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「キャンパス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: キャンパスとは

2025-06-01

地方だけでも大きな家持てるような税政策やってくれないだろうか

防音室が持てて楽器練習ができたり、100インチ超えのテレビスピーカー映画見れたり、

2mくらいのキャンパスに絵が描けたり、

カポック、ブーム、大規模なライティング設備設置できるフォトブースだったり、

A3印刷した写真をいくつも展示出来たり、

調理家電何台も置けるキッチンだったり、

オシロスペアナ、マルチメーター置いた電子工作部屋だったり、

2m^2くらいのジオラマ制作が出来たり、

ワインセラーや、バーカウンターが持てたり、

書齋が持てたり、

樹脂製スケートリンクアイススケート練習が出来たりさ

2025-05-31

anond:20250531213737

北区」という名称の区は、日本のいくつかの都市存在します。それぞれの「北区」は自治体によって異なる特徴や文化があります。以下に主な「北区」をピックアップして紹介します。

1. 東京都 北区(とうきょうと きたく)

概要東京23区の一つで、荒川隅田川に沿ったエリア

主な駅:赤羽駅王子駅田端駅など

特徴:

下町情緒都市利便性を兼ね備えた地域

飲食店商店街が充実しており、住みやすいと人気。

飛鳥山公園などの緑地も多く、桜の名所として有名。

2. 大阪市 北区(おおさかし きたく)

概要大阪市中心部位置し、梅田キタエリアを含む。

主な駅:大阪駅梅田駅、中津駅など

特徴:

ビジネス街商業施設が集中する大阪有数の繁華街

グランフロント大阪阪急百貨店などの大型商業施設あり。

夜景観光ショッピングにも便利。

3. 名古屋市 北区(なごやし きたく)

概要名古屋市北部位置する住宅街エリア

主な駅:黒川駅上飯田駅など

特徴:

住宅地が広がり、ファミリー層に人気。

名古屋城にも近く、歴史的雰囲気も一部あり。

4. 京都市 北区(きょうとし きたく)

概要京都市北部自然歴史が豊かなエリア

主な駅:北大路駅など

特徴:

金閣寺上賀茂神社などの歴史的名所が多い。

山に囲まれた落ち着いた地域で、学生も多く住む。

京都大学キャンパスも近い。

5. 札幌市 北区さっぽろし きたく)

概要北海道札幌市の一部で、広大な面積を持つ。

主な駅:北24条駅、麻生駅など

特徴:

北海道大学のキャンパスがある学生の町。

雪まつり四季自然が楽しめる。

住宅地農地が混在するエリアも。

岡山市北区(おかやまし きたく)

位置岡山県岡山市中心部位置し、岡山市行政商業文化の中心地です。

特徴:

岡山駅新幹線在来線の主要駅があり、交通の要所となっています

岡山城後楽園日本三名園の一つである後楽園や、岡山城などの観光名所があります

商業施設表町商店街イオンモール岡山など、多くのショッピングスポットがあります

教育機関岡山大学などの高等教育機関所在し、学生の街としても知られています

新潟市北区(にいがたし きたく)

位置新潟県新潟市北東部位置し、阿賀野川を挟んで新発田市と隣接しています

特徴:

自然環境:福島潟や阿賀野川など、豊かな自然環境が広がっています

農業トマトナスなどの農産物生産が盛んで、特にトマト県内でもトップクラス生産量を誇ります

伝統工芸豊栄仏壇など、伝統的な工芸品の生産地としても知られています

交通JR白新線新潟東港など、交通の要所となる施設があります

観光地:福島自然文化祭や阿賀野川ござれや花火など、地域祭りイベント豊富です。

ホームメイト

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新潟市

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新潟市

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新潟市

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らくすむ新潟 - 新潟市賃貸・売買の不動産情報サイト

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新潟市

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らくすむ新潟 - 新潟市賃貸・売買の不動産情報サイト

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新潟市

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新潟市

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2025-05-19

嫉妬と見栄を手放せない末路

何時迄も色の付かない絵のような状態

立派な額縁は両親に買ってもらったが

そこに飾る絵は下書きばかりで、いつまで経っても色がつかない…

売られているような綺麗な絵を見て、自分額縁にはこういった絵を入れなきゃと無駄ハードルを上げ

他人が描いどこか癖のある絵を内心バカにして

実際に立派な絵を見せられて嫉妬する

何時迄も絵を仕上げられず、筆を折り

いつしか折れる筆すら無くなってくる

結局、残り時間を考えてキャンパスの半分の半分にこじんまりした絵を描いて、水っぽい薄い絵の具で色を塗り始める

その小さな絵を見せるのが恥ずかしくて、そのうち筆すら持てなくなる

2025-05-18

トランプ大統領令トランス差別は良い差別と決める

ブルーステート州は命令無視

ブルーステート筆頭のカルフォルニア州に建っている大学トランス女性バレーボール選手をしていた事が発覚、他の大学がお前のチームとは対戦しないと試合ボイコット

同チームのメンバーもその選手トランス女性だと知らなかった、なぜ大学私たちにアウンティングしなかった、男と更衣室もトイレも共有させられてたのか!?と憤慨して抗議

同チームのメンバーはチームを脱退宣言

同大学のキャンパスでは、トランス権利を守れ、と運動が広がる

運動過激化して、チームメンバーが銃撃される

   

  

  

  

増田から下見の見物しているワイ「つぶしあえー」

パパ活黎明期パパ活してた女の思い出話

キメセク大学生話題なので。

なんのオチもない、薄い思い出話です。


2014年頃、当時私は20歳大学生横浜実家から都内キャンパスに通っていた。

その当時、パパ活援助交際上位互換みたいな存在だった。

援助交際セックスありきだけど、パパ活食事お茶だけで肉体関係は伴わない立ち位置

会話が碌に成立しない 風や水の頭の悪い女に飽き飽きしたおじさんが、四大に通えるほど学があって育ちも悪くない、若く、そこそこ可愛い女と気持ちよく喋れる。

女側は、社会的ヒエラルキーの高いおじさんに高いご飯を奢ってもらいながら意識高い会話をして、お茶代まで貰える。

っていうwin-win関係パパ活だった。

当時、笹崎里菜アナホステス経験バレて内定取り消しになった騒動もあって、わざわざどこかに籍を置いて水商売やるのは頭の良い行動じゃないよねという風潮があったこともあり。

賢い子はパパ活やりながらサクッと就活も終えるみたいなムーブメントが、かなり局地的にかもしれないけれど、確かにあった。

知り合いにはガールズバーとかラウンジ勤務の子もいたけど、専門出て医療事務やってるとか、日出からグラドルとか、まあお察しみたいな子ばかりだった。

当時はまだマチアプなんてものは少なく、界隈に足を踏み入れたきっかけは、キャンパス構内でチビの男に声をかけられた所からだった。

ミッドタウンレジデンスでパーティがあって、頼まれ可愛い子を探してる。来てくれるならお小遣いあげるし、社長とか弁護士かいっぱい来るよ。と誘われた。

料理も酒もタダで金持ちの男ばかり来るし、DJもあるから下手なクラブ行くより楽しいと思うって口説かれたこともあり、じゃあ行くよとその場で返事したら、その場で五千円くれた。

当時時給¥1,200のカテキョバイトをしてたので、悪くないなと思って受け取った。

から聞いた話、このチビはうちの大学に在籍しておらず、田舎から上京してホストで食い繋いでるというアホだった。

数日後、実際そのパーティに行ってみた。

しか金曜の19時過ぎくらい、レジデンスの前に着いてチビ電話を入れたら、デカい男が迎えに来た。ミッドタウンレジデンスはパーティ禁止から、わざわざ1人ずつ部屋に誘導してるらしい。1人だと間に合わないから交代でやっているようだった。

やたら天井の高いエントランスを抜けてエレベーターホールに着いたら、某俳優とすれ違った。ちょっとテンションが上がったのを今でも覚えてる。

フロアは忘れたけど、東京タワーが真っ直ぐ先に見える部屋に案内されて、そこで万札を手渡された。

そこが女の子の待機場所になっていて、来てる女の子はだいたい小綺麗なワンピースとかを着ていて、清楚な感じだった。

特に女の子同士で交流するような雰囲気ではなく、周囲に絡んでいたのは場違いギャルっぽい子だけで、それ以外は静かにメイクや前髪を直したりしていた。

ギャルの話に聞き耳を立ててみたが、大体みんな良い大学の子達だった。

時間が来て、チビにおじさん達がいる部屋へ案内された。

チビが言っていた通り、確かにDJがいて、料理と酒も用意されていた。

ただ大して良い酒はなく、ほろよいかいかに女子大生が好みそうなものか、イエガーやテキーラなどのアルコール度数高めなものくらいだった。当時は高い酒の銘柄ほとんど知らなかったけど、金持ちの家だからと期待したので拍子抜けした。

パーティは、てっきり合コン的な雰囲気なのかと思っていたが、おじさん達同士は全く会話をしていなかった。

それぞれ離れた位置に点々と座っていて、おじさん同士で交流をする気はまるで無いのが見て取れる。場が静かすぎて、はじめはBGMしか聞こえない空間だった。

チビ誘導されて、まず主催のおじさんに挨拶をした。

大きいイベントとかを仕切ってる、割と爽やかな人だった。

思い返せば女衒しかないが、気のいい明るいおじさんだったので気を許せた。

チビデカ男はこのおじさんに雇われているようで、裏で頭を叩かれているところを見た。

次に、後々私のパパとなるおじさんの隣に座らされた。

この人は某レコード会社の偉い人だという紹介だけサクッと済ませて、チビは別の女の子誘導しに行ってしまった。

コミュ強なわけでも無いから気まずいなぁと思い丁重自己紹介から入ったら、だいぶ気に入ってもらえたようだった。

割と音楽は手広く聞いていて、エンタメ業界就活も見据えていたこから、話を深掘りしやすかったこともあるが、初手にしてはかなりいいおじさんに当たったなと思う。

このおじさんは本当に癖がなくて説教垂れることもしないし、ただのんびり酒を飲んで女の子と楽しく会話できればそれで十分という感じの人だった。

しばらく会話をして(そこそこ盛り上がった)、連絡先を交換して次のおじさんが待つ席に移動した。

次に話したのは、弁護士だというおじさん(といっても比較若い人)。ただ見るから半グレっぽくて怖くて、当たり障りの無い会話をして、すぐに席を離れた。

一人でいると、すぐ別のおじさんが話しかけてくる。

次は会計士だった。このおじさんは終始ヘラヘラしていて下心満載な感じだけど、陰キャ臭×社会人デビュー臭がすごかった。陰キャ故に強引さが無くてその場で話す分には楽な人だった。

その後は代わる代わる、ディーラーで稼いでる人、さっきとは違う弁護士役員ベンチャー社長、等々と話した。

ウェイ系なノリの人も少なくなかったが、基本酒の強要は禁じられていたようで、そこまで無理に飲まされることもなかった。

おじさん達はみんな"次"に繋がる出会いを探しに来ているので、大抵は丁寧におだててくれるし、気分は悪くない会だった。

喋った人全員と連絡先を交換してその日は解散した。

例の場違いギャルは穴要員で呼ばれていたようで、ベロベロに酔って誰かに持ち帰られたが、それ以外の女の子タクシー代を持たされて健全帰宅したようだった。

寝て起きて次の朝、スマホを見たら連絡が死ぬほど溜まっていた。

あの晩にいたおじさん達からの連絡で、食事行こうとか合コンセットしてくれとか、そんなものばかりだった。

殆ど誰が誰かも分からなくなっていたし、主催者・レコード会社会計士の3名以外の連絡は全部既読無視した。

ディーラーの奴だけは既読無視してもずっと合コンの依頼を送ってくる気概のある男だった(それでも返事をすることは一度もなかったけど)。何年か経ってインフルエンサーの女と結婚したという投稿を見た。

主催からは、女の子パーティに呼んで欲しいという依頼だった。

大事友達を誘うのもなんだか忍びないから、実家貧乏奨学金もらってる子、サークルの先輩に脱法ハーブ吸わされて以来ちょっと変になった子、意識高くて肩書き大好きな子、あたりを後で適当に当てがってた。一応みんな顔は可愛かった。

後日チビ経由で謝礼的なものを貰って(金額は忘れた)、このおじさんと会うことは二度となかった。

レコード会社会計士は、ワンチャン就活の役に立ってくれるかもと思って誘いを快諾した。

会計士は話が死ぬほどつまらなかったから一度の食事で終わったけど(そのあと海外一緒に行こうとかしつこく誘われた)、レコード会社とは月1〜2回のペースで食事をしてお茶代(1〜2万)をもらう関係がしばらく続いた。好きなミュージシャンチケットを融通してもらったりもしていた。

念のため補足しておくと、色恋は一切無かった。

本当にただ、良い店や良いバーに連れて行ってもらい、他愛もない話をしたり、仕事の話を聞いたりするだけだった。

私としては、友だちや親とは行かないような店で、ためになる話を聞けて、ついでにお金をもらえてありがたい。あとチケットに関してはマジでありがとう。以外の感情は一切無かった。

就活が始まるまで関係は続いて、就活が始まって自然フェードアウトした。結局エンタメ業界への就活もしないまま終わって、私は全然関係は無いがまあ悪くない会社就職した。

今は連絡先も知らないし、私は結婚たから一生会うことも無いだろうけど、ある意味で良い思い出になってる。

兄弟には言えないけど、墓場まで秘めて持っていくほどはやましい所もない思い出。

あのパーティにいた女の子達の顔は殆ど覚えていないけど、一人だけ丸の内の通りですれ違った気がしてる。

お互いよろしい所で働いているんだねと思ったよ。

レコード会社のおじさんはググったらまあまあ昇格していた。


おしまい

2025-05-09

板倉東洋大撤退責任の一端は東武鉄道にある。責任とって跡地に若者を呼べるダイヤ改正をお願いしたい

現場発》東洋大板倉キャンパス群馬撤退から1年 活気失う地元、跡地の利計画まら危機感

https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/669847

快速減便→廃止南栗橋分断が東洋大板倉キャンパス撤退の決め手。地下鉄直通を延伸しようと見越して作った長いホーム無駄

2013年南栗橋ローカルの減車(6両→4両)

2017年南栗橋完全分断・快速廃止

2018年~の20400型導入

2023年快速代替特急リバティ値上げ

日光線、ここ5年のうちに一気に改悪化されたな

何があった?

利用者が一気に減ったのか、それとも2013年以前が長らく日光線優遇伊勢崎線に比べて)であってそれが今になって取っ払われただけなのか

ちょっと前までは「日光線うらやましいな」だったのが最近はその日光線が一気に使いにくくなった

快速廃止特急値上げで沿線である板倉町民をいじめる悪い鉄道会社東武。とっとと倒産しろ車社会栃木舐めるな足元見る鉄道会社存在価値なし

2025-05-01

ベガ

大学どこ行ってた?って聞かれると、正直ちょっとだけ言い淀む時がある。

神戸学院大学」って言うんだけど、まあ、リアクションは人それぞれだ。「あー、ポーアイの?」とか「へー、学生多いとこね」とか。たまーに「コベガクね!」って返してくれる人がいると、心の中でガッツポーズしてる。そう、略してコベガク。なんかちょっと可愛いだろ?

まあ、世間じゃ摂神追桃一角なんて言われたりもするわけで。ぶっちゃけ、それがどのくらいのレベルなのか、自分でもよく分かってない。Fランじゃない?って聞かれたら、「まあまあ…」って濁してる。だって学生1万人以上いるんだぜ?多すぎてよく分からんくなるわ。

ポーアイと有瀬にキャンパスが分かれてるんだけど、これがまた別世界なんだよな。ポーアイはお洒落キラキラしてて、海とか見えちゃったりして。一方、有瀬は…まあ、歴史伝統? 丘の上にあって、ちょっとした登山気分を味わえる。どっちがアタリとかハズレとか、そういうんじゃない…はず。うん。

なんだかんだディスり気味に書いたけど、卒業してしばらく経つと、あの妙にゆるい空気とか、大人講義で知り合いを探す感じとか、意外と懐かしくなるもんだ。変な自販機とか、学食微妙メニューとか。

まあ、なんだかんだで、私の母校はコベガクなんだよな。うん。悪くなかった、と思う。たぶん。

2025-04-30

なんか近所に大学キャンパスができたせいかイキってる雰囲気若者が増えた気がする

2025-04-26

anond:20250419224409

しかに、あの「芝生に寝そべる」みたいなキャンパスライフ描写リアル体験してないと嘘くさく感じるよね。

東京とか温暖な地域は、芝生が乾きやすいし管理もされてるから、ああい光景が本当にあるみたいだね。

寒い地域や湿っぽいところだと、芝生ってすぐびしょびしょになったり泥だらけになったりするからそもそも座る気にならないもんなあ。

フミヤくんが救われないざまぁ展開

「どうです?これが現場を知る俺のリアル分析です。反論ありますか?(笑)

ブログ記事の公開後、フミヤの予想通り、記事は瞬く間に拡散された。

「よく言ってくれた!」 「エンタメ業界の闇を暴いた!」という称賛コメントも一部にはあったが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。

時間後、風向きは一変する。

「この学生建設現場の一部しか見てないだろ」

理系研究職のデスマーチを知らないのか?」

安全管理が甘い理系現場だって腐るほどあるぞ 」

エンタメ業界を一括りにするな。まともな会社クリエイターもいる」

カバーの件とアニメ業界構造問題混同してる。無知すぎる 」

「『ヒステリー起こして暴れ狂う』?どの世界ファンだよ。偏見酷すぎ」

「『SHIROBAKO』の例えも的外れ制作進行の苦労を知らないのか」

資格標準化の話も、分野が違うものを同列に語るな。契約書や著作権法法律じゃないと?」

「『甘えてる』?お前が現場の苦労を何も知らないだけだろ」

エンタメ業界で働く人々、業界に詳しいライターさらには労働問題専門家から

フミヤの主張の穴や事実誤認乱暴一般化、そして何より業界とそこで働く人々への敬意の欠如に対する厳しい批判殺到した。

彼の自信に満ちた言葉は、「現場を知らない学生の浅はかなマウント

偏見憶測に基づいたヘイトスピーチ」と断じられた。

炎上匿名掲示板SNSにも飛び火し

あっという間にフミヤ本名大学名、学部まで特定されて晒し上げられた。

「〇〇大学の恥」

「こんな学生がいるのか」という声がネット上に溢れ、

大学広報課には抗議の電話メール殺到した。

フミヤは、スマホに鳴りやまぬ通知と、画面に表示される罵詈雑言の嵐に顔面蒼白になった。

最初反論しようとしたが、あまりにも的確で容赦ない指摘と、数の暴力に、なすすべもなかった。

彼の「鋭い分析」は、薄っぺら知識偏見の塊であることを徹底的に暴かれ、嘲笑の的となった。

数日後、フミヤは憔悴しきっていた。

ブログは閉鎖し、SNSアカウントも削除。

大学にも顔を出せる状態ではなく、自室に引きこもるしかなかった。

自信作だったはずの記事は、彼にとって消せないデジタルの汚点となり、痛すぎる「学び」を刻みつけたのだった。

さらに数日が過ぎた、昼下がり。

文学部真矢講師は、研究室でパソコンに向かい、次の講義の準備をしていた。

ふと目に入ったネットニュースの見出しに、彼女は眉をひそめた。

大学ブログ炎上騒動過熱する批判情報発信の危うさ』

記事には、匿名化されてはいもの

明らかにフミヤくんと思われる学生ブログ記事の内容とその後の顛末が書かれていた。

理系現場経験を盾にエンタメ業界を激しく批判し、事実誤認偏見を指摘され大炎上した、と。

真矢は溜息をついた。「…ああ、やっぱりこうなってしまったのね」

以前、研究室を訪ねてきたフミヤくんの熱弁を思い出す。

あの時、彼の危うさに気づき言葉を尽くして諭そうとしたが、彼は聞く耳を持たなかった。

もしあの時、彼が少しでも立ち止まれていたら…

場面は変わり、真矢担当する比較文化論のゼミ

数人の学生たちが、真剣な表情で真矢の話を聞いている。

「…というわけで、今日テーマは『異文化理解情報発信作法』について考えてみたいのだけど」真矢は穏やかに切り出した。

「その導入として、最近ネットで大きな話題になった、ある大学生のブログ炎上騒動について触れておきましょうか。知っている人もいるかしら?」

数人の学生が頷く。

「彼の主張自体、例えば労働環境問題提起という点では、もしかしたら一理あった部分もあったのかもしれない。

彼なりに問題意識を持っていたのでしょう。

でも、結果として、彼は多くの人を傷つけ、自分自身も深く傷つくことになってしまった。なぜ、そうなってしまったのだと思う?」

真矢学生たちに問いかけた。

「…内容が偏っていたから、ですか?」

「他の業界のこと、よく知らないのに断定しすぎたとか…」

言葉遣いが攻撃的だった?」

学生たちから様々な意見が出る。

「ええ、どれも的を射ているわね」真矢は頷いた。

「彼の一番の問題点は、自分の限られた経験知識絶対的基準にしてしまたこと、

そして、異なる分野や価値観を持つ人々への敬意を欠いていたことだと思うの」

彼女は、かつてフミヤに語った言葉を、今度はゼミ生たちに向けて語り始めた。

自分経験から学ぶことは、とても大切よ。でも、その経験が『世界の全て』ではないことを、常に忘れてはいけない。

特に自分が詳しくない分野について語る時、あるいは他者批判する時には、より一層の慎重さが必要になるわ。

理系はこうだから文系もこうあるべきだ』

『俺は現場を知っているから正しい、知らない奴は間違っている』…こういう考え方は、非常に危険よ。

分野が違えば、文化ルールも、大切にされる価値観も違う。

それを理解しようとせず、自分物差しだけで相手を測り、断罪するような言葉

建設的な対話を生むどころか、深い溝を作ってしまうだけ」

真矢は続けた。

情報発信する際には、感情的になったり、過度な一般化をしたりせず、

できる限り客観的事実に基づいて、言葉を選ぶ必要があるわ。

特に批判的な内容を発信する場合は、『これは自分思い込みではないか

『この表現は誰かを不必要に傷つけないか』と

一度立ち止まって考える癖をつけてほしいの。

知識経験は、他者を打ち負かしたり、見下したりするために使うものではないわ。

しろ他者理解し、より広い世界を知り、そして社会をより良くしていくために使うべきものなのよ。

今回の彼のケースは、私たち全員にとって、他人事ではない教訓を示していると思うわ。

自分意見を持つことは素晴らしいけれど、

それを表現する方法を間違えると、思わぬ結果を招いてしまう。

謙虚に学び続け、他者への想像力と敬意を忘れないこと。

それが、この情報化社会私たちが身につけるべき、大切な作法の一つではないかしら」

研究室には、静かな、しかし重みのある空気が流れていた。

学生たちは、真矢言葉を噛みしめるように、真剣な表情で頷いていた。

窓の外では、陽光が穏やかにキャンパスを照らし続けていたが、

その光は、ネットの片隅で起きた一つの事件」の影を、

かに映し出しているようでもあった。

2025-04-24

ポーアイカレー

ウチの大学、まあアレな感じで世間様に認知されてると思うんだけど、唯一と言っていいくらい誇れる?ネタになる?ものがある。

それが学食の「ポーアイカレー」だ。

ポーアイ、つまりポートアイランドキャンパス学食で食えるカレーことなんだが、これがなんというか…妙に記憶に残る味なんだよな。

神戸ポートピアホテル直営シャレオツレストラン「ジョリポー」もキャンパス内にはあるんだが、俺たちみたいな学生日常的に腹を満たすのは、もう一つの学食フードコート シーガル」(昔は「BREATH」って名前だったらしい)の方だ。

で、そのシーガル定番メニューポーアイカレー

別に高級な味がするわけじゃない。なんならちょっと粉っぽい日もあるし、具が妙に少ない時もある。でもなんか食っちゃうんだよな。

スパイスが効いてるのか効いてないのか、日によってブレがある気もするが、あの独特のとろみと、食べた後にほんのり残る…なんだろう、あの感じ。まさに「学食カレー」の王道でありつつ、どこかポーアイの潮風を感じさせる(気がするだけ)。

特に試験前とか金欠の時とか、マジでこればっかり食ってた。安いし早いし、とりあえず腹は膨れる。100円夕食とか200円夕食の対象メニューにもなってた時期があるくらい、学生の味方なんだよ。

卒業してから数年経つけど、たまに無性に食いたくなる時がある。あのチープで、でもどこか憎めない味。青春の味、って言ったらキザすぎるか?いや、Fラン大生の腹を満たし続けた、ソウルフードって言った方がしっくりくるな。

もし神戸学院大学に行く機会があったら、ジョリポーもいいけど、ぜひポーアイカレーも試してみてくれ。不味くはない、はず。多分。知らんけど。

2025-04-19

anond:20250419064359

キャンパス漫画キャンパスライフ大学敷地内の芝生に寝っ転がったり座ったりする描写よく見るけど私の学校ではほとんど見たことないから嘘だと思ってたら東京とか南の方だとあるらしいな。芝生が乾いてる気候かどうかが問題なのかもしれない。

お兄ちゃん、大好き

第一章 リビングの陽だまり——幼い誓い

 春一番が吹き抜ける午後、窓際のカーテンがふわりと膨らみ、干したばかりのタオルに淡い日差しが透けた。小学三年生の私・千春は、帰宅した兄・湊にランドセルごと抱え上げられ、ソファへぽすんと降ろされた。「今日も頑張った?」と頭を撫でる手の温かさに、胸の奥がぶわっと熱くなる。母に叱られた算数宿題も、クラスで言い返せなかった悔しさも、兄の笑顔一つで溶けていった。リビングに満ちる石鹸洗濯糊の匂いを深く吸い込みながら——私はこの人を一生守り、一生守られよう、と幼いながら胸に誓う。

第二章 音を立てて開く距離

 兄が中学に入り、部活で遅く帰るようになると、食卓に並ぶ椅子の一つはいつも空いた。母が「冷めないうちに食べなさい」と言うたび、私は味噌汁を啜りながら廊下の先を気にした。深夜、蛍光灯の下で英単語帳をめくる兄の背には、近寄りがたい影が宿っていた。「美緒、静かに」と囁かれるたび、胸の中で小石が転がった。子どもの私は、その小石に名前を付けられず、ただ足元で鳴る兄の成長の足音を数え続けた。

第三章 メール越しの声——市外への進学

 合格発表の日、掲示板に貼られた番号を見つけた兄は空を仰いで笑った。県下一の進学校、通学片道一時間半。私の「行かないで」は、騒ぐクラスメートの声にかき消えた。春の風が吹く玄関先で兄は「千春は強い子だろ」と頭を撫で、あっさりと黒い学生鞄を担いで出て行く。夕方カレー匂いしかない台所で、私は思わず携帯を開く——「今日どうだった?」。既読の横に「部活」「課題」「眠い」の三語。短い返事ほど恋しく、通知音が鳴るたび息を呑む日々が始まった。

第四章 塗り替わる世界地図——私の中学生活

 私も中学生になり、バスケ部で汗を流した。だけど練習後のシャワー室、タイルに落ちる水音を聞きながら、兄のことばかり考える自分に気づく。友達が「今度みんなで遊園地行こう」と誘ってくれても、私は曖昧に笑って断った。帰宅後、母に「お兄ちゃんは夕飯要らないって」と告げられるたび胸が縮む。兄と私の距離物理的なものだけではなく、生活リズム、語彙の選択、夢のスケール——地図全体が塗り替わるように拡がっていった。

第五章 高みを目指す風——兄と同じ大学

 兄の進学一年後、私は「湊の隣がいい」と進路希望欄に一行だけ書いた。担任は「姉妹兄弟で同じ大学は珍しくないさ」と笑ったが、動機の濃さまでは見抜けなかった。深夜、蛍光灯の明滅を睨みながら英単語を暗唱し、机に伏した額の下で涙と鼻水が混ざった。——お兄ちゃんの隣に並ばなきゃ私の世界未完成。そう思うほどに参考書の余白まで兄の横顔で埋まっていく。

第六章 一人暮らしという二人暮らし——ワンルームでの再会

 合格発表掲示板で番号を見つけるより先に、正門前で待ち構えていた兄に抱きついた瞬間、世界は再び等速回転を取り戻した。大学近くの築四十年のワンルーム、押し入れを改造したロフトに布団二枚。「家賃生活費、ちゃん折半だぞ」と兄は念を押したが、私の頭には花火のような歓喜しかなかった。狭い流しでインスタント味噌汁を作り、共有の机でレポートを書く。夜、ロフトの布団で横になり、「お兄ちゃん起きてる?」と囁くと「寝ろ」と小さな声。そのやりとりだけで心臓が跳ね、眠れない夜が続いた。

第七章 亀裂の手触り——兄の新しい世界

 五月の新歓期、兄は同ゼミの先輩・綾瀬沙羅と親しくなっていた。駅前カフェで偶然見かけたとき、兄が笑う横顔には私の知らない柔らかさがあった。帰宅後、狭い玄関で「ただいま」を言う兄の声が少し弾む。その裏にある感情を知らないふりをして「おかえり」を返すと、胸の奥で小さくパチンと弾ける音——それは嫉妬という硝子玉だった。

 夜中、机に伏せながらLINEの通知履歴を追った。画面に浮かぶ「今度のゼミ発表、手伝ってくれてありがとう!」「映画ポップコーンキャラメル派?」。私は震える指で既読もつけずアプリを閉じた。

第八章 病室で交わした本音

 七月、期末試験前の無理がたたり、私は高熱で倒れた。扁桃炎で点滴を受ける私の側で、兄は氷枕を替え、額を冷たいタオルで拭いた。ぼんやりする視界の端で兄の眉間が寄る。「千春、無理し過ぎるな」。私の唇は乾ききってうまく動かない。それでも「お兄ちゃんは……誰と映画に行くの?」とかすれ声で問うと、兄は少し目を見開き、やがて真剣な表情でこう答えた。

「……千春に嘘はつきたくない。沙羅先輩だ。でも、恋人とかじゃない。ただ仲間として誘われて——」

 言い訳のような説明を遮るように咳き込む私を、兄は抱き起こして背を摩った。「なぁ、俺は千春に甘え過ぎてたのかもしれない。けど俺たちは兄妹で、これ以上——」兄は言葉を飲み込む。点滴の機械音が病室に滲む沈黙を裂く。私は熱に浮かされながらも悟った。兄が私の「全世界」ではあっても、兄にとって私は「世界のすべて」ではないのだ、と。

第九章 掌に描く境界線

 退院して帰宅した夜、私は狭いロフトで兄と向き合った。裸電球が二人の影を歪ませる。「私、サークル入る。友達とも遊びに行く。……お兄ちゃん以外の毎日を持つ」。意地で張った声は震えていたが、兄は静かに頷いた。

「俺も就職考えなきゃいけないし、研究室プロジェクト本気出す。千春が自分場所を見つけるのは嬉しいよ」

 その夜初めて、私は兄の背中ではなく、正面から兄の眼を見た。そこには幼い日には見えなかった迷いと覚悟が交差していた。布団に潜り込み、細いロフトの梁越しに聞こえる兄の寝息を聞きながら、私は気づく。この人を一人の男性として愛してしまった気持ちは消えないけれど、同時に私は自分人生ハンドルを握らなければならない、と。

第十章 私の日々、兄の日々

 秋学期、私は文学研究会に入り、週末は古書店を巡るバイトを始めた。分厚い全集を運ぶたび腕が悲鳴を上げるけれど、店主の「助かったよ」の一言が嬉しかった。サークルでは同級生の新と意気投合し、文芸誌編集を任される。帰宅が深夜になり、狭い部屋に残る兄のブラックコーヒー香りが、自分の知らない兄の時間想像させた。

 一方兄はロボット制御研究室に配属され、週末は企業コンテストの試作機に没頭。リビングには配線だらけの基板、冷蔵庫には徹夜明けのエナジードリンク。顔を合わせれば「今日ギアが思った角度で回らなくてさ」「文芸誌特集、締切伸びそう」と、互いの話を交わし、笑い、すれ違う。寂しさは濃淡を変えながら残るが、どこか甘やかな痛みだった。

第十一章 再定義される「好き」

 二月、文学研究会合宿で雪深い山荘へ向かうバスの車窓に、私は兄の面影を探していなかった。かわりに隣席の新が差し出したホットココアの湯気を見て、「あ、兄と同じ匂い」とふと笑えて驚く。夜、薪ストーブの前で原稿をチェックしながら、新が真顔で言った。「千春、誰かに遠慮してない? 本当に好きなものを選びなよ」。

 帰路、携帯に兄から風邪ひいてないか?」とメッセージ。私は画面を見つめ、初めて返事を後回しにした。雪解け水のせせらぎのように、私の中の「お兄ちゃん大好き」が形を変え始めていた。

第十二章 卒業式プロポーズ——二つの告白

 春、兄の卒業式体育館ステージガウンを揺らす兄の背を見つめながら私は悟る。かつて追いかけた背中は、今や尊敬すべき一個の人間輪郭をまとっている。記念写真を撮る流れで、沙羅先輩が兄の腕にそっと手を添えた瞬間、胸に尖った痛みは走ったが、私は自然と微笑めた。

 式後、学内並木道で兄に呼び止められた。「千春、就職決まった。都内ロボットベンチャー。……それと、沙羅先輩に告白された」。兄の声が少し震えた。「答えは保留したけど、たぶん——」。私は風に舞う花びらを掴み、そっと指先で千切った。「お兄ちゃん、おめでとう。幸せになって」。驚く兄に背を向け、歩き出す足は震えたが、止まらなかった。

 一方私も、新から卒業まであと一年、俺と付き合わないか」と真剣に告げられた。夕焼けに染まるログハウスカフェで、私は一拍置き、首を縦に振る。ただし「まだ兄のことを特別に思っている自分がいる」と正直に打ち明けた。新は少し考え、「それを含めて、千春だ」と笑い、手を差し伸べた。

十三章 最後の夜——ワンルーム解散

 兄の引っ越し前夜、段ボールが積み上がった部屋でカップ麺を啜る。蛍光灯の明かりが段ボールの影を濃くし、狭いはずの部屋が異様に広く感じられた。「千春、この一年、一緒にいてくれてありがとう」。兄の言葉に私は笑い、「私こそ」と返す。

 夜半、ロフトに上がる梯子を見上げながら、私はそっと尋ねた。「お兄ちゃん、今でも私のこと、守りたいって思う?」。兄は真っ直ぐな目で「妹を守るのは当たり前だろ。でも千春が前に進むのを邪魔したくない。だから、守るってより、応援するかな」。私は梯子を一段上り、振り返り、にこりと笑う。「なら私は、あなたの一番のファンでい続ける。世界一のね」。

第十四章 分岐する二つの線路

 四月。兄は都内シェアハウスに移り、私はキャンパス近くの女性専用アパートへ。ガランとした新居の机に、文学誌の校正紙と、新からもらった栞付きの詩集を並べる。窓を開けると桜吹雪と同時に、遠くで電車の発車ベルが聞こえた。その音に、兄が乗った始発を想像しながらも、今の私は畏れより期待で胸が膨らむ。

 一方兄は新入社員研修に追われ、深夜に帰宅しては泥のように眠る毎日。それでも週末、動画通話を繋ぐと「ロボットアーム、ようやく規格通った!」と少年のように嬉しそうで、画面越しにハイタッチする私たちは、確かに兄妹であり友であった。

第十五章 小さな背中を押す掌

 夏、私はゼミ論集で最優秀賞を受け、教授海外学会への参加を勧められた。喜びと同時に襲ったのは、兄から離れて飛行機に乗るという恐怖だった。夜、通話でその迷いを口にすると、兄は一瞬驚き、そして静かに笑った。

「千春、飛行機の中でも俺のLINEは届くさ。大丈夫、怖くなったらメッセージして。……でもまずは自分が見たい景色を見てこい」

 受話口から聞こえる兄の声に、幼い頃のヒーロー面影と、同じ高さで語りかける同志の温度が重なる。私は涙ぐみながら、「行ってくるね」と告げた。

第十六章 旋回する眼差し——空の果てで

 ヘルシンキ行きの機内、私は窓外の雲海を見下ろし、兄の存在地球の裏側まで伸びる糸のように感じた。学会の壇上で英語発表を終えた夜、フィンランドの森を背にした会場ロビーで新が「よくやった」と抱き寄せる。その温もりの中で、私はようやく己の恋心が兄とは別の場所に芽吹いていることを自覚する。ロビーの片隅で兄にビデオ通話を繋げば、薄暗い日本の夜明けの部屋で、兄が寝癖のまま「誇らしいぞ」と親指を立ててくれた。

第十七章 再会、そして告白

 帰国翌日、私は兄のシェアハウスを訪れた。駅前桜並木はすっかり青葉に変わり、照り返すアスファルト匂いが夏の到来を告げる。兄の部屋に入ると、壁いっぱいに貼られたロボットアームの設計図が、昼下がりの光を浴びて銀色に反射していた。

「千春、どうだった?」という声に、私はスーツケースを置き、深呼吸。「お兄ちゃん、私ね——好きな人ができた」。一瞬、兄の眉が僅かに上がる。「そっか」と短く呟き、柔らかく笑う兄。「で、その人は俺に挨拶しに来るのかな?」。私は肩を竦め、「そのうちね」と笑い返す。手土産フィンランドクッキーテーブルに置き、二人で半分こした甘い味は、初めて兄と分かち合えた「恋の報告」の味だった。

第十八章 エピローグ——それでも「大好き」

 私の卒業式。袴姿の私は、門前で兄と写真を撮った。兄は背広の胸ポケットに小さなチューリップの飾りを挿し、「社会人二年目、少しは板についてきたかな」と照れ笑い。カメラフラッシュを受けた瞬間、私はふと思う。——この人がいなければ、私は空を飛ぶ翼を持てなかった。

 式後のパーティー会場で、新と兄が固い握手を交わす。私の恋人と、かつて世界のすべてだった人。その光景に胸が温かく満たされる。パーティーが終わり、夜風に揺れる街路樹の下で、私は兄に改めて向き合う。

「お兄ちゃん、大好き。だけどそれは、私が私であるための、永遠合言葉

 兄は優しく頷き、子どもの頃と同じ仕草で私の頭をくしゃりと撫でた。私はその手を振りほどかず、ただ目を閉じて春の匂いを胸いっぱいに吸い込む。そうして再び目を開けたとき私たちは同じ高さで未来を見ていた。

——終わり——

ハーバード 大学 選挙

アメリカキャンパスで見た大統領選風景

https://note.com/harebare_public/n/nb12fa40169b5

 

 

ハーバード大学政治的集団じゃない←すっとぼけてて草

https://anond.hatelabo.jp/20250416232557

 

 

数値とか盛ってるとしても増田の話はまぁ体験談を踏まえるとさもありなんって感覚になるんだけどめたくそに叩きたいだけのブクマカから得るものがなくてざんねん

2025-04-14

トランプ公約実施状況チェック  「実施済み・ほぼ完了」編

公約内容 実施状況
1. 就任初日バイデン政権気候規制包括的撤廃する大統領令を発動。トランプ大統領ジョー・バイデン前大統領産業規制をすべて撤回し、エネルギー産業を再活性化すると宣言
2. 電気自動車販売義務撤廃宣言する大統領令を出し、バイデン政権下で進められていた2035年までのガソリン販売規制を停止。
3. パリ気候協定から離脱通告を就任直後に実施
4. 「国家エネルギー非常事態宣言」を発し、石油・ガスの生産拡大を指示。「掘削せよ(drill, baby, drill)」とのスローガン通り、海洋掘削解禁やアラスカ油田開発許可を含む措置を実行。
6. 大規模風力発電プロジェクト新規許可を一時停止​、就任直後の大統領令で「大型風力発電のための新規リース許可をすべて停止する」と宣言
7. 連邦政府全体のDEIプログラム廃止を命じる大統領令14151号を発動。これにより、前政権が推進した省庁や企業への人種ジェンダー講習等の要件撤回能力主義採用シフト中。
10. 就任当日にテロ多発国など特定地域から入国禁止する大統領令を発動。これにより中東アフリカの一部国などから入国を再び制限
12. トランプ大統領は「麻薬カルテル外国テロ組織に指定した」と発表​し、国境地帯でのギャング取り締まり連邦政府主導で進行中。
13. 「侵略から米国民を守る」非常措置を発動し、国境軍部隊を展開するなど国境警備を大幅強化。
14. 連邦難民受け入れプログラム見直しを即時実施し、2025年難民受け入れ数を大幅縮減。
22. 対カナダメキシコ中国報復関税を段階的に発動。3月4日からUSMCA非準拠品目に25%関税を課し、中国から輸入品には一律20%関税を上乗せ。
23. 全輸入品への一律関税ベースライン関税)が、相互関税として発動。全ての国からの輸入に10%の基本関税適用
24. 2-for-1規制撤廃ルール大統領令で復活し、各機関に実行を義務付けられた。
29. イーロン・マスクのDOGE主導で、連邦政府機構の大規模人事刷新が断行中。
30. FBIやIRSなどによる政治的捜査禁止と内部粛清を指示。就任後すぐにFBI長官クリストファーレイは辞任(解任通告を受け)し​、司法省諜報機関でも前政権の高官が更迭される。
31. FBI長官の交代と司法省高官の総入替が実現。FBI長官クリストファーレイトランプ就任前に辞意を表明し、トランプ氏は盟友のカッシュ・パテル氏を後任指名​。新司法長官にも忠実な人物を起用し、部局再編を開始。
32. 暗号資産に関する政府作業部会ワーキンググループ)を設置。
33. 米国ビットコイン国家備蓄が創設された。3月6日大統領令で、政府保有ビットコインの蓄積と管理公式化。
34. ラディカルなジェンダー思想子供に教える教育機関への連邦資金停止が政策化。
35. 大学キャンパス反ユダヤ主義へ断固たる措置反ユダヤ主義への対応が不十分な大学への連邦資金停止を実行し、コロンビア大学に対する4億ドル超の研究助成を取り消し。
37. 女子スポーツ保護大統領令2025年2月5日署名し、トランスジェンダー女性(出生時男性)の女子競技参加を禁止
38. トランスジェンダーの軍務禁止2025年1月27日大統領令で発令され、国防総省新規トランスジェンダー入隊を停止。
39. 学校教育現場での過度なジェンダー教育への連邦補助が停止。
44. トランプ大統領2021年1月6日連邦議会襲撃事件有罪となった人物恩赦を断行した。
45. 闇サイトシルクロード運営終身刑となっていたロス・ウルブリヒト氏を恩赦2025年1月21日付でトランプ大統領はウルブリヒト氏に対する「完全かつ無条件の恩赦」を発表し、ウルブリヒト氏は10年超の服役に終止符が打たれた。
47. トランプ大統領ジョン・F・ケネディ大統領暗殺関連の未公開機密文書を完全公開。

2025-04-01

実際体感時間は半分くらいしかないけど

卒業した。

入学から変な目立ち方をした。

本名割れなかったものの、普通に目立った。

中高と女子部もしくは所属生徒の大半が女子だったので、男子校同然のキャンパスで目立つの必然だった。

Twitterで騒いでいたら尚更だろう。

一度登校すると最後講義が終わるまでキャンパスから離れられなかったので、よく目撃された。

毎朝メイクする時間も取れずそもそもメイクに疎かったのでほぼすっぴんだった。そんな芋女を見つけて何が楽しいんだか、構われたかったんだろうとは思うが。

じゃあ話しかけろよ。同じ学校に通ってるんだから不審者でも何でもないだろうに。ツイートするんじゃなくてさ。

ついていけない講義が多かった。

センター試験の数Ⅱ・Bで36点をとったくらい数学ができなかったし、数Ⅲなるもの存在することすら知らなかった。

数学以外にもわからないことが多すぎた。

大体のものは先輩に教わった。

図書館ミーティングスペースみたいなエリアで、帰りの電車がなくならない程度まで教えてくれた。

おかげで100点で単位が取れた講義もあった。

感謝してもし足りないし、今でも感謝している。

先輩に恵まれた。

目立ったおかげか名が知れて声が届いたようで、サークルに入れなかったにもかかわらず複数の先輩から講義でついていけないところをフォローしてもらったり、履修相談とか、過去講義資料をもらったりした。遊びにも行ったし、ご飯を奢っていただいたこともある。誘っていただけたのにこちらの都合で行けないまま卒業して疎遠になってしまった先輩も少なくないので、今後機会があればこちから声を掛けたい。

卒業しても引き続き仲良くしてくださっている先輩方ももちろんたくさんいて、本当に嬉しく思っている。一緒にライブカフェに行ったこともあるし、会えなくてもゲームで一緒に遊んだこともある。相手社会人なのだからスケジュール無茶振りはできないが、忙しい社会人自由時間を割いてくれたのが嬉しかった。修了式前に1人、修了式後にも1人会いに来てくれた。彼らはそれぞれ入学早々からお世話になった先輩だった。この嬉しさを表す語彙がないのが悔しい。

同じキャンパスで学んだ尊敬する先輩方だが、卒業して学外で会うことで友人に近くなった人もいる。感謝尊敬は忘れないままこれからも仲良くしてもらえると嬉しい。

コロナ流行った。

新型コロナウイルスは良くも悪くも私のキャンパスライフを大きく変えた。

悪いほうで言うと、大きく2つある。

1つ目は私の計画が実現不可能になった。

キャンパスが男だらけなので可愛いを増やそうと入学早々から計画しており、それを実行するのがあの春だった。

実行予定だったイベントは中止を余儀なくされ、そのまま今に至るまであのイベントは当時の姿に戻れていない。伝統的に続いていたイベントコロナによって中止、規模縮小と形を変えてしまい、あの頃を知る学年は基本的に全員卒業してしまった。なのでもう最盛期の形に戻すことができない。このイベントのために1年間いやずっとやってきたようなものなのに。結局それから通学中の感染リスクが大きいということで私は週1しか登校できず、“可愛い計画頓挫した。ノリノリで可愛くされようとしていた男子たちも大半卒業してしまたことだし。

2つ目は後輩との関わりがほとんど持てなかった。

1つ下の学年は入学式がおそらく中止、2つ下も代表のみ現地でオンラインでの視聴だったくらい外出ができない学年だった。私自身も対面での講義委員会活動日以外は家を出ないよう厳命されていたので、ほとんど会うことができなかった。会えたとしても飲食店営業していなかったし、どこかに連れ出して感染させてしまったら申し訳ないので誘うに誘えなかった。

新入生と関わるバイト活動をしていたので一応ちらほらと知り合うことはできたし、ありがたいことに後ろをついてきてくれた後輩もいたが、ついぞ遊びにはおろか食事にも行けないまま彼女が先に卒業してしまった。私の貸した参考書を使い倒して単位を取れていたようなのでそれで十分といえば十分ではある。

そんなこんなで先輩からもらったあれやこれやを後輩に繋げていくということは満足にできなかった。

ファ○キンコロナではあるものの良いこともあった。

学校に行かなくてよかったことだ。

計画頓挫大学の人に会えないといったマイナスポイントは大きいが、私の通学時間は往復で約6時間かかっていた。朝一の講義に間に合うには始発しかなかった。そのレベルが通学時間0で8時に起きても余裕で抗議に出席できるようになったのでそこは感謝しなければならない。

そういえばzoomを用いたオンライン講義先生カメラオンを強制しやがったときは猫と一緒に受講していた。猫を撫でながら単位が貰えるオンライン講義万歳

大学生活ターニングポイントといえばやはり研究室に入ったところだろう。

自ら志望して違う学科研究室に入ることになり、そこから大学生活基本的研究室ベースになった。コロナ学校に行けなかったので自分の在籍する学科話題はわからないし人間関係も大半フェードアウトした。学科的にはみんな単位を取り終わって就活に力を入れる時期だったのもあり、話題もないのでほとんどそれきりだった。

研究室の同期は不思議なことにコロナ前に全員と接点があった。ずっと仲良くしてもらった。コロナが落ち着いてから同期で飲みに行くときは私が行きたいとゴネた結果付き合ってもらっていたようなものだし、終電を逃したときは1人だけ女の子がいたので無理を言って泊めてもらっていた。

先輩や後輩もいい人揃いだった。基本的に成績上位者ばかりなので人間性担保されていたし、知らないだとかわからないところを教えてもらった。学科の違いで私だけ知らないことが多かったし恥ずかしながら正直今でも首を傾げるところはあるが、多数のフォローをもらってどうにかなった。ここまで書いて自分がお騒がせ者だったことを再確認した。

何より驚いたのは就活エージェントに文理登録を求められた際に「私ってどっちなんですかね〜」と尋ねたら「理系に決まってるじゃないですか」と指導教員から即答され、知らない間に理系になっていたことだった。文転は周囲にまあまあいたが理転現実に?しかも私が?と思った。まあ文理などというものはそんなにあてにならないし、私自身も理系という響きが良いと思って理転しちゃってた…と言い回っているだけなのですごいえらいとかそういう話ではない。理系ってすごい!とは思う。私自身を除いて。

実際のところ理数科目はてんで駄目なままだし。

指導教員には本当にお世話になった。

そもそも彼は入学から研究室配属までの指導教員であり、他学科先生講義を受ける機会もないのに知り合ったのはそういう経緯があったからだ。それまででいう担任先生ポジションで、1年前期には大学生として必要プレゼン力だったりの指導が週に1回ある講義で行われており、あとは履修やら生活の悩みを相談する先でもあった。先に書いたように入学当初は通学時間が長く満足に遊べなかったため、みんなと遊びたいご飯食べに行きたいと言っていたら受け持っている学生(15人程度)をご飯に連れて行ってくれた。講義がなくなってからも何かと気にかけてくれて、食事が苦手で1日1食しか食べたらえらいほうだと言うと少しでも胃に入れろと毎週お菓子を用意してくれたり、苦手なものが多いならば食べられるものを探しに行こうと色々食べにも行った。周りには結構引かれたが、私はありがたかったし先生と話すのが楽しかったので良い思い出しかない。

私は普通に研究室に入った学生よりも先生との付き合いが長い。それこそに入学から卒業までずっと一緒だった。6年だ。生まれから6年だと物心もついてそろそろ小学生というところまで成長するし、本当に育ててもらったという感覚すらある。

私にとって先生は、第二の父であった。

大学院に進学した。

理由はいくつかあった。

家族には黙っていた。

3年生の時点で就活に無関心だった時点で察していたとは思う。

自分勝手に出願して、まだみんなが寝ている時間に家を出て、久しぶりに始発に乗って試験を受けて、勝手合格した。

合格発表から1か月半くらい経ってから親に報告したくらいには黙っていた。悪かったとは思っている。

コロナも落ち着いて対面授業に戻るというから下宿を始めた。

夢にまで見た一人暮らし、通学時間は1/36とかそれくらいにまで短くなった。歩いてすぐ、雨でも余裕、楽しくて仕方がなかった。

研究が家でもできるおかげで実際のところはほとんど学校に行っていないが、帰る時間を気にしなくてよくなったことが私の心と体を軽くした。

研究室で夜な夜なボードゲームをしたり、飲みに行ったり、朝までダーツに興じたこともあった。先輩とカラオケオールもした。夜にマーダーミステリーをやって怖くて帰れなくなり、後輩を朝日が昇るまで研究室に拘束したとか、帰れたものの思い出してしまい隣の部屋の子SOSを出したこともある。実家暮らしのままだったら絶対にできなかった。大学生らしいことはほとんど大学院生になってから経験している。私の大学の思い出の大半は大学院に入ってからのものだ。

大学に進学するにあたって掲げていた目標として、人生のやり直しがあった。

元々わがままなお騒がせ者ではあったが、それはあくまで外でのキャラ付けであり、本当の自分は家庭環境のせいで顔色を伺いながら生きてきた。望まれた振る舞いをしてきた。ゆえに本当の自分というものもわかっていなかった。

家庭から離れ、自主的講義を選び、やりたいことを見つける。私自身を確立することができると期待していた。

私の学科は大きく分けて3つの領域があり、各領域対応する講義が用意されていた。好きだったり興味がある分野に集中して履修することで、自分方向性を確かめた。

人との関わりも頑張ってみた。名が知れているので初対面のハードルは低いだろうと会話の輪に入ってみたこともある。アルバイト複数やってみて、接客もいくつかやった。いろんな人と話し関わるなかで様々な価値観に触れ、確かにそうかもしれない、いいえそうは思わない、を繰り返して自分思考の軸を探った。言動に関しては相手の反応ありきで確認していたためマッドサイエンティストみたいになっていた。反省はしていないが。

6年経ってようやく自身言動理由根拠言葉説明できるようになった。自分意思決定もできるようになった。6歳児にはなれたのではないか

先輩に恵まれたことも、研究室も、その先生も、人生のやり直しができたのも、愛だったな、と思う。

もちろん恋愛感情を持ってこられたこともあった。全部お断りした。恋愛けが愛というわけではないし不要だったので。

ほぼ男子校で浮いてはいただろうが、それでも身体が綺麗なまま6年過ごせたというのは、本当に愛ゆえのことだ。

大学に入るまで愛が何かわからなかったが、卒業が近付いてきてようやく沁みてくるような感覚があって、ああこれが愛だったのか、と気付いた。愛される感覚、愛する感覚、そうかこれが人の心か、とまで思った。

2年延長した甲斐ちゃんとあったということだろう。いや、私自身で断言しよう。ちゃんとあった。

院生なんだから研究は?と言われるのは想定の範囲内なので最後ちょっと書いておくと、全然すごいことはしていない。査読は落ちた。大学院生の本分は研究である、それは事実だしごもっともだが、私にとっての優先順位ちょっと違ったかもしれない。実は研究の中にも自分と向き合うプロセスがあったので、研究も実質人生のやり直しの一部だったとも言える。

6年間通った大学卒業した。

寝て起きたら社会人になる。

まずは朝起きられるかが心配である

2025-03-27

anond:20250327003329

お前もパソコンで絵描いてるだけで手で描いてないじゃん

そこまで言うなら筆使ってキャンパスに絵描けや

2025-03-26

anond:20250326001641

都内大学とあるキャンパス地域イベントで入った時に芝生で酒盛りしたりくつろいでる学生グループがいたな

混ざってこいよって誘われたが残念ながら立場上できなかった

漫画キャンパスライフ大学敷地内の芝生に寝っ転がったり座ったりする描写よく見るけど私の学校ではほとんど見たことないぜ。

南の方とかよく晴れてて基本芝生が乾いてる地域だと普通にあるのかな

2025-03-23

anond:20250323110130

京都市内で山の近い田舎扱いできそうな地域にある大学というと京都精華大学京都産業大学それか同志社大学岩倉キャンパスやな

この界隈で、メニューシャンパンのある個人経営店。

候補は数えるほどしかないっぽいが特定してくれってことか?

大学生は今のうちに結婚相手を死んでも見つけろ

子供を産むのは男女ともに20代前半が適正

・年を取るとたとえ収入が上がっても結婚は難しくなる

・ツラいときそばに誰かいた方がいい

若いうちにセックスしまくった方がいい。年取るとセックスする体力なくなる

20代の体力で子育てを乗り切れば子供が成人した40以降で遊びまくれる

こんなに良い事しかない。大学生は男女ともに今のうちにキャンパス内で結婚相手を見つけろ

2025-03-19

イタリアン煮込みうどんが美味い増田素真石井お岩洞美子人ありたい(回文

おはようございます

だんだん暖かくなってきたのでベーナーの鍋の私の冬の定番ルーシースープ出汁が利いた美味しいのも季節終わっちゃうわねーってそう思ってたんだけど、

そうはいかないみたいね

また寒くなってきた感じで、

ベーナーの鍋の出動よ!

まだまだシーズンは続くわ。

そんでさすがにいつものワンパターンパターンが一つしか無いベーナーの鍋のルーシープースーの味も飽きちゃうので

味変しちゃおう!って思ったの。

トマトジュースがあったので、

リコピンパワーR1000をカップ2杯ぐらい入れたのかな?

そんで煮込むじゃない

そんで食べるじゃない。

めちゃ美味しいの!

なんかトマトから安直に直球なイタリアン香り漂う

ここはナポリイタリアン亭!

そう思わせる香り漂うのよ!

そんで美味しいそのトマトリコピンパワーがたっぷり入ったリコピン1000のリッチトマトジュースを入れた鍋を堪能したあと、

どうしようかな?って思ったのよね。

ご飯で締めてズーチーチーズリゾット風に?

いやでもやっぱりここはうどんっしょ!

ってうどん玉も買っておいたの無駄にしたくなかった私の気持ち分かるかしら?

それを無駄にしたくなかったので、

えいや!ってイタリアントマトリコピンパワー1000の溶け込んだ美味しいベーナーの鍋のプースーのルーシーがあるから

そこに麺をえいや!ってうどん麺を入れたの。

そんで煮込むじゃない、

そんでたべるじゃない。

イタリアン煮込みうどん美味しいの!

これ内心新ジャンルじゃない?って思うほどにリコピン

トマトの濃いので饂飩を煮込む!

決め手はリコピンパワー1000のリッチトマトジュース

やっぱりトマトの旨味がデルモンテ

そんでさらには

パルメザンチーズをパルメザーンっとかければ

さらナポリイタリアン亭の香り漂う感じ!

こんなに簡単イタリアン的なイタリアン的なイタリアン煮込みうどんができちゃっていいのかしら?って思ったのよね。

大きく振りかぶって

味変!と言ったもの

ただただトマトジュースを入れただけなのよ。

煮詰める時間必要ない分

ソッコウトマトの旨味が決まった感じね。

ホールトマトトマト缶詰でも良いかもしれないけど、

煮込んで水分詰める時間時短を考えると

そういった意味でもリコピンパワー1000のリッチトマトジュースはなかなか便利だわ!って思ったのよね。

イタリアン煮込み餃子ってのも冷凍餃子を投入したら美味しくできちゃいそうなので、

それもそれでいいかもしれないわ。

まり適当な感じと気持ちで入れたトマトジュース

良い仕事しまくりまくりまくりすてぃーで

中島誠之助さんも良い仕事してますね!って言ってくれるはずよ!

ちょっと時間があるときホールトマト今度入れてみようかな?って調子に乗ってみるところが私のいいところ。

水分が多いから煮込み時間は多くなるけれど、

リコピンパワーの詰まったリコピン1000のリッチリコピンばりに美味しくなるはずよ。

追いトマトして冷凍餃子にしてみようかしら?ってところね。

あとそれで豆腐とかも煮込んじゃってもめちゃうまなのよね!

イタリアン湯豆腐豆腐!?

いやなんかよく分からないけれど、

とにかく中島誠之助さんも絶賛しそうなほど良い仕事してますね!って

トマトがいい仕事するのよ。

なんかトマトジュースってそのまま飲むのがもったいなくなっちゃったわ。

これならたくさんトマトジュースって消費できるじゃない?

意外と買ったら買ったで持て余していて

ときおりルービーで割って飲むトマトいくら飲んでも減らない!って思っていた私のトマトジュース人生

こんなにも簡単ナポリイタリアン亭の味や香り漂う雰囲気を醸し出しまくりまくりすてぃーなことに気付いて、

しばらくこのリコピンパワートマトジュース1000に頼っちゃいそうよ!

トマトってぶっちゃけなんでも美味しくなりそうじゃない?

それは言いすぎかしら?

私はベーコンレタスバーガーを頬張る時のビージーエムの

エブリリトルシングの信じ合える喜びを地で行くように、

BLTELTにしてトマトの旨味ももっと信じて良いのかもしれないわ!って思ったわ。

信じ合える喜びね。

いや端から信じていなかったわけではなかったけれど。

こんなにもトマトの実力があるだなんて!

改めてトマト!って感じよ。

うーん、

お鍋のシーズンのベーナーがもう幕を下ろすかと思ったけど、

しろ逆にトマトベーナーの鍋のシーズンはまだまだ続行!って決定ね。

とにかく

イタリアン煮込みうどんが美味しかったのが衝撃的な事実を捉えて私は心のキャンパスノート

赤い色鉛筆トマト!って文字を書いて

今夜のお買い物リストトマトホール缶を買うのを忘れないように!ってメモするのよ!

トマトの実力に気が付いてしまったわ。

しばらくトマトブーム濃い旨トマトジュースリコピンパワーにハマりそうよ!

うふふ。


今日朝ご飯

赤飯おにぎりしました!

食べたいなと思ったときは見付からなくて、

今日赤飯おにぎりじゃない気分の時に発見するものよね。

なので

今日気持ち赤飯おにぎりフォーカスを当てて集中して陳列棚を検索したらあったのでゲッツよ!

赤飯おにぎりも好きなのよね!

デトックスウォーター

昨晩作って置いたホッツルイボスティーウォーラー量産型

それをたくさんゴクゴク飲むのも良いけれど

レモン果汁フレーバー落して

レモン風味のルイボスティーウォーラーにしてみたわ。

ぜんぜんレモン少なかったかもでレモンレモンレモン感がぜんぜん感じられなかったので

要改良だわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2025-03-16

慶應卒だけど、誰も財務省には行きたがらなかった

三田キャンパス就活世間イメージと大きく乖離しないだろう。

就活に関する情報は先輩から回ってくるから、それを全力で活用。早期からインターンに参加し、三田会が強い慶應閥の大手企業総合職内定

どの企業に入ればどれだけの労力でどれだけ貰えるかも分かっているから、周囲の同世代よりは低い労力で高い賃金をもらえる。無論、ハードワークを厭わない奴はそれを覚悟して高賃金をもらいにいく。

だが、「財務省に行きたい」と言っている奴、そして財務省に入ると楽に稼げるという話を増田は1回たりとも見聞きしたことがない。

最近は「財務省職員は私腹を肥やしている」なんていう噂を信じている奴が居るようだが、非常に馬鹿らしいと思う。もしもそんなに儲かる仕事なら、慶應出身者の守銭奴が大量に居るはずだ。

2025-02-26

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

### キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

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