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批評に関するRikerikeのブックマーク (4)

  • 安藤忠雄に都市を語る資格はあるか - concretism

    建築家と言えば、安藤忠雄。 世間一般の評価はそのようであるし、どうやら人もそれを否定する気はないらしい。 普段、建築的話題と接する機会の少ない人ほど、この人の話題を持ち出すことが多いので、少々どころではなく辟易してしまうのだけれど、徐々にその戸惑いは、「建築家と言えばガウディ」と言われたときの感情と相似形を取るようになってきた。 たぶん、建築を生業にしている人に、好きな建築家は誰ですか?と訪ねたとき、ガウディの名をあげる人はほとんどいない。理由はいろいろあるのだろうけど、そもそも、ガウディは建築家なんだろうか?という素朴な疑いが払拭できないのだ。建築家でなければ何なのだといわれると、芸術家、かな?といささかためらいながら答えることになる。 このように言うと、芸術家は建築家を含む上位概念ではないのかと思う方もおられるかもしれない。しかし、建築家には、技術的、経済的、法規的、社会的な数々の制

    安藤忠雄に都市を語る資格はあるか - concretism
    Rikerike
    Rikerike 2009/03/15
    寧ろ芸術家というべきでは?の話。楳図かずおの話が出ていてちょっと吹いた
  • 「『萌え』の正体」(「國文学11月号」) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    國文學 2008年 11月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 学燈社発売日: 2008/10/10メディア: 雑誌購入: 1人 クリック: 21回この商品を含むブログ (15件) を見る 「國文学」が、トチ狂って「萌え」についての特集を組んだので、一応買った。「萌え」というのは単なる流行語*1にすぎないだろうし、数年後にはたぶん「そんなのもあったねえ」とか言われるのだろう。もう「萌え」の話は飽和状態だし、今回の特集もあまり期待していなかった。 ところが、意外と数は面白い文章が載っていた。中でも、田透「『萌え』の行く先――文学は敗北したのか」は印象に残った。田さんは、以下のように文学史をまとめる。 吉隆明ふうに言えば、「大きな物語」=「共同幻想」に自己の居場所を見いだせなくなった70年代後半以降の大衆は、徐々に「小さな物語」=「対幻想」の内部へと入りこんでいった。この「対幻想」の中に「

    「『萌え』の正体」(「國文学11月号」) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    Rikerike
    Rikerike 2008/10/21
    本田版オタク・イズ・デット?(…
  • 自閉症スペクトラム障害説は現実的ではないファンタジー - 井出草平の研究ノート

    アスペルガー症候群歴史と現場から究める 作者: 石川元出版社/メーカー: 至文堂発売日: 2007/09/26メディア: 単行購入: 2人 クリック: 15回この商品を含むブログ (3件) を見る 石川元氏・村田豊久氏・川原ゆかり氏の対談より。 石川 ウィング自体のアスペルガーの再評価というのは、いま村田先生がおっしゃったようなアスペルガーの治療的な面というか、そこに着目してというわけではないですよね。 村田 高機能を自閉症から区別したということで、アスペルガーの報告を評価したということですね。ただの、ロウIQ、ハイIQの問題だけです。 石川 だからウィングは、アスペルガーに留まることなく簡単にアスペルガーを通り越して、見方によっては現実的ではないファンタジーのような(注)、自閉症スペクトラム障害説に飛躍してしまうということになるわけですね。 村田 そうだと思います。今の日も自閉症の研

    自閉症スペクトラム障害説は現実的ではないファンタジー - 井出草平の研究ノート
    Rikerike
    Rikerike 2008/08/28
    一瞬「アスペルガー症候群と言う病気はファンタジーである」と思ってしまった
  • コッポラのコーマン門下生時代について - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    「コッポラの胡蝶の夢」のパンフに、コーマン門下生時代のフランシス・コッポラについて書きました。 1960年代初め、ハリウッドのメジャー・スタジオは閉じられていた。 監督やカメラマンなどスタッフの平均年齢はほとんど60歳を越えていたにもかかわらず、大卒の募集は行われず、わずかに縁故採用があるだけだった。 いっぽう、全米各地の大学にはようやく映画学科が設立されていった。大衆の娯楽だと思われていた映画は、フランスで芸術として評価されるようになり、その影響がようやくアメリカに及んだのだ。コッポラもUCLAの映画学科で学んでいたが、何のコネもない彼にとってハリウッドに入るのは不可能に近かった。 まず自主制作で映画を撮ってポートフォリオにしようにも、当時まだ8ミリ映画の機材はまともな映画を作れるレベルには達していなかったし、学生の自主映画を評価してくれる映画祭なども確立されていなかった。そんな状況で、

    コッポラのコーマン門下生時代について - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
    Rikerike
    Rikerike 2008/08/28
    あの人の世界観って奴を是非知りたいものだ/皆様方のブコメ見ておいらもこの人の事笑えないなと思いました!
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