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「Dreamweaver」を含む日記 RSS

はてなキーワード: Dreamweaverとは

2025-04-03

子どもが家を出た。

子どもが家を出た。

4月から社会人になった娘が一人暮らしを始めた。

小学生のある時期、超能力者だった事もある娘だ。

https://anond.hatelabo.jp/20230622095834

の子と初めて会った頃、私は既に不惑を過ぎていた。

当時、まだブログというものは無くて、Dreamweaverで作ったホームページ掲示板機能を追加、好きな音楽の話やPDAPalmOS端末が盛んな頃だった)についての話を書き、大学時代の友人達と内輪で楽しんでいた。

ところが、やがて掲示板荒らしが来るようになってしまい、その対応が煩わしくなった。

もう少しクローズド環境で遊びたいよね、というタイミングで、まだ招待制だったmixiを始めた。

当時のmixiには様々なコミュニティがあり、比較マイナー海外ミュージシャン情報等が得られる貴重な場でもあった。

そのうちに、音楽とは関係のないコミュニティ20代女性と知り合う。

YahooチャットSkype他愛もないやり取りをしているうちに、彼女の頭の良さ、人柄に惹かれるようになった。

彼女には当時生後6ヶ月になる娘がいた。

の子が、生後10ヶ月の頃に私の娘になった。

結婚はおろか、親になることなど全く想定していなかった人間だったので、夫という立場父親という立場には戸惑いの連続だった。

妻とは年齢が一回り以上離れており、育ってきた環境も大きく異なる。

結婚当初は些細な事での言い争いが絶えなかった。

妻は、話し合いの重要性を理解している人だった。

しかし私は、話し合いが深くなる過程自分自身問題直視せざるを得なくなるのが嫌だった。

人と暮らすのは、このように苦しいものなのかと思い悩んだ。

不惑まで独り自由気儘に過ごしていたツケが一気に回ってきたようにも思えた。

それでも、妻のことは好きだし、この幼い娘に二度も父親を失わせるようなことはあってはならない、と思った。

自分自身を変えるしかなかった。

やがて、話し合いのテーマの8割は、子育てについての話になって行く。

娘の親として私は比較高齢であり、妻にも持病がある。

頼れる親戚も、莫大な遺産もない。

必然的に、この子は独りで、自分の力で生きる期間が長くなるだろう。

子育ての最大のテーマは「自立」になる。

経済的な自立、精神的な自立を手に入れさせる必要がある。

娘は、持って生まれ個性特性)がなかなか強い子なのだと、成長するにつれて分かってきた。

の子を、どうやって社会に馴染ませるのか。

今の社会不寛容さの中で無事に過ごすには、この子自身がそれを自覚して、社会自分とのズレをある程度調整する必要がある。

妻はそう感じていた。

娘の特性は、私のそれによく似ていた。

私は、幼い頃からマイペースな子だね」と周囲の大人に指摘される事が多かった。

所謂ASD的な傾向、ADHD的な傾向のどちらもが自分にあるのだ、親という立場になって初めてそう自覚した。

ただ、私の育った環境では、それはあまり珍しいものではなかった。

国家公務員官舎の集まった地域で、同級生の親は昭和一桁生まれにもかかわらず旧帝大卒が何人もいた。

総じて児童学力は高く、また当時は珍しい帰国子女受入校だった。

大卒保護者が多く、それなりに教育熱心な家庭の多い環境で過ごしているうちに、私もほどほどには勉強の出来る子になった。

ちなみに、私の父は高校中退だった。

父については、以前に書いた事がある。

https://anond.hatelabo.jp/20230202131807

何と言えばよいのか、少しばかり浮き世離れした、不思議な人だった。

森の小人人間世界に迷い込んで、なんとなくそのまま居着いたような。

大学卒業して働くようになってから、あの父を受け入れてくれていた社会、周囲の人々の寛容さを初めて理解した。)

そうして、自分の過ごしてきた環境を振り返ってみると、私のような子どもは決して珍しくなかった。

娘の特性心配している妻に、

「僕もこんな感じだったけど、別に気にする事はないんじゃないかな」

と呑気に答えていたが、それは私の育った環境がこうしたものだったからだ。

妻との対話の中でそれを認識した。

世間的に「生きづらい」とされるような個性が娘にはある。

だとすれば、様々な「世間」のうち、比較的この子が生きやすい側の世間を選びつつ、こちら側もある程度の調整をして行こう。

父や私が運良くそうしてきたように。

娘の個性は、それを理解してくれる人々の間では、おそらく大切にしてもらえるだろう。

小学校では、他の子たち、特に女子グループにはあまり上手く馴染めなかった。

同調すること、足並みを揃えること、それらが苦手なのは既に分かっていた。

学校とは別の居場所必要だ、と思った。

図書館には良く連れて行った。

自分自身経験から、本を読む習慣さえ身につければ、学業ではそれほど困る事もないだろう、と考えた。

子どもプログラミングをさせてくれるサークルを見つけて、ワークショップに何度か連れて行った。

小学校2年生くらいの頃だ。

やがて、地元に出来たばかりの子どもを対象としたプログラミングサークルに定期的に参加するようになった。

面白い大人大人っぽくない大人がたくさん居て、私にも居心地の良い場だった。

娘が浮いてしまわない「世間」がある、そう思った。

義務教育が終わったら、こちらの「世間」寄りの、この子と同質性の高い環境に入れてやろう。

そう考えて選んだのが、国立高専国立高等専門学校)だった。

学校説明会文化祭に連れて行くと、もう娘の眼中には高専以外の選択肢はないくらいに気に入っていた。

中学2年生になり、そろそろ受験のための準備をしなければならない。

塾というものはどうにも合わなかったようで、私が勉強をみることになった。

大昔の高校受験の頃を思い出して、一緒に参考書問題集を選んだ。

週末、連休夏休みは一緒に図書館学習室を借りて勉強した。

何かのゲームをしているようで、私自身、結構しかった。

振り返ると、娘を育てる過程で、私も一緒に遊んでいたような感覚がある。

子ども向けの展覧会イベントには、私が楽しめるものがいくつもあった。

デザインあ展、チームラボイベントワークショップコレクション科学未来館など、どれも楽しかった。

大人として、親としてそれらに参加しているという感覚はあまりなかった。

幸いにして合格して、コロナ禍の中、寮生活が始まった。

思っていた通り、娘にとっては実に居心地の良い学校だった。

ただ、無駄に行動力があり過ぎるために起こす問題で、しばしば親が学校に呼ばれる事もあった。

そこで、学校後援会というPTA的な保護者の会に参加して、保護者として学校との距離を縮める事にした。

高専という学校特殊性もあり、後援会には似たような考えで参加している保護者も多かった。

留年率が比較的高い中、毎年度の進級について心配する私に、

「目一杯遊ぶために、目一杯アルバイトする。落第は絶対にしない。そのようにリソース配分しています

と言って、本当にスレスレの成績で卒業した。

同級生の4割くらいは国立大学への編入などの進学組、娘を含む6割は就職組。

皆、全国各地に散らばってしまい寂しい、と言っていた。

そして、自分のやりたい分野の事業を手掛けている就職先で、今月から社宅での生活を始めた。

昨日一昨日の入社式研修を経て、今日が初出社。

社会に出たら出たで、やはり心配は絶えないが、ここからは離れて見守るしかない。

少し前に、娘と二人で駅から家まで歩いている途中、

「パパは、人としては「え、この人どうなの?」って思うところが割とあるけど、父親としては満点かな。まぁ、よく来たねw」

と言われた。

よく来たね、というフレーズは、私との間に遺伝子の繋がりが無い事を小学生の頃に知って以来、娘がよく使うものだ。

私にとっても実に面白い20年間だった、というのを書き記しておきたくて、長々と匿名日記に書いた(読む人が読めばすぐに特定出来てしまうけど、内緒でお願いします)。

子どもが家を出た。

子どもが家を出た。

4月から社会人になった娘が一人暮らしを始めた。

小学生のある時期、超能力者だった事もある娘だ。

https://anond.hatelabo.jp/20230622095834

の子と初めて会った頃、私は既に不惑を過ぎていた。

当時、まだブログというものは無くて、Dreamweaverで作ったホームページ掲示板機能を追加、好きな音楽の話やPDAPalmOS端末が盛んな頃だった)についての話を書き、大学時代の友人達と内輪で楽しんでいた。

ところが、やがて掲示板荒らしが来るようになってしまい、その対応が煩わしくなった。

もう少しクローズド環境で遊びたいよね、というタイミングで、まだ招待制だったmixiを始めた。

当時のmixiには様々なコミュニティがあり、比較マイナー海外ミュージシャン情報等が得られる貴重な場でもあった。

そのうちに、音楽とは関係のないコミュニティ20代女性と知り合う。

YahooチャットSkype他愛もないやり取りをしているうちに、彼女の頭の良さ、人柄に惹かれるようになった。

彼女には当時生後6ヶ月になる娘がいた。

の子が、生後10ヶ月の頃に私の娘になった。

結婚はおろか、親になることすら全く想定していなかった人間だったので、夫という立場父親という立場には戸惑いの連続だった。

妻とは年齢が一回り以上離れており、育ってきた環境も大きく異なる。

結婚当初は些細な事での言い争いが絶えなかった。

妻は、話し合いの重要性を理解している人だった。

しかし私は、話し合いが深くなる過程自分自身問題直視せざるを得なくなるのが嫌だった。

人と暮らすのは、このように苦しいものなのかと思い悩んだ。

不惑まで独り自由気儘に過ごしていたツケが一気に回ってきたようにも思えた。

それでも、妻のことは好きだし、この幼い娘に二度も父親を失わせるようなことはあってはならない、と思った。

自分自身を変えるしかなかった。

やがて、話し合いのテーマの8割は、子育てについての話になって行く。

娘の親として私は比較高齢であり、妻にも持病がある。

頼れる親戚も、莫大な遺産もない。

必然的に、この子は独りで、自分の力で生きる期間が長くなるだろう。

子育ての最大のテーマは「自立」になる。

経済的な自立、精神的な自立を手に入れさせる必要がある。

娘は、持って生まれ個性特性)がなかなか強い子なのだと、成長するにつれて分かってきた。

の子を、どうやって社会に馴染ませるのか。

今の社会不寛容さの中で無事に過ごすには、この子自身がそれを自覚して、社会自分とのズレをある程度調整する必要がある。

妻はそう感じていた。

娘の特性は、私のそれによく似ていた。

私は、幼い頃からマイペースな子だね」と周囲の大人に指摘される事が多かった。

所謂ASD的な傾向、ADHD的な傾向のどちらもが自分にあるのだ、親という立場になって初めてそう自覚した。

ただ、私の育った環境では、それはあまり珍しいものではなかった。

国家公務員官舎の集まった地域で、同級生の親は昭和一桁生まれにもかかわらず旧帝大卒が何人もいた。

総じて児童学力は高く、また当時は珍しい帰国子女受入校だった。

大卒保護者が多く、それなりに教育熱心な家庭の多い環境で過ごしているうちに、私もほどほどには勉強の出来る子になった。

ちなみに、私の父は高校中退だった。

父については、以前に書いた事がある。

https://anond.hatelabo.jp/20230202131807

何と言えばよいのか、少しばかり浮き世離れした、不思議な人だった。

森の小人人間世界に迷い込んで、なんとなくそのまま居着いたような。

大学卒業して働くようになってから、あの父を受け入れてくれていた社会、周囲の人々の寛容さを初めて理解した。)

そうして、自分の過ごしてきた環境を振り返ってみると、私のような子どもは決して珍しくなかった。

娘の特性心配している妻に、

「僕もこんな感じだったけど、別に気にする事はないんじゃないかな」

と呑気に答えていたが、それは私の育った環境がこうしたものだったからだ。

妻との対話の中でそれを認識した。

世間的に「生きづらい」とされるような個性が娘にはある。

だとすれば、様々な「世間」のうち、比較的この子が生きやすい側の世間を選びつつ、こちら側もある程度の調整をして行こう。

父や私が運良くそうしてきたように。

娘の個性は、それを理解してくれる人々の間では、おそらく大切にしてもらえるだろう。

小学校では、他の子たち、特に女子グループにはあまり上手く馴染めなかった。

同調すること、足並みを揃えること、それらが苦手なのは既に分かっていた。

学校とは別の居場所必要だ、と思った。

図書館には良く連れて行った。

自分自身経験から、本を読む習慣さえ身につければ、学業ではそれほど困る事もないだろう、と考えた。

子どもプログラミングをさせてくれるサークルを見つけて、ワークショップに何度か連れて行った。

小学校2年生くらいの頃だ。

やがて、地元に出来たばかりの子どもを対象としたプログラミングサークルに定期的に参加するようになった。

面白い大人大人っぽくない大人がたくさん居て、私にも居心地の良い場だった。

娘が浮いてしまわない「世間」がある、そう思った。

義務教育が終わったら、こちらの「世間」寄りの、この子と同質性の高い環境に入れてやろう。

そう考えて選んだのが、国立高専国立高等専門学校)だった。

学校説明会文化祭に連れて行くと、もう娘の眼中には高専以外の選択肢はないくらいに気に入っていた。

中学2年生になり、そろそろ受験のための準備をしなければならない。

塾というものはどうにも合わなかったようで、私が勉強をみることになった。

大昔の高校受験の頃を思い出して、一緒に参考書問題集を選んだ。

週末、連休夏休みは一緒に図書館学習室を借りて勉強した。

何かのゲームをしているようで、私自身、結構しかった。

振り返ると、娘を育てる過程で、私も一緒に遊んでいたような感覚がある。

子ども向けの展覧会イベントには、私が楽しめるものがいくつもあった。

デザインあ展、チームラボイベントワークショップコレクション科学未来館など、どれも楽しかった。

大人として、親としてそれらに参加しているという感覚はあまりなかった。

幸いにして合格して、コロナ禍の中、寮生活が始まった。

思っていた通り、娘にとっては実に居心地の良い学校だった。

ただ、無駄に行動力があり過ぎるために起こす問題で、しばしば親が学校に呼ばれる事もあった。

そこで、学校後援会というPTA的な保護者の会に参加して、保護者として学校との距離を縮める事にした。

高専という学校特殊性もあり、後援会には似たような考えで参加している保護者も多かった。

留年率が比較的高い中、毎年度の進級について心配する私に、

「目一杯遊ぶために、目一杯アルバイトする。落第は絶対にしない。そのようにリソース配分しています

と言って、本当にスレスレの成績で卒業した。

同級生の4割くらいは国立大学への編入などの進学組、娘を含む6割は就職組。

皆、全国各地に散らばってしまい寂しい、と言っていた。

そして、自分のやりたい分野の事業を手掛けている就職先で、今月から社宅での生活を始めた。

昨日一昨日の入社式研修を経て、今日が初出社。

社会に出たら出たで、やはり心配は絶えないが、ここからは離れて見守るしかない。

少し前に、娘と二人で駅から家まで歩いている途中、

「パパは、人としては「え、この人どうなの?」って思うところが割とあるけど、父親としては満点かな。まぁ、よく来たねw」

と言われた。

よく来たね、というフレーズは、私との間に遺伝子の繋がりが無い事を小学生の頃に知って以来、娘がよく使うものだ。

私にとっても実に面白い20年間だった、というのを書き記しておきたくて、長々と匿名日記に書いた(読む人が読めばすぐに特定出来てしまうけど、内緒でお願いします)。

2022-09-16

アドビデザインツールの「Figma」を買収 200億ドル

ユニコーンの角が折れた

本日AdobeによるFigmaの買収が発表され、私の愛するデザインツールは世のクリエイター達が唾棄するかの忌まわしいCreative Cloudの一員となることが決まった。ユニコーン以上の時価総額とされるデカコーン企業が開発する新進気鋭のクリエイティブツールFigmaAdobe軍門に下ったのだ。

Figmaのどこがクールだったのか

Figmaの最もクールポイントの1つとして、そのデザインのあり方がとてもオープンだということが挙げられる。ワンクリックURLを発行して共有、ブラウザ上で動作するのでインストール不要OS関係ない。PCに疎いクライアントだって簡単デザインのチェックができる。

これは単なる "Easy to share" ではない、デザインプロセスに変革をもたらしデジタルプロダクトのデザインを開かれたものにした。デザインのあり方そのものを変えたことがFigmaの最もクールな部分であり、Sketch比較して動作が軽快なことやAdobe XDよりもカラーマネジメントがまともなことは本質ではない。

["Illustrator", "Photoshop", "XD", ...AdobeProducts].push("Figma");

一方 Adobe提供するCreative Cloud本質的にGated Communityであり、毎月5000円程度の "Adobe税" を納めた者だけが居住を許されるエデンである問題金額多寡ではない、一般ユーザーAdobe CCなんて契約していないということ、そしてAdobeはAcquireした数多くのプロダクトをぶち壊してきたということだ。

Macromediaを買収したAdobeFireworksサポート打ち切りFLASHを亡き者にし、Dreamweaver倉庫の片隅に追いやった。大方のデザイナーFigmaの代わりにXDが無くなると予想しているが、Figmaだって無傷では済まないだろう。Figmaを取り巻くクールコミュニティは、クリエイティブの皮を被ったM&A企業 Adobeによって、クリエイティブ市場コントロールのために骨抜きにされたのだ。

Out of Cloud

Figmaを愛用してきた私たちはどうするのか。Figmaが買収されると聞いて目の前が真っ白になった。オマケ相手Adobe。これはCloudじゃなくってFogだ。

Figmaの対抗馬としてはSketchやInVision Studioが挙げられる。しかし、すぐに飛びつくのは尚早かもしれない。Sketchはかつて日本の、特にエンジニアに愛されていたがFigmaほとんどのユーザーを奪われた過去がある。InVision Studioは? オタクデザイナー以外誰も知らないだろう。

しか希望はある。すべてのクリエイターAdobeヘイトを集めていることを知っているのだ。機を見るに敏と、デジタルプロダクトデザインアプリ達は猛攻勢をかけるだろう。私たちはその可能性に賭け、できるだけクリエイティブ業界勢力図がカオスになるよう努めるべきだ。そもそもクリエイティブ市場がほぼ一社に独占されているのはかなりマズい状況だ。"クリエイティブたれ" と言われたみんなが同じ筆しか使えないのは正常なんだろうか? これは業界全体の敗北といっても良いだろう。

クリエイティブ業界札束で引っ叩き、そのイニシアチブを取って業界コントロールのみに奔走するAdobe私たちは立ち向かわなければならない。この業界が完全にAdobe支配されることはデジタルデザインの死だ。そのとき、"Creativity" の意味は "Adobe Score" なんかと同じものになってしまうだろう。

2022-06-01

会社DreamweaverいかVScode入れたけどリアルタイムブラウザ反映する拡張動かんぞおお

えぇ…他の探すのめんどくさ

2021-10-14

フロントエンド開発

昔のdreamweaverテンプレートとかライブラリ共有して、"サイト管理"で同期アップロード、みたいな時代に戻してもそれなりに成立するんじゃないかと思う場面が増えた気がする。気がするだけだが

2021-10-07

anond:20211007203321

DreamWeaverがそれに近かったと思うが

まあでもノンコーディングでも工数が同じぐらいかかったら同じだけどね

2021-09-08

anond:20210908154538

増田技術力ってその程度

この前は画面のデザインちょっと変わってたか自称デザイナーは社内におるんだろう(笑)

多分今はデザイナープログラマー兼任しててDreamweaverオーサリングするのがギリギリ精一杯だと思うよ

2021-01-21

anond:20210121111812

まさにWebページを作るのに

DreamweaverからはじめるかGCCからはじめるか、ベリログからはじめるか

みたいなもの

電子回路から始めた人には、それなりの深い知識があり

Dreamweaverから始めた人には、それなりの広い知識がある

同じ年齢なら、面積は一緒

同じどうよんでもたのし

2020-11-09

anond:20201109025257

今どき、dreamweaverなんて誰も使ってない。ソフト自体は悪くないが、だいたいVScodeで同じことできるしな。

anond:20190110011902

古い人間だが、Adobe Dreamweaver なんかどうなんよ?それか、Adobe XD とか?

2020-07-09

anond:20200709085209

最近で言えばIllustratorとかDreamweaverとかのアイコン

糞ダサ単色アイコンしかも全部違う色ならまだしも色かぶり多数)に変更されたことにガッカリしたけど

他のソフトにない「やっぱお前は凄えよ」って機能があるから離れられない。

悔しいけど使っちゃう(ビクンビクン)

2020-03-13

久しぶりホームページといふもの

40手前。学生時代ホームページといふものの作り方を学び、今もweb業界というか広告業界というかにいる。

当時は掲示板作って、カウンタつけて、同盟に参加し、aboutページパソコンスペックを載せ、flashでオープニング作てenterボタン押させるとかして。

在宅勤務によって家でパソコンに向かっていると当時のことを思い出してホームページといふものを作りたくなった。

初期のHTML5とかWordPressjqueryまでで知識が停滞しているので最近流行りはなんなのよと調べてみると、headless CMSとかvue.jsとかnext?nuxt?とか。もう訳わかんなくなってた。

なんかさ、個人ホームページといふものは、ブログしか成り立たなくなったの?FrontPageとかdreamweaverとかで作ってFTPでアップして、ape掲示板作って、キリ番でした報告もらうとか、ドキドキしながら相互リンク申請したりとかしたいんだけど。そういうインターネットはなくなってしまったの?

2019-12-05

エンジニア職に就いたあと辞めたポエム

補足→ https://anond.hatelabo.jp/20191205212350


これは退職アドベントカレンダー2019 (https://adventar.org/calendars/4051) 5日目の記事です。最初自分ブログに書くつもりでしたが、書いてるうちにどこまで筆が滑っているのかわからなくなったので増田に投げることしました。そしたら余計にタガが外れたのはご愛嬌

What's this

よく見かける「未経験からエンジニアへ!」ストーリーの、あまりなさそうなルートです。よくあるルートのほうはなぜかTwitterで報告して「○○系エンジニア」的な命名をしてから入社その後の動向が闇に葬られているのをかなりの確度で見かけますが、まあ、なんか、いろいろあるんでしょう。逆にそういう成功(?)体験生存バイアスを強化する情報ばかりあふれていると情報として健全でないように感じます

ということで、今年あった自分体験談を残すことにします。

といいつつ後日しれっと消えてたらInternetArchivesか魚拓で会いましょう。

この話はここから先はフィクションです。剣も魔法労基法も出てこないファンタジーです。

who are you

地方に潜むフリーターです。好きなvirtual beingsはロボ子さんと東雲めぐさんれいきらさんです。

これまでは自分のためのプログラムを書き散らすだけで、ITとは無関係バイトをしてきました。玉掛フォークリフトなら任せろーバリバリ

入社の経緯

会社にもぐりこんだいきさつはやや特殊なのでぼやかします。とあるきっかけで知り合った人から誘われました。リファラルです。なお、とあるきっかけはなにかと炎上しがちないわゆるプログラミングスクールなどではないことを防火剤がわりに書いておきます。そんなもんに使う金など無い。

その人のことはあんまりよく知らなかったのですが、CTOとして手伝っている会社システム部門で人手を探しているとのことでした。会社ホームページにはリクルートページなど無く、何をやっているかいまいち要領が掴めなかったのですが、ざっくりと自社製のWebアプリ開発をやる感じらしく、内容も聞いた限りでは(自分スキルと照らし合わせて)そんなにどえらいわけでもない印象でした。ちょうど金もないし無職だし、少し経験でも積んでみるかという気になったので、この際ホームページDreamWeaverサンプルを流用したまんまといった細かいところは観なかったことにしました。

面接にいくと社長から「いつからこれるの?」と言われたので「あっこれは」となりましたが、金がなかったので是非もなくそのまま入社の運びとなりました。この頃はプログラム書いて金もらえるなんてサイコーとか思ってました。ちなみにgithubatcoderアカウントを書いた職務経歴書は一顧だにされませんでした。

やったこ

地方製造業システム部門を切り出して別会社にした形態の、創立数年ほどの会社です。自分のほかにもうひとり、社内情シスのようなことをしている方がいましたが、基本的にはサポートが専門な感じでした(ただし肩書自分と同じでしたが)。紹介してくれたCTOは週に一度のMTGに顔を出すだけということで、実質的に常駐している人間プログラムが分かるのは業界経験自分だけというチャレンジングな環境からスタートしました。なお入社して社内の平均年齢を大幅に下げることになりました。

レスポンシブ化

ちょうど入ったタイミング情シスの方が抱えている仕事があり、とくにやることもなかったので手伝いました。グループ会社サイトスマホ対応させるもので、事情はわかりませんがそれまで他社に制作委託していたものを自社で運用することにしたとのことです。みてみるとWordPress4でPHP5が動き、Bootstrap3を使ったオリジナルカスタムテーマ運用してきた様でした。もちろん仕様書ローカル環境もあるはずがないのですが、どうせ自分Webデザインなど知らんのでとりあえず直にheader.phpにviewportを書いてmain.cssメディアクエリを設定して、ザ・web制作初歩みたいなレスポンシブ対応しましたが、デザインについて当事者との意見のすり合わせの機会なんかの開発手順はなかったので良しとしました。

新規Webサービス

入社して2周間ほどのち、社長についてこいと言われた打ち合わせの後日、MTGで「昨日のアレの進捗はどんな感じなの?」と聞かれたこから、いつのまにか新規案件自分に一任されていることに気づきました。仕様は前日の打ち合わせがすべてだった模様です。要件定義技術選定・検証のような工程など決まってないので好みで揃えました。趣味と関心からExpress+Mongo+Reactのセットか、触ったことのあるDjango/Railsでざっくりやるか、どうせならDockerも使い時か、こんなとき相談できる同僚やメンターが欲しいなぁなどと考えていたら、CTOがそれまで作っていたやつをみるとPHP+ES5+MySQLだったのでなんだかんだでそうすることになりました。PHPを初めて触り、「これがペラ1のphpjscssもなにもかも書いていくといういにしえのスタイルか…!」と新鮮な感じでやってました。

既存システムの移行

Windows Server 2012で動いていたサービスLinuxに移行しました。これは自分が入る前から情シスの方が任されていたのですが、マニュアルに沿ってコマンドを打ちこんではどこかで転け、エラーは読まずにあきらめてCentOSインストールからやり直すということを繰り返していたのを見るに見かねて手伝いました。SSHPowerShellからマニュアルコマンドコピペして実行する方法を教えてあげると目を丸くされました。shellファイルを書いてあげると魔法をみるのような顔で驚かれました。自分が入ってなければどうなっていたんだろうか...

自分ツール作成

毎日出退時間規定EXCELフォーマットに記帳する必要があり、これが非常にめんどくさく無駄に思えたので、自動記述するpython/Goスクリプトを書きました。これは入社して2日目とかだった気がします。しかしここを自動化しても「印刷して人事に提出し、それをもとに人事の方がまたEXCELに書き込む」と知り虚無になったりしました。

FE取得

これはやったことというか思うところあってプライベートで取り組んだことです。自分想像していた開発現場との乖離を感じたので、こういうのはFE勉強すればわかるのかもしれないと思って1ヶ月くらいやって取りましたが、得られた知識会社に活かせそうなものは何一つありませんでした。

チーム開発などという概念存在せず、「1案件を1人で上流から実装運用保守サポートまですべてやる」という進め方でびっくりしました。手持ちの技術スタックでできる範囲ギリギリなんとかやった感じです。よく転職サイト上で見かける文言で「お任せします」がありますが、これとかも要するに「丸投げ」の換言なんでしょうか。わたし気になります

とりくめなかったこ

自分のように途中からジョインした人に対しての業務移行のシステムがないことから感じていましたが、案の定「誰かが抜けたあとの引き継ぎの機能」も整備されてないことに気づきました。もともとオンボーディングや研修概念などありません。えらいひとは「そのへんは現場で協力してうまくやって」と丸投げし、すべての作業を自宅でやっているCTOは社内のこうした事情については放任で、いちおう情シスの方がいつのまにかメンター代わりになっていたものの、不明点を尋ねても頓珍漢な返答が多くもどかしかったです。どのサーバでどんなサービスが動いているのかやSSH情報を聞き出すのに苦労しました。こうした不幸と無駄時間をなくすためにドキュメントを整備しようとしたのですが、頓挫しました。これから物理フォルダーと社内サーバ散逸した各種の情報混沌を深めていくのでしょう。gitも無いし。

サーバオンプレでした。自分クレカをもっていないためパブリッククラウドを試す機会がなく、ぜひとも触ってみたかったのですが、承認を得るための説明がうまくいかず、結局VBoxでやることになりました。唯一、それまで使われていたVBoxではなくVagrantを導入したのは少しだけ救いでした。どうせ自分しかいじらないのですが。

余談ですがオンプレ面白かったのはHDD増設のために初めてデータセンターなるものに入ったことです。インフラ/ネットワークはまったく分からんしなかなか個人で試せない領域だし縁がないかなと思っていたのですがやはりそこに見える物理層が存在するというのはテンションがあがりますね(断層みたいに言うな)

イキってカイゼンジャーニー情熱プログラマーを買って読んだりもしました。目につくように共同図書のつもりで「ご自由にどうぞ」を添えて自分ロッカーに置いておいたら「私物は持ち帰れ」と言われてしまったので持ち帰りました。

退職経緯

さてお待ちかねメインディッシュですね。

もともと技術コンテンツ会社ではなく、技術畑の人間がまったくいないことのインプレッションが次第に違和感として強く響いてきました。ITエンジニアとしてやっていくつもりの観点でみると、学習や成長の土壌は無いように思えました。協調関係や信頼がうまく築けず、自分のすべき道筋不明瞭のままやっていけるほどタフなYATTEIKI精神ではなかったのです。

これは地方の、それもIT気質のあるわけではない、ワンマン経営中小製造業ならばどこにでもあることかと思われますが、随所に感じるレガシーさに疲れてしまいました。一例を挙げると、毎朝30分に亘り行われる全社清掃(もちろん業務時間外)、社是の復唱、『感謝言葉をみんなで味わうポエム』の輪読、その感想大会、頻繁に行われる中身のない会議日報エクセルで書いてメールで送ったり、出退勤表を毎日エクセルに書いて印刷して事務方に持っていくなどのルーティンがけっこう苦痛でした。

社内のコミュニケーションツールLINEだったので使い勝手も悪く、会議chatworkslackを使いましょうと提案しても誰一人としてそれらの存在を知らず、「勝手にやってくれ」と言われてしまったり。LINE WARKすら知らんやんけ。説明しても「skypeじゃ駄目なの?」と言われたので諦めました。

えらい人の思いつきのたびに方向性が変わり、当人発言したらそれで全て完了した気になってしまったのか、会議終了後の10分後に「さっき言ったやつまだ出来てないの?」などと言われた時はギャグかと思いました。会議議事録も誰も見返さないので果たして意味があったのか疑問です。誰かひとりでもmarkdownが書けたり、少なくとも書く気があれば勉強会を開催してHackMDなどを推せたのですが。議事録機能していないエピソードとしてひとつ思い出しました。開発中に機能追加を下された際に、その挙動は完全にプラットフォームネイティブであり今の技術選定だと作り直しになり、結果納期に間に合わない(し、自分技術スタックからも遠く外れていたので学習コストも加算)と発言したらその場は収まったのですが、会議終了後に個人メールで「やはり機能マストだ」と伝えられました。当然それは議事録に反映されることなく、なんかしらんけどそういうことになっているという感じになりました。

初めてのエンジニア職でしたが、社内に開発をる人やマネージャー職は不在で、いわゆる開発現場での流れを学ぶことはできませんでした。少なくとも技術を知らないえらいひとが「俺がスケジュールを立てたからこれに沿ってやれ」と、”開発”と”広告作成しか書かれていない2週間の計画表をもってくるような現場システム開発として正しいのか、 と本能が警告を発していました。

もともと会社製造業から始まったため、えらい人たちとの見解齟齬があったのは体感としてあります。同じものづくりといえど設備マンパワー時間線形的に結果に結びつく工場業務と異なり、システムエンジニアリングはかける時間見積もりも容易でなく、かかった時間が必ずしも結果に結びつかないものである、と言う事実は受け入れられ難く、知識ドメインマインドセットが異なれば説明も困難です。しかしながらえらいひとは一様に「経営視点を」の号令で、経営誌を配り、その感想文の提出を義務付けるなど、現場視点を欠いた行動で現場(というか私)を疲弊してました。気づいたらSEO対策や別部署MTGのためのプロジェクター設定、全PCwindows updateに伴うドライバ更新の役も同一の職掌として役付けられそうになっていたり(一部は実際に情シスの人がやってた)、It’s not my workなシーンがみられるようになっていました。

そして、よくあることですが、理念実態乖離していたことです。世界をよりよくと言いつつ、目先の掛け算を考えてばかりのように思えました。グロースする中で発生しそうなあれこれをすっ飛ばし利益だけを皮算用するのはいいとして、データ量やトラフィックを指摘すると「そこは現場努力でしょう」となるので、世界を良くする前に精神を悪くしてしま人生で初めて心療内科にいったりもしました。一応グローバル展開を目指しているとしながらサーバからMailerDaemonが飛んできたら「ギャっ英語っ!」と言って読まず捨ててたり、急にサービスが止まった時には激怒して責任所在の追求を求められたため、草創期にえらい人の個人アドレスで取得してほったらかしにしていたドメインが失効したことが原因と伝えたら「あれはもう読んでいないアドレスだし仕方ない。こういうピンチときこそチャンスにしようぜ」という謎理論を出されたこともありました。

違和感が確かなものになったのは、外部に提出する資料で社内の数字が異なっているとを指摘すると「こういうのは見栄が大事なんだ」と暗に公文書偽造をほのめかされたことですが、これ以上は闇っぽいので書きません(たぶんどこもやってて罷り通ってる範囲だと思うけど)

総じて、心理的安全性の低さ、そこからくる身動きのとれなさ、ロールモデルの不在、前時代的な風潮、社内文化へのミスマッチと不理解、成長の実感が沸かない不安と不満、それらに伴う摂取アルコール量の異常な増大と過食、といった要因の積み重ねが、ネガティヴな形での退職へと駆り立てることになったのだと思います。まあ、よく知らんうちにリファラルしてるところからして「採用教育コストを考えてないのでは?」の念はあったのですが。中身がまったく不透明状態で飛び込んだらそうなるよなぁ、の好例かもしれません。誘われた時はわりと藁にも縋る思いだったのでしかたないね

これから

現在スキー場住み込みバイトしてます。無考えに退職すると年を越せないことに気づきました。

可処分所得可処分時間いずれも今の方が上なのはちょっとウケます賃金ふつうに生きていければいいので前職程度でも気にしなかった程度なんですが。いまは映画をみたり積ん読を消費したり、在職時は深いところまで触れなかったPHPをいじったり、生PHPしかやってないことに気づいたのでcakeやったり、あとはweb周辺も久しぶりにキャッチアップしたりしてます。nodeネイティブおじさんなのでFWはangularしか知らないんですよね。vue/nest面白そうな感じです。あと寮のwifi談話室限定で窒息しそうだったので、持ち込んでいたラズパイルータにして部屋まで飛ばしたら隣室の同僚から感謝されたりと活動は多岐に渡ります

先のことはなにも決まってませんが、ちゃんエンジニアリングしている組織で開発してみたいなという気持ちがありますレビュースクラムアジャイルなんてのはひとりだと不可能ですし。ですが、やはりそういった会社日本では都市部にばかり集中しているのでしょう。自分空気の悪いところには住めないし、案外また辺鄙なところでtechとは無関係のことをしているのかもしれません。ワーホリでも使って海外大麻栽培でも始めようかなぁ。

いかがでしたか

巷説に流布する「未経験からエンジニアへ」の言説のたぐいは、どちらかというと技術力よりもコミュ力が偏って高いタイプ生存しがちな雰囲気を感じます。たまにTLに流れてきたのを見かけますが、ああいった立ち回りは自分にはできないしやりたくないなぁと思ってきました。社会要請ならばそれまでですが。

自分は体系的な情報教育を受けていないどこにでもいる地方高卒で、下手の横好きで趣味プログラムを書いてきたし、続けてるってことはそれなりに好きなんだと思います。得意じゃないけど。んで、こんなのがITエンジニアをしたサンプルというのは見かけないかもなぁと思って投稿しました。光あるところに闇あり。

といいつつ、やっぱり好きなことの結果がおかねになるのはいいよなぁと思った次第です。プログラムを書くのは楽しいけどエンジニアリングは超絶むずい、が雑な総括ですが、今回のことを顛末次第にはする気はないので、どこかに拾ってもらえるよう精進するきもちになりました。

ぼくのポエムはこれでおしまい。じゃあね。

2019-07-10

anond:20190710181649

ユーザー側がHTML編集すんのって、大変かな~と。

しかに思ったんだけどね。

Dreamweaverかいいよね。

2018-09-12

不器用貧乏アラサー主婦だけど、転職アドバイスが欲しい

急に肌寒くなりましたね。増田のみなさまにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

表題の件について、地方でできる下記のような仕事を知りませんか?

必須要件

手取り15万/月以上

毎日定時帰り

・転勤なし

希望要件

年収300万(額面)以上

・土日休み

時短勤務可能

リモートワーク可能

【なぜ転職したいか

・常時残業なしの生活を手に入れて、ご飯作ったり布団洗ったりにリソース割きたい。現職は月平均にしたら40時間程度だけど、繁忙期は100時間越えなので体力的にしんどい。

人を動かすより、自分の手を動かす仕事がしたい

・現職の先行きがあやしい

スペック

・29歳既婚女性

残業代込み年収400万(額面)

北関東田舎町在住

子供は2人希望妊活はじめました。

・いわゆるSI屋~

・主な仕事は自社パッケージソフトを使ったシステム構築・保守。同じようなことの繰り返しで正直飽き気味。

工学部(非情報系)学卒/こまごめピペットと共洗いの経験があります

料理はわりと好きだが出血多め

プログラミングは実務では数えるほどしか書いてない。楽しかったけど。JavaとかRubyとか。

趣味、特技、資格など】

学生時代サブカル女子(笑)だったのでAdobeソフト申し訳程度に使えます。慣れてる順にPhotoshop,Premire, Illustrater

Dreamweaver使えないけど、かつてテキストサイト管理人(笑)だったのでふっるいHTML知識ならある。キリ番(笑)直リン禁止(笑)

CAD2次元なら…たしなむ程度に

・ふ…普通自動車免許

プレゼンはわりと誉められるけどコミュ障なので営業接客は厳しいと思います

【なぜお金必要か】

子供2人分の学費計算して震え上がったため。

北陸の寒村に置いてきた両親が心配。一人娘だし、呼び寄せからの近居も検討中

・もちろんたまの贅沢もしたい。家族沖縄とか、回転寿司とかね。

【悩みのポイント

・現職は取ろうと思えば育休・時短取れるし、成果さえ出せば男女平等なので、辞めたらもったいないかな?取る人5%未満だけど…

幹部クラスに稀にいる女性子供なしバリキャリな方々

・育休取って時短取れば一時的には家庭にフルコミット生活ができそうだけど、その後は残業生活に逆戻りかと思うと今のうちに逃げたい

そもそもギリギリで回してる職場なのに残業、長期出張できない人員がいたら負担だよなーやっぱり

・一人目産んで育休復帰してしばらく働いて二人目…ってそのとき何歳?そもそもできにくい疑惑浮上中だし/(^o^)\

気持ちだけでいうなら一人目妊娠と同時に辞めて、半年ぐらいキャリアに繋がる勉強などして、出産→1、2年後に二人目→34歳までに新しい職場見つけたい

・でもやっぱ⬆だと育休給付金もったいないよね分かっちゃいるけどもらったら現職復帰しないわけにいかないやん?

おすすめな働き方教えて増田のえろい人。

ちなみに、夫のルックス星野源似です。

2018-06-28

ローカル小規模商店のためにテキストサイトを再評価する

経緯

食べログWeb制作企業アコギ商売のため、それらに不満を抱えているローカル小規模商店が多いとわかった

そこで(抜けはあるかも知れないが)一部の知識提供しようと思う。

前提として「すべてこの情報でまるっと上手くか?」といえば「そうてないこともある」ことは留意しておいて欲しい。

この情報に向いている商業

この情報に向いていない商業

プロバイダ100MBホームページスペースのメリット

プロバイダ100MBホームページスペースのデメリット

静的サイトジェネレータ

流石に今どき!DOCTYPEから手打ちしろというのは酷すぎるので「静的サイトジェネレータ」を使う

わかりやすく言えば「ホームページビルダー」で、デザインテーマに合わせたWebページの雛形を生成してくれるもの

現在では静的サイトジェネレータと言うとGUIではなくCUIからWebページを生成してくれるものを指すことが多い

GUI場合は「Webサイト作成ソフト」「Webオーサリングツール」と呼ばれることが多い

生成されたWebページが含まれディレクトリFTPアプリケーションプロバイダホームページスペースへアップロードするだけでWebサイトを立ち上げることが可能

早い話こんなのが簡単に作れる上に、最初からたいていはスマホにも対応してる

ttp://www.codeblocq.com/assets/projects/hexo-theme-magnetic/

ttps://sharvaridesai.github.io/hexo-theme-edinburgh-demo

ttps://themes.gohugo.io/theme/yourfolio/

ttps://themes.gohugo.io/theme/alpha-church/

ttps://themes.gohugo.io/theme/hugo-shopping-product-catalogue-simple/products/

ttps://themes.gohugo.io/theme/hugo-creative-portfolio-theme/portfolio/

ttps://event-jekyll-theme.github.io

ttp://jekyllthemes.org/themes/project-gaia/

ttps://portfolio-central.github.io/jekyll-instagram-portfolio-theme/

ttp://mushishi78.github.io/one-page-wonder-jekyll/

ttps://jekyller.github.io/online-cv/

ttp://webjeda.com/bheema/

静的サイトジェネレータとして日本で有名なものは下記

「久々にその固有名詞見たわ」「古いバージョンなら持ってる」と言われそうなド定番

仕事普通に使ってる」と言われそうなコレまたド定番

  • BlueGriffon(GUI)

オープンソースWebオーサリングツール無料だけどホームページビルダーやDreamweaverに比べると使いにくい

日本情報豊富Ruby製静的サイトジェネレータ。他者質問やすいというメリットもある

Node.js製の静的サイトジェネレータ。もう既にNode.js環境があるならアリかな?

Go製静的サイトジェネレータ。シンプル機能Webページ生成までの高速性が売り

「どれが良いか?」と問われると「どれが良いってことは無いんだけど、情報豊富さならJekyll、Webページの生成の速さならHugo」というのが答え

合わないと思ったら別の使えば良いとは思う

FTPアプリケーション

プロバイダホームページスペースにはFTPアプリケーションによるアップロードを行う

定番の「FileZilla」や「FFFTP」あたりを使っていれば間違いない

コメント機能

プロバイダサーバサイドスクリプト許可していない限りコメント機能実装は難しい

しかし、需要があるところには供給もあり「DISQUS」というコメント機能が使えないWebページにコメント機能実装させるWebサービスがある

TwitterFacebookGoogle+などのSNSアカウントがあれば書き込むことができる

静的サイトジェネレータ名にDISQUSと加えてググればたいてい情報が出てくる

以上、モダンテキストサイト構築情報として共有する

ちなみにWindowsではWSL環境Ubuntu上にHugoなどを構築すると楽

CLIが苦手な人は従来通りホームページビルダーやDreamweaverを使えば良いと思うが、CLIの利点はGitなどバージョン管理システム管理やすく、今後レンタルWebサーバへ移行しても、容易にそのままホームページを移行できるというメリットがある

WordPressなどのCMSには良い部分が多くあると思うし、顧客が追加要望ばかりしてアホすぎるという意見もわかるし、メシの種だからあんまり触れてくれるなというのもわかる

しかし、顧客が本当に求めているものを探す手立てとする情報提供するくらい俺は問題ないと思っている

2018-05-26

IT業界で横行する恥ずかしい英語発音

英語妙な発音私がしっくり来る発音
heightヘイトハイト
widthワイズ、ウィドスウィッズ
allowロウアラウ
denyデニーディナイ
hrefハーフエイチレ
Dreamweaverドリームウェーバードリームウィーバー
fedoraフェードラフェドーラ
cronクーロンクロン
yumユムヤム
noneノンナン
responsiveレスポンシブルレスポンシブ
charチャーキャラ
haltハルホール
altcoinアルトコインオルトコイン
desktopディスクトップデスクトップ

2017-09-19

今日見た雑誌AIプログラマー仕事を奪うという記事があった。職業プログラマーとしてそれは大いに結構なんだが、多分もしそうなったら思っている使われ方はしないだろうなと。

思っている使い方は要件インプットするとdreamweaver並に汚いソースコードアウトプットするから、それをプログラマリファクタリングして納品。実際の使われ方はデザイナーが汚いソースコードを一切見ずにテストもせずに納品。コピペと変わらない。プログラマでさえ時間が無いとか自分言い訳してリファクタリングせずに納品しそう。

AIが来たら、ただでさえレベルの低い野郎どもが更にレベル低くなるだろうなって

2017-09-18

anond:20070314103851

この記事を書いてから10年が経過した。

今の自分が何をやってきたのかと言われれば・・国立現代美術研究機関仕事をしている。

そこで何の仕事をしているのかと言われれば、ネット美術作品に関するWebサイト制作

システムサーバ管理作業ベンダー企業と打ち合わせを行いながら、世間情報を発信している仕事だ。

プログラムこそ書けないが、PremiumPro、AfterEffects、Photosho、IllustratorDreamweaverを使いな

がら画像加工や映像制作写真撮影、簡単コーディングJavascriptシェルスクリプトゴリゴリ書いて

仕事している。自分では何でも屋と呼んでいる。これがクリエイティブと言われればどうかはわからないが・・・


あれから10年を振り返ってみよう。

アーティストとかデザイナーが嫌いですと言っていた自分ではあるが、知らない人間がそう言う世界の事を

言うのも失礼だと考え、正社員をやめてデザイナーになるため、まずは安いWeb制作スクールに通ってみた。

短期間だがサイトの作り方とAdobeツールの使い方を教わった。


ところが自分にはWebコーディングデザイン考え方は理解できたが、デザインセンスや色彩感覚に欠けていた。

スクールへ通った後、派遣会社へ「Web制作がしたい」と登録したが、ポートフォリオを見せた途端にボロクソに言われ、不採用が続いた。

そんな中、あるWeb制作会社で「君、サーバ管理の方がいいかも」と言われてしまったがデザイナーになりたいとしと考えて断った。

その言葉きっかけに「デザイン能力がないなら」せめてサーバ管理でもと考えて、Linuxスクールに通った

(その間は派遣で時給は安いがWeb制作会社簡単コーディング作業画像修正作業印刷会社でのDTP業務をして凌いだ)。



Linux勉強はすればするほど面白くなり、そちらの知識にのめり込んだ。サーバを学とネットワークの仕組みも知りたくなる。

最後にはネット知識自作PCを組み上げてLinuxインストールしてWebサーバメールサーバを構築した。

ただ、自宅でWebサーバを構築すると言っても外部への公開はリスクが高すぎるので勉強機としてdebian系やredhati系OSなど

デュアルブートさせたり、HDDRAIDを組み上げたりして遊んだ。そのうちにレンタルサーバドメインを取得、CMS個人

ブログを立ち上げるも自分ポカミスからクラッキングあいサイバー犯罪課の取り調べを受ける経験もした。


Web制作デザイン仕事はなかったが、浅いネットワーク知識が幸いしてか、データセンター映像サーバを扱う仕事に就き、

NagiosやらCisco機器RAIDVMセキュリティ知識IPデジタル映像知識映像機器編集知識を得ることができた。

映像と言っても映画なのでDCPやKDP、3D映像知識会社で二週間研修させられた。仕事によっては夜中の仕事AKB48ライブ

の収録に立会ったり、キアヌ・リーブス舞台挨拶で生キアヌと打ち合わせしたりもしながらも、この日記を思い出しながら

「俺、デザイナークリエイターじゃないな」と考えていた。


それ以降は大企業の子会社でのWeb制作部門で勤務したり、IT資格もいくつか取得した。また途中で大学にも通い、好きだった

美術史写真史、表現を学び、論文をいくつも書いた。その途中で亡くなった親父がフィルムカメラをくれたので、フィルム

メラにハマり出し、父親形見の中判フィルム撮影フィルム現像プリント額装して、個展までするようになった。

好奇心からきたここまでの道は、もう40過ぎだった。



結果、あれから10年後の自分仕事・・・

給料こそ高くはないが上記の研究機関で「何でも屋」で仕事をしている。

元々現代アートが幼少期から父親が集めていたアート関連の書籍を読んで、ドナルド・ジャドやフランク・ステラなどのハード

エッジアートに興味があったこと、簡単システム保守サポートができること、フィルム現像写真撮影ができること、ライ

ティング(照明)ができることが幸いして、作品の保管からシステムベンダーとの打ち合わせまでを任される仕事採用され

ることになった。かなりの倍率だったようだが自分のように多く経験してきた方や知識現代アートへの興味がある人は少なか

ったのでというのが採用理由だったようだ。


「オリも混ぜてくれよう。

実際には作ったりしないけど見るのは好きだおう

アートには理解があるつもりだおう

なのになんでオリを混ぜてくれないんだおう

お高く止まっちゃってさ!フン!もうこねぇよ!バーヤバーヤ!!!


こうは書かれたものの、この気持ちもあって、それを理解するために色々と仕事制作仕事をしながら

勉強をしてきた(つもり)だけど、やってよかったと思う。


10年前の自分デザイナーアーティストクリエイターという選民思想を持って「普通会社員」を見下して

いるという、ルサンチマンに囚われていた。でも、仕事の業種に関わらずどんな仕事だって「創り出す」こと

必要なのであって、それはどんな職種であっても創意工夫は必要であり皆がクリエイターである

創り出すことが華やかに見えるのは一部だけであって、世の中にはもっと沢山のものが作り出されている。

たまーにWebデザイン写真作品制作することがあっても自分は「デザイナー」や「アーティスト

とは言わない、それを言ってしまうと自分創造可能性を広げられなくなりそうで怖いから。もちろん周囲に

デザイナーライターアーティストの知人・友人はぐんと増えたが今はそれらの人を僻むことも今はしない。

しかし、あの日記を匿名日記を書けたことは自分人生における仕事を大きく変えたと思うし、過去自分

そういう思いから出発しているから、どんな職業の人でも会う時には、まずは首を垂れて尊敬することか始めている。


それとこの言葉も気にしながら。

未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分根性運命人生カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです」

2017-04-11

オライリーに出てくるフレンズ

参考:http://www.oreilly.com/animals.csp

2016-11-09

Adobe CreativeCloudは俺に死ねと言っているのだろうか。

Dreamweaverは頻繁にクラッシュする。Photoshop画像開けねーし、新規作成押しても反応なし。イラレはなんとか使えるけど、使えるようになるまでかなり待たされる。Bridge?ウンともスンともいわねーよ。

CC 2015あたりからおかしくなって2017でこの体たらくだよ!AFプレミアなんか怖くてさわれねーよ!

Macなの?Macにすれば幸せになれんの?ていうかこんなんで他の人はちゃんと使えてるのか不思議になる。

今更CS6使えばいいの?そうなの?

2016-01-24

Dreamweaverで作ったソースって今だに汚くて見にくいんだけど、なんで直せないの?

2013-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20130916172549

そのコンテンツを安く早くかつ安全

デザイナーが要求するならばスムーズアニメーションなどを可能として作っていくのが技術だけどな。

実際にできるやつは1割もいないだろうな。

Web技術について語ってる人間の1割も、実際に技術があるわけじゃないよ。

だいたいはバランスが悪いかオナニーから中身が無いようにみえるだけだよ。

実際に中身を詰め始めればデザインCMSも、何もかにもが必要になってくるよ。

もっとDreamweaverで作ってSFTPでアップも悪くないけどな。

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