「マーチをタイでつくったらどうでしょう」。そんな提案があったのは2008年9月のリーマン・ショックの少し後。急激な円高が経営問題として浮上した時だった。マーチは軽自動車を除くと、日産自動車で最も国内販売台数が多い車の一つだ。だが、円高が加速すると、価格が100万円前後の小型車は日本で生産し、海外に輸出するのが難しくなる。マーチの移管については様々な意見をいただいた。「国内産業の空洞化を招く」
手元にあるのは私が日本に来た1999年から日産180の終わる2005年までの足跡をたどった「シフト」という写真集だ。社員全員に05年11月に配ったものだ。最も思い出深いのは最後の写真だろう。販売台数を世界で100万台増やす目標を達成した時のものだ。社員たちは偉業を成し遂げた。そういう記憶は「記録」としてぜひ残すべきだった。ただし、05年は経営危機から6年が経過し、つらい時期が過去のものになろ
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