総務部や人事部をはじめとした間接部門。なくてはならない存在だが、コストアップ要因と見なされることも多い。そんななかITを駆使することで1人で総務部門をこなす会社があった。 間接部門が仕事の“邪魔”をする──。そんな不満を持つ直接部門の社員が増えている。実情に合わないルールを導入する一方、形骸化した古い仕組みは固守しようとする。 「存在意義を守るため、無理に仕事を作っている」。これが多くの直接部門社員の見立てだ。 過去を振り返って見ても、間接部門は企業の要であるにもかかわらず「コストアップ要因」と見なされることが多かった。では間接部門をどこまでスリム化することが可能なのか。基幹システムを販売するスマイルワークス(東京・千代田)の坂本恒之社長は「クラウドを駆使すれば大企業でも1人で十分こなせる。できない理由があるとすれば、仕組みの問題ではなく、部門の既得権益だろう」とみる。 この考えを実践して
この秋、50代も終わりにさしかったところで、人生3度目のシベリア鉄道に乗ってきました。 初めてシベリア鉄道に乗ったのは1981年のこと。横浜の大桟橋から船に揺られて2泊3日でナホトカ港へ。ナホトカからハバロフスク経由でモスクワまでの7泊8日の旅でした。ソビエト連邦という国があり、ブレジネフ書記長が権勢をふるっていた時代です。 2回目の乗車は1985年。このときは、北京発ウランバートル経由モスクワ行きに乗車しています。 20代だった当時は、見るもの聞くものすべてが刺激的で、何ものにも代えがたい貴重な体験となりましたが、なにしろ貧乏旅行だったうえに人生経験も不足していたので、自分のことで精一杯。周囲をじっくり観察する余裕がなかったのが残念でした。 そこで今回は、体力のあるうちにシベリア鉄道に再挑戦して、昔を懐かしみつつ、ロシアの町や人びとをじっくりと見てこようというのが旅の目的。妻も同行すると
最初に質問してみよう。「日本茶といえば、どこを連想しますか?」。おそらく大部分の人が「静岡」と答えるだろう。宇治に狭山と日本にブランド茶は数あれど、「お茶といえば静岡」という刷り込みは圧倒的だ。なにしろ日本茶の半数近くは静岡産である。毎年、茶摘みの時期になるとテレビニュースなどでもその様子が放送されたりして、イメージもいい。 しかしわたしは、それが本当にブランド力として確立されているかと疑問を呈してみたい。静岡のお茶は世界に通用するようなブランドになっているのか。お茶のような嗜好品の世界ではグローバルブランドが結局価格を決めることになる。高齢化などでコストが上がる一方の日本茶の世界も今のままでは生き残りは厳しい。では、どうすれば世界的なブランドに成長させることができるのか。今回はそれをテーマに考えてみよう。 紅茶の世界ではセイロン、アッサム、ダージリンなど産地名がまず有名になる。一方、
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 意思決定漂流の1930年代 経済財政諮問会議を事実上の廃止に追い込んだのは、民主党の手痛い失敗だった。権力中枢に入らねば見えない風景がある。全体の意思決定システムのなかで、首相ブレーン機関はどんな「カラクリ」で動いてきたのか。見極めてから、廃止するなり代替機関を設置するなりすれば良い。構造改革派どうこうは、制度でなく人事の話だ。 権限を持つ国家戦略局を設置すれば何とかなるという民主党の「制度幻想」はいただけない。だが、法令遵守が原則の官僚機構への威力はある。従って、当面は権限を持つ経済財政諮問会議を活用すれば良かった。「ねじれ国会」で国家戦略局が認められる見通しはない。 その首相ブレーン機関は、明治国家における意思決定システ
「倒れるまで働け」――これは定年延長を求める議論を揶揄してよく使われるフレーズだ。かくいう小誌(Economist誌)も、定年延長を支持する立場を取っている。人々の平均寿命は着々と伸びているのに、働く年数を増やしたいと思う人は少ない。事実、フランスの野党・社会党は、政府の改革――定年を60歳から62歳まで引き上げた――を覆そうと狙っている。 就業年数の延長に人々が反対する背景には、「35〜40年も働けば、いい加減もう休んでいいだろう」という考えがある。だが「若者が職に就けるように年配者は身を引かなければならない」と考える人が多いのも理由の1つだ。そんな気持ちを代弁するかのように、英フィナンシャル・タイムズ紙のコラムニスト、ルーシー・ケラウェイ氏は最近の記事で次のように書いている。「のん気な我々の世代がそこここに居座っているから、若者が先に進めない」。 経済学者であれば、この理論における欠陥
2012年2月現在、ギリシア、イタリアの国家債務問題を焦点としてユーロ圏に新たな金融危機の火種がくすぶっている。ユーロ圏の債務問題が甚大な金融危機に発展するかどうかはともかく、世界レベルの金融危機は長い歴史の中で繰り返し発生してきた。 2008年のリーマンショックを契機に、「既存の経済学は金融危機の理解や抑止に全く役立たない」、あるいは「既存の金融経済学こそが金融危機を引き起こした」といった批判が巻き起こった。程度はともかく、こうした批判は現在でも続いている。経済学者はこうした批判にどう応じてきたのだろうか。 ここでは、経済学に対する批判的問いかけの意味も込めて「金融危機はなぜ繰り返し発生するのか」について考えたい。 自由競争とリスクの証券化が進んだ世界金融市場 まず、リーマンショックを足がかりとして、既存の経済学や「市場原理至上主義」、さらにはやや漠然と「資本主義」なるものに対し、批判的
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