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南アフリカのフォールス湾に浮かぶシール島周辺で2014年に撮影されたホホジロザメ。かつてはたくさん生息していたが、今はまったく見られなくなってしまった。(PHOTOGRAPH BY NATURE PICTURE LIBRARY, ALAMY STOCK PHOTO) 魚雷のような体、6センチほどもある歯。世界最大の捕食サメは、とてつもなく恐ろしい姿をしている。あまりに恐ろしいので、ホホジロザメ(Carcharodon carcharias)のいない海を望む人もいるだろう。だが、3月25日付けで学術誌「Frontiers in Marine Science」で発表された論文で、このサメが消えた海に起こったことが明かになった。 南アフリカのフォールス湾に浮かぶシール島の周辺は、かつてホホジロザメのホットスポットだった。サメが水面まで出てきて獲物をつかまえる様子を見られるという、地球上でも数少な
「縄文人というとみんな同じようなイメージを持つとは思うんですけれども、実際には、それぞれの環境に柔軟に適応した人たちだったと思うのです。北海道の縄文人なら海獣類などの脂肪リッチな食物をとる。もう少し南に行けばドングリなどの堅果類を中心として、海沿いであれば川魚、海の魚、山に入ればまた別の食べ物をとる。もっと南にいって、琉球列島では、さらに海の幸にアクセスする、というふうに。こういったことは、考古遺物からも明らかで、地域ごとの違い、あるいは、逆に、地域間の交流がある程度わかっています。それらがはたしてゲノムで見えてくるのか。かりに見えるとして、そういった構造がいつから生じ、どの程度維持されていたのか。均質な中でも、もう少し高い解像度をもって見ていければと思っています」 たしかに「縄文人」というふうに名前をつけてカテゴリーとして理解すると、同じような暮らしをしていたように感じられてしまう。まし
英国ロンドン、小枝やごみで作られた巣の中にいるオオバン。オオバンはヨーロッパ全土に生息する。大都市に住むオオバンは、手に入る数少ない材料であるプラスチックごみで巣作りをすることがある。(Photograph by Laurent Geslin, Nature Picture Library) 黒くて丸っこいからだに大きな足を持つ水鳥オオバン(Fulica atra)。水路の主(ぬし)のようには見えない姿だが、なわばり意識が強くて辛抱強く、オランダのアムステルダムでは「運河のギャング」と呼ばれている。このオオバンをはじめとする鳥たちが都市環境にどう適応しているのか、そうした適応はそもそもいいことなのかを調べている研究者らが、オオバンの巣に長年にわたって蓄積されていたプラスチックごみを細かく調べ、都市部での巣作りや繁殖の時期を明らかにした。論文は2025年2月25日付けで学術誌「Ecology
2022年のノーベル賞受賞に象徴されるように、いま古代のヒトのDNAの研究が盛んに行われており、新しい事実が次々と明らかになっている。そこで、古代の日本列島に住んでいた人たちについて知りたくて、2025年春に国立科学博物館で開かれている特別展「古代DNA―日本人のきた道―」の監修者である神澤秀明さんの研究室に行ってみた!(文=川端裕人、写真=内海裕之)
持続的幸福は、達成する方法がさまざまであるため、人生の充実度の指標として有用だ。人生において測定が可能な要素のすべてが完璧である必要はない。(PHOTOGRAPH BY KENDRICK BRINSON, NAT GEO IMAGE COLLECTION) 「グローバル幸福度調査(Global Flourishing Study)」という、22の国と地域の20万人以上が参加する5年間にわたる野心的な研究の最初の成果が2025年4月30日付けで学術誌「ネイチャー・メンタルヘルス」に発表された。国別で幸福度が最も高かったのはインドネシア、最下位は日本だった。また、若い人の幸福度が低い傾向が多くの国で見られた。 以下では、この結果が意味するものや、幸福度を高めるために何ができるのかをひもといていく。 今回の調査で測った「幸福度」とは? 米ハーバード大学のタイラー・J・バンダーウィール教授は、「真
縄文後期の3500年前につくられたサル形土製品。土器や土偶のほかにも縄文人はさまざまな土の製品をつくっていた。国立科学博物館の特別展「古代DNA―日本人のきた道―」の展示より。(撮影:編集部) 縄文時代と聞くと、独特のノスタルジーを感じる人が多いのではないだろうか。 素朴な狩猟採集民という印象が、まず頭に浮かぶ。 貝塚がある場所では、魚や貝を食べていただろうし、木の実やドングリも食べていただろう。内陸では、狩りをして肉を食べていたに違いない。独特の縄目模様の土器や、装飾性が高い火焔(かえん)土器などの印象も強い。様々な特色のある土偶が作られ、少しでも考古学に関心がある人なら、ひとつやふたつ「お気に入り」があるかもしれない。たぶん自然崇拝的な信仰を持っていて、現代社会から振り返ると「自然と共存している」とか「精神性が高い」と思う人もいるかもしれない(もちろんこれは勝手なイメージの貼り付けだ)
培養ヒト乳がん細胞の一部を蛍光色素で強調した画像。紫色は細胞核のタンパク質、黄色はタンパク質の加工工場として機能するゴルジ装置、緑色は多くの細胞に最も豊富に含まれるタンパク質であるアクチン。(MICROGRAPH BY DR. TORSTEN WITTMANN, SCIENCE PHOTO LIBRARY) がんに1、2、3、そして恐ろしい4というステージ(病期)があることはほとんどの人が知っているが、「ステージ0」という早期のがんもあることを知っている人は少ない。それは意外ではない。ステージ0のがんと診断される人は少ない上、がんの種類によってはステージ0ではほとんど検出できなかったり、別の名前で呼ばれたりすることも多いからだ。 米国の人気歌手ビヨンセの母ティナ・ノウルズさんも知らなかった。彼女は最近出版した回顧録の中で、乳がんと診断されたことを明かしている。米週刊誌「People」のイン
ビール風呂――バス&バーリーのザ・コンプリート・スパには、同時に8人まで入ることができる。(PHOTOGRAPH BY BATH & BARLEY) 入浴の歴史には、古代からさまざまなものがある。クレオパトラがロバの乳の風呂に入っていたのはよく知られているし、ローマ人はワインに、ウェンセスラス王はボヘミアの醸造所で作られたどろどろの麦汁に浸かっていたとされている。現代では、日本の温泉やトルコのハマムなどの世界中の入浴文化が、昔ながらのやり方と、今の健康のトレンドとを織り交ぜながら発展している。(参考記事:「日本人はやっぱり、温泉が好きね!」) 東ヨーロッパでは、風呂にホップや麦芽、酵母にオオムギを加える手法がある。中世までさかのぼることができ、今でも受け継がれている。このビール風呂は、ベルギーやフランス、スペイン、アイスランド、英国、米国にも広がり、各地で異なる体験ができる。 無濾過や熟成
アメリカムシクイの一種であるハゴロモムシクイ。その声は春の到来を告げるドーンコーラスでも聞くことができる。(PHOTOGRAPH BY MELISSA GROO, NAT GEO IMAGE COLLECTION) 春になると、この季節にしか聞くことのできない爽やかな歌声が響いてくる。夜が明ける少し前、一斉に鳴く鳥たちのにぎやかな声は、オーケストラが奏でる音楽のようだ。鳥たちのこの早朝の大合唱は夜明けのコーラスという意味で「ドーンコーラス」と呼ばれ、特別な現象とされている。 それにはいくつかの理由がある。春はいつもより多くの鳥が、いつもより頻繁にさえずり、しかもエネルギーをほとばしらせるかのように大きな声で鳴くからだ。ドーンコーラスにインスピレーションを受けた詩や音楽も数多くある。 「鳥のさえずりは春の訪れを告げます」と、米国鳥類保護協会の鳥類学者ジョーダン・E・ラター氏は言う。長く寒い冬
今回の研究では、ボノボの群れ内における「順位」を、メスがオスとの争いに勝利した回数を数えることで測定した。その結果、たいていメスが優勢だった。(Photograph by Christian Ziegler) チンパンジーなど多くの社会性哺乳類ではオスがメスよりも優位なのが一般的なのに、なぜ近い仲間であるボノボのメスは、しばしばオスよりも優位に立てるのだろうか? 米ハーバード大学の行動生態学者であるマーティン・サーベック氏らは、この疑問の答えを求めてきた。そして、コンゴ民主共和国に生息する6つのボノボの群れを30年近く観察した結果、ある結論に達し、2025年4月24日付けで学術誌「Communications Biology」に論文を発表した。 メスのボノボは、2頭以上(通常は3〜5頭)で結束して連合を組むことで、オスがもたらす危険を減らし、自らの影響力を高めているのだ。オスはメスよりも体
イングランド南部の「ベルテイン・ケルティック・ファイヤー・フェスティバル」で、パフォーマーの背後で燃え上がる火。エディンバラの「ベルテインの火祭り」をはじめとしたこうしたイベントの基になっているのは、かつてケルト文化圏で季節の変わり目を祝った、何世紀も前からの伝統だ。(PHOTOGRAPH BY ANDREW MATTHEWS, PA IMAGES, GETTY IMAGES) 毎年4月30日の夜、1万人近くが英国スコットランドのエディンバラにある丘カールトン・ヒルに集まり、再び巡ってくる夏を火とともに迎える。印象的な衣装をまとったパフォーマーが群衆の中を動き回り、町中に響くドラムの音やかけ声とともに、昔の祭りを再現する。「ベルテインの火祭り」だ。 地元の人も観光客もやってくるこのイベントは、火や豊作、移りゆく季節を讃える古くからの伝統を祝う祭りとしては、英国で現在行われているなかで最大規
南米エクアドル領のガラパゴス諸島の一つ、フェルナンディナ島近くに広がる冷たく澄んだ海。ガラパゴスペンギンが、アオウミガメやウミイグアナと一緒に泳ぐ。(PHOTOGRAPH BY TUI DE ROY, NATURE PICTURE LIBRARY) 地球上でも屈指の過酷な環境に生きるペンギンは進化の奇跡だ。科学は今、その秘密を次々に解き明かそうとしている。環境の激変にしなやかに適応するその驚異的な姿は、急速に変化する世界で生き延びる知恵を私たちに授けてくれる。 1.新しい環境に飛び込むには? ペンギンは6000万年余りも、天性の探究心にかられて生息地の開拓に挑んできた。今も思いがけない場所に姿を見せている。 生物学者のパブロ・ボルボログルが南米パタゴニア地方東岸の人里離れた土地を初めて訪れたのは2008年のこと。ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーでアルゼンチン出身のボルボログル
ヒッタイトの神々の行進。ヒッタイト帝国の都ハットゥシャ近郊にある、王家の霊廟と思われる建物の壁に刻まれている。現在のトルコ中部に位置したこの古代都市は、紀元前1180年頃に放棄された。今、その理由を探る研究が進んでいる。(PHOTOGRAPH BY EMIN ÖZMEN) *遺跡および遺物はトルコ文化観光省の許可を得て撮影 現在のトルコとその周辺に洗練された都市群を築いたヒッタイト帝国。あるとき歴史から姿を消し、数千年にわたって忘れ去られていた。しかし近年、新たな発見が相次ぎ、謎めいた古代帝国の伝説がよみがえろうとしている。 現在のトルコ中部に位置する険しい丘陵地帯に築かれた、ヒッタイト帝国の都ハットゥシャ。この都市を最盛期に見た人々は、深い畏敬の念を抱いたに違いない。日干しれんがの高い壁に囲まれ、7000人の人口を擁し、広大な神殿群や、数キロ先からも見える立派な石造りの城壁を備えていた。
野生化したラクダは、大きな群れで移動することも多く、脆弱な生態系にダメージを与える。この写真のラクダは、スキンケア用品の原料にするミルクを搾るために飼われている。(PHOTOGRAPH BY MATTHEW ABBOTT) オーストラリア内陸の乾燥地帯では、19世紀に持ち込まれたラクダが野生化し、増加してきた。だが干ばつが頻発する今、ラクダと人間との不幸な衝突が増えている。 オーストラリア内陸部で牧場を経営しているジャック・カーモディー。彼はこれまで、牛の給水設備の修理やフェンスの補強、“不法侵入者”の駆除など、牧場での仕事の様子をユーチューブに投稿し、多くのフォロワーを獲得してきた。牧場には、野生化した馬やロバのほか、とりわけ破壊力の大きい侵略的外来種、ラクダが侵入してくる。 19世紀の植民者によって、広大な内陸部を調査する際の足として連れてこられたラクダは、今では内陸の乾燥地帯に大混乱
新たに報告された「ボーン・コレクター」のイモムシは、体の周りに吐糸で携帯巣を作り、クモの巣から拾い集めた昆虫の死骸のパーツで飾り立てている。この個体は少々飾りすぎたかもしれない。甲虫の翅のような大きなパーツは残っているが、一部は落ちてしまっている。パーツが大きすぎると、携帯巣が蜘蛛の巣に引っかかってしまうこともある。(Photograph By Dr. Daniel Rubinoff) 昆虫の死骸を集める「ボーン・コレクター」のイモムシが発見された。昆虫の死骸から取ったパーツで「携帯巣」を飾るガの幼虫だ。肉食の彼らはクモの巣に掛かった餌を横取りし、不気味な巣のおかげでクモに気づかれずにクモのそばで暮らせると考えられている。この新種の肉食イモムシと不思議な行動についての論文は学術誌「サイエンス」に4月24日付けで発表された。 イモムシの大きさは体長1センチほど。よく見ると、アリの頭部、ハエの
1億年以上前、恐竜の足元をはい回っていたであろう「地獄アリ」。ブラジルで見つかった新たな化石は、知られている限り最古のアリの化石であることがわかった。(PHOTOGRAPH BY ANDERSON LEPCO) 現在わかっている最古のアリの化石が見つかり、4月24日付けで学術誌「Current Biology」に論文が掲載された。このアリには、前方に突き出た鎌のようなあごがついている。狩りに使われたもののようだ。 発見された標本は、約1億1300万年前の長さ約1.4センチの印象化石(生物の形が堆積岩に残ったもの)だ。ブラジル北東部の石灰岩の中から見つかり、「地獄アリ」という意味のHaidomyrmecinae亜科の新しい属に分類されている。地獄アリが生きていたのは、6600万年前に終わった時代である白亜紀だけだ。 現在のアリは、地球上でも特に数の多い動物だ。南極以外の全大陸で1万7000種
アオザメに乗るタコ。ニュージーランド沖で撮影。(VIDEO: UNIVERSITY OF AUCKLAND) 自然の中で長く過ごしていると、奇妙な光景を目にすることもある。サケを帽子のようにかぶるシャチや、ウォンバットの立方体のふんなどだ。しかし、ロシェル・コンスタンティン氏がニュージーランドのハウラキ湾で調査船に乗っていたとき、これは新たな発見だと確信する出来事があった。目の前を猛スピードで通過した体長約2.75メートルのアオザメの頭に、巨大なオレンジ色のタコがくっ付いていたのだ。 「まさに幸運な一日でした」と、ニュージーランド、オークランド大学の海洋生態学者であるコンスタンティン氏は振り返る。 サメとタコは同じ海の動物だと思うかもしれないが、氏によれば、両者の生息環境は全く異なる。例えば、アオザメはほとんどの時間を海の中層部で過ごすが、この海域にすむマオリタコは生まれてから死ぬまでほぼ
デイノスクスは巨大なワニで、白亜紀後期、湿地の頂点捕食者だった。復元図は、現在の米国ユタ州にある岩石層から発見されたDeinosuchus hatcheri。ハドロサウルスの一種Rhinorex condrupusにかみ付いている。(ILLUSTRATION BY JULIUS T CSOTONYI / SCIENCE PHOTO LIBRARY) 約7500万年前、北米で最も大きくて恐ろしい肉食動物は、恐竜ではなくワニだった。ラテン語で「恐ろしいワニ」を意味するデイノスクスは体長10メートル、体重5トンに達することもあった。骨の化石に残されたかみ跡から、恐竜を捕食していたことは明白だが、デイノスクスがなぜこれほど大きくなり、捕食者として広く君臨したかは謎だった。(参考記事:「恐竜を襲う巨大な古代ワニの生態」) 2025年4月23日付けで学術誌「Communications Biology
国立科学博物館の生命史研究部研究主幹、神澤秀明さんは、日本における古代人類のゲノム研究の第一人者だ。古い骨のDNAを読む研究は、まず細胞内に数が多く読みやすいミトコンドリアDNAで1990年代から試みられるようになり、さらに2010年前後には、いわゆる「次世代シークエンサー」による技術革新で、核DNAも対象となった。神澤さんは、いわば「核DNA世代」として、キャリアの初期からこの分野に携わっている。 大学院時代の研究が、そのまま、核DNAを読みゲノムを決定する研究室設備の立ち上げから始まったという点でも、草創期を知る人物だ。 「大学院でDNAのことをやり始めるまでは、新潟大学の理学部生物学科で、アルテミア(水田などでもよく見られるホウネンエビ)というエビの1種の研究をしていたんです。環境が悪いと、長期間乾燥に耐える休眠卵(シスト)を産むんですが、それを水に入れるとまたちゃんと発生が進みます
教皇フランシスコの横顔。(Photograph by Stefano dal Pozzolo, Contrasto) 2013年3月の就任以来、世界中のカトリック教徒を導いてきたローマ教皇フランシスコ(88歳)が、4月21日、バチカンで死去した。彼の教皇選出は「初」づくしだった。南米の出身者として初、ヨーロッパ以外の生まれとしても過去1200年で初、そしてイエズス会の出身者としても初めての教皇だった。 就任後もさまざまな分野で新たな道を切り開き、バチカンに大きな変化をもたらした。教会指導部のエリート層と一般信徒との間に広がりつつあった深い溝に橋を架けることに注力し、長年受け継がれてきたカトリックの伝統や習慣に新風を吹き込んだ。 ブエノスアイレスでの小学校時代。3列目の左から4人目が、のちに教皇フランシスコとなるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。(Photograph by Franco Orig
船泊23号の復顔像。目が茶色くて顔色が濃いめだったことは前回紹介したが、酒の強さや現代のどのアジア人と近縁なのかなども判明した。国立科学博物館の特別展「古代DNA―日本人のきた道―」の展示より。(撮影:編集部) 縄文人の人骨としては、異例なほど保存状態がよかった船泊23号からは、現代人なみの精度でゲノムが得られた。そして、いわゆる一塩基多型の違いに基づいた風貌まで再現された。 人の風貌というのは、非常に印象深いものだから、船泊23号の復顔は、国立科学博物館の特別展「古代DNA」においても、まさに「顔」役として起用されている。 しかし、古代ゲノム研究の射程は、それにとどまらない。船泊23号のゲノムからわかる特徴には、容貌といったものだけでなく、3800年前の礼文島での暮らしぶりに直結するものもあった。引き続き、神澤さんに話を聞く。 「船泊23号は、脂肪代謝に関わるCPT1A遺伝子に特別な変異
「古代DNA―日本人のきた道―」と題された特別展が、国立科学博物館にて開催されている。 古代DNAとは、古い骨などに残っているわずかなDNAのことで、長い年月の間にバラバラに断片化し、また変性していることが多い。それらをうまく増幅して読み、修復して、つなぎ合わせる技術が、ここ10年〜20年のうちに大きな進歩を遂げた。保存状態のよい古代人骨からDNAを抽出できれば、遺伝情報の全体、つまり「ゲノム」を解明できることもある。 この分野で、もっともよく知られている研究は、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所、スバンテ・ペーボさんらによるネアンデルタール人のゲノム解析だろう。数万年前の骨からネアンデルタール人のゲノムを決定することに成功しただけでなく、現生人類(ホモ・サピエンス)のうちアフリカ以外の人々のゲノムに、ネアンデルタール人から受け継いだ部分が1~4パーセント含まれることを示した。これ
ブラジル、リオデジャネイロにあるメンベカ・ラゴス農園のアカエリシトド(Zonotrichia capensis subtorquata)。(PHOTOGRAPH BY JOEL SARTORE, NAT GEO IMAGE COLLECTION) 南米に生息するアカエリシトド(Zonotrichia capensis)は、薄茶色または白っぽい体に黒い斑点がある小さな鳥だ。オスはきわめて特徴的な鳴き方をする。その歌は、親世代から子世代へと受け継がれてきた。しかし、生息地が失われたり、個体数が減ったり、教師役の成鳥がいなくなるなどして学びの糸が断ち切られてしまったらどうなるのだろうか。 2020年から2023年にかけて、アルゼンチン、ブエノスアイレス大学精密・自然科学部の研究者たちは、野生から失われたアカエリシトドの歌を、ロボットを使って再導入するという大胆な仕事に取り組み、成功させた。この研
新しい研究によると、渇望はしばしば記憶に根ざしているようだ。科学者たちは、脳が高カロリー食品のことを記憶していて、私たちが空腹でないときにさえ食べてしまうものに密かに影響を及ぼしている可能性があることを発見した。(PHOTOGRAPH BY HEATHER WILLENSKY, THE NEW YORK TIMES/REDUX) 高カロリーの食べ物への食欲を促すこれまで知られていなかった脳内の回路が、マウスを使った実験で見つかった。1月15日付で学術誌「Nature Metabolism」に発表された研究によると、海馬という記憶をつかさどる脳の部位にある特定のニューロン(神経細胞)集団は、糖分や脂肪分にまつわる感覚や感情を記録していることが分かったという。マウスでは、これらのニューロンが食べ物への渇望を誘発して、食べ過ぎにつながっていた。 渇望は、マウスが空腹でないときにも見られた。しかし
認知機能の低下にはさまざまな原因があることが、認知症の診断を困難にしている。写真のような陽電子放出断層撮影(PET検査)はアミロイドベータのプラークを可視化でき、認知症の診断や種類の判別に役立つ。(PHOTOGRAPH BY ISADORA KOSOFSKY, NAT GEO IMAGE COLLECTION) 米カリフォルニア大学バークレー校の著名な統計学者スティーブ・セルビン氏は、70代になった頃から彼らしくない言動をするようになった。過去の話はできるのに、現在の話は不思議なほどできなかったのだ。娘のリズ・セルビン氏は、「私たちは、退職後の不安やうつ病のせいだろうと思っていました」と語る。 セルビン氏の行動は徐々に変わっていったため他の精神疾患と間違えられやすかったが、これは認知症の症状だった。氏は認知機能の低下を巧妙にとりつくろっていたが、やがて隠せなくなったとリズ氏は言う。知らない
ヒトの神経系。直観を使って意思決定を行う際に重要な役割を果たす。(ILLUSTRATION BY MAGICMINE, ALAMY STOCK PHOTO) 危機的な状況での一瞬の判断であれ、新しい仕事を引き受けるといった大きな決断であれ、人生には、すべての情報がそろわない状態で意思決定を迫られる場面がよくある。このようなとき私たちは、直観に頼ることが多い。無意識の知識が正しい道を選ぶ助けになるかもと期待して。 直観とは、辞書的に言えば、明白な論理的思考や推論を経ることなく、知識を得たり、決断したりする能力だ。学問的には中身をはっきり説明することも研究も難しいとされ、長い間、神秘的なもののように扱われてきた。だが、科学者たちは、直観をより深く理解しようと取り組んでおり、新たな定義さえも生み出している。 「私なりの(直観の)定義は、身についた無意識の情報を、より良い意思決定や行動の助けとなる
禁酒法時代の1930年代、米メリーランド州でウイスキーを分け合う2人の若者。この時代、飲酒は命にかかわることだった。米国政府は、違法な飲酒を抑制するため、産業用アルコールに有毒物質を添加した。それによる死者数は数万人とも言われている。(Photograph By Kirn Vintage Stock/Corbis, Getty Images) 米ミシシッピ州ジャクソンのブルース歌手、イシュマン・ブレイシーが自分の酒をついだとき、米国じゅうの酒のみならず、自分の運も尽きていたことなど知るよしもなかった。数週間後、彼の脚がうずきはじめた。ポリオが流行っているという噂だったので、病院に駆け込んだが、原因はポリオウイルスではなく、毒だった。 なぜそんなことが起きたのか? 政府が酒を違法とするだけなく、致命的な毒に変えていたからだ。 「高貴な実験」と呼ばれる禁酒法の時代には、すべてのアルコールが禁止
1995年4月19日午前9時2分(現地時間)、米国オクラホマ州オクラホマシティのアルフレッド・P・マラー連邦ビルが爆破され、子ども19人を含む168人の命が奪われた。それまでの米国史上、最も多くの犠牲者を出したテロ事件だった。 この事件をきっかけに米国は、自分たちにとって最大の脅威の一つが国内テロリズムであるという、不安をかき立てる事実に向き合わなければならなくなった。犯人のティモシー・マクベイは、外国の工作員ではない。元米陸軍兵士のマクベイは、168人もの犠牲者のことを、連邦政府に対する自分の個人的な戦いの巻き添えに過ぎないと考えていた。 見過ごされていた国内テロリズム オクラホマシティの事件が起こる前の数十年間、連邦政府は主に左翼の過激派による暴力行為に気を取られ、右翼の反政府過激派などの国内の脅威はほとんど見過ごされていた。そこへ、1993年にニューヨークで世界貿易センター爆破事件が
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