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「のぞき」を含む日記 RSS

はてなキーワード: のぞきとは

2025-05-22

飲食店クオリティゴミ

飲食店人件費高くなってるから値上げっていうけど

正直あいつらの仕事クオリティ低いんだよ

一部のぞき本当に低い

3000円とか5000円払ってこの程度か

 

みたいなのめっちゃいる

そこで「なら10万払え」って話になるんだろうな

 

ぶっちゃけそこまでするならさ

 

食事に振ってた分全部アニメゲームに回した方が幸せだと思うよ。

2025-05-07

anond:20250506202140

2025年5月7日、ワイの日記やで。

昨日の午後、ワイは谷の縁からフェミちゃんを連れて、なんとか家まで戻ってきた。彼女は終始無言やったが、抵抗もせんかった。ただ、歩くときの足取りがやけに均一で、機械仕掛け人形みたいやった。ゴミーはワイの後ろをふわふわと飛びながら、何度もフェミちゃんの顔をのぞき込んでいたけど、そのたびに目を伏せるようにして飛び去っていた。

その夜は、妙に重たい眠気に襲われて、布団に入るやいなや意識が沈んだ。夢の中でワイは、滑稽な仮面かぶった連中に囲まれた。みな口々に笑いながら、「女神はまだ覚めない」「女神はまだ溶けてない」と唱えてた。その笑い声が、次第に地鳴りに変わって、ワイの足元が割れていく。最後フェミちゃん仮面を外して、まったく知らん顔でワイを指差して笑った。

汗びっしょりで目を覚ました瞬間、部屋の中は妙に静まり返っとった。そして、寝返りを打とうとしたワイの視界に、光を反射する銀の線が映った。フェミちゃんや。立ったまま、無表情で、片手にナイフを持って、ワイをじっと見とる。

咄嗟に身を起こそうとしたそのときポケットに入れていたスーリヤの針が、唐突に激しく発光した。白金色の光が部屋中に満ちて、まるで太陽の破片が室内で爆ぜたみたいやった。その光がフェミちゃんの手元に届いた瞬間、彼女の体が一瞬ぶるりと震えて、ナイフを取り落とした。

フェミちゃん!」

呼びかけたが、彼女はそのままくたりと崩れ落ちた。ワイは駆け寄り、倒れた彼女の肩を抱き起こした。体は温かい。でも、その目は閉じたまま、口元はかすかに何かを呟いとるようやった。

ゴミーが部屋の隅から羽ばたきながら近づいて、ワイの足元にとまった。静かな光だけが、まだ床に残って揺らめいてたんやで。

2025-04-09

男さん「盗撮が嫌なら自衛しろ

盗撮をするな!」とは言わない模様

タワマン計画巡りトラブル “女子御三家桜蔭学園が都を提訴もっと知りたい!】【グッド!モーニング】(2025年4月9日)
https://www.youtube.com/watch?v=x2VFxQUYNyI

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@saksaksack

40 分前

タワマンでなくとも現在の8Fのマンションでも見ようと思いえば見れるのでは?

のぞきデメリットとしてあげるなら都内マンションほとんどが該当してしまう。日照権をメインにすればよいのだが、マスコミ面白がってのぞきをメインかのように報道しているのかな。

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@かわのまこと-z3c

35 分前

自意識過剰

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@484euhus-q9c

1 時間

周囲の環境配慮するのがマンション側にあるなら林を自分たちで手入れする義務を負わせるように学園の権利を渡せ。

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@bruno3967

1 時間

タワーマンション建設されたら買おうかな😍

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@七式-o7j

32 分前

学校側の言い分もわからんでもないが、地権者からすれば50年で建て替えは妥当だし、土地容積率敵にタワマンにする方が効率的なのも事実。そんなに高い建物を立ててほしくないなら本来の高さを削って得られるはずだった賃料等を学校補填するか、周囲の土地学校が買い取ればいい。

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@kuro8593

1 時間

自意識過剰すぎw

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@ギャルモザイク有り清楚系無

1 時間

これは高校側の言い掛かりやわ。。

そんなに言うならマンションの建築予定地を買い上げろよ😅

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@Omori-tome

54 分前(編集済み)

女子校の周りに高層建築するなって横暴もええとこやろ 。

いやなら周り全部買えよ。

日照権農業でもしてないならただの言いがかりや。

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@484euhus-q9c

1 時間

学校側がドームを覆って学生保護すればいいだけなのでそんな義務マンションにはない。

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@ルナティック-s3c

48 分前

盗撮されるほどかわいい子おらんやろこの学校

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@MASSA-55

57 分前

そんなこと言ったらどこにもタワマン建てられないってことになる。教育環境破壊…?住環境破壊しようとするなよ…。

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@松本林檎

14 分前

何の問題もない。桜蔭学園わがままな連中だな。

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@yokan_ogura

39 分前

盗撮嫌なら学校側で自衛しろよ。合法的他人土地の利用方法になんで口出して切ると思ってるだよ。日野データセンターの件然りこういうクレーマー消えて欲しい

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2025-03-22

NHK番組に出す人選に悪意ある

散々ペド性犯罪自慢系の発言をしてた松本と、修学旅行での盗撮のぞき事件に対して「のぞこうと思えばのぞける様な露天風呂を選んだ学校が悪い。男子生徒はのぞけるならばのぞく。当たり前だろ。」の呂布カルマ2人で性教育番組やらせたのは頭おかしすぎた。

過去Twitterで「俺これからも猫蹴るし」「愛犬をけった」「猫踏みつぶし対決?」「男は度胸女は便器」等々とつぶやいていたりんたろーをすくすく子育てに出したのも不似合いすぎる。

デザイン「あ」では、凄惨障害者いじめ自慢をしてた小山田音楽依頼したのも気分悪い。

チコちゃんに叱られる!行為を拒んだ女に冷凍鶏肉投げつけまくった木村チコちゃん中の人で、コロナ生活苦になった素人女が風俗落ちしてくるのが面白い楽しみと言ってた岡村がメイン。

人選がいちいちきっしょい。

2025-03-21

対人恐怖が治ってきて嬉しい

わっちは街を歩くのがこわい。

すれ違う人々が自分の顔をのぞきこんでいるきがする。また、目を合わせたら喧嘩がはじまるんじゃないかというきもする。

からいつも身体が緊張してる。わっちにとって街を歩くことはギャング跋扈している治安最悪な地を歩くことと同義

このような対人恐怖のきざしがあらわれはじめたのは小学生高学年のとき。このころからだんだん自意識過剰になり友達と会話ができなる。中学生になると吃音もあらわれた。

学校友達はおらず登校してから下校するまでのあいだひとこともしゃべらないことはざら。店員と話すのが恐くてコンビニに行けない。そんなSadDaysをSpendしてた。

大学生とき、ふと思う。対人恐怖を治さないかぎり、わっち幸せになれないと。そこでさまざまな試みをおこす。以下、その試みのリスト

筋トレ(やったりやめたりを繰り返した。スクワットだけは今も続いてる)

プロテインサプリ飲む(鬱の原因は栄養不足という言説を見つけたため)

ランニングなどの運動

ヨガストレッチ(ちなみにヨガストレッチの違いについてだけど、ヨガは(仏教における)悟りにいたるための運動。なので関節の可動域を無視したキモい体位をすることもある。いっぽうストレッチシンプルに体をほぐすという意味

心理学精神医学哲学を学ぶ(ユングカールロジャース加藤諦三とか)

自己啓発本を読む(カーネギーとか)

認知行動療法をする(iPhoneの口角カメラ自分が見られていないことを確かめるなど。これは効果あったかもしれない)

etc

だがこれらのほとんどは効果なかった。まってくなかったわけじゃあないだろうが。

いっぽう、まったく予想外の出来事が、対人恐怖のやわらぐきっかけとなることが多々あった。その出来事を列挙していく。

1つ目は、手術をしたこと。この手術がめちゃくちゃつらかった。いままでの人生で感じたすべての苦痛の総和くらいつらかった。あまりにも辛いのでナースコールを押しまくった。ふだんなら絶対に押せないがこのとき精神崩壊してたから押せた。でかすぎる苦痛の前に恥やプライドは消し飛ぶ。退院後、なぜか対人恐怖がやわらいでおり、コンビニくらいになら入れるようになってた。

2つ目は、信頼できる大人出会たこと。ニートだったとき就労支援施設でであったスタッフがめちゃいい人だった。その人にわっちの生い立ちを話した。まったく否定されずに、そしてびっくりするくらい熱心に聞いてくれた。その後、なぜか対人不安がやわらいだ。ブーバーの言う出会いによる癒しというやつかな。心の成長には他者との関わりが必要不可欠なんだなーとおもった。

3つ目は、メンタルクリニックで処方してもらったSSRIという薬を飲み始めたこと。SSRIうつ病不安障害の改善につかわれる。飲むと不安感がやわらぐ。この薬を飲みはじめてからめちゃくちゃ対人恐怖がやわらいだ。電車で目の前の列に座る人々をちょっと見られるようになったし、すれ違う人々の顔をちょっと見られるようになった。こんな日が来るなんて……本当に感動。しかSSRI断薬後に効果がなくなり元の状態に戻ると医師に言われた。そこはちょい不安

まあとにかく対人恐怖が治ってきて嬉しい&同じ境遇の人の参考になれば嬉しいという話でした。

2025-03-03

anond:20250303175227

自分も似たようなもんで、ただし増田よりも飼育歴だけは先輩だよ

声掛けはしたほうが絶対いいと思ってる、それから本当に「絶対に良い」のは、何をしゃべろうと高め・ゆっくり声音好意愛情をにじませること、この3点

うちは猫2匹で、もうどちらも高齢である

コロナ禍までは何をしゃべったらいいのかわから必要情報伝達しかしていなかったが、

コロナ禍以降、なんでも多めにしゃべるようにしたらてきめんに猫の態度が変わった

 

猫の認知能力はおそらく、あなた暮らしているペットよりも低い

から人間発声する単語意味まではほとんど理解しない

ごはん」「おやつ」「おかわり」「猫草」など簡単な数語を除いては、人間声音感情判断している

 

だがおそらくあなたペットも同じである

言葉理解するなら社会性が高い生き物でしょ?

声音感情を乗せるほうが重要ではないだろうか

 

声掛けは、とりあえず実況が基本

「今、お水換えてあげるね」「今日寒いから少し温めてあげようか?」「すぐ冷めちゃうけど…また温かいお水飲みたかったら言ってね」

「なあに?どうしたの?」(ついてこいという身振り)「なになに~」「ベランダ?猫草?」(にゃん!)「わかった、食べていいよー」

みたいな感じ。

 

褒めるときも語彙が少ないと思うのなら、分割したり部位を褒めたらいいと思う

「つやつやの羽が本当にきれいだね」「こんな純白のきれいな鳥が目の前に!私はなんて幸運人間なんだろう」「もう一生分の幸運をもらったよ」「本当にありがとう

あなたがこの世にいてくれて本当にうれしい」「あなたがいなくなったらこの世はどんなに惨めな世界だろうか、長生きするんだよ」「健康幸せでね」「飼い主も頑張るからね」「また美味しいものを一緒にたべよう」

「君は宇宙開闢以来、最高の鳥だよ…」「嘴本当にかっこいいね」「どうしよう!昨日もあんなに可愛かったのに、今日もっと可愛さが増している」「君の唯一の欠点を言い当ててみせよう、完璧すぎて欠点がないことだよ」

部位を褒めろと書いたのに、次々違うことを思いついたまま書いてしまった

とりあえず、部位にわけると良い

たとえば近くに来て目が合うとする、

きれいな目をしてるよね」「深い湖をのぞき込んでいるよう」「本当に癒される」「あなたの瞳はこの世のどんな高価な宝石よりもなお美しい…」「神秘的だ」

もういくらでも言える

これに全部、内心はどうでも、好ましい感情を盛りまくって好き好きという抑揚を乗せて言うんだ

それから顔を見てくる生き物なら、ゆっくりまばたきをするといいかもしれない

 

それから毎日違うことを言おうと気張らなくてもいい

毎日同じことを言ってもいいじゃないか

毎日好き、可愛い、大好き、今日もきれいだね、ふわふわだね、と言えばいい

それに天気の挨拶でも付け足せばいい「今日は晴れてるね、あなたの毛並みが映える」「今日は雪だから、おうちでゆっくりしようか、一緒にあったまろうね」

 

2025-02-13

同窓会で十数年越しに、また助けられた

私は中学受験を経て中高一貫校入学した。サッカー部に入った。そこで相田仮名)と出会った。相田は絵に書いたような良い人間だった。誰にでも優しく、気軽に話しかける。男兄弟が多い相田は女でも男っぽくて物事にははっきりと意見する。相田はそんな性格から先輩から可愛がられ、みんなを和ませようとお笑いに徹する奴でもあった。当然先輩から指名で学年のリーダーとして選ばれた。すごい人がいるんだなぁと私は彼女尊敬していた。

しかし、同じ学年の飯野仮名)が女らしい妬みで相田悪口を言いふらし、明らかに相田を嫌っていた。他の同学年部員からしてもこの根も葉もない悪口を言いふらす飯野は嫌いだったが、ボス猿のように態度がでかくヒステリックを起こす面倒な奴だったのでみんな飯野に乗って相田距離を取っていた。

はいじめられ経験もあって「こんなやつの味方になるかよ」と思って相田には普通にしかけていた。嫌われているのかなと落ち込んでいた相田に「嫌われて上等。無視して、人生楽しんでる姿見せつけたれ!」と偉そうに言ってしまった。実際私がいじめられていた小学生の時は無視で乗り越えていたのでそれしか解決方法を知らなかったのだ。

私は徐々に練習についていけなくなった。小学生中学部活レベルが違う。次第に足を引っ張る私が飯野の標的になった。そのころには飯野は先輩/後輩には可愛い面と態度で、同学年にはボス面でヒスっていた。くそアマがぁ…殴り合いしたら勝てるのに…と体格差的に思っていた。本当に夢小説に出てくる嫌味女そのものだった。

そんなある日、部活ミーティング部長から増田は一人で練習するな。もっと同学年と仲良くしろ」と公開お叱りを受けた。私は飯野のせいで一人で練習せざるを得なかったのだ。そんなんだったら一人でできるキーパーになってやるよとポジションを変えた。パス練習で明らかにハブられて、壁に行こうとしていた私に「一緒に練習しよう」と相田が言いに来てくれた。互いにショートヘアーだったので「短くしたとき親が嫌な顔してたね~」とかショートヘアー談義してた。

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人間関係が嫌になって部活に行く頻度が減った私に「今日は来れる?」「ちょっとだけでもいいからさ!」と励ましてくれた。私なんかいても空気悪くなるだけだし、中3の時辞めようかと思ってと伝えるといつも笑顔相田真剣に叫んだ。「嫌だ!増田だけだもん、ウチに意見を言ってくれるの!」

その時、私は合宿所で夜中、相田とおしゃべりしたことを思い出した。就寝時間まで自由行動だったため、私が探検がてら合宿所をウロウロしていたら、同じ考えだった相田出会ったのだ。合宿所の玄関でお互いの兄弟についてや進路について語ってた。家庭内相談ばっかだった。私は馬鹿なので「それやば!」「大変だね」しか返答できなかった。ごめん。相田お菓子禁止の家なので「お菓子密輸ならまかせな!」くらいしかりあること言えなかった。先生寝る時間だぞと言われても飯野のいる部屋に帰りたくなく、怒鳴られるまでそこで話してた。

それもあり、相田は良い奴だからと辞めるのを悩んでいたが、心身ともに疲れたうえに他の1人が辞めるというので一緒に辞めた。

部活辞めても友達からね!」と言われた私は小学生いじめられたトラウマで「あぁ…うん」と微妙な返事しかできなかった。

この微妙な反応をしてしまったのを私はずっと悔やんでいる。

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そこから相田クラスも違うし、関わらなくなった。高校になると学年の中でも生徒会長の次に有名な相田になっており、人望あり・信頼あり・成績優秀。私はひっそり見上げるだけの存在になっていた。すべてができる相田尊敬していた。最高の陽キャなのだ。私はオタク面白女の位置だったらしく、ネットことな増田に聞こう!と学年で噂の辞書ポジションになっていたので関わりは無くなってた。今思えば「"ぬるぽ"と言うのは…」と説明していたのきしょすぎる。AAも教えていた。殺してくれ。

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高3の時、相田最初最後の同クラスになった。その時に一度だけ隣の席になった。

道徳保険か忘れたが、授業で隣の人の手を握って10個褒めましょうな時間があった。女子校なのにみんなデレデレしていた。やっぱり面と向かって褒め合うのは恥ずかしい。

相田も例にもれず恥ずかしがっていたが、私は早く終わらせないと最後に目立つと思い、相田の手を取って「さっさと言えば恥ずかしくないから」と言い、相田は「ウチから話す!」と「面白い、相談乗ってくれる、優しい、頼りがいがある、背が大きい、力持ち…」。すげー恥ずかしい。カーストてっぺん太陽キャ優秀で尊敬している相田に褒められている状況は、学校帰りにお小遣い音ゲーに使っていた私には眩しい。

増田、絵描くよね。ほんと上手だなって思っていて、羨ましい!でもまだまだって言うよね?すごい!センスある!」と言われた。当時は絵ばっかり描いてオタクしてて親から受験が成績がどうのこうの責められていた時期だったから、嘘でも御世辞でもすごく嬉しかった記憶がある。

私も相田を褒めた。「二次元にいるような素晴らしい性格、まさに主人公」とかばあほみてぇな褒め方した。黒歴史である最後の1個焦って「可愛い!」と言ったら互いに顔真っ赤になって、相田がふざけ始めなかったら百合漫画になって危うくLove so sweetが流れ始めるところだったなァ!ってふざけて直接言った。爆笑してくれたからよかったもののの、キショい。セクハラから永久凍土に埋めてほしい。

センスあるという言葉が残っていて、「センスあるのかな」と別の文化部に入っていたので賞に応募したら一度だけ賞を取った。それでAO入試を応募する気になったので、相田には大人になった今も感謝している。

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そんなエピソードがあったが、卒業後は所属しているグループも違えば私はTwitter、あっちはインスタ・FBくらいの違いがあるので会う事も話す事もなくなった。

そしてこの前高くて高いホテル同窓会があった。出席簿をみたら相田も参加していた。でもしばらく話していないしなぁと思って、私はいまだに関わっているオタ友と喋っていた。そしてお手洗い離脱をし、途中の夜景が見えるところでガキみたいに「うぉ~すげ~」と小さい車や残業の光を見ていたら声をかけられた。

相田だった。まさか声をかけられるとは思っていなくて不細工な顔をしてしまった。っというかこんなドラマみたいな再開あんかい!とかキショイ突っ込みをした。バカが。

でも相田は「さすが増田面白~い!」と笑っていた。その後は仕事の話や他愛のない話をして開場まで歩いた。

「私の事よく覚えていたね」と謙遜したら「友だちじゃん!」と返され、相変わらず良い奴だな~と思った。

「今も絵描いているんだって?」と聞かれたので「うん。楽しくてね」と返した。私は一次創作趣味で嗜む程度である。「プロにはならないの?」「まぁなれたら嬉しいけど…」「なってよ!」

ずいッと身を乗り出して言われた。「いやいや、もう年だし、今の仕事楽しいし、フォロワーも数百人だし、それに一度も佳作すら…」と続けて言い訳したら「嫌だ!頑張ってる増田もっと見たい!」と言われた。

「恥ずかしい事よくいえるね」と照れたら「だって見てるもん。Twitter!」

???????????????????????????????????????(ここに宇宙猫)

青天の霹靂、驚天動地、寝耳に水。い、いつから

学生の頃から、今もたまに見てる」

アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ??????!!!!!!なんで知ってんねん!!!!!!!!!!!!!!!

「どうじんし?ってやつ?どこかで売ってるんだよね?」

「待て!」

増田の絵好きなんだ。羨ましい!この前の絵もめっちゃ上手だったね!」

「待て!」

卑しいものは描いていない。いたって普通の全年齢の漫画イラストだ。でもこんな、よりにもよって、尊敬していた人間に見られているという事実が!

その時ニタ~っとのぞき込んで笑う相田の顔が今も忘れられない。からかうのが好きな相田だと忘れていた。

「だから、やめないでよ?好きなんだから」そう相田は言い、他の人に呼ばれて会話は終了した。

いまだに私の絵を好いているなんて思いもしなかった。

でもずっと一次創作して「何やってるんだろう…」と落ち込んでいた時期でもあった。なんだかな。まだ私の絵を羨ましがってくれている彼女のことを思うと、続けているのは間違いじゃなかったのかなぁと思う。正解や不正解なんてないけど、これが理由でもいいかなと思う。むしろ彼女が寂しがらないようにプロにならなくとも続けようかな。プロを目指す人には敵わないけど、もう少し持ち込みやコンテストも頑張ってみようかな。忘れないように書き残しておこうと思った。

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2025-02-07

金曜日の朝はパンを食べた。それからお腹いっぱいになるまで本を読んだ。それから朝食を食べた後本棚をゴソゴソした。昼食にごはんを食べた。夕方仕事が終わってからアルバイトが終わって家に帰ってくるまで数分間だ。それとは別に、一時間、一時間、本のどこかをのぞきこんで読み返すのが好きだった。それまでは暗い気持ちで何も見えなかった。でも今はそれが出来るようになった。一冊の本を片手に、ちょっと本棚へと向かい、暗

Anond AI作成

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する②

【前】anond:20250102171528

1-07「ハワーズ・エンド」E・M・フォースター 吉田健一訳★★★★

人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする。

続く三冊は二〇二一年頃の別のエントリで一度褒めている(anond:20210301080105 とか)。

この本は場所への執着や記憶をもとに二つの家族の話を物語っている。一時期なぜか「インドへの道」や「眺めのいい部屋」、それから天使も踏むを恐れるところ」を立て続けに読んだのだが、今になって振り返ると、なぜそんなに良いと感じたのかが、記憶からすっかり抜け落ちている。土地や家に対する執着やそれにまつわる因縁がどぎつくはないがちゃん表現されていたからかもしれない。漱石っぽいと日記に書いていたのだが、では漱石っぽさとは何なのかがよくわかっておらず、逆に漱石英文学っぽいのかもしれない(関係ないけど、夏目漱石を久し振りに読もうと思ってパラパラとめくっていたら、当時の知識人のひけらかしが今の大学生っぽくてなんだか恥ずかしくなってきた。あと、漱石長編って貨幣経済というか金の話ばっかりだけど、その萌芽って「坊ちゃん」で山嵐と金を受け取るか受け取らないかで意地の張り合いをしているところにある気がする)。

このエントリにしたって、自分過去の好みや性癖について書いてはいものの、ではなぜそんなに当時は好きだったのかが、いま一つ理解できなくなっていて、過去日記を読み返しても想起できないことが多々ある。もっときちんと日記感想文を記しておけばよかったかしかし、ある時期はまるで依存するかのように活字に触れていた。落ち着いて感想を書きとめる間もなく、浴びるように濫読していた。現実から目を背けるかのように書物に埋没していた。フィクションだったら何でもよかったのだろうか。そう思うと少し悲しいが、その濫読が今の感受性を作っているのかもしれない。

1-08「アフリカの日々/やし酒飲み」イサク・ディネセン 横山貞子訳/エイモス・チュツオーラ 土屋哲訳★★★★★/★★★★

イサク・ディネセン「アフリカの日々」は最高だった。とかく植民地としてのアフリカ収奪貧困という文脈から語られやすく、確かにそうなのだけれど、でも場所によってはコンゴ自由国ほど滅茶苦茶ではなかったし、では具体的にはどんな感じだったのかをこの本は見せてくれる。中にはこの著者のように、当時の人種的偏見という制約はあるにせよ、相手文化を知ろう、誠実であろうとしている人もいたのだろう。「ライ麦畑」でホールデン少年が褒めていたのもうなずける。

からと言って歴史正当化できるわけではないのだが、感情だけで歴史議論をしてはいけないし、知識がないのに印象だけで語るのはきっと同じくらい罪深い。当時生きてきた人たちの存在無視するわけだからね。黒人白人って軸も実はけっこう解像度が荒く、事物単純化を含んでおり、特定の側面はアメリカ合衆国特有だ。この著者はデンマーク人で直接の宗主国人間ではないし、アフリカにはインド系など様々な人々が暮らしている。

エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」は神話なのでツッコミ不要だしツッコミ不在だ。

世界神話を読んでいると、なぜか人類創造前なのにその辺におじいさんとおばあさんが住むんでいたりするし、天地開闢以前なのに山や川があるし、神様人間の違いがいい加減だったり、普通に変身能力があったりするし、この小説にも日本神話にもそうした側面がある。とはいえ神話ゴリゴリしたロジックを求めてもしょうがないのであり、「こうして今ある通りの世界社会が成り立っているのです」と語ることに意味があるのだろう。なお、アフリカ文学と聞くと個人的アチェベが最初に出てくるんだが、それとは別に祖父本棚から貰って来たアレックスヘイリールーツ」はまだ積んである

1-09「アブサロム、アブサロム!ウィリアム・フォークナー 篠田一士訳★★★★★

これは別の友人が薦めてくれた本。彼は「おっさんになると文学が読めなくなり、生物学歴史の本ばかり読むようになる」と言っていたが、本当にそう思う。和訳で二十巻くらいある「ファーブル昆虫記」とか数年前に読んだし。なお、熱量ヤバいのでこれ以外のフォークナーの本は読めていない。

語り手が複数おり、時系列バラバラなので(クンデラも星を五つ付けてた。自覚してなかったけど、僕ってこういう時系列シャッフルが好きなのかね?)、一見とっつきにくいのだが、情報を整理しながら読んでいくうちに、これはサトペンという男の一代記であるとわかる。肉体を鍛えてひたすらタフになり、若いころの屈辱に対して復讐するかのように、妄念によって偉大なる一族の祖になろうとした男だ。ひがみ、妬み、怒り、そうした感情を持った物語に僕はついつい引き込まれしまう。最初の妻に黒人の血が混じっていたと言って離縁し、別の妻と結婚した結果、それぞれの家系に不幸な子孫が生まれ続けていき、とうとう滅んでしまうのだが、それはサトペン貧困ゆえに受けた一つの屈辱からまれたのだと思うと、まったく救いがない。しかし、この熱量に負けて読んでしまった。

ただタフになりたいと言っている人間は、どこかで涙を流さないとマシーンになってしまう。村上春樹海辺のカフカ」を読むとわかる。

ところで、フォークナー日本を訪れて「私も敗戦国人間です」と言ったそうだ。胸を張って祖国を自慢するのにためらうような、この南部アイデンティティのことを、BLM運動燃え盛っている時に、思い出していた。

世代にわたる大河小説と言えば、最近学生時代から積んでいた北杜夫「楡家の人びと」を読み終えた。今になって読むと、これは経済的には恵まれているが機能不全を起こした家庭が崩壊していく話で、北杜夫尊敬していたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」とはまた別の嫌な没落ものだった。どちらも、最後世代の一番情けのない甘えん坊で覇気のないやつに自分を重ねて読んだのである

全くの余談ではあるが、どうも自分は影響を受けやすいらしく、明治から昭和舞台にした小説を読むと、いつの間にか米国憎しみたいな気持ちがうっすらと育っていくので、無意識に影響を与える点ではSNSの悪意を持ったアルゴリズムは同じくらい怖い。

1-10アデンアラビア/名誉戦場ポール・ニザン 小野正嗣訳/ジャン・ルオー 北代美和子訳★★/★★

実はどちらも内容をほとんど覚えていない。

とはいえポール・ニザンアデンアラビアのように若い人間が、抽象的な何かを抱えて異国をさまよう話というのはそれだけでいいものだ。そこからしか得られない心の栄養がある。自分が何者になるかがまだわからない頃にしか書けない/読めないものがある。池澤夏樹のこの全集にもそういう話がいくつか納められている。

ジャン・ルオー名誉戦場過去大戦の傷跡がうっすらと書き込まれているらしいのだが、当時の僕にはまだ読み取れなかった。おじいちゃんヌーディストビーチのぞき散歩しに行ったエピソードしか覚えていない。

手に取った小説がとても長かったり、プロットが入り組んでいたり、暗喩がわかりづらかったりと、読むのに訓練がいるものだったりして、結局理解しきれないことがあるけれども、そうした文学を読む力(あらすじや登場人物やその関係性を記憶する力)を養うには、結局そういう本を気合で読み進めなければいけなんじゃないか文学案内や文学の読み解き方を勉強せず、裸一貫でドン・キホーテよろしく風車突撃していった僕なんかは、そう思うのである

1-11「鉄の時代J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳★★

アパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで、一人暮らしのおばあちゃんが(調べたらがん患者だった。記憶からすっかり抜け落ちていた)、黒人スラム街に紛れ込み、こうなったのは誰のせいだ、お前らのせいじゃないかイエスかノーかで答えろ、みたいに言われる話だ。大体クッツェーはこういう政治的な話が多い。

二分法はそもそもきじゃない。もともと自分は口下手で、話をしっかり聞いてもらいたい方であり、こちらの話を聞かずに一方的に話をされるのが嫌いだ(その場でうまく言い返せないからこうして延々と文章を書き綴っている癖がついてしまっている。とにかく僕は延々と気が済むまで言い訳を聞いてほしいし同情してほしい)。

正義である我々に味方しなければ、お前は悪に加担したことになる。似たようなことを米国SF大会で述べた人がいたね。個人的には、社会正義理屈としては正しいと思うけれども、好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。この二つは全く異なる軸だ。お前は明日死ぬかもしれないというのは論理的には正しいが好きではない、というのにちょっとだけ似ている。まったく別の評価軸で、両者は重ならない。

うっすらした類似でいえば戦争責任にも似ている。「なぜ生まれる前のことに取りようがない責任を取らねばいかんのか?」ということでもある。あるいは、メンタルが弱っているのに、「あなた人生あなたしか責任が取れない」と言われ、ますますしんどくなるのにも似ている。どちらも「責任」が絡んでくる。誠意ってなんだろうね?

やっと納得できたのは、アイヌ民族議員である萱野茂がある本で書いていた「こうなったのはあなたのせいではないが、この状況をただす力をあなたは持っている」という趣旨言葉で、これは「責任」を「重荷」や「義務」や「罰」ではなく、「現状を少しでも良くするためのパワー」という肯定的言葉で語りなおしている。責任という言葉は、人によって使い方に若干のずれがあり、だから違和感があったのかもしれない。。

とはいえ、そこまで考えている人は少なく、九割の人は自分立場の都合しか主張しないし(ただし、そのパワーバランス民主主義機能している可能性はある)、それどころか自分とは違う属性を平気で差別している例も多々ある。被差別民女性を、女性障害者を、障害者外国人を、自己正当化する理屈と共に平気で見くだし、差別する例をすべて見て来たし、アラフォーになってしまった今でも、サリンジャーライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン少年みたいに、多くの活動家安易SNSで「いいね」を押す人々を「あいつらはインチキだ!」と独善的糾弾してやりたい思いは消えない。他人言葉は信じられない。納得できるまで自分で考えるしかない。とはいえ、あらゆる憎悪も究極的には自分や身内が安全でいたいという素朴な願いから来ているので、相手批判しても全然解決しないんだろうな。

1-12アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 」エルサ・モラン中山エツコ訳/ナタリア・ギンズブルグ 須賀敦子訳★★★/★★★★★

この作品も一度褒めた。

エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」は息子を放置して放浪を続ける主人公の父が、同じくらいの年頃の義母を連れて帰ってくるんだけど、主人公がその義母に対して屈折した気持ちを持ち続ける話だった。確か恋愛感情にはならなかった気がする。完全にネグレクトだし、主人公愛情というか思慕は義母ではなく実の父に向かっている。この父親のように感情表現できない、義務だけで動く男性キャラにひかれていた時期があったのだけれども(1/12追記:この父親義務で動いているわけじゃなくて、一般的義務で動くキャラって意味感情表現しないという部分だけが共通)、それは何でだったかはよくわからない。当時の自分がやらねばならないことで動いていたからかもしれないが、その結果として案の定心身の調子を崩した。父に対する巨大感情という意味ではエヴァンゲリオンじゃんという気もしないではない。あれにも同い年の「母」が出てくるし。シン・エヴァンゲリオンではちゃん父親内面が出てきたけど、この作品では記憶にある限りでは出てこない(何となくだが庵野秀明といい村上春樹といい、多くのクリエイターは親が世を去る頃になってやっと親を直接扱うようになる気がする)。

閑話休題、大体、やらなければならない義務を果たすのだけが行動原理になると、晩年に「この人生は一体何だったんだ」とカズオ・イシグロ日の名残り」のように嘆くことになる。カズオ・イシグロは長篇を全部読んで、「この作家別にそこまで好きじゃないな」って気づいたんだが、「日の名残り」は別格だ。

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」書簡体小説で、親しい友人のSNSでいうクラスタというか、友人の輪とその周辺のやり取りをずっと追い続けていて、近づいたり離れたりという感じが、人生のある側面を忠実に表現しているみたいで好きだった。ちょうど周囲で結婚ラッシュが起きたり、ちょっとした行き違いで不仲になる友人を見て来たころだったと記憶している。この人の作品は良くて、ずっと不機嫌なお父さんが出てくる「ある家族の会話」など何作か読んだ。

あと、須賀敦子いいよね。誠実な翻訳をする人の書く文章は、そもそも美しい。

続く。

2024-12-22

マックおじさん予備軍かもしれない😫

マックおじさん自宅に防犯カメラつけて警戒してたらしいけど。

ワイも玄関のぞき穴にWEBカメラしかけて24時間PC監視してる。

人が通ったら検知してメールでお知らせするシステムも構築。

ちなみに隣の工場勤務のおっさんは昨日から一歩も外に出ていない模様。

2024-12-21

他人との関係について 他人に興味を持つこと、他人大事にすることについて雑感


自分は、他人に興味がない

というと大げさだけど、他人への興味がやや薄い。


さら他人からも興味を持たれない。

セールスポイントがない。

仮にこちらが薄っすら興味を持ったとしても、向こうから反応がないので関係スタートしない。

そういう人も多いのではないか


また他人に興味を持つといっても、中年から興味を持たれても困るだろうから、むしろ持たない方がマナー的に良いのではないか


そして他人に興味が強い人って、大体うわさ好きで、話のネタを集めてるような人に思えてしまう。

自分情報は出さず、他人生活のぞき込むタイプ

そういうのより、興味薄タイプのほうが、無害じゃないかな。


若い頃も、仲間を大事にする、という美徳があるのは分かるけど、どうやって大事にしていいかからない。

そもそも仲間ってなんだろう。なんで大事にするのだろう、と考えてしまう。

大体、自分他人や仲間から大事にされたと思えたこともないし。


その延長で、今も他人にやさしくしたり大事にしたりということが、なかなか芯からピンとこない。

反面、親切にするのは結構好きなのだ

親切は責任がないからか。

目の前の人に親切にすることは、むしろやってあげたい方だが、

長期間わたり特定の人に情をかけたり、心配したり、手助けしたりということができないし、特にしたい人もいないし、関心がない。


高齢になり、孤独人間が増えることは社会問題だという。

頭では分かるけど、当人たちは案外孤独を感じていないのではないだろうか。

他人にも社会にも、そもそも期待薄というか。


何かの症状なのかな

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他人が何をしたかという近況報告会もやや苦手。

何をしたかという行為の羅列的で頭の中を通り過ぎて行ってしまう。

そこで何を思ったか、考えたかまで深まると面白いと思えるだろうと思う。

2024-12-03

光源氏現代

光源氏視点

りっぱな一人前の女性に完成されている体を見ると、もうセックスしてもよい時期に達しているように思えた。

おりおり誘う言葉を向けても紫の君にはその意が通じなかった。

 源氏は姫君の住む場所に入り浸り、扁隠しの遊びなどをして日を暮らした。

姫君のすぐれた芸術的な素質と、頭のよさは源氏を多く喜ばせた。

ただ肉親のように愛撫して満足ができた過去とは違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさは堪えられないものになって、

いつものように一緒に眠ることになった晩、いきなりレイプした。

翌朝、他人の目には違って見えることもなかったのであるが、源氏だけは早く起きて、姫君は寝込んだままだった。

・その後の紫の君視点

頭を上げて見ると、結んだ手紙が一つ枕まくらの横にあった。なにげなしにあけて見ると、

「どうして長い間何でもない間柄でいたのでしょう幾夜も幾夜も馴れ親しんで来た仲なのに」

 と書いてあるようであった。

源氏にそんな心のあることを紫の君は想像もして見なかったのである

なぜ自分はあの無法な人を信頼してきたのであろうと思うと情けなくてならなかった。

昼ごろに源氏が来て、

「気分がお悪いって、どんなふうなのですか。今日は碁もいっしょに打たないで寂しいじゃありませんか」

 のぞきながら言うとますます姫君は夜着を深く被いてしまうのである

女房が少し遠慮をして遠くへ退のいて行った時に、源氏大人の形になった性器を擦り付けて言った。

「なぜ私に心配をおさせになる。あなたは私を愛していてくれるのだと信じていたのにそうじゃなかったのですね。さあ機嫌をお直しなさい、皆が不審がりますよ」

夜着をめくると、姫君は汗をかいて、額髪もぐっしょりと濡れていた。

「どうしたのですか、これは。たいへんだ」

 いろいろと機嫌をとっても、紫の君は心から源氏を恨めしくなっているふうで、一言もものを言わない。

「私はもうあなたの所へは来ない。こんなに恥ずかしい目にあわせるのだから

自分言葉に悲しむ姫君を見ながら、源氏はむしろ興奮していた。

2024-11-08

私の母は狂人だった。私が母に母らしい親しみを最後に感じたのはいつだったか

この人が母親であることが嫌だなと思ったのは、中学校三者面談の時に、

私が担任に褒められるとみるや否や、

「うちの子は親の敷いたレールの上をただ走ってるだけですから

と言い放った日のことだ。

私も担任先生も目を丸くして驚いた。

思えば中学くらいから母はおかしかった。

きっとその前からおかしかったのだろうが、中学くらいからはっきり「この人はおかしい人だ」と思うようになった。

私が少し学校のことで愚痴を言えば、学校クレームを入れた。

私が「学校先生には電話しないで。家で文句言ってるだけだから」と言っても、

学校クレーム電話をかけた。

困った私は次の年に担任になった先生

「母は私の言ったちょっとしたことをわざわざ学校電話をするところがあるから

もし母が電話をかけてきたら話だけ聞いて、あとは無視して、私に電話があったことを教えてください」

とお願いをした。

その年は3回、担任からカーチャンから電話があったぞ」と言われた。

大学一人暮らしを始めようというときに、私は新居に向かう道に迷ってしまった。

母に「マンションって駅出てどっちの方向に向かって歩けばつくんだっけ?」と電話したら

「はぁ?あんた何意味の分からないことを言ってるの?」と言われた。

かに自分がこれから住む家への道のりを忘れる私も私なので、

「ごめん、分かんなくなっちゃって。私方向音痴だし」と応じたが、

「何言ってるの?意味の分からないことを言わないで」とよく分からない回答。

その後何度状況を説明しても、

意味が分からないわよ」「道が分からないって何」「どういう意味なの」

と全く会話にならない。

怖くなったので適当な方向に歩くことにして電話を切った。

家には無事たどり着いたが、その後、「道は分かったの?」と聞かれて、ますます怖くなった。

「なんであんな訳の分からない対応したの?」と聞いても、「別に」としか言わなかった。

本格的におかしくなったのはそれから2年くらい経ってから

父の転勤で両親はまた新しい土地暮らしていた。

だが、その土地は父にも母にも、合っていないようだった。

よく二人からその土地悪口を聞いた。

あるとき帰省をしたら、母が運転中にこんな話をし始めた。

「私の通ってるジムインストラクターさんがね、私のことを好きになっちゃったみたいで困ってるの」

20代の子なんだけどね、ほら、私って楽しそうに何でもするでしょう。

から、それがすごく良かったみたいなの」

「でもね、そのインストラクターさんには婚約者の人がいてね。

から私に嫉妬して、いろんな人を使ってあとを付け回すようになったのよ」

「ほら、この後ろの車もそう。」

母は著しく車の速度を落として、バックミラーを睨みつけた。

あなたも一緒ににらみつけてやってよ。」

私には、時速50kmは出すような道で、時速20kmで走られて困ってる老夫婦がいるようにしか思えなかった。

私は「ねぇ、そんな遅く走るの逆に危ないよ。事故に遭うからやめなよ」と言ったが、

「何言ってんの、あいつらは私に嫌がらせをしてるのよ!」と言って聞かなかった。

「いや、他の車の迷惑からやめなって」と言うと、母はしぶしぶ普通の速度で運転をし始めた。

「あの人たちがその婚約者の人の仲間だなんて証拠あるの?」と聞いても、

「私には分かるのよ」としか答えてくれない。

家に帰ってもその話は続く。

「その婚約者はね、嫉妬から呪いをかけてね、電球の中に狐を送り込んできたの。

見てごらんなさい、狐がいるでしょう」

どれどれ、と家の電球のぞき込んだが、私には狐を見つけることはできなかった。

暗くなって、部屋の中に車のライトが入ってくると、「きゃあ!」と母が叫んだ。

「狐、狐よ!ほら、狐の目を光らせているのよ!」

「車のライトだよ」と言っても、狐だと言って聞かない。

「こうやってね、光を部屋の中に入れて、私のことを焼いてくるのよ』

「ほら、みて、これが光で焼けたあとよ!」

そう言って、どう考えても腕に出来た老化によるシミを見せられた。

まりかねた父が「そんな光線なんて送れるわけがないだろう!そんな装置は何億とお金がかかるんだ!」と怒った。

母は負けじと「そうよ、その婚約者お金持ちだから、何億でも使って私に嫌がらせをするのよ!」と言い返した。

お金を積んだってなかなか手に入らないだろそんなものあなたの肌だけを焼く装置なんてありえない。

そんなものNASAとかそういうところでしか作られないんだ!」

どうして父がアメリカ航空宇宙局名前を出したのか、あまり脈絡がなくて不思議に思った。

父は父なりに、母にも分かる「なんだかすごいところ」の名前を出して、説得しようと必死だったのだろう。

父の努力もむなしく、母は「私はNASAに狙われるほどの特別人物だ」と豪語していた。

私は一人暮らしの家に帰るときに、父に「病院に連れてった方がいいよ」と伝えた。

数カ月くらいで、母は変なことは言わなくなった。


あれから何年たっただろうか。

それなりに穏やかに暮らしていた母から、こんな連絡が来た。

「向かいの家の大学生の男の子に、一日中ずっと部屋を覗かれてるみたい」

もし忘れていられるとすれば、私は母のことを忘れていたいと思っている。

遠くに住んで、たまにおしゃべりするだけの存在だったらどんなに楽かと思う。

でもどうやらそれは難しいようだ。

2024-11-02

anond:20241102082813

不登校過去最多な件についてはどう思う?

学校クラスメイトを「〜さん」と、さん付けで呼び、あだ名は許されない

肌を見られるのが不快からジェンダーレス水着かいう長袖の水着で隠す

修学旅行で異性の部屋をのぞきに行くとか、もってのほか

当たって砕けろの告白は、告ハラから無理

掘り起こされての炎上リスクで、若気の至りも、やんちゃ もできない

ハラスメントに極めて敏感

体罰が消えたのは良いが、暴力の耐性がまったくない

アンパンマンさえ怖くて見れない子

昔よくやられてたようなデブチビ貧乳をいじったりは不可能

たとえ本人が嫌がってなくても

価値観アップデートとは言うけどさ

『心を鍛える方法』をアンインストールしていいのか

2024-11-01

何で「女は強盗強姦魔抵抗しちゃいけない」なんて考えがあるんだ?

関連URL

夜中ふと目が覚めたら知らない男の人が顔のぞきこんでて、命の危険感じたから枕元に置いてた鉄製のゴミ箱顔面殴り続けた話 - Togetter

https://togetter.com/li/2457711

だって強姦魔に襲われた女性に「抵抗せず大人しく犯されるべきだった」と諭す人はいないじゃん?

(俺は諭すよ!という人はこの先あなた関係のない話が続くのでブラウザバックしてほしい)

 

それがどうして犯人目的に金が加わっただけで

「殺される危険があるのだから抵抗すべきではなかった」と言う意見ポコポコ出てくるんだ?

抵抗したら殺されるかもしれないのはただの強姦魔でも同じだろうに、なぜ?

 

たぶん「強盗には抵抗せず大人しく金を渡せ」という

身体安全と金が交換条件になっていることが大前提ベストプラクティスとごっちゃになってるのと、

強姦障害行為だと思っておらず女性我慢すればそれで後遺症もなく済むと思っていることの

合わせ技だと思うのだけど、それで判定バグらせて抵抗した女性を嗜めるのはよろしくないと思うんだよな。

もう一度訊くけど、金関係なくただ襲われた女性には「抵抗すべきではなかった」なんて言わないよな?

金が目的に加わっても同じことだよ。

 

上記Togetterブコメ には流石に女性積極的に叩くコメントはないが、

"女性抵抗=推奨できない行為"とごく自然認識しているコメントが人気ブコメにもある。

そんな訳ない!何度も言うけど命の危険があるのは単なる強姦でも同じ。

その理屈だといかなる暴行女性はいったん我慢して受け入れなきゃいけなくなるぞ!

2024-10-23

地方国立大修士修了って会社はいってどういう仕事してるんだろ?いわゆる研究職は旧帝大が独占してるからムリだろうし

工場ラインとかで現場監督っぽいことしているのかな?テレビでみたラケットラバーの開発現場では、球をひたすらはねかえすマシンそば

ノーパソもちこんだ兄ちゃんが画面のぞきこんでいた。あれくらいの仕事なら地底でもできそう

2024-10-22

anond:20241022095309

セーフ区間 ---------------

アウト区間 ➖➖➖➖➖

肉まんを、 万引きして、同じ肉まんを棚に戻す

.-----------➖➖➖➖-----------------------

スカートを、のぞいて、それが本人にバレる

.-----------------------➖➖➖➖➖➖➖

万引きでは、万引きした以上、戻すまでの時間がどれだけ短くてもアウト期間は必ず存在する。

から、どう頑張っても犯罪

スカートのぞきでは、バレないように努力し続けれてアウト期間を生じさせなければ犯罪ではない。

ただし、未来のある時点でバレたら、その瞬間から犯罪になる。

時効など色々をデフォルメしたが大体イメージはざっくりこんな感じかと思う。

anond:20241022094223

「バレないのぞき犯罪じゃない」は正に、教育のシーンで問題があろうよ

親が、逆上がり練習スカートの中をのぞいてしまった息子に

「のぞいてるのがバレたら女の子は傷つくでしょ? バレないようにのぞきなさい

と教えていいのか

2024-10-18

anond:20241018110054

自称から知らないし興味ないな。サウナでもいってのぞき込んでくれば?

2024-10-07

anond:20241007203354

クロコダイからみればワシらが居るこの世界異世界なんや

せやから死んだ!とおもたら読者になって週ジャンのページで自分の殺られたコマのぞきこんどった、ゆうんが彼にとっての異世界転生や

2024-10-03

児童への性犯罪を減らせない日本版DBS【再犯率調査

2024年6月に成立した日本版DBS。学校保育園などの職員職員希望者の性犯罪前科を調べることを義務付ける制度です。

目的はもちろん教員等による性犯罪から児童を守ることです。

性犯罪者が子どもたちに近づけないようになる。なんかすごくいいことのように聞こえる。

でもふと疑問に思った。

日本版DBSって本当に児童への性犯罪を減らせるの?というか他人前科を調べられるような制度を作っていいの?」

一応言っておくと、私自身は性犯罪前科前歴はない(というか前科自体ない)。だから日本版DBSができたとて、メリットはあれど困ることは一切ない。

でもどうしてもモヤモヤするので、そのモヤモヤの原因も含めて色々と思うことを書いていきたい。

※実際書いたらめっちゃ長くなったので、モヤモヤの原因は別の日記にまとめました。

性犯罪者への再犯防止策にモヤモヤを感じる【日本版DBS】

https://anond.hatelabo.jp/20241003193025


性犯罪再犯率は高いのか?

日本版DBSで対象となるのは性犯罪再犯者のみ。

そもそも再犯率が低ければ、対象者も少なくなります。当然、日本版DBSの効果も期待できなくなります

ところで性犯罪全体については、すでに↓である程度議論しつくされています

性犯罪の「再犯率」が高いという印象操作

https://anond.hatelabo.jp/20230628095342

なのでここでは「小児型の性犯罪」に限定して調べてみたい。

ちなみにデータほとんど平成27年犯罪白書ソースです。なぜ平成27年度かというと、この年に性犯罪特集があって、色々なデータが公開されているから。

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/mokuji.html

1.小児わいせつ・小児強姦再犯率

性犯罪特に子供に対する性犯罪は何度も何度も繰り返し行う、いわば依存性のある犯罪であるというイメージはないだろうか。

もし依存性のある犯罪であるならば、再犯率は当然高くなる。そこで再犯率確認したい。

小児わいせつ型…約9.5%

小児強姦型…約5.9%

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_4_4_2.html

※小児とは13歳未満を指すので、だいたい小学生卒業までの子ものこと。

※この再犯率裁判確定の日から5年の間に、再び性犯罪を犯した人の割合のこと。

最も再犯率が高いのは痴漢型で36.7%にもなる。他の性犯罪類型比較しても、子供への性犯罪再犯率が高いとは言えない。

ちなみに性犯罪全体の再犯率が13.9%です。

残念ながら性犯罪以外の犯罪再犯率データは見つけられなかった。

だが子ども家庭庁の「「性犯罪再犯に関する資料」で下記の記載があったから、おそらく他の犯罪比較しても、子供への性犯罪再犯率が高いとは言えないだろう。

一般的に、再犯を繰り返すことが多いと認められる他の犯罪として、薬物犯や窃盗犯が主に挙げられる。これらの犯罪より再犯率が高いわけではないとしても…」



2.小児わいせつ・小児強姦再犯者率

よく「再犯率」と間違えられる「再犯者率」

再犯率検挙等された者が、その後の一定間内に再び犯罪を行うことがどの程度あるのかを見る指標

再犯者率…検挙等された者の中に,過去にも検挙等された者がどの程度いるのかを見る指標

まり再犯率は「犯罪者が未来において、犯罪を行うか?」を見る指標です。繰り返し同じ犯罪を行うと、再犯率は上がります

それに対し再犯者率は「犯罪者が過去において、犯罪を行ったか?」を見る指標です。再犯率が高い場合や初犯が減ると、再犯者率は上がります

日本版DBSは再犯を防ぐ目的なので、本来再犯率を見るべきだと思います

一方でもし性犯罪再犯者率が高い(=初犯が少ない)とするならば、再犯防止に力を入れるのは合理的であると言えるでしょう。数の多いところに対して、対策を打つというのが最も効果的だからです。

では再犯者率はどうか。

小児わいせつ型…14.6%

小児強姦型…12.2%

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_4_3_3.html#n2_6_4_3_3_2_03

85%以上は性犯罪前科がなかったようです。再犯者率は高いとは言えません。

ちなみに刑法犯全体の再犯者率は47.9%なので、他の犯罪比較しても高くないです。

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/70/nfm/n70_2_5_1_0_1.html

3.教職員性犯罪

いくら再犯率が少ないといっても、再犯者のうち教職員の占める割合が高いなら、日本版DBSは効果的かもしれない。

ところが性犯罪者の教職員の占める割合なんてデータは見当たらなかった。せめて子供がどういう経路で犯罪被害を受けたのか(SNS、親、見ず知らずの人、教員)というデータがあればよかったのだが、見つからない。それに、そろそろ探す気力もそろそろ尽きてきた。

一応、公立小学校高校までの教職員懲戒処分等の状況はあった。

児童生徒等に対する性犯罪・性暴力により懲戒処分を受けた者は96人」

https://www.mext.go.jp/content/20221222-mxt-syoto01-000019570_00.pdf

……いや結構多いやんけ。

まあ全教員数のうち0.02~0.01%くらいなので、割合としては少ないのですが。教員けが再犯率が高いとは考えにくいから、小児わいせつ型で約10%の再犯率になるだろう。96人の内、10%なので約10人。

日本版DBSで防げるのは、この10人の内、再び教員に就こうとした者のみ。ということは、防ぐことができる再犯者の数は数人程度ということになる。

ちなみにこの懲戒免職は「強制性交等、強制わいせつ児童ポルノ法第5条から第8条までに当たる行為公然わいせつわいせつ頒布等、買春痴漢のぞき、陰部等の露出青少年保護条例違反不適切な裸体・下着姿等の撮影隠し撮り等を含む。)、わいせつ目的をもって体に触ること等」をした人が対象になっています。肌感覚しかないですが、盗撮痴漢が多そうな気がします。

4.調査期間を20年まで伸ばしたら

再犯の9割は20年以内に起こっています。だから日本版DBSで確認できる前科の期間も20年なんですよね。

性犯罪前科調査対象者 初回の性非行性犯罪からの経過期間

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_4_5_2.html



再犯率を調べる時に、5年ではなく、調査期間を20年まで伸ばすとどう変化するのか分かれば、もっと性犯罪再犯実態が見えてきそうな気がしました。

残念ながら、20年まで伸ばしたデータはついぞ見当たらなかったのですが、5年未満でも、5年以上10年未満でもほとんどその割合は変わらないから、おそらく再犯率20年まで伸ばしても変わらなさそう。

以上、調べたデータたちでした。

結論日本版DBSって効果あるの?

私が調べた限りでは、効果はかなり限定的。

理由そもそも再犯率が低いから、性犯罪前科者を弾いても、犯罪は減りにくい

理由②小児への性犯罪再犯者の占める割合が低い。つまり初犯の方が圧倒的に多いから、たとえ日本版DBSで性犯罪者の前科のある者を弾いたとしても、効果は薄い

↑に加えて、日本版DBSの対象者は「教職員」に限定される。これでは対象者が少なすぎて、効果を出しようがない。

日本版DBSは水が下に落ちるの止めるために、ザルを使っているようなものだ。目が粗すぎて、ごく一部しかふるいに引っかからない。

ちなみに「だから再犯防止策を講じなくていい」とか「日本版DBSはいらない」とか言うつもりはないです。子供への性加害は深刻な被害をもたらすので、根絶を目指した方がいいと思っています

ただ日本版DBSが再犯防止である以上、再犯率の低い犯罪に対しては効果的ではなく、相変わらず教育現場では性犯罪が起き続けることになるだろうなあと。

冒頭に書いたように性犯罪者が子どもと関われないようにする、という意見一見すごく正しく聞こえます。だから日本版DBSのような法律を作ることに誰も反対しない。むしろ、この法律を作った政治家の評判は上がり、親や学校経営者は喜ぶ。その正しそうという感覚こそが罠で、効果がないのにやっている感、対策している感が出てしまう。

でも相変わらず性犯罪は起き続けるから子どもたちだけは苦しむことになる。

世知辛いなぁ…。

補足1

この日記では「小児」に対する「強制わいせつ強姦」のみ検討している。

13歳~17歳以下については、その年代を抜き出したデータはないので、詳しく調べることは出来ない。調べるとするなら、大人の女性も含めたデータ再犯率再犯者率を調べる必要があるだろう。

強制わいせつ強姦」以外の性犯罪についてはどうか。

圧倒的に再犯率が高いのは痴漢であるが、通常、教育現場において痴漢型の犯罪が発生するとは考えにくい。なので日本版DBSについて考える時には痴漢型は考慮する必要はないだろう。

その次に再犯率が高いのは盗撮型で、これは教育現場でも発生し得る犯罪だろう

※ここでいう盗撮型は条例違反のみが対象学校トイレ更衣室で盗撮をして裸体が映っていた場合児童ポルノ法違反になるのでここではカウントされない。

かにこの部分については日本版DBSが一定程度効果を発揮するかもしれない。

だが盗撮を防ぐために、性犯罪前科を調べるという手法合理的であるとは思えない。教室内に防犯カメラを設置するというやり方の方がよほど効果は高いだろう。

教室内で着替えをする場合は、そこを狙われやすくなるだろうから更衣室での着替えを徹底する、更衣室とトイレ入口防犯カメラを設置するというやり方が学校学習塾などにおける盗撮型の犯罪防止には効果的ではないか

2024-10-02

そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。 「いつ来たの」と聞いた。三四郎もっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである先生は、 「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙あいだに、棒になって出る。 「ありがとう書物を返します」 「ああ。――読んだの」 「読んだけれどもよくわからんです。第一標題わからんです」 「ハイドリオタフヒア」 「なんのことですか」 「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生あくびを一つした。 「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」  先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。  湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだのびるかもしれない」と広田先生三四郎に言った。 「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。 「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。 「佐々木は、まだ帰らないようですな」 「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」  三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。 「あの新聞記事を御覧でしたか」 「ええ、見た」 「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」 「いいえ」 「お驚きなすったでしょう」 「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんものだと思ってるから若い人ほど正直に驚きはしない」 「御迷惑でしょう」 「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎社員に知った者があるからその男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所を捜して制裁を加えるの、自分雑誌で十分反駁をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいかわかりゃしない」 「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」 「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄していると同じことじゃないか存在無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」  三四郎はしかたなしに黙っていた。 「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」 「そうです」 「ゆうべ佐々木自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞記事もっともだと思った」  広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまたから、きょうあたりはまた晴々して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子かぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙法則は変らないが、法則支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操教師竹橋内へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレット結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子結婚信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しか先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生ハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

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一二

 演芸会は比較寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。

 それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由説明して聞かせた。三四郎承知した。

 夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。

「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しか三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。

「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから

 先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである

「雨になるかもしれない」

「降ると困るでしょう」

「出入りにね。日本芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」

「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかいからでしょう」

「お神楽はいつでも外でやっている。寒い時でも外でやる」

 三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。

「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋簡単な芝居ができそうなものだ」

先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」

「君ギリシアの芝居を知っているか

「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」

「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」

 また与次郎悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しか斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。

 先生それからギリシア劇場構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいドイツ人の説によるとアテン劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうであるもっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。

 さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である

「どうです、せっかくだからはいりになりませんか」

「いやはいらない」

 先生はまた暗い方へ向いて行った。

 三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである

 入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである

 舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっと与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。

 幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かい談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどもも与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。

 あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。

 隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。

 すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。

 そのそばにいる男は背中三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいあいその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎あいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。

 すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎背中をたたいた。与次郎くるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。

 この連中の一挙一動演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分ひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。

 そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレット写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。

 このハムレット動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。

 その代り台詞日本である西洋語を日本語に訳した日本である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎ハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうであるしか三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。

 したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。

 ハムレットオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなもの結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。

 幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下からはいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。

 本来は暗い夜である人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。

 夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……

 あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎はいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。

「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」

 三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。

「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」

演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」

「いけないたって、しかたがないじゃないか

しかたがないったって、いけない」

 三四郎言葉だんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、

「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである

風邪だろう」

風邪だろう」

 両方で同じ事を言った。しばらくしてから三四郎与次郎に聞いた。

「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」

「美禰子さんの事を? どこで?」

学校で」

学校で? いつ」

 与次郎はまだ思い出せない様子である三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、

「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。

「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか

「きまったのか」

「きまったように聞いたが、よくわからない」

「野々宮さんの所か」

「いや、野々宮さんじゃない」

「じゃ……」と言いかけてやめた。

「君、知ってるのか」

「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。

「どうもよくわからない。不思議な事があるんだが。もう少したたないと、どうなるんだか見当がつかない」

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

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一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

三四郎はそれなり寝ついた。運命与次郎も手を下しようのないくらいすこやかな眠りに入った。すると半鐘の音で目がさめた。どこかで人声がする。東京火事はこれで二へん目である三四郎は寝巻の上へ羽織を引っかけて、窓をあけた。風はだいぶ落ちている。向こうの二階屋が風の鳴る中に、まっ黒に見える。家が黒いほど、家のうしろの空は赤かった。  三四郎寒いのを我慢して、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭には運命がありありと赤く映った。三四郎はまた暖かい蒲団の中にもぐり込んだ。そうして、赤い運命の中で狂い回る多くの人の身の上を忘れた。  夜が明ければ常の人である制服をつけて、ノートを持って、学校へ出た。ただ三十円を懐にすることだけは忘れなかった。あいにく時間割のつごうが悪い。三時までぎっしり詰まっている。三時過ぎに行けば、よし子も学校から帰って来ているだろう。ことによれば里見恭助という兄も在宅かもしれない。人がいては、金を返すのが、まったくだめのような気がする。  また与次郎が話しかけた。 「ゆうべはお談義を聞いたか」 「なにお談義というほどでもない」 「そうだろう、野々宮さんは、あれで理由のわかった人だからな」と言ってどこかへ行ってしまった。二時間後の講義の時にまた出会った。 「広田先生のことは大丈夫うまくいきそうだ」と言う。どこまで事が運んだか聞いてみると、 「いや心配しないでもいい。いずれゆっくり話す。先生が君がしばらく来ないと言って、聞いていたぜ。時々行くがいい。先生は一人ものからな。我々が慰めてやらんと、いかん。今度何か買って来い」と言いっぱなして、それなり消えてしまった。すると、次の時間にまたどこからか現われた。今度はなんと思ったか講義最中に、突然、 「金受け取ったりや」と電報のようなもの白紙へ書いて出した。三四郎は返事を書こうと思って、教師の方を見ると、教師ちゃんとこっちを見ている。白紙丸めて足の下へなげた。講義が終るのを待って、はじめて返事をした。 「金は受け取った、ここにある」 「そうかそれはよかった。返すつもりか」 「むろん返すさ」 「それがよかろう。はやく返すがいい」 「きょう返そうと思う」 「うん昼過ぎおそくならいるかもしれない」 「どこかへ行くのか」 「行くとも、毎日毎日絵にかかれに行く。もうよっぽどできたろう」 「原口さんの所か」 「うん」  三四郎与次郎から原口さんの宿所を聞きとった。

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 広田先生病気だというから三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、

「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである

先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である先生もすぐ起き直った。

「なるほど」と言っている。

「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから危険です」

 三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。

「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」

「ええ、もうよろしい」

 三四郎風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。

「柿を買って来ました」

 広田先生書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。

 三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分寿命わずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎蕎麦などを食う時のように、気がさえない。

 広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである

「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」

 三四郎は礼を述べて書物を受け取った。

寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生安心して柔術学士談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇悲劇として味わう余裕がない。ただ事実報道として読むだけである自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒はいたか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。

だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。

「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセント墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」

 これはハイドリオタフヒアの末節である三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。

 贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である三四郎はこれから曙町原口の所へ行く。

 子供葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。

 三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのであるしかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである

 曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣きれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからいくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。

 玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。

 描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。

「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。

「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、

「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、

「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。

 それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しか足音はしない。

 静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間画家意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。

「また苦しくなったようですね」

 女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。

 原口さんは丸テーブルそばまで来て、三四郎に、

「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。

 絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから素人三四郎が見ると、なかなかりっぱであるうまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着人間でないとみずから証拠立てるだけでも三四郎風流である

 三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。

小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」

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