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仏教に関するh_nakのブックマーク (7)

  • 終わりのない「ババ抜き社会」|ニー仏

    ミャンマーなどの上座部仏教圏で暮らしていると、僧侶方や一般の仏教徒たちから必ず聞くことになる話に、「功徳というのはロウソクの炎のようなものだ」というのがある。 たとえば、なけなしのお金をはたいて、お寺に事の布施をしたとする。そういう時に、彼/女たちはたいてい、家族や親族や友人も呼んで相伴に預からせ、その功徳をシェアしようとするのが通例だ。お金を払っていない人たちにまでシェアをさせたら「自分の分の功徳が減る」のではないかと考えてしまいそうだが、当地ではそのような理解はされていない。一つのロウソクの炎を別のロウソクに移しても、元のロウソクの炎が減ったりはしないように、功徳というのは分け与えれば分け与えるほど、むしろ増えるものだと彼/女たちは考えている。 そうした上座部圏の仏教徒たちの振る舞いを眺めていて、私が感じたのは「分け与えたり、助けたりすることに理由があるのはいいことだなあ」ということ

    終わりのない「ババ抜き社会」|ニー仏
    h_nak
    h_nak 2020/01/23
    「功徳というのはロウソクの炎のようなものだ」"功徳というのは分け与えれば分け与えるほど、むしろ増えるもの" 利他の行為をシェアしてしまうのは損、とは考えない
  • 組織の存続にとって仏教は大いに役立つ:日経ビジネスオンライン

    しかし、持続可能な組織を作りたいと考える場合には、仏教が大いに役に立ちます、それはサンガの理念です。サンガは2500年続いている組織です。世界で一番寿命の長い組織です。しかも、その組織運営のための「律」と呼ばれる規則は、2500年前に成立した時からずっと、使われてきているわけです。社会が変わっても、組織の基的骨格が揺るがないという意味で、仏教は大変、柔軟で強靱な力を持っています。ですから、仏教サンガがなぜ生き残ってきたのか、なぜ今も変わらず存在し続けているのか、その理由を分析していくことが、組織を継続させる上で、非常に役に立つのです。 特に経営者は、仏教を学ぶことが大事だということですか。 佐々木:いえ、経営者だけでなく、社会の人たちが等しく知識を共有することが理想です。仏教サンガの理念は、会社組織に限らず、社会の様々な組織に有効なのです。 仏教の組織運営法が役立つ代表的な例が、科学者の

    組織の存続にとって仏教は大いに役立つ:日経ビジネスオンライン
    h_nak
    h_nak 2015/06/15
    "科学者というのは一種の出家者""仏教は一人残らず、全員が安楽になることしか考えてはならない""仏教ができることは、絶望した人を救うことだけであって、経済や政治に口を出す資格なんか、どこにもない"
  • タイのお坊さんが「サングラスにグッチのバッグ」でも尊敬される理由:日経ビジネスオンライン

    鵜飼 秀徳 ジャーナリスト、浄土宗僧侶 1974年、京都市生まれ。新聞記者、日経ビジネス記者、日経おとなのOFF副編集長などを歴任後、2018年に独立。「宗教と社会」をテーマに取材を続ける。正覚寺副住職、浄土宗総合研究所嘱託研究員、東京農業大学非常勤講師。 この著者の記事を見る

    タイのお坊さんが「サングラスにグッチのバッグ」でも尊敬される理由:日経ビジネスオンライン
    h_nak
    h_nak 2015/06/15
    "サンガとは自分の力で修行するための場ですが、浄土真宗は「自力」を完全否定しています""仏教本来の修行とは、坐禅(瞑想)とお経の勉強の2つだけ"
  • 日本の仏教は、釈迦の教えではない!?:日経ビジネスオンライン

    米アップル社の創設者、故スティーブ・ジョブズ氏が日の「禅(ZEN)」に影響を受け、禅の精神がアップル製品の源泉となった話は有名だ。 欧米や日における禅ブームが一段落した今、新たな仏教のジャンルに世界の人々の注目が集まりつつある。それは「原始仏教」だ。 原始仏教は今から2500年前、古代インドにおける釈迦の「出家」に始まる。この原始仏教の成り立ち、考えを学ぶことが、ビジネスをする上でも効果的だと唱える研究者がいる。 「世界で最も長く続いた組織が仏教であり、そこから学び取れることはとても多い」――。 原始仏教研究の第一人者である花園大学・佐々木閑教授がそのひとり。佐々木教授は、NHKのEテレで放送している人気番組「100分de名著」で「ブッダ最期のことば」などの解説者としても知られる。同番組のテキストは“ベストセラー”になっており、原始仏教についての関心の高さがうかがえる。 原始仏教と日

    日本の仏教は、釈迦の教えではない!?:日経ビジネスオンライン
    h_nak
    h_nak 2015/06/15
    "仏教の世俗化の、その根本的な原因が何かというと、日本の仏教に「律」がないということ""仏教という宗教には厳然たる定義があって、それは仏と法と僧"
  • 「こころ教」と「原理主義」の時代が来る?:日経ビジネスオンライン

    鵜飼 秀徳 ジャーナリスト、浄土宗僧侶 1974年、京都市生まれ。新聞記者、日経ビジネス記者、日経おとなのOFF副編集長などを歴任後、2018年に独立。「宗教と社会」をテーマに取材を続ける。正覚寺副住職、浄土宗総合研究所嘱託研究員、東京農業大学非常勤講師。 この著者の記事を見る

    「こころ教」と「原理主義」の時代が来る?:日経ビジネスオンライン
    h_nak
    h_nak 2015/06/15
    "科学とうまくすり合わせできないことを、「心の問題」に置き換えて解釈しようとするのは仏教だけに限りません""各宗派が持っている個別性はもうなくなっている"
  • 無記 - Wikipedia

    群盲象を評す。自説経にて取り上げられる 無記(むき、巴: avyākata, アヴィヤーカタ、梵: avyākṛta, アヴィヤークリタ)とは、仏教において、釈迦がある問いに対して、回答・言及を避けたことを言う。仏説経典に回答内容を記せないので、漢語で「無記」と表現される。主として形而上学的な[1]、「世界の存続期間や有限性」「生命と身体の関係」「修行完成者(如来)の死後のあり方」といった仏道修行に直接関わらない・役に立たない関心についての問いに対して、このような態度が採られた。 その数から、「十無記」(じゅうむき)、「十四無記」(じゅうしむき)、「十六無記」(じゅうろくむき)等とも呼ばれる。無記答(むきとう)、捨置記(しゃちき)ともいう[2]。学説においては、釈迦は中道を意図したとの主張がある[1]。 また、仏教では、倫理的価値を (1) 善、(2) 悪、(3) 無記の3つに分けるが、こ

    無記 - Wikipedia
    h_nak
    h_nak 2015/03/17
    "仏教において、釈迦がある問いに対して、回答・言及を避けたことを言う" 「毒矢のたとえ」
  • 中道 - Wikipedia

    仏教用語としての中道(ちゅうどう、梵: Madhyamā-pratipad[注釈 1], マディヤマー・プラティパッド[2]、巴: Majjhimā-paṭipadā, マッジマー・パティパダー[3])は、2つのものの対立を離れていること[4]。断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと[4]。中行[5]、中路あるいは単に中ともいう[6]。 中道の語は仏教において広く重んじられているため、その意味には浅深があるが、各宗がその教理の核心を中道の語で表す点は一致する[6][4]。 中道(Madhyamā-pratipad)のMadhyamāは「中指、子宮、適齢女性[信頼性要検証]」を意味する[7][8]。Madhyamāの語尾の発音を違える Madhyama は、形容詞として「中間の、中心の、中位の、凡庸な、適度の、中間の大きさの、中立の」と訳され、名詞として「二人称

    h_nak
    h_nak 2013/08/01
    "相互に対立し矛盾する2つの極端な概念に偏らない実践(仏道修行)や認識のあり方" 丸太の例えが分かりやすい
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