2012/5/299:0 3.11以後の世界とSF第一世代の可能性(1) 新城カズマ×稲葉振一郎×田中秀臣 想像を超える自然災害、急激に変貌する経済の動向、日常生活が直面する先の見えない不安。東日本大震災以後、私たちの想像力と論理的思考の成果と限界とが問われて続けている。 SFというものは、人間の思索(Speculation)の限界に挑戦し、その限界を拡張する試みだといわれている。例えば、多くの日本人は日本を代表したSF作家小松左京の『日本沈没』のエピソードのいくつかを、今回の大震災においても想起したに違いない。それは小松の世界観の強度を改めて私たちに認識させると同時に、また私たちが(小松でさえも予想しなかったような)新しい環境に直面していることをもいやでも認識する出来事だったろう。 今回の座談に集まった私たち三者は、小松左京を中心に、日本のSF「第一世代」といわれる作家たちの業績を振り返
國文學 2008年 11月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 学燈社発売日: 2008/10/10メディア: 雑誌購入: 1人 クリック: 21回この商品を含むブログ (15件) を見る 「國文学」が、トチ狂って「萌え」についての特集を組んだので、一応買った。「萌え」というのは単なる流行語*1にすぎないだろうし、数年後にはたぶん「そんなのもあったねえ」とか言われるのだろう。もう「萌え」の話は飽和状態だし、今回の特集もあまり期待していなかった。 ところが、意外と数本は面白い文章が載っていた。中でも、本田透「『萌え』の行く先――文学は敗北したのか」は印象に残った。本田さんは、以下のように文学史をまとめる。 吉本隆明ふうに言えば、「大きな物語」=「共同幻想」に自己の居場所を見いだせなくなった70年代後半以降の大衆は、徐々に「小さな物語」=「対幻想」の内部へと入りこんでいった。この「対幻想」の中に「
舐めてたよ、ケータイ小説。さすが大賞受賞作だわ。 第10回日本ケータイ小説大賞 http://nkst.jp/vote2/novel.php?auther=20080001 先にこっち読んだからなあ。 恋空よりひどい小説あった【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】 これを読み、出だしを見て「ないわー」となり、先を読むまでもねえと断じ、頭の中はすっかりイカソーメンにもってかれ終了。オレが読む機会は永遠に来ないはずだったのだが、これを見て「ん?」となった。 http://d.hatena.ne.jp/dropdb/20080926/1222359526 え? もしかして これって おもしろいの? みたいな。 読まないと 損するんじゃないの? みたいな。 いや 別に 読みたいわけじゃないけど でも…… 読まずに判断するの? ねえ、読んでから言ってよ みたいな。 というわけで、これは
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