参考文献:水上勉(1988)『禅とは何か ーそれは達磨から始まったー』、新潮社 達磨単語1つで、皇帝の質問に答える男中国禅の始祖である「達磨」。 達磨おそらく、誰でも名前ぐらいは聞いたことのある有名な人物だ。 そんな達磨には、2つのぶっ飛んだエピソードがある。 まず、梁国の武帝との会話を紹介しよう。 武帝「朕は、即位以来、寺を建て、人を救い、写経もし、仏像もつくったが、いかなる功徳があるだろうか」 達磨「無功徳」 達磨「それらのことは、みな形にあらわれた有為の善行ではあるが、真の功徳とはいえません」 武帝「真の功徳とはどういうものか」 達磨「廓然無聖」 廓然とは、からりとして何もないことをいう。無聖とは、聖(ひじり)なんていうものはない、ということである。からりとして、聖も銭もないところに、真の功徳がある、という解釈がなされている。 武帝「朕に対する者は誰だ」 達磨「不識」 不識は、そのま