p-shirokuma.hatenadiary.com 昨日の「なめる/なめられる」についての雑談は多くの人に読んでいただき、はてなブックマーク等で多くのコメントをいただき、勉強になりました。ただ、そこを眺めていて「なめる/なめられる」の構図から降りていると言っている人、自分は他人をなめることがないと言っている人も少なくなく、考え込んでしまった。 「そんなに簡単なものだろうか」、と。 まずはじめに断っておくと、「なめる/なめられる」が遅れた風習でしかない、と考えるのは間違いだ、と私は思う。 「ブラックで」「遅れた」場所にだけなめる/なめられるがあると思うのは違うと思います。「ホワイトで」「進んだ」場所にもあると思ってかかるべきでしょう。 なめる/なめられるが表出されるかたちが異なるだけで。 たとえば政治的に正しい「なめる/なめられる」もありますよね?しらんけど— p_shirokuma(熊
blog.tinect.jp 上掲リンク先の記事は、刺激的なタイトルのためか、はてなブックマークでも喧々諤々の様子になっている。私個人としては、海外でコミュニケーションをする際には、日本の標準的な構えよりも自己主張を強めにするとちょうど良い、逆に、日本の標準的な構えのままでは意思疎通に支障をきたすと思っていたので、外国の人々にまともに相手をしてもらうためには、明確に自分の意見や願望や意志を伝える・表出しないとだめだ、とは思っていた。表出のなかには、もちろん身振り手振りも含まれる。 国内外の違いはさておき、私は、「なめられるか、なめられないか」は社会適応において非常に重要だと思っている。鳩の群れを眺めていると、なめられる鳩はろくなことがなく、やせ細って死んでいく。チンパンジーなども、群れのなかでの順位のために、お互いに無理をしている感がある。であるから、「なめるか、なめられないか」は、社会的
好きな人と、数寄なゲームを、好きなだけ。 お問い合わせはこちらへどうぞ。 数寄ゲームズのゲームは通販サイトにて購入することもできます。 この記事は、Board Game Design Advent Calendar 2017 の第22日目の記事として書いたものです。 どうも、数寄ゲームズの円卓Pです。去年に続き、Board Game Design Advent Calendarについて記事を書かせて頂きます。去年の記事は「タイブレークの話」というタイトル通りの内容です。今年の内容とは殆ど関係ありません。 さて、表題通り、来年2018年はドミニオンが発売されて10年になります。10年! いやはや凄いもんですね。明治は遠くになりにけり。 何度か話しているような気もするんですが、ぼくがボードゲームの世界に足を踏み入れた最初の一歩はまさにドミニオンだったりします。すなわちドミニオンチルドレン。ドミ
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