デーモン閣下のサンデースポーツでの問題提議が話題になっている。 場所中にも指摘したように、白鵬の土俵態度は 100人が見れば100人が素晴らしいと感じるものでない実情が有る。 張り差しやカチ上げなどの有無を言わせぬ打撃技、 立ち合いの駆け引き、 勝負が決した後でのダメ押し、 そして、汗を拭かない。 フラットに見て、これを全て不問にすることは出来ない。 とはいえ、ルールのグレイゾーンの中で 時にその境界線を攻めることは、相撲をより エキサイティングにすることも否めない。 格下が格上に立ち向かったり、 体格面で明らかに劣っているものが奇襲として これらを選択することは、逆に観客の心を掴むことも有る。 だからこそ、これらはルールの中で明文化されていない。 そこに不文律として存在するのは、ルールが無ければ 無法地帯になることは明白であり、 だからこそ抑止力が働かねばならない。 そういう意味で、親方
集団的自衛権容認については、これでただちに戦争への道が開かれるとは思わないけど、閣議決定により憲法の解釈をいくらでも変えられる、という前例ができたことのほうがはるかに怖い。 (※指摘が多かったので追記。「現政権に」前例ができたのがヤバいってことね) 最も国民の関心が高いであろう9条ですら、公明党にちょっと揺さぶりをかけるだけでいとも簡単に解釈変更できたんだから、25条に規定された「健康で文化的な最低限の生活」だってどこまで切り下げられるかわかったモンじゃないし、14条で禁止されている貴族制度だって、名目を変えればいくらでも復活させることができる。20条で規定された政教分離だって、国家神道は宗教にはあたらないと解釈するかもしれない。21条の、表現の自由なんてお飾りにすらならないかもしれない。 ここで挙げた例は、単なる被害妄想と切って捨てることもできるけど、重要なのは、仮にこれらの解釈が変更さ
たぶんこんな疑問を持っている人は少ないと思うが、私は、栃木女児殺害事件とPC遠隔操作事件の報道がどのように推移していくか、この間、見つめていた。そして、どうやら、この二事件の報道は途絶えたかに見える。理由は難しくない。他の話題が生まれているし、この件では新しいネタが投下されないからだろう。私は違和感をもっている。 私の読み落としかもしれないが、女児殺害事件について最新の主要な週刊誌で見かけることがなかったのも違和感を強くした。週刊誌の読者層がすでにこの話題に関心をもっていないという理由も当然あるだろうが、その統制されたような沈黙に奇妙な印象を受けている。少なくとも、この事件には、どうやら確たる証拠もなく、冤罪事件と同じ構図があるのにそのことへの言及すらない。 ネットから見渡せる範囲が主になるが、その他の報道でも見かけなくなった。だが、その言わば消灯とも言える前、この事態の前に、逮捕後一週間
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