幾つか老人ボケとも思われる失敗が続いたので、悩んだりしながら考えたのは、何かを理解しようとする態度、視野に入って来た例えば文章などを理解できなくても、直ぐに他に移るのではなく、少しその事に焦点を当ててみる気持ちが大切だという事だ。 そういう事を新たに修得する以外に、失地を回復する手段がないと思われた。 そうした警告は私の内部からでなく、他人の方から苦言とか罵倒に近い声としてやって来た。 それで老人ボケの批判だと悟るという順番だった。 そしてその原因を探ってみると、自分の行った無視、思い込み、的外れという心の動きが浮かんできた。 確かにそこには老人ボケと規定できる兆候があるものの、一方昔からそういう面があったとも思う。 元々、物事を深く考えるのは苦手で、心に余裕がなく、他人の意図まで図るという気が回らない。 だが昔は若さでそれを避けていられたのかもしれない。 だがこれからは少し考えないといけ