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島本理生といえば、元は純文学の出身だけれど『ナラタージュ』のヒットと、『夏の裁断』で芥川賞を逃したことでエンタメ文学に転向した…とされているけれど、『夜はおしまい』はちょうどその転換中に連載されていたので、一応、島本理生最後の純文学作品となる。しかもそのためか、つい最近に単行本が出るまで、5年間も本となることはなかった。
もっとも、『星のように離れて雨のように散った』のように、ここ最近島本理生はエンタメ誌に純文学時代の作品をアップデートしたような作品も書くようになってきている。
この先はエンタメ・純文学というくくりを考えずに書くようになるのかもしれないし、だからこそ『夜はおしまい』もようやく単行本化されたのかも…と思った。
『夜はおしまい』は島本理生作品の中でもかなり賛否両論っぽいけれど、個人的にはたまらない一作でした。
エグめの内容を、島本理生のあのリリカルかつ鮮烈な文章で、表面から内面までじっくり描写してくるので、胸糞な気分になる人がいるのはわかる。「体験談なのでは」と思ってしまうレベル。
ストーリーとしては、やはり気になるのはキリスト教についてだろう。
『アンダスタンド・メイビー』を書くためにキリスト教を学んだらしいけれど、響くものがあったのか、その後も島本理生作品には高い頻度でキリスト教の話が出てくる。
元々、島本理生作品は、損なわれた(傷を負った)女性の心の快復や、その救済を描いている印象があり、初期作では、その救済の過程に主に「男(恋愛)」を用いていた。
しかし、その展開に限界を感じたのか、『ファーストラヴ』での「臨床心理学」や、本作その他の作品における「キリスト教」のように、男(恋愛)以外の存在を救済のきっかけに用いることが増えたように思う。
特に『イノセント』はキリスト教による救済の物語と言ってもいい。
つまり、本作でもキリスト教による救済が描かれるのだが、イノセントのように救済されきってはいない
彼女たちの「夜」はまだ明けておらず、朝は来ていないのだ。でも、やがて明けるはずだからこそ、『夜はおしまい』というタイトルがつけられたのだろう。
それは、女性である作者が(ある種女性差別的な要素を含む)キリスト教を学んだことで、やはり一つの疑問を抱いてしまったからだと思う。
既に「罪」を負っている女性はどうすればいいのか。彼女たちのように(周りからおかしい、救いようがないと言われるような)、苦しい・いけないとわかっていても、自ら自分の身体に「罰(=罪)」を負わせずにはいられないような人はどうすればいいのか?
つまり、はじめから「損なわれて」生まれてしまった人はどうすればいいのか、どうすれば救済され得るのか、という命題である。
「私たちはどんなに精神的に自立しても受動的な身体からは逃れられない。そしてそれはやっぱり時間を重ねて精神面にも影響するのだ」
「本当なら、ユダやペテロみたいな人間こそ救われないといけないんだと思う。だってあの二人は誰よりも人間っぽい」という2つの文章は、本作のテーマをもっとも直球に述べているのではないだろうか。
月曜でデイリークエならぬウィークリーのタスク更新されて潰してるし
さらにGoogleから今年もダイヤモンドバレー始まったよーとかメールも来て忙しいンだわ
シナリオが佳境に入ってるゲームも多いから推し実況者をチェックするのにも時間取られるしな
てかVISAの商材制限でダメージ受けてるオタクなんて存在するのか?
オタク界隈というかWeb界隈の決済は00年代初期から全世界的にクレジットブランドに属さないPayPalが強かったし
最近はメルカリやペイペイみたいな無職でもカード発行できるサービスではJCBとかも選べる
さらにBNPLサービス、国内でいうとPaidyなんかに対応したサイトも普及しつつある
Amazonも対応してるから知ってるはずだよな、分割手数料無料のクレカ持てない若者をターゲットにしたサービスだ
よっぽど情弱なオタク以外そんな話題で騒ぐ必要もないし目に入れる必要すらないんだよ
アンダスタン?
そんなもん要らんし作れんぞ
俺はべつに女の子の性格やシチュもろもろ次第だが全然言われても不快さはない
屹立してる状態で脈絡なくかわいいと言うのはちょっと悲しくなる男は多いかもしれんが
むしろ萎んでる状態のときのソレをかわいいと評するのであれば、あるあるネタになるくらい普通のことじゃないか?
立ってる状態でも昭和の人間でもない限りサイズ至上主義みたいな考えに陥ってる男はまあ半分くらいはいるかもしれないが男の全員が全員ペニスの威容を自身の尊厳と結びつけてるわけじゃあない
表現はなんであれペニスへの愛着を示してくれていると受け取ればむしろ言及してくれること自体を嬉しく思う男も少なくないだろ
サイズ等にコンプレックスがあって関連する表現にセンシティブになる程度にはナイーブな性格の男もいるから気をつけた方がいいって程度よ
そんなもんは常識で想像しうる範囲のもんでマニュアルにするほどでもなく、作りようもない
アンダスタン?
無意味だな。
その構造はすでに「モバイルゲームのシナリオ」という形で完全に実装されているからだ。
君の構想が不完全なのは、小説という枠内だけでそれが達成できると誤解しているところにある。
薄味にさせなければならないのはもっと大枠のユーザー体験とでも言えるものであり、小説そのものを薄味にしたらダメだ。
シナリオ自体はいいんだけど、ゲーム部分についていくために消耗し、他のこと(読書など)をする時間がなくなり、テンプレ化したイベントのローテーションにじわじわと飽きが蓄積していく、作品自体に愛着はあるんだけど3年もやってると離れたくなってくる、そうやって人を離脱させ循環させる構図がとくに国内メーカーのモバイルゲームで確立している。
アンダスタン?
少年漫画こそ猥雑で多種多様な世の中のあらゆる濁りが少量ずつ入っているべきなのだ
カマホモのような奴がでてきたり成金の嫌味が出てきたりBLや百合趣味抱えてそうな女子が出てきたり世に蔓延る諸要素のサラダボウルになっているべきなのだ
もちろん一作品内で多様さを完備すべきというわけではない、それは逆に過剰なポリコレだ
いろんな作者作品を通してそれぞれのテイストを守る範囲で多様な表現をしてくれればいいだけだ
逆に決して中国共産党や韓国社会部がやるような規制やお気持ちで雁字搦めになってはいけないし
そこまでいかなくとも過剰な自主規制で画一的な表現しか採用されない状況になるのもいけない
世界の混沌に触れて自分でそれを選り分ける経験を積むことでのみ人間は自ら賢くなっていけるわけだ
その機会を奪う思想のもとでは支配者による愚民統治、管理統制社会まっしぐらになるだけだ
アンダスタン?
前線の少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたとき、リコリスが少女のみで構成される理由(※)や、少女を前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。
アサウラはバニラのころからこういうところがあって、物語を少女-大人(社会)という対比ではなく少女と少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクはブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。
まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分の老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。
【追記】
いやーほんとブクマカとかトラバしてくるやつはアホしかおらんな。抽象的に考えることができないばかりか俺が書いてることも全く理解できてない。
ようはリアリティラインをどこに置くか(物語の中のどのラインで整合性を取るか)っつー問題なんよ。死人が出ない設定ならこのままでいいの。リコリスが使ってるのは鎮圧弾で、テロリストや犯罪者からの銃撃に対しては特殊な訓練を受けてるから殺されることはない、とかね。だけどリコリスはバンバン殺されていく。なのに大人側は対処する能力がないのかそのつもりがないのか何もしないし、なんなら何も感じてなさそうですらある。さすがに薄気味悪くね? って話なんよ。似た構造を持つ鬼滅の刃が問題なかったのは、少年兵が基本的に鬼に肉親を殺されているアベンジャーであることと、頭領である産屋敷当主自身が業を背負っていて悲惨な死に方をすることが運命づけられている&死んでいった鬼殺隊全員を記憶するという肉体的にも精神的にも「責任を負う側」の人間だからだよ。ガンスリは責任を負うというより報いを受けるって感じだが、物語的に帳尻合わせをしてあるという点においては同様。
リコリス・リコイルはそのへん完全にガバガバだよね。少女の死体を積み上げてまであんな治安の維持の仕方をする必要あんの? しかも別段特殊能力があるわけでもないただの孤児ってだけで戦場行きだぜ? エグくね? いや大人は軒並み揃って外道でそういうディストピアを描いてるだけなんです、って話なら最初からそういう顔しとけよ。
「少年兵もいましたね残念www」みたいな馬鹿なコメントをしてるアホがいるけど、子どもが大人から搾取されてる構造を描いておきながらそこに完全に無頓着という意味では何も変わらんのよ。ヘタに男女で分けてると、それ分ける意味どこにあんの? って話になってくるわけ。男女混合でもなんでも能力の高い順に部隊分けして事件の難易度に応じて投入する部隊を編成する方が理にかなってるし、そもそも少年少女に戦わさせる必要ある? 大人で良くね? って話になってくるので、なんなのこの世界ってことになるんよ。
少女が銃バンバンやって百合やれば撮れ高高いよねという話は普通にわかるけど、作ってる側があまりにそれ以外がガバでも萌え豚はブヒブヒ鳴くよねって態度なんでクソだなコイツラって話なん。
オタクとしてコンテンツを楽しむことと人としてまともであることは何一つ相反することなく、共存可能である
それは単に人としてまともでない楽しみ方をする人をピックアップして嘲りながらそれこそがオタクだという偏向的な認識とレッテルを己の中で確立させてしまっているだけであり
人として優れたオタクが数多く存在することを見ようとしないのはあまりにも自分の見聞きしてきた範囲や環境が底辺じみた粗野なものであるということを認められず上を見ようあるいは優れた人を認めようという己の向上心のなさを直視せず意識からシャットアウトすることで自我を守ろうとしたが故である、そのためにオタクのままでは人としてまともではない、卒業すべきものかのような主張を感じさせる首をひねるようなロジックがぶち立てられるのである、アンダスタン?