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poemに関するsiroccoのブックマーク (27)

  • あめふり・北原白秋:子供の格差悲喜こもごも - くきはの余生

    北原白秋作詞、中山晋平作曲『アメフリ』。あめあめ ふれふれ かあさんが~の、誰でも知ってるあの歌です。 先日、最近の梅雨の雨は昔とちがって、シトシトではなく、ザアザア、ビュウビュウだな、なんて思いながら、庭を眺めながら口ずさんでいて、そう言えば、歌詞の1番しか知らないなと思ったので、調べてみました。 北原白秋(明治18年、1885年~昭和17年、1942年)は、詩人、童謡作家で、歌人でもあります。 たくさんの童謡や民謡を作詞していて、今でも歌い継がれています。 『アメフリ』の初出は児童雑誌「コドモノクニ」大正14年(1925年)11月号です。 あめふり 北原 白秋 雨雨 降れ降れ 母さんが 蛇の目でお迎ゐ うれしいな ピチピチ チャプチャプ ランランラン 掛けましょ鞄を 母さんの 後から行(ゆ)こ行(ゆ)こ 鐘がなる ピチピチ チャプチャプ ランランラン あらあらあの子は ずぶ濡れだ 柳の

    あめふり・北原白秋:子供の格差悲喜こもごも - くきはの余生
    sirocco
    sirocco 2020/07/10
    5番まであるのですか。今なら炎上しそうな感じもします。
  • 雨・八木重吉:死は自然である - くきはの余生

    八木重吉の「雨」です。この詩は現在、青空文庫には掲載されていません。 ↛作家別作品リスト:八木 重吉 私が所持している『定八木重吉詩集』(弥生書房)にも入っていません。私自身は確認していませんが、ぽるぶ出版『日の詩八木重吉』には掲載されているそうです。 では、なぜ私がこの詩を知っているかというと、学生時代コーラス部に所属していたのですが、当時、男の子たちがこの曲を練習していたのを聴いて、印象深かったからです。 多田武彦男声合唱組曲集第4集『雨』の第6曲目にこの詩をもとにした歌があります。 雨 八木 重吉 雨のおとがきこえる 雨がふっていたのだ あのおとのように そっと 世のためにはたらいていよう 雨があがるように しずかに死んでいこう 八木重吉の詩の中でも好きな詩のひとつです。 敬虔なキリスト教徒であり、結核を患い闘病の末に29歳という若さでこの世を去ってしまった詩人の心のありようを象

    雨・八木重吉:死は自然である - くきはの余生
    sirocco
    sirocco 2019/07/10
    「そっと」世のために働く。オレがオレがの承認欲がないのは、キリスト教の彼は神がそのことを知っているはずと、安心しているのでしょう。私は苦しみながらも必死に生きて来た。それを誰か知ってくれれば救われる。
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

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    sirocco
    sirocco 2019/05/18
    私、傘もってないから困ったよ、って軽い歌かと思ってました。「『俺の傘』ではないんです、その理由を考えて下さい」
  • “売れれば”いいのか?西野カナが公開した“作詞手法”に批判の嵐(1ページ目) - デイリーニュースオンライン

    “売れれば”いいのか?西野カナが公開した“作詞手法”に批判の嵐(1ページ目) - デイリーニュースオンライン
    sirocco
    sirocco 2018/12/02
    そのうちAIが作詞した曲がひっとするかもね。
  • ♫ 思えば遠くへ来たもんだ ♫ 海援隊 - YouTube

    sirocco
    sirocco 2018/11/25
    「今では女房(にょうぼう)子供持ち」とか「思えば遠く来たもんだ」とか、中原中也の詩を作りのないした歌。
  • 中原中也、「骨」について。 - 骨ホラホラ、これが僕の骨だ、生きてゐ... - Yahoo!知恵袋

    中原中也、「骨」について。 骨 ホラホラ、これが僕の骨だ、 生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらはしい肉を破つて、 しらじらと雨に洗はれ ヌックと出た、骨の尖(さき)。 それは光沢もない、 ただいたづらにしらじらと、 雨を吸収する、 風に吹かれる、 幾分空を反映する。 生きてゐた時に、 これが堂の雑踏の中に、 坐つてゐたこともある、 みつばのおしたしをつたこともある、 と思へばなんとも可笑しい。 ホラホラ、これが僕の骨―― 見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。 霊魂はあとに残つて、 また骨の処にやつて来て、 見てゐるのかしら? 故郷の小川のへりに、 半ばは枯れた草に立つて 見てゐるのは、――僕? 恰度(ちやうど)立札ほどの高さに、 骨はしらじらととんがつてゐる。 ナカナカチュウヤです。よろしくお願いします。 僕は骨に、自分というものの内部を凝視めつづけたとき、最終的な結論として現れる虚

    中原中也、「骨」について。 - 骨ホラホラ、これが僕の骨だ、生きてゐ... - Yahoo!知恵袋
    sirocco
    sirocco 2018/11/25
    “ホラホラ、これが僕の骨だ、 生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらはしい肉を破つて、 しらじらと雨に洗はれ ヌックと出た、骨の尖(さき)。 それは光沢もない、 ただいたづらにしらじらと、 ・・・・”
  • ミューズってどんな意味ですか?雑誌等で綺麗な女性に対してよく使われていますよね。 - ミューズってどんな意味ですか?雑誌等で綺麗な女性に... - Yahoo!知恵袋

    ミューズは先述されているとおり、ギリシャ・ローマ神話の芸術の女神達です。 また、彼女らが芸術家にインスピレーションを与えるといわれるところから、同じようにデザイナーや作曲家などの創作意欲を刺激する女性をミューズとよぶのです。 例えば(例が古いのですが・・・)「クローディア・シーファーはカール・ラガーフェルドのミューズだ」のように使われます。

    ミューズってどんな意味ですか?雑誌等で綺麗な女性に対してよく使われていますよね。 - ミューズってどんな意味ですか?雑誌等で綺麗な女性に... - Yahoo!知恵袋
    sirocco
    sirocco 2018/11/25
    太田治子さんは、長谷川泰子は中原中也にとってミューズだったのかも知れないと言う。
  • 中原中也 我が生活

    私はほんとに馬鹿だつたのかもしれない。私の女を私から奪略した男の所へ、女が行くといふ日、実は私もその日家を変へたのだが、自分の荷物だけ運送屋に渡してしまふと、女の荷物の片附けを手助けしてやり、おまけに車に載せがたいワレ物の女一人で持ちきれない分を、私の敵の男が借りて待つてゐる家(ウチ)まで届けてやつたりした。尤も、その男が私の親しい友であつたことゝ、私がその夕行かなければならなかつた停車場までの途中に、女の行く新しき男の家があつたことゝは、何かのために附けたして言つて置かう。 私は恰度、その女に退屈してゐた時ではあつたし、といふよりもその女は男に何の夢想も仕事もさせないたちの女なので、大変困惑してゐた時なので、私は女が去つて行くのを内心喜びともしたのだつたが、いよいよ去ると決つた日以来、もう猛烈に悲しくなつた。 もう十一月も終り頃だつたが、私が女の新しき家(うち)の玄関に例のワレ物の包みを

    sirocco
    sirocco 2018/11/25
    その後、小林秀雄と知り合い、泰子は小林秀雄のもとへ行く。中原中也は泰子の荷物を小林秀雄のもとへ運んでやったという。その心境が書いてある。うーん。
  • 時こそ今は…… | 中原中也・全詩アーカイブ for mobile

    時こそ今は花は香炉に打薫じ ボードレール 時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、 そこはかとないけはいです。 しおだる花や水の音や、 家路をいそぐ人々や。 いかに泰子(やすこ)、いまこそは しずかに一緒に、おりましょう。 遠くの空を、飛ぶ鳥も いたいけな情(なさ)け、みちてます。 いかに泰子、いまこそは 暮るる籬(まがき)や群青の 空もしずかに流るころ。 いかに泰子、いまこそは おまえの髪毛なよぶころ 花は香炉に打薫じ、 <スポンサーリンク> ひとくちメモ ボードレールのファンだから知る、か 上田敏を通じて知る、か 中原中也のこの詩を通じて知る、か シャルル・ピエール・ボードレールの 「悪の華」の中の 「薄暮の曲」の上田敏訳を 中也は、 見事に受容しました。 それも 一人の女性、 長谷川泰子という 固有名をもった女性への恋歌へと 作り直したのです。 花が芳香を放つ その時の時の

    sirocco
    sirocco 2018/11/25
    中原中也は女優の卵長谷川泰子と同棲を始める。中原中也が16歳、長谷川泰子が19歳だった。若いときから詩を書きまくっていた。
  • 春の日の夕暮 | 中原中也・全詩アーカイブ for mobile

    トタンがセンベイべて 春の日の夕暮は穏かです アンダースローされた灰が蒼ざめて 春の日の夕暮は静かです 吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい 馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい ただただ月の光のヌメランとするままに 従順なのは 春の日の夕暮か ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く 荷馬車の車輪 油を失い 私が歴史的現在に物を云(い)えば 嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが 瓦が一枚 はぐれました これから春の日の夕暮は 無言(むごん)ながら 前進します 自(みずか)らの 静脈管の中へです <スポンサーリンク> ひとくちメモ 「トタンがセンベイべて」 と、はじまる「春の日の夕暮」は 「初期詩篇」の冒頭 つまり「山羊の歌」という詩集のトップを飾っています。 「初期詩篇」のトップから4篇 「春の日の夕暮」 「月」 「サーカス」 「春の夜」 は、「ダダイズムの詩」もしくは

    sirocco
    sirocco 2018/11/24
    伊集院光さんは“トタンがセンベイ食べて”をトタン屋根に月がかかっていて、それを“トタンがセンベイ食べて”と表現したのではないかと言います。
  • 名著81 モンゴメリ「赤毛のアン」:100分 de 名著

    「ひらがな」の使用をはじめ、さまざまな手法によって、人間と自然の一体感をどのように表現していくかを、ことばへの深い洞察を通じて試みていく谷川俊太郎。彼の詩は、ことばそのものへの深い思索、洞察によって、進化し続けていくのだ。第三回は、「なくぞ」「にじ」「さようなら」「おに」「がいこつ」といった詩を通して、彼が追究してやまなかった「ことば」への洞察を明らかにしていく。

    名著81 モンゴメリ「赤毛のアン」:100分 de 名著
    sirocco
    sirocco 2018/11/09
    ゲスト講師の太田治子さんは太宰治の娘。中也の詩が評価されなかったのは「わかりすぎる詩」だったからだろう─と大岡昌平は話していたそうだ。わざとこねくり回して難解な文章を書く評論家もいます。
  • 夜通し風がふいていた・竹内浩三:若者が戦争へ行ったということ - くきはの余生

    竹内浩三の詩「夜通し風がふいていた」を読みました。青空文庫で読めます →図書カード:夜通し風がふいていた 底 『竹内浩三全作品集 日がみえない』(藤原書店・2001年) 竹内浩三は1921年(大正10年)三重県生まれの詩人です。1940年に日大学専門部映画学科に学び、1942年中学時代の仲間と「伊勢文学」を創刊しました。日大を卒業後に入営して、1945年フィリピンのルソン島で戦死しました。 入営中に書かれた日記「筑波日記」に残された詩が、遺稿として伊勢文学に発表されました。 夜通し風がふいていた 竹内浩三 上衣のボタンもかけずに 厠(かわや)へつっ走って行った 厠のまん中に くさったリンゴみたいな電灯が一つ まっ黒な兵舎の中では 兵隊たちが あたまから毛布をかむって 夢もみずにねむっているのだ くらやみの中で まじめくさった目をみひらいている やつもいるのだ 東の方が白(しら)んでき

    夜通し風がふいていた・竹内浩三:若者が戦争へ行ったということ - くきはの余生
    sirocco
    sirocco 2018/08/16
    招集された兵舎の中。あるはずもないことを夢見たのか。「風に夜どおしみがかれた星は だんだん小さくなって 光をうしなってゆく」。
  • しつとりと - 「時代閉塞の現状」を読む

    sirocco
    sirocco 2018/08/09
    「しつとりと なみだを吸へる砂の玉 なみだは重きものにしあるかな」 涙を吸った砂は重いんですって。
  • ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいまこの短歌の意味を教えてください - 若山牧水記念館... - Yahoo!知恵袋

    若山牧水記念館のHPにある掲示板からの引用です。 >ああ、あなたとキスをしている今この瞬間、 >海は波の動きを止めてしまえ。 >太陽も動くな。 >空を飛ぶ鳥も飛びながら死んでしまえ。 >そう思うほど、今この時よ永遠なれ!

    ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいまこの短歌の意味を教えてください - 若山牧水記念館... - Yahoo!知恵袋
    sirocco
    sirocco 2018/08/09
    「ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま」
  • 青猫 - Wikisource

    序 ◉ 私の情緒は、激情(パツシヨン)といふ範疇に屬しない。むしろそれはしづかな靈魂ののすたるぢやであり、かの春の夜に聽く横笛のひびきである。 ある人は私の詩を官能的であるといふ。或はさういふものがあるかも知れない。けれども正しい見方はそれに反對する。すべての「官能的なもの」は、決して私の詩のモチーヴでない。それは主音の上にかかる倚音である。もしくは裝飾音である。私は感覺に醉ひ得る人間でない。私の眞に歌はうとする者は別である。それはあの艶めかしい一つの情緒――春の夜に聽く横笛の音――である。それは感覺でない、激情でない、興奮でない、ただ靜かに靈魂の影をながれる雲の郷愁である。遠い遠い實在への涙ぐましいあこがれである。 およそいつの時、いつの頃よりしてそれが來れるかを知らない。まだ幼(いと)けなき少年の頃よりして、この故しらぬ靈魂の郷愁になやまされた。夜床はしろじろとした涙にぬれ、明くれば鷄

    sirocco
    sirocco 2018/05/27
    萩原朔太郎「青猫」青猫 この美しい都會を愛するのはよいことだ この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ すべてのやさしい女性をもとめるために すべての高貴な生活をもとめるために
  • 日比谷 - Wikisource

    sirocco
    sirocco 2018/05/27
    「文学批評への招待(3)詩の分析-近代詩を読む」。放送授業とテキストは全く別な内容。そこで取り上げられ、朗読される詩。
  • 言葉の達人/作詞家:田口俊さん - 歌ネット

    達人たちは1曲の詞を書くために、言葉を巧みに操り、その時代を象徴する言葉を探した。その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、その歌は大ヒットした。 「孤独がつらく感じるとき」、「愛することがよくわからなくなったとき」いつも、勇気と力を与えてくれた…、作詞家は言葉の魔術師である。そんなプロの「作詞家」の皆さんをゲストにお招きして、毎月、紹介していくこのコーナー。 今回は、1980年に「LORELEI」というバンドでデビュー。その後バンド活動と並行して作詞家としてもデビューされ、1988年には、年間作詞家売上1位となり、FNS歌謡祭最優秀作詞家賞、銀座音楽祭最優秀作詞家賞など、その後も数々の賞を受賞され、現在はプロデューサーとしてもご活躍の「田口俊」さんをゲストにお招き致しました。 「50/50」中山美穂 「吐息でネット」南野陽子 「夏のタイムマシーン」小泉今日子 「エデンの都市」観月ありさ

    sirocco
    sirocco 2018/05/12
    "作品とは「自己表現である」と思い上がってしまうきらいがありますがこと「作詞」に関しては、それはあてはまりません。その曲を聴いたリスナーが「あ、この歌、私(僕)の事を歌ってる」と思ってもらえる詞"
  • 独楽・高祖保:廻り澄み高みへ昇って行くイメージ - くきはの余生

    高祖保の「独楽」を読みました。1947年没後に刊行された『高祖保詩集』に収録された未完詩集『独楽』の中の一篇です。 底は『高祖保詩集』現代詩文庫、思潮社・刊(1988年)。青空文庫で読めます → 図書カード:独楽 高祖保は1910年岡山県生まれの詩人、歌人です。中学卒業後頃に歌誌「椎の木」に参加、短歌と同時に試作もするようになりました。 國學院大學高等部在学中に詩集『希臘十字』を発表。1944年発表の第三詩集『雪』では藝汎論詩集賞を受賞しましたが、この年徴兵されて南方戦線へ送られ、1945年ビルマで35歳で戦死してしまいます。 亡くなった後、遺族らの手によって1947年に『高祖保詩集』が刊行されました。 独楽 高祖 保 秋のゆふべの卓上にて 独楽は廻り澄む ____青森大鰐、島津彦三郎作、大独楽が ____鳥取の桐で作られた古ひ独楽が ____玉独楽が ____陸奥の「スリバツ」独楽が

    独楽・高祖保:廻り澄み高みへ昇って行くイメージ - くきはの余生
    sirocco
    sirocco 2018/05/03
    「廻り廻って澄みきるとき」。多くの独楽が音もなく回っているイメージでしょうか。最初はそれぞれに産地、名前があるのですけれども、回ることによって、どんどん俗世間から離れて行く。そんな世界を作者は見たのか
  • 中原中也 - Wikiquote

    なかはら ちゅうや、山口県の詩人。 汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の革裘 汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む 汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる…… 詩集『山羊の歌』より、「汚れつちまった悲しみに……」 長門峡に、水は流れてありにけり。 寒い寒い日なりき。 詩集『在りし日の歌』より、「冬の長門峡」(冒頭) 「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐればよい。 知れよ、面白いから笑ふので、笑ふので面白いのではない。面白い所では人は寧ろニガムシつぶしたやうな表情をする。やがてにつこ

    中原中也 - Wikiquote
    sirocco
    sirocco 2018/04/21
    「汚れつちまつた悲しみに」は上品な「汚れてしまった悲しみに」ではダメなんだ。「チェッ」と悔しがっているような、「汚れちゃってよ」のような正規な部分からはみ出したような品の悪さが必要なんだ。
  • ぼろぼろな駝鳥・高村光太郎:どうにもできない怒りと悲しみ - くきはの余生

    高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」を読みました。青空文庫で読めます →図書カード:ぼろぼろな駝鳥 底は『近代詩の鑑賞』 さえら書房(1958年)です。 高村光太郎は日の詩人、歌人であり、彫刻家、画家でもあります。1883年(明治16年)、彫刻家高村光雲の長男として東京に生まれました。 東京美術学校(現・東京芸大)彫刻科に学び、在学中に与謝野鉄幹主宰の新詩社に参加して詩を発表。詩集『道程』『智恵子抄』などがあります。 1956年(昭和31年)肺結核のため73歳で亡くなっています。 ぼろぼろな駝鳥 高村 光太郎 何が面白くて駝鳥を飼うのだ。 動物園の四坪半のぬかるみのなかでは、 脚が大股すぎるぢゃないか。 頚(くび)があんまり長すぎるぢゃないか。 雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。 腹がへるから堅パンも喰らふだらうが、 駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢゃないか。 身も世もない様に

    ぼろぼろな駝鳥・高村光太郎:どうにもできない怒りと悲しみ - くきはの余生
    sirocco
    sirocco 2018/03/08
    「~ぢゃないか」の連発が面白いですね。妻は生き物が大好きでした。「市原ぞうの国」のダチョウの首ねっこをグイと捕まえて遊んでました。首ねっこを捕まれたダチョウは目をキョロキョロ。いたずらしてはいけません
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