林芳正官房長官は14日、衆参両院の議院運営委員会理事会に24日に通常国会を召集する方針を伝えた。会期は6月22日までの150日間を予定し、延長がなければ参院選は7月3日公示、20日投開票となる見通しだ。東京都議選との接近を避けるよう求めた公明党に配慮し、異例の3連休中日の決戦となる。与野党は理事会で、石破茂首相が24日に衆院本会議で施政方針演説をする日程で合意した。2025年は12年に1回、
林芳正官房長官は14日、衆参両院の議院運営委員会理事会に24日に通常国会を召集する方針を伝えた。会期は6月22日までの150日間を予定し、延長がなければ参院選は7月3日公示、20日投開票となる見通しだ。東京都議選との接近を避けるよう求めた公明党に配慮し、異例の3連休中日の決戦となる。与野党は理事会で、石破茂首相が24日に衆院本会議で施政方針演説をする日程で合意した。2025年は12年に1回、
Published 2024/11/14 23:36 (JST) Updated 2024/11/14 23:53 (JST) 公明党の斉藤鉄夫代表は14日のBS11番組で、選択的夫婦別姓制度導入に向け、石破茂首相に働きかける意向を示した。「首相を通じ、自民党を説得したい。世界の大勢を見ても進めていくべきだ」と述べた。立憲民主党が、関連法案の審議が見込まれる衆院法務委員会の委員長ポストを確保したことに関し「実現に向け状況が一つ進んだ」と強調した。 選択的夫婦別姓制度を巡っては、自民内の保守系議員を中心に慎重論が根強い。首相は9月の総裁選で導入に前向きな考えを示していたものの、首相就任後は「さらなる検討が必要だ」と述べるにとどめている。
京都府内で比例票が過去最少、公明・共産が衆院選で大敗した理由は? 「SNS使いこなせず」 2024年11月12日 5:30
公明党の石井代表は、衆議院選挙で党が議席を減らした責任をとりたいとして代表を辞任する意向を表明しました。 今回の衆議院選挙で公明党は、選挙前から8議席減らして24議席の獲得にとどまり、石井代表も埼玉14区で議席を確保できませんでした。 これを受けて石井氏は31日の党の中央幹事会で「今回、非常に厳しい選挙結果となった。これはすべて代表である私の責任であり、代表の職を辞することを決めた」と述べました。 その上で「党代表は国会論戦を通じて、党の考え方をしっかりと表明するという役割があり、国会に関するさまざまな動きに対して迅速に判断をしなければならない。次の代表は国会議員が務めるべきだ」と述べました。 そして「速やかに党の再建に向けた体制を構築してもらいたい」と述べました。 また、石井氏は衆議院選挙の選挙対策本部長を務めた西田幹事長から辞任の申し出があったものの、慰留して了承されたことを明らかにし
Published 2024/10/09 19:43 (JST) Updated 2024/10/09 19:57 (JST) 公明党は9日、衆院選に立候補する自民党候補174人と、裏金事件に関係し非公認となった無所属2人の推薦を決めた。2人は4月の自民党処分で党員資格停止1年となった西村康稔氏と、党役職停止1年の三ツ林裕巳氏。石井啓一代表は記者会見で「地元の意向を尊重した」と語った。 石井氏は7日、自民党で非公認となった候補からは推薦要請はないだろうとして推薦は見送る考えを示していた。だがその後、西村、三ツ林両氏から推薦依頼が来たという。 西田実仁幹事長も会見で両氏に関し「地元の公明党員・支持者に、問題発覚直後から謝罪、説明していた」と述べ、推薦に当たって党の基準を満たしたと強調した。
東京15区補選の応援演説に来た小池百合子・東京都知事=4月16日、東京都江東区 この記事の写真をすべて見る 2016年の都知事選に国政から転出して以来、東京都に君臨し続けてきた小池百合子知事だが、ここにきてその威光に影が見え始めている。原因のひとつとして考えられるのは、4月10日発売の文藝春秋5月号が、かねてくすぶっていた小池知事のカイロ大学(首席)卒業をめぐる経歴詐称疑惑を報道したことだろう。28日投開票の衆院東京15区(江東区)の補欠選挙では、自らが立候補を主導した乙武洋匡氏の応援に奔走しているが……。 【写真】元乃木坂46の人気女優と並ぶ小池知事はこちら 小池知事の元側近で都民ファーストの会都議団政務調査会事務総長だった小島敏郎氏が、20年にエジプト大使館のフェイスブックにカイロ大学の声明文が掲載された経緯を告発するとともに、カイロ時代のルームメートだった北原百代氏が「小池さんはカイ
創価学会の池田大作・名誉会長が11月15日に死去していたことを創価学会が同18日に公表した。しかし、訃報までの池田氏の消息を詳らかに知る人物は創価学会内でも少ない。この間の池田氏の動静にノンフィクション作家の広野真嗣氏が迫った。 * * * 池田氏は2010年5月までは本部幹部会に出席していたが、翌月の会合にはその姿がなかった。同年11月にアメリカの大学での名誉博士号の授与式に出席したのを最後に、表に出なくなった。 13年間にわたる“不在”は学会員からも「年齢からして何らかの体調不良でもおかしくない」と囁かれてきたが、内実は謎めいていた。 2016年の朝日新聞のインタビューで池田氏の体調を問われた現会長の原田稔氏は「元気にしておりますよ。執筆活動などに専念しています」と答えていたが、実際に“動く池田氏”を見ることはできず、その不在は学会員やメディアの関心の的だった。裏返せばそれだけ絶大な存
小春日和となった11月23日の昼ごろ、都内の住宅街を沈痛な面持ちで歩いていたのは久本雅美(65)。迎えの車に乗り込んだ彼女が向かった先は、創価学会の東京戸田記念講堂だった。 「この日、11月15日に亡くなった創価学会名誉会長・池田大作氏の学会葬が行われました。会場では池田氏の生涯をたどる映像が流されました」(全国紙社会部記者) 東京戸田記念講堂の収容人数は約4千人。この会場に参列したのは、主に創価学会の“幹部クラス”に属する学会員だったという。創価学会に詳しいジャーナリストの乙骨正生さんは次のように語る。 「久本さんは、創価学会の『芸術部』の副部長を務めています。テレビタレントとして活躍する久本さんのことを、生前の池田名誉会長は高く評価していました」 好感度No.1タレントに君臨したこともある久本だが、20代のころは仕事もなく、生活に苦しんでいた。そんなとき、友人に誘われて入会したのが創価
長すぎたし読みづらかったので結論だけ先に書く。 (追記)それでも読みづらかったので改行を入れまくった。 結論 「国連平和賞」は賞ではない。普通に買えるし、コネがあると貰える。 「国連平和賞はマジで実績が必要」は完全な間違いであることが分かった。何故ならそのような賞がないので。 「国連平和賞が金で買えると思ってんの?」はジョークとして奇跡的な完成を見せている。United Nations Peace Medalはまさしく金で買えるものだった。インターン生も含めた国連職員には割引もあるよ! 「池田大作は国連平和賞をもらえるほどの文化人だった」という主張には一考の余地がある。というのも、United Nations Peace Medalを「もらう」ことは一般人にとって極めて難しい。それを可能にする人脈と知名度、そして最低限与えても問題ないだけの外面が要求されるだろう(A級戦犯被疑者の岸信介と笹
公明新聞二十四日付は、「北朝鮮問題 真相露呈に怯(おび)える日本共産党の悪あがき」という特集記事を掲載しています。この記事の特徴は、本紙が二十二日付の「北朝鮮問題 『反省なし』は公明党です」で、北朝鮮帰国事業にたいして公明党・創価学会が賛成していた事実のうえに、池田大作・創価学会名誉会長も同事業を肯定していた事実を指摘したところ、大あわてで打ち消そうとしたものです。しかし、“隠すより現る”とはこのことです。 創価学会の「政治的見解」は明らか 本紙記事は、創価学会現名誉会長の池田大作氏(公明党創始者)が当時、「北鮮帰還などというのも、やはり東洋広布の大前提なのですから」(『会長講演集』第四巻、一九六〇年一月二十四日の講演)などとのべ、創価学会の勢力拡大の機会として、帰国事業を肯定していたことを指摘しました。 公明新聞は、池田氏の発言そのものは認めました。その一方で、池田氏の発言は「北朝鮮への
池田大作氏 2008年撮影 ©時事通信社 ひと目で妹とわかるほど、その顔はよく似ていた。 「私は一番下ですから、小さい頃はいっぱい可愛がってもらいました。たまに家で会うと『女の子はきれいにならないと駄目だよ』とか、『挨拶できるようにしなさい』『本をいっぱい読みなさい』って言われるんです。どっちかというと、親のような気持ちで接してくれたんじゃないかと思います。だから、先生の中ではいつまでも私は15、6歳という気持ちじゃないですか」 「もう別世界の人でございますので。ただ、眩いばかりで尊敬しております」 ――最近、電話で話をしたりすることは? 「とんでもありません。もう別世界の人でございますので。ただ、眩いばかりで尊敬しております」 ――手紙をもらうことも? 「それとなく知らせてくださる方がいます。私の方からは(聖教)新聞を見たときにお手紙を出したりです」 ――返事はありますか? 「それはあり
11月15日、創価学会の池田大作名誉会長が東京都内の自宅で老衰のため死去した。95歳だった。日本最大規模の宗教団体を長年率い、1964年に公明党を創設してからは政界でも大きな影響力を発揮してきた。 宗教団体のありかたが問われた2023年、池田氏の死は今後にどんな影響を及ぼすのか。2010年に「週刊文春」に掲載された記事を期間限定で再公開する。 (初出:「週刊文春」2010年12月2日号/年齢・肩書等は公開当時のまま) ▼▼▼ 半年振りに近況が報じられた池田大作氏(82)だが、健康状態を危ぶむ声は尽きない。今では“王朝”の奥深く隠れ、幹部ですら会うことがままならない。かつて若い魅力的な宗教指導者として社会に登場した池田氏は、どこから、なぜ変わったのか。 今から47年前の『週刊文春』(昭和38年2月25日号)に、「折伏(しやくぶく)に生きる若き指導者・池田大作」と題したこんな記事がある。創価学
自民党の麻生副総裁は、福岡市で講演し、防衛費増額や反撃能力の保有を決めた岸田総理大臣について、「誠実そうに、リベラルそうに見える顔が世のなかに受けている」と述べ、評価しました。 自・麻生副総裁:「(防衛費を)NATO並みにGDPの2%にします。安倍晋三が夢にまで見ていた数字、できなかった数字、これを岸田はすっと通した。公明党は(反撃能力は)専守防衛に反するという理由で反対。公明党の一番動かなかった、がんだった、いわゆる山口、石井、北側等々、一番上の人たち、その裏にいる創価学会、そういったものも含めて納得する形になって、うちは当然報復しますよ、ということを、公明党に認めさせています。これも岸田よ。私はこういう状況にある時には、岸田さんのようななんとなく、極めて誠実そうに見える顔。俺とか菅とか、そういう売られたけんかは必ず買いますというタイプの人間ではなく、ある種の誠実そうに紳士そうに見える、
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