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津波に関するX-keyのブックマーク (49)

  • 【新連載】「避難途中に大津波」はウソだった?石巻市教委の矛盾で明らかになる“大川小の真実”

    通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。1997年から日の「ひきこもり 」界隈を取材。東日大震災直後、被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したの かを調査。新刊は『ルポ「8050問題」高齢親子〝ひきこもり死〟の現場から 』(河 出新書)  他に『ルポ ひきこもり未満』(集英社新書)『ひきこもる女性たち』(ベ スト新書)、『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『あのとき、大川小学校で何 が起きたのか』(青志社)など多数。TVやラジオにも多数出演。KHJ全国ひきこも り家族会連合会部広報担当理事。東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会 委員なども務める。YAHOO!ニュース個人オーサー『僕の細道』 大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~ 東日大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。この世界でも例を見ない

  • asahi.com(朝日新聞社):被災地、ウミネコ乱舞 津波で環境激変?空き地に巣 - 社会

    【動画】ウミネコ乱舞乱舞するウミネコ。後方は津波の被害を受けた水産加工施設=25日、宮城県気仙沼市朝日町、高橋雄大撮影  東日大震災で津波に襲われた宮城県気仙沼市朝日町の空き地に、数千羽のウミネコが巣を作っている。  震災前は辺りに水産加工場が並んでいたが、津波で加工場は壊れ、がれきや倒れた電柱が散乱。ウミネコは廃材の間や草むらに巣を作り、灰色に茶色の斑点がある卵2、3個を温めている。そして、変わり果てた被災地の上空を乱舞している。  同市で17年間、自然観察を続けてきた谷山友夫さん(78)は「あんな所に集団営巣したことはない。これまで人が近づけない海岸の岩場や離島に営巣していたが、その環境が津波で変わったからではないか」と話す。(掛園勝二郎)

  • アホウドリも津波被害、ヒナ11万羽犠牲 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    コアホウドリやクロアシアホウドリの繁殖地を津波が襲い、11万羽以上のヒナが犠牲になった。生き残ったヒナたちは散乱する漂着ゴミの中で生息している(8日、米ハワイ州のミッドウェー諸島のイースタン島で、海洋写真家の杉森雄幸さん撮影) 三陸沿岸から約4000キロ離れた北太平洋のミッドウェー諸島(米ハワイ州)を、3月11日の東日大震災の津波が襲い、コアホウドリなどのヒナ11万羽以上が犠牲になったことが、このほど現地を訪れた海洋写真家、杉森雄幸さん(40)の取材で明らかになった。 杉森さんが現地の米魚類野生生物局(FWS)関係者から得た情報によると、主要な津波は3月10日午後11時36分(日時間11日午後7時36分)に第1波が襲来し、第4波まで確認された。高さは最大1メートル50に達し、諸島中最大のサンド島は20%、2番目のイースタン島は60%が冠水した。 当時、サンド島にいた滞在者81人は全員無

  • 「此処より下に家を建てるな」―古の大津波記念碑が守った村

    三陸沿岸を明治29年、昭和8年に襲った大津波の後に先人が建てた大津波記念碑が守った村の話がNYタイムズで紹介されていましたね。 NHKの2006年の特集「失敗は伝わらない」にも「畑村洋太郎・工学院大学教授が語った通りになってるじゃないか!」と再び注目が集まっています。 NYタイムズが掲載した写真(上)は、昭和8年(1933年)の昭和三陸大津波の後、岩手県宮古市姉吉地区の海抜60mの地点に建てられた碑。ここは幸い村人が教えを護ってもっと海抜が上の方で暮らしていたため、石碑のわずか300フィート(91m)下で津波が止まり、近くの村を運転中に波にのまれ死亡した母・子3人を除き、11世帯とも全戸災害を免れました。 以下の映像は今の姉吉地区の碑の様子です。 4:00から海まで下っていきますよ。 こういう大津波記念碑は日の沿岸一帯に建っており、古いものでは600年前の警告も刻まれているんだそうな。

    「此処より下に家を建てるな」―古の大津波記念碑が守った村
    X-key
    X-key 2011/05/10
    ちょっと、全国のこういう碑や記録を全部ピックアップして対策考えるべきでは・・・。歴史に学ばないと。
  • asahi.com(朝日新聞社):増刷続く吉村昭さん「三陸海岸大津波」 印税を被災地に - 社会

    吉村昭さん増刷が続く吉村昭さんの「三陸海岸大津波」  「戦艦武蔵」などで知られ、2006年に死去した作家吉村昭さんが40年前に発表した記録文学「三陸海岸大津波」が東日大震災以降、増刷を重ねている。三陸沿岸を襲った3度の大津波を題材にした作品。で芥川賞作家の津村節子さん(82)=東京都三鷹市=は、増刷分の印税を被災地に寄付している。  「三陸海岸大津波」(原題は「海の壁――三陸沿岸大津波」)は1970年、旧中央公論社から出版された。2004年以降、文春文庫版で5万部が出ていたが、東日大震災後に全国から注文が相次ぎ、この2カ月間で15万部を増刷している。  吉村さんは昭和40年代、三陸沿岸で明治から昭和にかけての津波を取材。生存者の証言などから「三陸海岸大津波」を著した。  1896年の大津波後には、高台に移転する住民が相次いだが、「津波の記憶がうすれるにつれて、逆もどりする傾向があった

    X-key
    X-key 2011/05/09
    買って読んだ。もう各世代一度は経験する頻度で津波に襲われていることもわかった。子孫のことも考えたら、そろそろ本気であの地への住宅再建は考え直した方がいいと思った。
  • 最強の津波動画とは : 2のまとめR

    2011年04月29日 ➥ 最強の津波動画とは 45 comments ツイート 31:名無しさん@涙目です。(関西地方) []:2011/04/29(金) 00:43:21.32 ID:TyNxrTeX0 http://www.youtube.com/watch?v=gluWVySBVOU 01:14 04:35 血の気引くわ 167:名無しさん@涙目です。(神奈川県) [sage]:2011/04/29(金) 02:01:44.41 ID:3pPhIked0 >>31 こりゃすげーな。 決定的瞬間!で放送されそう。 251:名無しさん@涙目です。(東京都) []:2011/04/29(金) 03:24:15.26 ID:ZoaQ8zO/0 >>31 冒頭部分 生きた心地がしなかったろう ttp://convini.ddo.jp/imguploader/src/up9264.jpg 25

    最強の津波動画とは : 2のまとめR
  • 【東日本大震災】保育園児90人「奇跡の脱出」伝承…あの日も津波訓練中「早ぐ、早ぐ!」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災の発生時、ちょうど避難訓練の準備をしていた保育所があった。岩手県野田村の野田村保育所。建物は津波で無くなったが、約90人の園児と14人の職員は全員無事だった。保育所は月1回のペースで避難訓練を行い、常に津波を意識していた。なぜ、そこまでの備えができていたのか。(梶原紀尚)背中に乳児くくり「早ぐ!」 三陸鉄道のねじ切られたレールが津波の威力を示していた。保育所の建物があったはずの場所には、片側の門扉だけしかなかった。人口約4700人の野田村では震災で28人が死亡。450戸以上が全半壊するなどの被害が出た。 震災当日、午後3時から毎月恒例の避難訓練を予定していた。訓練は火災、地震、津波の3つの想定で行われており、津波訓練の場合、15分以内に約500メートル離れた「高台の家」に避難する段取りだ。 主任保育士の廣内(ひろない)裕子さん(53)はこの日、園児たちの昼寝をいつもより早く切り

    X-key
    X-key 2011/04/28
    三つ子の魂百まで。毎月訓練とはスゴイ。でも、お昼寝時間だったらどうだっただろう・・・
  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

    X-key
    X-key 2011/04/19
    全否定するつもりもないけど、たまたま津波の被害を受けなかった街道が残っただけって可能性もあるよね? やたら先人を高評価する研究者の弁にはちょっと眉につばをつけるくらいの方がいい。偶然の美化に注意
  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

    X-key
    X-key 2011/04/19
    こういうのって、全否定するつもりもないけど、たまたま津波の被害を受けなかった街道が残っただけって可能性もあるよね? やたら先人を高評価する研究者の弁にはちょっと眉につばをつけるくらいの方がいい。
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    X-key
    X-key 2011/04/17
  • 時事ドットコム:大津波で原潜スクリュー損傷=港内漂流、放射能漏れなし−米グアム基地

    大津波で原潜スクリュー損傷=港内漂流、放射能漏れなし−米グアム基地 大津波で原潜スクリュー損傷=港内漂流、放射能漏れなし−米グアム基地 【ワシントン時事】東日大震災の津波で、米海軍グアム基地の係留施設が被害を受け、攻撃型原子力潜水艦が一時港内を漂流し、スクリュー(プロペラ)を損傷していたことが13日、分かった。国防総省筋が明らかにした。放射能漏れはなく、負傷者はいなかった。  同基地のアプラ港では3月11日、津波の影響で、停泊中のロサンゼルス級攻撃型原潜「ヒューストン」、「シティ・オブ・コーパス・クリスティ」(いずれも全長約110メートル、乗組員約140人)の係留ロープが切断され、2隻は港内を一時漂流した。  タグボートがえい航し、1時間以内に埠頭(ふとう)に戻したが、ヒューストンはプロペラの損傷がひどく、交換した。米軍当局者は「原子力推進機関にはまったく影響はなかった」としている。(2

    X-key
    X-key 2011/04/15
    うわぁ・・・
  • 東日本大震災 津波の漂流物が太平洋上で巨大な島を形成

    東日大震災の津波で流された家屋、自動車などのがれきが海上に集まり、長さ111キロに渡る巨大な島を形成し、米国西海岸に向かって漂流している。これにより船舶が破損する可能性もあり、太平洋航路の混乱を招いている。台湾「聯合報」が11日に伝えた。 3月11日に発生したマグニチュード9.0の大地震に伴う津波の発生後、被災地付近の太平洋上では、津波に流された車両、牽引機、船及び、木材、プラスチックなどのがれきが大量に漂流し、中には完全な家屋なども見られた。 米国第7艦隊によると、この大規模な「がれきの島」は長さ111キロ、面積は20万平方メートル以上に上るという。同艦隊は現在、がれきの動きを厳重に監視している。 第7艦隊のファルボ広報官によると、「がれきの島は非常に大きく、海上輸送に影響を与える可能性がある。衝突すれば、船体がへこんだり、傷を受ける可能性があるほか、スクリューに引っかかる可能性もある

  • 【東日本大震災】移りたい3割超・津波のまちでは4割超  産経アンケート+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

    死者、行方不明者が合計で2万7千人を超えた東日大震災は11日で発生から1カ月を迎える。産経新聞社は被災地域の復興に詳しい大阪市立大学の宮野道雄副学長の協力を得て岩手県と宮城県の主に津波被害にあった被災者102人にアンケートを実施した。回答者の6割以上の自宅が流失か全壊、全体の3割以上が「土地を離れたい」と望んでいることが判明した。その理由の大半は「津波の恐怖から逃れたい」だった。 調査は3月25~30日、岩手県宮古市田老地区と仙台市若林、宮城野両区、宮城県女川町の避難所で、被災者に聞き取りを実施。いずれも津波被害地域で、特に田老は過去の教訓から高さ10メートルになる国内屈指の防潮堤を築いたが防潮堤を越えて波が押し寄せ多大な被害が出た。田老42人、仙台49人、女川11人の男女102人から回答を得た。

  • 【画像あり】今回の東日本大震災で一番心に響いた画像を貼るスレ :【2ch】ニュー速クオリティ

    1 名無しさん@涙目です。(埼玉県) 2011/04/10(日) 22:41:14.13 ID:pBRwTFCl0 [1/2]● ?2BP(0) 「津波」先人の警鐘生かされたか 東日大震災 大船渡市の吉浜湾は、ほかの三陸海岸の湾とは風景が異なる。中心集落があるはずの湾奥部の低地には家屋がなく、水田が広がる。中心となる集落の家屋約100世帯は海抜20〜30メートル前後の県道沿いに並ぶ。 「吉浜では海辺の低地に家を建てないことが常識。親から言い伝えられて守った教訓というよりも常識なんだ」消防団員の新沼公晴さん(47)は県道に立ち、双眼鏡で潮位を観測しながら何度も強調した。 今回の震災で、吉浜湾には10メートル前後の津波が襲来。戦後に低地に建った民宿など2軒が流され、海辺で作業をしていた男性1人が行方不明になった。ただ、津波は集落深くには達せず、県道で止まった。 100年以上前、吉浜湾でも湾奥

  • 【東日本大震災】津波から児童生徒3000人全員を救った釜石の3つの秘訣 - MSN産経ニュース

    津波から、自分の命を守り抜いた子供たちがいる。岩手県釜石市立の14の小中学校全校は、校内にいた児童生徒約3千人全員が無事。掛け替えのない命を救った独特の防災教育に注目したい。 釜石市で防災教育に携わってきた群馬大学の片田敏孝教授(災害社会工学)は子どもたちに呼び掛け続けてきた。要点は三つ。一つは「想定を信じるな」。市教委とともに各地の津波浸水状況、避難経路を想定したハザードマップを作った。子供に登下校時の避難計画も立てさせ、基礎知識を刷り込んだ。しかしあえて「その想定を信じるな」と教えた。想定に頼れば、想定外の事態に対応できなくなるからだ。二つ目は「その状況下で最善の避難行動を取ること」。事前にどんな想定をしても、実際の津波は単純ではない。三つ目は「率先避難者たれ」。人のことは放って置いてもまず自分の命を全力で守ること。「必死で逃げる姿」が周囲への最大の警告になるからだ。

    X-key
    X-key 2011/04/10
    「想定に頼れば、想定外の事態に対応できなくなる」これにつきるかも
  • 47NEWS(よんななニュース)

    森永卓郎さんの「宝物」…人生懸けて集めた収集物並ぶ 私設博物館「B宝館」が再開 埼玉・所沢 ミニカーやおまけのおもちゃ、13万点超を収蔵 百年後は世界遺産…日常にある宝を次世代に

    47NEWS(よんななニュース)
    X-key
    X-key 2011/04/09
    7日の余震後は変化無しというが、それまで見る度に傾きが増えているという自衛隊員の話があったよね・・・。津波の恐ろしさの記憶としてこのまま保存するのも・・・とも思うが、被災者ではないからの発想なのかも・
  • 【東日本大震災】警告の書、異例の売れ行き - MSN産経ニュース

    作家の故吉村昭さんの記録文学「三陸海岸大津波」が東日大震災以降、幅広く読まれている。文庫の発行元である文芸春秋には注文が相次ぎ、5万部を緊急増刷。で作家の津村節子さんが増刷分の印税を被災地に寄付するなど、一冊のから新しい人のつながりが生まれつつある。 同書は明治、昭和に三陸を襲った津波を、被災者の生々しい証言をもとに描き、1970年に発表された。波の高さが40~50メートルにも及ぶなど、今回の津波被害をほうふつとさせる記述も多く、歴史の教訓を伝える「警告の書」。仙台市青葉区の「あゆみBOOKS」では、震災直後から問い合わせが増え、市内の2店舗で計500冊を新たに仕入れた。「既刊の文庫では異例の売れ行き」(店長)という。

    X-key
    X-key 2011/04/09
    印税が被災地への寄付となると知り、amazonのカートに入りっぱなしだったのを発注した。
  • たんすに乗って漂流していた男性が小型船に救出される : 暇人\(^o^)/速報

    たんすに乗って漂流していた男性が小型船に救出される Tweet 1:名無しさん@涙目です。(長崎県):2011/03/27(日) 18:58:29.32 ID:tVGx488G0 東日大震災:たんすに乗って漂流し助かる 大船渡の男性 津波で家ごと流された岩手県大船渡市の会社役員、金野健一郎さん(37)は、たんすにつかまり大船渡湾を漂っているところを小型船に助けられた。船長の男性は、名前や住所を頑として名乗らなかった。 金野さんは「船長の恩は一生忘れない。落ち着いたら捜して、もう一度お礼を言いたい」と話している。 地震が起きた11日、金野さんは公民館にいったん避難したが、スーツから着替えるために港から約300メートルのところにある自宅に引き返した。2階の窓から外を見ると、「真っ黒な波が渦を巻いて迫ってきた」。 みるみるうちに2階まで浸水。倒れて浮いていたたんすの背に必死にしがみついた。その

    たんすに乗って漂流していた男性が小型船に救出される : 暇人\(^o^)/速報
  • 時事ドットコム:「津波の押さえ込みは無理」=被害を調査−土木学会

    「津波の押さえ込みは無理」=被害を調査−土木学会 「津波の押さえ込みは無理」=被害を調査−土木学会 土木学会は7日、仙台市内で記者会見し、東日大震災の被害に関する第1次総合調査について報告した。津波被害について調査団長の阪田憲次会長は「全部を(堤防など)力で押さえ込もうするのは無理だということが今回はっきりした」と語った。学会では復興への提言を今月中に取りまとめる予定。  土木学会は関係学会と合同で先月27日から今月6日まで、地震工学、コンクリート・構造工学などの専門家で構成する調査団を派遣。東北地方の21市町村を調査した。  鉄道や道路、港湾施設や堤防については、阪神大震災後の耐震設計や補強技術の高度化で揺れによる被害が軽微だった一方、津波による被害が甚大となった。阪田会長は「どこからどう力がかかったのか全く想像できない」とした上で、対策については「避難などと併せて考えるべきだ」とした

    X-key
    X-key 2011/04/07
    結論出すの早すぎ。「避難などと併せて考えるべき」は同意だが。
  • 津波 歴史研究から警告/「仙台平野は常襲地帯 英知集め対策を」/仙台の元教員/飯沼 勇義さん

    『仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う』(1995年。絶版)という著書を出し、地震による大津波に警鐘を鳴らし、対策を構築するよう提案してきた在野の歴史研究者がいます。元公立学校教員の飯沼勇義(ゆうぎ)さん(80)です。津波研究のため住んでいた海岸近くの仙台市宮城野区蒲生の自宅は津波で壊滅的な被害を受けましたが、いち早く家を離れて無事だったことがわかり、避難所で会うことができました。(浜中 敏) 開口一番、「仙台地方は、実は世界のなかでも巨大な津波の常襲地帯なんです。仙台には大きな津波が来ないと思っていた人は多いが、私にとってみれば、来るべきものが来たという思いです」と言います。 今回の大震災でもっとも多くの犠牲者を出しているのが宮城県です。南三陸沿岸だけでなく、石巻から県南までの仙台平野沿岸部全体に及んでいます。 「仙台の歴史を研究すると、人が住めない、歴史がつながらない空白の時代

    X-key
    X-key 2011/04/07
     「仙台の歴史を研究すると、人が住めない、歴史がつながらない空白の時代がいくつもあり、調べると巨大な津波によるものだとわかりました。」本当に歴史から学ばないといけない。
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