ネットで敗戦間もない時期の写真を見ていると、けっこう【人力の乗り物】がうつっています。今日はそん... ネットで敗戦間もない時期の写真を見ていると、けっこう【人力の乗り物】がうつっています。今日はそんな時代の「人力車」や「輪タク」を紹介しましょう。 ▽[Japan, 1956]鎌倉 ▽鮮明なカラー写真が多数存在する理由はこちらをごらんください。 narasige.hatenablog.com 泣きながら人力車に乗った桑沢洋子 まず「人力車」や「輪タク」の写真を紹介する前に、桑沢洋子(桑沢デザイン研究所・東京造形大学の創設者)が泣きながら「輪タク」に乗ったエピソードを引用させてください。敗戦後の日本で「人力車」や「輪タク」がどのような存在だったのかうかがえると思います。 桑沢洋子(笹本恒子写真集『昭和・あの時・あの人』より) 「輪タク」というのは戦後、自転車のリヤカーを人力車に仕立てたもので、敗戦の街の人たちの足としてたくさん出回っていた。 おそらく戦争で帰ってきた男や戦災で家を焼かれた人たち
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