はてなキーワード: レジャーとは
地方都市(名古屋)から東京に移住した民だけど、俺の周りだと都内でも子持ちは大体みんな車は持ってる気がする。持ってない人はかなりレアで片手で数えるぐらいしか知らない。
でも都内は徒歩圏内に大体全部そろっているから週末のレジャー以外では困らないのはそう。(っていうか車持ってても週末以外基本的に乗らない。)
まず前提として、スーパーの駐車場は有料だし、保育園の送迎で車は禁止。
という状況なので、うちの妻もそうなんだけど、日常使いには電動自転車を使っている人が多いイメージ
38度ある子供は病院をネット予約して時間になったら抱っこやベビーカーで精々徒歩5分。タクシーでも初乗り運賃で済む。
スーパーの買い物は重いものは基本ネットスーパーなんじゃねーかな、知らんけど(うちはきゃらくるカート目当てに車で郊外のイオンモールまで行ったりする勢)
会社がどこかにもよるけど、都心じゃなくて神奈川埼玉千葉多摩あたりに住めば車の維持費もそこまで高額じゃない(といっても戸建てじゃなければ駐車場代に月1~2万程度は必要だが)ので、週末の生活はそんなに変わらないんじゃないかな
毎日の買いもんで払う税が消えるっちゅうのは財布の余裕に直結するから、
たとえば食料品や日用品だけやのうて電気代やガス代にもかかってる税が全部ゼロになったら、
ほなその浮いたお金は何に使われるかっちゅうと、外食とかレジャーとかに流れるかもしれんし、貯金に回す人もおるやろうけど、国内の消費が底上げされる効果はかなりでかいと思うんや。
特に景気が低迷してる時期にこういう刺激策打ったら、個人消費が活発になる分だけGDPの押し上げにもなるわな。
ただしその一方で政府の税収はガッツリ減ることになるわけで、ざっくりいうて年間20兆円以上の収入源が消えるっちゅうのは、社会保障とか公共事業とかにどえらい影響出てくるんちゃうかいう話になる。
財源をどう補うかが最大の課題で、他の税を上げるんか、それとも無駄を削るんかっちゅう論争が避けられへん。
ほんで法人税とか所得税にシワ寄せがいくようになったら、企業活動にもブレーキかかる可能性あるし、高所得者の税率上げるとか言い出したら、また別の火種が出てくるわけや。
結局のところ、消費税ゼロいうのは一見めっちゃ庶民の味方に聞こえるけど、その裏側には複雑な財政構造が絡んでて、簡単に実現できる話やあらへんし、やったらやったで次に何をどう回すかっちゅう設計がないと、短期的には良うても中長期的には国の運営自体がガタガタになる可能性あるで。
そやけどまあ政治家が人気取りで一時的にゼロにしよか言い出す可能性もゼロやないし、ほんまに実現するかどうかは別として、庶民の生活と経済全体に与えるインパクトはアホほどでかいっちゅうことだけは間違いあらへんな。
もちろんこれはChatGPTでお送りしたやで
市長が「道楽で富士山に登る人を公費で救う必要あるか」とか言ってるらしいけど、
フェスで倒れた人。
海水浴で流された人。
これ全部、「本人の判断で」「趣味・娯楽・自己実現」のためにやってることだよな?
登山と何が違うんだよ。
それを見て「かわいそう」「ちゃんと助けなきゃ」って思えるのに、
その論理でいくと、この国の救急制度・医療保険制度、根本から否定されるんだよ。
なぜって?
人間が倒れるときって、大体“好きでやってたこと”の延長線上で起きてんだよ。
好きで体動かして、好きで人に会って、好きで外出して、その中で事故や病気は起きる。
全部“道楽”と切り捨てたら、救う対象なんてほとんど残らねえ。
やって倒れたら、ちゃんと自腹でやれよ?
その覚悟あるのかよ?
まさかとは思うけど、「自分の趣味は健全」「登山はバカがやる無駄な娯楽」とか思ってないよな?
線引きの基準が“自分がやるかどうか”になった瞬間、それもうただのエゴだからな。
命を救うのに、「道楽だったかどうか」で判断する社会なんて地獄だよ。
第1法則
仕事の量は、完成のために与えられた時間を全て満たすまで膨張する。
第2法則
そもそも、例えば4人家族で「何不自由ない暮らし」を実現しようとするとおそらく月150万円くらいになる
これはサラリーマンにしては十分すぎるほど大きい、40代だと上位1%を切るはず(資産ある家庭除く)
つまりその「何不自由ない」から多かれ少なかれ何かを我慢していってるわけだ
じゃあそれは贅沢なのかと言われれば、案外そうでもない
家、その立地、学校の質、医療、健康、習い事、レジャー(経験)、貯金、付き合い
こういったものは当事者にとっては「将来のため役に立つもの」の範疇に入ってしまうので贅沢という感覚はない
それで言ったら、例えば世帯収入月40万円くらいの家庭でも、何かしら「我慢しない」をしているはずなんだ
収入が増えていくと、この「本来はこうするべきだった」「本来は切り詰めないべきだった」が顔を出していく
こういうものを全部やると簡単に上位1%レベルの収入が必要になってしまう
不思議なことに、年収300万のとき「あと少しあれば◯◯を我慢しなくていいのに」が、年収400万になるとまた別の「あと少しあれば◯◯を我慢しなくていいのに」が発生していく
これが段階的に発生していくからおそろしい
実は年収1500万くらい行っても、当人は何かを我慢しているんだけど、それで「生活が苦しい」なんて言っても誰にも相手にされないから言わないだけなんだよね
いいか1人で参加するんじゃない!やめておけ!空気に殺されるぞ。
ソロプレイヤーは場所取りしか参加資格はないみたいで、レジャーシート広げてものを食べようものなら「ちょっといいですか」とお声がかかる。…理不尽すぎてねぇか?
それも1度や2度じゃない。
この意味がわかるか?
端的に邪魔らしい。とにかく目障りだから、排除される。場所取りでないソロプレイヤーも初めは3人いて、心の中で「(がんばろうなっ!)」と声をかけあったものだが、次々と撃沈していく…。
とうとう残ったのは、自分1人だけというわけだ。かな〜り惨めだ。というのも、狩られたソロプレイヤーから「食べ終わったのに、なぜ君はまだここにいる?」と煽られる。
定期的に声がかかるので昼寝もできず、静かに過ごすことなどできない。なんなんだ…!この仕打ちは…!!
「ちょっといいですか」「何していらっしゃるんですか」「お花、きれいですね」
おいおい…ぼっちをここまで本気で殺しにくるイベントなんざぁ…なかなかありませんぜ…?まるで修行だ。独りでいたいのに酒だの手作りお重など持ってきやがる。実に旨そうだが、その手には乗らない。
「じゃあ、1人で歩けばいい」と思うだろう。レジャーシートを広げなければいけない理由は三つある。
一つ、ぶらぶら歩いていると警官に職質される。
ぼっちはなぁ。参加資格はない。かなり厳しい。2人以上での参加という非常に高いハードルが敷かれるのだ。ぼっち飯食らいながらカフェやら腰をおつけられるところで、遠目に花見、見物するのがちょうどいい。本当に1人で参加するんじゃないぞ。ぼっちという存在そのものを全否定されるぞ。
大筋は同意だな
でも相手がNPCか人間かというのはオンラインゲームである以上、結局バレてしまうものなので
AIでNPCを人間に近づけるというよりは、AIが負けてるチーム側に有利になるようにランダム要素を微調整して、なんか分からんけど巻き返しやすくなる、って方向に進化すると思う
で、「いい試合だったな」って思える割合が増えていくフェーズがきて、一時は対戦ゲームジャンルが盛り上がるんだけど
「いい試合」に慣れてしまったゲーマーは、果てしなく同じようなことの繰り返しと化した対人ゲームに興奮することがなくなっていく
ドーピング耐性みたいなもんだな
結局対人ゲームは、長期運営されるオンラインゲームというよりも、買い切りゲームに近い賞味期限になっていく
そのためナンバリングが次々更新されていくけど、参入者より離脱してもう二度とやらない「対人ゲーは卒業」したゲーマーの方が多くなる
そんで結局、ゲームに求められるのは没入感のあるグラフィックや世界設定、映画のような重厚なシナリオでありつつインタラクティブなゲーム性を活かす、そして運営型ゲームならではのリアルタイム体験の共有、
そういった心を豊かにする仮想レジャーやメモリアル体験な娯楽としてゲームは進化していくことから避けられない
いつまでも対戦だーつってギャーギャーとバトルに勤しむやつは低年齢層か野蛮人だけになっていく
eスポは野蛮人の見世物小屋として、Vtuberが社会不適合者の見世物小屋になってるのと同程度には残り続けるだろう
熟したゲーマーにとって、対人というのは世界観に優れたゲームの中の一部にミニゲーム的に存在して、やり込む人もいるけど、本気になるようなものでもない、って態度がもっとも快適だろうし
そういう方向へと収束していくだろう、というかMOBAジャンルの出自がまさにそんな経緯だしな
そもそもゲームというビジネスは「飽きさせない」ことが最重要なのに
対人ゲームというのは追加で開発する余地というのがあんまりない
オープンワールド系とかが莫大な金をかけて魅力的なマップや豪華なサウンドトラックそして個性的なキャラクターを続々と追加していく一方で
対人ゲームはバランス調整に敏感だからぽんぽんキャラを増やすのも難しいし、戦場となるマップもどんどん増えればいいってもんじゃない
その分を莫大な賞金にまわしてユーザーを煽り継続させることはできるかもしれんが、恩恵を受けるのはプロだけだ
ひたすら周回してタイム縮めることがエンドコンテンツになるレースゲームとかと同様、大多数のプレイヤーにとっては飽きやすいジャンルなんだよ
https://anond.hatelabo.jp/20241111110154
彼と私は遠距離恋愛なので結婚するとなるとどちらかが転居なんだけど、
年収面、待遇面、転職難易度、業界のことあれそれ、今持つお互いのキャリアとそのビジョン、
あと2人とも子供を望んでいるので(十分望める年齢だしブライダルチェックもしたよ!!)そこに関する福利厚生等々…
を踏まえて、彼が私の住む街に引っ越してくれることになったよ。
これに関しては「そんなの惚気じゃないだろ…」みたいな修羅場があったから飛ばすとして、
とりあえず面接のために彼が平日に私の家にいるわけだ………なにこれ…さい&こう…
相変わらずドラマとかの恋愛シーン大好き女なので神田川で歌われるような「貧乏だけど二人の間にはなんかこう愛っぽいものがある同棲生活」に憧れてたから
これまさにソレジャーン!!!!!って大興奮したよね…ロールプレイとシチュエーション大事。
彼は面接対策らしい対策をこれまでしたことがなかったらしくて超ナーバスになってたけどかんわいいんだわ~~~~~~~~
ゆっくり寝てほしいからベッド貸すよ私はソファで寝るねって背を向けたら「やだ」
寝るかと思ったら「手を繋いで寝てほしい」
うおおおおおおおおおおおおおおおお(メロにあおられて七転八倒)
もしかしたら「なんだその女々しい男」って引く人いるかもだけど
こんな有様なのに普通にシゴデキだし家事万能だから男ってマジ意味不明だよな…へへ…独り占めだあああ
とにかく、愚痴や悪口でコミュを作ろうとする人がいないとか、真っ当な評価を受けられるとか、
10年、20年と先のビジョンを描けるとか、社会貢献が目に見えてできるとか、キャリアアップなんて別世界とか思わず自分事にできるとか…
そんな会社にたどり着けるといいな~
今まで我慢続きで、選択肢が限りなく少ないというかほぼなかった人生の中生きてきた人だから「後ろ盾があるぞおおお!!!」って私が言えるうちにさ、
面接で「こんなに歓迎されて、認めてくれるなんて」ってうれし泣きしてるなんて、なんか切ないもん。
ことわっておくと、彼の事をしっかり調べたわけではなくて、断片的にニュースやweb記事で見かけてきた記憶だけを元に書きます。
まず言わずと知れたZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイの創業者で、資産家だ。
10年くらい前に金が余りすぎてて、バスキアの絵なんかをジャケ買い?しているみたいな記事を見た記憶がある。
今はもう売ったらしいけど。
5年くらい前には、宇宙に行くみたいな壮大な話が出て、羨ましいし富豪ならではの良い金の使い方やん、と僻みまじりに思った記憶がある。
ま、これも宇宙ステーションに滞在して、月周回は中止したらしいけど。
ただ、広義には「レジャーとしての宇宙旅行」に先鞭をつけた意味では人類史において偉業だし、
これを書いてる自分は人類がいつか太陽系を旅立つ日が来ることを夢見ているので、その日に近づく一歩として有意義だとも思っていた。
剛力彩芽はべらせてな!羨ましいぞぅ…
そして、その時期あたりだったかで、「金配りおじさん」を自称?していたのも記憶にある。
自分は「富豪の醜悪な社会実験」という月並みな感想しかないし、そのあとに雨後の筍のように模倣した詐欺師が跋扈したことも踏まえて、業の深い所業だなあと思っていた。
なんかすごい残念なんだよね。
zozoって、一定層の人の行動様式を変えた、社会にインパクトのある偉業を商売のフィールドで成し遂げたんだよね。
なかなかできることではない。
で、そのあとやってる事業がコレ?っていうね。
たぶんだけど、今さら大儲けしたい動機メインで事業やりたいとは思わないだろうから、「でっかいことやりたい、社会にインパクト与えたい」が原動力だと想像するんだけど、それがコレ?
仮説に仮説重ねてるけど、もしそうだとしたら、zozoを成した男がこんなことしかできないの?こんな座組で何ができるの?って思う。
そりゃ、バカは釣れるけどさ。
なんだかね。
宇宙だけ行ってればいいのに…
大阪万博には行ったほうがいい。
大阪万博は、ただの国際的な展示会ではなく、未来を感じることができる場所だ。このイベントには、最新技術や未来社会のビジョンを直接体験できる貴重な機会が詰まっている。そのため、万博に参加することは、単なるレジャーとして楽しむだけでなく、後の自分の人生や記憶に大きな意味を持つ。
万博で体験できる技術や展示は、未来に向けての大きな一歩を感じさせてくれるものばかりだ。自動運転車やAI、エネルギーの新しい形、さらにはバイオテクノロジーなど、これらの技術は近い将来、私たちの生活に大きな影響を与えるだろう。こうした先端技術を実際に目の当たりにすることができるのは、まさに貴重な体験だ。これを逃すことは、未来の世界を形作る瞬間を見逃すことになるかもしれない。
また、子どもの時にやったゲームの話題に入れないというのは、思いのほか大きな寂しさを感じるものだ。例えば、友達や大人たちが懐かしいテレビゲームや映画の話をしているとき、自分がその時代にその体験をしていなければ、話の輪に入れずに疎外感を感じることがある。大阪万博も、未来の重要な話題となることは確実だ。万博で触れた技術や社会的なテーマは、未来の世代が語り継ぐ話題になるだろう。そのため、万博に行かないことが後々大きな後悔につながる可能性がある。
さらに、万博には子どもを連れて行くことを強く勧めたい。特に子どもたちにとって、万博のような場所で未来を感じ、さまざまな技術や文化を体験することは、彼らの成長に大きな影響を与えるだろう。子どもたちは、新しいテクノロジーや社会の進歩に触れることで、好奇心や探求心を育むことができ、また、親と一緒にその体験を共有することは、親子の絆を深める貴重な時間にもなる。万博での体験は、子どもたちにとって将来にわたる大切な思い出となり、彼らの価値観や考え方にも影響を与えるだろう。
万博に行くことで、未来の社会や技術についての理解が深まり、それを後の世代と共有できる。万博で得られる経験は、単なる観光以上に、未来に向けた一歩を踏み出すことになる。将来、万博を体験したことがどれほど貴重で意味のあることだったかを実感する時が来るだろう。その時に、「行かなかった」という後悔を感じないためにも、今のうちにこの機会を逃さず体験しておくことが重要だ。
万博に参加することで、将来に渡る大切な記憶を作ることができる。子どもと一緒に行けば、その体験は親子で語り継ぐことができ、未来に対しての理解や価値観を育むための素晴らしいステップとなる。その貴重な機会を手に入れてほしい。