中村さんは20代で報道写真家となり、枯れ葉剤の被害現場に入ったのは1974年6月。軍事上南北を分断する北... 中村さんは20代で報道写真家となり、枯れ葉剤の被害現場に入ったのは1974年6月。軍事上南北を分断する北緯17度線の北にある村が全滅し、植物は枯れて動物の死骸が広がる「死の世界」に衝撃を受けた。 枯れ葉剤に含まれる化学物質のダイオキシンは胎児の奇形リスクや発がん性を持つ猛毒で人間の細胞核も損傷させる。中村さんは外形的障害などで生まれた子どもたちを取材し、1983年に出版した文庫「母は枯葉剤を浴びた」は27万部以上を売り上げた。1988年にはベトちゃん・ドクちゃん分離手術の様子も撮影している。
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