ただブルーシートの上でどんちゃん騒ぎをする多くの花見客で騒然とした雰囲気に閉口。早々に立ち去りました。 さてバスやタクシーで京都駅に向かうのはデンジャラスでしょう。地下鉄で移動しましょう。八坂神社を抜けて祇園へ、地下鉄東西線の東山駅へ向かっていると『坂本龍馬 お龍 「結婚式場」跡』という石碑がありました。 当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。 元治元年(1864)8月初旬、当地本堂で、坂本龍馬と妻お龍(鞆)は「内祝言」、すなわち内々の結婚式をしました。 龍馬とお龍(鞆)の出会いや「内祝言」の具体については、1899年(明治32)ごろに聴きとられた、彼女の回想に詳しい。は1906年まで生きていました。 一般には、慶応2年(1866)1月の伏見寺田屋遭難のあと、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎など)の媒酌で二人は夫婦の契りを結んでようにいわれます。が、この話は根拠が薄く、他の史料との検討