今年の1月20日、北米に再登場した奇矯な大統領が就任初日に「メキシコ湾をアメリカ湾に改名する」と一方的に宣言し、その旨を記した大統領令に署名した。臆面もなく「アメリカ第一主義」を主張し、それによって大衆の支持を得て最高権力をわが物とした者の、排外主義の象徴となってきた「メキシコ」。それを、人間だけでなく地名からも排除しようとする、あからさまな意図をもった命令であった。この差別的な言葉狩りが、メ
●お届け(送品)は、宅配便(ゆうパック)となります。 ●商品の合計金額に送料が加わります。 ●送料は1回のご注文につき一律650円( ※)とさせていただきます。 ●配送時間は「午前」「12~14時」「14~16時」「16~18時」「18~20時」「20~21時」をお選びいただけます。 ●ご注文受付後、7営業日内のお届けとなります(既刊書のみのご注文の場合)。ご注文に未刊の新刊が含まれる場合、全ての商品が揃い次第の発送となりますのでご注意ください。 ●ご注文の書籍が品切、および価格変更になるケースがあります。その場合にはお電話にて確認のご連絡をいたしますが、記入された電話番号で連絡が取れない場合には、注文を取り消させていただきます。何卒ご了承ください。 ●日本国外への発送はできません。 ※岩波ブックオーダーの送料改定につきまして 平素は格別のお引き立てを賜り厚く御礼申し上げます。 この度、小
江藤淳は「無条件降伏」について、本多秋五との間で論争した。加藤典洋は日本人の戦死者への追悼を先立たせるべきだとし、高橋哲哉らと論戦した。無条件降伏をしたのは日本軍であって日本国ではない。アジアの死者よりも日本の死者を悼むことを先立せたとしても、日本人の心情からして当然だ。江藤・加藤は挑発的にそんな言い方をして、戦後文学論争に、あるいは戦後論壇に一石を投じようとしたのである。 本書は、2人の文芸評論家の歩みに寄り添いつつ、日本人の戦後80年の遍歴をたどる試み。彼らは戦後空間に“アメリカの影”を見て、日本の戦後文学がそれらに制約されていることを論証しようとした(それは彼ら自身がそうした制約の枠の中にいることを示している)。彼らは“戦後の我われ”がゆがみ、ねじれていることを自覚している。 評者は、2人はよく似た体質を持っていると思う。ゆがみやねじれが社会的なところから胚胎(はいたい)したのか、あ
自分自身をべつの言葉に置き換え、変化を恐れずに生きてきた――。ベンガル人の両親のもとロンドンで生まれ、アメリカで育った著者は、幼い頃から自らや家族のことを、頭のなかで常にベンガル語… 自分自身をべつの言葉に置き換え、変化を恐れずに生きてきた――。ベンガル人の両親のもとロンドンで生まれ、アメリカで育った著者は、幼い頃から自らや家族のことを、頭のなかで常にベンガル語から英語に「翻訳」してきた。大人になってから習得したイタリア語に見出した救い、母の看取りなど、自身の半生をひもときながら綴られる、小説を書くことを鼓舞してくれる「翻訳」について考えたこと。 トランスレーションのかなたの世界インド系英語作家だったラヒリがイタリア語で書きだしてから、十年あまりが経つ。本書は、小説家が自らの言語能力にあえて枷をはめて書いた翻訳論だ。 英語作家としての地位をすてることを惜しむ人も、なぜわざわざ拙い第三言語で
「小説の神様」と呼ばれる作家の志賀直哉(1883〜1971年)は、なぜ代表作の『暗夜行路』しか長編を書かなかったのか。新たに見つかった自筆の草稿は、そんな疑問に答える一助になるかもしれない。市販のノートに鉛筆で、49ページにわたってびっしりと文字が記されている。繰り返し書き直した跡もある。自ら「遅筆」と認めていた志賀の一字一句へのこだわりが、ひしひしと伝わってくる。『暗夜行路』の新たな草稿は
フィクションとは、はじめ私が考えていたような、作者の勝手気ままによって、どのようにもなるというものではなく、むしろ、ある必然の動きをもって作者に迫ってくるものだ、ということができ… フィクションとは、はじめ私が考えていたような、作者の勝手気ままによって、どのようにもなるというものではなく、むしろ、ある必然の動きをもって作者に迫ってくるものだ、ということができます。 フィクションとは、全体の真実を、生きた形で表わすための、必要な新しいパースペクティヴなのです――作家志望者に向けた講座(「言葉の箱」)、フィクション論から自作歴史小説での史料活用法まで。 貧血化し機能化する散文に対する、豊饒な文学世界の実現へと誘う創作論集。 〈あとがき〉辻佐保子〈解説〉中条省平 (目次より) 言葉の箱 Ⅰ 小説の魅力 Ⅱ 小説における言葉 Ⅲ 小説とは何か フィクションの必然性 「語り」と小説の間 小説家への道
著者は八宗(はっしゅう)兼学の徒である。本書も広範な知見を思う存分、和歌、特に新古今和歌集を撰進(せんしん)した藤原定家(1162~1241年)を犀利(さいり)に分析検討した好著である。5章仕立てで、あたかも扇状地の広がりのように著者の筆に魅了されて頁(ページ)を繰(く)ってしまうが、主眼は「本歌取り」の意義の深さだ。 この模倣とも誤解されがちな技法を、著者は元歌(もとうた)という始原に回帰しつつも、新たに創意工夫を凝らして新規で斬新な歌を詠むことをその真髄(しんずい)としている。 第1章、2章、3章と音楽でいうカノン技法のように、「本歌取り」の優美を説き、「点鉄成金(てんてつせいきん)(立派なものに作り替える)」の妙を、わかりやすく「変奏曲」とし、定家こそ私情を一切絶って極限の美へと昇華させた歌人と讃(たた)えている。それは人工美でもあり、「非在の美」でもある。「元横文字屋」と自嘲する著
「翻訳する私」 [著]ジュンパ・ラヒリ ベンガル人の両親の元イギリスに生まれ、アメリカで育ったラヒリ。ベンガル語と英語、二つの言語の狭間(はざま)で成長した少女はやがて英語で創作を始め、一躍成功した作家となった。それから十数年後、彼女は大胆な言語的冒険に飛び込む。イタリアに居を移し、イタリア語で創作を始めたのである。本書には、自分を「物心ついてからずっと翻訳について考えて生きてきた人間」だと定義するラヒリの、翻訳をめぐり刻々と変化する思考の痕跡が収められている。 自ら選び取った外国語で書き、読むとはどういうことなのか。ラヒリはそれを、ドア、視力の喪失、接ぎ木、といったメタファーで提示する。さらにはスタルノーネの作品を翻訳し、獄中で書かれたグラムシの手紙を読み、翻訳という行為自体を様々なものに翻訳していく。オウィディウスの『変身物語』からエコーとナルキッソスの神話を引き、翻訳と創作の関係を考
2025年5月 イタリア文化会館-大阪は、イタリアの独立系出版社のブックフェア「Book Pride」とイタリア文化会館-東京の協力のもと、日本ではまだ翻訳出版されたことのない厳選されたイタリア語書籍を紹介する冊子『イタリア現代文学案内2025』を発行しました。 冊子では、小説/エッセイ/グラフィック・ノベルなどの全16作品のあらすじや作者の略歴、翻訳版権を取得する際に必要な連絡先などを掲載。日本の出版社や翻訳家、イタリア語学習者といったさまざまな方に向け、文学というフィルターを通じて、ステレオタイプからかけ離れた心躍るような発見に満ちたイタリアを紹介することを目的としています。 『イタリア現代文学案内2025』はイタリア文化会館-大阪 館内にて配布中。 デジタル版はこちら また、冊子内で紹介されている作品は図書コーナーの蔵書として閲覧いただけます。
「日本語からの祝福、日本語への祝福」 [著]李琴美 タイトルを見ただけで何だかうれしくなる。本文を読み進めると、「少女時代からこよなく愛し」「100%自分の意思で選んだ言語」への思いが伝わる言葉選びに、こんなにも日本語をいつくしんでくださってありがとう、と感謝や幸福感すらわきおこってくる。 人が外国語を学ぶのは、多くの場合、学業や仕事、旅行など何らかの必要に迫られてのことだ。琴峰さんは違う。「台湾の田舎」の中学2年生のとき、ふと「日本語やってみたいかも」と思った。日本語は必修科目でもなく高校入試にも役立たない。留学予定も、周囲に日本語を話す人や学ぶ環境もなかったが、だからこそ日本語学習は彼女にとって、閉鎖的で高圧的な環境における「私だけのオアシス」だったのだという。 明確な目的もお金もない中学生が、意欲と知恵とインターネットでいかに日本語を習得したか。その軌跡は工夫と文化的発見、そこはかと
『平家物語』は、日本の古典文学の中でも際だって多くの派生作品を生み、親しまれてきた作品であるが、その内容が大小さまざまな合戦をどの程度正確に反映しているかについては、実はあまり知られていない。本書は『平家物語』に描かれた合戦描写を丁寧に検証し、史実との距離を見定めた労作である。そこから見えてくるのは、さまざまな要素が入り交じった表現のあり方だ。 例えば、以仁(もちひと)王の乱を描く巻四「橋合戦」では、23本の矢を悉(ことごと)く命中させる浄妙房明秀や、橋桁の上で長刀(なぎなた)を持ったまま、その浄妙房を跳び越える一来(いちらい)法師など、およそ実話とも思えない「ホラ話」が描かれる。その一方で、頼朝の挙兵に続く小坪坂合戦の表現には、地理的にも史実にかなり忠実な描写が見えるという。(ただし、この箇所を載せるのは、『平家物語』の一部のテキストに限られる)
著者:チェーザレ・ザヴァッティーニ翻訳:石田 聖子出版社:光文社装丁:文庫(168ページ)発売日:2024-12-11 ISBN-10:4334105327 ISBN-13:978-4334105327 内容紹介: 眠れぬ夜の寝床に霊が現れ、ぼくの手を取って飛び上がり、地獄から煉獄、天国まで、「あの世」への旅にいざなう……。『自転車泥棒』『ひまわり』など20世紀イタリアを代表する映画の脚本家が、ユーモラスで味わい深い物語を連作掌編とでもいうべき手法で紡いでいく小説。 ザヴァッティーニ(一九〇二-八九)は、イタリア映画不朽の名作「自転車泥棒」「ひまわり」などの脚本家として知られる。しかし、彼は文学やジャーナリズムなど、多岐にわたる分野で活躍した才人だった。本書は彼の最初の小説(一九三一年刊)である。刊行当時大きな話題となり、「ザヴァッティーニ事件」と騒がれたほどだったという。 ある日、「ぼく
理不尽と闘った一人の女性の勇気の物語1960年代、シチリアの保守的な小村。「女は水差しだから、割った人のところにもらわれていくもの」と母親に擦り込まれた少女オリーヴァは、初潮を迎え… 理不尽と闘った一人の女性の勇気の物語 1960年代、シチリアの保守的な小村。「女は水差しだから、割った人のところにもらわれていくもの」と母親に擦り込まれた少女オリーヴァは、初潮を迎えてからは「純潔を守るため」に、地元の風習と母の教えに従い男子との交流を避け、学校も辞め家のなかで過ごしていた。しかし裕福な菓子店の息子に目をつけられ、16歳の誕生日に誘拐され性暴力を受けてしまう。当時の刑法第544条により、加害者の男はオリーヴァと結婚することで罪が放免されることになる。結婚を迫る男や周囲からの圧力に追い詰められるオリーヴァ。やがて友人や支援者との励ましに自分の本心に気づき、法廷でこの理不尽に「ノー」を突きつけるこ
忘れかけていた英米文学の名作と再会する。本書はマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』やエミリー・ブロンテの『嵐が丘』、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』の訳者による紹介と批評が集められている。 初出は、大西泰斗(ひろと)の名調子で知られるNHK「ラジオ英会話」のテキスト。そのため、英語の学習者も、なるほどとうなずく翻訳の秘訣(ひけつ)が織り込まれている。 たとえば、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に頻繁に登場するyou。漠然とした聞き手や読者を指すgeneral you(総称的なユー)と考えられ、これまでは「あなた」とは訳されず省略されてきた。ところが、村上春樹訳では「君」とはっきり訳出したと指摘する。さらに著者は、回転木馬に乗る妹フィービーが描写される感動的な場面を取り上げ、このときのyouは、弟のアリーではないかと解釈して、年下の男性を思わせる人称代名詞を使い「ちぇっ
Du deuil à la « Vita Nova » Sur les influences dantesques chez Roland Barthes Saki ISHII Le présent article analyse les textes de Roland Barthes parus entre 1978 et 1980, centrés sur le projet d’écriture romanesque intitulé Vita Nova. Après la mort de sa mère, au bout d’un deuil d’environ six mois, une sorte de révélation le ramène sur le chemin de la littérature : il écrira un roman comme un « mo
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く