全国2例目の国立大学美術館として2013年にオープンした佐賀大学美術館(佐賀市)で、学芸員不在の状態が続いている。学芸員は美術館運営の根幹を担う存在で、美術関係者からは「このままでは多様な展覧会が開けなくなる」と危惧する声も上がっている。
SOMPO美術館のモンドリアン展に行ってきた。SOMPO美術館が損保ジャパンビル42階から独立した建物に移転してから初めて行った。眺望が良かったのでちょっともったいなかったかなと思う。モンドリアンは20世紀前半に活躍した抽象画の画家で,現代アートの走りである。垂直線と水平線だけで構成された画面で有名で,美術の教科書で一度は見たことがあるだろう。このブログの古くからの読者であれば私が現代アートが嫌いなのはご存じだと思うが,なぜモンドリアンを見に行ったのか疑問に思うかもしれない。実はそれは現代アートの開闢期には微妙に当てはまらない話で,むしろ「若い頃に自然主義や印象派が流行していた人々が,自分の円熟期にはなぜこのスタイルになったのか」という観点でなら興味がある。その意味で(デュシャンは当然として)キュビスムの画家たちやカンディンスキー辺りには関心がある。これらの画家の若い頃の作品を展示してくれ
Twitterで流れてきたTweetに「美術館とは,気軽に行ける異世界だった。日時指定で行けるようになっても気軽さがない」というものがあって,非常に強く同意していた。なんとなく美術館に行くのが億劫になっていたが,それを言語化できずにいたところであったので,まさに我が意を得た言葉であった。それでも異世界への思いは絶ち難く,重い腰を上げてイープラスのアプリを起動して,やっと行ったのが西美のロンドン・ナショナル・ギャラリー展であった。 本展は展示数が61点と少なかったが,非常に豪華だった。こういう海外の大規模美術館から借りてくる時は目玉展示が数点,後はまあ……ということになりがちであるが,今回は紛れもなく端から端まで目玉展示になるものがそろっていて,極めて満足感が高い。コロナ禍に巻き込まれて全然集客できていないのが非常にもったいない。ついでに言うと,宣伝もゴッホに偏っていたのはちょっともったいな
昨年11月に西美のハプスブルク展に行っていた。近年の西美は研究寄りでこういう企画展は少なかったので,久しぶりという感がある。まあでも2018年にもルーベンス展はやっていたか。展示品は大半がウィーン美術史美術館所蔵のもので,少しブダペスト国立西洋美術館のものと西美の所蔵品が入っている。 ハプスブルク家600年の歴史を追いながら関連する事物を展示するという形の展覧会であるが,さすがに本当の最初期の展示は無く,最初に登場する宗主はマクシミリアン1世である。よって600年というのは誇張で,20世紀も無いことを考えると400年の歴史が正しい。個人的にはルドルフ1世なりルドルフ4世建設公なりのものでもあれば持ってきてもらいたかったところ。ともあれ,「中世最後の騎士」マクシミリアン1世がスタートというのは時代の切れ目としては綺麗で,第1章が豪華なプレートメールの数々というのは人目を引き,展覧会としては成
ゴールデンウィークの翌週に,関西まで足を伸ばして曜変天目茶碗を2つ見てきた(ついでにフェルメール展にもこの時に行った)。1つは奈良国立博物館で,藤田美術館展。藤田美術館の2022年のリニューアルに備えての大展覧会である。ただし,私自身はすでに藤田美術館の曜変天目茶碗を見たことがあったので,今回はどちらかというと見たことがなかったという同行頬付の付添に近い。藤田美術館の所蔵品自体も,今回ほど豪華ではなかったが以前にサントリー美術館の企画展で東京に来ていた折に見ているので,そう新鮮味は無かった。曜変天目茶碗の感想はこの時と変わらず,すごいにはすごいのだが稲葉天目ほどの神秘性は感じない。他の展示物では,彩色が残っている快慶作の地蔵菩薩立像や,13〜14世紀の中国の作品と見られるマニ像の掛け軸あたり。確かに地蔵菩薩には見えないが,その時期の中国にこれを制作できるほどのマニ教の集団がいたのかという辺
サントリー美術館の清朝ガラス展に行ってきた。中国というと陶磁器のイメージが強く,しかもそのイメージは概ね間違っていない。ガラスの発見自体は諸説あるものの,春秋時代末期から戦国時代のこと(ちなみにこの時のガラスは鉛ガラスと言って,透明度は高いが量産しづらいもの)。しかし,その後はどうも関心が向かなかったようで,明代くらいまで大した技術進化が無く,量産もされなかった。今回の展示でも,その最初期の春秋戦国時代〜後漢頃のガラス製品が何点か展示されていたが,技術的進化がなさすぎるのか,その後の三国〜明代のガラスは一切展示が無かった。そして時代が清初に飛ぶ。 しかし,清初にイエズス会士がソーダ石灰ガラス(アルカリ石灰ガラス)の技法を伝えると,時の皇帝康熙帝が紫禁城内に官営のガラス工房を作らせ,やっと中国のガラス工芸が開花することになった。ただし,おそらく西欧側の技術も発展途上だったのであろう,この時の
新美術館のビュールレ・コレクション展に行ってきた。ビュールレ・コレクションはその名の通りドイツの実業家のエミール・ゲオルク・ビュールレが収集したコレクションであるが,実業家として大成した時期がナチス=ドイツの時期,美術品収集を開始したのも同時期。ナチスが没収した退廃芸術を競売で買い漁っていて,戦後はスイスにばっくれて収集品の返還も拒否し,それをめぐって裁判も戦っているので綺麗なコレクションかと言われると微妙である。それが2008年に大規模な美術品窃盗団に襲われ,2012年に窃盗団が逮捕されて作品は戻ってきたものの(リンク先はAFPBB),もはや財団自身では守りきれないと判断してチューリヒ美術館に寄託する流れとなった。今回の巡回展は寄託前最後のお披露目である。 この辺の話はビュールレ財団の恥と言えるのにもかかわらず展覧会でのキャプションや図録では詳細に説明されていて,「よくここまでぶっちゃけ
庭園美術館の七宝焼:並河靖之展に行ってきた。七宝焼とは主に金属(銅や鉄など)にガラス質の釉薬をかけて焼く金属工芸のことである。明治期に隆盛し,非常に細かい文様から陶磁器や漆器などと並ぶ明治期の人気輸出商品であり,「明治期の超絶技巧」として近年脚光を浴びている。しかし,陶磁器や漆器と決定的に違う点がある。陶磁器や漆器は江戸時代から日本で盛んだった伝統工芸であり,明治初期までに大きな蓄積があった上で西洋の影響を受けて(陶磁器ならば宮川香山などの努力により)超絶技巧を達成したのだが,七宝焼の場合,幕末までの蓄積があまりない。並河靖之ら数人の技術者によって,幕末から明治初期に急速に発展した。並河靖之自身,出発は中国の七宝焼であると述べていたそうだし,並河の企業は本展覧会でも「ベンチャー企業」と称されていた。つまり七宝焼は明治日本らしい,あるいは19世紀末の東洋らしい「新しい伝統工芸」とも言えよう。
都美のヴェネツィア・ルネサンス展に行ってきた。最近やたらとよく来るなというイメージだったが,去年はこの1回だけか。ボッティチェリも頻繁に来ているイメージがあるし,三大巨匠以外も見ろよ日本人というイタリア当局の攻勢だろうか。今回の構成は去年のものとほとんど変わらず,早期のベッリーニ兄弟から,盛期のティツィアーノ,そしてティントレットやヴェロネーゼへという流れの紹介。ヴェネツィア・ルネサンスの流れや特徴については前出の拙文から付け足すことは特に無いので省略する。 展示された作品は,去年がほとんどヴェネツィア・アカデミア美術館のものであったのに対し,所蔵元が北イタリア各地に散らばっていて,そこで差別化は図られていた。ジャンルとしては肖像画が多く,次に歴史画。また,会場がかなり広い都美の企画展示室を使っていた割には作品数が約70点しかなく(油彩画はうち約50点),1品1品が大きかったとはいえ,ゆっ
岐阜県美術館 @gifukenbi 岐阜県美術館公式アカウントです。展覧会やイベントの情報、美術館の見所などについてつぶやいていきます。 The Museum of Fine Arts, Gifu https://t.co/wVrazyLkF8 リンク www.facebook.com 岐阜県美術館 | Facebook 岐阜県美術館、岐阜県 岐阜市 - いいね!768件 · 205人が話題にしています - 岐阜県美術館の公式Facebookページです。様々な企画展、イベント、ワークショップ等のお知らせや、活動レポートをお届けします。
仏パリのルーブル美術館で、セーヌ川の氾濫を受けて展示室に移された、美術品を収納した箱(2016年6月3日撮影)。(c)AFP/GEOFFROY VAN DER HASSELT 【6月3日 AFP】(写真追加)フランスの首都パリ(Paris)のルーブル美術館(Louvre Museum)は、数日にわたり続く大雨により氾濫したセーヌ(Seine)川による浸水被害を避けるため、3日を休館とし、地下に保管している貴重な美術品を避難させると発表した。 パリ当局はセーヌ川沿いに防水壁を設置。ルーブル美術館と同じくセーヌ河岸に位置し、世界最高の印象派コレクションを収蔵しているオルセー美術館(Orsay Museum)も2日、通常より早く閉館。川の水位が5.5メートルを超えた場合、美術品の一部を上階に移動させる態勢を整えた。 これまでのところ、セーヌ川の氾濫によるパリ市内への被害はほとんどなく、中心部に水
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