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ジークアクス第四話雑感
やはりこの物語は「ニュータイプの暗黒面とそこからの帰還」が大きな流れとしてありそうだ。
ガンダムの第一作というのは1979年放送だそうで、その2年前にスターウォーズの第一作が公開されてブームになっており、ところどころでスターウォーズの影響が見える。
ニュータイプ的な発想も、多かれ少なかれ「フォース」の影響があって、その暗黒面を描くというのは里帰り見たいなもんなのだろう。
ニュータイプの暗黒面とは、思想や理想の向こう側へ行ってしまうこと。普通よりも直感や理解力に優れる反面、ある種の思い込みの激しさや、精神的な繊細さ、不安定性があり、突き抜けた行動に出るということ。たぶん。
ジークアクスのシャアは、Zガンダムのカミーユではなく、逆襲のシャアのアムロのように、理想の向こう側(フォースの霊体のように、生死を超越した精神性の世界?)に行ってしまったんだろう。
ファーストガンダムにおいて、主人公アムロはモビルスーツの操縦に優れた才能を発揮し多大な戦果を挙げるが、それでも戦争の帰趨に決定的な影響を与えることはない。
直接的に戦争を終わらせることになったのは結局のところザビ家+シャアという、もともと軍人であり一定以上の地位を持っていた人間たちの行動だ。
ここには、既に発生している戦争に対して一般市民ができることは、せいぜいが自分自身と周りのいくらかの人間を守って生き抜くことぐらい、というシビアな(だが当たり前の)戦争観がある。
起こってしまった戦争にはできることがない。だからこそ戦争を起こしてはならない。
これが初代「機動戦士ガンダム」における反戦テーマの基本構造である。
だがここには、無力感のあまり、戦争を不変のシステムや天災の一種であるかのように錯覚させる危険性も存在した。
その反省があったため、続編のZガンダム以降は、争いを産み出す源のような存在(簡単に言うとラスボス)を主人公が戦場で直接排除することで戦争を終わらせる構成へと変化していくことになる。
しかし、明確な「ラスボス」が存在し、それを主人公が討ち果たす…これは果たして本当に戦争といえるのだろうか?
かつてのガンダムが視聴者の心を強くとらえたのは、アニメとはいえそこに実体感を伴った戦争の姿が見えたからだ。
Z以降の、もともと戦争には見えないような戦争を主人公が自分の力で終わらせたところで、それは戦争に対して個人の力が勝利する希望とはなりえず、むしろガンダム以前の「ただのロボットアニメ」に近づくこととなってしまった。
「ジークアクス先行上映版」を見てから、「機動戦士ガンダム」を見て、そこからさらに「機動戦士Zガンダム」を見ていたのだが、
何とかジークアクス本放送前に見終えたかったがやはり無理だった。
主人公のカミーユはずっとガンダムマークツーに乗っていて、タイトルにあるようなZガンダムに乗ることはなかった。
何やら強化人間と呼ばれるサイボーグだかクローンだかのよくわからんフォーという不思議ちゃんと恋して終わった。
正直、前作主人公が出張ってくるって展開は種みたいでクソだなって印象だったけど、まぁ、アムロが出てきてた方が、カミーユがおとなしくなるんで、例外的に面白かったな。
いや、そもそも前作主人公が出張ってくるのは、そんなに悪いことじゃないのかもしれない。肝心なのはそれが正しいことかどうかより面白いかどうかだからね。
でもう、ジークアクスは放送始まったんで、視聴はここで打ち切りだね。
今は動けないそれが運命だけど