はてなキーワード: アマチュアとは
私は同人文字書きの端くれで、私が追っている彼女も小説を書く二次創作同人作家。
私たちは同じジャンルにいるが表向きはなんの面識もなく、オンオフともに彼女は私のことを知らない。
と言うとまるでファンであるかのようだが、ファンと私では彼女に向けている思いがまるっきり違う。
私は、彼女が嫌いだ。
嫌いだから彼女のやることなすことを監視せずにいられない、アンチに似た心理で彼女のことを追っている。
なぜ嫌いなのか。
理由は普遍的かつ単純で、私は彼女に嫉妬しているから彼女のことが嫌いなのだ。
いや正確には、彼女の作品と、それを生みだす彼女の才能に嫉妬している。たぶん羨望に近い。
読み手にすらすら文章を追わせる勢いや説得力があり、個性も情熱もある。
彼女の書く話にはまず真ん中に〝感情〟という揺るぎない芯が通っていて、その感情を軸に人間というものが瑞々しくそこに描写されている。
自分のなかにある感情が気付けば彼女の文章に呼応し、自然と作品世界に入りこめる。
そういう、強く惹かれる引力みたいなものがあった。
それで、彼女にずば抜けた文章力や構成力があればすべてよかったのだ。
そうであれば私も素直に彼女の作品を称賛し、彼女に心酔するファンの列に加わることが出来ていた。
彼女の作品に一切の隙がなければ、他人の作品に過剰な自意識を持ち込み嫉妬心をいだくような事にはならなかった。
これなら私の方が、と思わせる、粗探しをさせるだけの隙が見えてしまった。
たとえば、有り体に素人くさいと感じさせる文体や単語のえらび方、エピソードが矢継ぎ早に通過していく展開の強引さ、
状況説明を台詞に頼りすぎるところや、メインとするモチーフのわざとらしさなんかが、読んでいて私には引っかかった。
それでも、それなのに、とにかく彼女の作品は「読みやすい」の一言に尽きた。
自分の文章を読み返すときに感じる堅苦しさやとっつきにくさが彼女の作品にはなく、自分の文章に感じる、くどいと思う描写や言いまわしを、彼女はたった数行の簡潔な表現で読者に納得させてしまう。
私がありきたりにならないようにと頭をひねって考えたストーリーよりも、彼女のありきたりなストーリーの中で光る表現や細工のほうが私には鮮やかに感じた。
「私のほうが」と思える隙があるのに、その隙間を覗けば覗くほど、私のほうが優っている要素が見えなくなった。
彼女の作品を読むたび、私は彼女よりもはるかに書けていると思える瞬間と、私は大差をつけられ彼女よりずっと下にいるのだと思う瞬間が交互にやってきて、自信と劣等感でぐちゃぐちゃになった。
そんなふうに散らかった情緒を自分の力できれいに整理することは難しく、彼女のことを「嫌いだ」と疎もうとする強い感情が、私にはもっとも手近で易しい感情に思えた。
私は彼女の投稿するすべての作品をブックマークしているが、ブックマークの設定はすべて非公開にしている。
彼女の作品を「好きだ」と評価すること、そしてそう評価した私の存在を彼女に知られてしまうのが嫌だった。
それは彼女の才能の前にひれ伏し、負けを認めることと同等の敗北感があってただ、悔しかったから。
彼女のツイッターにしてもそうだ。私は彼女のツイッターを非公開リストにいれて観覧している。
私が彼女をフォローして、彼女から私にフォローが返らない可能性を考えると耐えられない。先にフォローをしたほうがきっと負けになる。だから死んでもフォローはしたくなかった。
彼女がツイッターに投稿する作品にいいねやRTで触れることもしない。いいと思ったものは黙ってローカルに保存した。
負けたくなかった。
彼女の作品が好きだけど、彼女の作品を好きだと感じる瞬間は嫌いだ。
キャラクターのえがき方や心情の拾い方が絶妙だと思うけど、同時に、文章力がその熱量に追いついていなくて拙いとも思った。
しかしその拙さは、言い換えれば小説をあまり読まない人から見ても読みやすい文章ということでもあり、そのまま共感や感情移入のしやすさでもあった。
つまり彼女は、ちゃんと小説が上手いのだ。技術などは関係ない。彼女は小説が上手い。
多分、彼女の書いた小説を読んだ瞬間に本当は、私は圧倒されていた。圧倒しきるほど完全ではないのに、それでも力押しで圧倒してきた。そんな経験は初めてで、それがとにかく悔しかった。
彼女のような作品を私の技術で書けるようになりたい。でも模倣はしたくない。彼女に影響などされたくない。彼女の書く作品とかけ離れたものを書いて、上回りたい。そう思う時点ですでに影響されている。嫌だ。負けたくない。
『負けたくない』
彼女への執着の根幹にあるこの「負けたくない」という対抗心こそが、とにかく厄介で私を惨めにさせる。
私の感じている、勝ち、負け、という卑しい価値観が彼女の中にはなく、そもそも彼女は私の作品など読んですらいない。
私は彼女に負けたくないが、
彼女は私のことを知らない。
最初から勝負になっていないのに、強すぎるプライドと折り合いをつけられずに独り相撲をしているだけの間抜けが、つまり私なのだ。
少し話を変える。
私は彼女が設置している匿名感想ツールに、よくコメントを入れる。
お題箱や質問箱やマシュマロなんかの匿名ツールというのは、一人のファンの連投によって、無数の信者の存在を作家に幻視させることが可能なツールだと私は思っている。
そして私も書き手の端くれだから、アマチュア作家が言われて嬉しいこと、作家が読者から訊かれたいこと、そういうのはだいたい分かる。理想的な匿名コメントというものを作り出せる自負もあった。
だから私は、匿名メッセージから彼女の純粋な信者を装い何通ものコメントを送った。
あるときは彼女の作品のおかげでこのジャンルとCPにハマった新規ファン、
あるときは昔から彼女の作品を追い続けてきた古参ファンにもなった。
それから創作のルーツについての質問や、彼女の作品にだけ感じる唯一無二の個性、工夫された演出や、タイトルと内容のリンク、読者に気づいてほしいであろう描写や箇所を、
すべて小出しで拾って「ちゃんと届きましたよ」と都度、読者からのアンサーを返してやった。
それらすべてが私一人からの打算のコメントであることを知らずに、たくさんのファンに向けて何度も「ありがとうございます!」「そんなふうに言ってもらえて嬉しいです…」と答える彼女を見て、せめてもの優越に浸りたかった。
私は一度だけ、その匿名ツールからさりげなく「小説を書くのは好きか」と彼女に訊いたことがある。
彼女は迷いなく、書くのが好きだと答えた。
うまく書けなくても、理想に届かなくて悔しくても、書くのが楽しいから書いてしまうし、きっとこれからも書き続ける。そう言った。
この模範回答にも私は打ちのめされ、嫉妬で頭が燃えそうになった。
彼女が小説を愛し、小説からも愛されていることを知り、心の底から彼女を憎たらしく思った。
私はちがう。手段として書きたいと思うことはあっても、書くことが好きだと感じたことはない。むしろ書くことは辛いことだ。
書くという行為がこちらに寄り添ってくることはなく、「自分は息をするようにこれからも小説を書き続けるだろう」と根拠なく信じることなんかとても出来ない。
なのに彼女は書くことが好きだと言い、創作を信じ、私にはとうてい書けない小説を楽しみながら書いてみせる。まるで物語の主人公だ。
大きく差が開いていく感覚を味わいながら私はまた彼女の作品を読みにいって、私より劣っている要素をあげて安心しようとするけれど、
そのたび私よりも優っているところばかりに目がいって結局、コントロールできない感情だけが重くなってどうしようもなくなる。
私がこれほど彼女の作品を読み返しては否定と肯定に挟まれて息苦しくなっているというのに、とうの彼女は私の存在も、作品も知らない。
彼女はツイッターなどで、良いと思った作品は気軽に共有し、前向きにその感想を述べる(こういうところも、卑屈な私とはちがう)。
私は彼女のブクマ作品も定期的にチェックするが、いつ見ても彼女のブクマ一覧に私の作品があがることはない。
もしかすると、同じジャンルにいるから名前くらいは目にしたことがあるのかもしれないけど……でも多分、彼女にとって私の名前などは、意識に留まることもないつまらない文字列にすぎないんだろう。
それでも、「私を知って!」とこちらから声をあげることはできない。
だって彼女は一度も、私に「私を見て!」と言ったことはないから。
やっぱり心では、私は彼女に認められたいのだ。
私を圧倒していった彼女という存在に近づきたくて、対等になりたくて、私を見つけてほしい、知ってほしい、認めてほしいという気持ちが根底にある。
そして思いどおりになってくれない彼女のことを、恨めしく感じている。
……なんて言い方をしてしまうと誤解を生みそうだが、この心理は『だから本当はあなたが好きなの』と言えるような可愛いもんじゃない。
好きと嫌いは裏表だとか、そんな収まりのいいものでも決してない。
好きじゃない。言い切れる。嫌いだ。大嫌い。
彼女が「スランプで書けない」と思い悩む発言をすれば私は「やったあ」と思うし、
逆に、今は筆がのっている、書きたかったものが書けていると満足する様子を見せられると、焦燥を感じる。
途中まで書いていた話がどうしても気に入らなくてボツにしたと嘆く彼女を見て、一歩前に出たような気になって嬉しくなった。
彼女の作品にブックマーク数が増えていくのを確認するたびつまらない気持ちになって、
私以外のだれかが彼女に送った匿名メッセージの絶賛コメントを見ると、そのすべてを否定したくなって腹が立った。
創作に関するマイナス感情やネガティブ思考で落ち込んでいる彼女を知れば、いつまでもそうしていればいいと胸のすく思いがする。
これが嫌い以外の何だというのだ。嫌いでなければこんな悪意は生まれない。
いっそ、彼女の作品がなくなればいいのにと思う。でも作品を消されるのは嫌だ。
彼女にどこかにいなくなってほしいとも思うが、私の追えなくなるところに消えることはしないでほしい。
もう無茶苦茶だ。
そんなに嫌なら見なければいいのに…と呆れる(あるいは唾棄する)意見が一般的で、健康的なのは分かっている。
だけど、こういう執着をそれでも続けてしまう人はむしろ、現状から楽になりたいからこそ、原因となるものを断ち切れないんじゃないかと私は思う。
私は彼女の才能を認められずに、必死になって彼女を妬んでいる。それはひどく不様で惨めなことだ。自分が惨めであることを自覚しながら生きるのはつらい。
だからその〝原因〟を自分の中で貶めることで、少しでも惨めさをやわらげて救われたい。貶める要素を見つけるために彼女の言動を追いかける。
楽になりたくて、楽じゃない感情にせっせと薪をくべている。
馬鹿みたいだな。
分かっていてやめられないんだから救いもない。
きっと私が彼女に正面から偽りなく本心を伝えるか、彼女から好きだと告げられることが、私の思いえがく理想のゴールなんだろう。
彼女から好きだと熱烈な告白を受け、抱擁でもされようものなら、その瞬間に私の中にわだかまっているぐちゃぐちゃが全てすがすがしいものに変わる気がする。
そのとき私を満たす思いは、『勝った』という勝利の喜びだろうか。分からない。想像がつかない。
何にせよ、そんな日はどうせ来やしない。昨日も今日も明日も、彼女は私を嫌うことすらしない。
すべてがむなしいまま、なにも変わらず続いていくだけだ。
めったにオフ活動をしない彼女の、それが当面の、最後になるかもしれないイベント参加なのだそうだ。
そのイベントに足を運んで、彼女の姿を一目、この目で確認してみようか。
私はずっと、それを迷っている。
野菜作りに苦労してるアマチュアとしては、品質面はそんなに卑下せんでも…と思うなぁ。
危険な職種は林業も鳶も若手不足で、今はむしろ安全な仕事の方が人気。
じゃなんで農家が人気無いのかというと、みんな田舎暮らしが嫌なんだろう。これは農業に限らず東京一極集中が進んでる理由でもある。
田舎暮らしの全てが不人気というわけではなくて、自然素材みたいなものを好みわざわざ都会に再現するような人は多い。
ただ、トイレの壁紙が古かったり、梁に卒業証書や先祖の写真が並んでいたり、トイレの便器が旧式だったり、大広間に使い古した無地の絨毯を敷き詰めていたり、トイレのドアが旧式だったり、古いだけの食器棚がリビングに置かれていたり、トイレの照明スイッチが古いタイプだったり、そういう感じのところに住みたい人は居ない。
侍ジャパンやサムライブルーはあっても百姓ジャパンやノウカブルーはない
今や日本の象徴の一つと言っても過言ではない侍を相手にするのは分が悪いにしても同じ一次産業と比べてもやっぱり格好悪い
漁業、漁師って結構、格好いいイメージがあるじゃん、The漢って感じの、荒っぽいや怖いとかネガティブなものもあるけど
やっぱり海、漢って感じで格好いい
松方弘樹が家庭菜園はやらないじゃん?海!釣り!梅宮辰夫が家庭菜園はやらないじゃん?海!釣り!
林業もさ男ならみな大好き(過言)チェーンソーを手足のように扱うんだよ、もう格好いいじゃん
重機も使うけど基本、建設系の車両がベースだからさやっぱり格好いいんだよ、多くの人が知っている形だしね
馬鹿でも出来る仕事(学歴が不要)は、危険度とアマチュアとプロの差で格好良さが決まる
危ない仕事は格好いいんだよ、男の世界じゃ、同意しない男性も多いとは思うけどそういう空気があることは否定出来ないと思う
漁師なんて船の外は海、見るからに危ない、林業はチェーンソーや重機を扱う、ぱっと危険だと分かる
農業はさ…危険じゃないんだ、熱中症やトラクターの横転で農作業中に亡くなる人もいるんだけど格好良さには繋がらない
これは、女性の作業員の多さにも表れていて、基本身体的に危険な現場っていうのは女性の数が少ない
女性の漁師は激レア、海苔や貝類、養殖にはチラホラいるけど基本、陸で加工がメイン
林業は、女性の現場作業員ってほぼいないと思う、事務所内での仕事がメイン
農業も加工や選別の方が多いけど田畑で作業する女性もたくさんいて、漁業や林業と比べて圧倒的に多い
気を悪くするかもしれないが女性が多くいる現場作業って格好良くないんだよ、男性にしか出来ない危険な仕事ってのが格好良くて格があるんだ
女性が多い保育士や看護師が愛や優しさといって女性のステレオタイプを象徴するみたいな話
農家は、安定した品質で大量に生産することに長けているけど大量生産に拘らなければアマチュアでも十分に良い物が作れちゃう
なんなら、自分で作ったというプラスアルファがある分、プロが作ったものよりも美味しく感じることも多いと思う
加温が必要で設備が必要なマンゴーとか一部を除いてアマチュアでもプロ品質のものが作れるのが農家の弱さ
家庭菜園をやる人なら、これを大量に作る農家はすごいなってリスペクトと同時に自分でも良い物が作れるんだって喜びも得ると思う
プロは大量生産という点以外ではアマチュアと差がないんだ、大量生産の一点突破、これが農業の格好悪さに繋がる
その一点の差は土地(肥料含む)と道具による差が大きくてなんて言うか、リソースさえあれば自分も出来ちゃうと思うような差なんだよね
手が届かないと思われるような差じゃない
稀代のスーパースター大谷翔平が雪肌精のCMに出る時代に誰が好き好んで赤黒くなることを望むんだ、黒ギャルが好きだったけど絶滅危惧種になってしまった
化粧品会社の戦略もあるのだろうけど男性が美容を気にしても変と思われづらくなってきている社会で誰が紫外線に焼かれて土にまみれたがるんだ
米や一部の作物では機械のおかげでかなり汚れることなく仕事を出来るがそれは一部の話
赤黒く日焼けして皺、シミだらけ、爪の間には取り切れない土、誰がそんな手になりたがるんだ
良心のある人はそんな手を見ても汚いとは言わないだろう、ナウシカみたいな働き者のキレイな手と言うかもしれない
でも、あなたがそんな手になりたいかと言われてなりたいと答える人はほとんどいないだろう
ナウシカになりたい人、ナウシカみたいに言われたい人は、コンプレックスを肯定できるということが大事なのであって
今の農業の形じゃ農家はオワコン、未来はないよ、人はやりたがらないし親も子に継がせたがらない
じゃあ、なんでお前は農家やってんのって言われるとぼくは、好きな郷土のお菓子があって
アマチュア 監督:ジェームズ・ホーズ 妻の命を奪った国際テロ組織へのたった一人での復讐を決意。CIAすらも予測できない方法で、テロリストたちを追い詰めていく。
ベテラン 監督:リュ・スンワン ベテラン刑事ソ・ドチョルと、凶悪犯罪捜査班の刑事たち。法では裁かれなかった悪人が連続して殺された。
プロフェッショナル 監督:ロバート・ロレンツ リーアム・ニーソン以下略
サイレントナイト 監督:ジョン・ウー 幸せな一日になるはずだったクリスマス・イブのその日、ギャング同士の銃撃戦に巻き込まれた男は、目の前で愛する我が子の命を奪われる。
日本の中高生の吹奏楽はめちゃくちゃレベルが高いし吹奏楽人口も多い割に、クラシック音楽を聴く人口が少なすぎないか?金賞を取るスポーツになっていないか - togetter
https://togetter.com/li/2540785
クラシック畑の人は日本の器楽の歴史を案外知らない、いや日本を見下してるから知ろうとしない人がプロ奏者含めて多いが、このまとめの冒頭のポストの人もその一種に過ぎなかった。
そもそも、吹奏楽の起源は軍楽隊であり、「軍隊」という、欧州の古代~近世のクラシック文化とはかけ離れたところで歴史を紡いでいる。これは日本も同様。
詳細はWikipedia「吹奏楽の歴史」が一番よくまとまっているので一読してほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B9%E5%A5%8F%E6%A5%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
軍楽隊という枠になると、世界トップは欧州ではなく米国になる。次点がイギリス。他の欧州各国はレベル的にクソである。
「吹奏楽」という枠でも同様。アマチュアのレベルに関しては米国が世界トップで、その次は日本。他の欧州各国はイギリス除いてクソ。ちなみにイギリスは「金管バンド」(木管楽器が居ない)編成が大半なのでちょっと枠から外れる。
米国と日本のアマチュア吹奏楽のレベルが高いのは、いずれも学校の部活という枠組みがあるからに尽きる。内容は日米で異なるが、ここでは説明は割愛するので興味がある人は調べて欲しい。「ほぼ毎日練習が必要」という点は日米共通だ。
イギリス以外の欧州のアマチュア吹奏楽のレベルは総じて低い。その地域のトップクラスと言われるバンドでも、音程合わない、縦合わない、音量のメリハリなんて何それ美味しいのレベル。
これは欧州は学校の部活と言う枠組みが弱く、地域クラブで週1程度のお稽古以上の事が出来ないからだ。
クラシック畑の人は欧州コンプレックスが強く、日本だけでなく米国も見下す傾向があるので、これらのファクトは頭の中に入ってこない。ないものとして扱う。
みたいなやつ激萎える
表紙でおもしろそうと思ってタップしても、あらすじにこれ書かれてると読む気がスッと失せる
たしかにXで◯十万いいねの作品まわってきたらおっ読んでみようかなとなるけど、
そもそもインディーなんて志の低い低予算アマチュアものであって然るべきなんだし、期待しすぎでしょ。
昨今はゲーマーやメディアがインディーをおだてすぎ、注目しすぎ。
ゲームを楽しみたいなら大手開発のタイトルをやるのがマジョリティの嗜好であるべきだし、インディーやら同人ゲーやらを漁るのはひねくれたごく少数のマニアだけでいいの。
ゲーマー全員がGOTY審査員を気取った洋楽オタクみたいな鼻持ちならんスタンスでマイナーバンドを得意げに語って石の中から玉を発掘するような忍耐力でもってゲームに向き合う必要なんて微塵もないだろうに。
基本無料ゲームでさえアプデ開発に年100億くらいかけて作ってる面白いのがある中で、インディーの個人やサークル規模の開発者にゲーム的な魅力を持続させる能力を求めるのは酷だろう。すべての根源は過ぎたるを求める雰囲気のせいだ。
要するにインディー界隈をおだてればおだてるほど、表紙詐欺の同人誌みたいな、ハリボテで一見イカしてみえるものをどう作ってPRするかという、欺瞞的な創作スタンスを促進することになってしまう構図にある。
たまーにハリボテレベルではない秀作が出るからといって、基本的には大企業が高予算をかけて作る買い切りや運営ゲーのエンタメ提供力には遠く及ばないし、及ばないのに迫っているかのような雰囲気を開発者も愛好者も醸し出そうと必死になるだけ。マイオナだよそれは。
要はハコモノ叩きと、プロジェクトの雑さや予算管理の雑さ、談合やらなんやら叩きなんだと思うんだけど
そこまでは理解できてるつもりだが
ちょっと行き過ぎて「万博が開催されたがこんなにクソだ!!」みたいな情報が出たりキャッキャウフフしてるの見ると、ちょっとキツイ
これね、韓国叩きとかと同じ感じに見えるね
人間どうしても、理由があって◯◯を叩き始めるんだけど、途中から◯◯だから叩くみたいになっていくよね、粗探しが目的化していくみたいな
まあ半分以上、メディア・アマチュアメディアの影響が強いんだろうけど
たぶんそのメディアと、そいつらに扇動されてる人らに対するキモさなのかもな
こういうの何ていうんだ?名前がないな