はてなキーワード: 音楽番組とは
何をもって存在感あるなのか難しいけど…
例に上げてる米津玄師、Ado、SnowManは存在感あるどころじゃなくてトップオブトップの領域だよ
それでも「誰しもが憧れて世間の注目を一斉に集める存在」とまではいかないよ
最近だと坂道アイドルは2024年のオリコン上位にたくさんいるしAKBもまだまだいるよ
30位ぐらいまでは見てみてね
https://www.oricon.co.jp/rank/js/y/2024/
最近はFRUITS ZIPPERとか母体が大きくないとこもよくバズってるし、Spotifyのランキングとかでも上位につけてるよ
2022年4月にリリースした2nd配信シングル「わたしの一番かわいいところ」がTikTokを中心に人気となり[6][7]、2025年3月までにTikTok総再生回数が30億回[8]を、2024年12月までにストリーミング総再生回数が1億回を突破している[9]。
テレビだけで見ても前はAKB、今は坂道がバラエティの席を確保してるよ
各アイドルの冠番組も終わってるのから続いてるのまで夜~深夜のいい時間帯にやってたりするよ
もちろん音楽番組にも女性アイドルは出てるし、大きなライブがニュース番組で取り上げられることもあるよ
自分はリモートが多いからあんまり都心行かないけど、街頭広告とか駅の広告とかも出してるみたいだよ
当たり前だけど、女性アイドルに新規加入した子とかオーディションに来る子は「憧れて入りました!」って言うよ
シングルの売上は下がっていってるけど応募者は増えていて、乃木坂46の2022年オーディションは応募約9万で倍率は約8千だよ
この応募数は日本のグループアイドルの単独オーディションで史上最多だよ
アイマス始まったのモー娘。全盛期なんでミニモニとか中学生が普通にアイドルやってたしゴールデンタイムの音楽番組にも出てた
ミュージシャン寄りでもSPEEDってグループは13歳くらいでデビューしてたし、Whiteberryってガールズバンドもメンバー全員JCってのがウリだったな
あとソロアイドルに関する描写はもっと古いおニャン子クラブ以前の女性歌手=アイドルって呼ばれてた時代のイメージも引きずってるな
アケゲー企画時点では「マネージャー」だったのをカッコいいからって理由で「プロデューサー」って呼称にしたんで、役職と職務があってないのはもう伝統としか言えない。
参照: https://funfare.bandainamcoent.co.jp/5113/
多人数見るのはASのドラマCDとかが起点だと思うけど、擬似恋愛ゲーだから俺の知らないキャラが担当アイドルと関係深めるのを嫌がるプレイヤーがいる以上仕方ないんじゃね
デレはアニメ2つとも別の課にプロデューサーがいて主役以外のアイドルがプロデュースされてる
俺はデレ専だった所に学マスリリースから触ってる程度なんで、シャニはファン描写ないの?!って驚いてる
デレだとそもそも夢見りあむってアイドルオタク上がりのアイドルいるし、コミュにも濃淡あるけどアイドルオタクや追っかけが出てくるよ
ミリも松田亜利沙ってキャラがアイドルファンからアイドルになってたはず
固有名詞は書いていませんが分かる人には分かるかもしれません。
好きで好きだったバンドがあります。最初の「好き」にはバンドメンバーが好き、彼らが発表する音楽が好きという意味があり、「好きだった」にはバンドが好きだった、彼らの雰囲気が好きだったという意味があります。どっちつかず。
2010年代に入って少しして彼らは生まれ、それからさらに少ししてメジャーデビューしました。
「ちょっとライブしに来ました~」みたいな、良い意味で軽い空気感と服装で、でも彼らの奏でる音楽は様々な表情を持っておりライブはもちろん、シングルの特典についている特典映像も楽しくて、彼らを追いかけているときは幸せでした。今思い返しても本当に楽しかったです。人数限定のライブ楽しかった。
超有名な音楽番組に初めて彼らが出演したとき、もうすごく嬉しくてでもドキドキで、テレビの前で緊張しながら見ていました。この番組に出演した時の曲から、彼らはじわじわ人気が出てきたと思います。
それから後に発表した曲で一気に人気に火が付き、そこから活動休止するまでの数年間でたくさんの代表曲を彼らは生み出しました。
活動休止前のライブ(そのときは数か月後に活動休止するとは知らなかった)ももう数年前ですが、今でもあの曲がよかった、あのシーンがよかったと思い出すことができます。
活動休止を発表してから再開までの数年間、狂ったように彼らの曲を聴きまくりました。ファンクラブサイトで休止前の動画を見まくりました。ライブ映像も何度も見ました。発表当時はぴんと来なかった曲を好きになり彼らの魅力を再発見できました。
だけどある日、ファンクラブサイトで突然の一部メンバーの卒業発表、ファンクラブサイトの動画の非公開のお知らせがなされました。言葉を失うというのはこういうことかと身をもって体験しました。
思えばこの時から彼らのことを純粋に好きではなくなっていた気がします。
活動再開後に発表された曲ももちろん好きで、何度も何度も助けられました。でも、当たり前ですがメンバーが減っているので休止前の彼らとは違います。
再開前であれば考えられないようなSNS運用、グッズの販売、テレビ番組への出演。これまでにはいなかったようなファンの増加。
SNSで彼らの名前を検索すれば、良い評価とともに悪い評価の投稿もたくさん出てきます。人気が出るとアンチが増えるのも当然の世の中ではありますが。
彼らと彼らの周りは再開前と後でかなり様子が変わりましたが、それでも彼らの曲が好きだったのでCDも買っていたしグッズも気になるものは買っていました。再開前とあまり変わらない応援の仕方をしているつもりでした
でも、彼らのSNSの投稿内容に疑問を持つようになってしまったり、その投稿にコメントをするほかのファンの方にイラついてしまったり、テレビに出演すれば彼らの紹介のされ方に不満を持ってしまったり。
YouTubeにあるミュージックビデオのコメント欄ももう見ることができません。
好きで応援しているはずなのに負の感情を持つことが明らかに増えてしまいました。好きだけど嫌な気持ちを抱えていることのほうが多いみたいな(?)
そのことを友達に話したら「それは依存だ」と言われました。これでハッとしました。もう純粋に彼らが好きではなくなっていたことに気づけました。
だからそのまま勢いで彼らのCDもグッズもなにかも手放し、YouTubeMusicで彼らの音楽を聴くだけにしました。
彼らが悪いとは全く思っていません。悪いこと何一つしていないですし。一部のファンにはいささかおかしな点があると思いますが。
そもそも彼らが活動再開した後の私は、彼らの活動の仕方に疑問を持ってライブにも行かなくなっていたので、お金も出さず文句ばかり言う、変化についていけていない厄介なファンになっていました。
違うコンテンツで「古参厨」というファンを見て「自分はこうはならないようにしたい」とか思っていたのに、典型的なそれになってしまいました。そして古参厨の人の気持ちも少し分かったような気もしました。
彼らの音楽は好きなのでこれからも聴くと思います、彼ら自身も好きです。でもバンド丸ごとと彼らがまとう雰囲気を好きになることはもうこれから無いんだと思います。
韓流ドラマ好きだったのならKPOPは?いろんなタイプのイケメンがかっこよく激しいダンスしてて楽しめると思うが。
ブコメでもネトフリおすすめされてるけど、ネトフリは音楽よりは韓流ドラマが多いとか。自動再生で沼れば楽しいよ。音楽番組ならUNEXTが多いそうだ。
あとはパートに出ることかなあ。母上がおいくつかはわからないが、50代ならまだなんぼでもパートはある。時給は最低時給くらいだし、レジ打ちと言っても最近は品出しもセットがほとんどだから肉体労働はあるけど。10キロ20キロのコンテナ持ち上げたりしなきゃならんのでちょっとつらい。
60代くらいでも、コンビニで昼間に働いてる女性は見かける。コンビニだとそんなに重たい品出しは無さそうだしいいかもしれない。覚えることはかなり多そうだけど。
働くのは効くよ。自分は社会の役に立ってる、社会参加できてる、と思えるから陰謀論にハマらなくても自己肯定心が芽生える。お小遣いも稼げるし。動画見てドヤってる暇があるなら働きに出れば小金が稼げるんだからやるしか無いぞい。
社会に出てから現在までの10年間ちょっとで、音楽への興味が年々無くなってきていることを痛感している。
もともとJ-POPとアニソンを幅広く聞いていたけれど、今となってはほぼ同じ曲・同じ歌手ばかりを聞くようになっている。
テレビ自体見る機会が減っているが、音楽番組なんて全く見なくなったし、家族が見てても出演者が全然分からない。
こういう大衆娯楽への興味が減っているのが、自分にとってのゆるやかな死が進行している状態なのだろうかと感じている。
(追記)
みなさんコメントありがとうございます。色々と考えさせられますね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4765698636587140385/comment/alpha_zero
抑うつ状態を調べてみたら当てはまるかもなぁと感じたので、診てもらったほうがいいんだろうか。とりあえず近所のメンタルクリニックに受診予約しました。
私がSMAPというグループと出会ったのは、小学生の頃にテレビで偶然見た音楽番組がきっかけでした。最初に目に留まったのは、センター付近に立って元気に歌い踊る5人の姿。その中でもひときわ明るい笑顔で、パフォーマンス中にも関わらず絶え間なく周囲にツッコミを入れたり、メンバーをいじったりしていたのが中居正広くんでした。当時は「歌っている最中なのに、こんなにしゃべっていて大丈夫なのかな?」と幼心にも不思議に思ったのを覚えています。けれど、その自由奔放な雰囲気がとても面白くて、気づけば私はすっかりSMAPの番組を追いかけるようになっていったのです。
バラエティ番組での中居くんは、他のアイドルとはひと味違う存在感がありました。いわゆる「アイドルらしさ」よりも、芸人さん顔負けの切り込み方や、気の利いたコメントで場を盛り上げる姿が際立っていたのです。もちろん、格好良く歌い踊る姿も素敵でしたが、それ以上に私が惹かれたのは中居くんが見せる“MC魂”のようなもの。言葉で人を笑わせ、安心させ、時には厳しく指摘もするけれど、最後にはその場にいるみんなをちゃんと大事にする。その姿勢がSMAPというグループの垣根を超えて、多くの芸能人や視聴者から愛される理由だと感じていました。
SMAPを語るうえで欠かせない番組のひとつが、やはり『SMAP×SMAP』です。バラエティとコント、トーク、そして料理コーナーの「BISTRO SMAP」と、まさに総合エンターテインメント番組と呼べる内容でした。そこでも中居くんは、進行役やツッコミ役として重要なポジションを担っていました。毎回ゲストを交えながらのトークパートでは、中居くんならではの話の引き出し方が際立ちます。ゲストの経歴や最近の出来事を聞きだしながら、時にはメンバーを巻き込んで笑いを作る。そして相手のちょっとした仕草や失言を絶妙につつきつつも、どこか愛情を感じさせる口調でまとめ上げる。そのやり取りを見ていると、ゲストも居心地の良さそうな雰囲気を醸し出していたのが印象的でした。
さらに印象深いのは、メンバー間の関係性です。木村拓哉さんがグループの顔としてクールなオーラを放ち、草彅剛さんが少し天然めいた穏やかさで空気を和ませ、稲垣吾郎さんが知的でスマートな振る舞いを見せ、香取慎吾さんがアーティスティックかつお茶目なアイデアマンとして盛り上げる。その中心で、中居くんはまるでお兄ちゃんのように全員の特徴を把握し、それぞれに合わせた的確なツッコミやフォローを入れていました。SMAPのバランスを保つ“司令塔”というか、“まとめ役”としての役割があったからこそ、あの自由奔放な個性派の集団が一つの大きなエンターテインメントを生み出すことができたのだと思います。
中居くんの思い出を語るなら、『うたばん』も外せません。石橋貴明さんとタッグを組み、ゲストアーティストを迎えてのトークは、時にアイドル番組とは思えないほど鋭いツッコミとボケが炸裂し、毎回手に汗握るような面白さがありました。アイドルなのに、ここまで突っ込んで大丈夫なの?と心配になるほどの攻めた展開。でも中居くんも石橋さんも、相手の魅力を引き立てるために全力で盛り上げているのが伝わってきました。ゲストとの絡みの中で、ちょっと厳しいことを言っても笑いに変える技術や、相手が負担に感じないように言葉を選ぶバランス感覚は、まさに“番組MC”としての腕前そのもの。多くの人気アーティストが『うたばん』に出たがる理由の一つに、中居くんとの掛け合いが生む“ハプニングからの面白さ”を求めていた、というのも納得でした。
また、『FNS歌謡祭』や『NHK紅白歌合戦』など、大規模な音楽特番でも中居くんはMCや司会として活躍してきました。特に長時間の生放送において、時間管理や進行、そして突然のアクシデントへの対処など、さまざまな能力が求められます。そんな状況でも、中居くんはほとんど動じることなく、次に話を振る相手を見据えて瞬時にコメントをまとめあげる。その柔軟性と仕切りのうまさは、幼い頃にバラエティで見せていた“自由さ”と表裏一体だったように思います。即興のやり取りが求められる中でも、彼が必ず忘れないのが「周りへの気配り」。カメラに映っていない場面でも、共演者に小声で指示を出したり、笑顔でフォローしたりと、その人柄がにじみ出ていました。
そして、一ファンとして忘れられないのが、ライブでの中居くんの存在感です。ダンスや歌のスキルに関しては、他のメンバーのほうが得意とされることも多かったかもしれません。だけど、中居くんがステージの真ん中で煽りの声を出すと、会場全体がぐわっと盛り上がるのを肌で感じた瞬間が何度もありました。MCタイムでは、時にメンバーをからかいながら、時に客席に向かってユーモアたっぷりに語りかけながら、あっという間に空気を一つにしてしまう。あの空気感は、リーダーとしてファンとの距離を一番近くに感じさせてくれる、特別なものだったと思います。
また、中居くんは時に“ヘタレキャラ”を自称することもありました。運動会やスポーツ番組などでほかのメンバーに比べて活躍が今ひとつだったり、本人が「オレ運動苦手だから」と照れながら言い訳をしたりする場面もしばしば。でも、そういうところも含めて、ファンとしては親しみを感じるポイントでした。完璧すぎないところがまた魅力で、「自分を落とすことで周りを立てる」というサービス精神が根底にあるように思います。
バラエティの場面だけでなく、人をサポートする姿勢はSMAP全体にも影響していました。メンバー同士がバラバラの仕事をたくさんこなす中で、それぞれが様々な経験を積み、時に悩んだり迷ったりすることもあったはずです。そのときに「チームとしてどう進んでいくか」を考える上で、中居くんがリーダーの立場から柔軟にメンバーを受け入れ、必要に応じて背中を押したり、時には厳しく叱咤したりしてきたのではないかと感じます。表向きには冗談混じりで「俺がリーダーだって言ったことは一度もないんだよね」なんて語ることも多かったですが、実質的には最年長としてグループをまとめる心配りを常にしていたように思えました。
個人的に好きだったエピソードの一つは、番組収録の合間や楽屋で他メンバーと何気ない会話をしているときの話。メンバーが新しく始める企画やドラマに対して、中居くんは「それ、いいねえ!」とすごく興味を示しつつ、具体的にどう盛り上げられるかを一瞬で考えていたというエピソードです。それを聞いたとき、「ただ楽しいねって言うだけじゃなくて、どうやったら番組として面白くなるか、どうやったら視聴者がワクワクするかを常に考えているんだな」と感心しました。アイドルでありながらプロデューサー的視点を持っている、そんなところが中居くんのかっこよさの一つだと思います。
SMAPが多くのヒット曲を世に送り出し、国民的なグループとして君臨した理由はさまざまあるでしょう。メンバー一人ひとりのスター性や楽曲の良さ、ドラマや映画での活躍などの要因が重なり合っての成功だったと思います。でも、その大きな渦の中心にいたのが、中居くんの存在ではないでしょうか。ライブや番組の構成を考え、グループの方向性を冷静に見極めながら、必要なときに自分が矢面に立って場を和ませる。その絶妙なバランス感覚が、SMAPを一つにまとめる大きな支柱になっていたように思います。
長い年月を経て、SMAPというグループは大きく形を変えました。それでも、私たちの中にはSMAPが残してくれた多くの思い出や楽曲、番組での名シーンが色あせることなく生き続けています。特に、笑顔あふれる中居くんの姿は、当時のファンにとっては鮮明に焼き付いているはずです。自分たちが楽しむだけでなく、視聴者やファン、そして一緒に仕事をする仲間を思いやる彼の振る舞いは、バラエティ番組を中心にした日本のエンターテインメント界にとって一つの理想像だったといえるのではないかと思います。
もちろん現在の活動でも、その経験値をフルに活かして、さらに磨かれたトークスキルを見せてくれています。しかし、私たちファンが時々思い出すのは、まだ若くて少しやんちゃさもあり、どこかいじられキャラでもあった“旧SMAP時代”の中居くんの姿。テレビの前で腹を抱えて笑ったり、ライブ会場で一緒に声援を送ったりしていたあの頃は、私にとっても青春の一部でした。彼が楽しそうにメンバーとの掛け合いを見せてくれるたびに、「ああ、SMAPって本当に仲がいいんだな」と感じられて、それだけで明日からの元気をもらえたものです。
今振り返ってみても、あれほど多種多様な才能を持ち寄りながら、しかもバラバラな個性をしっかりまとめ上げるグループはそう多くないように思います。中居くんはその中でも特に、「自分が楽しいと思うこと」を軸に、周りの人たちにも楽しさを広げる才能があるのだと感じます。彼が時折見せる優しい表情や、言葉の端々ににじむメンバーへの思いは、画面越しでも十分に伝わってきました。だからこそ、笑いにあふれたSMAPのバラエティやコンサートを思い浮かべると、自然とこちらも笑顔になるのだと思います。
旧SMAPの中居くんを思い返すとき、私が一番大切にしているのは「温かさ」と「笑い」です。さまざまな番組やライブの中で、彼がファンや共演者、そしてメンバーに注いでいたものは、アイドルを超えた一種の“人間らしさ”のような気がします。ステージの上でギラギラと輝くだけではなく、どこか隣にいそうな親しみやすさで、でも気づけばしっかりと中心に立って場を回している。そのギャップこそが、中居くんを唯一無二の存在にしている理由ではないでしょうか。
私にとってSMAPというグループは、思春期から大人になっていく過程で、たくさんの楽しみや感動を与えてくれた存在でした。その中心でいつもバラエティ豊かな笑いを提供してくれたのが中居くんです。リーダーでありながら「リーダーらしくない」態度を取りつつ、それでも大事なところでメンバーを一つにまとめる。そんな中居くんの姿に、今でも私は元気や勇気をもらいます。たとえ環境が変わり、活動スタイルが変わっても、あのころの明るい笑顔と思いやり溢れるトークは、ずっと色褪せずに心に残り続けるのだと思います。
こうして改めて振り返ってみると、“旧SMAP”という一つの時代を象徴する存在の中で、中居正広くんがどれほど重要な役割を担っていたのかを再確認することができます。彼が築き上げてきたバラエティでのポジションやメンバーを支えるリーダーシップは、簡単に真似できるものではありません。これから先、さらに活躍の場を広げ、より自由な形でエンターテインメントを創造していく中居くん。その姿に触れるたびに、私は「やっぱりあの頃のSMAPは最高だったな」と、懐かしさとともに温かい気持ちになるのです。今でも繰り返し見たくなる映像やライブ音源がたくさん残っていることを幸せに思いつつ、これからもずっと、あの輝かしい記憶を大切にしていきたいと思います。
俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称“コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。
1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん”
俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコンを自在に使いこなし、テレビやラジオで流れる新しいテクノロジーのニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書や百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語も祖母の解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。
「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組「みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名そのものが祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しかも子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージそのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらにパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。
祖母の知識の幅はとにかく広かった。歴史、地理、科学、文学、芸術、果てはゲームまで。どんなジャンルの話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの「電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいつしか自然と彼女をそう呼ぶようになった。
人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢にはいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。
大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母の生き方そのものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。
祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞の抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。
ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞の意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分の感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。
彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活や人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身がゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたことなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。
祖母はパソコンを扱うだけでなく、インターネットの世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンラインで海外の博物館の映像や、世界のニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。
「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母はサクサクと辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。
そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習の資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休みの自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休みは特別に充実していた気がする。
5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ
祖母は機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータの検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかもときにユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。
高校生になると、友達関係や部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターのフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこから、もっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。
そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議と問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃんと仕分けて検索しやすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。
6. そして別れの日
俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母の知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族が心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。
そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅くに病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつもの“コンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。
祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母そのものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。
葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真やノート、そして祖母のパソコンが出てきた。パソコンの中には、家族の写真データや日記のようなファイル、さらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートのデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンルの知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。
そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔で知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。
さらにパソコンのデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞をアレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について、彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方そのものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生の象徴だったのだろう。
8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”
祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。
そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術や情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手の立場や気持ちを想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線や押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。
もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉やファイル、そして一緒に過ごした時間の記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。
歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。
祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき、祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母はコンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから。
テレビ全盛期だった気がする。
私は人の顔が覚えられないため、三次元の人間が何かをすることにまっったく興味が持てず、
当時は小学校高学年になってアニメ見てる人間は少なく、まだコナンとか見てんのwという空気があったように思う。
コナンも見てたし、世代ではないがレンタルショップで幽遊白書のアニメを借りて大喜びしていたし、ヒカルの碁が載ってるジャンプを大興奮で読んでいた。
学校でみんながSPEEDやKinKiの話をしていた気がする。
KinKiが2人組らしい、くらいのぼんやりした認識しかなかった。
ツヨシとコーイチがどうのこうのという単語を聞いても、みんなが何を言ってるのかよくわからなかった。
ヒカルの碁の話をしたけど、周りの女子はアニメ化されてない漫画のことなど誰も知らなかった。
中学生に上がる頃、やっとオタクというものがいかにヤバいか、認識した。
小学生の私はなぜそれに気付けなかったのだろう。
みんな笑う犬というお笑いの話をしてたから見てみたけど、面白さはよく分からなかった。
学校へ行こうは楽しかった。V6も好きだった。メンバーのうち2人くらいは顔を覚えることができた。
水曜日、学校へ行こうの話をするととても盛り上がったし、楽しかった。
モー娘。はたくさんいてついに1人も顔と名前は一致しなかったけど、音楽番組を見ることで曲についての理解はだいぶ深まった。
セクシービームをやれと友達に強要されて、恥ずかしかったことを何となく覚えている。
トリビアの泉は大好きになって、高校受験の前日も勉強を放り出してテレビに齧り付くようにして見ていた。
司会の2人の顔を覚えていた。
小学生のうちに、もう少しテレビを見ていたら小学校生活もう少し違ったかなと思う。
さっき、バラエティを見ていたら小学生がインタビューされていて
あの歳でMCというものが何かを理解している。もちろん顔も名前も一致している上で、MCの技量について語っている。
驚愕。
小学生の頃の私は芸能人の顔や名前も、 MCというものが何かも、その役割についても何一つ知らなかったと思う。
あの頃の私があの場にいたってそりゃ誰とも話せないよ。
今でも人の顔を覚えるのはとても苦手。
人に興味を持ちにくい特性もあると思う。
そういう人って小さい頃テレビ見てたのかな。見てなかったんじゃないかな。
人生、つまづかなかった?
自慢じゃないけど、自分は絶対音感持ちでかなり歌が上手いと思う。カラオケ行ってもまず他の人から「上手いね!」と言われるし、そう言われると怖くなって下手に歌えないってプレッシャーがある。小さい頃から両親に「上手い」、学校の合唱コンクールでも「一番上手い」と言われて育ってきた。「一番上手い」それが嫌だった。歌関係の習い事もさせてもらって、10年ぐらい続けていた。両親との仲は良好だし、普通に好きだ。
音楽は結構好きで、いろんなジャンルを聴いているつもり。音外れぎみの歌手も普通に聴く。
音楽番組見ていて、音楽的なことをなんも知らない人たち(家族とか)が「下手だね」と言っているのを見ると、めちゃくちゃ腹が立つ。なんかよくわかんないけど腹立つ。
それが理由かどうかはわからないけど、歌が下手になってみたい。下手になって両親を絶望させたい。その程度で絶望なんかしないかもしれないけど。
まともに何年も歌ってないから、もしかしたら下手になっているかもしれない。でも万が一、全然下手になんかなってなかったらショックで、なかなか歌えない。カラオケに行く勇気が出ない。
どうしたら歌が下手になれますか?私も「普通の人」になりたい。「普通の人」並に音を外す人になりたい。そしたらもう「一番上手」とか言われずに済む。「テレビに出てる歌手より上手い」とか言われずに済む。家で音楽番組をつけている時は、いつもイヤホンをつけて大音量で音楽をかけている。今紅白見てるから本当にしんどい。それ以外は何も不自由のない暮らしをしているのに、こんなことで悩むなんておかしいとわかっている。
でも、年が明ける前にここに書いて少しすっきりできた。
紅白歌合戦での楽曲変更について、あまりに浅はかで間抜けで、星野さんにも失礼なことを「義憤として」「良かれと思って」喋っているバカを何人も見て心からげんなりした。本当に星野さんが可哀想だ。
『地獄でなぜ悪い』の件に関する議論というか了解は、まず下記の四つの要素から成っている。
①『地獄でなぜ悪い』の詞は、星野源さんが闘病生活中に感じたことを綴ったものであり、それぞれの孤独と苦境の中で動けないでいる人の肩を優しく抱く連帯の歌である。
②紅白歌合戦は、公共放送を標榜するNHKの、とりわけ注目度の高い看板番組のひとつであり、老若男女に高い知名度を持ち一種の権威であるとされてきた。アーティストのファンが自ら視聴するライブやフェス、民放の音楽番組とは異なる一定の「公共性」を持った場であると多くの人に認知されている。
③『地獄でなぜ悪い』は園子温の映画の主題歌としてオファーを受けて発表されたもので、かつ映画と同名であること。園子温は性加害・ハラスメントの告発を受けており、被害者が自殺しているという経緯があること(さらに言えば同映画には、園の性暴力の共犯とされた俳優も出演している)。
星野源は『ドラえもん』など、主題歌のオファーに対して真摯に対象作品に向き合って楽曲をつくるアーティストのひとりと目されており、同曲にも映画を念頭にした要素(「地獄」という言葉の使い方など)はある。
④タイミングとして、滋賀医大のレイプ事件の逆転無罪判決や、性行為強要があった岸和田市長の不信任決議を受けての議会解散、さらには中居正広とフジテレビのレイプ疑惑など、「男性による性暴力が、市民感覚として正しく罰せられていない」という印象を覚えるニュースが立て続いていた時期だった。
【1】星野源さんの体験をもとにした、切実でかつポジティブなメッセージを含んだ楽曲である『地獄でなぜ悪い』を、ことさらに封印・タブー視する必要はない。ファンが『地獄でなぜ悪い』を愛することに何の問題もない。
【2】ただし、その成立の経緯から「性暴力の加害者を連想させる」という指摘が難癖とは言えないほど隣接しているのは確かだ。
(「星野さんの個人体験をもとにした歌なんだから園子温は関係ないじゃないか!」という反論は無理筋である)
【3】公共放送の権威的な番組で【2】のような要素を含む楽曲を、世論が性加害の報道に敏感になっている時期に放送するのは、「NHKは園子温の性加害を大した問題とは思っていないし、国民の多くもそうだろうと考えている」というメッセージになりかねない。
(「過去に何度もフェスで演奏されてたし、NHKの番組でも流れたのになんで急に怒られなきゃならないの!?」という反論への回答)
この【1】~【3】を、問題視する側もそれに反発する側も取り違えてはいけないと思うし、ほとんどの人はちゃんと腑分けして語れていたと思う。
問題になっているのはあくまで【3】、「今、紅白歌合戦で流すのには、ふさわしくないバックボーンを持つ曲なのではないか」という一点のみだ。
そして、星野さんサイドは昨日、披露する楽曲を『ばらばら』に変更すると発表した。
その数時間前にあまりに醜悪な松本人志の無反省で無神経なインタビュー記事で目を汚してしまっていた私は、あのステートメントの星野さんの(ご本人の、あるいは事務所としての)バランス感覚に心打たれた。
論点になっている各レイヤーに言及し、問題が【3】であることを正しく解説し、「私たちは、あらゆる性加害行為を容認しません。」と結ぶ。そしてもちろん、楽曲を愛するファンへのフォローも忘れない。
変更された楽曲が『ばらばら』なのも良い。
かつて星野さんはこの曲についてインタビューでこう語っていたそうだ。
>みんながばらばらなことを考えながら集団を持続させていくのって、むちゃくちゃめんどくさいんですけど、それが健全なんじゃないかなと思います。ばらばらのままでも「ひとつ」のものを生み出せるだろうっていう、そんな歌だと思います。
今回の件で、撤回しろと怒りの声を上げた人も、それに対して楽曲と星野さんを守ろうと反駁した人も、楽曲変更に安心した人も悲しんだ人も、誰も間違っていたとは言わない。「ばらばらのままで良い」そのままで良いと優しく抱きとめるような選曲だ。
あーあ!直接の加害者でもなんでもない星野さんたちがこんなに「正解」を叩き出して聴く人を安心させてくれたのにさ!松本人志はさ!!!!
……というのはさておくとして。
冒頭に立ち返る。私が憤っているのは、これだけ誠実でバランスの取れた回答を星野さんサイドが出したのに、まだ上記のような論点整理をごちゃごちゃにしたまま、とんだお門違いな文句をぶーこらぶーこら垂れているファンがいることなのだ。
そういう奴は大抵、最近覚えたからよく意味も分からずに「キャンセルカルチャー」という言葉を使う。
「ファンでも被害者当事者でもない第三者のクレームで楽曲が踏みにじられて悔しい」とか「歌いたい曲も歌えない源さん可哀想」とか言うんだ。挙句には、「『ばらばら』の選曲は最高の皮肉だ!『クレーマーとは分かり合えないし分かり合う必要もない』という決別の表明だ!」みたいなこと言ってはしゃいでる奴まで。
害悪だよ。気持ち悪い。こんな奴らが「私たちが源さんを一番心配してるし一番気持ちが分かってる!」と息巻いて、批判者への人格攻撃を繰り返す。
お願いだ。もう喋らないでくれ。SNSアプリをぜんぶ削除しろ。
楽曲変更の前に「星野さんはNHKから頼まれたから歌うだけなのに叩かれて可哀想!」みたいなことを言ってる奴もいたな?お前らもだよ。
何か?星野源はNHKから「あの歌うたってくださいよ~」とオファーされたら、自分の頭で何か考えることもなく「は~いうたいま~す」と脊髄反射で答え、歌うなと言われたら「は~いうたいませ~ん」とこれまた脳みそを経由せずに答えるような、思考能力も責任能力もない無自我のデクの坊の昆虫だとでも思ってるのか?
星野源は「こういう経緯でつくられた曲だから、性被害者への二次加害になりかねないよ」と言われて、「うるせえな!俺の芸術に文句をつける愚民どもがよ!」と開き直って批判者たちに背を向けて嘲笑するために紅白で歌うような傲慢で性格の悪いカスだと思ってるのか?
いくら自分が傲慢で性格が悪くて無能のデクの坊だからって、それを星野さんに投影するのは失礼だよ。
あの選曲に悪意や皮肉が込められてるって言う奴は、「飯を食い糞をしてきれいごとも言うよ」「嘘で何が悪いか ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ」という星野さんの歌を聴いたことがあるのか???
マジでいい加減にしてくれ。せめて星野さんが可哀想なんて言わずに「俺は心が狭くて想像力がないから『地獄でなぜ悪い』を紅白で歌われて傷ついたり不快に思う奴の気持ちなんて分からん!そんな奴は俺の敵だから死ね!」と正直に言ってくれ。正義ヅラすんな善人ヅラすんな。私は星野源じゃないからお前らと共存なんかしたくない。
色んなファンダム、界隈があるけどK-POPってその中でも異質でキモい気がする
そんでその原因はでっかく【競争システム、グローバルなファンダム、SNSを前提としたファン文化】の3つじゃないかね。
その異質さっていうのが具体的にいうと、ジャンルの中でファン同士の仲が悪すぎるってこと。推しグル以外のヲタクは全部敵だからずっとピリピリしてる。
他ジャンルと比べたとき、もしアニメジャンルだったらオタクはクールごとに始まるアニメチェックしてあれはおもろいわー!このキャラ好きだわー!早く2期だせー!って感じで絵描いたりグッズ買ったりとかして個人で楽しめるし、例え特定の作品しか好きじゃなくてもだからって他の作品を敵対視することって基本ないよね?なかった気がするけど....
でもK-POPって競い合う文化だからジャンルがずっとバトル漫画の世界で平穏な瞬間がない。
スカウザー使うみたいに戦闘力っていうのがある程度数字で出てくるんだ
毎週ほぼ毎日ある音楽番組の中で何回1位を取れるか、音源でそれほど再生数がいくのか、音盤どれだけ初動の数字を出せるか、アルバム出すだけでレースが始まるし、年末の賞レースで何個トロフィー貰えるのか、とか万年競争している。多ければ多いほそスカウザーでの戦闘力も上がっていく。
しかもそれで厄介なのが、ファン投票だったり音盤の売上でファンの力がそのグループの戦闘力に直結するもんだから間接的にオタクの火力バトルみたいな話になってくる。もう戦うしかないんだよ。オタクは金と声のデカさが武器に、ファイトするの。ずっと戦、戦戦。法螺貝鳴りまくり。
さらにオーディション番組というコンテンツが登場してから視聴者がデビューする子を決めるっていう決定権を持った体験をしちゃったせいで、ジャッジするオタクがますます増えた気がする。歌が上手いとか、ダンスが下手とか。
毎日誰が上手いだの下手だの言い合うのが通常モードのジャンル、K-POP。
でもお前のグル歌上手いヤツいないじゃんが悪口として使われるジャンル、ダンスバラバラだけど練習してるの?恋愛する暇あったら練習したら?がアンチのセリフでたびたび登場するジャンル、K-POP。
そんなシステムの中で仲良くできるわけないんだよな。
まずでっかく囲っちゃうけど海外のオタクは日本じゃしないなってライン越えの過激発言とかしちゃって日本でおい言い過ぎ!ってめちゃくちゃ叩かれるみたいな事象、結構あるよね。
同じグループを推しても言語圏で世界が違うから中国でめちゃくちゃ話題になってることも中華以外のオタクはさほど知らなかったり、色んなところで乱闘起きまくってるけど日本のファンの耳には入らなくて平和だなーみたいな時もある。
でもあるでっかい事件、騒動が起こった際にその言語圏ごとに意見が分かれるときがあって、その時は同じグルのファン同士なのに喧嘩しだす。
オリンピックじゃないですよ。
国背負ってるのか?っていう熱量で闘いだす。
どことなら仲良くできるんだよ。
日本はK-POPと1番深い関係があるしほとんど必ず日本デビューはするし日本だけで何箇所もツアー回ったりするから、その特別性で無駄に叩かれるよね。
だって音楽市場世界2位なんだも〜ん、音楽イベント盛んなんだも〜ん、元々ジャンルとして人気あるから新規参入しやすいんだも〜ん。
でもそれは他国から見れば特別待遇にしか見えないんだよね、けどもうそんなのはオタクに言われてもさ〜って。
むしろ韓国の活動より日本活動増えちゃって韓国中心に他のオタクからブチキレられるみたいなのも昔からよくあるよね。でもそんなの日本のオタクはどうしようもないじゃんな、そこで不買しますねとかいう話でもないのに...難しすぎる。そんないうならお前も日本来い、って言いたいよね〜
本当に仲良くないな.....
その競争システムとグローバルファンダムにSNSっていうのが融合しちゃってさらにカオスを生んでる状況。
あるオタクはSNSでペラペラしゃべって、あるオタクはそれに噛みついて。
でもSNSで自分の意見が全世界から観測できちゃうってこと抜け落ちてる人多いし、その認識があっても甘い人が多すぎる。
だからこそ、【撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだ。】って言葉、全員覚えるべき。
【撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだ。】
SNSでぽちぽち発信するのは特にK-POPというジャンルにおいては戦場で銃弾を放つこととあんまり変わらないと思う。誰かに撃ったつもりなくても流れ弾で撃たれてる人がいる。だから本当に思ったことだからってなんでもかんでも言うべきじゃないと思う。こんなに敵だらけの界隈で、それは宣戦布告、先制攻撃になりかねない。それを受け取った全然知らないやつから殴られる可能性ある。気をつけて。
しかも普通にいいことだけ投稿したつもりでも勝手に責められてると思って襲いかかってくるヤツもいる。
だからそもそもSNSで発信した時点でなにかしら言われる可能性あるって考えてた方が、急に殴られても不意打ちじゃないからダメージ少なくなるはずなんだ、きっと。
あと自分のSNSなんだから好きに言わせてっていう人もいるけどそれはできたらいいけど現実としてそんな上手くできるような界隈じゃないの、分かるでしょ。(戦場設定だからね)
自分で公開するって決めて全世界に見えるように投稿してるんだからそれは発信した側から干渉しにきてるとも考えられるんじゃないカ?
本当に誰からも邪魔されたくないなら非公開にして鍵かけて投稿しまくるようにしないと。備えはね、しとかないと。
言語のニュアンスだったり文化の違いで理解されなくて意図してない風に拡散されて叩かれたりするヤツ、あれマジで無駄すぎる
誰かの翻訳を鵜呑みにしてへーですぐ叩き行為に入るな、まずその翻訳ミスってたら無意味に怒ってることになるけどいいんすか?
ニュアンスを理解せず◯◯が酷いこと言った!とかすぐ言い出すのもアウトね、早いよ武器持つのが