しい」には二つある、あるいは二つしかない
    morutan
    morutan 2007/09/28
    言ってることは分かるしそう思ったこともあるけどびみょーな感じ。それはデフォルトで時代ごとに変わる「善」の普遍性関連が問題なので。つか「正しさ」は問題ではないのかもしれないが。関連:http://tinyurl.com/2sdlmb
  • 「公」というものを制御不能であるけど善なるものとして認識する - アンカテ

    アレントは、人間の活動領域を「公的領域」と「私的領域」に分け、現代社会の問題を「私的領域」による「公的領域」の侵蝕であるととらえた。 「私的領域」とは、人間の生存に必要な生産活動を行う場ということである。アレントはアテネの都市国家における「家」を「私的領域」の代表としたが、現代に生きる我々は企業をイメージするのがいいと思う。生産活動にはエンジニアリングと指揮命令系統が必要である。この中では、人間は命じられた通りに言いつけられた仕事を確実にこなさなくてはならない。 「公的領域」とは政治の場であるが、政治エンジニアリングや指揮命令系統ではなく、対等な立場の人間同士の議論によって行うべきだというのがアレントの主張である。人間同士の議論には、必然的に予測できない部分があって、エンジニアリングによって事前にシステムを決定することはできない。そこには別の方法論が必要であり、指揮命令系統ではなく個々の

    「公」というものを制御不能であるけど善なるものとして認識する - アンカテ
    morutan
    morutan 2007/06/27
    公領域は多数への影響力を持つ領域ということでエゴのぶつかりあいである私的領域(ビジネス=ベヒーモス)と分けなければならない、ってことなんだけど...。ネットの今というのはリヴァイアサンによる侵食なんだよね
  • ウェブサイト上の「善意」に関する雑感:ekken

    批判を回避するために「善意」を持ち出してはいけない 予想以上に拡がっている「善意の転載」問題(ekken♂ : 他人の善意を利用して悪意なきスパムをばら撒くこと参照)ですが、チェーンテキストに対する嫌悪感を意思表示した記事に対し、「善意でやっていることを批判するなんて……」という主旨の言及がされました。 しかし「善意が動機の行動」は必ずしも正しい物ではありません。 「みんなの善意だから」「良かれと思ってやっていることなのに」は、それが正しい事ならともかく、間違いだった時に拡がる事を止め難くなるのです。 善意の行動が好ましい事ではないと指摘された時に持ち出される「善意だから批判するな」は、単なる批判回避です。「善意」を持ち出すことで、「私を批判しないで」という圧力をかけているのです。 善意を持ち出す多くの人には一片の悪意もないことと思いますが、そう思う人が多いことを利用すれば、悪意の隠れ蓑に

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