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「なんだこりゃ」と思ってよく“読んで”みると「へー」と驚くコピペ文章が最近2ちゃんねるに登場し、スレッド(スレ)の本題そっちのけでコピペに関する考察レスが交わされる……なんてことも起きている。 コピペ文はひらがなとカタカナだけで書かれており、一見すると2chでたまに見かけるうわごとにしか見えない。だがよくよく“読んで”みると、「確かに読める」と、ちょっと驚く。どうして「読める」のかは、コピペ文自体が説明してくれている。 「【ネット】「ウィキペディアが与える影響を調べるため」学生がもっともらしい嘘の書き込み 多数の欧米大手紙がだまされて引用」では、このコピペが2レス目に登場。「読めた」「人間の脳すげー」といったレスが相次ぎ、本題へのレスと入り交じって何のスレなのか分からない状態になっていた。 コピペが登場したスレには、人の記憶と認識に仕組みについて考察や、読める人と読めない人の違い、現象学的
葦手―余白に巡りあう身体 柏木麻里 葦手、という不思議な言葉がある。植物である「葦」と、人の身体である「手」がひとつに結びついている。「手」は、かなを表す女手、漢字を表す男手のように、書体の意味。葦手は平安時代に書かれた、文字と絵の混成からなる独特の書体で、十世紀後半ごろから『宇津保物語』(国譲上)『新猿楽記』『源氏物語』(梅枝)などの文献に登場してくる。現存する葦手の作例は、いずれも十二世紀以降のものになり、「本願寺本三十六人家集」「葦手下絵和漢朗詠集」伝藤原公任筆「葦手歌切」などのほか、「平家納経」の一部にも葦手が使われている。 葦手の書体とは、どのような姿をしていたのだろうか。『源氏物語』には次のような一節がある。葦手の冊子どもぞ、心ゝに、はかなうをかしき。宰相中将のは、水のいきほひ、ゆたかに書きなし、そゝけたる葦の生ひざまなど、難波の浦にかよひて、こなた、かなた、いきまじり
葦手(あしで)を見るたびに、千年も前にこんな「日本語のデザイン」がなされていたことに驚く。 伝藤原公任(ふじわらのきんとう)『葦手古今集切』(11世紀中頃、→ 拡大写真) 「の」と「や」の部分を拡大したもの。 「葦手(絵)」について、伝藤原公任の『葦手歌切』を例に挙げながら、永原康史氏はこう書いている。 歌にかかわる文字の中には、絵になってしまったものもある。「葦手」である。「手」は女手などと同様、転じて書体の意味だと考えればよい。草仮名を葦の葉になぞらえたところからその名前がついたという。辞書には戯書きとも文字絵ともあり、「へのへのもへじ」などの文字遊びとの関連も指摘されているが、葦手の明確な説明はむずかしい。歌と文字と絵が一体になったもの、といえばいいだろうか。 葦手をとりいれた絵を「葦手絵」という。和歌や漢詩からとられた文字(葦手)は、水の流れや葦、岩、水鳥などその景の中にひそみ、絵
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