触手として生まれながらも、自らのアイデンティティを否定し、人間らしく生きようとする主人公。 しかし、その圧倒的な淫獣ポテンシャルを狙う幼なじみや、触手としての覚醒を促す母親に囲まれ、彼の日常は加速していく! やどり「三千雄くん、わたしを女騎士みたいにネトネトにして!」 三千雄「だめだよやどり! 僕たちは人と魔法生物(触手)じゃないか!」 やどり「ふふ、そうは言っても、三千雄くんの触手はもうこんなに溢れてきてるわよ」 三千雄「うわああ、ね、粘液出ちゃうぅ!!」 以上! この物語は絶対に面白い!
本年8月18日に国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW委員会)は日本の報告書に対する最終見解(最終コメント)を公表した。急進的フェミニスト団体イクオリティ・ナウが日本非難の意見書を送付したあの委員会である。 最終コメントの内容はかなり雑多だが、本ブログでは表現規制に関係があると思われる部分に的を絞って訳出した。他の内容はすべて省略しているので興味のある方は参考欄の原文をあたってほしい。 ※更新情報:追記その2で国連のプレス記事を追加 日本の第6回報告書に対するCEDAW委員会最終見解(最終コメント) (ADVANCE UNEDITED VERSION) 2009年8月7日 女子差別撤廃委員会(CEDAW委員会) 第44回会期 2009年7月20日-8月7日 日本 1. CEDAW委員会は日本の第6回報告(CEDAW/C/JPN/6)を2009年7月23日に開催された第890回、891回会合に
何を書いてもまともに意味さえ取れない人を相手にしてきたことに漸く気が付き、うんざりして降りたのだが*、議論自体があまりにも醜悪になってきたため、また更に醜悪な差別主義者が馬鹿を抜かし始めたため、一言口を挟ませていただこう。ただし、後に述べるように、差別に関する公共の議論は根本的に無意味であり、社会による調停は必然的に失敗する、という現在の立場から、この件に関して議論する気は全くない。 *前項について私が最後にはてなブックマークを見た時には、少なくとも三人は、どうにか読めたらしい人がいた。sk-44氏はそのいずれでもなく、よりにもよって一番お馬鹿な「スタージョンの法則」でお読みになったらしい——原理的に不可能、可能性ゼロ、が、どうして「スタージョンの法則」なんだ? 誰にでも解るように多少噛み砕いて言ってあげよう——エロを目指す表現とは、性そのものではなく性に向けられてきた既存の言説の中で行わ
1 : デルフィニム(兵庫県) :2009/06/23(火) 21:52:08.17 ID:FluHPOkn ?PLT(12500) “社交ゲームは協調性、暴力ゲームは攻撃性を伸ばす”との説に待ったの声 http://www.gpara.com/kaigainews/eanda/2009062301/ この実験の結果、平和的なゲームをプレイした人はパートナーに向けて易しいパズルを、 暴力ゲームをプレイした人は難しいパズルを出題する傾向が強かったという。こうした結果を 踏まえ、Bushman氏は、「ゲームはその内容を見ながら善し悪しを決めるべきだ」と 訴えているわけだ。 ところが、「そんな単純な話じゃない」と反対の声をあげているのが、テキサスA&M大学の Chris Ferguson教授。ニュースサイト“GamePolitics”によれば、教授は上の説について 「“ゲームと人の協調性・攻
下にあるように、今月も2週間に1回は格闘技の大会があり、CSなり地上波で見られる世の中ですよ。 本当にいい時代になったものです。 特に海外の大会まで見られる。今月は半ばに、記念すべきUFC大会の第100回大会。 そして来月早々に、いまだ公式アナウンスは無いながら「アフリクション ジョシュvsヒョードル」がスカパーで見られる、かもしれない。 日程的に、4日だか5日だかのアフリクション観戦ツアーはいけないでやんす(行く人はがんばれ)。 その代わり、ツアー料金のぶんで大型テレビを買おうかなと思っている。エコポイントもつくしさ。 んで、この前、大型店を本当に買うつもりの客の目で見たら・・・メーカーの優劣はいちいち比較できんが「34型」と「37型」の間になんつうか大きな差があるように、イメージでは感じられた。 でかいほうがいいのは当然だが、ただでかすぎても意味が無いってこともある。特に室内の広さが何
osakana.factory(おさかなファクトリー)は、未識 魚(みしき さかな)による個人プロジェクトです。萌え系 CGや、PhotoShop・画像処理などの技術情報、お絵描き講座、フリーソフトウェアなどの公開、情報社会学系のデムパ発信等を行っています。 作者: 未識(みしき) 魚(さかな) mishikiMishiki Sakana小中高の学校の勉強や仕事の進め方というのを真剣に考え直す時代ってことよ。汎用AIでこの得点が出るんだから、試験問題特化で作れば終わりですがな。偏差値65~70くらいはないとこのレベル越えないけど、それって単に大学教員と同じ思考回路… https://twitter.com/i/web/status/1668679852747264001(2023/06/14 03:00:54) UFOってのが英語圏のミームであることがよく分かる。恐らくはアメリカや欧州での
では、sk-44氏への直接の応答をはじめます。 1 不運にもあやまちをおかした者は ひざまずいて自己批判し たりぬときは刑にふくした 罪の負担を軽くしようと 喜んで処刑される者もたくさんあった 行きづまった一人の作家が 自己の愚かさに思いあまって 「自殺します」と手紙を書いたら 「すこし休暇をとれば きみの病気もなおるだろう」と やさしく答えたスターリン 最高に人間的だった同志スターリン ……………… あの頃はよかった なんでも知ってるスターリンがいて なんでも単純だったから 風の方向に とまどいすることもなかったから ……………… 鮎川信夫「世界は誰のものか」 より抜粋 この鮎川の「世界は誰のものか」という詩には、Tvardovskyという人物の以下の言葉が添えられています。 「われわれの書きものの大多数に見られる根本的欠陥は、真実を書いていないことである。何を書けば許され何を書けば許さ
いやはや。鬱です——怖がっている女性どころか、現実に性犯罪の被害に遭った人が他の被害者たちを励まそうとその事実を公表して開いているサイトに押し掛けて、お定まりの「やってから言え」「二次元無罪」を言い立てる。悪質な書き込みに困って、せめてHNを、と求めると、人に名乗ることを要求するならお前が実名を名乗れ、と開き直る。揚句は性犯罪の被害者なのはわかったから、さっさとその事実を受け入れて忘れろ、レイパーを許し、エロゲを許せ、と平然と書き込む。そういう奴が現実にいるを見ると、鬱にならずにいるのは至難の業です。擁護派の全てがそうだとは思いませんが、この国では強姦は罪ではないらしい——少なくとも罪に問うのは不当だと言う通念が相当に広く存在しているのは間違いなく、罪としても精々窃盗程度というのが常識として受け入れられているらしい。被害者側の、死にはしなかったが殺されたも同然と言う感覚とは到底折り合わない
はてなブックマーク - だからずーーーーっと言ってたでしょ、俺は。 - NaokiTakahashiの日記 id:seijigakuto フェミニズム, 表現の自由 家父長制を推奨する表現物=差別問題として訴えるのは、電波すぎて真面目に相手する人は極少数に限られると思います / とはいえ、相手の攻撃対象を正確に把握する事は大事だと思います 2009/06/20 他にもこんな意見があるけれども。 id:orihime-akami 家父長制を叩くってのはさすがにやりすぎだなぁ。現代に流行る考え方ではないけど、十分多様性の範囲に入るでしょ。 2009/06/20 …… 家父長制批判こそフェミニズムの根本テーマじゃなかったっけ? いや、そりゃ最近はフェミニズムっていう思想も多様化しているけど、でもその根本には、「父親こそ一家の長であって、女性はそれに付き従うもの」という家父長制への批判がある。少な
いろんなところからやってくるお客さんから、規制推進派とか色々言われだしてるので、規制について書こうと思う。 何度も言っているけど、私は規制推進派ではない。だが、一部は規制する必要があると思っている。 特に今回のような性暴力ゲーム。 性暴力について全く理解していないというのも不快だけれど、女性をモノ扱いして、男性が支配するというのは、性暴力そのものでしかない。 しかも妊娠、中絶とは、あまりに感覚がおかしすぎる。女性を何だと思ってるのだろう。 フィクションだからいいとかアニメだとかいうけれど、例の性暴力ゲームは、男性をターゲットにしていて、男性が主体として、ある程度決まった筋書きとはいえ、「攻略」してすすめていくというのが、かなり気持ち悪い話だと思う。漫画や小説とかならば、作家が書いたのを読むだけだけれど、それとは質が違うと思うからだ。 さらに言えば、私の友だちに、いわゆるアニメ顔、アニメ声の
評論, その他 | 17:45 | 『日本の難点』の中で語られるゾーニング問題今、宮台真司の『日本の難点』を読んでいます。その中にゾーニングに関しての話が出てくるのですが、ここ一連の「レイプレイ」をめぐる言説と関係が大いにありそうなので書いておきます。『日本の難点』の「第三章「幸福」とは、どういうことなのか」における記述がそうです。*1この中で宮台は「僕はいわゆる猥褻表現をめぐって「表現規制からゾーニングへ」と主張してきました」と自らがゾーニング派であることを明らかにしたうえで「総じて厳格なゾーニングがもたらす「隔離」は、異質なものへの不寛容さを醸成し、不安ゆえに神経質な「隔離」をもたらします。これままずい展開です。」と過剰なゾーニングを問題視しています。この典型例として文中で挙げられているのが「(性)風俗」です。日本の風俗は店舗風俗の規制によって「店舗風俗から派遣風俗へ」の流れが定着しつ
朝日新聞紙上での連載記事をまとめた『ルポ児童虐待』(朝日新書/朝日新聞大阪本社編集局)では性的虐待について一切取り上げていない。それはおそらく、朝日新聞の紙上というコードが性的な表現を許容しないからだ。 もちろん、性的虐待について扱った本は多くあり、そこに18禁コードが必要なわけではないが、より広く伝わる媒体から性的な話題をパージする意識と、性的な表現を規制しようとする動きは非常に近しいものだ。 朝日新聞紙上で性的虐待に関する記事は書けないのか、というとそんなことはない。そんなことはないが、『ルポ児童虐待』は、実例を生々しく描いこうとする筆致に価値があり(反面、実例を総括する視点が足りないのだけど)、その「生々しく描く」のところでコードに抵触したのだろう、と想像する。ここで問題とされたのは、「表現が生々しいかどうか」であって「性暴力を肯定するかどうか」ではない。そして多くの法的規制、団体に
間が空いてしまいました。申し訳ありません。『地を這う難破船』を拝読しながら考えたことを書いて見ます。 まず第一に。性の問題はセンシティヴではありますが、聖域と言う訳ではありません。取り扱い注意は礼節の原則によるものであって、絶対ではないでしょう。他人のセックスを笑うな、が礼儀であるのは、相手もまた礼儀正しく、故に私的な領域に留めている限りの話です——そうすれば、お互い差別意識は顔に出すことなく、礼節を守った関係が維持出来る(事実上、可能な唯一の平和的男女関係です)。特殊な性向の主の欲求を満たすコンテンツ制作・流通が産業として成立している場合には、当然、遠慮のない批判や考察に曝されます。しかもそれが社会全体に現に存在し問題とされている差別の構造に、無反省に、ただ乗りしているのでは、文字通り真っ裸にされることもあるでしょう——製作者も、消費者も。 sk-44氏が違うということは百も承知ですが、
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