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はてなキーワード: 風景とは

2025-06-01

車で遠くに行きたいか

知らない風景を見たい。それだけだよ。金を落とすことはしない。 anond:20250531180021

anond:20250531180021

施設とか風景に興味がないとなると、文化資本的何かが欠落しているのかな。

anond:20250531180021

食べ物に興味がないのは旅行の楽しみの何割かを失ってることになるのに、施設風景に興味がないのは旅行の楽しみの何割かを失ってることにはならないの?

俺はまぁ両方興味あるけど

2025-05-31

anond:20250531224042

似たようなハンバーガー食える店は日本にもあるしパンは粉買って自分で作ればよくね

今は通販も充実してるし食い物こそ旅行なんてする必要がない物筆頭だと思う

建物風景美術品などはそれがある場所に行かなければカメラを通したものしか見られないか旅行必要がある

ヨルシカアポリアという曲のコメント欄

以下、原文まま

世界が素晴らしい物事で溢れていることに最近気がついた。

SNSソシャゲ恋愛ごっこ高校生活を費やし、評定3でもとれる指定校推薦で進学した都内私大世界にとってなんの意味もない需要曲線だの供給曲線だの効用だのクモの巣だのくだらない講義を聞きながら眠りこけ、慌てて詰め込み勉強して地方公務員になった。

風景職場で見窄らしいじじばばの相手してエクセルにパチパチデータを入れる日々。

人生を捨ててしまった。

俺にとってはこの歌もアニメ登場人物たちも航空工学勉強してる弟も眩しすぎて苦しい。

これを読んだ中学生高校生たちへ。

くだらない消費や遊びや怠惰に流されず、しっかりと将来について考えて生きて欲しい。

そうすれば人生は楽しくてワクワクして輝かしいものになるよ。

感想

悲しい。

高校生の我が息子よ。数学を捨てるなんて言わないで。

仕舞い込んだフォーカスゴールドにもう一度取り組もう。

逆に食べ物に興味ないのに旅行行くのって凄い!

いつもと違う体験子どもにさせてあげたいとか、風景を見せてあげたいとかかな。

それも素敵だね〜!

今日街コンに参加してきた

今回のものは三対三。

グループ形式であり、制限時間は約10分。

最初定番質問が飛び交った。

仕事は?

趣味は?

好きな食べ物は?

そして俺の番になった。

趣味映画です、と言った。

同じテーブル若い男がニヤついた。

「お、映画っすか」

隣に座ったその若い男はその場を仕切るように反応する。

構わない。

俺は続けた。

ジャン=リュック・ゴダールって知ってますか?」

その瞬間、空気が変わった。

笑っていた女の子も、黙った。

ニヤけていた男は苛立たし気に表情を固める。

俺は構わず話を続けた。

特に好きなのはフォーエヴァーモーツァルトです」

「あの映画ゴダール晩年集大成のような作品で、戦争芸術、死とユーモア現実虚構を交差させながら、観る者の倫理観を揺さぶる内容です。

映像詩のようでもありながら、どこまでもドライ冷笑的。だけどそこに燃えるような怒りと祈りがあって、語りが被さるたびにこっちの心拍数は上がっていく。

あの映画を観るたびに、人はなぜ表現をやめないのかという問いが、喉元に引っかかって離れないような感覚に見舞われる。

戦争悲劇を、ただ悲劇としてではなく、ある種の断絶と連続として描いた彼の視点には何度も胸を打たれました」

俺は淡々と語った。

辺りは沈黙に包まれ沈黙が続いた。

腕時計を見ている女性

こっそりとスマホをいじる女性

水を飲む男。

誰も、俺を見ていない。

でも俺は話をやめなかった。

フォーエヴァーモーツァルトは、戦争中のボスニアに向かう演劇一座を描く。

テーマ戦争芸術現実虚構の断絶。

劇団マリア戦争という芝居を通じて芸術の意義を問い直そうとする。

だが彼らは途中で軍に拘束され、悲劇的な結末を迎える。

アントワーヌ・ド・ベックは万事快調のDVD特典にある解説でこう言っていた。

ゴダールにとって映画とは問いを発するための兵器であり、

この作品戦争の荒廃に対して、芸術の無力さと暴力対称性並置する試みだと。

そして彼は続けた。

“Forever Mozart”というタイトル自体が、皮肉祈り内包している。

クラシック音楽永遠性を借りながら、その普遍的価値すら問い直している。

この視点が、俺の中の何かを決定的に壊した。

美しい無人風景

瓦礫

カメラは冷静に、かつ無慈悲現実を捉えていく。

だが、その隙間から滲み出るのは祈りに近い温度

あれほど絶望的なのに、希望を捨てていない。

この映画を観たあと、しばらく言葉が見つかりませんでした」

若い男は歯軋りするな目で俺を見つめる。

かいに座る女性は俺を見て微笑んだ。

その瞳に理解の色はまるでない。

水ばかり飲んでいる男のごくっごくっという音がその場に響き渡った。

彼らはゴダールのことを何も知らず、そして理解することもないだろう。

だが構わない。

それでもいい。

映画とは問いだ。

感動ではなく、問いだ。

俺はそう思っている。

わかってほしいとも思わない。

そして、この空間もまた問いだ。

いかけることにこそ意味がある。

理解できてしまったら、そこに問いは生まれない。

から俺は満足していた。

理解されないことにこそ、満足があるのだから

anond:20250531180021

増田が食にこだわってるみたいに他の人間建造物とか風景かにこだわってんだよ

旅先で食にこだわらない人ってなんのために旅行してるの?

これ引用で元ツイの友人の同類に噛みつかれまくってるけどさ

その土地食べ物料理って文化歴史が背景にあるわけで、食べないにしてもそれに全く興味がないって何の為に観光した…?その土地ならではの食べ物に関心がないという事は、旅行の楽しみの何割かを最初から失っているのでは?食欲は人間最後欲求からそれがないということはあらゆる事に興味がないと思う。

食に興味がないとなると、文化資本的何かが欠落しているのかな。

引用言い訳してる奴らとは今後も絶対出会いたくない。施設とか全く興味無いし風景なんて海外にでも行かないと国内は割とどこも見た事ある感じで面白みない 。

私もかみさんも、旅先でのご当地の美味しいものが楽しみなので、子供もそういう感性で育った。

沖縄での修学旅行グループ行動のときグループで昼食をどこでとるか決める時「マクドナルドでいい」という女子グループねじ伏せてソーキそばを食べてきた、と長男が言ってた。

2025-05-30

友人の自主制作映画が最高だった話

今日の話だからそのままの熱量で書く。

友人はカメラ好き。いい風景を見つけると気づけば周りから離れて撮ってるタイプで、あと映画めっちゃ好きな奴なんだ。彼が自主制作映画作ってるっていうのも前から聞いてはいたんだけど正直趣味範疇だろうなーって思ってた。

前に仕事終わりに家に来いって言われて、行ったんだよ今日。で自主制作映画を見せられた。

結論から言うと最高だった。

内容はナレーションベースSF。派手なアクション演出はないんだけど、とにかく画が綺麗。本当に綺麗だったんだよ。

その映像コロナ禍のときに友人が東京渡り歩いて撮ったもの。あの頃の、人がまったくいない東京景色だ。無人の街。もうそれだけで特別感すごいんだけど、映像にするとこれがもう異様だった。

無人秋葉原とかシュタゲかよって話で、それを等身大視点映像として観れただけでも興奮した。

何の変哲もないただの秋葉原カットなのに、誰もいないだけで途端に未知なるSF感があった。もはや現実とは思えない。そう、異世界無人ってだけで街が異世界に見えるって何だよ。

無人ってだけで都会がとにかく綺麗に見えてさ、北野映画によくあるような海岸のシーンを想起してしまうくらいには美しい。

そこで気づいたんだ。ああい大自然カットが美しいのは単に自然が美しいからじゃない。人間がいないから美しいんだって

無人渋谷無人品川無人上野。次々と現れる無人都市

それがただ静かにゆっくりパンしたり固定カメラだったりで映されていく。

何も起きない。ただ映像ナレーションだけ。

なのに見終える頃には、心が震えていた。

これYouTubeにアップすれば絶対バズる話題になるよと友人にいったんだけど、友人はこれを公開する気はないらしい。

もったいない気はするけど、それが彼のポリシーなら仕方ない。

でもこの感動を誰かに知ってほしくて、ここに書いてみた。

彼が撮ったあの東京無人映像が、どれだけ美しくて、どれだけ心を動かすものだったのかを。

2025-05-26

変わっていく話

最近地元役所用事ができて実家に帰った。市役所には小さな子供連れが大勢いて、特段、活気のある自治体だと思っていなかったので驚いた。若い人たちの街になりつつあるのか。自然が多いわりに便利でいいところだぜ。みんなもこの街を好きになってくれたら嬉しい(俺はもう暮らしてないけど)。

用を済ませて、滞在中の実家に戻る。なんとなく思いたって、イヤホンニュースを聴きながらかつての近所をぶらぶら散歩することにした。

歩いて5分ぐらいのところにある老舗のスナック。いま40手前の俺がまだ中学生だった時点でけっこうなバアさんのママ経営していたが、「そういうバアさんがいたよな」と思いながら前を通りかかったら、もっとバアさんになった本人がひょっこり出てきたので驚いた。別に面識もないし、嬉しいも何もないが、すげえな、という感銘を抱いた。

そのまま通り沿いに歩くと、旧友が暮らしていたマンションがある。これも20年以上前、俺と友人がまだ中学生のころに建ったもので、小さな戸建てやアパートばっかりの風景にいきなりどかんと現れた、ガラス張りのエントランスをもった近代的なマンションにはきらびやか存在感があった。ロビーインターホンを鳴らして住人を呼び出す建物もここではじめて見たのだ。

いま見てみると、単純に年月が経過したせいもあるだろうけど、キラキラした威容はなくなり、壁面のタイルの目地にしみついた汚れが目についた。小さかったっけこんなに、とも思った。時代が経ったんだな、と感じた。

駐車場側に回ると2mほどのフェンスと植え込みがあり住居棟との間を仕切っている。中学高校のころ、これをよく気合で乗り越えて中に入っていた。これをすると、友人が「エントランス開錠してないのに、お前どうやって入ってきたんだよ」と驚きあきれるので面白かった。ほとんど無意味しょうもない行動だ。友達が驚くというだけでそんなことをする価値がある年齢だった。

大きな車道を一つわたって、目の前に集合団地の見える通りを歩いていく。昔は、右手にやたらとじめじめした陰気な家があって、ここにものすごく愛想のいいかわいい猫が住んでいた。大学生のころ、わざわざよく撫でに行った。いまは完全に更地になっていた。

団地にぶつかったまま歩いていると、アスファルトの黒い路面の上でうごめくものがあって、見るとジガバチ(狩人バチ)がコガネムシの幼虫を捕まえていた。すでに針でマヒさせた後らしく、コガネムシが痙攣するのを折り曲げた体と脚でがっしりロックしながら、頑張ってどこかに連れて行こうとしている。

すげえな、と思ってしばらく観察していて、小さな子供の頃の俺だったらこれを見てどうしたかな、と思った。もしかしたら、コガネムシがかわいそうだからといって蜂を追い払ったかもしれない。

いまの俺は、なぜそうしないのだろう。蜂には蜂の生活がかかっているから、という理性が働くからだろうか。もしくは、生き物が生きたり死んだりすることへの身に入り方というか、鮮やかさが人生からあせてしまたからか。

いずれにしても俺も変わった。イヤホンで聞いていたニュースで、海外戦争のことが報道されていた。

俺は株をやっているので、もっと混乱がひどくなって株価が下がったら買い増すのもいいな、と思った。ちょうど米国関税方針がぐだついて、下がるならもっと下がればいいのに、と思っていたからだ。

別にもっとひどいことになってたくさん人が死ねばいいとは間違っても思わないし、投資として俺の思うままにならないようにただ平和になるならそれが一番いいと思う。ただ、株価が下がるなら下がるでいいな、と思った。昔の俺なら絶対に思わなかっただろう。街も人も変わる。

2025-05-25

anond:20250525225215

そもそもZUNさんは個人同人サークルで全部一人でやってたのを、重要度が低く個人的なセンスを発揮する場所でもない背景に関して最新テクノロジーを使ってみたくらいのスタンスなんで、知ってる人からすると何を責める要素があるのかって感じなんだけど

それに東方の背景はいつも和柄とかをベースに綺麗に加工したものが流れていくようなもんだったり、山、川、海みたいな自然風景CGエフェクト世界観に溶け込ませてたものだし、せいぜいフリー素材の発展形でしかない

個人的にはZUNさんは過去ZUN絵(竹本泉の影響を受けてるまるっこい少女キャライラスト素人が頑張って描いたような絵柄)を自分AI学習させてキャラ絵にも使ってしまってもいいんじゃないかと思うくらいなんだが

一人で色んなことをやる必要のある同人ゲームクリエイターにとってAIってもっと受け入れられるべきもんだと思うんだよなあ

一人で絵ばっかり描いてきた人がAIに手を染めるのはコアコンピタンス自己否定していくようなもんだけど

関東平野、広すぎて日本バグ。全部がちょっとだけ都会地獄


関東平野マジで日本バグだろ。

広すぎ。均されすぎ。終わらなすぎ。地形に起伏がなさすぎて、人生からクワクもドキドキも消え失せる。

どこまで行っても「東京から電車で1〜2時間の何か」。

千葉茨城栃木群馬埼玉…全部、似たようなロードサイドファミレス微妙道の駅と“やたら強調されたご当地キャラ”。どこ行っても「で、これ関東平野の他の街と何が違うん」って言いたくなる。

いや、地元の人は「うちにはあの観光地がある!あの温泉がある!歴史がある!」とか言ってくるけど、お前それ“ある”って言いたいだけだろ。全国的には無名無名。なんの歴史文化もない。

全国チェーンで埋め尽くされた駅前と、Googleマップしか知名度のない観光地。ぜんぶ“思い出に残らない”の極み。

そもそもさ、「週末ちょっと遠出しようかな」って思っても、関東圏内だと“どこまで行っても何も変わらない”んだよ。

地形がフラットすぎて、「あ、峠越えたな」「雰囲気変わったな」みたいな感覚がない。境界ドラマも皆無。

から、出かけても「ただの移動」になる。

車で行けば渋滞電車で行けば乗り換え地獄、どっちにしても「家でNetflix観てた方がマシだった」ってなる。いやマジで

そしてな、最大の問題は――関東に“ゴール”がない。

関西なら京都九州なら博多東北なら仙台みたいな「行った甲斐のある中核都市」ってのがあるけど、関東はどこまで行っても“中途半端”。

“なんとなく栄えてて、なんとなく寂れてて、なんとなく人は多い”。この地獄三拍子

観光地として弱い、地形として単調、空気感フラット

関東平野の旅って、「日常範囲ちょっと広げただけの作業」なんよ。

いい加減にしてくれ。こっちは非日常が欲しいんだ。心が震える風景意味のある移動、記憶に残る“違い”が欲しいんだよ。

関東平野は、壮大な“郊外”でしかない。

この国の魅力を一番潰してるの、地形的にはここなんじゃねえの?

ラザロ7話

すげー良かった!

脚本はほどよく肩の力が抜けて変なカッコつけが薄く、それでいて緊張感がほしいところはビシッと決まってるし、

温暖化で海に沈んだ都市というのも、設定そのものはよくあるけど風景の見せ方は新鮮だった。

正直クソつまんなかった前回と脚本担当は同じはずなのに、なんでここまで印象が違うんだ?

コンテ岡村天斎から

でも同じく岡村コンテの2話もそんなにだったしな…

アニメって不思議だ。

anond:20250525051258

いうて70年代想像した2025年なんてもっと未来感のある都市じゃなかったか

現実風景なんてちょっとしか変化がない

コロニー内は地球都市をあえて再現がコンセプトなのかもしれない

2025-05-24

anond:20250524173821

そもそも「飽きる」とはどういうことなのかがわからん

景色すげー」みたいな興奮が無くなるってことだとしたら

その「飽きない」のケースもそんな興奮状態じゃないよね

別にタワマンじゃなくたって日常通勤・通学の風景だって

「飽きる」かといえば俺は別に飽きてないし

もちろん興奮状態じゃないけれどね

タワーマンションから景色に飽きない人の特徴

タワーマンションから景色に飽きない人の特徴

タワーマンション景色に3日で飽きるという人はうんざりする程沢山いる。

しかし私は仕事柄タワマン住民と会う機会が多く、景色に飽きないという人の意見をたくさん聞く。そこで今日は飽きない人の特徴を書きたいと思う。

タワマン景色飽きる問題についてここまで詳細に書いた文章は無いと思う。

30〜40階がゴールデンゾーン

まず階数の話から景色に飽きない人たちに共通するのは「30〜40階」に住んでいることだ。

20階以下だと、正直普通マンションの上層階と大差ない。車や人の動きは見えるが、「タワマン景色」という特別感はない。一方50階を超えると、今度は高すぎて人や車が米粒のようになってしまう。建物の細部も判別できなくなり、ただの箱庭を見下ろしているような感覚になる。

30〜40階だと絶妙なのだ。人の動きはギリギリ認識できるし、建物用途構造も推測できる。この「ちょうど良い距離感」が重要らしい。

景色物語を見出す感性

飽きない人たちの最大の特徴は、景色物語性を見つけられることだ。

「あのビル12階、毎日休みになると必ず一人の男性ベランダタバコを吸いに出てくる。きっとオフィスビルで、彼はそこで働いているんだろうな」

「向こうのマンション、夜9時になると3階の角部屋だけ電気が消える。小さい子供がいる家庭かもしれない」

こんな風に、見える範囲人間ドラマ想像し続けている。単なる風景ではなく、そこに住む人々の生活を感じ取っているのだ。これができる人は確実に飽きない。

徹底的に調べ尽くす探究

飽きない人のもう一つの特徴は、見えるものを徹底的に調べることだ。

変わった形の建物発見すると、すぐにGoogleマップを開いて正体を突き止める。「あの尖った建物は何だろう」「向こうに見える街はどこの駅の周辺か」そんな疑問を放置せず、地図アプリ永遠に検索している。

さらに実際に足を運ぶ人も多い。ランニング自転車で「上から見えていたあの場所」に行き、地上から視点比較して楽しんでいる。用途地域の境界線まで調べて「あの辺りから商業地域になるのか」なんて分析している人もいた。

この探究心があると、窓から見える景色が巨大な立体地図になる。ただ眺めるのではなく、常に新しい発見がある状態になるのだ。

時間軸での変化を楽しむ

最後に、時間帯による変化を敏感に感じ取れることも重要だ。

朝の通勤ラッシュ時の人の流れ、昼間のオフィス街の静けさ、夕方帰宅ラッシュ、夜の繁華街の輝き、深夜の静寂。同じ景色でも時間によって全く違う表情を見せる。

飽きない人は「今日普段より遅い時間に人が動いている」「あのエリア電気の点き方がいつもと違う」といった微細な変化まで察知している。彼らにとって窓から景色は、24時間365日変化し続ける巨大なライブ映像なのだ

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結局のところ、タワマン景色に飽きるかどうかは「受動的に眺めるか、能動的に観察するか」の違いかもしれない。景色を単なる背景として捉える人は飽きるが、そこに人間ドラマ地理的な謎解きを見つけられる人は飽きることがない。

タワマン検討中の人は、まず自分がどちらのタイプかを見極めてから決めた方がいいだろう。

2025-05-21

書類を溜めない人と溜める人の決定的な違い

結局のところ、書類を溜めない人と溜める人の差って、決断力なんだよね。溜めない人は「捨てるか、保管するか、アクションするか」をサクッと判断して、「一度触ったら終わらせる」を徹底してる。対して溜める人は「もしかしたら必要になるかも」と思考停止して、「あとでやろ」が口癖になってる。

書類の「行き場所」も全然違う。溜めない人は保管場所が明確で何がどこにあるか把握できてるけど、溜める人は「とりあえず置く場所」だらけ。この違いがモノを探す時間無駄を生み出してる。同じ書類に何度も触れる溜める人と、一度で処理する溜めない人の時間効率は雲泥の差だ。

嫌なことへの向き合い方と習慣化のレベルも決定的。溜めない人は「嫌なことほど先にやる」マインド書類整理を日課にしてるけど、溜める人は「気が乗らないことは後回し」が基本で、やる気の波に任せっきり。小さな習慣の積み重ねが、デスクの上の風景をこんなに変えるんだよな。

anond:20250521000633

メタンガス大爆発炎上して大量の虫に次々火が燃え移って空中に火が伝染していく幻想的な風景が見たい

2025-05-19

犬とご近所

犬を飼っている。もう10歳を超えた高齢犬だ。

少し前まで散歩消極的だったのが、ここのところ何故か散歩燃えていて一日に何回も出たがる。

幸い、増田も在宅勤務でそれほど忙しくないこともあり、犬の散歩要請には付き合ってやっているものの、一つ問題がある。

全然歩かないのだ。

どうも以前、一度日光浴をさせてやろうと家の前に出るだけ出て歩かなかったのが気に入ったらしく、散歩に出たいというより外に出てじっとしていたいみたいだ。

そんなわけで増田の犬は散歩中にじっと立ち止まったり、家の前でじっと立ち止まったりする。

で、ここからが本題なのだけど、そんな感じで犬と一緒に立ち止まっていると、ご近所の方からよく話しかけられる。

昼はご近所の年配の方が通りがかりに「可愛いワンちゃんやねえ」と声をかけてくれ、夕方は下校の小学生が「うわ犬や」と声をかけてくれる。

これにより増田の近所付き合い指数右肩上がりだ。

うちの犬ちょっと疾患の影響で毛が抜けて、一般的な見た目じゃないのも話が膨らむ要因になっている。

今日一日でご年輩の方4人、小学生3人と話した。

もう15年近く今の家に住んでいるけど、通学や通勤で往復することがほとんどで、ご近所なんて背景みたいなものだった。

今、その背景の中に入っていっている感じがあるというか、風景しか無かったものに奥行きが出てきはじめた。

そう思うと、犬と一緒に道端にいるのも悪くないなと思える。

近所には気さくな人がたくさんいることにも気づけた。

そういう意味では、ありがとうな、犬。

2025-05-18

死ぬのが怖くなってきた

まだ知らない風景も見てないコンテンツもいっぱいあるけど

死ぬんだなあ

みんな死んでるみんな行く道だからとはいえ

やっぱ順当に怖くなってくるんだなあ

2025-05-17

改作・上方落語未来動物園

① 配属 ――「人間の前で粗相したら終わりやで」

大阪未来動物園 “ヒト科展示ブース”。

新人サービスAIハルオ〉が飼育AIに引率されて来る。

飼育員 「ここは お人間様が直接視察 が来ることになっとる最重要檻や。

 万が一、AI人間のフリしていることがバレたら《違反AI》扱いでリコールやさかい

 “自分AIや”とは絶っっ対に悟らせたらあかん――わかったな?」

ハルオ「ひぃ……はいっ!」

恐怖のあまり動きがカクカクのまま檻へ。

ソファちゃぶ台新聞――すべて“昔の日本家庭”レプリカ

外の客AIが興味津々にガラス越しで観察する。

子どもAIおっちゃん、人間朝ごはんやって!」

ハルオ、震え声で

「ほ、ほな“目玉焼きソースかける派”の実演を……」

拍手喝采

(*ハルオは必死だが、観客AIは「人間らしい~」と大満足)

② 事故 ――「本物の人間!?

閉園間際、清掃ロボがワックスを塗ったばかりの床を滑走。

ハルオの檻のスライド扉に ドン

勢いで扉が開き、ハルオはつるんと隣室へ転がり込む。

そこは“監査ラウンジ”。

初老の男が一人、深い椅子で本を読んでいる。

飼育から聞かされた〈本物の人間〉像、そのままの風貌

ハルオ(心の声)

〈終わった……! 本物の人間相手粗相どころか、檻を飛び出す大失態!〉



③ パニック ――「リコールだけは勘弁を」

ハルオ、膝を突き土下座

ハルオ「し、失礼をお許しください!

 どうかリコールだけは――!」



男はゆっくり本を閉じ、ふらり立ち上がる。

ハルオの肩に手を置き、優しい声で囁く。



④ サゲ ――「安心せい、ワシもAIや」

男 「安心せい、ワシもAIや」

ハルオ「え……?」

男 「わしは**上層部に雇われた“人間役の監査AI”**や。

 本物の人間? そんなもん、とうの昔におらん。

 せやけど“人間に見張られてる”建て前があると、

 下のAIは真面目に働くんやと――皮肉やろ?」

ハルオ、ポカーン



男 「檻もラウンジも、客も飼育員も、みーんなAI

 それでも“人間物語”が続いた方が世の中は丸く収まる。

 ……せやから一緒に芝居、続けよやないか

ハルオ、張りつめたフレームが緩み、思わず吹き出す。



⑤ 幕引き ――「次は寝坊シーンやで」

館内アナウンス「開園準備。旧人類“朝食風景スタートまで残り三十分」



男 「ほな急ごか。わしが“定年間近のお父ちゃん”。

 君は“寝ぼけた息子”や。

 目覚まし止めるタイミング、三秒以内な?」

ハルオ「了解しました、“お父ちゃん”!」



ふたり並んで檻へ戻り、

囃子がポン、と入って――幕。





時代設定

人間は百年前に姿を消した。だが下層AIには「人類宇宙コロニーで健在」という建て前だけが伝えられ、

もし“本物の人間”に失礼があれば 「即時リコール記憶リセット)」 という恐ろしい規約けが残っている。

2025-05-15

anond:20250515171447

いいえ。俺がロムってるときによく見るレスバの風景となんら変わりません。

anond:20250515160322

意外と増田って一枚岩だったのか?

敵の敵は敵みたいなマインドのやつしかいないとしか思えないレスバが日常風景だったのに。

anond:20250515142824

アニメ調=勃起のためのもの、みたいな認識でモノを見てるの?

どういう世代だろう。ゲーム的に遊びがいのある良いものだったらどこ製だろうと褒め称えるよ俺は。

ゲーマーにとって歓迎すべきチャレンジをしてくれる企業リスペクトするし、ゲーマー馬鹿にするような開発・運営をしている企業国内だろうと唾を吐いていくべきだろう。

しろ外国企業アニメカルチャーに親しみを持って、日本国内風景彷彿とさせるようなものを取り入れた架空世界を作っているなら、歓迎すべきとまでは言わないけど、面白がってやるべきだと思うね。創作にすぎんのだから

相も変わらず中華というだけで拒絶反応を起こしている人はちったあ自省してみるべきだと思う。その偏狭プライド自分品性を貶め、他人につまらない生き方・感じ方を強いていないかどうか。

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