はてなキーワード: harmonyとは
ファーウェイが初の独自OSパソコン キーボード部分も全面有機EL
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM198JT0Z10C25A5000000/
もし現代に0からOSを作成する場合、これらのOSの技術的負債や欠点を教訓として設計するならどのようなものが考えられますか?
観点 | Linux で顕著 | Windows で顕著 | 共通課題 |
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カーネル構造 | 巨大モノリシック + 常に ABI が流動的(外部モジュール苦労) | 歴史的にモノリシックに近く高密度・複雑 | 信頼境界が広く、脆弱性が権限昇格に直結 |
安全性 | Unix-型「ユーザー/グループ + SUID」が限界 | ACL/SID が複雑化・分散 | “一発 root/SYSTEM” を許すモデル |
ドライバ | OSS/ベンダ混在・署名不足・上流統合が負担 | 内部 API 長期固定の重荷、古い HW サポートが尾を引く | カーネル空間に巨大コード |
更新 | ディストロごとに仕組み相違、再起動依存 | 累積パッチ巨大・Reboot 必須 | 取替え可能性 ≈ 可用性低下 |
ユーザー空間 | バイナリ互換よりソース互換優先で「壊れやすい」 | DLL Hell / COM 登録 Hell | グローバル名前空間汚染 |
設定管理 | /etc + 点在 config → 形式・権限バラバラ | Registry 巨大モノリス → 腐敗 | アトミックではない変更が多発 |
開発プロセス | メーリングリスト文化でレビューボトルネック | 閉鎖的で古いコード維持不可避 | 純粋なモジュール性が欠如 |
マイクロカーネル(あるいは hybrid microkernel)+ ユーザー空間ドライバ。
カーネル定義の “secure capability” ハンドルのみを他プロセスへ授与。
seL4 や Fuchsia の Zircon が示す「検証可能サイズ」を目標に。
観点 | デメリット | 旧 OS が採用しなかった背景 |
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性能 | コンテキストスイッチと IPC が頻発し、90 年代 CPU では大きなオーバーヘッド。 | ハードウェア性能が不足し、リアルタイム性やスループットを優先した結果、モノリシック構造に。 |
実装コスト | OS サービスが分散し、デバッグやトレーシングが煩雑。 | 完全分離を行うツールチェーン/デバッガが未成熟だった。 |
ドライバ移植 | ユーザー空間化で ABI は安定するが、低レイテンシ要求デバイス(GPU など)の処理が難しい。 | 当時は “音声が途切れる” 程度でも市場競争力を失うためカーネル内に残す決断。 |
Rust や Zig のような safe systems 言語。
C 部分は必要最低限に隔離し、unsafe 領域は形式検証 / fuzz 前提。
デメリット | 背景 |
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ランタイム負荷 言語ランタイムを最小に削る必要があり、一部 unsafe が不可避。 | 70〜90 年代は C 以外に bare-metal 向け安全言語が事実上存在せず。 |
コンパイラ信頼性 コンパイラ自身の欠陥がカーネル欠陥に直結。 | “自己ホスト” 安全言語を実機に載せる環境が不足。 |
学習コスト OSS/商用エコシステムが C 前提で巨大。 | ドライバサンプル・書籍・人材が C/C++ に集中していた。 |
外部インタフェース(syscall, driver ABI)は長期安定。
その裏で内部サービスは gRPC/FlatBuffers 相当の IDL で世代管理し交換可能。
デメリット | 背景 |
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進化速度の拘束 ユーザ空間から見える syscall を変えにくい。 | MS-DOS 互換・Unix 互換という既存ソフト資産が最重視された。 |
バイナリサイズ肥大 旧世代 ABI を残すため “脂肪” がたまる。 | ストレージ単価が高く「後方互換より容量削減」が優先された時期が長い。 |
アプリは原則 container-like sandbox(Wasmtime, OCI など)で実行。
ファイルシステムは per-app の仮想 Namespaces、権限委譲は capability passing。
デメリット | 背景 |
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複雑な権限委譲 ファイルダイアログすら Capability 伝搬を要し、開発者負担。 | “単一 PC=単一ユーザー” が前提で、砂箱の必要性が薄かった。 |
互換レイヤ 既存ネイティブアプリを仮想化するとパフォーマンス低下。 | RoM の小規模ゲームですら速度が死活問題だった 80~90 年代。 |
A/B partition や OSTree 型 “全イメージ” 交換。
任意時点へ atomic rollback;カーネル更新も Live-patchable。
デメリット | 背景 |
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ストレージ消費 OS イメージを常時二重に保持。組み込みでは致命的。 | HDD が高価・遅い、SSD がない時代には非現実的。 |
アップデート粒度 小パッチ配布より帯域を食う。 | ダイヤルアップ回線や CD リリースが主流で “差分パッチ” が合理的だった。 |
systemd-や Kubernetes-風の “状態 = 宣言” を1か所に。
デメリット | 背景 |
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学習曲線 既存の `vim /etc/xxx.conf` 流儀や regedit から大きく変わる。 | 管理者層が “設定=テキスト or レジストリ” に慣れ切っていた。 |
複雑なマイグレーション 全サービスが同時に対応しないと一貫性が壊れる。 | OSS は分散開発で統一仕様を打ち立てる強権がなかった。 |
ベンダーは署名した “driver capsule” をリリースするだけ。
デメリット | 背景 |
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パフォーマンス JIT / interpreter を挟むぶんネイティブより遅い。 | 当時 JIT 技術が未成熟で、リアルタイム I/O を捌けなかった。 |
ハード依存 API DMA や割込みの抽象化が難しく、結局 “逃げ” でネイティブ部が残る。 | 旧 OS ではベンダがアセンブリ最適化で差別化していた。 |
ユーザー空間 API は async/await; カーネルはメッセージ転送中心。
NUMA・GPU・FPGA などヘテロ資源を first-class に。
デメリット | 背景 |
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コード複雑化 async/await で “状態機械” を書けないとデッドロックを誘発。 | 90 年代はシングルコア前提で同期 API が単純・高速だった。 |
デバッグ困難 スタックトレースが非同期に飛び、ツールチェーンが未整備。 | OS デバッガ/プロファイラがプリエンプティブスレッド中心に設計されていた。 |
Capability + Labels (MAC) + Hardware root-of-trust (TPM, DICE) を統合。
デメリット | 背景 |
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ポリシー設計負担 SELinux でも “設定が難し過ぎて結局無効化” が多発。 | 当時はネット接続率が低く、ローカル攻撃ベクトルのリスク認識が薄かった。 |
互換問題 古いアプリが過剰特権を要求し、制御を有効にすると動かない。 | 商用ソフト対応を優先し無効化せざるを得なかった。 |
すべての公式バイナリは reproducible build エビデンスと SBOM 付与。
脆弱性スキャンと revocation を OS レイヤが自動化。
デメリット | 背景 |
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ビルドパイプライン整備コスト 全パッケージを byte-identical に再現するにはツール統制が必要。 | オープンソース文化自体が黎明期で、ビルド環境を標準化する動機も手段も希薄。 |
秘密ロジック公開の葛藤 一部ベンダはソースハッシュ公開を嫌がる。 | IP 保護が優先され、署名のみ・SBOM なしがデファクトだった。 |
User Apps (Wasm / OCI Sandboxes) ------------------------------------- │ Capabilities ▼ Services ──▶ Driver Svcs(user-space) (Pkg, GUI, FS) ------------------------------------- │ syscalls = message send / recv (stable ABI) ▼ Microkernel ~100 kLoC, memory-safe (sched, vm) ------------------------------------- │ Secure IPC (SMC / VTL) ▼ Hypervisor(optional, for legacy guests / composable sandboxes)
Legacy Compatibility は Type-2 ハイパーバイザで提供し、歴史的 API を隔離。
UI Stack もユーザー空間サービスとしてホットリロード可。
Policy Engine で JSON/YAML 宣言→バイトコードへ compile、ランタイム適用。
教訓 | 新 OS プロジェクトでの対策 |
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Linux: 大規模パッチはレビューパンクする | GitHub PR + 公式 LTS gatekeeper、CLA & コーディング規約を機械検証 |
Windows: Close-source で内部知識が属人化 | 100% open-design、Spec⇄Impl 双方向ドキュメント、自動生成 |
両者: “一社主導 vs 実質無政府” の二極端 | 財団モデル (Rust, Cloud Native) で技術運営と商用版の両輪 |
これらを先天的に組み込むことで、Linux/Windows が数十年かけて抱えた技術的負債(巨大特権領域・ABI拘束・設定の散逸・更新の非原子性 etc.)を回避しながら、クラウド・エッジ・IoT・AI アクセラレータ が混在する 2020-30年代以降の計算環境に即した OS が実現できます。
国家プロジェクトれべるだわ
先日開催されたホロライブのリアルライブ、hololive 6th fes. Color Rise Harmonyに参加してきた。演目は2日目に開催された「CREATORS' STAGE」だったのだが、良かったところを探す方が難しいくらい楽しむことが出来なかったので、その理由や反省点をここに残す。
なお、楽しめた人を否定するつもりは全く無い為、「会場にはそういう人もいたんだな」くらいに思って読んでくれると幸いだ。またもし同じ思いをした人がいたら「一人じゃないんだ」と安心したいので反応をもらえると大変嬉しい。
・20代後半女性。ホロライブは2年前に切り抜き動画から知って、今はほぼ箱推しでJP・EN・ID問わず視聴している。主にオリジナル曲の視聴やゲーム実況、雑談配信を楽しんでいる。(いわゆる推しはいるが、名前を出すと迷惑がかかる可能性があるので割愛する。)
・様々なジャンルの音楽系イベントやライブに参加するのが趣味。年に10〜15回参加している。
・ホロライブが好きな20代後半の恋人とチケットを取って参加した。ライブイベントに参加したことはない。私同様オリジナル曲やゲーム実況を中心に視聴している。
何も見えなかった。私は身長158cm、20代女性の平均身長と同じだが何も見えなかった。メインステージは本当に微塵も見えず、たまにサイドモニターの上部が見える程度だった。アリーナ席しかないことは幕張メッセを会場と使用していることからもわかるが、ここまで見えないとは思っていなかった。サイドモニターの上の方しか見えない為、メンバーの姿は確認できなかったし、表情も全くわからなかった。メインターゲットが男性なのはわかっていたが、ここまで低身長が何も見えないとは思わなかった。なお恋人は170cm程度だが周りに高身長の海外ニキが多かったこともあり私同様に何も見えていなかった。座席の運もありそう。
もう何も見えないなら音に集中しようと思うも、音響が酷い。ただ音が大きいだけ。これはもうこれ以上言うことがない。こんなに酷いなら配信チケットを買って家で視聴していればよかった。ライバーもちゃんと高画質で見れるし。
開演までの待ち時間でしか使わなかった。立っていても何も見えないので座って視聴する意味はないし、何よりステージが左右に2つあるのに椅子がパイプ椅子なのだから、座っていたら片側のステージしか見ることができない。背伸びしてなんとかステージを一目見ようとした時に身長のカサ増しに役立ったくらいだ。規制退場等も無かったので終演後に座る時間もなく、本当にある意味がわからなかった。途中で気分が悪くなったりしたら座れるはありがたいので椅子自体はあってもいいと思うが、方向が固定されているのは意味がないのでは?というかそもそもステージ2ついるのか?
センターステージ(箱型ステージ)はすごく面白かったが、せっかくなら私のようなどちらのメインステージを見ることができない人向けに、センターステージで誰も踊っていない時はそこでメインステージのアップの映像を流すなりなんなりしてほしかった。ちなみにセンターステージは座席的に一番ちゃんと見ることができるはずだったが、近くのオタクがずっと激しくペンライトを高く上げて振っていた為ほとんど見えていない。もっと高い位置にセンターステージを上げて欲しかった。というかオタクがペンライトを上げすぎないように「頭より高く上げないこと」等のルールを制定してほしい。ルールが無さすぎる。
純粋にパフォーマンスを楽しむつもりで来ていた為私も恋人もペンライトを購入しなかったのだが、4回くらいあったMCは全てペンライトを使ったレクリエーションの時間が含まれていたので、ペンライトを持たない人間はすることがなかった。ライバーも「全員ペンライトを持ってきてる」ということを前提で話を進める為、「ペンライト持ってない人はそもそも入っていけないんだな」と疎外感を感じた。ここまでガッツリペンライトを用いるのなら、いっそチケットにペンライトを付けてほしい。または「ペンライトを用いたレクリエーションが多く含まれるので購入をオススメします」くらいの文言はチケットの購入ページに書いてほしい。
「みんな、例のあれでMCを締めますよ!せ〜の!」といきなり言われて会場の全員が「カラーライズハーモニー!!」と叫び出した時は本当に驚いた。どうやらこの前の日のライブで「MCの最後には「カラーライズハーモニー(今回のライブの名前)」と叫んで締める」という流れが形成されていたらしいが、前日のライブを観ていないのでそんなことは知らなかったし、説明がなさすぎて本当に怖かった。普段増田が行くライブイベントでは「今日初めて来た人もいると思うから説明しますね!」という時間が設けられることが多い為、説明のなさに驚いた。「ここに来るオタクなら全部のライブを視聴してきてますよね?」という無言の圧のようなものを感じて「身内ノリキツいな〜」と感じた。しかしそう思うのは増田のような逆張り厄介オタクだけで、会場にいるほとんどのオタクは一体感を感じて盛り上がっていたと思うので、私がそもそも身内ノリに乗り切れてないのが良くないんだと思う。
なんというか、小綺麗に歌ってた。全力で歌ってないというかあくまで音源通りのパフォーマンスなので、ライブならではの全力で声を出している感じはないし、ぶっちゃけ事前収録と言われても全然信じられるくらいライブ感はなかった。全体曲も一気に全員出てきて歌っただけなので、サプライズ感もなかった。徐々に出てきてソロで歌うパートがあったりしたら嬉しかった。何より私は視界情報がゼロだったので。
唯一パフォーマンスする曲を事前に公開していた演目だったとはいえ、「and more…(他にも曲を披露するかもという匂わせ)」と書かれていたのに、プラスでやった曲が全体曲の2つだけというのは満足感としてかなり微妙だった。これはバーチャルライバーのライブに普通の生身のアーティストと同じパフォーマンスを期待した私が悪いかもしれない。せっかく曲提供したアーティスト名を書いていたのに、本当に事前に公開していた曲しかやらないとは思っていなかった。堀江晶太と田淵智也の名前が書かれていたのを見て『灼熱にて純情(wii-wii-woo)』を期待していたし、GigaとTeddyLoidの名前を見て『AWAKE』『Let's End the World』を期待していたのがアホらしく思える。アーティスト名は客寄せパンダだったのかもしれない。まんまと釣られた。悲しい。
多分これは不可能。オタクは全身を使って盛り上がりたいので。MCの内容からも立ち上がることを想定されているので難しいと思う。
これもあまり期待できない。おそらくEXPOと同日開催するとなったら今後も幕張メッセの展示場をライブ会場にし続けるだろう。何よりメインターゲットである男性はあまり視界の悪さを覚えていないだろう。
ペンライトがあったらまだもう少し楽しめたかもしれない。ペンライトが無いとレクリエーションに参加する資格すらもらえないのなら、そうと書いていて欲しかった。
各メンバーのソロライブのように、SS席、A席、B席のようなランクをつけてチケットを販売してほしい。そうすれば私のような低身長でもまだマシな席で鑑賞できたかもしれないので。
昨年までの映像をちゃんと予習して、SNSでの情報収集をしていたらここまで残念な思いをしないで済んだのかもしれない。(今調べたところ、調べ方が悪いからかマイナス面の感想ポストはひとつも見つけられていないが。)
1階席しか存在しないことも、メインステージが無駄に2つに分かれていることも、事前に公開されていたマップで把握することが出来たので調査不足だったともいえる。まさかここまで人がギチギチに詰まっていて、だだっ広い会場だとは思っていなかったが。
私がライブを楽しめなかっただけならチケット代を勉強代だと思って潔く受け入れることができたが、恋人も私とほとんど同じ感想だった為、初めて行く音楽ライブで辛い思いをさせてしまったことを心から申し訳なく思っている。もっといいライブは存在するので連れて行きたい気持ちがあるが、「ライブってつまらないんだな」とこのライブで思ってしまったようでとても悲しく思う。初見で楽しめないライブに連れて行ってしまってごめん。
今後おそらくfesに参加することはないだろう。会場が幕張メッセじゃなくなって、2階席が生まれて、サイドモニターの高さが生まれて、全員座って鑑賞できるようになったら行くかもしれないが現実的ではない。そもそも何度か書いたが男性向けのニッチコンテンツなのは間違いない。150cm台の身長の人間が来る想定ではないし、コアなファンじゃないのにライブに行くべきではなかったのだ。
図らずも普段行っているライブのクオリティ、パフォーマンスのレベルの高さを改めて再確認できて良かった。それくらいしかポジティブな感想が出せない。
Many adults in East and Southeast Asia support free speech, are open to societal change
" people should be able to criticize the government in public"
韓国 83%
台湾 83%
インドネシア 75%
タイ 69%
日本 68%
マレーシア 63%
シンガポール 55%
"people should be allowed to publicly speak their opinions, even if they upset other people, or whether harmony with others "
タイ 59%
韓国 53%
ベトナム 52%
台湾 48%
香港 48%
マレーシア 45%
スリランカ 37%
日本 34%
シンガポール 34%
カンボジア 30%
Instrument: Sheng
https://www.youtube.com/watch?v=qkkA5yWrvww
Get to know the Chinese sheng, an instrument whose name invokes peace, harmony and balance between humans, nature and the universe. The sheng has a history stretching back many centuries, and is the ancestor of all free-reed instruments (such as the accordion, and the free-reed stops on the organ). It also inspires today’s composers, from China and around the world. Virtuoso sheng player Wu Wei demonstrates the versatility of his instrument, and how to prepare and tune it (including where to pour the hot water in!).
Discover the rest of our videos on the woodwind section in our playlist: • Woodwind Instruments (Philharmonia Or...
CHAPTERS
00:05 - Introducing the sheng
00:39 - Parts of the sheng
03:14 - Mounting the reed (part I)
06:33 - Meaning of sheng
13:03 - Mounting the reed (part II)
13:41 - Tuning
17:49 - Hot water
19:18 - Different sizes
20:07 - Learning the sheng
こんにちは、これはBingです。😊 外国語の単語+る、で動詞として定着している単語を表にしてください、というご依頼ですね。 私はウェブ検索を行って、いくつかの例を見つけました。1 以下がその一部です。
パニクる パニック(panic) 後方追加
ディスる ディスリスペクト(disrespect) 前方一致
トラブる トラブル(trouble) 後方追加
スペる スペランカー(spelunker) 前方一致
他にもありますが、ここでは省略します。 このように、外国語の単語+る、で動詞として定着している単語は、前方一致、後方追加、発音一致などのパターンがあります。 ご参考になれば幸いです。
他にあったら適宜追加します。
単語 | 元の単語 | 備考 |
サボる | サボタージュ(sabotage) | 前方一致 |
ダブる | ダブル(double) | 発音一致 |
ハモる | ハーモニー(harmony) | 前方一致 |
ググる | グーグル(google) | ググレカス |
パニクる | パニック(panic) | 後方追加 |
ディスる | ディスリスペクト(disrespect) | 前方一致 |
ミスる | ミス(miss) | 後方追加 |
トラブる | トラブル(trouble) | 発音一致 |
デコる | デコレート(decorate) | 前方一致 |
メモる | メモ(memo) | 後方追加 |
バズる | バズ(buzz) | 後方追加 |
スペる | スペランカー(spelunker) | 前方一致 |
前方一致:元の単語の後方が省略され「る」が付加されている
後方追加:元の単語にそのまま「る」が付加されている
=========以下追記分=========
ブコメとコメントから拾いました。全部拾えていないがご勘弁を。
個人的には、「ポシャる(なぜ「シャポる」ではないのか)」と「テンパる(麻雀用語からはやや異なるニュアンスで一般化した)」と「スタンバる(なんかトリッキー)」が興味深いです。
サチる | サチュレーション(saturation) | 前方一致 |
ディグる | ディグ(dig) | 後方追加 |
バグる | バグ(bug) | 後方追加 |
ネゴる | ネゴシエーション(negotiation) | 前方一致 |
ダフる | ダフ(duff) | 後方追加 |
タクる | タクシー(taxi) | 前方一致 |
コピる | コピー(copy) | 前方一致 |
スタンバる | スタンバイ(standby) | 前方一致 |
タゲる | ターゲット(target) | 前方一致 |
ネグる | ネグレクト(neglect) | 前方一致 |
ハウる | ハウリング(howling) | 前方一致 |
リムる | リムーブ(remove) | 前方一致 |
ファボる | フェイバリット(favorite) | 前方一致 |
ジャムる | ジャム(jam) | 後方追加 |
アピる | アピール(appeal) | 発音一致 |
アジる | アジテーション(agitation) | 前方一致 |
カニバる | カニバリゼーション(cannibalization) | 前方一致 |
エターナる | エターナル(eternal) | 発音一致 |
ポシャる | シャッポ(chapeau) | 特殊 |
テンパる | テンパイ(聴牌) | 前方一致 |
不運(ハードラック)と踊(ダンス)る | hard luckとdance | !! |
The Sacrament—and the Sacrifice
Of the Quorum of the Twelve Apostles
I pray for your faith and prayers that my utterances will be received and understood “by the Spirit of truth” and that my expressions will be given “by the Spirit of truth” so that we might all be “edified and rejoice together.” (See D&C 50:21–22.)
As I stand here today—a well man—words of gratitude and acknowledgment of divine intervention are so very inadequate in expressing the feelings in my soul.
Six months ago at the April general conference, I was excused from speaking as I was convalescing from a serious operation. My life has been spared, and I now have the pleasant opportunity of acknowledging the blessings, comfort, and ready aid of my Brethren in the First Presidency and Quorum of the Twelve, and other wonderful associates and friends to whom I owe so much and who surrounded my dear wife, Ruby, and my family with their time, attention, and prayers. For the inspired doctors and thoughtful nurses I express my deepest gratitude, and for the thoughtful letters and messages of faith and hope received from many places in the world, many expressing, “You have been in our prayers” or “We have been asking our Heavenly Father to spare your life.” Your prayers and mine, thankfully, have been answered.
One unusual card caused me to ponder upon the majesty of it all. It is an original painting by Arta Romney Ballif of the heavens at night with its myriad golden stars. Her caption, taken from Psalms, reads:
“He healeth the broken in heart, and bindeth up their wounds.
“He telleth the number of the stars; he calleth them all by their names.
“… His understanding is infinite.” (Ps. 147:1, 3–5.)
As I lay in the hospital bed, I meditated on all that had happened to me and studied the contemplative painting by President Marion G. Romney’s sister and the lines from Psalms: “He telleth the number of the stars; he calleth them all by their names.” I was then—and continue to be—awed by the goodness and majesty of the Creator, who knows not only the names of the stars but knows your name and my name—each of us as His sons and daughters.
“When I consider thy heavens, the work of thy fingers, the moon and the stars, which thou hast ordained;
“What is man, that thou art mindful of him? …
“For thou hast made him a little lower than the angels, and hast crowned him with glory and honour.” (Ps. 8:3–5.)
To be remembered is a wonderful thing.
The evening of my health crisis, I knew something very serious had happened to me. Events happened so swiftly—the pain striking with such intensity, my dear Ruby phoning the doctor and our family, and I on my knees leaning over the bathtub for support and some comfort and hoped relief from the pain. I was pleading to my Heavenly Father to spare my life a while longer to give me a little more time to do His work, if it was His will.
While still praying, I began to lose consciousness. The siren of the paramedic truck was the last that I remembered before unconsciousness overtook me, which would last for the next several days.
The terrible pain and commotion of people ceased. I was now in a calm, peaceful setting; all was serene and quiet. I was conscious of two persons in the distance on a hillside, one standing on a higher level than the other. Detailed features were not discernible. The person on the higher level was pointing to something I could not see.
I heard no voices but was conscious of being in a holy presence and atmosphere. During the hours and days that followed, there was impressed again and again upon my mind the eternal mission and exalted position of the Son of Man. I witness to you that He is Jesus the Christ, the Son of God, Savior to all, Redeemer of all mankind, Bestower of infinite love, mercy, and forgiveness, the Light and Life of the world. I knew this truth before—I had never doubted nor wondered. But now I knew, because of the impressions of the Spirit upon my heart and soul, these divine truths in a most unusual way.
I was shown a panoramic view of His earthly ministry: His baptism, His teaching, His healing the sick and lame, the mock trial, His crucifixion, His resurrection and ascension. There followed scenes of His earthly ministry to my mind in impressive detail, confirming scriptural eyewitness accounts. I was being taught, and the eyes of my understanding were opened by the Holy Spirit of God so as to behold many things.
The first scene was of the Savior and His Apostles in the upper chamber on the eve of His betrayal. Following the Passover supper, He instructed and prepared the sacrament of the Lord’s Supper for His dearest friends as a remembrance of His coming sacrifice. It was so impressively portrayed to me—the overwhelming love of the Savior for each. I witnessed His thoughtful concern for significant details—the washing of the dusty feet of each Apostle, His breaking and blessing of the loaf of dark bread and blessing of the wine, then His dreadful disclosure that one would betray Him.
He explained Judas’s departure and told the others of the events soon to take place.
Then followed the Savior’s solemn discourse when He said to the Eleven: “These things I have spoken unto you, that in me ye might have peace. In the world ye shall have tribulation: but be of good cheer; I have overcome the world.” (John 16:33.)
Our Savior prayed to His Father and acknowledged the Father as the source of His authority and power—even to the extending of eternal life to all who are worthy.
He prayed, “And this is life eternal, that they might know thee the only true God, and Jesus Christ, whom thou hast sent.”
Jesus then reverently added:
“I have glorified thee on the earth: I have finished the work which thou gavest me to do.
“And now, O Father, glorify thou me with thine own self with the glory which I had with thee before the world was.” (John 17:3–5.)
He pled not only for the disciples called out from the world who had been true to their testimony of Him, “but for them also which shall believe on me through their word.” (John 17:20.)
When they had sung a hymn, Jesus and the Eleven went out to the Mount of Olives. There, in the garden, in some manner beyond our comprehension, the Savior took upon Himself the burden of the sins of mankind from Adam to the end of the world. His agony in the garden, Luke tells us, was so intense “his sweat was as … great drops of blood falling … to the ground.” (Luke 22:44.) He suffered an agony and a burden the like of which no human person would be able to bear. In that hour of anguish our Savior overcame all the power of Satan.
The glorified Lord revealed to Joseph Smith this admonition to all mankind:
“Therefore I command you to repent …
“For … I, God, … suffered … for all, that they might not suffer if they would repent; …
“Which suffering caused myself, even God, the greatest of all, to tremble because of pain, and to bleed at every pore, …
“Wherefore, I command you again to repent, lest I humble you with my almighty power; and that you confess your sins, lest you suffer these punishments.” (D&C 19:15–16, 18, 20.)
During those days of unconsciousness I was given, by the gift and power of the Holy Ghost, a more perfect knowledge of His mission. I was also given a more complete understanding of what it means to exercise, in His name, the authority to unlock the mysteries of the kingdom of heaven for the salvation of all who are faithful. My soul was taught over and over again the events of the betrayal, the mock trial, the scourging of the flesh of even one of the Godhead. I witnessed His struggling up the hill in His weakened condition carrying the cross and His being stretched upon it as it lay on the ground, that the crude spikes could be driven with a mallet into His hands and wrists and feet to secure His body as it hung on the cross for public display.
Crucifixion—the horrible and painful death which He suffered—was chosen from the beginning. By that excruciating death, He descended below all things, as is recorded, that through His resurrection He would ascend above all things. (See D&C 88:6.)
Jesus Christ died in the literal sense in which we will all die. His body lay in the tomb. The immortal spirit of Jesus, chosen as the Savior of mankind, went to those myriads of spirits who had departed mortal life with varying degrees of righteousness to God’s laws. He taught them the “glorious tidings of redemption from the bondage of death, and of possible salvation, … [which was] part of [our] Savior’s foreappointed and unique service to the human family.” (James E. Talmage, Jesus the Christ, Salt Lake City: Deseret Book Co., 1977, p. 671.)
I cannot begin to convey to you the deep impact that these scenes have confirmed upon my soul. I sense their eternal meaning and realize that “nothing in the entire plan of salvation compares in any way in importance with that most transcendent of all events, the atoning sacrifice of our Lord. It is the most important single thing that has ever occurred in the entire history of created things; it is the rock foundation upon which the gospel and all other things rest,” as has been declared. (Bruce R. McConkie, Mormon Doctrine, Salt Lake City: Bookcraft, 1966, p. 60.)
Father Lehi taught his son Jacob and us today:
“Wherefore, redemption cometh in and through the Holy Messiah; for he is full of grace and truth.
“Behold, he offereth himself a sacrifice for sin, to answer the ends of the law, unto all those who have a broken heart and a contrite spirit; and unto none else can the ends of the law be answered.
“Wherefore, how great the importance to make these things known unto the inhabitants of the earth, that they may know that there is no flesh that can dwell in the presence of God, save it be through the merits, and mercy, and grace of the Holy Messiah, who layeth down his life according to the flesh, and taketh it again by the power of the Spirit, that he may bring to pass the resurrection of the dead, being the first that should rise.
“Wherefore, he is the firstfruits unto God, inasmuch as he shall make intercession for all the children of men; and they that believe in him shall be saved.” (2 Ne. 2:6–9.)
Our most valuable worship experience in the sacrament meeting is the sacred ordinance of the sacrament, for it provides the opportunity to focus our minds and hearts upon the Savior and His sacrifice.
The Apostle Paul warned the early Saints against eating this bread and drinking this cup of the Lord unworthily. (See 1 Cor. 11:27–30.)
Our Savior Himself instructed the Nephites, “Whoso eateth and drinketh my flesh and blood unworthily [brings] damnation to his soul.” (3 Ne. 18:29.)
Worthy partakers of the sacrament are in harmony with the Lord and put themselves under covenant with Him to always remember His sacrifice for the sins of the world, to take upon them the name of Christ and to always remember Him, and to keep His commandments. The Savior covenants that we who do so shall have His spirit to be with us and that, if faithful to the end, we may inherit eternal life.
Our Lord revealed to Joseph Smith that “there is no gift greater than the gift of salvation,” which plan includes the ordinance of the sacrament as a continuous reminder of the Savior’s atoning sacrifice. He gave instructions that “it is expedient that the church meet together often to partake of bread and wine in the remembrance of the Lord Jesus.” (D&C 6:13; D&C 20:75.)
Immortality comes to us all as a free gift by the grace of God alone, without works of righteousness. Eternal life, however, is the reward for obedience to the laws and ordinances of His gospel.
I testify to all of you that our Heavenly Father does answer our righteous pleadings. The added knowledge which has come to me has made a great impact upon my life. The gift of the Holy Ghost is a priceless possession and opens the door to our ongoing knowledge of God and eternal joy. Of this I bear witness, in the holy name of Jesus Christ, amen.
2022年は仮想通貨にとってはなかなかつらい感じでしたね。BTC大量保有のクリプト長者はガリガリ資産が減ってつらい日々を過ごしたのでは?
しかし現物を持たないクリプト庶民的には意外とチャンスも訪れたような気がします。ふるさと納税のために今年やったことを見返したので記録しておきます。
01/01 (最初)
2021年11月~12月に保有してた現物をほぼ全部処分しました。一部アルトの売却タイミングだけ歴史上の天井なのではというくらい完璧でしたが、それ以外はそこそここんがり焼かれました。
この時点ではクリプト資産のほとんどすべて USD なんちゃらの状態でした。
01/19(真面目)
FTX の参加できる最後の IEO 周りで良い合成ポジションを思いついたので張りました。ちょっとだけ儲かりました。
02/03 (真面目)
UST が断続的に下乖離していました。いろいろ調べましたがこの時点では問題ないと判断し FTX でレバかけて思いっきり UST-PERP をロングして FR をもらう生活してました。分散して指値撒いてましたが、上のほうしか刺さりませんでした。
ちなみにその後思ったより UST-PERP が上乖離してしまい、適当に入れてた指値がかかって利確されてしまいました。ちゃんと調整してれば倍以上儲かったと思います。
02/11 (真面目)
去年はそこそこ defi もいじっていたのですが、思うところがあって defi からすべての資金を抜き cex に戻しました。
03/20 (真面目)
FTX.jp が始まるとかで FTX から追い出されました。すべての資産をいったん別の cex に寄せました。
ここは去年そこそこ使い込んでいたのでかなりのコードが無駄になりました。本格的に引退を考え始めました。
05/14 (真面目)
LUNAが暴落してました。調べた結果ぐるぐる回ってる間はほぼ安全と判断してレバにだけ気をつけて LUNA-PERP ショート回してました。最後のほうは制限がひどくて全然ロットがはれなかった記憶があります。
判断が遅かったです。仕事が忙しくて片手間でやってたんですが、有給とってもうちょっと真面目に考えてれば 10 倍くらい儲かったと思います。2 月には UST-PERP をロングしてたのに何という手のひら返しだ。
05/14 (裁量)
LUNA ついでに USDT が下がってました。まあ大丈夫っしょってノリで USDT を思いっきり買いました
結果的には儲かりました。でも調査不足だったのでこういうことしてるといつか死ぬと思います。
06/23 (見物)
Harmony チェーンがハックされてました。いい戦略を思いつかなかったので指をくわえてみてました。
08/15 (裁量)
資金ダブらせるのもあれなので FTX.jp の EARN とヘッジショートでちょっとだけ金利もらうポジションをつくりました。
なんかこのころ BTC がぐいぐいあがってたので当分は脳死でいいかなと思った記憶があります。
09/15 (見物)
ETH がマージとかで騒がれました。いい戦略を思いつかなかったので仕事してました。
直感では ETH もしくは ETH/BTC をマージ直前に売るのがいいと思ってましたが、直前っていつだよって問題といつまで売るんだよって事に解を与えられませんでした。
FTX.jp が破綻しました。夏に組んだ EARN/ヘッジショートのポジションの資金が相当入っていたので激焦りしました。
破綻直後は出金できないもののトレードはできたので、急いでポジションを整理し FTX.jp 内の資金を完全に日本円にして出金かけました。が、出金されません。
twitter で見た最後の出金報告から数時間後とかだったのでもう少し早ければと滅茶苦茶後悔しました。
とはいえまだ恐慌の序盤感があり FUD 本番がこれからきそうだったので、いろいろな草を FTX.jp の外でショートしました。
その後 FTX.jp が一瞬日本円出金できる期間がありその隙に残高はすべて出金できました。
絶え間なくいろいろなニュースが入ってきまくっていましたが、ニュースが途絶えたタイミングでショートもクローズしました。
出金できたため、なんだかんだでこのイベント全体ではプラスに終わりました。
具体的なビジョンもないのに金を cex に放置することのリスクを改めて痛感したのでいったん仮想通貨のほぼすべての資金を抜きました。
あらためて書いてみたら今年はびっくりするぐらい何もしてませんでした。去年は調査とトレードのためにそこそこコードを書く botter くずれでしたが FTX 追い出し決定あたりから完全にやる気をなくして撤退してますね。
しかしこれが結果的に身を救うことになるとは……バブルのころイキって金融庁に文句いってたのが恥ずかしいですね……
defi からも途中で全撤退しました。Harmony ハックを回避したナイス判断のようにも一見みえますが、Harmony は元からまったく関与していなかったので実は何も回避していません。
結局なんやかんやで年間 300 万円くらいのプラスだったと思います。仮想通貨をいじっていると基本資産がドル建てになるのですが、ドル円が上がったことにも大いに助けられました。
あと FTX 破綻のタイミングでドルを円に戻したらその後の円高振り戻しを回避できました。純粋にラッキーでしたね。
twitter にいるクリプト賢者達は今年でさえも景気がよさそうな人が多くてうらやましい限りです。でもクリプト庶民はバブルに全力で踊って冬は自分の人生を楽しむぐらいが分相応だと思います。
これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。
ただ、内田が、
「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。
というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。
たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。
そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。
家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。
アレックス・カーが20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。
おりしも建設省に代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代。
アメリカの7倍のコンクリートを使って日本の山河をコンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。
その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。
「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。
A・カーは、フェアプレイの精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者のトップが黒海に豪奢な別荘を保有し、人民は実質的に農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治の開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。
「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司の説教がブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖。
最近、想起するのはやはり旧統一教会。家族の価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族が崩壊している、といった、「おまゆう」問題。崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするときの動機付けのメカニズムなのだ。
内田と永井の議論のテーマのひとつである人権・平等。あたかも普遍的な原理についても、
それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。
アメリカの建国者の一人、トーマスジェファーソンは人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。
これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。
どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者の懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質が人民に備わっていると信じて建国者はデモクラシーを設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法の価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権の矛盾が、南北戦争の北軍の正当性を決定的にする。
内田の議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要なキーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。
「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。
これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係ないかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。
内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。
舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後は憲法そのものがアメリカの経験に基づいたものだ。
しかし、日本の人権教育は、残念なことに、人権の普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。
戦後、人権を外付け実装してきた日本は、そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。
今現在、旧統一教会問題で話題の、国家と宗教というテーマにしてもそうだ。
政教分離のキーワードとなるのは、恐怖からの解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西の課題だ。宗教といかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴに勝利した古代ローマ。
そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会を構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要が再確認された。それが言論の自由の関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場の比喩が生まれる背景ともなった。
他方、旧世界のフランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会の権威と苛烈な弾圧が恐怖であった。だから公共空間の合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランスの言論の自由は、その意味でカトリックを否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要な意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したことの歴史的な背景は深い。
このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。
それは、実は国によって微妙にコンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的な価値なら、なぜ何千年も克服できなかったかの意味を問うというか。
しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後の日本の裁判所も含めて。
でも、それこそが日本の人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。
その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの、感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。
内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは、自分の国や自分の家族、自分自身の歴史だと俺は思う。
自分や自分の先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理だけが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本のアジアや欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。
歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神を自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。
自分が理想とするものと現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。
自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。
ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要なキーになるし、国家と宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米の経験を教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決は行政が戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料を支出したことを違憲とした歴史的な判決で、戦争の経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法の仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国の精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。
しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通の体験、共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代。
50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。
「あの頃は」という共通の過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣の闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。
つまり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。
それが、失われ、外付けの価値観だけが、カラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。
永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代に
と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。
また、日本国憲法に組み込まれた歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。
それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、
視聴者からは、おしんは私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。
しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ。
しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会、バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争の記憶との関連が薄まった。当然、日本国憲法のリアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教と国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。
しかし、いずれにしても過去の記憶と憲法の規範が直接に結び付かない、その世代の経験、そこに、永井が紛争国の辺境の地を自分のテーマに選んだヒントがあるように思えてならない。
紛争のリアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生のときに知った人権、そして憲法の価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。
しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。
私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこからは自分が母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親も単身赴任でしたし。
といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。
「全然、人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。
動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的なロールモデルとは限らないのだ。
この体験と辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。
読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。
A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.
01.Never say never
シンデレラガールズの10年を振り返るトップバッターにはこれ以上無い選曲だったのではないでしょうか。
あーこんな曲だったなと思った。
いきなり来るのかとびっくりした。
5位にはびっくりしたけど神的にいい曲だから納得した。
04.パ・リ・ラ(Long Intro Ver.)
05.Just Us Justice
まあみんないるしやるよなあと思った。
がのちゃんすごかった。
歌が上手くて聞いてて気持ちよかったけどみのりんごにもいてほしかった。
08.Age14が歌う『リトル・リドル』
ひーがあざとくてかわいかった。
ミリオンリアブでミュージカル調のライブやったみたいに再現してほしかったなあと思った。
贅沢なことを考えていると曲を聴きながら思った。
めぎゅもいるから後は富田がいればBrand new!オリメンいけるなと思った。
入り方がギャグみたいだったけど合ってた。
やるんだあと思った。
本当にやらなかったからここをレイナンジョーにしてほしかった。
選曲も組み合わせもなんかしっくりこなかった。
めちゃくちゃよかった。
富田もせえなもいることが半面したのでとてもテンションが上がった。
GJGはライブで楽しいことを知ったのでこれから毎回やってほしいと思った。
そんなユニットあるんだなあと思った。
ななみんがいるのでこれはソロがランクインしているんだなと思った。
18.躍るFLAGSHIP
マジでめちゃくちゃよかったんだけどもうこれ絶対佐藤心はいないんだなと悲しくなった。
でもライブ自体はめちゃくちゃよかったから早くアーカイブで見直したい。
やるんだあと思った。
完璧な人選に完璧な選曲だったのでJUNGOは素晴らしい方なんだなと思った。
自分がO-Ku-Ri-Mo-Noきっかけの復帰勢なのでとても刺さった。
さっきの前半MVPが一瞬でこっちになった。
U149は漫画として大好きなので、「第三芸能課です!」でやられた。
欲を言えば橘にいてほしかったがともよが出てきたのでオッケーだと思った。
ランクインしてて驚いた。
めちゃくちゃよかった。
人数が少なくてびびった。
26.Nocturne
とてもよかった。
なんかNocturne歌ってる時の渕上舞だよがやけにかっこよいアイドルに見えた。
みんな歌もうまかった。
でも楓さんは来ないんだなと確信した。
27.こいかぜ
最初にシルエットだけ映して会場をどよめかせるあたりでJUNGOのにやけ面が浮かんだ。
めっちゃびっくりしたしめっちゃ良かったし生で聞けるとは思ってなかった。
でも21位は結構低いと思った。
良い曲だった。
29.オウムアムアに幸運を(Short Outro Ver.)
30.青空エール(Long Ver.)
やるとは思ってなかったので嬉しかった。
歌詞が本当に素晴らしい曲だと思った。
32.Let's Sail Away!!!(Long Intro Ver.)
琴歌の声が聞こえにくかった。
Brand new!が来ると思ってたのでびっくりした。
この曲に投票したファンは神的に良い人だしセンスがあると思う。
曲もいいし歌唱も全員安定感があった。
35.Life is HaRMONY(Long Intro Ver.)
初披露なんだと思った。
36.THE VILLAIN'S NIGHT
37.Hungry Bambi(Long Intro Ver.)
人気のある曲だと思ってたけどランクインしてなくてびっくりした。
39.Yes! Party Time!!(Long Intro Ver.)
最終ブロック前だけど十時がMCもバックダンサーもしてないので出演を確信した。
めちゃくちゃ楽しかった。
40.Orange Sapphire
YPTの後にやったら死人が出ると思った。
41.Twilight Sky
順位に納得した。
とても良かった。
42.Tulip
完全体はやはりいいなと思った。
43.Brand new!
マジで最高にめちゃくちゃ良かった。
すげえ良かったし期待通りだったし生バンド最高だった。
44.Stage Bye Stage
楽しい曲だった。
45.GOIN'!!!
ひーが出てこないので妙だと思った。
神的に楽しい曲なので神的に楽しかったしモニターにデレアニ流れてたからデレアニも見直したくなった。
1位なんだあと思った。
生バンドがとても良かった。
やっぱひーらーけは凛ちゃんが好きだなと思った。
47.S(mile)ING!(Long Intro Ver.)
2番の途中あたりで大槻唯のソロ曲はランクインしなかったということに気づきショックを受けた。
十時が来るのは確信してたけどなんだかんだで8人も揃うと感動するなあと思った。
後は担当ではないんだけど歴代CGの並びにウサミンがいるのはなんか嬉しかった。
良い曲だね。
人が多いと思った。
なんか前の人が泣いてた。
U149はメインのアイドル達は当然としてもゲストで出てくる年上アイドルの扱いもとても上手なのでロリコン以外にも読んでほしいと思った。
後はプロデューサーの扱いも難しいと思うんだけどちょうどいい塩梅の立ち位置だと思う。
50.お願い!シンデレラ
歌詞が良いと思った。
悪の帝国 Oracle が Java を有償化し重税を課そうとしたその時、正義の勇者 Amazon が立ち上がり新しい Java 実装 Corretto を無償で広めて救ったのだ!
……という情弱が好きそうなデマがあるんだが、こんな陳腐なシナリオに喜んでいるようではインチキなテック系 YouTuber に食い物にされてしまうぞ☆
Oracle レジスタンスはいた。彼らは Oracle の中に潜んでいたんだ。
時は2005年に遡る。
Java を開発した 米 Sun Microsystems は赤字にあえいでいた。
2004年に Java 5 (目玉機能はジェネリクス) がリリースされてしばらくの頃だ。
この頃、ひとつのオープンソースプロジェクトが立ち上がる。名を Apache Harmony という。
開発は2005年5月に開始され、2006年10月には Apache 財団のトップレベルプロジェクトとなった。
Sun は多数の企業をまきこみ、いろんな企業に Java™ をライセンスしていた。
Java の実装は Sun が持っていたが、各社が独自に実装したり、Sun と契約してコード提供を受けたりしていた。
Java™ を名乗るためには Technology Compatibility Kit (TCK) という互換チェックをパスしなければならない。
初期の Java はオープンソースではなかった。誰もが自由にコードを参照し用いることができるものではなかったんだ。
これをオープンソース化しようという野心で始まったのが Apache Harmony プロジェクトだ。
Java の実装をいちから書き起こしオープンソースの代表的な Apache License Version 2 ライセンスで提供したのだ。
しかし、Sun は Apache2 ライセンスを良しとせず、Harmony に Technology Compatibility Kit (TCK) を受けさせなかった。
なるほど。彼らが Java をオープンソース化したレジスタンスだったわけか?
違う。話はそんなにシンプルではない。
2006年 Sun は Java をオープンソースにする意志があると発表した。
Sun は Java を リンク例外付きの GNU General Public License でオープンソース化することにした。
Harmony のライセンスは自由な改変を認めるものだった。
OpenJDK のライセンスは派生物を作ったなら、そのソースコードの公開義務がある、という点が大きな違いだった。
OpenJDK は出た当初はまだ Sun の JDK との非互換が多かった。しかしこれが現代まで続く OpenJDK の始まりだったのである。
2007年11月 GoogleがAndroidを発表した。 Android は Java 言語で開発することができる。
そのベースとなったのは Sun との火種くすぶる Apache Harmony だった。よりにもよって!
(後にGoogleが負けて賠償し、現在のAndroid は OpenJDK ベース)
その渦中、赤字に喘いでいた Sun はついに身売りを決断する。2009年のことである。
当初 IBM との交渉が報じられていたが金額で折り合わなかったようだ。
そこに颯爽とあらわれたのが Oracle である。 Oracle が Sun Microsystems を買収することになった。
しかし Oracle にはよくない噂がある。敵対買収してプロダクトを潰してしまうという黒い噂だ。
Sun の Java も Oracle に食い物にされてしまうんじゃないか、いわゆる 「悪のOracle」 のイメージはこの頃からのものだ。
しかし、 Sun はすでに Java をオープンソース化していた。 派生物もオープンソースにしなくてはならない OpenJDK で!
Oracle は Java を Sun 社ごと買ったが、 Java はすでに独り占めできるようなものではなかった。
Sun 本家の JDK を引き継いだ Oracle JDK と、OpenJDKがついに統合される。
Oracle がソースコードを OpenJDK に寄贈し、 Oracle JDK も OpenJDK ベースとなった。
ここに OpenJDK への移管は完全となり、Javaのオープン化は成就した。
それまでの OpenJDK は Oracle JDK との非互換が不安視されていたわけだが、Java11 からはその不安もなくなった。
こうして完全にオープン化された Java は、各サードパーティーからディストリビューションが出るようになった。
Java11 での Java のオープン化を経て、Javaはディストリビューション乱立時代へと突入する。
Amazon Corretto もそうした OpenJDK の派生ディストリビューションのひとつである。
OpenJDK の開発は今なお Oracle が主力となって牽引している。
Java を解放しようとしたレジスタンスは、赤字に喘いでいたSunの中にいた。
たとえ Sun が身売りをすることになろうとも、Java を邪悪な独裁者の手に渡さないように。
Sun が倒れてしまう前に Java はオープン化された。Javaの仕様策定は Java Community Process (JCP) にて行われる。
Javaの仕様策定は Oracle の独断で進めることはできない。 OpenJDK の開発も Oracle の独断ですることができない。
GNU General Public License でオープンソース化された Java は、派生物のライセンスもGPLが強制されソースコードを公開しなければならない。
そんな OpenJDK をリリースした、当時の Sun の中の人達こそがレジスタンスだったんだ。
プリコネを引退したのはペコキャルのカップリングが不快に感じることになったのが理由だ。
今週のラジオのオープニングショートドラマを聞いて自分がペコキャルの組み合わせに辟易していることに気づき引退に至った。
アニメでも主人公とコッコロ、ペコとキャルという組み合わせが強調されるように感じ3人共ヒロインのはずなのに格差のようなものを感じた。
元々美食殿の仲の良さは大好きで、それがよくわかるConnecting Happy!!やYes! Precious Harmony!も大好きな曲だったが最近のペコキャルは仲がいいというレベルを超えてしまっていると思う。
ギャルゲーの攻略対象のヒロイン同士が友情の範囲を超えて仲良くなっているところを無理やり見せられている気分である。
もちろんペコキャルは全くもって友情の範囲だと言う人もいるだろうが、自分にとっては仲のよさが度を超えているように思い気持ち悪く感じるようになってしまった。
他にもキャル役の声優、立花理香に対しての不快感も引退の理由の一つだ。
若月選手と結婚を発表した時は祝福すると共に声優を辞めることはだけはしないでくれと思ったが今ではそんな気は微塵もない。
演技が下手なのに演じているキャラが人気(アニメでより高まった)だからか生放送やラジオで自己主張が激しく不快。
YouTubeの生放送でとりあえず小倉唯を天使のように扱っておけば視聴者から好感を得られるだろうと思っているのがミエミエだったのが不快。
Abemaの生放送で一人明らかにネタに走ってクレープに米を入れていたのにその後ラジオでネタではなくちゃんと作ったというようなことを言っていたのが寒く不快。
他のコンテンツで名前を見るのも嫌になったので、プロ野球も開幕したことだし若月選手が好成績を残し、年俸がアップして立花理香が専業主婦になることを願っている。
最後にnetflixの”get down”というドラマにも触れておきたい。ヒップホップの創生について描いたドラマである。監督は”華麗なるギャツビー”を手掛けたバズ・ラーマン。jaden smithがハウスのクラブで、友達の男の子とキスをするシーンが話題になった。
ハウスは元々シカゴのゲイディスコ”ウェアハウス”を由来とする。ヒップホップも元々、ディスコを由来としていて、初期はエレクトロなどの引用(サンプリング)が多かった。故にハウスとヒップホップはディスコを親とした兄弟と呼ばれたりもする。
例えばSlum Villageのdj dezという人物は象徴的で、ヒップホップDJでもあり、ハウスDJでもある。Andresという別名義で、moodymannというディープハウスの大御所のレーベルからリリースしてたりもする。
上記したキスシーンは、不寛容の時代から、現在へとブリッジするものとして描かれた(ようにかんじた)。少なくともラッパーが同性とぶっちゅーなんてのは、20年前にはできなかった表現である。
Slum Village "Fall in love"
https://www.youtube.com/watch?v=s732BigTxZk
https://www.youtube.com/watch?v=nPT0Zw0z90g
Jose James "Desire (moodymann mix)”
https://www.youtube.com/watch?v=WHNZy-9u2FU
"Get Down"
https://www.youtube.com/watch?v=FYcVrWDOiao
補足。
Childish Gambinoは役者、コメディアンとしても活躍しており、netflixなどで公開されている”Atlanta"はべらぼうに面白い。
元嫁に尻に敷かれまくりながらも、養育費のためにがんばるサウスの男のお話。
Frank Ocean "Super Rich Kids"はソフィア・コッポラの”ブリングリング”の劇中歌である。おもろい映画なので、おすすめしたい。
歌うラッパーは昔も少数いた。Outkast、Ceelo、Bone Thugs N Harmony、Nelly、Nate doggなど。今のように誰でも歌ってる訳ではなかった。
SNSの活用で一番最初に売れたのはSouja boyである。然しながら、今日のTypicalな成功例とはすこし趣が違っている。彼の場合は、まずダンスが先行した。
Kodie Shane "Sad"における三番目のナードな男の名前が"Napoleon"なのは、"バス男"("Napoleon Dynamite")からの引用と思われる。いい映画です。勝手な邦題の暴力性よ。
Beautiful Harmonyは、株式会社ユノスのアダルトゲームブランド、ゆずソフトが2006年7月28日に発売した
18禁恋愛アドベンチャーゲーム、『ぶらばん! -The bonds of melody-』のオープニングテーマ。
作曲:Famishin
歌はメインキャラクターの1人、"中ノ島妙"役を務める声優/歌手の榊原ゆい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B6%E3%82%89%E3%81%B0%E3%82%93!_-The_bonds_of_melody-
「令和」は「beautiful harmony」海外に説明へ | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190403/k10011872111000.html
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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1日 | 1961 | 238802 | 121.8 | 41 |
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