ミャンマーなどの上座部仏教圏で暮らしていると、僧侶方や一般の仏教徒たちから必ず聞くことになる話に、「功徳というのはロウソクの炎のようなものだ」というのがある。 たとえば、なけなしのお金をはたいて、お寺に食事の布施をしたとする。そういう時に、彼/女たちはたいてい、家族や親族や友人も呼んで相伴に預からせ、その功徳をシェアしようとするのが通例だ。お金を払っていない人たちにまでシェアをさせたら「自分の分の功徳が減る」のではないかと考えてしまいそうだが、当地ではそのような理解はされていない。一つのロウソクの炎を別のロウソクに移しても、元のロウソクの炎が減ったりはしないように、功徳というのは分け与えれば分け与えるほど、むしろ増えるものだと彼/女たちは考えている。 そうした上座部圏の仏教徒たちの振る舞いを眺めていて、私が感じたのは「分け与えたり、助けたりすることに理由があるのはいいことだなあ」ということ