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アフリカと中世に関するnagaichiのブックマーク (6)

  • アフリカで花開いたヨルバ芸術、発見時の解釈は偏見に満ちていた

    ヨルバの王「オニ」の頭をかたどったブロンズ像。12~15世紀ごろ。ナイジェリア国立イフェ博物館蔵。(ANDREA JEMOLO/SCALA, FLORENCE) アフリカの民族ヨルバ人が、神々が創造し、人類が発祥した聖なる地と信じている場所がある。イフェだ。 ナイジェリア最大の都市ラゴスの200キロ北東に位置するこのイフェで、20世紀前半、考古学者が古代の頭像を発見し、ヨルバ文化の豊かな歴史に光を当てた。 素材は金属だったり素焼きだったりと様々だが、頭像は正確に左右対称であるのが特徴だ。顔には線や模様が施され、髪形も精巧に作られており、いずれも堂々とした威厳を感じさせる。 しかし、ヨルバ人にとって頭部がいかに重要かを、1910年にこれらの像を初めて見たドイツの民族学者レオ・フロベニウスは知らなかった。頭像の起源についての彼の説は、凝り固まった人種差別的な考えに基づいていたものの、彼がヨルバ

    アフリカで花開いたヨルバ芸術、発見時の解釈は偏見に満ちていた
  • nix in desertis:高校世界史上で「大ジンバブエ」と「モノモタパ王国」をどう扱うか

    高校世界史深掘りシリーズ。現在のジンバブエ共和国には,その国名の由来となった大ジンバブエ(グレート・ジンバブエ)遺跡がある(見たことがない人のためにGooglemapにリンクを張っておく。ストリートビューで中を見ることができてけっこう面白い)。大規模な石壁に囲まれた都市遺跡であるが,この都市を建設したのは誰かというのは長年論争があった。19世紀後半から20世紀前半にかけては「サハラ以南の黒人にこのような都市を建設できるはずがない」という偏見からフェニキア人などの非黒人建設説が唱えられていたが,20世紀半ばにはさすがに否定され,現地のショナ人のモノモタパ王国(ムタパ王国)が建設したという説が有力になった。 しかし,現在ではこの説も否定された。というのもモノモタパ王国の存続年代が以前は11〜19世紀とされていたが,これは支配階級の部族や栄えた地域の変化を無視して,ザンベジ川とリンポポ川に挟まれ

  • アフリカの村をのみ込んだ津波、千年前の証拠発見

    タンザニア、パンガニ川沿いの灰色の砂からのぞく人間の頭蓋骨。かつてはスワヒリ族の初期の漁村だった遺跡から発掘された。約1000年前、突然の津波で村が破壊され、多くの村人が犠牲になった。(PHOTOGRAPH BY VITTORIO MASELLI) およそ1000年前、今のアフリカ、タンザニアの沿岸から数キロ内陸に入ったパンガニ川のほとりには、スワヒリ人の初期の村が栄え、賑わいを見せていた。格子に組んだ木に土を塗って家を建て、魚や貝殻でビーズを作り、簡素で機能的な陶器も使っていた。 だがある日、はるかに離れた東インド洋で発生した地震による津波が、村を襲った。 この大惨事について調査した新たな論文が、5月12日付けで学術誌「Geology」に発表された。なお、この研究はナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けたものである。 村人たちに激流から逃れる術がなかったのは明らかだ。家は破壊され、

    アフリカの村をのみ込んだ津波、千年前の証拠発見
  • シェイクスピア作品にも登場、「ムーア人」とは?

    シェイクスピアの戯曲『オセロ』の主人公は、ムーア人のヴェニス軍将軍。その主役の姿でここに描かれた19世紀のアフリカ系米国人俳優、アイラ・オルドリッジは、黒人では初めて英国でシェイクスピア劇の舞台に立った。(Photograph by Hi-Story, Alamy) 「ムーア人」という言葉をご存じだろうか。 聞き覚えはあるが、実際にはよくわからないとしても無理はない。シェイクスピア作品などの文学をはじめ、芸術、歴史書で目にするにもかかわらず、特定の民族を示す名ではないからだ。ムーア人とはむしろ、スペインをその時々に支配したイスラム教徒やアフリカ系の人々などを表す概念として、何百年もの間使われてきた言葉だ。 ラテン語の「マウルス」に由来するこの語は、もともと現在の北アフリカにあった古代ローマの属州、マウレタニアに住むベルベル人などを指す呼称だったが、次第にヨーロッパで暮らすイスラム教徒に対し

    シェイクスピア作品にも登場、「ムーア人」とは?
  • 科学史の定説をくつがえす-アラビア語写本の山をかきわけて- | 広島大学

    中世ラテン世界の宇宙観、すなわち当時の自然科学に関する認識を知る手がかりとして『天球について』というがあります。このは、長い間自然科学を学ぶ学生の教科書として親しまれてきました。三村先生は、膨大なアラビア語の文献を調査して、このの真の著者を発見しました。 Mimura, Taro. The Arabic Original of (ps.) Māshā’allāh’s Liber de orbe: its date and authorship. The British Journal for the History of Science. 2015, vol.48, no.2, p.321-352. 中世ラテン世界にアリストテレス自然学とそれに基づく宇宙観を伝えた最初期のラテン語作品として、中東地域を支配したアッバース朝(750-1258)の宮廷占星術師マーシャーアッラーフ(800年

  • 900年前のアフリカ硬貨がひも解くオーストラリア史

    豪シドニー(Sydney)のパワーハウスミュージアム(Powerhouse Museum)が公開した、1100年ごろのものとみられる古代アフリカの王国キルワ(Kilwa)の硬貨(撮影日不明、2013年8月22日提供)。(c)AFP/SUE STAFFORD 【8月23日 AFP】900年前のアフリカで流通していた硬貨が、なぜ遠く離れたオーストラリア大陸にたどり着いたのか――この謎を解く過程で、南半球の大陸と外界との交流史が改められるとともに、先住民アボリジニ(Aboriginal)のロックアート(岩石画)にも光が当てられている。 現在のタンザニアにあたるアフリカ東部キルワ(Kilwa)王国で1100年ごろに製造されたとみられる硬貨は、オーストラリア北部特別地域(Northern Territory、北部準州)沖のウェッセル諸島(Wessels Islands)で1944年に見つかったものだ

    900年前のアフリカ硬貨がひも解くオーストラリア史
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