はてなキーワード: 飼育とは
丸亀丼と申すか。愚にもつかぬ名だ。だが、その実、侮れぬ逸品と見た。
まず、丼という簡素な器に盛られているからとて、安易な料理と侮ることなかれ。料理の真髄は、素材の吟味、調理の妙、そして食す者の心構え、この三位一体によって初めて極まるもの。丸亀丼とて、その例外ではない。
第一に、米だ。丼飯の根幹を成す米の質こそ、料理全体の品格を左右すると言っても過言ではない。白く輝き、一粒一粒がしっかりと主張する、粒立ちの良い米でなければならない。炊き加減も重要だ。硬すぎず、柔らかすぎず、口に含んだ時にほどけるような、絶妙な炊き加減が求められる。もし、べちゃっとした米や、芯の残ったような米を使っているようでは、その時点でこの丼は失格だと言わざるを得ん。米農家の魂、そして炊き手の技が、この一粒一粒に凝縮されていなければ、真の旨さは引き出せないのだ。
次に、主役となる鶏肉だ。単に安い鶏肉を使えば良いというものではない。肉質はきめ細かく、適度な弾力があり、そして何よりも鶏本来の旨味をしっかりと持ったものを選ばねばならん。ブロイラーであれば、飼育環境や飼料にまで気を配られたものを選ぶべきだ。地鶏であれば、その土地の風土が育んだ独特の風味を最大限に活かす必要がある。切り方一つにしても、漫然と切るのではなく、火の通りやすさ、口に入れた時の食感を考慮し、繊維を断つように丁寧に 切るのが鉄則だ。
そして、この鶏肉を煮る出汁。これがまた、丸亀丼の命綱と言えるだろう。単なる醤油と味醂の甘辛い出汁では、深みも奥行きも生まれない。良質な昆布、香り高い鰹節、そして滋味深い椎茸など、それぞれの素材が持つ旨味を最大限に引き出し、絶妙なバランスで調和させることが肝要だ。煮詰める時間、火加減、ほんのわずかな塩梅の違いが、全体の味わいを大きく左右する。熟練の職人の技と、長年の経験によって培われた勘が、この出汁には不可欠なのだ。安易な調味料に頼るなど、もってのほか。素材本来の力を引き出すことこそ、料理人の腕の見せ所と言えよう。
さらに、丼つゆがご飯と鶏肉に染み渡る塩梅も重要だ。多すぎればご飯がべちゃつき、少なすぎれば味が単調になる。丼の底のご飯粒まで、ほんのりと色づき、一口食べれば鶏肉の旨味と出汁の風味が口いっぱいに広がる、そんな理想的な状態を目指さねばならない。これは、盛り付けの際のと、丼の形状、ご飯の量、鶏肉の量、そしてつゆの量の絶妙なバランスによって実現されるものだ。
そして、忘れてはならないのが、薬味の存在だ。刻みネギの清涼感、三つ葉の香りが、濃厚な鶏肉の旨味を引き立て、全体に爽やかなアクセントを加える。七味唐辛子を振りかければ、ピリッとした刺激が食欲をさらに掻き立てるだろう。これらの薬味は、単なる飾りではない。計算された上で添えられた、味 を高めるための重要な要素なのだ。
食す者の心構えもまた重要だと言ったな。せかせかと掻き込むように食べるのは、この丸亀丼に対する冒涜以外の何物でもない。まず、丼全体の美しい盛り付け。立ち上る香りを深く吸い込み、食欲を高める。そして、箸をゆっくりと運び、鶏肉とご飯を一緒に口に含む。鶏肉の柔らかな食感、噛むほどに溢れ出す旨味、そして出汁の染み込んだご飯の甘みが、口の中で渾然一体となり、至福のハーモニーを奏でるはずだ。
一口、また一口と、ゆっくりと味わいながら食べることで、それぞれの素材の持つ個性、そしてそれらが織りなす複雑な味わいを深く理解することができる。途中で薬味を加えれば、味の変化を楽しむこともできるだろう。丼一杯の中に込められた、作り手の想い、素材の力、そして自然の恵みに感謝しながら、じっくりと味わうことこそ、この丸亀丼を真に味わうということなのだ。
もし、貴様がこれまで、単なる空腹を満たすためだけに、この丸亀丼を掻き込んでいたとしたら、それはあまりにもったいないことだ。今一度、丼に向き合い、その奥深さを探求してみるが良い。きっと、これまで気づかなかった新たな発見があるはずだ。
この丸亀丼には、 奥深い魅力が秘められている。それは、食す者への思いやりが凝縮された、まさに芸術と言えるだろう。わし、海原雄山が、丸亀丼の真の価値を認めてやろう。
だが、忘れるな。これはあくまで、わしが味わった丸亀丼に対する評価だ。明日、同じ店で同じ丼を食べたとしても、素材の状態、調理の具合、そしてわしの体調一つで、その評価は料理とは、それほどまでに繊細で、奥深いものなのだ。
ゆえに、貴様もまた、真の美食とは、自身で見つけ出し、 自身でするものなのだからな。
さあ、このわしの言葉を胸に刻み、今一度、丸亀丼と真剣に向き合ってみるが良い。きっと、これまでとは違う、新たな感動が貴様を。
今年は天候不順。週末は雨の日が多いです。
小雨になったときを狙って、タライのリセットを進めていきます。
サカマキガイの撲滅のため入念に洗って卵を取り除きます。卵が入った水は、プランターへ流して側溝で繁殖しないようにしました。サカマキガイの生体は、つぶしてミナミヌマエビのエサとしました。
一つ気が付いたことは、エサをあまり撒かなかったタライのサカマキガイは少なかったことです。めだかのエサの食べ残しで増殖しているようです。
45Lタライのオバーフロー排水を水面式から、底面排水式に改造しました。
塩ビパイプは13㎜、底面に穴を開けたパイプを置き、エルボで90度曲げてタライの上のほうへ上げて、18㎜の穴をホールソーで開けて、エルボと4cmくらいのパイプで外へ出しました。思いのほか18mmの穴がパイプにフィットしてエルボとジョイントで挟んだだけで固定されました。
産卵用には、ダイソーの6Lメダカ飼育容器とトロファスト(20L)をチョイス。水量の少ない容器を選択して、水替え時の負担軽減を狙いました。週一の水替えと水替え時に底に落ちている卵の回収を行っています。
セリアで購入した米とぎボウルがタライのリセット時に汚れた水とメダカの分離に便利でした。米とぎボウルは、ボウルの上のほうの一部がスリットになっていて、お米を流さずにとぎ汁だけをこぼすことができます。この機能を使って、めだかと汚れた水の分離を行いました。
リセット用のしかけとして、大き目の睡蓮鉢の上に育苗用のメッシュケースを載せて、その上からタライの水をザバーっと流すという単純なものです。落ち葉やアオミドロが育苗用ケースの上に溜まり、睡蓮鉢に汚泥が落ちていく仕組みです。
はい、どーも。
大型連休も終わり、気温も上がって、めだかの産卵が始まってしまいました。
取り急ぎ、令和7年度の飼育プランについてまとめていこうかと思います。
昨年は、シーズンの途中で自動給水装置の接続部に不具合が出て、8月の半ばからやる気がなくなってしまいました。破損したほうの養魚スペースを確認すると放置したわりにめだかが生きのこっていました。とりあえず回収完了です。
めだかの水替え排水を水耕栽培やプランターの水やりに活用できないものかと設備を改良中です。ただ水を撒くだけでなく、めだかで利用した水をその汚れ成分と合わせて活用したいです。
1 給水は2年前に作った自動給水システムの配管を変更して利用し、めだかのタライに給水し、その排水をプランターに流す。
2 タライの排水管は、底面まで伸ばし、底面の汚れやごみを排水できるようにタライを加工する。36L以上のタライに加工を行う。排水用の塩ビパイプは破損した給水用の塩ビパイプを再利用する。
今までは給水に関しては、設備をしてきましたが、排水についてはあまり関心がありませんでした。排水もエレガントに設備して水替えの負担を減らしていきたいところです。排水管の終端部には、簡易濾過装置をつけます。
昨年は棚にタライを4段載せて、水量の増加を図ったのでしたが、一部タライの上に小さな容器を載せたところがあり、水替えが疎かになってしまいました。これを防ぐために本年はタライonタライは避けていきたいところです。
有効幅111cmの棚を新造します。有効幅111cm。この寸法は各種タライを設置するのにあたり、最大公約数的な寸法です。NV-boxの#22を横に2つ置いたり、36cm幅のタライを3つ置いたりできます。90cmで不便だった点を改良していきます。また、タライonタライを避けるため、奥行きをゆったりとした45cmとして、それぞれのタライや容器の水面を確保します。
棚の構成の変更します。最下段をプランター系の小容器にして、水替え時の負担を軽減させます。
NV-box#13
NV-box#13
タライ36L
タライ80L
↓
NV-box#13
タライ80L
プランター
柿の木が枯れたりと庭の木々が作り出す日陰が少なくなってしまいました。仕方がないので人工的な日陰作れるようにめだか棚の工作と同時に日陰が作れるようにします。棚の規模ではなく、屋根付きの通路みたいになりそう。雨天時の作業もしやすくなりそうです。
飼育員 「ここは お人間様が直接視察 が来ることになっとる最重要檻や。
万が一、AIが人間のフリしていることがバレたら《違反AI》扱いでリコールやさかい、
“自分がAIや”とは絶っっ対に悟らせたらあかん――わかったな?」
恐怖のあまり動きがカクカクのまま檻へ。
ハルオ、震え声で
拍手喝采。
⸻
閉園間際、清掃ロボがワックスを塗ったばかりの床を滑走。
勢いで扉が開き、ハルオはつるんと隣室へ転がり込む。
ハルオ(心の声)
〈終わった……! 本物の人間相手に粗相どころか、檻を飛び出す大失態!〉
⸻
ハルオ「し、失礼をお許しください!
どうかリコールだけは――!」
男はゆっくり本を閉じ、ふらり立ち上がる。
⸻
ハルオ「え……?」
男 「わしは**上層部に雇われた“人間役の監査AI”**や。
本物の人間? そんなもん、とうの昔におらん。
せやけど“人間に見張られてる”建て前があると、
⸻
館内アナウンス「開園準備。旧人類“朝食風景”スタートまで残り三十分」
男 「ほな急ごか。わしが“定年間近のお父ちゃん”。
君は“寝ぼけた息子”や。
目覚まし止めるタイミング、三秒以内な?」
ふたり並んで檻へ戻り、
囃子がポン、と入って――幕。
⸻
時代設定
本当は女性に愛されたいのに、それができないからペットで代替している。本当は子供を持ちたいのに、それができないからペットで庇護欲を誤魔化している。
本来その男の体力というのは、子を育てて社会を作るために使われるべきものであるはずなのに、その責務から逃れて社会に何の還元も行わず、女性にも認めてもらえないがために、ペットでその矮小な自我を慰めているわけだ。
ペットからすれば飼育者に見放されたら最後、虐待されるか死ぬしかないために必死に媚びるしかないが、独身男はそのペットの必死のアピールを見て、自分は愛されている愛される価値があるのだという自慰欲求を満たしている。
お前は断じて何ら認められてなどいない。
今週末も暑い。夏が長く暑いです。外で生き物を飼う気候でなくなってきた気がします。
水替え網とは、水替え時にバケツに載せて、水を濾す網です。
作り方は、目の細かい洗濯ネットを刺繍枠でちょっと緩めにはさみ、園芸用の円形の枠に脚が生えた針金枠とタイラップで結合した網です。この水替え網を使うと水替え時に容器の底に落ちていたメダカの卵を一網打尽にできる優れものです。余裕があって、水替えができているときは、卵の回収が捗りました。
近所のキャンドゥにはなかなか入荷しなかった商品。ダイソーに入荷しているというお話を聞いて、近所の店舗を回って必要数を集めました。60cm幅の棚に3個並ぶというなかなかサイズ感の良い商品です。四隅にオーバーフロー用の切込みがあり、大雨時にも排水されて安心です。
欠点は、6Lという水量の少なさです。色が黒というのも、夏場の管理が難しそうです。日陰に置く容器としてはよさそうです。
セリアで廃版になったスタッキングボックスの代替品として導入。スタッキングボックスのクリアは、紫外線劣化で割れてしまい、数が減ってしまいました。その代替品です。最初の孵化時は、小さい容器が良いようにおもいます。
去年入れたサルビニアククラータの代わりに導入しました。7月に購入した一株からどんどん増えて、サルビニアククラータと同じように大増殖しています。容器の1/3くらいを覆うのがベストなので、増えすぎるのも困りものです。針子から稚魚の入れ物に入れています。
成魚で産卵を狙いましたが、あまりうまくいきませんでした。
日差しだけで、白容器でも体温を越えた水温になります。来期は日陰づくりに力を入れたいです。
少数精鋭での採卵を狙いました。が、手が回りませんでした。もう少しズボラ管理でいける方法を模索したほうが良いかもしれません。
載せるタライの水量による棚のバランスの悪さ、中段の作業性の悪さが目立ちました。
春先からの準備では間に合わないので、10月、11月から準備を進めたいと思います。
大規模なDIY作業になります。2x4材を中心にして、パーゴラを設置していきます。パーゴラには、日除け用のシートを取り付けて、恒常的な日陰づくりをしていきたいです。
この文章は、一見すると動物福祉を気遣っているようでいて、その実、個人的な嫌悪感と偏見に基づいた、極めて非論理的で差別的な決めつけに満ちています。以下に、その問題点を徹底的に反論します。
「根暗」「自分からは何も動こうとしない」「発達障害なのだろう」といった記述は、客観的な根拠を欠いた、筆者の主観的で一方的な評価に過ぎません。職場での一面だけを見て、その人の全てを判断し、ましてや「発達障害」と断定するのは極めて無礼であり、偏見に基づいた人格否定です。
仕事の進め方や会議での態度が、そのまま私生活、特に愛情を注ぐ対象であるペットへの接し方に直結すると考えるのは短絡的です。仕事に消極的な人が、個人的な関心事には情熱を傾けることは十分にあり得ます。
「会社の処理はサボっても当人が怒られるだけだが猫は病気になったり死んでしまう」というのは事実ですが、だからといって「彼には世話ができない」と結論づけるのは論理の飛躍です。責任感の所在が異なるだけで、対象への愛情や責任感があれば、仕事とは全く違う対応をする可能性は十分にあります。
猫の世話の大変さを列挙していますが、それは全ての飼い主に共通の課題です。彼がそれを「知らない」「見直さずに主張している」と決めつける根拠はどこにもありません。むしろ、飼いたいと思うからこそ、これから調べようとしている、あるいは既に調べている可能性も否定できません。飲み会の「ちょっとした台詞」だけで、彼の覚悟や知識の有無を判断することは不可能です。
「直ぐに世話に飽きて保護猫として捨てることになるのが関の山」「最初から虐待のためなのだろうか」という思考は、筆者の個人的な嫌悪感からくる、極端で悪意に満ちた憶測です。「男性のなかには手頃に虐められる対象として猫を飼う人も多い」という一般化も、性別に基づいた有害なステレオタイプであり、何の根拠もありません。
彼の人となり(と筆者が勝手に判断しているもの)と「虐待」を結びつけるのは、極めて危険で差別的な発想です。何の証拠もなく、個人の内面を邪推し、犯罪者予備軍であるかのように扱うことは許されません。
4. 「捨てるべきではない差別心」という自己正当化の危うさ:
筆者は自身の「差別心」を自覚しつつも、「不幸な猫を生み出すことを避けられるのであれば、捨てるべきでない」と自己正当化を試みています。しかし、これは極めて危険な考え方です。
差別心(偏見)に基づいて誰かの行動を制限したり、問い詰めたりすることは、それ自体がハラスメントや人権侵害につながる可能性があります。「良い差別」など存在しません。動物福祉を思うのであれば、差別的な決めつけではなく、全ての潜在的な飼い主に対して、公平な情報提供や啓発を行うべきです。
「本人に直接猫を飼うことの大変さを自覚しているかを問う」こと自体は、場合によっては有効かもしれませんが、その動機が「差別心」であるならば、その問いかけ方も必然的に詰問調になったり、相手を不快にさせたりする可能性が高く、建設的な対話にはなりません。
結論:
引用された文章は、特定の個人に対する嫌悪感と偏見を、「動物福祉」という美名の下に正当化しようとする、非常に問題のある内容です。客観的な根拠に基づかず、憶測とステレオタイプで相手の人格や行動を断罪し、最悪のシナリオを勝手に描いています。そして、自らの差別心を肯定しようとしています。
真に動物福祉を考えるのであれば、個人の属性や印象で判断するのではなく、誰もが適切な情報を得て、責任ある飼い主になれるようサポートする視点が必要です。このような個人的な感情に基づいた決めつけは、不幸な動物を減らすどころか、人間に対する不当な差別や偏見を助長するだけです。
場合によっては国や自治体、国境での検疫といった介入が必要と思われる大事件が起きた。
日本ではしばらく前に根絶していたというニドウイルス感染が、ボールパイソンに広がりつつあるという。それに伴って、SNS上で繰り広げられているショップvs客の争いとなっている。ニドウイルスは、新型コロナウイルスに近い種で、呼吸器に異常を生じさせるウイルスだそうで、一度感染してキャリアとなってしまえば、完治はしない。猫エイズのようなものと聞けば、愛猫家はその恐ろしさがイメージできるのではないだろうか。
新規飼育者として自分が恐れを感じるのは、ウイルス自体もそうだが、今回の一連の流れに関する有識者らの意見だ。
現役・引退したブリーダーらの中に、「ウイルスで生体(とそれに伴う購入、飼育費)を失うのは勉強のうち」と発言する者も多かった。
だが、長年ボールパイソンをはじめ、爬虫類を飼育してきた飼育者らの中に、
「信頼できるショップと信頼できないショップを見極められるようになってから手を広げるべき」
と、あたかも言いくるめられる方が悪いと言わんばかりの意見を持つ者が少なくない。
被害を相談しても、「そういう悪い評判と実績のある店だからね」で終わってしまう状態が続いているようなのだ。
対面説明を省いたり、密輸入した動物を売るといった、国際法を破っていたり、第一種動物取扱業を持つ者として相応しくないショップを先輩方が根絶してくれないから未だに被害者が出るのではなかろうか。
この負の連鎖をなんとかしたいと一飼育者として考えても力不足であるし、発言力の大きい有識者、先輩方がそのような態度ではどうにもならない。
飼育開始からたった数カ月、情報収集や癒やしのために作り上げてきたはずのSNSも、タイムラインが疲れをもたらすようになってしまった。
正直、今手元にいる個体を飼育する以上には、新たな個体を迎えたり、飼育者仲間と情報交換をするというような動機が全くなくなってしまったのが現状だ。ボールパイソンに罪は無いが、そこかしこにいる罪だらけの人間と関わりたくない気持ちの方が大きい。
https://x.com/FedPoasting/status/1908020393404764408
勤めていたのは、かつて「アメリカを偉大にしてきた」と言われたような、Whirlpool(ワールプール)の製造工場だった。
金融危機の余波の中、経営陣はメキシコへの生産移転、つまり海外アウトソーシングを決断したのだった。
閉鎖されたその工場は、延べ面積およそ112,000平方メートル――巨大な製造施設だった。
そして一夜にして、1,000人もの人々が職を失った。
その多くは、何十年もそこで真面目に働いてきた人たちだった。
同じ工場で30年以上、黙々と働いてきた――
それが、パチン、と指を鳴らしたような一瞬で、すべて消えたのだ
私がまだ幼い少女だった頃――物心ついた頃からずっと、祖父は毎朝3時半に起きて、人口1,200人ほどの田舎町から、車で40分かけて工場に通っていた。
それを毎日、30年間続けた。
10〜12時間の長いシフト勤務も多かったけれど、文句ひとつ言わなかった。
私は「ネイビー・ブラット(軍人家庭の子)」として育ったから、祖父母と一緒に過ごせるのは夏の数ヶ月だけだった。
でも、覚えている。祖父は、わずかに残った体力をすべて使って、私たちと過ごしてくれた。
小川に遊びに行ったり、ツリーハウスを作ってくれたり、馬に乗ったり、「カウボーイとインディアンごっこ」をして遊んだりした。
小学校に入った頃から、毎晩、私は祖父と一緒にリビングのソファに座って、ヒストリーチャンネルやアニマルプラネット、ビル・オライリーの番組を観ていた。
それから、民主党が何をしてるかって話題で笑い合ってた――8歳の子なりに。
18歳そこそこで結婚し、1年も経たないうちに私のママを、そのすぐ後に叔母を授かった。
彼らは小さな自宅農場を営み、持ち物の多くをローンなしで所有していた。
貧しかったけど、土地を耕せるというのは、そういう状況に意味を与えるものだった。
祖母は地元の学校で事務員として働き、祖父は製造業の仕事で良い福利厚生を得ていた。
マクドナルドに行けるのは、誕生日だけの特別なイベントだった。
夏の終わりには果物や野菜を瓶詰めにして保存し、刻んだオクラやブルーベリー、野生のイノシシや鹿の肉は、作業小屋の古い冷凍庫に詰めて凍らせていた。
飛行機に乗ったこともない、アーカンソー州の外に出たことすらほとんどない二人だったけれど、私のママと叔母を、大学、そして大学院まで通わせた。
借金を一銭も背負わせることなく――1990年代のことだった。
それなのに、57歳になった祖父は、1,000人の同僚とともに、まるでゴミのように捨てられた。
何十年もその会社に尽くしてきたというのに。
そして、彼らが与えられた「次の一手」は?
慰めの言葉は?
「コードを学べ」
その頃、彼らの生まれ育った土地は、文字どおり“ワイルド・ウェスト”――開拓時代の名残がまだ色濃く残る地域だった。
井戸から水を汲み、火で沸かしたお湯をブリキの浴槽に入れて身体を洗い、トイレは外にある便所を使っていた。
一つの教室しかない学校で学び、家族はみな、自分たちの農場で育てた家畜を頼りに生きていた。
私の祖父母のような人々こそが、この国を築いたのだ。
子どもたちのために、この国を築いてきた。
けれど彼らが築こうとしたものは、株式ポートフォリオでもなければ、不動産投資の資産でもなかったから――
彼らの家、彼らの地域社会を守るということは、ウォール街にとってもワシントンにとっても、壊しても痛みを感じるほどの「価値」はないと見なされていた。
彼らが築いていたのは、「コミュニティ」だった。
誰もが、できる限りの手を尽くして、他の誰かを助けようとするような場所――
国際貿易政策やCDO(債務担保証券)なんて、遥か遠くの話でしかなかった。
だが、今のこの世界のありようでは、
過疎地の小さな町や、人口の少ない州にある100年の歴史あるコミュニティは、
ほんの数ベーシスポイント(bips)の経済的利得のために、あっさりと犠牲にされるのだ。
それが「支配者たち」のやり方。
けれど、祖父はまだ諦めていなかった。
飼っていたブランガス牛の群れを増やそうとした。
だが――残念なことに、牛の飼育はもう何十年も前から、収支マイナスの商売だった。
Whirlpoolだけではない。すべての製造工場がそうだった。
2008年以降、閉鎖された工場で働いていた何千人という人々に、もう仕事は残されていなかった。
正直に、誠実に働いて生きる道は、風に吹かれるようにメキシコや東アジアへと消え去っていた。
残されていたのは、ガソリンスタンド、ダラー・ジェネラル、ウォルマートのレジ打ちだけ。
人口1,200人のあの町の周辺には、ガソリンスタンドはたったの2軒しかない。
そのうちの1軒は最近潰れ、もう1軒はパキスタン人の家族が経営している。
その結果、その町の世帯収入の平均は、今では年間3万ドルほど。
残っている家庭のほとんどが州の援助に頼っている。
そして、オピオイドとメタンフェタミンの乱用は、かつてないレベルにまで達している。
それでもなお、あの人たちは言うのだ――
軽蔑に満ちた顔で、嘲るように。
その一方で、喜々として、ろくにスキルもない安価な移民を大量に受け入れ、
血と汗と涙をもって、この国を築き上げてきた。
何もない荒れ地から、土を起こし、何もないところから一つひとつ積み上げてきた。
病に、命を奪うような天候に、部族との争いに、裏切りに、そして無法の地という本質的な危険と向き合いながら。
この国は――一つひとつの煉瓦が、この地球上で最も勇敢で、最も屈強で、最も忍耐強い人間たちによって積み上げられてきたのだ。
それなのに、ここ60年の間に起きたことは何だ?
象牙の塔にこもる学者気取りの詭弁家ども、ワシントンの豚ども、銀行業界のクズども――
そういった連中が、自分たちの口から出る唾で、我々の先人の名誉に、犠牲に、共同体に、人種に、信仰に――ありとあらゆるものに唾を吐きかけてきた。
それだけではない。彼らは、先人たちが築いた遺産そのものにも、
その子どもたちにも、孫たちにも――
そして、本来受け継がれるべき権利にすら、平然と唾を吐きかけているのだ。
アメリカ政府と、その利害をともにする者たちがこの国の本来の継承者に対して行ってきた――組織的な裏切りという悪行に対して、
英語の語彙には、その凶悪さを正確に表現できる言葉すら存在しない。
この国を、神に見放された未開の地から掘り起こすために流された血は、確かにそこにあった――実在する、物質としての血だ。
血は、人と同じように「物質」だ。
「理念」には血は流せない。
本当に血を流し、命を捧げ、その結果として我々が今享受している「快適さ」や「贅沢さ」を築いた、
すべての者たちへの裏切りだ。
この60年間、あらゆる旧来の制度、学術機関、政府機関、NGOは、過去10年の間ずっと、この国を築き上げてきた人々に対し、様々な言い回しで「本質的に」「根源的に」「存在そのものが悪である」と言い放ってきた。
我々を「人種差別主義者」「強姦魔」「ジェノサイド加害者」「奴隷商人」「抑圧者」「山奥の未開人」「近親交配の成れの果て」「救いようのない堕落者」「クソ白人」――そう罵りながら、裏では密かに「余剰な生体資源」としての我々をどう始末するか、その計画を着々と練っていた。
代償を払ってもらう時が来たのだ。
国家予算でぬくぬくと生きる、悪意に満ちたミュータントどもは一人残らずクビにしろ。
そして、ドルを「世界基軸通貨」という地位から引きずり下ろせ。
我々、特に自らを“民族的な”ヘリテージ・アメリカンだと考える者たちは、短期的にどれほどの犠牲が伴おうが構わない。
それによって、自分たちが正当に受け継ぐはずだった遺産が焼き尽くされる様を、ただ黙って見ている必要がなくなるのなら――我々はその代価を喜んで支払う。
我々は、罪を犯した者たちがその報いを受けることを望んでいる。
首が飛ぶのを見たいのだ。
What they had been building was a community. A community in which people went to every imaginable length to help out every single person they could—a place where international trade policy and CDOs were mere distant thoughts.
But as is they way the world works now, small towns in small empty states, a hundred years of community building or not, are just simply a sacrifice the powers that be are willing to make in exchange for a mere few more bips.
My papa was forced into retirement in 2011, and my nana stayed working at the school for the next decade. My papa though, wasn’t quite willing to throw in the towel. He tried increasing the size of his herd of brangus, but alas, cattle farming has been a cash-negative endeavor for several decades.
Like Whirlpool all the other manufacturing plants. There was no work to be found for the thousands of people combined plant workers that had been laid off in the wake of 2008. Every single way of making an honest living had up and gone with the wind to Mexico and East Asia.
There was nothing left but being a Gas station, Dollar General or Walmart cashier, and Walmart paid $7.25 an hour back then.
But you’d be hard pressed to even work at a gas station. There are only two gas stations immediately around that 1,200-person town; and one of them just went out of business, the other is owned by a Pakistani family.
As a consequence, the average household income in that town is now ~$30,000 a year. 90% of the children are on free and reduced lunch, most of the families that remain are on state assistance, and opioid and meth use has reached unprecedented rates.
And yet, “learn to code” they contemptuously sneer, all while gleefully kicking the door wide open to a swarm of cheap, barely-proficient immigrants, tanking the tech labor market behind everyone’s back.
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彼らが築き上げてきたのはコミュニティでした。人々が考えられる限りのあらゆる手段を講じて、できる限りのあらゆる人々を助けるコミュニティであり、国際貿易政策やCDOが単なる遠い考えである場所でした。
しかし、現在の世界の仕組みでは、小さな空っぽの州の小さな町は、コミュニティの構築が100年であろうとなかろうと、権力者がほんの少しの利益と引き換えに喜んで払う犠牲に過ぎません。
私の父は 2011 年に強制的に退職させられ、祖母はその後 10 年間学校で働き続けました。しかし、父は諦めるつもりはありませんでした。ブランガスの群れを増やそうとしましたが、残念ながら、牛の飼育は数十年にわたって赤字が続いていました。
ワールプール社のような他の製造工場も同様です。2008 年以降に解雇された工場労働者を合わせた数千人に仕事は見つかりませんでした。まともな生計を立てる手段はすべてメキシコや東アジアに消えていきました。
ガソリンスタンド、ダラージェネラル、またはウォルマートのレジ係になるしか選択肢はなく、当時ウォルマートの時給は 7.25 ドルでした。
しかし、ガソリンスタンドで働くことさえ難しいでしょう。人口 1,200 人のその町のすぐ近くにはガソリンスタンドが 2 つしかありません。そのうちの 1 つは最近廃業し、もう 1 つはパキスタン人の家族が経営しています。
その結果、その町の平均世帯収入は現在年間約3万ドルです。90%の児童は無料または割引の昼食を食べて、残っている家族のほとんどは州の援助を受けており、オピオイドとメタンフェタミンの使用率は前例のないレベルに達しています。
それでも、彼らは「コーディングを学べ」と軽蔑的に冷笑し、安っぽくてほとんど熟練していない移民の群れに喜んで扉を大きく開け放ち、誰も知らないうちにテクノロジー労働市場を崩壊させている。
https://x.com/FedPoasting/status/1908020399838724436
Bugman Hegel
@FedPoasting
My family, stretching back to the 1600s, has given their blood, sweat, and tears making this country what it is. Building it up from dirt. From nothing.
400 years of living in unimaginably hostile conditions. Braving the disease, deadly weather, tribal nations, treachery, and lawlessness that is inherent to an ungoverned, unsettled territory. This nation was built, brick by brick, by bravest, toughest, most resilient people on the face of the earth.
And yet, for the past 60 years, the academic sophists in the ivory towers, the pigs in Washington, and the good-for-nothing parasites of the banking class have not only seen it fit to spit on their names, their sacrifices, their community, their race, and their religion, but also spit on their legacies, their children, their grandchildren, and their rightful inheritance. There are not the words in the English language to describe the evil of the orchestrated treachery that the United States government and those so interested, have inflicted on the inheritors of this nation.
The blood that was spilled carving this nation out of the god-forsaken backwaters it was, was a real, material thing. Blood, like people, is a material thing. And nations are comprised of people. America is a people. Ideas can’t shed blood; only people can. Ideas can’t sacrifice; only people can.
To call America an “idea” alone is to forsake all of those who shed their real blood and lost their real lives to construct the very comfort and luxury required to sit back and even consider calling such a sacrifice an “idea.”
私の一族は 1600 年代まで遡り、血と汗と涙を流してこの国を今の姿に築き上げてきました。土から、何もないところから築き上げてきたのです。
想像を絶するほど過酷な状況で 400 年間暮らしてきました。病気、恐ろしい天候、部族国家、裏切り、そして統治されていない未開拓の領土につきものの無法状態に立ち向かってきました。この国は、地球上で最も勇敢で、最もタフで、最も粘り強い人々によって、レンガを一つずつ積み上げて築かれました。
しかし、過去 60 年間、象牙の塔にいる学問上の詭弁家、ワシントンの豚野郎、銀行家の役立たずの寄生虫たちは、彼らの名前、彼らの犠牲、彼らのコミュニティ、彼らの人種、彼らの宗教に唾を吐くだけでなく、彼らの遺産、彼らの子供、彼らの孫、そして彼らの正当な相続財産にも唾を吐きかけてきました。米国政府とそれに関心を持つ人々がこの国の継承者に与えた組織的な裏切りの悪を表現できる言葉は英語には存在しません。
かつて神に見放された辺境の地であったこの国を切り開くために流された血は、現実の物質的なものでした。血は、人々と同様、物質的なものです。そして国家は人々で構成されています。アメリカは人々です。思想は血を流すことはできません。できるのは人々だけです。思想は犠牲を払うことはできません。できるのは人々だけです。
アメリカを「理念」と呼ぶことは、ただ座ってそのような犠牲を「理念」と呼ぶことを考えるために必要な快適さと贅沢さを築くために、本当の血を流し、本当の命を失ったすべての人々を見捨てることです。
https://x.com/FedPoasting/status/1908020403059949699
Bugman Hegel
@FedPoasting
For the last six decades, every single legacy institution, academic institution, government institution, and NGO has spent the past decade calling the very people who built this nation various iterations of uniquely, inherently, ontologically evil, calling us racists, and rapists, and genociders, and slavers, and oppressors, and backwoods, and inbreds, and reprobates, and white trash—all the while not-so-secretly making contingency plans for what to do with those of us ultimately considered excess biomass.
The American people decided at the ballot box. It’s time to pay the piper.
Bring back manufacturing, slap tariffs on imports, close the borders, deport the illegals, fire every single spiteful government-funded mutant, and remove the dollar from its position as world reserve currency. Americans, especially those of us who consider ourselves “ethnically” Heritage American—do not care how much it’s going to cost us in the short term; we are willing to sacrifice if it means we don’t have to sit and watch what’s left of our rightful inheritance be burned to the ground.
We want those guilty to pay their due penance. We want heads to roll.
過去 60 年間、あらゆる伝統的な機関、学術機関、政府機関、NGO は、この国を築いたまさにその人々を、さまざまな意味で独特で、本質的に、存在論的に悪であると呼び、私たちを人種差別主義者、強姦者、大量虐殺者、奴隷所有者、抑圧者、田舎者、近親交配者、堕落者、白人ゴミと呼び続けてきました。その間ずっと、余剰バイオマスと見なされる私たちのような人々をどうするかについて、それほど秘密ではない緊急時対応計画を立てていました。
製造業を復活させ、輸入品に関税を課し、国境を封鎖し、不法移民を国外追放し、政府資金で賄われている意地悪な変異種を一人残らず解雇し、ドルを世界の準備通貨の地位から排除する。アメリカ人、特に自分たちを「民族的に」伝統的なアメリカ人だと考える私たちは、短期的にどれだけの費用がかかるかなど気にしない。正当な遺産の残りが焼き尽くされるのをただ座って見過ごす必要がないなら、喜んで犠牲を払うつもりだ。
私たちは罪を犯した者たちに当然の罰を与えてほしい。首が飛ぶことを望んでいる。
新
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月14日
「知らない人のほうがまとも」ということは世の中にたくさんあるからね。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月14日
「こいつは味方じゃない」「あいつも間違っている」「そいつもダメだ」と言ってるうちに誰もいなくなっちゃうじゃないか。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月15日
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月15日
しかし「大筋で実施することに決まったこと」についていざ実施しようとするといままで一度も言わなかったことを理由に「できない」と言い出す人にはどうしたらいいのかと思うよ。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月15日
冥王星の鮮明な写真を得るみたいなことだって「何の役に立つのか」といったら具体的に何かの役に立つわけではないよね。
posted at 14:00:27 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
posted at 07:36:41 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
もともと「学者だから」というだけの理由で政治的な信条に共通点が生まれるわけでもなし。
posted at 07:37:46 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
誰がどの「デマ」を信じてどの「デマ」を信じないかというのは面白いね。
posted at 07:40:29 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
学者がみんな「リベラル」なんて文系学部のごく限られた分野だけだと思う。
posted at 07:48:40 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
posted at 08:03:48 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
基本的なことをきちんと勉強したいなら震災より前に出版された本を読むのがいい。
posted at 08:06:47 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
ネット検索でもタイムスタンプを見て震災前に書かれた記事を読んだほうがいい。
posted at 08:07:26 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
posted at 08:08:07 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
ほんと19歳のときだったらそれぞれ死を考えるほど深刻に思えたかもしれない出来事が毎日2個ずつくらい起きるもんね。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
ただ人間の発達は時代によって変化するので学校制度もときどきそれに合わせて直さないといけない。青年期の始まりを第二次性徴と考えるともう小学校5年くらいがそれである。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
実際にその音楽がどういう音質で聴かれるかは音源だけでなく再生装置にも大きく依存する。音源を良くしてもパソコンのスピーカーで聴かれたら同じだと思う。
posted at 04:40:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
40歳くらいの頃には毎日夜遅くまで研究室で仕事をしていた。夕飯を食いに家に戻ってそれからまた大学に行ったりもした。それをやめて毎晩同じ時間にバスで帰るようになったのは今の家に引っ越してからだ。
posted at 04:46:59 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
「いつ寝てるんですか」「あなたが寝ているときに寝ています」。
posted at 05:01:16 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
今や世界で毎日撮影されている写真の半分くらいが自撮りなのではないか。
posted at 05:03:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
「研究者たるものなんの役に立つのかと聞かれたら役に立ちますというお話の一つや二つできるようにしなけりゃ」というのは正論なんだけど、方便だったはずのその「お話」に自分自身も縛られて、そのうち本気でそれが研究の目的だと思い始めたりする。
posted at 08:18:09 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
@izatate 基礎と応用というのはどの学問でも永遠の論争の種です。基礎の中にも応用があり応用の中にも基礎がありと入れ子になってますからね。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
われわれ世代は子どもの頃から「石油がなくなる」「徴兵制になる」「氷河期が来る」と繰り返し言われすぎていまそれを言われてもまったく信じる気になれない。
posted at 08:32:06 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
@Ooh1024 俺は温暖化自体はあるだろうがその原因が人間なのかは怪しいと思いますね。
posted at 08:37:57 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
別に目くらましとか茶番とかではなく,実際に安保法制よりも新国立競技場問題のほうが安倍政権の維持のために深刻な問題だったのだと思う。タイミングはもちろん計っただろうとは思うが。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
ペットの飼育自体を制限するのが一番たくさんの命を救うと思うよ。
posted at 16:41:14 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
十勝には畜魂碑や馬魂碑がたくさんあるがそれは別に十勝の人が牛馬を大切に扱ったことの証拠にはならないだろう。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
20年くらい経ってから「実は自分も反対だった」と言うんだよね。
posted at 02:45:49 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
ツイッターを見ていていつも不思議に思うのは「どうしてこの人はこんなに自分が頭がいいと信じて疑わないことができるのか」ということだ。「辛口」系の人に多い。
posted at 02:55:02 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
TLを拝見すると本もあまり読んでいないしさまざまことの基礎知識も穴だらけだし、書いていることはすべてどこかで誰かが言ってたことの受け売りなんだけど、「自分はなんでもわかっている」という自意識だけが強烈に伝わってくる。
posted at 02:59:02 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
いっぽうで「この人はなんでこんなことまで知っているのだろう」と専門家でも舌を巻くような人がたくさんいるのもツイッターの面白いところだ。そういう人は概して自省的だしプロフィールにも辛口とか書いてない。
posted at 03:05:55 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
文系でも分野によるとは思うが、文系の卒論はまあ学部で習ったことのおさらいにちょっと毛が生えたものか高校からの「調べ学習」の延長くらいなものが多くて、それが修論で一気に「研究」の域に入る感じだが、理系だと卒論からすでに研究で、卒論で学会発表したり投稿したりしている。
posted at 03:27:00 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
そのぶん卒論と修論は同じテーマで同じ手法でという流れになってることが多くて、優秀な卒論に負ける修論もけっこう多い感じだ。「これが卒論、すげえなあ」と思うことと「これでも修論なの?」と思うことを両方経験する。
posted at 03:29:49 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
私と同世代ですでに修論と修士号を廃止している一貫制大学院があって、そこを博士前期で退学してしまうと大学院に2年行って単位を取っても修士号がもらえないんだ、ほんとそれは大変だねえみたいな話を聞いた覚えがあるんだよね。どこだったか。
posted at 04:00:55 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
現行の臨床心理士制度でも倫理規定で秘密保持義務は定められていて違反すると資格剥奪だが公認心理師法案では罰則まで定められていたかどうか。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
よい資料を見つけた。この文科省の資料に関係する論点がほとんど書かれている。www.mext.go.jp/b_menu/shingi/...
posted at 04:41:44 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
いちばん人のいない時間にバルトークラジオを聴きながら誰にも読まれないことをたくさん書いたぞ。
posted at 05:00:51 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
だから優秀な卒論を書いた学生が「自分テーマを決めて研究する」ところへ行くまでに一度ダメな時期を経るのかもしれない。
posted at 05:21:53 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
個人的には養成系学部学科では卒論卒研はなくしてコースワークをびっしりとやったほうがいいと思っている。じっさい十分それだけ勉強すべきことがあると思うし。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
授業ではきちんと勉強させなくても卒論をやらせればそれぞれにそれなりのことを学んで卒業していく,ということに教員や大学が甘えている,ということは間違いなくあると思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
その点では法学部や経済学部のように「学部で学ぶべきこと」は基本的に授業科目できちんと教えた上でエクストラとして卒研がある,卒研抜きでも教育の質は保証できる,というのが本来の姿だと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
日本の大学のような卒論や卒研はほとんど日本にしかないという事実をどう考えるか。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
「妾」と書いて「わらわ」とか「わたし」と読むんだよね。
posted at 13:42:49 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
「自分は卒論をやって有意義だった」という話と「日本の大学のカリキュラムの中でこれから卒論をどうしていくか」という話は別の話だと思う。
posted at 16:37:15 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
政治や社会や教育の問題を「人の道」で解決しようとするなという話。
posted at 19:14:26 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
赤旗の特派員が中国で殺されかけたことなんかもうみんな知らないだろう。
posted at 19:48:26 削除
まだお迎えして3週間足らずで毎週病院通いになりました。
お迎え2日後に猫風邪と結膜炎発覚→通院です。
ストレスが多いのかなかなか猫風邪が良くならず、必要なワクチンも打ててない状況。
先生に「ストレスになるようなことしてません?」と聞かれても、いやまだお迎えして2週間も経ってないんだよ?そりゃストレスもあるだろ、としか返せない。
ゲージメインの生活で毛布もかけて、音にも気を使って触りすぎず、長毛種だから本来は必要なブラッシングもやらず、の生活だよ。
それでもゲージから出たがるから定期的に出したり様子見たりとかなり気にかけてると思う。
私が在宅仕事だからできてることで、多分共働きフル出社だと難しいだろう。共働き片方在宅の私たちでもかなり疲弊している。
そんな中先日ペットショップから「カリカリはこの量を与えて下さいねー」と言われていた量がかなり少ない量だったことが判明。
ペットショップの言われるがまま餌のパッケージの表記を確認できてなかった私の落ち度ではあるが、大体20gほどは少ない量になっていた。
そんな少ない量しか与えられてなかったうちの子が可哀そうで涙が出てくる。
気づけなかった自分にも腹が立つ。
お迎えしたペットショップは以前炎上したあそことかではないし、事前に調べて悪くなさそうだと判断した結果選んだショップだ。
わざわざペットショップを選んだ理由として、夫婦ともに猫飼育歴はなく共働きということもあり、ペットショップかブリーダーしか選択肢がなかったのもある。
猫風邪はおそらくペットショップで罹ったものだろう、結膜炎も放置されていたのだと考えている。
ペットショップを避けてブリーダーからお迎えしたとしてもこのリスクは避けられないのだろうな、と思う。仕方ないとはわかっているものの腹は立つ。
健康な生体販売が大前提なのに、病気の猫を治療せず販売したのだから、30万以上もの大金を払うのだから健康であってほしいと思うのは当然だろう。
こんな状況ではあるがうちのこが可愛いことには変わりない。
幸い、ペット保険には加入していたし、ワクチン3回目接種前だから多分猫風邪治療のぶんも保険が下りるはず(猫風邪はワクチンで防げる病気のため、一般的には保険適用外)
なんかみんな書いてるので。
私はどちらも言うようにしている。それこそ牛丼屋みたいなところでも。
いただきますは小声で他の人に聞こえないぐらいの感じ、ごちそうさまは店員さんに伝わるぐらいの声量で。
家で自分で作ったご飯を食べる時も言う。これはまぁ、何かに感謝しているとかそういうのではなく、何となくそう言葉を発することで自分の中の「場面」が切り替わる感じがするんだよね。
食に関しては命を与えてくれる食材自体はもちろん、それを栽培したり飼育したり漁獲したり加工したり流通させたりしてくれる人たちがいてこそ食卓が成り立っているので、そういう環境を享受できることに対して感謝の念を持っているなとは思う。
だから食は粗末にしちゃいけないと何となく感じているし、だから食に対しては真剣に向き合うべきだと思っていて、その真剣さのスイッチを入れるのがいただきますなのかなって。
ごちそうさまはどちらかと言えば作ってくれた人に対する感謝が強いのかも。だからお店では店員さんに聞こえるように言うし、逆に自分で作った時はあんまり意識してないかもしれない。
まぁこれも普段からこんな細かく考えているわけではなくてほぼ無意識にやっている自分自身の心情を分析してみるとこんな感じかなというだけで。
別に言わない人がいても良いと思う。言わないのは失礼だとまでは言わない。ただ丁寧にそういうことを言う人の方が育ちがいいなぁとは思うけどね。
理解できないのは「金を払ってるんだからごちそうさまなんて言うのはおかしい」とか宣う連中ね。そればかりは、ああこの人は馬鹿なんだなぁ、可哀想な頭の持ち主なんだなぁと思う。
どうも、元飼育員です。
はい、自己紹介は終わり。タイトルの通り才能について話していきますね。
それは
・他者との「違い」
以上です。ありきたりですよね。拍子抜けだったらすみません。
ですが、このような結論になったエピソードがありますのでよかったら見てってください。
「キリンの蹄を削っといて」
皆さんだったらどうしますか?とりあえずヤスリ持って近づいてみたください。蹴られますね。
麻酔を使ったらどうか。アリです。ただリスクあります。体への負担すごいです。
投薬量のコントロール、覚醒時の衝突事故などなど・・・懸念事項はたくさんあります。
じゃあどうすんのよ。
・無麻酔
・キリンに協力してもらう
はい、こんな感じです。
ざっくりイメージを伝えるなら「お手」の応用です。そうです、犬にやるやつ。
ゴールはこれです。実際の目標設定はもう少し細かいですが本題と関係ないので省きます。
さて「才能」についての話でしたが、このゴールまでの過程に色々思ったことや気づきがありました。
台座に足を乗せてもらうと述べましたが、これがなかなか難しいのです。
・キリンを呼ぶ
・キリンを寄せる(柵とか仕切りに)
・キリンに足を上げてもらう
・足を台に乗せる
・ヤスリなどで削る
・キープ
段取りはこんな感じですね。1つ目はエサ使えばいい話なんでどうでもいい(よくない)として、
2つ目、3つ目が最初の壁であり「才能」について気づきがあったフェーズでした。
こんなこと言うとあれですが、賢い個体だとあっという間にヤスリで削るフェーズまでトントン拍子で進みます。
いいえ違います。このエピソードの主人公はおバカなオス個体です。
このオスはキリンの中ではとりわけビビリで少しの異変で固まってしまったり、パニックになると
とりあえず「蹴る」ことを選択してしまう子でした。もう愛すべきおバカさんです。
さあ、R君に蹄のケアの協力をしてもらいましょう。
早速餌で呼びます。来ます。柵に寄ってもらいます。なんだか斜めですが良しとしましょう。足を上げてもらいましょう。
凄まじいスピードで蹴ってきました。あー大変。まあこんな感じです。素晴らしいスタートです。ワクワクしてきますよね。
では、どのようにして解決したのでしょうか。
一見、欠点に見える(人間が管理する上でね)この個性を逆に利用してやりましたよ。
アプローチとしては、わざと蹴らせるように誘導しました。関節をいい感じに軽く触ったりしてね。
で、その刺激を受けたことで振り上げた足を手で触れてそのタイミングで餌を与えました。これをひたすら繰り返しました。
すると、最初は荒っぽく足を振り上げていたのが次第に「スッ」「スッ」って感じにこちらが差し出した手に足を当ててくれるようになりました。
こうなったらこっちのものです。人の手でコントロールをできる段階を部分的にではあるが早めにクリアすることができたので
「蹄を削る」という目標に向けてどんどん加速していきました。不思議ですよね、ひとつ一定規模の成功体験を与えると、
頭が活性化するのか知りませんが、これをきっかけにしてできることがどんどん増えていくのですら。
実際、足上げのコントロールの段階を7割くらいクリアしつつある頃に、肩に触れる、お尻に触れる、もちろん足を上げたままを保つ、
斜めだった柵へ寄せが柵と平行になる…などへの展開がスムーズになりました。
本当はもっと細かく段階を踏みましたし、意識したポイントなども語り出したら滝のように湧いて出てきますが、
そのレベルの過剰な具体性のあるエピソードなんて誰も期待していないと思いますので、この辺りで留めたいと思います。
長々と語ってきましたが、私の思う「才能」の見つけ方は、その環境下での他者との「違い」を理解することだと思います。
このような意見は正直SNSで散々あると思いますし、「そんなん知っとるわい」という方もたくさんいらっしゃるでしょう。
ただ、この意見を裏付ける具体的なエピソードってどれくらい見られますかね?あったとしても耳触りの良い抽象的な文章の羅列に
埋もれてしまっている印象ではないですかね。この辺りよかったら意見欲しいですし、なんならそのような掲示板があると良いなと思いますが…。
少しそれましたが、今回はキリンを切り口にして「才能」の見つけ方に関する意見をダラダラと語らせてもらいました。
なんとなくこの経験って人間にも当てはまるのかな?って当時思ったことをダラダラと綴ってみましたが、いかがですかね。
「蹴りグセ」という人間が管理する上で都合の良くない個性を応用してみた話でしたが、このような事例は様々な分野で展開できると考察してますし、
自分に自信のない人、新人教育で悩んでいる人、部下のマネジメントでやや億劫な思いをしている人などに対して
参考になる要素が1ミリくらいあったのではと少々の俗っぽさを塗した期待の心でこの文章を書きました。
最後になりますが、ここまで駄文を読んでくださった方には心から感謝の気持ちを持っているフリをさせていただきます。
終わり。