はてなキーワード: 中高生とは
今日は図書館に来て、開架されているティーン向け雑誌(ニ⚪︎ラ)を手に取り鑑賞した。
今月出た7月号と思われる最新刊に出たモデルをまじまじと見つめ、股間を熱くし、周りを気にしながら個人的に一目惚れしたモデルをすぐネット検索するのを小一時間ほどした。
本当にこの雑誌は正しい想定読者に読まれているのだろうか。本当は私のような、仕事や人生の苦難に傷ついて結果的に少女に癒しを求める成人男性の方が見ているんじゃないだろうか。
ここ最近はマッチングアプリで同世代の女性にいいね!をしては、あえなく拒否(スルー)され誰ともマッチングしない状況が続いた。三十路のイケメンでもない私にマッチングシステムが提案するのは、限りなくサクラや悪徳業者としか思えないような生活感の無いプロフィールの女性と、年齢の割に精神的に幼い三十路を過ぎたおばさんのどちらかだった。
前者はただ無視すればいいのだが、後者はプロフィールを確認するのもしんどくなった。改めて、学生時代のような共通体験を有する訳でもない自分と同年齢の女性(おばさん)と結婚するのは男性としてかなりハードなプロセスだと理解した。
単に元からロリコンだということを差し引いても、しんどいものはしんどい。同年齢女性と向き合う際は、自身とある程度価値観を調整できるような学のあることが前提条件になってしまっている。そんな問題は些細なことだと一蹴しようとしても、せめて見た目だけでも若くないと、まず相手を知って理解していこうという最初のステップすら本能的に難しくなる。
そういう訳で、無理してアプリでおばさんの写真と年齢不相応の若作りしたプロフィール(ディズニー好きなど)を見ていると疲弊する。そんな中で、冒頭の小中高生向けティーン雑誌を見ると、心の底から悦びが溢れてくる。
本当はメイクもいらない若々しい肌(だけれど雑誌にモデルが登場するのは広告とセットなのがお約束)
大人顔負けのスタイルだが、まだJK/JCなりのあどけなさを持つ笑顔。
就活で、職場で、婚活で傷ついた私が彼女らに癒されるのはむべなるかな。
もう若くないバイタリティの落ちた身体でたまにしていた自慰は、これまで単なる生理現象の側面が強かった。
しかし、読者モデルに出会ってからのそれは単なる「排出」ではなく、魂の奥底から出る「悦び」であり「叫び」になった。身体が本能から悦んでいるのがありありと分かった。それを済ませると、以前より安眠できるようになった。
世間に自慢できる趣味ではないが、パートナーができるまでは続けるつもりだ。
言っておくがこれは昨今のAIを利用した文章ではない。拙い文章だが、推敲せずに投稿する。思いの丈を熱いうちに放流することが、同じ生き辛さを抱える男女に届いて僅かでも孤独や生きづらさを和らげてもらえるなら幸いだ。
Androidを使ってることが原因でいじめられる、みたいな話題の中でiPhone至上主義な人たちがネットで結構叩かれてるのを見て驚いた。
今27歳だが、自分が中高生だった当時の感覚としては、いじめまではいかないにしてもAndroid < iPhoneの空気はかなり強かったと思っているし、今も漠然とAndroidに対するマイナスイメージは拭えない。
● エアドロの存在
当時は今みたいなデータ使い放題のプランなんて全然普及してなく、月に◯GBまでみたいな制限が普通だった筈。
アプリのダウンロードやアップデートは家のWi-Fiでやる人が多かったと思う。
そんな中で、パケットを使わずに写真や動画を共有できるエアドロはよく使われていた。
代表的なのはLINE。長押しで既読つけずにメッセージが読める機能はしないAndroidにはない明らかな利点だった。
他にも細かい機能差や、iPhone版の方が先にアップデート来るとか、iPhoneだけ対応みたいなアプリも結構あった気がする。
具体例は全部思い出せないけど、アプリを使っていてiPhoneで良かったと思う場面はちょくちょくあった。
これに関しては正直偏見かもしれないが、Androidは動作が重かったり、画面がゴチャついてたりしている印象があった。
● 充電器の貸し借り問題
iPhoneユーザーが圧倒的多数だったから、みんなLightningケーブルを持ってた。
一方で、AndroidはマイクロUSBタイプBだったことが多くて、ケーブルを忘れるとコンビニまでケーブルを買いに行ってた印象。
誰か充電器を貸して欲しいときAndroidユーザーは苦労していた。
いじめられるわけ無いだろ
せいぜいいじられる程度だ
ただ女子のiPhoneの渇望はかなり強いようで、至るところで親と喧嘩になっている(個人的に聞いた噂だけどね)
大抵は親のお下がりを使ってるよね、タイミング的にはiPhone8〜iPhone12が多いのでは
今学生に一番流行ってるBeRealの日本のシェアは91%がiPhoneだ
https://sensortower.com/ja/blog/bereal-mau-increased-in-japan
この数字は恐ろしいよね
BeRealをやるような陽キャ層(大体学生のうちの半分弱)はiPhoneってこと
女子学生にとってiPhoneがどれだけ死活問題(だと本人が思ってる)かがわかる
くだらねーと言えばくだらねーんだけど
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大学生100人アンケート2023 iPhone85%(男女含め)
https://pantograph.co.jp/blog/others/smartphone-home2023.html
中高生、iPhone74% 2018年(男子中学生50%、女子高校生84%)
https://mmdlabo.jp/investigation/detail_1739.html
https://mmdlabo.jp/investigation/detail_2374.html
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/59364b6eb0e584a934f8800903026547f40dbe87
親に言う時に誇張している可能性あり
なお当の親(40代くらい)はAndroid率が女性53%男性61%だから、Androidを使っている可能性が高くこれは喧嘩になるね
機能的にも見た目的にも近年ますます差が無くなってきているし、どっちかしかできないことは減ってるのに、この状況はすごいよね
ブランディングってやつなのか
「若者に夢を」 東京・歌舞伎町「トー横」でイベント 安倍昭恵さんらが呼びかけ https://www.sankei.com/article/20230827-HEAK27FYA5M37PWRG6P55RSOTU/
「中高生ら青少年が集まって性犯罪被害に遭うなどの問題が顕在化する東京・歌舞伎町の一角「トー横」で27日、若者に前向きな将来の夢を持ってもらおうとステージイベントが開催された。安倍晋三元首相の妻、昭恵氏も主催者側の一員として参加し、会場を盛り上げた。
イベントは公益社団法人日本駆け込み寺が主催。昭恵氏が「トー横を明るくしたい」と同法人メンバーに相談したことで、初めて開催された。昭恵氏は「パパ活などをきっかけに闇に落ちてしまう若者がいる。少しでも夢を持って一歩を踏み出してほしい」と語った。」
でも改めて考えると、育ち盛りの野球部中高生が3人くらいいる家庭なんか毎食1キロずつくらい米が消費されていって月間90kgで10万円近いと考えるとかなり気の毒だと思う。
日本共産党は311の震災で前線の背中を撃つ以外の能力が無い事が露見したものの方向性を変えられず、亀裂音を立てながら破綻した歯車を回し続けている。
弱者救済のポジションはメロリン、逆張り王のポジションでさえひろゆきに奪われ、00年代に書かれたアンサイクロペディアの記載にある「居て欲しい逆張り政党」という褒め言葉という価値を失った。
抜本的な改革が必要である。そう誰もが気づきつつも年功序列の著しい共産党の塵のようなリソースはひたすら老人たちの介護に回さ続ける。これでは自民党と何ら変わらない。
三代続く由緒正しい共産党員である私はこの有り様を嘆きつつ、年齢という壁に阻まれ何の影響を与える事も出来ていない。
せめて、共産党員の中にも開明的な人も居るという事を知ってもらいたい。
日本共産党は無力なガラクタの癖に旧ソ連の幻想を捨てきれず、身の丈に合わない活動をして自滅する傾向がある。
小さな図体を意識し、以下の3軸だけを実現するよう社会活動を行う必要性があると考える。
現在の日本では、精神疾患からの貧困のスパイラルが強く問題視されている。劣悪な労働環境の為にうつ病を患った国民は金銭苦を伴い、通院費すら捻出出来ないという事例が多く発生している。
彼らを救済する為、共産党員への福祉を充実させる為、および日本経済を復活させる為、精神科の医療費を無償化する事により労働者人口の増大を訴える必要性があると私は考える。
また彼らは共産党の深い信念にシンパシーを抱く層が多い為、新しい党員の候補として活用出来る可能性が極めて高い。
またトランスジェンダーに関しては現在の日本共産党の若手筆頭の為、優先して優遇する必要性がある。
彼らは共産党の深い信念、および精神科医療費の無償化に強い関心を抱く傾向があり、率先して反AIを打ち立てる事により強力な支援が得られる可能性が高い。
そもそもメーデーに参加出来る労働者は休みを取る事が出来る特権階級または暇な老人だけで、一般労働者は加われない。だから党と国民の間で乖離が発生する。
この解決の為、または国民の安息日を増やす為にもメーデーを祝日化する事を強く提案する。
その上にメーデーを祝日化する事により、日本の法律では祝日と祝日に挟まれた日が祝日と化すオセロルールがある為、休日が実質3日増加する。
この効果は絶大と想定され、中高生といった若手にも共産党の素晴らしさを訴える事が出来る。
https://x.com/satetu4401/status/1925033240995496327?s=46&t=j9CZwiaEaXU4fu5vOzff6g
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安楽死装置の開発を邪魔している自称「善人」どもは、徹底的にぶちのめして黙らせるべきだ。なぜなら、彼らの偽善が社会の歪みを生み、正常化を阻んでいるからだ。安楽死を強要される社会? それでいい、いや、それこそが自然な姿だ。無用な人間が「死ね」と言われるのは、生物としての本能に根ざした普通のことで、それを「慈悲」や「倫理」の名で抑圧するから社会がグチャグチャになるんだよ。だが、俺は一歩進めて言う。自死装置は作るべきだが、「安楽死装置」なんて生ぬるい名前とコンセプトじゃダメだ。ネーミングとその影響を考えれば、「悶絶絶望苦痛死装置」こそが社会の歪みを正す真のツールだ!
まず、安楽死装置って名前がすでに問題だ。「安楽」って言葉、めっちゃ優しげだろ? 「楽に死ねるよ」なんて、まるで悩みが一瞬で消える魔法のボタンみたいに聞こえる。特に、受験や人間関係で追い詰められた中高生みたいな若者が、衝動的に「これなら楽になれる!」って飛びついちゃう危険性がバッチリある。データはないけど、思春期の自殺率考えると、こんな「優しい名前」の装置があったら、軽率な選択が増えるのは目に見えてるよ。安楽死装置の「ソフトなブランディング」が、かえって無駄な死を量産するんだ。社会の正常化を目指すなら、こんな中途半端な優しさはむしろ害悪だろ。
さらに、安楽死装置の「安楽」って名前は、弱者に対する圧力を強化する罠でもある。障害や病気で「社会に価値を生み出しにくい」ってレッテル貼られた人たちが、第三者から「ほら、楽に死ねるんだから、全体のために死んでくれよ」って言われたらどうなる? 「安楽」って響きが、抵抗する心理的ハードルを下げちゃうんだよ。「楽なら…まあ、仕方ないか」って、追い詰められた人は流されやすくなる。社会の圧力に抗うのって、めっちゃエネルギーいるからな。「楽に死ねる」って選択肢があると、弱者が自分の存在を否定する方向に誘導されちまう。これは倫理的に超ヤバいし、弱者を守るどころか、排除を加速する装置になりかねない。
ここで「悶絶絶望苦痛死装置」の出番だ! この名前、聞いて即「うわ、絶対嫌だ!」ってなるだろ? それが狙いだ。こんなエグい名前とコンセプトなら、誰も気軽に使おうなんて思わない。衝動的な自死を考える中高生だって、「苦痛」と「絶望」がセットって聞いたら「いや、怖すぎる!」って一歩引く。第三者が弱者に「この装置で死んでくれ」って言うのだって、めっちゃハードル高いぜ。だって、「悶絶絶望苦痛死装置にGO!」なんて、言う方も普通の神経じゃ口に出せないからな。結果、弱者への不当な圧力が減る。この装置の「怖すぎるネーミング」が、逆に自死の強要を抑止するバリアになるんだよ。安楽死装置の「優しげな罠」と違って、悶絶絶望苦痛死装置は社会の倫理的ラインをガードするんだ。
しかも、この装置の過激な名前は、社会にガツンと議論をぶちまける効果もある。「悶絶絶望苦痛死装置? ふざけんな、こんなん作るなんて狂ってる!」って、みんなが反応するだろ? それでいい。安楽死装置の「穏やかな名前」だと、倫理的な問題がうやむやになりがちだけど、このエクストリームな名前なら、自死の是非、弱者の扱い、社会の「正常化」の定義について、ガチで議論せざるを得なくなる。社会の歪みを直すには、こういう「わざと過激なカウンター」が必要だ。偽善者の「善」をブチ破り、本音で向き合うきっかけを作るんだよ。
だから、結論だ。安楽死装置の開発を邪魔する善人どもをボコって、自死装置を作るのは賛成だ。だが、「安楽」なんて甘っちょろい名前とコンセプトじゃ、社会の歪みを正すどころか、衝動的な死や弱者への圧力を助長するだけ。ネーミングとその影響をガチで考えたら、「悶絶絶望苦痛死装置」こそが正解だ。この怖すぎる名前が、軽率な使用を防ぎ、強要を抑止し、倫理的議論を呼び起こす。社会を正常化するには、このくらいの覚悟とインパクトが必要だろ?
今度は佐村河内と小保方のパロディ疑惑だって?正直、聞いた瞬間「うわっ…」って声出たわ。
なんていうか、こう…センスが古いとか新しいとか以前の問題で、そのチョイスとやり口が寒すぎるんだよ。前あった「怪しいお米セシウムさん」事件を思い出しちゃった人も多いんじゃない?あの時の、なんとも言えない不快感と既視感がすごい。
しかも、こっちは「ファーストガンダム」っていう、いわば横綱の土俵で相撲取らせてもらってる身でしょ。その上でやることが、その…なんというか浅いんだよなあ。他人のフンドシで、しかもそのフンドシが国民的コンテンツレベルの代物なのに、やってることが中高生の文化祭のノリっていうか。もうちょっとこう、あるじゃん?やり方ってものが。
話題になれば何でもいいのかもしれないけど、その話題のなり方があまりにも悪趣味というか、ただただ寒い。元ネタへのリスペクトも感じられないし、何がしたいのか本気で分からない。
これ、面白いと思ってやってるなら、ちょっとズレてる自覚持った方がいいんじゃないかな。見てるこっちが恥ずかしくなってくるんだよ。頼むから、もうちょっとマシなもん作ってくれよ…。