はてなキーワード: エガちゃんとは
今思えば、エガちゃんに追いかけられた日から、この人の人生の流れが変わったと思う。彼女はそれまで順風満帆だったのに、あの日以来、急坂を転げ落ちるかのように転落した。やっぱりエガちゃんは幸運の持ち主で、エガちゃんに接した人で誠実に生きる人にはさらに運気が上昇し、逆の人は運気が急降下するんだなと思いました。
https://news.yahoo.co.jp/profile/news/comments/25b3880c-e974-42be-8439-3acc3d6c824c
不倫にエガちゃん関係ないし、運気とか関係ないと思うんだけど、共感したが多くてびっくりしてる。
ヤフコメの人って年配の人が多いから、運気とか考えちゃうのかな。
はてなの人はエンジニアが多いせいか、スピっぽい思考しないよね。
じぶんははてなの方があってるなぁ。
なんか女性のなかにも雌の感性の度合いが高い人と低い人がいるんだよ。
雌の感性が強い人は魅力的な男性に対してメロメロになってリスク負ってまで溺れる度合いが強烈で、逆にキモい男に対する嫌悪感も泣くほど強烈。
雌の感性が弱い人は他人のことを「人類」って感じで見てるから、好ましい男にもそうメロくならず、キモい男への嫌悪感もマイルドで、実害には嫌な気持ちになるっていう、ほんと「人類」って感じで見てる。
キモい男に対して嫌悪爆発じゃなくヒトとして扱うのは雌の感性が弱い人なんだけど、雌の感性が強い人のほうが雄にとってのフェロモンを発してるから、なんか睾丸が現役バリバリって感じの男は雌の感性が強い女には抗えない。性格が悪いかもって思っててもオスメスで抗えない。
人間としておかしくない人であることが重要で嫌な目に遭いたくないリスク回避が強い性エネルギー弱めタイプと、抗えずにメロメロになって危険に突っ込んでいく性ホルモン爆発タイプに人って分かれると思う。
だから「エガちゃんにあんな拒絶をしたやつが不倫かよ!」みたいに、泣くほどの江頭嫌悪と不倫が矛盾したことのように書かれてると、全然矛盾してはいないが…ってなる。
エガちゃんを叩き永野芽郁を持ち上げてた豚丼たちは今なに思う— 春生 (@Gboogiexk) April 23, 2025
ムンクに肖像画を依頼して「出来に満足出来ない!」と裁判を起こした依頼主は、「ムンクという賛否両論の画家に依頼したのだから、どんな結果になろうと受け入れるべき」として敗訴したし、エガちゃんも確かにそういう芸だから嫌ならそもそも呼ぶな、呼んだら文句言うなは分かる
でもテレビは基本的に個人で完結する肖像画とは違って、大多数の人に見せるためのものだし、ただ不快であるのみならず問題だとすら思った視聴者が多かったらそれは芸として失敗だよ
泣き方を聞かれた子役が「お母さんが死んだ時のことを考えて泣いてる」と答えた時、雛壇芸人が「頭の中ではお母さん死んでるの?www」と返した頃からそう思ってる
やるなとは思わないけど、やりすぎた!と思った時に視聴者の印象をコントロールする行動を咄嗟にできるのが、現代にああいう芸で売るプロとして最善だったと思う
最善の行動を常に取り続けられるとは思ってないし、ただの極端な理想論に過ぎないけど、でもCM前後に何かしらフォローがあれば、視聴やSNSの反応も違ったんじゃ?とも思う
長年続けてきた芸なのだから何をしても文句を言うべきではないというのはよくわからない
かつて存在したどつき漫才と同じで、時代と共に受け入れられなくなってきたってだけじゃないかな。
今だって頭を叩く程度の漫才はよくあるし、コントの中ではどつかれるし、本核的などつき漫才のコンビでも不快感を笑いに変える方法を身に付けて今でも漫才してる
今回笑いに繋げられなかったのは、緊張と緩和のうち、緊張がずっと続いてしまったからじゃないかと思う
昔は女が『逃げる』のが緩和の役目を果たしてたのではないかな。それだけでよかった
でも現代では『逃げる女を追う』のも緊張のうちに入ってしまう。だから緩和しなかった
そういう意味では、エガちゃんのお笑いは昔は1人でも成立してたけど、今では『セクハラ芸を受け止める側』の行動込みでしか成立しなくなってしまったのでは?
で、その緩和の役目として『CM明けに笑って受け入れている姿を見せる』がある訳だけど、これは受ける側の好意による部分が大きい。別にコンビを組んでる訳ではないし。番組を作る一員である以上やるのがベストではある
ただし今回のように「びっくりして涙が出てしまった」のはコンビでない以上どうしても起こりうる。コンビではないのに、追いかけられた側の生理現象を責めるのは酷だろう。「涙を見せないように下がった。また崩れたメイクを直した」のもプロとして間違ってない
『CM明けに笑って受け入れている姿を見せる』が叶わないのであれば、何かしらエガちゃん本人が動いてフォローを入れるなりして自らの芸を完結させるべきだった。プロ芸人として、芸を完結させて笑いに変える責任があるはずだ。時代に取り残され、失敗した時の想定もせず、やりっぱなし。そんな状態では、芸と呼ぶにはお粗末だ
またいつかエガちゃんの『芸』を見れたらいいなと思う。
一つは泣かせちゃったエガちゃん。
一つは泣いた永野芽郁。
エガちゃんは視聴者からは不快だったかもしれないが、彼は自分の芸風にしたがった仕事をしたと思う。
そして、番組が終わった後、自分のYoutubeのチャンネルで謝罪し、台本ではなかった、自分の判断でやった、自分が悪いと述べている。
この点については評価できる。
泣いてしまったのを可哀想とか同情、共感している視聴者もいるようだ。
そこは否定しない。
番宣だったのかもしれないが、あまりにも反応が素人すぎるように感じる。
テレビに出る人間としての振る舞いがあまりできてないように見える。
感謝祭のスタッフやプロデューサーの視点ではエガちゃんはやりすぎたかもしれないし、そこはちょっとダメだなとか古いなとかコンプライアンスどうなんだろうとは思う。
もしかしたらエガちゃんを呼ぶべきではなかったのかもしれない。
彼女の反応はあまりにも素人すぎるし、テレビに出る人間の切り抜け方や覚悟ではなかった印象だ。
厳しすぎるのだろうか?
少なくとも番組のスタッフとして彼女をバラエティの番組で呼ぼうと思う人はいなくなったのではないか。
女優として演技はできるかもしれないが、ドラマ以外の番組では出れない出せない向いてないんじゃないかという見方になる。
だから、この事件に関しては、永野芽郁が一番損したように見える。番組に対して臨機応変に対応できない切り抜けられないというのを多方面に見せてしまった。そういう事件だったのではないか。
事務所も苦労しそうではある。
エガちゃんの件。番組見てないし、そんなに大騒ぎすることかな?と思いながら、
ただ一つだけ漠然とだが気になったのは、
泣いてしまった永野さんのお仕事が女優さんだってところなんだよな。
女優さんなら、一応可能性としてはエガちゃんよりもっとキモい俳優ともっとエグい絡みする仕事する可能性もあるわけじゃん?
俺がもし永野さんのガチファンだったら、そんなシーン見たくないなと思うだろうけど、
でも作品だったら、本人がOKなら、フィクションならセーフになるわけじゃん?
このあたり、最近のコンプラ云々も相まって視聴者としての感覚がよくわからなくなってくるんだよな。
むしろバラエティだからこそエガちゃんが本気で襲撃してるわけじゃないのがわかる気もするが…。
いつ頃からだろう。ネット上で「野獣先輩」のネタを見かけることがめっきり減った。かつては掲示板やSNS、動画サイトでも無数のMADやコラージュ、替え歌、それから「やりますねぇ」「114514」など、淫夢語録が飛び交い、いたるところで野獣先輩を祭り上げるような風潮があったはずなんだけど、最近はそういうネタを積極的に楽しむ層が目に見えて少なくなってきた気がする。あれだけネット上を席巻した野獣先輩はいったいどこへ行ってしまったのか。もう“ブーム”という意味では完全に過ぎ去ってしまったのかもしれない。
もちろん、いまでもYouTubeで「野獣先輩」と検索すれば、昔アップロードされたMAD作品やキワモノじみた動画の数々が出てくる。そしてコメント欄やSNSの一部では、いまだに「ンアッー!」「イキスギィ!」「先輩!?今なにしてるんですか!?」なんて淫夢語録を使っている人がいるのも事実だ。だけど、いわゆる一般的な流行語として、あるいは“ネタ画像の定番”としての盛り上がりは、ここ数年でかなり勢いを失ったように思う。まるでピークを過ぎたお笑い芸人のように、かつてはテレビをつければ見ない日はなかったのに、ある日を境にパタッと姿を見せなくなった――そんな印象すらある。
言うまでもなく、野獣先輩は元々“某ビデオ作品”から生まれた人物(キャラクター?)であって、その正体については未だに不透明な部分が多い。顔や声はあまりに有名になりすぎたが、名前や経歴などの公式情報がほとんどないまま、それどころか実在さえ疑われる都市伝説の領域になりつつある。そこがまたインターネット時代の想像力を刺激したのか、過剰なまでの二次創作が生まれ、動画やイラスト、コラージュ画像やフィギュア(自作)など、多方面で“発展”を続けていたのが、ちょうど2010年代前半から中盤あたりだった気がする。
当時はニコニコ動画をはじめ、コメント文化が根付いた動画プラットフォームとの相性も抜群だった。コメント欄がスクリプトのように淫夢語録で埋め尽くされ、それをさらに面白がってMAD制作者がネタを増殖させる。あるいは一部のニュースサイトやまとめブログですら、面白半分に野獣先輩ネタを取り上げたりして、「知らない奴はネット初心者」なんて言われるほど浸透していた。Twitter上でも「誕生日おめでとう」「これは草」などの汎用スタンプ的に「114514」を使っている人がいて、一種の“邪道な共通言語”のようになっていたのを覚えている。
しかし、その盛り上がりも徐々に変容していった。一つには、ネットコミュニティの分散化が関係しているだろう。SNSが多様化して、趣味やコミュニティごとに細分化され、それまでニコニコ動画や特定の掲示板で集中して消費されていたコンテンツが、それぞれの独立したプラットフォームでまばらに取り扱われるようになった。そこに加えて、“炎上”や“差別”といったセンシティブな話題への社会的な目が厳しくなったという背景もある。そもそも、野獣先輩が初出のビデオはゲイポルノ。今でこそ多少は寛容になった部分もあるかもしれないが、ネットミームとして消費される過程で、ゲイの人々に対する差別や誤解を助長するような表現があったのは事実だ。それを面白がって繰り返していくことに抵抗を感じる人も増えてきたんじゃないかと思う。
ネットミームは流行り廃りが激しい。しばらく異様な勢いで盛り上がったかと思えば、ある瞬間を境にして興味を失われ、どこにも“ネタ”としての居場所がなくなる。しかも野獣先輩ネタは、興味のない人からすると「意味不明」「ただのホモビデオネタでしょ」という評価になりがちだし、社会全体から見ればかなり“マイナー”な部類に入るわけで。そもそも一般ウケするような題材じゃない。それでも大きく盛り上がったのは、当時のネット文化や動画サイトとの相性、そして一部のコアなファンの狂気じみた創作熱が奇跡的に結びついた結果でもあるんだろう。
さらに、野獣先輩にまつわるデマや過剰な“考察”が広まった結果、本人とされる人物がリアルで迷惑を被っているという噂も立った(真偽は不明)。ネットの海では無自覚に二次創作を楽しんでいただけでも、誰かが被害を受けている可能性がある、という認識が広まれば、それだけで一気に“冷める”人もいる。実際に「ストリートビューで野獣先輩を見つけた」とか「就職先が判明」などといったデマが飛び交う中、面白がっているだけでは済まされない雰囲気になったことも、大きな要因の一つかもしれない。
それと同時に、淫夢界隈というか、いわゆるホモビデオネタ全体が少しずつ下火になったという説もある。昔は「なんでも実況J(なんJ)」板などでしばしば盛り上がったりしていたが、ネット文化全体の主流はもっと別の方向にシフトしていった。VTuberやTikTokの短動画文化など、新しい潮流が台頭し、そこに若い世代の目が向いた結果、野獣先輩界隈のような“十年選手”のコンテンツに新規参入する人が減ったのだろう。お決まりの淫夢語録を使って盛り上がるだけのコミュニティは、古参が固定化して停滞していくばかり――そんな現象が見え隠れしている。
一方で、「ブーム」というほどの熱狂が消え失せたとしても、コアなファン層は一定数残るものだ。何かの拍子に「イキスギィ!」「なにわろてんねん」なんて書き込みを見ると、一部の人々は懐かしさを覚え、それでまた小規模ながら盛り上がりをみせることがある。マイナージャンルの音楽や漫画と同じで、「好きな人だけが好きなタイミングで楽しむ」というスタイルに落ち着いたのかもしれない。かつてのようにニコニコ動画のランキングをジャックするような勢いはもうないけれど、自分たちが愛する淫夢ワールドを守り続けるコアファンがいる限りは、完全な“消滅”とはならないだろう。
ただ、「話題性」という意味でのブームは、もう戻ってこないんじゃないかと思う。ネットミームは消費サイクルがとにかく早いし、過去に何度もリバイバルされた他のネタ(例えばエア本やエガちゃんとか)と比べても、野獣先輩ネタは一度ピークを迎えてから、その余韻を引きずりながらも急激に下火になっていった印象がある。もし今後、野獣先輩を取り上げる大きな出来事――たとえば本人がメディアに登場するとか、公式に何か声明を出すとか――があれば別だけど、その可能性はほとんどないだろうし、あるとしてもまったく予想がつかない。
もう一つ言えるのは、ネット社会自体が“ネタ”に対して敏感になっているということだ。SNSの拡散力やモラルへの意識が高まった結果、差別や迷惑行為に該当するコンテンツは批判されやすい。野獣先輩ネタは本質的に“ホモビデオ出演者をネタ化して面白おかしく広める”という構造があるから、やはり批判されるリスクも高い。インターネットの一部コミュニティだけで楽しむ、いわゆる“内輪ネタ”としてなら成り立つかもしれないが、外部への広がりを目指すとなると、今の風潮ではどうしても厳しいだろう。
となると、自然に考えて、野獣先輩のブームが再燃するシナリオは想像しにくい。むしろ今はもう「懐かしいネタ」や「一部でコソコソ盛り上がるカルト的な存在」として消えていく運命にあるのかもしれない。かつての勢いを知っている人からすると、あの狂乱の時代が嘘のようだと思うかもしれない。ネット上の祭りとは、えてしてそういう儚さを伴うものだ。盛り上がるときは一気に爆発するけれど、それが長く続く保証はどこにもない。むしろ急激に消費されるからこそ、一種の“バカ騒ぎ”として鮮やかに記憶に刻まれるのだろう。
もっとも、完全に誰からも忘れ去られるかと言えば、そうはならないと思う。インターネットの大海原には、かつて作られた無数の動画や画像、スクリプト、テキストが残っている。ふとした拍子に目にした古いMAD動画から、若い世代が「なにこれ…?」と興味を抱くことだってあるかもしれない。まるで化石のように眠っているアーカイブのなかで、野獣先輩という存在はいまだに息づいている。見つけた人が手を加えれば、また新たなネタとして蘇生する可能性だってゼロではない。だが、それはあくまで局所的なものであって、再び大衆を巻き込むようなブームになるとは考えにくい。
思えば、野獣先輩があれほどまでに取り上げられたのは、ネットミームの“暗黒面”を象徴するかのような要素が詰まっていたからでもある。アングラ感、不条理ギャグ、謎の考察文化、コラの素材としての汎用性、そして大衆から見ると“ネタにしづらい”危うさ。それらが絶妙に交じり合い、奇妙な熱狂を生んだ。だが、その熱狂は時代とともに下火になり、今や「ブーム」と呼べるほどの勢いを残してはいない。淫夢語録を使ってキャッキャ盛り上がる文化は、いまや一部の“伝道師”たちのものとなったのだろう。
「もう野獣先輩のブームって消えたよね」と言われれば、正直「うん、消えたと思う」と答えるしかない。もちろん“好きな人は好き”という段階で存続しているのも確かだが、少なくともネット全体を席巻するほどのパワーはもはやない。あの独特のネットスラングや淫夢語録を見かけたとき、「そういえばそんなネタもあったな」と懐かしむ人が増えた時点で、ブームは終焉を迎えたのだ。
ただ、ネット文化において「ブームの終わり」がイコール「完全な死」を意味しないのは、これまでも繰り返し目にしてきた通りだ。野獣先輩ネタも、“隠れ里”のようなコミュニティや、昔を懐かしむ古参ユーザーの間で、細々と脈打ち続けるだろう。いつかまた世代を超えてリメイクされる瞬間が来るかもしれないし、さらにマイナーな世界へ潜っていくかもしれない。結局のところ、“生きている”かどうかよりも、“楽しむ人がいる”かどうかがネットミームにとっては重要なのだ。
では、われわれは今後、野獣先輩のブームをどう捉えればいいのだろうか。答えは、あまり深く考えすぎなくてもいいんじゃないかと思う。所詮、ネットの一大ネタ祭りだったのだから。盛り上がるときはとことん盛り上がり、廃れるときは静かに廃れる。次から次へと新しい話題が生まれ、消えていくのがインターネットの常だ。たまたま“ナゾの多いホモビデオの出演者”というインパクトが重なり合って、一瞬の閃光のように注目を浴びただけのことかもしれない。
それでも、かつてのインターネットの一角を彩った壮大な“お祭り”であることに変わりはない。あの時代をリアルタイムで経験した人は、きっと「やりますねぇ」「ンアッー!」なんて語録を見るたびに、あのカオスな日々を思い出して苦笑するだろう。そんなふうに、野獣先輩のブームは過去のインターネット文化を振り返るうえで、ひとつの象徴として語り継がれる可能性がある。これこそが、ブームが去ってもなお、どこかの片隅で語られ続ける“ネットミーム”の宿命なのかもしれない。
結論としては、もう「野獣先輩」のブームは確かに消えてしまった。かつてのような大規模な盛り上がりを再現することは難しいだろう。しかし、それでも完全に消え去ったわけではなく、いまでもどこかでひっそりと愛好され続けている。「ブームが過ぎ去ったあとにこそ、本当のファンが残る」なんて言い方もあるけれど、まさにそういう状態だと思う。表舞台には出なくなったが、インターネットの奥底ではまだ生きている――それが野獣先輩という“伝説”の現在形なのだ。いずれにせよ、もう一度あの規模の“祭り”が起きることは、たぶんないだろうし、仮に起きたとしても、それはもう“別物”なのかもしれない。人々の記憶の中でしか語り継がれないような、そんな“終わり方”もまた、ネットミームには相応しいのかもしれない。
マリリンモンローやマドンナやガガのコラボ商品ならおそらく問題にならないし、おそらく、故・飯島愛のクラスでも問題にならない
好きな人は好きとか知る人ぞ知るではなく、TVで週4は見る・もしくは100万オーバークラスのYouTuber・芸能人であれば問題ないのだ
近年ややクリーンになりつつはあるが、芸事はどこの国もその成り立ちが性的なものだからだ
芸能人パワーが強くなくても(好きな人は好きとか知る人ぞ知るという存在でも)、職業ロンダリングしてればセーフだった
ただの起業家だと『ホリエモンやDaiGoを見てればわかるでしょ』で、ダメだ
目の不自由の方のためにとか、足が不自由な方のためにとか、障害者の方が活躍できる場をとか、強く慈善家アピールしておけばよかった
『若い頃はヤンチャしてたけど、人の優しさを受け取り、今はそれを返したいと、世のため人のために尽くしている』は、一般的に受け入れやすいストーリーだ
やってはいるけど、いちいち言うほどのことではないので、たまにしかアピールしないはダメだ。慈善家として常に活動報告だ
クンタキンテはエガちゃんとはもう共演しないの?
はじめに、いま台風が来ていますので、激しい雨風がある地域に住んでいる方は、どうかお気をつけてください。
みなさんの身体の安全や心の安寧は一番大事なことで、W杯といえど所詮スポーツのラグビーとは、較べるレベルにもないことです。
さて。
2019年の日本大会で日本代表は素晴らしい結果を残し、レビューをしていた自分もみんなと楽しめたことがとても嬉しかった。
そのあとの4年で世界があんなことになるとは思いもしていなかったけど、僕はまたW杯を見ることができるし、みんなもまた楽しめるような状況、心境であるならばいいと思っています。
今大会、前回のように逐一レビューできるかはわからないけど、みんなが観戦する際の手助けが少しでもできたら嬉しいです。
このプールはオーストラリア、ウェールズ、フィジーなどが同居するプールCと並んで、何が起きるかわからない予測不能のプールであり、後述するけど、初戦がどう転んでもDは縺れていくと思う。
配置されたのはイングランド、日本、アルゼンチン、サモア、チリ。
最強豪と見做されるイングランドは、ここ数年不調が続いており、ブチ切れることでおなじみのエディー・ジョーンズHCが責を問われて解任、スティーブ・ボーズウィック氏の元、再出発となった。
こういった交代劇は短期的にはプラスに働くショックとなることも珍しくはないのだが、今のところその兆候は出ていない。
チームを牽引するオーウェン・ファレルをレッドカードのペナルティで3戦目まで欠くのも気がかりだ。
もう1チーム、日本の厚い壁となりそうなアルゼンチンは組み合わせ抽選時のプール内序列3位は明らかに過小評価で実力で言えばイングランドと同格に近い。
現ランキングではイングランドより上位、直近の戦績でもオーストラリアを降し、南アと1点差ゲームを演じるなど、上り調子だ。
「チームとしてまとまりがなく反則しやすい」という長年の弱点があったのだが、ニュージーランド、オーストラリア、フィジーが所属する国際プロリーグ、スーパーラグビー・パシフィックに代表のクローンチームを結成して参加するという強化手法で宿痾を克服してきた。
これは前回大会直前まで日本がとってきた強化手法と一緒で、日本のサンウルブズは戦績こそふるわなかったもの、チームの練度は確実に底上げされ、日本代表の前回の成果に一役かった。
今回のサモアは前回のような「罠に嵌めやすいチーム」ではない。
チリは正直なところ情報をあまりもっていないのだけど、アメリカ・カナダに競り勝って出場を勝ち取っており、これは「えっ」という感じ。
アメリカ・カナダは強豪でこそないものの弱いチームではないのだ。
チリは1勝をもって帰りたい立場なので、狙うのは日本かサモアとなり、初戦の日本に最大限の集中とリソースで挑んでくるように思う。
前回グループリーグ突破の我らが日本はというと、コロナによる強化スタートの遅れ、スーパーラグビーからの除外で強化がうまく進んだとは言い難く、実際の試合をみてもスクラムやキャッチ、パスなどの連携に明らかなほつれが見える。
おまけに初戦はFWの働き者、ピーター・”ラピース”・ラブスカフニをレッドカードの出場停止で欠く。
かなり立場が揺らいでいると言えるだろう。
プールDの初戦、日本はチリと戦うこととなるが、裏ではイングランドとアルゼンチンがまみえる。
本命同士がいきなり潰し合う展開となり、負けたチームは突破のためにもう1敗もできない状況になる。
こうなってくるとサモアがどのチームに取っても厄介だ。
チリ以外の4チームはどこが抜けてもおかしくない混戦になりそうで、なんとしたらしたらチリがこのリーグをかき回す可能性すらある。
未だ未完成の日本代表が波にのれて完成度を高めていけるかは重要で、初戦の開始20分でバタバタと反則を起こさないか、最初のスクラムが安定するかが注目だ。
日本の注目選手では、リーグワンでの脅威の走力と決定力で代表に選出されたCTB、長田智希がリザーブで登場する。
マジック・フットと呼ばれる突破力をもつが、ディフェンスに難があると言われてきた。
直近改善されてきたように思うが、とはいえ最後の砦ポジションのFB出場になったのは驚きだ。
少し心配もあるが、良さが出ればトライ後の「取って詰めてだす」エガちゃんパフォーマンスがみられるかもしれない。
熱戦を期待するし、できればもちろん日本代表には勝利してほしい。
ところでラグビーは頻繁にルール改正がされるスポーツで、ここで前回大会から変わったところと影響について解説したい。
選手の安全性を高めるため、ハイタックルに関する審査は年々厳格化されており、今では肩より上に手がかかったと見做されるとペナルティを取られる。
安全性が高まることについて全く異論がないが、2人がかりのダブルタックルで相手を止めたい日本にとっては厄介なことで、足元をとめるAと上半身を相手の腕ごと殺してパスを出させないようにするB、縦に積まれるBのタックルはどうしても高くなりがちで、より高いタックルスキルと冷静さが求められる。
なのだが、これに、
になるルールが追加された。
導入当初は「難易度が高すぎてどこまでのチームが戦術に組み込めるのか」と言われていたが、蓋を開けてみると欧州勢やニュージーランドは普通に蹴ってくる。
日本を意識したルール改正とは思えないが、筋力に劣る日本にとっては結果として不利に働くルール改正と言えるだろう。
ただ、非常にスキルフルでスリリングなプレーなので、登場すればエキサイティングだ。
みんなも注目してみてほしい。
自分としてはみんなの観戦の手助けできればというのがモチベーションなので、この件に関する言及でもし耳目を集めることがあったとしたら、そこは本意ではないのだけれどもなあ、と思うけど、どんな思いのやつが書いてるのかわからない文書ではモヤがちらついてそっちに気がとられるよ、となるといけないなと思うので、櫻井翔さんがアンバサダーを務めることついても考えを少し話しておきたいと思います。
ラグビーは憲章において品位・情熱・結束・規律・尊重を掲げており、勝つだけでなく、どうあるべきかが重視されています。
性加害が事実認定されたあとも当事者の名前を冠している事務所が、説明を果たして世に価値観を示すべき態度であれているかどうか未だ疑問が残ります。
櫻井翔さんについてはラグビーのプレー経験者であり、アンバサダーの仕事についてもしっかりとした情熱をもって勤めてくれていたのだと思っています。
そのことを自分は嬉しいです。
櫻井さんが事象にどう関わりがあったのか自分は未だ一切わかりませんが、少なくとも事務所に所属したままアンバサダーを務めることは憲章の価値観そぐわないのではないのかな、と自分は思います。
また、自分がSNSのタイムラインを追った時、櫻井さんのファンの方々が櫻井さんきっかけでラグビーを観戦してくれていたのも多く目にしました。
みなさん楽しそうに声援を贈っていらっしゃいました。
そのようなファンの方が、今どう感じていらっしゃるのかは分かりません。
しかし、ラグビーの人気拡大と、人権の加害の問題は、存在する次元が違いすぎて天秤にかけてどちらを取るかというような比較になるべき問題でもないと思います。
櫻井さんファンの方に、ラグビーについてどういう事を言ったりしたり、言わなかったりしなかったりしてほしいかというような事は、烏滸がましくて何もいう事はできません。
ラグビー界側を見ても、日本ラグビーフットボール協会がこの件に関して見解を出さなかったり、意思決定を下して説明をしないのであれば、それは違うのではないかなと思います。
みなさんが最良の選択をしていただけたら良いなと願っています。
現在、9月9日4:49分、開幕戦フランス対ニュージーランドを観ながら自分はこの展望を書いている。
みんなもどうかこの大会を楽しんでほしい。
その手助けができればうれしい。