はてなキーワード: センターとは
父親と名乗る、血縁的にも父親な人が受け付けられない、ということを延々と書きなぐりたいだけの話である。
身バレ上等というより、ネットを見ない父親の目にも止まってくれないかという気持ちで書く。しかしながら、父は自分のこととは気づかないだろう。覚えているはずがないからである。
さて、起こりとしては小学時代、両親の不仲により別居が始まったことだった。
父親が会社の寮に移ることにより、私と父親との生活は終わったのである。
しかしながら、小学生卒業までは年に数回食事をしたりバーベキューなどのイベントもあった。まだ私の中で父は父であった。
そのころには父親は不景気の影響で失職しており、いわゆる「マイホーム」も手放すことになったため、賃貸へ引っ越すこととなった。
養育費はしばらくは払われていたが、何年かして止まった。
後から父に聞くと養育費=家賃分として取り決めをしていたらしい。しかし、家賃は父が払える金額を超えており「母親が引っ越すという約束を守らなかったから止めた。この金額までしか払えないと最初から言っていた。約束を守らなかった母親が悪い」という理由だったそう。
今になって思えば(全額はそのとおり約束破りが悪いが、父親の言い値は払えたよね?)と思えてしまう。
まだこの話を聞いた頃にも父は父だったように思う。が、後にこの辺りで母が借金をしていたと聞き、父親へ数年越しに落胆した。
(養育費を払っていない状態で年一回程度の食事に行き父親然として振る舞っていたと思うと、今更ながら苛立ちを感じる)
二十歳前後でこの父という『人』は人としてやばいのかもしれない、と気づき始める。
この親族のことがあり、いままでになく頻繁に連絡を取り合っていたが、当時も、そして十年をすぎた今でも許せない言動を直に浴びて心が折れた。父は私を傷つけた自覚も当時なく、今になればここで起こったやり取りすら覚えていないに違いない。
しかし、私にはここが分岐点だった。ここから私は父を父として見れなくなった。
父とは、親とは子を守ってくれるものなのだとそういった幻想がかき消えてしまったのだ。
(追記)雑に心のうちを書き殴った文章を全て読んでもらえるとは思わず省いてしまったが、当時言われた言葉は一字一句覚えている。
ただの親族、とは思わないほどに慕っていた父方の親戚だった(父の兄弟である。父親も慕っていた)。末期癌で投薬治療もしていたが、芳しくなくいつ急変してもおかしくないと言われていた。そのころに、居酒屋で酒の入った父に言われたのだ。
「お前なんてちっとも悲しくない。俺が一番悲しい」
「お前が泣いたって何にも変わらない」
今思い出しても私にとっては忌々しく吐き気すら覚える言葉だ。書きながら思い出して泣いている。
帰り道では「〇〇〜(私の名前)」と何を思ったのか(想像はできそうだが想像にも言葉にもしたくない)といいながら抱きしめてきたことも覚えている。殺意が沸いてしまうことは許して欲しい。
他人からみれば大したことがないかもしれないと思い、省いてしまった。だが、私には、どうしても許せないのだ。
どうでもいいが、私の前にその親族の配偶者にも同じことを言い、殴り合いの喧嘩から警察沙汰まで起こしている。そういう父親なのだ。
少し回想するが、父は優しい『父親』だったと思う。
おそらく『子を守るために身を挺する』タイプだったと思う。父親として大変に優しかった。
しかしそれは父が優しくしたい故の優しさであり、『他者を慮る優しさ』ではないのだ。
「私はこういう事をしたい。これはしないでほしい」と伝えたところで「自分がしたいと思っている」からしているのである。指摘したところでそうか、と笑って嫌な顔をするのだ。拗ねているのだ。折角やってやったのに、だ。
そして「じゃあ、もう何もしない」という言葉が出てくる、そういうタイプの、優しさだったのだ。
話を戻そう。
私の心が折れてから、十年ほどは正月の挨拶のみになった。それもしばらくはしていなかった。それほどに私は父を拒絶していた。それほどの父の発言でもあった。
ようやく食事をするようになったのも、「まぁ、この人はいたしかたない『人』なのだ」と区切りがつき始めたのは三十に差し掛かったころである。
「人はお酒を飲んじゃうと脳が萎縮しちゃうんだって、お父さんもそうなんだと思う。なので最近飲んでいない」と、さも偉いだろうと言うふうにその頃に言ったことを覚えている。
不惑などとうに超え、還暦に差し迫ろうとしている頃合いの大人が言うのである。へぇ、という言葉以外には出てこなかった。もっと早く気づいて欲しかったが、父の人として不味い部分は飲酒だけでもないことにも気づいて欲しかった。
今年、正月の連絡はしなかった。
なんだか面倒になってしまったのだ。
とても気を使うのだ。怒らせないように、不機嫌にならないように、拗ねないように、といまだに気を使うのだ。
だからかしらないが、父親から先日「来月家に遊びに行きたいのだけど」と連絡が入っていた。
普段使わないアプリであり、通知センターでたまたま目に入ったような状態だった。むしろよく見たな、と思う。
すでに二ヶ月ほど経過しているが既読はつけていない。
あの人がうちに遊びにくる思考ができること自体が無理!!!!!!!となってしまったようだ。
どうしてうちに来れると思えるのか、どうしてそこまで距離が詰められていると思えるのか。
私との確執も溝も全くもって埋まっていないのである。広がっていないだけだ。年一回の兄弟込みの食事で元の親子関係に戻れたと思っているのだろうか?二十数年前に?そんなタイムマシンなことはない。
私の心が狭いのだろうか、と思い悩むこともありはするが肉親だからこそ許せない思いというものはあるのだ。
父親なのだからそこまで拒否しなくてもいいのでは、とも考えたが、一緒に暮らさなくない時間の方が長く、おそらく社会人となり長らく働いている会社の上司との方が通算の会話時間は長い。関係性としては薄々の薄である。
血は水より濃いというが、混ぜれば薄まるし、排水溝にだって流れてなくなってしまうのだ。
この無理、という気持ちをどうにかこうにか吐き出したく、匿名ダイアリーに書いた次第だ。
万が一にも書いたら気持ちが落ち着くか、とも考えたがそんなことはなく、書けば書くほど過去の思い出に苛立っている。
このまま関係性が途切れてくれたらと思う。
山手線擬人化アイドルコンテンツを知っているだろうか。私はよく知らない。山手線の内側に住んでいるので、駅構内でときどき見かける駅員の格好をしたイケメンキャラとして、なんとなく存在だけは認識している。勝手に駅員設定のキャラだと思っていたが、彼らはどうやらアイドルらしい。
新橋駅でやたら渋い声が聞こえると思ったらこのコンテンツだった。サラリーマンの街というイメージなのか、アイドルにしてはかなりおじさんだったので印象に残っている。
アイドルなので人気とかキャラ同士の関係性みたいなものもあるようだが、実際の駅での扱いはまだ全然違う感じがする。
コンテンツ内でセンター扱いらしい新宿は、現実の駅ではほとんど見かけない。広告が多すぎるのと、常にどこか工事しているから単純に見つけにくいだけかもしれないが。
一方で、同じターミナル駅でも池袋になると、ちょっとした掲示物やパネルでよく見かける。積極的に起用されている印象がある。
池袋の近くだと、巣鴨でキャラクターの誕生日を掲示物で大々的に祝っているのを見たことがある。小さめの駅だけど、駅ぐるみで愛されている感じがしてよかった。童顔で癒し系っぽい見た目のキャラだったので、お年寄りウケがいいみたいな設定なのだろうと思った。
その隣の大塚は、数年前に等身大パネルが一個置いてあったがいつの間にか撤去されて、今は駅のどこにもキャラクターの姿がない。
正直、この手のオチに免疫のない(=これまで、この手のオチのあるADVをプレイしていない)層に、
tekitou-manga "春から秋にかけて発生" あ、これ丁度万博開催期間と被ってますよ…… / 大阪には市立環境科学研究所という北港の環境モニタリングする組織があったが、維新が潰した。ユスリカも対象だった。自分の首を締める維新
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/entame/346676/1/1/
ご指摘の内容について、いくつかの点で事実は含まれていますが、表現や背景に関してはより複雑な事情があります。
まず、大阪市内には実際、長年にわたって環境状態の調査や監視を担ってきた「大阪市立環境科学研究所」が存在しており、たとえば万博会場周辺の生態系調査なども実施されていた事例があります。
一方で、「潰した」という表現は、単に一つの機関を完全に閉鎖したというより、近年の大阪市における行政改革の流れの中で、複数の組織再編や業務の統合・分割が行われた結果として現れたものです。つまり、同研究所の持っていた機能が他の窓口に再割り振りされた、または組織形態そのものが変更されたという経緯があり、この再編成には大阪維新の会など現与党勢力の政策的影響が色濃く反映されていることは確かですが、単に「潰した」と断じるかどうかは議論の余地がある状況です.
このように、事実としては研究所が存在し、その役割を見直す動きがあったという点は合致しますが、閉鎖の仕方や背景には単純な一方的な決定というよりも、行政改革の一環として「再編成」されたという側面が強いと理解するのが適切でしょう。
どのような点がさらに気になるか、背景の詳細や再編成の意図、また現在の環境モニタリング体制のあり方についても掘り下げて話すことができますので、ぜひさらにお聞かせください。
https://www.city.osaka.lg.jp/kenko/page/0000008417.html
※大阪市立環境科学研究所は、平成29年3月末で廃止され、食品・微生物部門につきましては、大阪府公衆衛生研究所と統合して地方独立行政法人大阪健康安全基盤研究所別ウィンドウで開くとなり、環境部門につきましては、大阪市立環境科学研究センターとなりました。令和4年11月より新施設に移転しました。
終わったということはそういうことです。
長かったような短かったような……
次はもっとうまくやれると思うけれど次は無い。
誰かの参考になれば、などという殊勝な考え方は持ち合わせておりません。
様子がおかしくなったのは15年?くらい前。私よりも本人が異常を感じたらしいです。
忘れ物落とし物をすることが多くなった。
普段できていることができなくなった。
そこで「なら私がやる」にしてしまうとさらに何もできなくなるという話も聞いていたので今まで通り生活をしてもらってました。
その後、電車に乗れなくなった(東京近郊なんで免許は無くて仕事行くのも買い物行くのも電車という生活でした)という話を聞いてこれはまずいなとさすがの私も思いました。
とは言えそこまで切迫感を持っていたわけではありません。今思うとこの時点で相談すべきでしたね。
洗濯をすると靴下がばらばらになりました。症状は個人によって違うと思うので参考にもならないのかもしれませんがはっきりと覚えています。
そのころから日常的な家事すら満足にできない私に家事を教えたり、自分で地域の包括支援センターというところに相談したりをしていました。
そういう年なんでかかりつけの医者でも相談して例の薬をもらっていました。
そしてある日包括の人から電話が入っていて家族にも話がしたいと。
休みを取って訪問してもらってデイサービス等の利用を勧められました。
やっぱりショックでしたね。そりゃもう。
元気で言葉は悪いけれど「殺しても死ななそう」みたいな人がそういう判断をされるんだから。
介護サービスを利用するには継続的にお金がかかります。私の収入だけでは心もとない。そのお金をどう調達するか。
ところがです。やってしまった。正直に「認知症がぁ」とぽろっと漏らしてしまったのです。
向こうも困っていました。
そういう電話はコンプラ対策ですべて録音されているわけです。「認知症」はNGワードです。全部の会社でそうなのかはわからないですがその会社ではそうでした。
予定が狂いました……
親も働いていた人なので年金はあります。それじゃ足らない。うーん……
それでも今を生きられなくなるよりはましなのでそういう決断をしました。
給料が安くても毎月お金が入ってくる仕事についているのならしがみつけと。
親の介護が大変で仕事を辞めると共倒れしてしまう可能性がけっこう高いらしいです。
「自分を生んで面倒を見てくれた親よりも仕事を取るとはけしからん」という意見をお持ちの人もいるでしょう。
そこまで極端ではなくてもどっちを取るか迷う人はけっこう多いんじゃないかと思います。
私もそうでした。
自分のケースはただ一つですが包括の人は何十ものケースを見ているはずです。
他のケースも見たうえでそういうアドバイスをしてくれるということには重みを感じました。
もちろん最終的な決断は介護をする自分がしなければなりません。
認知症の場合は本人の決断というのが期待できないので家族が決断しなければなりません。
それでも、他の人の言うがままにこうした、と思うより、自分自身が最終決断したと思うことで自己満足ではありますが後々後悔することは少ないのではないかと私は思っています。
デイサービスというのは曜日単位なんですね。午前コースと午後コース、食事付食事無などいろいろなメニューがある。
利用するまで知りませんでした。
車が迎えに来てくれて車に乗ればあとは帰ってくるまでお任せです。
デイサービスの車の走行距離って全国合わせるとすごいことになってるんでしょうね。事故が多く報じられるのも納得です。毎日あれだけ走っていれば事故も多いわ。
最初のうちは私が家にいる土日は利用していなかったのですが土曜日は利用するようになりました。でもなかなか空かない曜日もあって毎日というわけにはいかない。
仕事続けられるんだろうか?
不安になりました。
デイサービスでは無理、常時介護をお願いできる施設の方がいいんじゃないか。
思い悩んでいるところで神風が吹きました。
それまで在宅勤務は0だったのですが100%在宅勤務になりました!
これなら、これならなんとかなる!
みんな「コロナのせいで」」とか「コロナさえなければ」と言っている中私は「コロナのおかげで!」
そう思った時期が私にもありました……
在宅勤務とは言えというか在宅勤務だからこそ打ち合わせとかありますよね。会議室取らなくていい分増えたような気もします。
打ち合わせしてるじゃないですか。
玄関は鍵閉めてその他対策をして簡単には外に出られないようにしているつもりだから盛り上がってしまったりします。
打ち合わせを終えるといなくなってる……
そして……夜眠っている。朝になるといない……
自分だったらこのトラップを初見で解除できない、そう思っている私が浅はかでした。
本当に認知力に問題あるのだろうか?俺に意地悪しているだけなんじゃないか?とすら思いました。
気を悪くする人もいるでしょうが、実際に触れてみると認知症になった人って子供に戻ってるんじゃないかと思うんですよね。
気を引くためにわざと怒られるようなことをしているように見える節があります。
子育てと似ているのかも。
ただ、根本的な違いがあって子育ては将来に希望があるし終わるタイミングがある程度見えている。
対して認知症の介護は将来治る見込みがなく終わるタイミングが全くわからない。
当たり前といえば当たり前ですが精神的な負担は認知症の介護の方が強いのではないかと思います。
育児も大変ですけど……
横道にそれましたがそんなこんなで限界が近づいているタイミングで利用しているデイサービスの方からももっと手厚い介護を受けた方がいいのではというお話をいただきました。
その時点では日中は家にいる時間よりデイサービスにいる時間の方が長くデイサービスでは私と違って誰かしらが見ている状況なのでそれでも厳しいということだったらと思いケアマネさんと相談を始めました。
提案をされたのはグループホームです。家族の収入にも寄りますが私の収入の場合は公的資金を頼るには多すぎて自己負担が大きい施設を利用するには少なすぎるという中途半端な状況。
無理なくとは言えないまでも無理をすれば支払いができるグループホームを何か所か提案してもらいました。
ここでもコロナで助かりました。
昼休みを潰すと見学に行けちゃうんですわ。やることをやっていればけっこう自由にできる職場だったんで「昼休みのあとちょっと遅れまーす」みたいなことを言えば外出できました。
コロナ前だったらこんな対応不可能でしたね。おそらく有休まで使いきって何日か欠勤してたでしょう。介護休暇?んなもん足りるわけねぇww
見学に行ってよさげに見えても私が決断する前に入居者が決まったり、そもそも見学している時には空きが無かったりとかもありました。
競争率激しいですねぇ。
決め手はなにか?
家から近い!
圧倒的に近い!!
施設は小規模で手厚いサポートとかには不安がありましたけど何かあった時にすぐに行けるという安心感でその施設を選びました。
これは入居してから聞いたのですが、施設で働いている職員の中に私の親が外を歩いているのを見ていた人もいました。
自分のところじゃなくてもいいから入居した方がよさそうだなと思っていたらしいです。
病状は進んで暴れたりすることもあり、気持ちを落ち着かせる薬をもらうのに家族の付き添いが必要ということで、そもそもそういう診断ができる精神科が少なくて予約もできないとかまぁいろいろありました。
そうこうしているうちにこれもまた運がいいことに歩きは無理だけど車なら無理なく行ける場所にあるお医者さんが受け入れてくれました。
診察は最初の1回だけでその後は私が様子を伝えれば処方箋と薬をもらいに行くだけという対応で済むようになりました。
そのお医者さんを見つけたのがかなり大きかったです。私がおかしくなったらそこに行こうかと思ってます。その時にもその先生はいるかどうかはわからんですけどね。
それ以外にもけがをしたりとかいろいろあるたびに医者には連れて行きました。最初は自分で連れていけましたが最終的には介護タクシーを利用しましたね。
車いす対応レンタカーを借りることも検討しましたが行く病院によっては介護タクシーの方が安くつきます。
そうこうしているうちに親の病状が落ち着いてきました。
落ち着いてきた……、それはつまり終わりが見えて来た、ということになります。
精神科にも通院しなくなりそうするとその都度聞いていた様子を聞かない月が出て来たり……
毎月のコミュニケーションはあるんですが通院する時のコミュニケーションはやっぱ濃かったんでね。
施設も職員さんも忙しい中時間を作ってくれてるのはわかるので通院と言う理由なしに「変わりないですよ」という一言を聞くためだけに時間をもらうのもなというのもありました。
ああ、ここでは逆に近いことがマイナスに作用したのかも。近いからいつでもいけるとおもっちゃうんですよね。
そして、様子がおかしいという連絡があり、ちょうど予定していた有休があるのでその時に顔を見に行くという話をしました。
しかしもう一度連絡があってその日が土日だったんでスーパーに買い物に行くついでにちょろっと顔を見に行きました。その時も今日明日と言うようには見えないと言われたし私もそう思ったんですが……。
その翌日、眠ったまま息を引き取りました。
親戚づきあいを濃密にしていたわけでもなく、同世代の友人もみんながみんな元気というわけでもなくということで私が1人で見送るつもりでいましたが、連絡がついた親族や友人経由で小ぢんまりには変わりないですが思ったよりも大勢にお見送りしてもらいました。
知らない人がいると思ってびびってたら40年ぶりくらいに会う人だった。わかるわけがないw
終わったらたぶんほっとするんだろうなぁと思ってましたが違いましたね。
後悔は無いです。
でも、次にやるんだったらもうちょっとうまくやります。経済的な、精神的な負担も今回よりは軽くなるようにやろうと思います。
次はありません。
玄 秀盛(げん ひでもり、1956年5月24日[1] - )は、公益社団法人日本駆け込み寺理事、株式会社オフィスGEN代表、一般社団法人再チャレンジ支援機構理事を務める。2011年7月まではNPO法人「日本ソーシャル・マイノリティ協会」(JSMA)新宿救護センター所長だった。
ジャップスなにこれ
うちの母がお金お金あるとわかるとなんかしてお金取ろうとするので給料が安すぎてって説明したら可哀想みたいな態度と嫌味言ってきた上に
近所や親戚に言いふらしてる
おまい頭大丈夫?
老後のことも考えて近くに住んでるんだけど子供だからって何もかも変な態度出されても困るんだよなぁ
息するように金費うしさー
母が父が気に入らないからそれやって周りに言いふらして自◯に追い込んでるし
父人としてかなり問題があったけど私が学生の時母に相談しても何もしてくれなかったくせに老後父が邪魔になった途端弱いもののフリして私の話も利用して追い込んだから良いじゃんね
BY CHATGPT
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20250518/k10014809031000.html
✅ ゼノフォビア的(外国人・特定国籍・民族に対する偏見・敵意・排除的態度が見られる)
fhvbwx 「外国籍……余罪を調べるべきでは?」 国籍と犯罪を関連づけている
m7g6s 「埼玉はもう駄目だな害人に乗っ取られた」 「害人」は侮蔑語で、外国人排斥を示唆
kanata0120 「免許センターに中国人向け教習所広告」 中国人へのあからさまな嫌悪・敵視はないが皮肉的
pj_lim 「外人に優しい国ニッポン」 外国人に対する優遇を批判、排他的
DropOutSurf_JOY 「同じことを日本人が中国で行ったらどうなるか」 日中の対応差に不満を述べつつ、外国人を問題視
narwhal 「また中国人の悪事か」 中国人全体への否定的一般化
lshdagfljhsadfl 「川口周辺は子連れで行くべきじゃない。治安が悪化」 川口と外国人の関係を示唆しつつ否定的
lb501 「なんで中国人は国籍出さないの?ベトナム人は出すのに?」 特定国籍に対して報道の違いを批判
m_yanagisawa 「日本人にだけ厳しいのは当局のダブスタ」 日本人と外国人の扱いの違いに不満を表明
mouseion 「川口ナンバー印象最悪。クルドに中国か、川口は魔窟か」 クルド人・中国人を含む地域全体を否定的に描写
全体のコメント数:44件
割合:約22.7%
🔎 備考
コメントによっては皮肉や報道批判を装って、実質的に外国人排斥や嫌悪をにじませているものもあります。
明確な敵意や差別語がなくても、外国籍と犯罪を結びつけている発言は、ゼノフォビア的傾向と判断しました。
必要であれば、該当コメントだけをCSV形式で出力したり、非ゼノフォビア的コメントを別分類することも可能です。ご希望があればお申し付けください。
どうも私があまり育児に無関心で、故に非協力的だと思われていたらしい。
はっきり言っておくが、子供は心底可愛いと思っているし、かなり育児を実施しているつもりであったので、あまりにも心外だった。皆の意見を聞いてみたい。
以下ではなるべく客観的に状況を書いてみるが、多少なりとも私(夫側)のバイアスがかかっていることは否定できないので、そのつもりで読んでほしい。
私と妻は共に30代中盤の会社員。子供は一人で生後半年程度。基本的には順調に育っているので、特に育児にあたって特別な配慮は必要ない。
都会めのところに住んでいる。徒歩圏内には児童センターや一時預かり保育の施設などが複数あり、便利に使える。
妻は育児休業中。私はほぼテレワークので、平日日中も家にいる。
私や妻の両親、親戚には諸事情あって気軽に頼れる状況ではない(里帰りなどはできない)。
育休はとってないし、平日日中帯はほぼワンオペなのは確かであり、育児負担が偏っているのは事実だと思う。
ただ、テレワークの強みを活かして1時間に一回程度は母子の様子を見に行って話しかけたりしていたし、買い物なんかは対応していた。また、朝の着替えや夜のお風呂、離乳食作って食べさせたりなどは私がやっていた。おむつ替えなんかも対応できる時は実施している。
育休という名目ではないが、産まれた直後は大型の連休などがあったので、年休等も使いつつほぼ1ヶ月程度は休んで育児に専念していた。また、節目の検診や大きめの病院に行くときは毎回年休をとって一緒に行ったりなど、仕事ばっかりやっていたつもりはあまりない。
飲み会などの行事もほぼ断っている。2-3ヶ月に1度程度、どうしてもいかないといけない場合は行ったりするが、それでも夜の8時くらいには帰るようにしていた。
休日は私は基本的に子供と一緒にいる。高い高いして遊んだり、散歩に連れて行ったりなど積極的にしているつもりだし、妻が友人と会うために3-4時間ほど外出する時も、私が家で子供を見ている。
ちなみに、平日・休日に妻がやることに文句をつけたことはない。児童センターや整体、友人らと会うことなどを推奨していたし、実際に週2-3程度は外出してそれらのイベントを実施しているようである。ちなみに私は友人が少ないので、あっても2ヶ月に一度、休日の昼間に2時間程度である。
ベビーシッターや一時預かりを積極的に使うようにすることを提案したが、それもあまり使いたくはないと却下されてしまった。
夜間の対応を妻に任せていたのも確かだが、それは母乳を定期的に飲ませないと妻側が辛く、どうせ起きることになるので対応してもらっていたためである。なお、お漏らしなど対応に人手がいる場合は私も起きて対応していた。
あまりにも夜が辛いなら、母乳育児を辞めても良いとも言ったし、たとえば搾乳等しておいて夜間に起きないようにすればいい(=私が対応できるようにしてもらえれば、夜間も私が対応する)という話もしたが、妻はそうしなかった。
たとえば週一程度で妻だけ近くのホテルに泊まるなどすれば?とも提案したが、断られた。
テレビというかiPadでのYouTube動画だが、朝の30分程度見せているだけである。もちろん子供が動画を見ている間も私は近くにいて、泣いたりした時には対応していた。
育児が妻側に偏っているのは事実だが、私もサボっているわけではなく仕事をしているし、できる限り育児に参加していたつもりであった。
また、ベビーシッターなど、お金で解決できそうなことはなるべく提案していたつもりなのに、それを断られてしまうともはや打つ手がない。
客観的に見て、私は育児に非協力的だろうか?もしそうなら、何をすればいいか、他の人の意見を聞いてみたい。
皆意見ありがとう。厳粛に受け止めるつもりだが、いくつか誤解や情報提供不足と思われるコメントを見かけたので、もう少し補足する。
水回り含めた毎週の掃除は基本私が担当している。また、朝のゴミ出しなんかも全て私がやっている。勿論、ゴミ袋を付け直したり、欠品が出たら買い物にも行ってる。ちなみにこれは子供が生まれる前からである。
洗濯は妻の方が分担率高め。
食事の用意は、少し前までは私が惣菜を買ってきて並べることが多かった。勿論後片付けも行う。最近は妻が料理作りたいというので任せている。買い物や後片付けなどは分担している。
テレワーク中の私の飯は、私が適当に買ってきて妻と食べることもあれば、妻が散歩のついでにパンを買ってきてくれたりするのでそれを食べたりする。食器を使ったら、妻の分も含めて片付けたりする。
母乳に加えてミルクも与えている。妻の方が準備する率は多いものの、私も休日含めるなら全体で3割程度はミルクを作って与えている。勿論、後片付けも含む。お湯を作るポットの準備や、消毒液の用意等も込みである。
夜に母乳だけにしているのは、長時間(6-7時間程度?)空けると妻の胸が張って辛いらしいから、である。一回夜間に私がミルクで授乳したことがあるが、朝起きたら大変なことになっていた。
おむつ替えは勿論大も小も変える。寝かしつけも、特に休日日中帯はかなり担当している。余談だが、まだ子供が小さい頃は夜間に3時間くらい泣き喚いてずっとあやしていたものだが、それに比べると最近はだいぶ楽になった。