𝙚/𝙮🍀 @0106_ely のだめカンタービレやホタルノヒカリのような、プラトニックで、嫌な奴が出てこなくて、男性が面倒見の良いキャラのラブコメが猛烈に好きなんですけど似たようなのご存知の方がいたら教えてください…韓流でもアニメでも洋ドラマでもなんでも大丈夫なので……求む…全然ない……… 2025-05-28 04:51:52
ずっとこのnoteというものの使い方を考えていました。最初は初回の投稿でも書いたように、自分が興味を持っている分野を色々実験的に表現してシェアできたらな、と考えていました。たぶん主に精神世界的なことや、スピってる経験則を自分なりに書く!としていました。ところがあれこれ捏ね回して考えているうちに、そっちは書こうとするほど抑止が利いて筆が止まってしまうのでした。そういう時はまだそのタイミングではないと割り切ることにして降りてくるまで放っておくことにしました。そんなある日、ツイッターでリアルタイムで見聞きして感じたことと、過去の出来事と感情が突然にバチっと符号する事などあって「ああ、書きたい!今自分はものすごくモヤっている。あの日の事を書いて自分なりに咀嚼したいなぅ!」とそうした欲求が立ち昇った日がありました。今これを無性に書きたい。書くことで昇華するとか浄化とかそんなんではなしにただ書く。これ
日本語訳してほしい洋書まとめ ゴールデンウィークの定番企画(と言っても二回目だけど)の 「翻訳してほしい本のリスト」。 海外のブックレコメンドや、ニュースレターでおすすめされていた洋書の中から、「良さげだな」と思ったものをまとめてみました。 (※あくまで個人的にレビューを読んで面白そうだなと思ったものを集めただけなので、 実際にこの中で読んだのは2冊ぐらい) yomoyomoさんも2025年版を書かれていたり。 yamdas.hatenablog.com ということで、ジャンル、エリア、年代問わずで色々紹介していきます。 All the Living and the Dead: A Personal Investigation into the Death Trade 元死刑執行人、大量死事件の捜査員、そして遺族の助産師など、「死」という者に直接関わる職業の人にインタビューをして、そこから
「文化」をこえた「文化事典」 はじめまして、小川幸司と申します。大学3年のときに世界史教育の分野を開拓したいと決意して長野県の高校教員になり、現在に至っています。これまで中央教育審議会の社会・地理歴史・公民ワーキンググループ専門委員として高校の歴史系科目を新たに設計したり、編集委員として『岩波講座世界歴史』の1巻(総説)と11巻(近世グローバル・ヒストリー)を刊行したりしてきました。 よく「なぜ研究者にならなかったのか」という質問を受けます。自分自身の軌跡(因果関係)を言語化するということ自体が難しいのですが、一つの理由として「歴史と受け手が出会う場とはそもそもどのようなものなのか」ということに強い関心がありました。そう考えるに至ったのには、私が大学生活を送った1980年代の中世史研究者の活躍――斬新な歴史像を描き出しながら同時に歴史家と読み手の関係自体を問い直し、そのことをさらに歴史像の
東京地裁の前で勝訴と書かれた紙を広げる金正則さん(中央)=東京都千代田区の東京地裁前で2025年3月18日、後藤由耶撮影 記念写真に納まる9人の高校生たち。再現した「縄文時代の住居」の前で白い歯を見せ、はにかむ顔が並ぶ。にぎやかな声が聞こえてきそうだ。 写真は約50年前、福岡県立高校の文化祭での一コマだ。被写体の一人、現在70歳となった在日コリアンの金正則(きん・まさのり)さんは憤っている。 「自分の一番大事な思い出を汚された感じがします」。今になって身近な人物から、ヘイトスピーチが繰り返されていたのだ。 【写真映像報道部・後藤由耶】 ※被害の実相を伝えるため、差別表現をそのまま掲載する部分があります。 2022年、金さんがツイッター(現在のX)を見ていると、「在日の金くん」という書き出しで在日コリアンへの差別をあおる投稿が目に留まった。 アカウント名に見覚えがあった。 高校時代の同級生の
①『遠隔教育とeラーニング』の「第5章 日本の遠隔教育 1節 遠隔教育の歴史(江戸時代から終戦まで)」の冒頭で、「日本の遠隔教育の歴史は古い。飛脚により書簡をやりとりしていた時代から遠隔教育と見られる学習は始まっていたが、組織的な取り組みが見られるようになったのは明治期からである。」と記されている。また江戸時代のこととして、「通信教育の原点ともいえる手紙のやりとりによる学習を行った事例が報告されている。(中略)本居宣長(1730-1801)が、師の賀茂真淵から手紙によって教えを受けたといわれている。本居宣長は、松坂で「鈴屋」と呼ばれる国学の私塾を開いており、(中略)宣長は門人に通信教授を実施していた。」として、その事例が記されている。さらに明治期のこととして、「不特定多数の社会人を教育する方法として、組織的、継続的に通信を手段として教育が行われたのは、1886年(明治19年)、東京専門学校
※本記事は、2025年4月刊行の神田裕子氏著『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』(三笠書房)の装画にご指摘を受けて、イラストレーターとしての立場から記録したものです。また、本記事は著者や出版社の意図を代弁(実際の指示の記述は出てきます)・解釈するものではなく、私個人の責任と視点に基づいたものです。また、出版社から装画制作の経緯についての発信の許可を得ております。 このたび、私が装画を担当した書籍について、批判やご指摘の声が上がっている件について、私個人の立場から経緯と考えを整理し、お伝えいたします。 まず、当該装画について差別的な印象を受けたというご意見があることを、真摯に受け止めております。ご不快な思いをされた方がいらっしゃること、それ自体が大きな問題であり、表現に関わった一人として深くお詫び申し上げます。 私自身、そのような意図を持って描いたものではありませんが、意図の有無にかか
いや、おまえめっちゃでっかくなっとるやん。 https://anond.hatelabo.jp/20250116132443 夏頃、我が家にやってきたカタツムリ。 コマツナにへばりついていたヤツが、いつのまにか随分とサイズアップしていることに気づいた。 いや、うすうす分かってはいた。「いやでもまあこんなもんか」とギリやり過ごせていたというか。でも、最近明確にかわったことがある。 殻がどす黒くなってきているのだ。 多分、カルシウム源にコンクリート片ばかり食べているのが原因だ。最近めっちゃ食べてるなって思ってたし!!絶対そう!と言い切れる確信がある。コンクリート片食べた後のうんちと殻の色がソックリだからだ。 定期的に写真を撮っているので、来たばかりの頃のものと見比べてみたら一目瞭然だった。来たばかりの頃はまだ小さくて、最初の○を起点として4巻きぐらい。殻の色も黄土色って感じ。殻のまるみにそって
「京都伏見介護殺人事件」をご存知でしょうか。2006(平成18)年2月1日、京都市伏見区の桂川河川敷で、54歳の男性・サダオさん(仮名)が認知症を患う母・サワエさん(仮名・86歳)の介護の負担と生活苦から心中を図り、サワエさんを殺害するという事件が起こりました。 事件の背景として、サダオさんが生活保護を受けようと福祉事務所へ3回相談に訪れたものの申請が認められず、精神的、経済的に追い詰められていったということが報じられました。 介護保険制度の限界・生活保護行政の硬直性・介護者の孤立といった社会問題を浮き彫りにしたこの事件は、以後も介護問題を考える上での重要な事例として扱われています。 今回は行政書士として、生活保護業務を取り扱う観点から、どうすればサダオさんとサワエさんを救うことができたのか、考えてみたいと思います。(行政書士・三木ひとみ) 裁判長が「生活保護行政のあり方」を批判 サダオさ
1月28日夜、80人近くがひしめいた大阪市のトークライブハウス。会は乾杯で幕を開けた。 「飲んだあと駐車場で朝まで寝てから出勤してた」「マウスウォッシュで口をゆすいでそのまま飲み込んでた」 型破りなエピソードの主役は、昨年12月、急性骨髄性白血病で45歳でこの世を去った社会学者の打越正行さんだ。 数学教師を目指し、広島から琉球大へ進学。英国の中学校の「落ちこぼれ」グループの姿を伝えた本に出会い、社会学に興味を持った。社会学者ポール・ウィリスが1970年代に著した「ハマータウンの野郎ども――学校への反抗・労働への順応」だった。 ある夜、大学の駐輪場にたむろしていた少年らと朝まで飲んだ。彼らにとって、学校は自分とは無関係の「良い子」だけのための場。そんな風に感じたことがなかった自身の無知を恥じ、弱者やマイノリティーなどの排除された人々を調査研究する社会学の道へ進んだ。 卒業後は1年間、なぜか大
田園風景に現れる長蛇の列という異様な光景 「夫も来ているんです!すぐ来ますから」 行列の先頭近くで、遅れてきた夫をなんとか割り込ませようと頑張る中年女性がいる。芸能人の握手会か百貨店の福袋かと言えばそうではない。ここは東京都心から電車で1時間。さらに最寄り駅から30分はかかる“辺境の美術館”だ。女性の背景には、芝生がきれいな庭園、その奥にはうっそうとした森が広がっている。順番争いが起こる行列とは似つかわしくないのどかな風景だ。 行列ができているのは千葉県の佐倉市にあるDIC川村記念美術館(以下、川村記念)。訪れた9月中旬の3連休初日にあたる土曜日。それでも普通なら行列など出来ようがない。しかし、この日は開館前から駐車場には車が何台も止まり、扉前には行列ができていた。 行列の理由は、2024年8月27日に運営母体のDIC株式会社が、2025年の1月下旬で川村記念を休館し、運営方法を抜本的に変
1月28日の日本経済新聞の経済教室でトランプ政権の統治機構改革に関連した記事を執筆しました(記事)。ここでは、記事で紹介した社会科学の学術研究、関連論文等を紹介します。 関連する過去の投稿はこちらです: 実証研究紹介17:公務員の中立性と政府業績との関係 実証研究紹介4:官僚制度と政治(1)-専門知識と行政における政治の影響力 実証研究紹介5:官僚制度と政治(2) メリットシステムについての査読付き学術誌システマティックレビュー論文Oliveira, Eloy, et al. 2024. "What does the evidence tell us about merit principles and government performance?" Public Administration 102 (2):668-690. doi: https://doi.org/10.1111/p
G20サミットでの各国首脳と石破茂首相(後列右から3人目、24年11月) PILAR OLIVARES–REUTERS <1年で3回も首相が交代したフランスなど他の先進国と比べれば、日本の政治は安定していると言っていい> 私は日本の政治家をよく批判する記者だが、「もしかしたら、日本の政治のほうがましではないか」と最近思うようになった。「いやいや、日本の政治は駄目だよ」と反論する読者は少なくないかもしれないが、世界中、特に先進国で起きていることを見れば、日本の政治は駄目だという意見が変わる可能性もある。 日本政治の問題は、日本の未来像を持っていない政治家が多く、彼らが国民の日常生活の課題を知らず、その課題を解決できる政策を考えず、時代錯誤の考え方が根強く、政治と金の問題が繰り返し噴出する......と、いくつも挙げられる。 でも今は自民と公明の与党が衆議院で過半数割れしているので、与党が勝手
都市部で生まれ育った土地で働いたのち、地方に生活拠点を移すことを一般的にIターンと呼ぶ。都会の喧騒を離れることができ、土地が安く、家が建てやすいなどのメリットがあるが、結局都市部に戻るケースも増えていると聞く。中山史郎さん(仮名・30代)も、その1人だ。 中山さんは神奈川県出身。20代を地元で過ごし、30歳になったことをきっかけに岩手県盛岡市に移住した。 「私はシステムエンジニアとして都内の会社で約8年勤務しました。納期に追われる仕事が嫌になり、転職を考えるようになりました。離婚したこともあり、生活環境を変えたいという思いから、かねてから考えていた地方暮らしを決意しました」 あえて盛岡を選んだ理由を、中山さんは以下のように説明する。 「得意先が盛岡にあり、たびたび出張で来ていたんです。盛岡冷麺の味が好きでしたし、空気も美味しかった。盛岡駅周辺はそこまで『ド田舎』という感じでもなく、環境が良
はじめに 「存在論」とは何であろうか。いろいろな学問がいろいろな使い方をしているので、整理するとよいのに、と思っていたら次の論文があった。オープンアクセスなので誰でも読める。 Turska, J.J., Ludwig, D. Back by popular demand, ontology. Synthese 202, 39 (2023). https://doi.org/10.1007/s11229-023-04243-x link.springer.com この論文はすばらしかった。人類学における「存在論的転回」という言葉に困惑している(分析)哲学者にすすめしたいし、「社会存在論」に興味がある人類学者にもおすすめする。 分析哲学における存在論:プロジェクトとして まず、(分析)哲学において「存在論(ontology)」とは、存在の本質への探究を意味する。抽象的対象であったり、穴であった
PHOTO ©Paik Dahuim 光と糸 ハン・ガン 去年の1月、引っ越しのために倉庫を整理していたら、古い靴箱が一つ出てきた。開けてみると、幼年期につけていた日記帳が10冊あまり入っていた。表紙に「詩集」と鉛筆で書かれた薄い中綴じの冊子を見つけたのは、その日記帳の束の間からである。A5サイズのざら紙5枚を半分に折り、真ん中をホチキス止めした小さな冊子。題名の下には二本のくねくねした線が並べて引いてある。左から上がってくる6段の階段状の線と、右へ下っていく6段の階段状の線。表紙絵のつもりだったのだろうか? または単なる落書きだろうか? 冊子の裏表紙には1979という年度と私の名前が、中には合計八篇の詩が、表紙の題名と同じ鉛筆の筆跡できちんと書かれていた。ページの下にはそれぞれ違う日付が時系列で記入されている。八歳の子供らしい無邪気な拙い文章の中で、4月の日付がついた詩が一つ、目にとまっ
いつからだろう、国連職員になりたいと思ったのは。 たぶん、スーダンに駐在していたときだと思う。25歳だった。国連職員になった同期は子どもの頃からなりたかったという人も多く聞くので、比較的遅い方だと思う。 当時、NGO職員としてスーダンに駐在していたのだが、そこで一緒に仕事をしたのがとある国連機関だった。決して大きくはない日本のNGOで働いていた自分からすると、国連は資金力もありダイナミックな活動ができ、こんな組織で自分も働いてみたいとそのときに思うようになった。今思うと、隣の芝生は青く見えたのだと思う・・・いや、スーダンに芝生なんてないので、隣の砂漠には水があるように見えたというのが正解か。 そこからは国連職員になるためのキャリアだった。国連で働くには大学院へ行く必要があったので、まずは大学院へ行こう。国連では英語を中心に仕事をすることになるから、大学院に行くなら海外の大学院にしよう。大学
しかし3年が経ち、新たな書籍も多数刊行されているので、この機会に選書を再検討し、近刊も反映させる形で2024年版に改訂してみたのがこの記事だ。 「100冊なんて読めるわけない」 ——その通りである。 とはいえ、数冊読んで「わかる」かといえば、当たり前だが世界史はそんな代物でもない。むしろ、あるトピックを深く掘れば掘るほど、あるいは浅く広くであれ地域をひろげていけばいくほど、途方もない広さにたちすくむ。そんな中、思いがけず、無関係にみえた出来事や人物が、星を結ぶようにつながり出すことがある。それも歴史を学醍醐味の一つでもある。 もちろん世界史の楽しみ方は千差万別だ。ゆるく学ぶ。フィクションを楽しむ。いろいろあるだろう。 だが、あくまでここでは、ちょっとまじめに世界史の「森」に足を踏み入れてみたいと考える方に向けて、世界史の射程の広さを考慮しつつ、引き続き100冊の選書を置いておくこととしたい
1.問題の所在 NHKが11月25日放送した「映像の世紀バタフライエフェクト 吉田茂 占領下のワンマン宰相」を観た。占領期に焦点を当て、内閣総理大臣吉田茂の統治を追ったものである。 テレビ番組にあまりそうしたことを言うのも詮無いことではあるが、多少この時期の日本史に関心を持つ人間として色々と疑問を抱く描写のある番組であった。細部はさておくとしても、占領期吉田政治最大のキーパーソンとして白洲次郎を描くというストーリーは、あまりにも現実離れしているのではないかと思わざるを得ない。 もちろん歴史の描き方というのは解釈が伴うため、そうした方法もあり得ないわけではない。ただし現時点で明らかになっている事実に基づいて描写を行う必要があろう。その中でも、一点わかりやすいエピソードについて看過し得ない描写が存在したので、本エントリーではそれを論じてみたい。サンフランシスコ平和条約の受諾演説が日本語で行われ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く