はてなキーワード: 教員とは
「博士号取ったのに誰もほめてくれない」っていうのは、ほんとにほめてほしいのではなく、単に寂しいから言っている。私もPhD持ってるからわかる。
丸一週間、だれとも会話せず研究したり実験したりしていると(しかも田舎で)、ほんと自分は何をやってるんだろうという気分になってくる。
公然と男女差別を繰り広げる美しい国日本では女ってだけで喉から手が出るほど欲しい人材なわけで、奴隷たる男性教員たちは身分の差を自覚しないとね。彼女らがいなければ予算が止められたりするんだから働かずして性別によって既にわれわれの数倍のメリットを大学に与えているんだよ。男性教員なんてたくさんいるほど男女比が悪化して邪魔なだけ
注:すべての女子枠利用者がモンスター化するわけではありません。すばらしい先生も多数おられます。
事例1:
(注:このような書き方がされている場合、男性のESは初期段階で落とされる。)
PI(研究室を主として持つ教員のこと)だったので、4月には学生が配属された。修士に進学する学生もおり、快く受け入れた。
ある国立大学の女性限定公募があり、同時に進行していたが、理事会での決定が遅れていたのだという。
(注:大学教員の採用活動は、学部の先生方の判断でほぼ決定する。理事会での決定にはそれから2ヶ月程度かかることがある。そこでNGとなることはほぼない。)
つまり、退職することがわかっていながら、4月に私立大学に着任したのである。
学部はパニック、人事もパニック、学生はもっとパニックである。
結局、定年退職したおじいちゃん先生を呼び戻して代打とすることになった。
学生はいまさら配属を変えることはできないので、お互い望まぬおじいちゃん先生の下で3年間を過ごすことになったのである。
事例2:
教員Bは産休の2年間の休みが明け、4月から復帰することとなった。
そのため、前年末からは教員の業務の割り振りを決める会が実施され、教員Bにも業務が割り振られた。
(注:事例1と同様、内々には早い段階で採用が決定している)
つまり、退職することがわかっていながら、産休明けで復帰すると宣言し、業務の割り振りに同意していたのである。
結局、残業という概念のない教員たちが業務を請け負うこととなった。
事例3:
2ヶ月後から産休開始ということで、規定ギリギリでの申告であった。
ところが、有給休暇を同時に消化したいという。
これにより、申告から2週間後が最終出勤日となった。
まさか、その後産休に入るとはつゆ知らず、旅行ですか~?などと気楽に考えていた現場は、突然の引き継ぎ業務発生にパニックである。
彼女らに共通するのは、規定は守っている、そのような権利があるという意識である。
確かに、産休や退職というのは言い出しづらく、事前に調整するのには心理的負担があるかもしれない。
まるでポイ活の裏ワザを活用するかのように、自分の負担を1減らすために、10人の他人に10ずつの負担を押し付けていく。
https://megalodon.jp/2024-1230-2327-19/https://anond.hatelabo.jp:443/20241230232614
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614 友達のふりをしていましたが、脳出血の文をかいた本人です。 軽い気持ちで書いたものが拡散されてしまい慌てて削除しましたが、それ以前に不謹慎なことを考えずに投稿してしまいました。 削除してしまったため、本人であることを立証するのはできないのですが、この度は大変申し訳ございませんでした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241231141436
(俺が知ってるのはコロンビア大学の話だが、知人に話を聞く限りハーバードや他のアイビーリーグも同じだということで。)
ハーバード大学に合格した。父は沈黙し、祖父母は衝撃的な言葉を私にぶつけた。 | ハフポスト WORLDの記事についてね。
曰く「アメリカの大人たちよ、目を覚ましてほしい。」とのことだが、まさにインテリ層の標準的な感覚だ。
もう日本に帰国してしまったが、2023-2024に在学していた肌感覚として、大学全体が
というコミュニティだった。
もちろん、実際にこの割合というのは極端なので、かなりの部分の人たちが迫害されないために共和党支持というのを隠してきたんだろう(俺が外国人でDEI活動しているわけでもないから、と明かしてくれた学友が複数名いた。)。
民主党(の個別政策)を支持していないというだけで、まさに元記事の筆者がいうように「目を覚ましてない」と糾弾される世界だった。
今トランプがやってる常識外れな政策がそこそこ(世論調査で45%ほど)の支持を集めてしまうってのも、そういった分断が元なんじゃないのかな。
「好き嫌いの問題」を持ち出して逃げ道作ってる時点で、お前の論理の腰は砕けてんだよ。
まず前提を整理してやる。学歴というのは、社会構造と資本の分配に直結する変数の一つだ。
生まれ育ち、親の収入、居住地域、進学先、教員の質、全部が絡んだ複雑な要因で決まる。
これを単なる「個人の好み」や「好き嫌い」と並べて語るのは、構造の話を感情論で煙に巻こうとする思考放尿の典型だ。
で、そこに「性格の良さ悪さを乗っけてくる方が性格悪い」? お前、たぶんこういうことだろ。「自分が学歴で他人を見下してるのは正当な好みであって、そこに道徳的評価を加える奴こそ悪」ってな。
もしお前の「好み」が、構造的不平等の結果である「学歴格差」を当然視し、それをもとに他人を選別してるなら、それは「好み」の皮を被った階級意識の発露なんだよ。
そこに道徳的な評価が乗るのは当然だし、それを「性格悪い」と評するのは、別に感情じゃなく、倫理的判断力の最低ラインだ。
そして、論理的整合性を問われると「それは好みだ」「感情の問題だ」と逃げるその態度、まさにお前が知的だと勘違いして撒き散らしてる自己放尿臭の正体なんだよ。
新潟に住む私の祖母と母は教員や政治家ではないけれど先生と呼ばれる仕事で、米に限らず農作物はよく貰っている
買わなくて済むほどではないけど
一方で、父の友人の教員はカリスマみたいな人で、米に限らずそれこそ売るほど貰うらしい
新潟の郵便局は(一部の郵便局だけだと思うけど)新米を収穫した後に米発送専用臨時窓口ができる
臨時窓口といっても大層なものじゃなくて、搬入搬出口みたいなとこで米の発送を受け付けるってだけなんだけど、新米の頃は郵便局がめちゃめちゃ混むくらいゆうパックで米が送られていく
24年産の大手が集荷できなかった米のうち、10万トン前後は売らずに農家が知り合い向けに確保したって説がある
どうしてそんな説がでたのかわからないけれれど、物流や小売や外食のデータをまとめたら宙に浮いた米がそのくらいはあるのでしょう
夢追う貧乏人という要素が好きだった場合、彼が大学教員になって稼ぎ始めたり、突然バンドが売れたりしたら恋愛感情って無くなるんかな
それとも夢叶えるなんて最高!にシフトするんかな
この混同は深刻で、映像処理技術(後者の方)としてのHDRの卒研発表をする学生が
HDRの説明として写真合成のHDRについてイントロで話し始めるんだよね
雑にHDRでググると、アップルとかが宣伝してるから写真のHDR合成ばかり出てくる
それ違うHDR技術だよね? って質問しても学生はチンプンカンプン
指導教員もフォローしないから俺が間違ってんのかな? と思ってたけど、やっぱ俺合ってたなw
そんなクソ学生落としたいけど、落とせないんだよなーこれが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20250518-what-is-hdr/
いま思うと、俺が通っていた学校(中学か高校は伏せる)はちょっと変わっていた。学校というか教師陣。
数学の教師は授業中に突然無言で教室を出て行ってそのまま帰ってこない(次の授業の時にはまた普通に来る)
家康が嫌いすぎて、安土桃山末期~江戸時代の教え方が雑過ぎる日本史教師(石田三成の生まれ変わり?)
帰国子女だという英語教師は、イケメンで話も面白くて人気者だったが、授業が自由過ぎて学年終わりに教科書が5分の1しか進んでなかった(俺の卒業後にPTAで問題になったらしい)
そして、特に様子がおかしかったのが保健体育の教師。しかも悪いことにこいつは俺の担任だった。
教科書の特定の部分に差し掛かると、ここは不適切(エッチの意)だから飛ばします、皆も決して読まないように、と宣言して歯抜けの授業を堂々とやってた。何らかの思想の持ち主だったのだろう。
仕方なく図書館で本借りて女性の生理なんかについて自発的に学習してたら、どこから情報が漏れたのかこの担任に伝わったらしく、進路相談室で1時間近く説教を食らった。
言葉を変えて長々いろいろ語っていたが、要約すれば「お前は異常性欲の変態だ。それを認めろ」と言いたいらしかった。
当時は若さゆえの全能感バリア張ってたからほぼノーダメージだったけど、普通にセクハラだよな。
あれは一体なんだったんだろう。
私立とかでなく普通の公立だったはずだが、なぜあんな特殊な教師ばかりが集まった学校が出来上がったんだろうか。教員の人事異動の仕組みをよく知らないので謎だ。
大卒でないと将来の賃金が減るという社会構造を利用して、10代の若者に多額の借金(奨学金)を背負わせてお金を稼ぐというビジネスモデルでお金を稼いでるのに、いざ学生の就職の話をされると「大学は就職予備校ではありません」と言って責任を放棄する
ラーメン屋に入るときすら、食べログで★3.5以上じゃないとちょっと不安になる。
なのに、
「命を預ける医者」も
「子どもを預ける教員」も、評価される仕組みがほとんど存在しない。
あっても、内部向けだったり、意味のない満足度アンケートだったり、事実上のブラックボックスだ。
それって、すごくおかしいことじゃないだろうか。
なにも「晒し上げ」みたいにしたいわけじゃない。
でもせめて、「信頼できるかどうか」の情報が、もっとオープンにあってほしいと思う。
いまの医療も教育も、「当たればラッキー、ハズレたら地獄」みたいなガチャ運に左右されすぎている。
「医者や先生は神様じゃない。完璧じゃない」と言うなら、逆に「なら評価されて当然」じゃない?
怖いのはわかる。
医師や教員側の立場からすれば、「ネットの声に左右されたくない」「モンペが変なレビューをつける」とか、いろいろ懸念はあると思う。
それって、働いている側にとっても、改善のきっかけになるんじゃないかと思う。
食べログでさえ「接客が雑」って書かれたら店主は気をつけるのに、
どうして命や人格を預かる職業が、誰にも見られていない前提で運営されてるんだろう。
私は、病院に行ってモヤモヤしたとき、学校の対応に怒りが湧いたとき、
その気持ちを吐き出す場所がもっとオープンにあっていいと思ってる。
それは「叩く」ためじゃなく、「信頼をつくる」ための仕組みにできるはずだと思う。
医者って、なんで実績を隠したがるの?
これ、ずっと不思議だった。
こっちは命とか生活かかってるのに、この先生、何件くらい手術してるんだろう、成功率どれくらいなんだろう、と思っても、ほとんど情報が出てこない。病院のページに経験豊富なスタッフが対応しますとか書いてるけど、具体的な数字ゼロ。中には竹田くんみたいなのも潜んでる。あれ氷山の一角よね。
アメリカだとSurgeon Scorecardってのがあって、医者ごとの手術件数と合併症率を公開してる。もちろん全分野ってわけじゃないけど、少なくとも選ぶ側に判断材料を与えるという姿勢はある。
それに比べて日本は? 完全に不透明。医師会の都合? 病院の体面? 訴訟リスク? いろいろ理由つけて、結局は知らないままお任せくださいってことなんだよな。
いやいや、なぜ教育界は教員の指導実績を可視化しろって言うのに、医療界はそこだけ免除されてんの?
技術職でしょ? それなのに医は仁術みたいな精神論でごまかされてるの、いつまで通用すると思ってるんだろう。
数字だけじゃ医者の腕は測れないって反論もある。でもさ、それ言い出したら、全部そうでしょ。飲食店だってレビューあるし、弁護士だって実績出してる人多いよ。
医者だけが数字を出すと萎縮するとか言って逃げてるの、もはや甘えにしか見えない。
むしろ数字を出せないってことは、出したら不都合な何かがあるってことじゃないの?
だいたい医療崩壊ガーって話が出るけど、それと透明性は別問題じゃない?
もちろん、全部を丸裸にしろって話じゃない。でも、せめてこの医師はこの手術を何件やってて、成功率はこれくらいくらいの基本情報は公開してくれよ。
それができないならお任せくださいなんて言う資格ないと思う。
筑波大学の人文・文化学群の人文、比較文化、日本語・日本文化の3学類が廃止方針らしい。実際のところソースが今のところ怪しいし私は内部の人間でもないので真実かどうかは知らないが、「筑波大学人文・文化学類に所属する人文、比較文化、日本語・日本文化学類を廃止し、これらを統合した人文・文化専門学類を設置するという方針」というのはかなり現実的に思える。
https://www.rouhyo.org/news/tsukubadai/
というのも、筑波大学人文・文化学群(他大学でいう文学部)に所属する人文学類、比較文化学類(比文)、日本語・日本文化学類(日日)の3学類(学類は他大学でいう学科レベル)という分類は普通に意味不明なのだ。もともとナンバー学群の頃の1学(人文)、2学(比文、日日)という背景はあるにせよ、学問的あるいはカリキュラム的に意味のある分類になってない。
例えばこれって日本文学はどこにあるのか分かります?ぱっと見た感じ、日日にありそうだが、HPを確認すると比文がメインのようだ。日日は日本文学や日本文化論より外国人向けの日本語教育学のニュアンスが強い様子。
文化人類学は比文がメインのようだ、なるほど、では近接ジャンルの民俗学は?というと人文学類の史学にぶら下がっていたりする。
普通の大学では英文科や仏文科に語学や文学が一緒にあるが、語学は人文学類、文学は比文側にあるらしい。何かそれメリットあるんか。
という感じで、正直学問的にも対外的にも意味不明だ。こんなわけのわからない学類わけをするなら、普通に人文学部として単体にした方が学生も学際的に学びやすいだろう。本当に意味が分からない。人文・文化専門学類として統合することに反対する理由は思いつかない。学生からすると比文の方が陽キャだのなんだのあるらしいのだが、そんなもの青山や上智に比べれば筑波大学の時点で全員陰キャなので、無視してよいだろう。是非統合して学生が色々学べる学類を作ってほしい。
その一方で筑波大学の人文系にはもう一つ問題がある。人文系の定員が多すぎるのだ。
筑波大学というと筑波移転反対闘争といった学園紛争をつぶすために作った管理型大学である、という都市伝説がよく語られている。また、最近だとSNS等で少し大学に詳しい人たちから、文部科学省の提灯持ちというイメージが、永年学長とともに語られることも多い。
それは間違いではないのだが、そのイメージの延長線上で過激な大学改革が進み、人文系つぶしの急先鋒かのように語られることが多い。
ところが、そのイメージと違い筑波大学は意外と人文系に手厚い大学だ。
人文・文化学群 240(人文120,比較文化80,日日40)
この時点で少し大学に詳しい人は違和感を持つだろう。それでは同規模の旧帝大クラスの大学と比較してみよう(世の中には面倒くさい偏差値厨がいるので念のため注釈をつけておくが、偏差値というより規模感の話であり筑波大学の規模は国立大学としては旧帝大クラスに準じる規模の大きい大学である)。
文学部 125
法学部 150
経済学部 205
文学部 210
法学部160
経済学部230
文学部151
法学部189
経済学部141
……中途半端すぎひん?
比較してわかるとおり旧帝大はざっくり文学部、法学部、経済学部が1:1:1程度の規模を持ち、教育学部がその半分程度という規模が一般的なようだ。
では、筑波大学はどうだろう。人文系である人文・文化学群は社会科学系の社会・国際学群の1.5倍の定員を持っている。しかも、この旧帝大の文学部が内包しているであろう、社会学や心理学は人文・文化学群には入っていないのだ(社会学は社会学類、心理学は人間学群)。さらに言えば、芸術系や図書館情報学も人文・文化学群の外にある。
つまり、筑波大学は文学、文化研究、哲学、史学、哲学、言語学といった狭義の人文学だけで定員240も持っていることになり、旧帝大よりも大規模な人文学の定員(そして数えた術はないがそれを教える教員)を抱えていることになる。
というか逆に言えば、社会科学系がかなり手薄といえる。通常の大学では1学部を持つはずの法学、経済学部は社会学類という一学科の一専攻となっており、かなり規模が小さい。
何故このようないびつな構成になったかと言えば、おそらくは前身の東京教育大学という背景が影響してくると思われる。東京教育大学は文学部、理学部、教育学部、農学部、体育学部という5学部構成であり、法学部や経済学部を持たない。当時は商科の教員よりは農業の教員の育成は急務であったろうし、仕方ないのであろうが、結果として筑波大学は社会科学系がかなり弱い大学となっている。
おかげで筑波大学は総合大学の割には中東やアフリカなど地域研究とかやっている先生たちが揃っていたりする印象はありそれは素晴らしいことなのだが、その一方で人文系再編して社会科学系にもう少し定員と教員のリソースを分けてもよくない?という案はおそらく出てくるだろうし、現状を見る限りなかなかそれに反論するのは難しい。
筑波大学も国立大学の例に漏れず厳しい立場に置かれており、その中でもひときわ人文系が厳しい状況に置かれていることは事実でもあるが、その一方で筑波大学の人文系が今すぐに消えるようなか細い規模のものではない、というのも事実だ。
ちなみに何も調べずに思いつきでこれを書いています。
だからもしも、そんなことは各地でとっくに試みられている(しかしあまり奏効していない)のであれば、ここから先を読む必要はありません。
世の中にはおそらく退役教員がたくさんいるはずです。
定年退職した教員や寿退職した教員、出産を機に退職した教員たちです。
育てた子どもが独立して専業主婦としての責務が一段落し、あらためて社会との接点を取り戻したくなった元教員もきっといるでしょう。
彼らは、教育という崇高な使命のためなら自己犠牲もいとわなかった時代の教員たちでもあります。
また、崇高な使命のためとはいえ教員という職務は負荷が高すぎること(=誰かの助けが必要なこと)を身を以て知っている人々でもあります。
彼らを補佐的な戦力としてどんどん現場に復帰させ、現役教員たちの負荷を分散するのです。
得意な科目だけ教鞭をとらせてもいいし、採点やこまごました事務、雑務などを担ってもらってもいい。
とにかく圧倒的に不足しているマンパワーを補うには、人間を追加するしかないと思うのです。
もちろんハードルもあるはずです。
指導要領などは当然あらためて学び直してもらわなければいけませんし、教員に求められるコンプライアンスなどのガバナンスも十年二十年前とは様変わりしています。
ITの活用など、かつては存在しなかった教育アプローチもありますし、ジェンダーやダイバーシティといった新しい価値観や概念もあります。
現場でどこまで対応できるか、復職教員個々の適性に合わせて配置するなどの考慮がきっと必要でしょう。
素人の私がポッと思いつくくらいですから、四六時中このことに頭を悩ませている人々がこうしたことを考えないはずがありません。
つまりもうとっくに全国津々浦々で試されていることだろうとは思います。
でももし、ただ「経験者再雇用窓口」を設置して口を開けて待っているだけなのだとしたら、もっと能動的になってよいと思います。
専門リクルーターが経験者を戸別訪問してがんがんスカウトする、説き伏せて引っ張り込む、そのくらいアクティブに動くべきです。
制度を知らなかったり自分からはなかなか動けないような人たちの中にも、きちんと説明を受けて社会から求められていることをアピールされたら気持ちが動く人がいるかもしれません。
かもしれない。
前に何かで見た「本当に支援を必要としている人は、助けたいと思う振る舞いをしていない」的な格言。めちゃくちゃ実感している。
小学校に勤めているのだが、もう寄り添うのも指導するのも疲れた。自分の力不足はもちろんわかってるんだけど、同じように疲弊して辞めていってる教員が後を絶たないと聞いているし…どうにかならないのだろうか?
いじめられた経験のある人には、なんと無責任なと思われるだろう。こんな奴が教壇に立っていて、本当に申し訳ない。
でも今、我々には「個性・特性に寄り添い、尊重する教育」「頭ごなしの否定ではなく、傾聴や対話」が求められている。それで、救われた子も大勢見てきた。でも、それによって育ってしまったモンスターもたくさん見てきた。
基本的に、不適切な行為については指導・謝罪させることはできても、本人の考え方や性格の問題を指摘してしまうと、人格否定されたとして下手すりゃ訴えられる。その子の特性に保護者の理解があればまだマシだが、おそらく保護者も似たような特性をもっていて、極端な考え方をする人がまあ多い。
そうなると、問題児本人より周りを育てるほうが希望がある…のだが、対人関係に問題がありすぎると、最終的には「揉めるくらいなら近づくな」と言わざるをえない。大人でも、苦手な相手とは最低限の付き合いだけして、仲良くならないというのは、よくある話だ。
「クラスに友達がいない。仲間はずれにされ、先生も友達も助けてくれない。もう学校に行きたくない」と子どもが家で暴れている!
と保護者が乗り込んでくる。
もうどうしろというんだ!
たぶん、世間が思っているよりずっと、職員室では時間と人手をかけて困り間のある子や親へ支援を尽くしている。でも、その多くに家庭の経済状況や保護者の人間関係(離婚、恋人、病歴、逮捕歴など)、発達障害の情報が絡むため、世間どころか支援を受けている本人たちにも、その全容が知らされることは少ない。
それでも、仕事だからどんなに嫌なやつでも助けたいと思ってる教員はたくさんいるんだよ。でも、そう思って差し伸べた手を払いのけられ、散々無能だと責められて、もう同期も何人も辞めた。
いい加減、各校に弁護士が警官を置くか、教室に防犯カメラを付けてくれ。
子どもの味方になってくれる親は心強いが、自分の子どものことしか信じてくれない親が多すぎる。本当に重大ないじめ案件の証拠にもなる。子どもと教員を守るためにも、求められたときに客観的な判断のできる立場が必要だ。
テレビ見ててそう思った。すべてのいじめ事案に、純度100%の被害者がいるなんてことはあまりない。それでも、被害者だろうが加害者だろうが、困ってる子どもは助けてやりたい気持ちもある。まあ未だに学校を南京錠で施錠しているような、ど貧困自治体では何言っても夢物語だけどね。