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最新作「R100」について、いわゆる松本信者、松本人志の初期の天才性を高く評価している人ほど酷評をしているようだ。 わたしも松本の天才性を認めるにはやぶさかではないし、今でもその根本的な特異な才能は初期のころとそれほど変わってはいないのだと思う。 なのに何故今は往年の信者にすら見放されているのか。 彼にとっての不幸は、キャリアの初期において本来ならば理解困難なそのユニークな感性が浜田という相方の存在により広く「革命的に面白い」と認識されてしまったことにあるのではないか。 彼の特異性は、その驚異的なまでの無知さにある。 ベストセラー「遺書」を読んだことがあるかたはわかると思うが、彼は全くと言っていいほど「引用」「参照」ということをしないし、そもそも何かを学ぶという意識が皆無なのである。 彼が面白いと思うこと、新たに生み出しているギャグというのは、全て彼自身が見ている範囲、彼自身のみから考えら
ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych
静岡県熱海市の老舗温泉旅館「大野屋」の経営が行き詰まり、民事再生法の適用を申請して営業を続けながら再建を目指すことになったようです。このニュースは、恋愛シミュレーションゲーム「ラブプラス+」の舞台になった「特需」をもってしても自力での再建ができなくなったというエピソードとともに伝えられることが多く、余計に温泉リゾート熱海の凋落を際立たせていました。 この「ラブプラス+」というゲームでは、若い男性の主人公キャラが若い女性と交際を深め、ある程度親密になると熱海に1泊旅行するというストーリーが設定されているのですが、このゲーム中に実名で登場した大野屋旅館では、ゲームのファンの宿泊が増えていたようです。何でも、予約時に「ラブプラス+」と告げれば男性1人でも布団を2組用意するサービスがファンにウケていたそうで、熱海市としてはこのゲームのファンを市として歓迎する政策を取っており、大野屋はその中核に位置
_ [本]好ましい被害者 夕凪の街桜の国(こうの 史代)[Review] 実は読んでから1ヶ月くらいたつのだが、感想を書こう書こうと思って、そのままになっていた。というのは、このマンガからわたしが感じたことと、絶賛がほとんど、というほかの人の感想のあまりの乖離に、どう語ったら、自分の感じたことが少しでも伝わるのか、とへんに考えてしまったのである。まあ、あまりほっておくとまた忘れてしまうので、とりあえず書いてみることにする。 細かいところまで神経の行き届いた、よくできた作品である。作品自体に、別にけちをつけたいわけではない。だが、正直どうもすっきりしないのは、この静かな物語が、どうしてこれほど感動を呼び、「泣ける」ということになるのか、そちらにばかり関心がいってしまうせいかもしれない。 主人公たちは怒りをあらわにしない。静かな諦念の中にいる。泣いたりわめいたりせず、ただ日常を淡々と生きる人た
ちまたで賛否両論、9割否定、と大変話題の雑誌「コミックギア」を購入いたしました。遅きに失した感がありますが、ここでダラダラと感想を述べさせていただきます。 このマンガ雑誌の特徴は、漫画家さんだけで雑誌を作っていく、ということ。互いに互いの作品に対してあーだこーだを繰り返して、各々が漫画製作に励むというわけです。では「編集者がいないのか」というと実はそうではなく、公式ブログによると「漫画家全員で意見を出し合って出来たネームを、まとめて編集者に見せる」という形をとっているようです。なんだか詐欺にあったような気がしますね。 まぁ、そんな作り方などどうでもよいのですよ、読者にとって。ようは、面白ければいいのです。とかく厳しいマンガの世界。あるものは巨万の富を得、またあるモノは借金まみれで放り出される。このマンガ砂漠で生き残れるのは、「面白いモノ」を描いたものだけなのです。あとのモノは砂漠にて自分の
先日、某監督と話をする機会があって「最近の○○で良い所とか、悪いところとかありますか?」と質問しました。 すると、私を睨み付けて一言 「(葉山)君は、傲慢な性格だと言われるでしょう」 えー、はい。だいたいそんな風に言われることがあります。 「評価する時にはね、良い点と、自分が気になる点 の二つしかないんですよ」 「どんなにヘタクソであってもゼロから見ればプラス。それが何で悪いって言えるの?」 。 。 / / ポーン! ( Д ) 「ぼくらはね、暴力が書けないから「正義」に置き換えてる、浅ましい仕事なんです」 「「正義」じゃなくて「倫理(モラル)」で対決すること。これが分からないような人間はプロになっちゃいけない」 痛烈に身に染みたお言葉でした。 他人を論する時に「悪い」と思ったら(決めつけたら)、それは討伐されるべき、と思い違いをしやすいという話です。 全体的には批評批判禁止ではなく、気
アニメレヴュー, 2009年夏期アニメ第1話からして思わず今後に期待を寄せてしまう作品が散見される2009年夏期新作アニメ。その新作アニメレヴュー第一回は、夏期における夏らしい話題作の一つである『うみものがたり 〜あなたがいてくれたコト〜』についてです。 今さらその華々しい経歴を紹介する必要はないでしょうが、『美少女戦士セーラームーン』、『おジャ魔女どれみ』等、東映動画(東映アニメーション)では女児向けアニメ作品を監督、その後フリーで『ケロロ軍曹』や『カレイドスター』を経て、近年はハルフィルムに移り『ARIA』シリーズ等を手掛けていた「佐藤順一」監督の新作アニメ『うみものがたり 〜あなたがいてくれたコト〜』。 「太平洋、大西洋、インド洋」という三つの「海」を意味する「三洋」という名を掲げる大手パチンコ・パチスロメーカー――その三洋の大ヒットパチンコ機『海物語』を下敷きに、潤沢なパチンコ資本
いやまー何がいいたいかというと、なんとなくわかってきた、、、そうか、「ある基準」を超えると、そもそもカテゴリーという枠を超えるオリジナリティを感じるものなので、一つのジャンルで言い難くなるんだな。栗本薫の『猫目石』とか、推理小説だ?といわれると、たしかに名探偵・伊集院大介シリーズなんですが、でもあれって違うよなー。とかそういう感じ。ああ、わかってきた、そうか、そうだライトノベルを低く見ているからとかそういうことではなく、ある作品は、その作者がちゃんと世界観を作り込んで基準値を超えると、カテゴリーで話がしにくくなるんだ。つまりは、そういうレベルだってことだ。 「『偽物語(下)/最終話 つきひフェニックス』 西尾維新著 - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために」 うんうん、わかるわかる。いや、たぶんわかる。 ようするに「ジャンルで作品をカテゴライズすることの限界」という話ですよね?
藤子不二雄の名作『エスパー魔美』に、芸術と批評の関係を扱った「くたばれ評論家」という有名なエピソードがある。 主人公、魔美の父親は画家なのだが、あるとき、某評論家から手ひどい批判を受け、怒る。その姿を目にした魔美は超能力を使ってその評論家にいたずらするのだが、父は喜ぶかと思いきや、諄々と魔美を諭すのだった。 「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ」 魔美が、でも、さっきは怒っていた癖に、というと、父はこう答える。 「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!! あいつはけなした! ぼくはおこった! それでこの一件はおしまい!!」 芸術家の矜持を見事に描き出した名エピソードである。であるのだが、もしかしたら既に通用しなくなっている考え方かもしれない、とも
舞-HiME、舞-乙HiMEを手がけた小原 正和が監督となり、サンライズが再び送る美少女てんこ盛りアニメということで、それなりに期待されていた「宇宙をかける少女」ですが、放送開始から4ヶ月以上が過ぎ、20話を迎えた今でも未だに迷走感漂っていて、このまま残念な出来で終わりそうなので、その原因について似たような境遇にありながらカルトな人気を得るに至った「キスダム」と比較して考えてみようかなと。 結論は二つ。「ダメならダメで思い切ってやり直す」「主人公は物語を引っ張る強度がないと邪魔なだけ」 「そらかけ」の問題点 失敗の理由としては、序盤の第4話でシリーズ構成の花田十輝が降板したりして、制作現場の混乱が尾を引いているのは間違いないところで、たしかに彼が脚本を担当していた序盤は、素人目にも明らかにおかしく感じられるところが多々あったのも事実。 具体的には、経緯の説明や動機付けがろくにないままに主人
金曜日夜、ゼロアカ第5次関門の公開審査会がぶじ終わりました。会場で100人、ニコニコ動画を通じて400人が見守るなか、いつもながら熱気と緊張感に溢れ、イベントとしては大成功を収めたと思います。 門下生のみなさん、ご苦労さまでした。また、特別審査員の筒井康隆さん、村上隆さんにも、深く御礼を言わねばなりません。ありがとうございます。口頭試問を横で聞いていて、このお二人に頼んで本当によかったと思いました。門下生にとっても、貴重な経験になったはずです。 口頭試問の模様、発表の様子はすでにニコ動に投稿されているので、そちらを参照ください。第6次関門への通過者は、村上裕一(東浩紀枠)、廣田周作(審査員枠および会場枠)、坂上秋成(東浩紀点2位が繰り上げ)の3人です。この3人は、会場票の上位3人でもあります。 ニコ動に投稿されているのは口頭試問の様子だけで、当日のプレゼンテーションは中継されていません。し
フェイト/ステイナイト[レアルタ・ヌア] (通常版) 出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2007/04/19メディア: Video Game クリック: 28回この商品を含むブログ (105件) を見る 衛宮士郎の破綻と再生――「Fate/stay night」におけるポストモダン的不安とその超克―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地 『Fate/stay night』かぁ。懐かしい名前をみかけて色々と思い出した。 『Fate』に出てくるキャラクター達には、「単なる萌えキャラ」として完成しているだけでなく、従来型の物語でも通用するような“奥行き”を感じさせる好人物がかなり含まれていたと思う。だから『Fate』に出てくるキャラクター達が、私は今でも大好きだ。 そんななかで、例外的に嫌いだったキャラクターがいる。 それは、主人公の衛宮士郎だ。 彼は、全てを救おうと願う。
「Fate/stay night」というゲームにおける主人公、衛宮士郎のあり方は、極めてポストモダン的状況に落ち込んだ人間の、複数のあり方を示していて興味深い。彼はその状況に対して立ち向かい、敗北し、そしてそれを超克するプロセスは、極めて典型的に「ゼロ年代的」であった、といえる。ゆえに「ゼロ年代の想像力」という概念が失効しようとしている今、あえて回顧的に振り返ってみたい。 衛宮士郎は世界喪失者である。これは、彼と世界との間にある「大きな物語」が失効することに拠っている。彼は10年前の聖杯戦争がもたらした大災害において、当たり前のはずの安寧があっという間に焼け落ち、多くの人々が全く無意味に死んでいくという「大量死」を見せ付けられ、自らが生きる意味すらも「確率性」に還元されてしまうという体験をした。多くの人々が全く無意味に死んだように、彼もまたあそこで死んでいたかもしれない。養父である衛宮切嗣
小中学生の読書感想文に、ネットのサイト「〜児童、そして生徒のための〜自由に使える読書感想文」からのコピペが増えており、中には市の読書感想文コンクールで上位に入ってしまったものまであって、先生たちが頭を抱えている‥‥というニュースを昨日やっていた。 このサイトは2004年からあるもので、学校提出に限り著作権フリー(パクリ、コピペOK)としており、パクリがバレた時の反省文の書き方にまでリンクが張られているという親切設計。去年の夏休みにはアクセスが65万件とかで話題になっていたので、ニュースで取り上げられるのも初めてではないだろう。 読書感想文を書くのが苦手な子は少なくないらしい。国語の時間に、書いたものを何度か添削してもらうという経緯があればまだしも、いきなり夏休みの宿題で出たら困る子は多いかもしれない。「自由に使える読書感想文」はそういう小中学生の悩みに応えるもの。これは使っちゃうわなぁと思
先の見えない不安とともに2009年の幕が開いてから,はや1カ月。筆者が主にかかわっている企業向けIT(エンタープライズ)の分野にも,暗い空気がそこかしこに漂っている。 その一方で,2000年代すなわち「ゼロ年代」が終わりを告げようしている。2010年代すなわち「イチゼロ年代」はすぐそこまで迫っている。 イチゼロ年代に入っても,エンタープライズ分野では「業績不振」「下方修正」「投資抑制」といったネガティブなキーワードが並ぶのだろうか。状況はさらに悪化しているかもしれない。でも,せっかく新たな10年を迎えるのに,それだと辛いし,ワクワクしない。業界としての未来はますます危うくなってしまう。 となると,この状況を変える何かが必要ということになる。どうすればいいのだろう? 「とにかく景気が戻らないと」「結局は米国次第」「今こそ顧客が真に望むソリューションの提供が大切」など,さまざまな意見があると思
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