ものまねタレントで千葉県議会議員のプリティ長嶋(70)が3日、SNSを更新。同日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で89歳で亡くなった、プロ野球巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんを悼んだ。 プリティは、長嶋さんとのツーショット写真を投稿し「我がミスタープロ野球 長嶋茂雄は永久に不滅です! 3333333333333333333333」と追悼の思いをつづった。
ものまねタレントで千葉県議会議員のプリティ長嶋(70)が3日、SNSを更新。同日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で89歳で亡くなった、プロ野球巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんを悼んだ。 プリティは、長嶋さんとのツーショット写真を投稿し「我がミスタープロ野球 長嶋茂雄は永久に不滅です! 3333333333333333333333」と追悼の思いをつづった。
漫画家の原田久仁信さんが、5月7日、心筋梗塞で亡くなった。73歳。『「プロレススーパースター列伝」秘録』を2024年11月に刊行した文藝春秋が17日に発表し、葬儀は近親者のみで執り行われたという。 【画像】悲しい…原田久仁信さんが描いたプロレス漫画の最新巻 原田さんは1980年より『少年サンデー』誌上で『プロレススーパースター列伝』(原作・梶原一騎)の連載を開始。その後も『男の星座』(原作・梶原一騎)、『プロレス地獄変』『KIMURA』(原作・増田俊也)など、格闘の世界に生きる男たちの生きざまを描く数々の作品を発表してきた。 原田さんの妻は「5月7日、主人が心筋梗塞のため73歳の人生を閉じました。本日5月17日のプロレスフリマに向けて楽しみに準備をしていたので残念でなりません。子どものころからの夢だった漫画家になることができ、プロレスファンに愛される作品を描くこともできました。悔いのない人
「レスラーの生き様を与える人だった」…TAJIRI、60歳で亡くなった“インディーの帝王”サブゥーさんを追悼「知り合ったことが誇り」 FMW、新日本プロレスなどで活躍し“インディーの帝王”とたたえられたサブゥーさん(本名・テリー・ブルンク)が60歳で亡くなった。世界最大のプロレス団体「WWE」が11日(日本時間12日)、公式ホームページで伝えた。 サブゥーさんと2月に英マンチェスターでのサイン会で再会した九州プロレスのTAJIRIはスポーツ報知の取材に応じ、サブゥーさんとの秘話を明かした。 TAJIRIは、サブゥーさんと大日本プロレス時代にマスクマン「アクエリアス」として2度対戦。その後、98年から米国の「ECW」へ移籍しサブゥーさんと同じリングに上がった。当時の印象をこう明かした 「スタイル的なことはわからないんですけど周りにいる人間にレスラーの生き様を与える人だった。当時はかなり難しい
プロレス団体ドラゴンゲートの社長を務めた、岡村道場代表師範の岡村隆志(おかむら・たかし)さんが25日に亡くなった。60歳。かねて療養中だった。故人の遺志により、葬儀は近親者の家族葬で営まれる。後日「岡村師範を偲ぶ会」が催されるという。 真日本実戦空手道連盟の岡村道場で副代表を務める坂岡充敏氏が、SNSで報告した。 「かねてより療養中でありましたところ 本日(25日)令和7年4月25日60歳にて逝去いたしました ここに謹んでご通知申し上げます」 「誠に勝手ではございますが故人の遺志により 葬儀は近親者のみで家族葬にて執り行います なおご弔問お香典ご供花等につきましても 故人の遺志によりご辞退申し上げますこと 何卒ご容赦頂きたくお願い申し上げます」 1964年(昭39)9月4日生まれ。86年と89年の全日本空手道選手権で準優勝した。格闘技団体の武輝道場で94年にWARデビューし「デビルマン」の
〝過激な仕掛け人〟の異名を取った昭和プロレスの重鎮・新間寿さんが21日に死去したことが分かった。90歳だった。 関係者によれば、新間さんは3週間前に体調不良で入院。2日前に退院したばかりだったが、都内の自宅で亡くなった。病気を患っていたわけではないという。 新間さんは1972年にアントニオ猪木が旗揚げした新日本プロレスに入社。猪木さんの右腕として活躍し、76年6月には猪木とモハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」を実現させるなど〝過激な仕掛け人〟として数々の名試合をプロデュースした。 また、初代タイガーマスクの誕生も企画して一世を風靡し、83年の退社後はUWFを設立するなどプロレス界に多大な影響を及ぼした。2019年には日本のフロントで唯一のWWE殿堂入りも果たしている。 近年は初代タイガーマスクの佐山サトルが主宰する「ストロングスタイルプロレス」の会長を務めたが、昨年10月にプロレス界から
4月8日に「遺書」と題された投稿をして安否が心配されていた「みんなでつくる党」のボランティアスタッフの岩井清隆さんが、お亡くなりになっていたことがわかった。「みんなでつくる党」が声明を発表している。 「『NHKから国民を守る党』とは何だったのか?」(新評論・1650円)の著者で、岩井清隆さんと交流のあった選挙ウォッチャーちだいは、「みんなでつくる党の関係者はもちろん、反社会的カルト集団『NHKから国民を守る党』によるネットリンチや名誉毀損に対して批判を続け、立花孝志をブタ箱に送るべきだと主張してきた人たちは、このたびの訃報にとても傷ついている。訃報を受けても言い訳を続け、大津綾香党首を攻撃している腐れ外道のN国信者はともかく、今は傷ついている人たちのケアが大事だ」と話し、岩井清隆さんのご冥福を祈った。 The post 岩井清隆さん、亡くなる appeared first on チダイズム
Twitter Facebook B!Bookmark プロ野球の中日などで活躍したトニ・ブランコ氏が母国ドミニカ共和国でナイトクラブの天井崩落に巻き込まれ、43歳で亡くなった。米メディアなどが報じた。ドミニカ共和国の記者によると、天井の下敷きになる直前に、元オリックスの同僚を助ける行動を取っていたという。
キャスターみのもんた(本名御法川法男)さんが1日未明に死去したことが分かった。80歳だった。関係者によると、みのさんは1月中旬に都内の焼き肉店で肉を喉に詰まらせて救急搬送されており、意識不明が続いていたという。葬儀は親族のみの家族葬で執り行われる。お別れの会などの予定は親族の希望で開催しないという。 東京都生まれ。立大卒業後、67年に文化放送入社。2年目で深夜ラジオ「セイ!ヤング」の初代パーソナリティーに(特に)抜てきされ、軽妙なトークで一躍看板アナウンサーとなった。番組を10年務めた後、79年に退社した。 退社後は家業である水道メーター会社「ニッコク」の営業マンを務めたが、営業のない週末に引き受けたフジテレビ「プロ野球ニュース」の「珍プレー好プレー」ナレーションが大きな反響となり、再び注目を集める。89年に日本テレビ情報番組「午後は○○おもいッきりテレビ」の司会となり、文化放送退社から1
ステージ4の食道がん(扁平上皮がん)で闘病していたプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修さんが28日に死去したことが分かった。53歳だった。 西村さんは1990年4月に新日本プロレスに入門し、翌91年4月にデビュー。カール・ゴッチやドリー・ファンク・ジュニアの指導を受け、クラシカルなスタイルで観客を魅了した。2006年に新日本を退団すると、藤波辰爾の「無我ワールドプロレスリング」の旗揚げに参加。翌07年10月に無我を退団し、全日本プロレスに入団した。 2010年に政治活動を開始すると、11年に東京都文京区議会議員選挙で初当選。全日本を退団しフリーランスとなって以後は、議員活動とレスラー活動を両立させていた。 しかし24年に体調不良を訴え、検査の結果食道がんが発覚。左側上半身全体に転移しており、ステージ4と診断された。不屈の闘志でレスラーとしてリングに上がりながら闘病生活を続けていたが、
つば九郎、担当者が死去 ヤクルト発表「功績に感謝と敬意」…6日から体調不良で休養 東京ヤクルトスワローズ 2025.02.19 2025.02.20 Twitter Facebook LINEにおくる Bookmark 球団発表「つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました」 ヤクルトは19日、球団マスコットの「つば九郎」の担当者が死去したと発表した。公式ホームページで「これまで、つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました」と伝えた。6日には体調不良により長期休養することが発表されていた。 つば九郎は1994年4月9日の阪神戦(神宮)でデビュー。神宮での試合で5回終了後に行われる名物の「空中くるりんぱ」はこれまで1度も成功していない。喋れない代わりにフリップボードを用いてジョークを飛ばし、長年ファンから愛された。 昨年にはデビュー30周年を迎えた。今年も2月のキャンプに姿を見
1999年に週刊漫画ゴラク(日本文芸社)でスタートした「江戸前の旬」をはじめ、さとう輝とのコンビで「寿司魂」「北の寿司姫」「ウオバカ!」など数々のグルメ作品を生み出してきた九十九。週刊漫画ゴラク編集部は「体調がすぐれないという報告はいただいておりましたが、突然の訃報に編集部一同、悲しみに暮れております」と綴った。 生前に九十九が執筆した「江戸前の旬」の原作は、3月14日発売の週刊漫画ゴラク3月28号の第1292話までの掲載となる。その後の「江戸前の旬」に関して、週刊漫画ゴラク編集部は「九十九森先生から、連載継続の許可をいただいており、九十九森先生が過去に残した1200話以上の『江戸前の旬』、そして多くの構想等は預かっておりますので、遺族の方からの了承も得まして、第1293話より『原案・九十九森』として連載を継続させていただきます」と報告している。 「江戸前の旬」公式Xが投稿した、九十九森に
バトル・ニュース編集長である“平成の仕掛け人”永島勝司さんが、2月10日に82歳で亡くなりました。 12月18日に本人より入院したとの連絡があり、翌19日に病院にお見舞いにお伺いし本人と話をしました。その時に、12月上旬に自宅で倒れて病院に救急搬送されたこと、「心停止状態で息が止まっていたらしい」と本人から説明がありました。 かねてより肺気腫を患っておりましたが、「現在は快方に向かっており早晩退院するので入院していることは公表しないで欲しい」との要望が本人よりありましたので公表を控えておりました。 今年になって何度か本人より電話があり、順調に回復している旨の報告がありました。1月24日に「来週あたり退院できることになった」と連絡がありましたので、「退院したら連絡ください」と話したのが最後の電話となってしまいました。 病室でも電話でも元気そうでしたので退院を楽しみにしておりましたが、このよう
プロレスラーのグラン浜田(本名・浜田広秋)さんが15日に住まいのあるメキシコで亡くなったことが16日、分かった。74歳だった。かつて所属していた「みちのくプロレス」が公式X(旧ツイッター)で発表した。 Xでは「グラン浜田さんがお亡くなりになりました。ユニバーサル、みちのく時代は一緒にツアーをまわり、メキシコでもお世話になりました。まだ信じられません。ルチャリブレを日本に広めた功績は大きいです。小さな巨人グラン浜田よ、永遠に。心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。 浜田さんは1950年11月27日、群馬・前橋市生まれ。1972年に旗揚げ前の新日本プロレスに入門。身長167センチと小柄ながらも柔道で鍛えた格闘センスと抜群の運動神経で活躍。同年3月16日に藤波辰巳(現・辰爾)戦でデビューした。リングネームを本名の浜田広秋からリトル浜田へ変更し、75年からメキシコへ武者修行に出て「グラン浜田
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