有名であることは、有能であることと関係がない。同様に、無名だからといって無能なわけでもない。今の政界に必要なのは、名ばかりの無能人ではない。実力によってその名を成す、真の能力者だ。 「夏の陣」は8月で決着〈「軍略は、わしというこの浮世で評価のある者がやってはじめて成功するのだ」〉 〈「左衛門佐(幸村)は」〉 〈「とうてい、この軍略をおこなえない。まず大坂城中の者が、そなたの才を信用せず、そなたの申すがように動こうとはしない。人間というのは過去から現在までの世間における履歴で事をなせるのだ」〉(『城塞』司馬遼太郎) たとえそれが軍略でも政治でも、「無名」という事実が致命的であることは、古今東西変わらない。 真田幸村は父・昌幸からそれを指摘されていながら、あえて大坂城に入城した。天下の徳川家康を相手に大いくさを演出し、自分の才能を存分に発揮することができるならば、もし敗れて散ろうと、それはそれ