【11月8日 AFP】セルビアは7日、「大アルバニア主義」を象徴するとされる「双頭のワシ」のポーズを取って撮影したことで、裁判所に執行猶予付きの禁錮刑を言い渡されたスイス人2人を国外追放した。 双頭のワシはアルバニア国旗に描かれているシンボルであり、2008年にセルビアから独立したコソボの抵抗の象徴とみなされている。セルビアはアルバニア人が多数派を占めるコソボの独立を現在も承認しておらず、このポーズを民族主義的な挑発とみなしている。 セルビアの検察は、2人が「双頭のワシのポーズを取ってそれを撮影し、民族的、人種的および宗教的憎悪と不寛容を扇動する罪を犯した」としている。 2人にはそれぞれ6月と1年の執行猶予付きの禁錮刑が言い渡されたが、司法取引の結果、「10年間の国外追放」措置が取られた。 「双頭のワシ」のポーズに対し、セルビア当局は度々強い反応を示している。2018年のサッカー杯では、コ
Nato-led Latvian soldiers in Kosovo inspect a truck blocking the way to the border with Serbia Serbian President Aleksandar Vučić has met his national security council as tensions rise in Kosovo between the authorities there and ethnic Serbs. On Saturday a stun grenade was thrown at EU police in north Kosovo, where Serbs form a majority, and local police exchanged fire with unknown groups. Ethnic
ユーゴスラビアの血なまぐさい解体から30年を経たいまも、その火種となった民族対立がなおくすぶっている。 コソボは、ユーゴスラビアの一部だったセルビア共和国から2008年に独立を宣言したが、セルビアは承認を拒んでいる。ロシアのウクライナ侵攻が、その膠着状態に新たな局面をもたらした。 そしていま、コソボ当局とそこに暮らすセルビア人少数派のあいだで緊張が高まっており、セルビア軍に厳戒態勢が敷かれている。 1. 何がコソボでの緊張を高めているのか? コソボの人口の圧倒的多数はアルバニア系で180万人いるが、セルビア人も10万人以上いる。 コソボ当局は2022年8月、少数派のセルビア人に、ナンバープレートや身分証明書をセルビア政府発行のものからコソボ当局発行のものに切り替えさせようとした。多くのセルビア系はこの行政命令を、自分たちのアイデンティティに対する侮辱と脅威と捉えた。
New roadblocks appeared on Tuesday in the majority-Serb town of North Mitrovica as tensions escalated The Serbian army says it is at its "highest level of combat readiness" after weeks of escalating tensions between Serbia and Kosovo. President Aleksandar Vucic says he will "take all measures to protect our people and preserve Serbia". The sabre-rattling is louder than ever and follows some media
セルビア南部ラスカ近郊で装甲車と共に警戒に当たるセルビア兵(2021年9月27日撮影、資料写真)。(c)Irfan LICINA / AFP 【11月3日 AFP】セルビア国防省は2日、南西部のコソボとの国境付近の軍事施設周辺を飛行していた民生用ドローンを電波妨害装置で破壊したと発表した。 同省はドローンについて、コソボとの国境にあるコパオニク(Kopaonik)山から軍事施設に向かって飛んでいたと説明。「民生用」と断定する一方、製造元には言及しなかった。 同省は、コソボとの国境の飛行禁止区域を飛行するドローンを今後も撃墜し続けるとしている。 コソボが国内の少数派のセルビア系住民を対象に、自動車のナンバープレートをコソボのものに段階的に付け替えるよう求めると発表したのを受け、セルビア、コソボ両国間で緊張が高まっている。(c)AFP
ジョージアは、アゼルバイジャンのようなエネルギー資源を持たず、経済基盤も弱いため、未承認国家を使ったロシアの統制をさらに受けやすい状態にあったものの、2008年8月、大きく事態が動いた。 「当時、わたしは北海道大学のスラブ・ユーラシア研究センターの共同研究員もやっていたのですが、札幌から東京へ飛行機で帰ってきたところ、携帯電話にたくさんの着信が入っているのに気づきました。なにかと思ったら、ジョージアとロシアの間で戦闘が始まったことに関する問い合わせの電話でした。あの戦争を今から振り返ると、より悪いのはロシアということになりますが、実はジョージアにも問題がありました。間違いなく言えることは、双方が戦争を意識して準備をしていたということです」 ジョージア国内にある未承認国家「南オセチア共和国」に対して、ジョージア軍は、「南オセチアからの挑発が続き、ジョージアの最後通牒にも応じなかった」として、
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