※以下の文章は、「キネ旬ムック/スタジオジブリとホーホケキョ となりの山田くん」(99年8月10日/キネマ旬報社発行)に掲載されたものです。掲載時には一部カットされていますが、以下が原文です。 高畑勲監督の演出について語ることは相当の覚悟を必要とする。 高畑監督は、常に明確な位置づけと徹底的な論理化のもとに仕事を行って来た。その映像表現は一見自然体であり、感覚直撃型の宮崎駿監督とは好対照である。そこに込められた精緻を極めた演技設計、莫大な労力、革新的技術などを全て確認出来る人は稀だろう。 一方、従来の「高畑論」は物語の枠組みをなぞった賛辞か、勘違いによる反発などで、監督の意図を汲み取った解釈は皆無である。高畑作品の場合、印象や感性で斬り込んでも薄皮一枚も切れはしない。一言で言えば奧が深いのだ。よって、評価に際して「研究的態度」は避けられない。 ● 映像によって原作を補完する 高畑演出の特徴