かもだが。 私は、経済学の基礎というか自然性でよく出てくるモデル、つまり、交換、というのは実はまるで信じていない。というか、あれはある種の理論もモデルであってそれはそれでいいかもしれないくらいにしか考えていない。 あ、つまり、あれですよ。物Aと物Bを交換するのに貨幣がというあの延々たる話、あれ、たぶん、嘘でしょ。 たぶん、最初に貨幣がある。貨幣があって、それが国家を希求する。実際の国家は軍隊というか実質の権力からできそうに見えるが、たぶん、物理的な権力から国家はできないだろうし、貨幣と交易側から国家が要請されるのだろうと思う。 で、貨幣は、ようするに何からでもできてしまう。 で、貨幣とは、基本的に他者の屈辱を買うという倒錯的なエロス性からできているのだろうと思う。 マルクスというか古典の発想では、リンゴがリンゴの木に実っている。それには価値はない。リンゴを取りに行く労働に価値がある。という