はてなキーワード: 不登校とは
みんな色々だが、そこで多いのが
など、「メンタルを壊す」が多い。
まあまだ若いし仕事辞めるとかはすべてメンタルの問題になるのだろうけど、ここまで一般的なものなのだろうか。
ただそのおかげか精神的に傷ついても立ち直れるようになった気がする。
いつぐらいに壊した方がいいとかあるのだろうか。
正直、いつ壊しても取り返しのつかないことは気づいているけど。
結局未だにはてなを利用し続けている。
最近AI増田が流行っていて、生きた人間の、線としてつながる日記を書いてみたくて投稿することにした。
匿名の人にも人生があって、その後もあるんだなって感じたので、そういえばと思い自分の記事を読み返してみた。
もし、誰かの暇な時間を満たせられれば幸いです。
片親の生活保護家庭から高卒後自立して貧乏学生になった増田です
将来の不安について綴ったところ、色んな人から反応をいただきました。
それから10年、何度か自分の記事がホッテントリに載ることはあったけど、そんなに多くは書いていない(年2~3記事?)
・所有資格は基本情報ぐらい、NCPやCCNA(期限切れ)みたいなベンダー資格は何度か取得したけど…
・当時のバイト先はスーパーの海鮮だったけど、その後、みんな知ってるレンタルサーバー屋さんでバイトしていた
・就職はもっと給与いいところを目指したので、バイト先には勤めなかった(高卒であっても入れるらしかったのも一因)
結局学生生活はバイトがそれなりに忙しいこと、成績維持のために楽単ばっか選んで、専攻分野もそんなに勉強できず、将来仕事に活かせられなかった。(とはいえIT分野については独学でそれなりにやっていたので、就職先は6社受けて4社受かる、みたいな感じだった)
成績上位は同じゼミの金持ちの子で、当時思っていた通り、生活に支障がないやつが学費免除受けられやすいんだろうなぁと実感した。
・総資産は300万程度
・年収400万は以前より貧困ではないかもしれないが、東京でみるとやっぱり貧乏だと思う
・職場で飼い殺されている
生活は苦しいままだと思うけど、定職があるのは確かにいいことだと思う。
大学の先輩は就活に失敗し、携帯電話販売スタッフを転々としていたので、それに比べるとマシかもしれない。
ITに関して独学していたからというのもあり、職場の同期や元同期からも信頼が厚いが、金融インフラ系という堅い仕事ながらに、裁量が多すぎる(というか抽象的でフワフワな職場)はかなり自分にあっておらず、6年経ってもスキルが1人前に身につかないと感じている。
書いてて思うけど、全く職場の風土が自分にはあっていない。しかし転職するスキルもないので、八方塞がりで、とにかくしがみつくので精一杯。
元同期からいつも「うちに来なよ!」と言われるが、みんなのように外資系とかIT大手とか行ける気がしないよ・・・
客観的に見て幸せだと思う。大学や職場では、優秀な友人たちに恵まれ、今でも交流がある。
だけど補助は2年後に打ち切られる予定だから不安でしかない・・・
ただ、貧乏生活を得て、「有るもの」を数えることが得意になった。
iPhone持ってて、好きなアニメや音楽聞けて、服も楽しめるし、ご飯は食べられるし、眠ることも、お風呂に浸かることもできて・・・
だから、無いものを数えていた昔に比べて今は幸せなんじゃないかと思う。
この選択は未だにわかっていない。姉は高卒で就職し、フリーターで精神障害2級で人生詰みみたいなところあったけど
弟も同じく工業高校出身で、最近死亡事故起きたような割と名前の知られてる会社で日勤夜勤を繰り返しながら働いている。
俺だけ偏差値真ん中ぐらいの総合学科で、そこから大学に行った。よく考えるとちょっと家族でも異質な生活してるかもしれない。
個人的には給付奨学金を収入のおかげで受けることができたこと、大阪の家賃2万の家に住めたことなどで
ある程度有意義な学生生活は送れたと思う。でも、不登校時代があったりヤングケアラーだったりして、ハングリー精神がないので
恵まれた環境にいながらも、大学という世界をうまく使えなかった気がする。
今も、東京に住んで、様々な専門家と触れる機会があり、趣味を最大限に楽しめる環境にいながらも、意欲がなくて機会を持て余している。
学費の借金は、車1台分と考えれば、まあそんなもんなのかなと思うし、会社も約1000人規模の大きな会社に勤められたので良かったと思う。
あとは転職でこの大卒という資格の恩恵を受けられれば・・・だけど産近甲龍未満の私文なので微妙そう。
一生このまま一人で趣味をしつつ、このままこの地でこのまま死ぬのかなぁとか25歳あたりまで考えていた
作業手順もステータスの判定基準も、ミス後のリカバリ手順などすら共有しない組織で、放り込まれた現場でみんなと大きなミスをしたところ休職をすることになって
希死念慮が高くなってしまった。大学まではITに意欲的で、スキルもあったと自覚している人材だけど、現場では情報共有もなく、何も得られず
飼い殺されて第2新卒期間を逃したあたりで、どうしていいのかわからなくなった。うつ病は今もそのまま残っている。
その時ゲームをしていた友達がウクライナ人で、ドローン爆撃や真冬のブラックアウトなどを間接的に体験したので、人のために生きることを決意した
貯金はないけど、なんとかボーナスとか持株会とか使って、空港チケット買ったり、大使館に連絡したりして友達を日本に連れてくることにした。
お互い狂っていると思う。会ったこともない相手同士をこんなに信頼して、モルドバ行って手続きをしたり、ポーランドから日本へ来たり
主に相手のほうが必死にやったと思うけど、その後の手続き周りは全部頑張った(歯列矯正のメンテナンスとか地味に大変だった)
今は一緒に1DKの狭い部屋で暮らしてる。最近他の人の手助けがあり、ようやく難民補助ももらえるようになって、少しだけ生活が安定し始めた。
貧乏学生はなりふり構わず差し伸べてくれた手を握れば、何とかなるかもしれない。
大学の奨学金制度は掲示板を見て自分で手続き行ったし、単身IT会社に自分を売り込みに行ってバイト採用決まったり
今も誰かに助けられつつも、自分も誰かを助ける番として生きることができている。
見返りを求めるわけじゃないけど、人助けは「砂の中の金」を探すものなのではないかと感じた。
恵まれないお腹の空いた子どもが、与えられたご飯を人1倍食べられるわけではないように、与えられたものを活用できる人は少ない。
財団の給付奨学金は、そんな人たちにも機会を与え、100人中1人でも大成できる人を見つけたかったんじゃないかと思った。
それを感じることが自分もたまにある。
独学したITの勉強は、他の友達にも教えた。一人は就活のときに俺を裏切ってどっか行ったけど、まあそういうこともある。
たくさん人を手助けしては、損をすることが多かったけど、今は真摯で誠実な友達に恵まれている。
ウクライナ人の友達もその一人で、難民申請中は俺が日本語を教えたりして、今始まった日本語学校では、ほぼトップの成績を誇る
何より、Javaの勉強を始めて、今後の人生を一緒に歩む目標に向かって進んでくれている。
「友達が死ぬのが怖いから」と差し伸べた手だけど、掴んでくれたのなら絶対に離さない。死ぬまで俺も人助けの責任を全うしようと思う。
俺は、砂の中から砂金を見つけたのだ。
社会に出て思うのは、貧乏も裕福も選んで決めたもんじゃないし、得られたものでやりくりするしか無いなということだった。
恵まれた人生の中でクソみたいな結果しか出さないやつも存在するし、恵まれた人生の中で、それでも更に欲深く生きるやつもいた。
苦労も惜しまない、得ようと思った人が得るのが社会に出てからの人生なんだなと感じた。
そういった「意志の強さ」が疲弊して、貧乏なままで居続けるのが貧困なんだなぁとも感じた。
自分は人を助ける側として、働きたいと思った。
当然職場など、色んなところで人に助けてばかりの人生だけど、それでも何か少しでもいいから誰かの助けをして
自分も誰かの役に立ちたいと思った。
この間、ETV特集でやってた「ねちねちと、問う 」ってのを観たんだ。これがまた、いろいろ考えさせられる内容でさ。
メインは京大の宮野公樹先生。もともと金属の研究でバリバリやってたのに、いきなり「学問とは何か」とかいう学問論に転向しちゃったっていう、なかなかの変人。息子さん3人とも不登校にさせてるってのもすごい。アナーキストっぽいのに、超有名国立大学に籍を置いてる矛盾もまた味わい深い。先生曰く、社会的な価値のある金になる研究より、自分の好きなことを研究できたらいいのに、って。「社会のものさし」じゃなくて「自分のものさし」で幸せを測ろうぜ!って話。
まあ、言ってることはめちゃくちゃわかる。でもさ、これって結構理想論じゃね?って思うわけ。人間ってのはどうしたって他人と比べちゃう生き物じゃん。俺だって、街中でカップル見かけなきゃ、別に恋愛なんてしたいと思わないかもしれん。見ちゃうから、比べちゃうから、俺もパートナー欲しい、って躍起になる。理性では、どうでもいいこと、って分かってても、本能が競争に勝とうとしちゃうんだよな。となると、「社会のものさし」って一体なんなんだろうな。
番組にはもう二人、印象的な人が出てきた。
一人は半導体メーカーの部長、守屋周さん。典型的な仕事デキる人で、ガンガン仕事こなしてたんだけど、宮野先生のプログラムに参加して考え方が変わったらしい。上司に相談して仕事量を減らしてもらったってんだから、この会社もすごい。まさに「自分のものさし」を取り戻そうとしてる感じ。
もう一人は名城大学の武藤将道先生。昆虫の研究してるんだけど、テーマがニッチすぎて科研費がなかなか通らないのが悩み。宮野先生とは逆の境遇だね。でも、この先生、ゴキブリを手づかみで標本にするくらいのガチ勢。宮野先生のワークショップで一般の人に研究テーマを公開したら、意外にも興味を持つ人がいて励まされたり、大学では、先生の研究をやりたい、って学生が出てきたり。これって、「自分のものさし」で研究してたら、結果的に「社会のものさし」でも評価されて自己肯定感上がってるパターンじゃん? あれ? どっちだ?
ふと思ったんだけど、ちょっと前までスマホが普及してなかった発展途上国って、メディアがあんまり発達してないから比較対象がいなくて幸福度高かった、みたいな話あったよな。インターネットって、否応なしに他人のキラキラ生活とかを見せつけてくるから、「自分のものさし」をいとも簡単にへし折ってくる凶器でもあるよな。グローバル化ってのは、良くも悪くもこのインターネットとセットだ。そういや、トマス・モアのユートピアも、外界から隔離された島だったっけ。
結局のところ、「自分のものさし」を確立したぜ!って思っても、隣の芝生が青く見えたり、ネットでマウント取られたりしたら、一瞬でグラついちゃうのが人間なのかもしれんな。宮野先生、どうやったらその境地にたどり着けるんですか? ねちねちと問いたい。
僕が「なんでもできるような人になりたい」って憧れは小さい頃から潜在意識のなかにあったのかも知れない。
幼少期によく遊んでいた友人が成績優秀、吹奏楽の部長を務め、絵が上手く、ゲームのセンスもある「なんでもできる人」だった。
対して僕は引きこもりの不登校、成績もそれほど高くなく、吹奏楽でも先生に怒られながら下手な楽器を鳴らし、絵も大して上手くなく、ゲームも彼にずっと負けていた。
何もできないドベだった。
とにかく彼に負けたくなく、僕は彼が手につけるものを追ってチャレンジしたが、結局、何も勝つことはできなかった。
僕は楽曲制作、映像制作、イラスト制作、グラフィックデザイン、プログラム、多岐にわたる技術を広く浅く習得し、のんびりと創作活動を行なっている。
彼に憧れていたものを手に入れた気はしていない。
初の精通は14歳で、暇なのか現実逃避的に「股間をしごき扱き続けるとどうなる?」「本当に何か出るのか?」と何もオカズを見ずに手淫をしていたら射精してしまって手やブリーフを汚してしまった。その時は自室で夜(21時前後)だった。
14歳でオナニーをして射精を1度してしまって射精後の罪悪感や怖さからか、15歳になって1年間はオナニーをしないようにした(オナ禁)。一応手淫の刺激は得ていたが、たまに出そうになった場合は最悪寸止めをして15歳の間に射精は一度もしなかったのは確実。
その前後の頃にPSPで閲覧していた、2ちゃんねるのコピペブログらの記事や萌駅辺りから、性的嗜好とかも狂い始めた。
16歳になってからはオナ禁の反動か、浴室で妄想しながらシコって射精する事を何回かする程ふしだらになった。母から洗い場の排水溝がデロンデロンになってるのを言及されて自分が洗い場で性処理してる事が親にバレた。
14歳の頃は性的嗜好はパイズリで、18歳頃から胸や口よりも膣が確実に快感であるという事を理解した。それ以前まで、なぜか「ヴァギナ・デンタータ」という生半可な知識が先にあって、なんとなく「膣に歯がある事がある(膣への薄っすらネガティブなイメージ)→膣には無関心・距離を置いてた」という時期があったせいか、体位とかあまり興味が無かった。
17~18歳頃から「膣って歯とかの痛みも無く(悪い印象無く)快感を得れる箇所なんだ」と理解した際に膣への執着が増していった。オナホ妖精とかインピオとか。それでもオナニーをする際のオカズは大抵その自慰初期に知った萌駅辺りからの二次元のエロ画像を繰り返し使っていた。
ちなみに17歳頃まで二次絵のパイズリ絵が中心で、膣の性交エロ絵は3番手ぐらいだったと思う。ケモノのエロ絵は2番手ぐらいか。
その頃はまだ自分がピュアなのか、二次絵の竿役の上半身とか体が変に黒光りムキムキで人工的な不自然な雰囲気な事も受け入れられなかった。(そういう絵が強姦物である事を理解したり、強姦物に地味に自分に影響されてる事に気付くのは大分後になる。)
1日1回抜いたら抜く気にならず、20代の頃でも週に2~3回程度だったと思う。
「中学生時代に興味本位でシコって射精してしまったり そのエロ絵のまとめブログとかを見てなければ、二次絵とかでのオナニーや、今でもそれ程オナニーしていなかったかもしれなくてオナニーした時の罪悪感や執着や時間浪費などに今も苦しまずに済んでいたかもしれないのに…」と今でも思う。
最近は、自分に刺さるエロ絵があると、二次絵エロ絵師は「ズルい」と腹立たしく思ってしまう。
自分はアラサー後半だが一度も恋愛すらもした事が無い。自分はエロは二次元派で、専らAVを本格的に見始めたのは20代後半(2022年頃)で、それまで三次元のエロ動画などのAVを見たのは指で数える程度だった。なんなら14歳の頃に戻れるなら、二次絵すらハマらないようにすれば良かった。ちなみにオナホなどの性器具も一度も手に入れたり使った事はない。
自分がオナニー回数に積極的でなかったりオナニーに肯定的でない事情を今書かないと忘れそうな気がしたからこれを書いた。書いてる気分としては走馬灯みたいになってる。