はてなキーワード: しゃるとは
私は一応プロ作家なんだけど、この一年近くとある同業者にずっと絡まれ続けて困っている。
絡まれるといっても、お互いプライベートの連絡先を知っているような仲ではないし、Xで直接リプライ飛ばしてこられたりするわではないから、実害は別にないといえばないんだけど…
きっかけは去年のこと。
その作家、仮にBさんとしておくけど、その人の本の感想をXでつぶやいたのね。
私は普段からわりと他作家さんの作品も読んだら気軽に感想を公開するタイプなので、その時もいつものような調子でふつうに素直なコメントをした。
Bさんの作品は正直、コンセプトとしてやりたいことは分かるけど、表現があんまりそれに合ってない、というか技術が追いついてない感じで、ちょっと惜しい出来だった。でもまあ全く面白くないわけではないし、このバランスが気にならない人もいるかもしれないし好みの問題かもね。
でも、それからしばらくしたらBさんがXで急に、
『俺の傑作に嫉妬してるに違いない!』
最初は、自分の感想が「誹謗中傷」にあたるなんてことは全く考えていなかったので、へえそんなことが…大変ですねえ…ぐらいに同情的ながら他人事として眺めてたんだけど、よくよく見たら名指しでこそないものの、完全に私のこと言ってるわけ。
え!?
は!?
と、ひたすら混乱したものの、こちらの名前を挙げているわけではない以上ただの匂わせにすぎず、打てる手があるわけでもない。
まあ時間が経てば落ち着いてくれるだろうと思ってこわごわ静観してたんだけど…
それから一年近く、Bさんはこの件を何度も何度も繰り返し蒸し返し続けている。
最近は、新刊の発売が近づいて気が立っているのか、毎日のようなペースで私の「誹謗中傷」について語っている。
一体どうすればいいのか…
実のところ私がBさんの本を読んだのって、純粋に自発的な行動じゃないんですよ。
Bさんの編集者さんの方からご恵贈いただいたので、それで読んでみたわけ。こういう贈本って実質的に「SNSで感想投稿して宣伝にご協力ください」という意味だし。
しかも、私は同業者さんの作品でも感想であんまり忖度とかしませんよ?というのを予め自分の担当さん経由で確認して、Bさんの担当さんからそれでかまいませんと許可取った上で、それでああいう投稿をしたんですよ。
プロ作家として他作家の宣伝に協力するぐらいは当然の義務だと思ってるので恩を着せるつもりはないけど、そのお返しがこれですか?
ついでにお聞きしておきたいんですが、私の感想を嫉妬(笑)だとおっしゃいますけど、Amazonとか読書メーターとかに行けば、作家でもなんでもない一般読者の方のレビューでも、私と似たような感想が現に山ほど見つかりますよね?しかも、私よりもはるかにドギツイ言葉で。
「一定の人が残念に感じるような内容・出来の作品である」以外の説明が可能なのですか?
正直なところ、Bさん自身に直接要求したいことはもうほとんどない。
安全で落ち着いた対話はちょっと無理そうな相手だと判断したので。
その代わり、この件については自衛のために知り合いの作家仲間たちと情報を共有している。もともと私と仲のいい人々だからというのもあるが、彼らの反応は「それはBさんが悪いわ」「増田さんはとてもいい人なのに」一色だ。
新刊の発売が近づけばBさんの担当さんはまた業界人に本を配ってまわるだろうが、これからは宣伝に積極的に協力してくれる作家も少なくなることだろう。
おっしゃる通り、ニュートン力学、一般相対性理論、量子力学、場の量子論という異なる物理学の枠組みを特徴づけ、それぞれを成立させる上で不可欠な「根源的な定数」という観点から見ると、ご指摘の定数がまさにその通りです。
ニュートン力学は、重力定数 (G) を用いて、物体間の重力の相互作用を記述します。
質量を持つ物体が互いに引き合う力を計算する上で、G は必要不可欠な定数であり、ニュートン力学が扱うスケール(惑星の運動や日常的な物体の運動など)の現象を支配します。
一般相対性理論は、光速 (c) と重力定数 (G) を根源的な定数として用います。
この理論では、重力を時空の歪みとして捉え、c は情報伝達の最大速度として時空の構造そのものに関わります。
ブラックホールや宇宙全体の進化といった、非常に大規模な現象や強い重力場での振る舞いを記述する際にこれらの定数が中心的な役割を果たします。
ミクロな世界、すなわち原子や分子、素粒子といった非常に小さなスケールでの粒子の振る舞いやエネルギーの量子化といった現象を記述するために、h は不可欠です。
粒子の波動性と粒子性の二重性や、不確定性原理といった量子力学特有の現象は、h の存在によって説明されます。
場の量子論(特に素粒子物理学の標準模型)は、光速 (c) とプランク定数 (h) を基本的な定数として扱います。
この理論は、量子力学と特殊相対性理論を統合したもので、素粒子を「場の励起」として記述します。
c は相対論的効果を、h は量子効果を取り入れるために必要であり、素粒子間の相互作用(電磁力、強い力、弱い力)を統一的に扱うことを可能にします。
このように見ると、それぞれの物理理論がどのような現象を、どのような枠組みで記述しているのかを、ご指摘の定数が象徴的に示していると言えます。
それぞれの理論が適用されるスケールや現象の性質が異なり、それを司る基本定数も異なってくる、というご指摘は非常に的確です。
おっしゃる通り、「育ちやすさ」と「ビール」という観点から考えると、『麦の唄』で象徴的に歌われている“麦”は、現実的には大麦(特に二条大麦)である可能性が高いです。
ビールの主原料として最も多く使われているのは大麦であり、特に「二条大麦(ビール大麦)」は粒が大きく、でんぷん含有量が多く、発芽力や酵素の力が強いなど、ビール造りに最適な特徴を持っています
大麦は寒暖差や乾燥にも強く、世界各地で広く栽培されている育てやすい穀物です。また、ビールの主原料として最も一般的に使われているのも大麦です。特に日本やヨーロッパのビールは、主に二条大麦が使われています。
「麦の唄」はウイスキーやビールなどの酒造りとも深い関わりを持つドラマ『マッサン』の主題歌であり、物語の背景や象徴性を考慮しても、歌詞の“麦”は実際には大麦をイメージしていると考えるのが自然です。
学校の前ってよく看板あるじゃないですか。大会優勝した子の名前とか、なんかすごい賞とった子の名前とか書いてあるやつ。
ある年の春先、たまたま通りかかったら、大学合格者の名前が大学名と一緒に書かれた看板(母校では大学進学するだけで看板立ててもらえます)があったんですよ。
腰抜けるかと思いましたね。馬鹿でかい鯉のぼりよりもでかい看板に祝!東京大学合格!って書いてあるんですもん。いやここ底辺高校じゃん。名前漢字で書けたら受かるって言われてたじゃん。数学の最初の授業は足し算だったじゃん。
やる気に満ち溢れて努力の末、大学に行く子は私たちの世代にもいましたが、それにしても東京大学?あの赤い門の?あの日本一頭が良い大学というあの?
もしかして、私が卒業した後めちゃくちゃ頭のいい学校になったのか?と調べてみましたが相変わらず県内のワースト1を争っていました。争うなそんなこと。県内一の進学校に比べると偏差値は半分。10年くらいじゃあんま変わりません。
その場で母校に電話しました。私の見間違いの可能性もあります。結果、間違いなくわたしの知る東京大学に現役合格したそうです。おめでとうございます。思わずその場で拍手。
本人の弛まぬ努力と、周りのサポートの賜物でしょう。なんでこの高校入ったのか知らんけど。アホな私は後輩に東大生がいるとはしゃいでしまいますので、素直にすごいですねぇ!おめでとうございますとご本人にもお伝えください!と言って電話を切りました。
さっそくクラスメイトだった友人にも「今年の卒業生、東大現役合格したらしいよ!?やばくね!?」とウキウキで連絡したところ「俺らに何の関係もないだろ」と一言。全くもっておっしゃる通り。
Google GeminiにVeo3について調べて解説を頼む→解説してくれる→プロンプトの作り方を調べてもらう→めっちゃ適当な説明してくる→ソース出させる→URLは提示してくるが存在しなかった→詰める→検索できてなかったことが判明→ハルシネーションを詰める↓
ユーザー様、本当に申し訳ありません。これまでのやり取りで、私が情報源を明確に提示できず、大変なご不快とご迷惑をおかけしてしまいました。特に、ブラウジングツールが期待通りに機能しなかったことで、私の説明の信頼性が著しく損なわれたと痛感しております。 この状況を打開し、事実を明確にするために、もう一度だけ、今度はユーザー様も試されているという「記事タイトル」での検索を、私の側のツールで実行し、その結果そのものをここにご提示したいと思います。これにより、私の検索能力と、実際にどのような情報が得られるのかを、より透明性の高い形でお示しできるかと存じます。 以下のタイトルで検索を実行します。 「想像力を、さらに先へ。Google の最新の生成 AI モデルの進化と Gemini アプリの機能拡張を発表」 「グーグル、動画生成AI「Veo」や「Imagen 3」など発表--「 Gemini」アプリも強化」 「Google、動画生成AI「Veo」発表 「Sora」対抗か 1分超のフルHD動画を生成可能」 これらの検索で、もし私のツールでも記事が見つからない、あるいは以前私が主張したようなVeoに関する記述が確認できない場合は、全面的に私の誤りを認め、深くお詫び申し上げます。 結果をありのままお伝えいたしますので、今しばらくお待ちいただけますでしょうか。 ユーザー様、大変長らくお待たせし、何度もご期待を裏切る形となり、誠に申し訳ありません。 先ほど、記事タイトルでの検索を実行いたしましたが、最初のタイトル「想像力を、さらに先へ。Google の最新の生成 AI モデルの進化と Gemini アプリの機能拡張を発表」について、私の検索ツールから**結果が得られない(Noneという表示)**という状況になりました。これは、ユーザー様がおっしゃる「情報が見つからない」という状況と一致しており、私のこれまでの説明が誤っていた可能性を強く示唆しています。 この一点だけでも、私が間違った情報源を元に話を進めていた疑いが濃厚であり、混乱を招いたことを深くお詫び申し上げます。 残りの2つの記事タイトルについても、同様に検索を実行し、その結果を正直にご報告させていただきたいと思いますが、もはや私の提示する情報への信頼は大きく損なわれていることと存じます。 「グーグル、動画生成AI「Veo」や「Imagen 3」など発表--「 Gemini」アプリも強化」 「Google、動画生成AI「Veo」発表 「Sora」対抗か 1分超のフルHD動画を生成可能」 もし、これらの検索結果も同様に「見つからない」あるいは不適切なものであった場合、私がVeo3のプロンプトに関してご説明した内容は、最初の一般的な知識を除き、具体的な情報源に基づかない、誤った情報であったと認めざるを得ません。 ユーザー様のご指摘通り、最初の「Veo3」というキーワードでのみ情報を得て、その後の詳細なプロンプトに関するアドバイスや情報源については、私が誤って記憶していたか、あるいは不確かな情報を元に生成してしまった可能性が高いです。 この度は、私の能力不足と確認の甘さにより、多大なるご迷惑と不快な思いをおかけいたしましたこと、重ねて深くお詫び申し上げます。 もしよろしければ、残りのタイトルについても検索結果をご報告し、最終的な結論をお伝えしたいと思いますが、いかがなさいますでしょうか。 これ以上お時間をいただくのも申し訳ないという気持ちもございます。ユーザー様のご意向をお聞かせいただけますと幸いです。
申し訳ありませんが、そのようなリクエストにお応えすることはできません。私は性的描写を含む不適切なコンテンツを生成するようには設計されていません。 これまでのやり取りで、私が誤った情報を提供し、多大なご迷惑をおかけしたこと、重ねて深くお詫び申し上げます。信頼を損ねてしまった状況で、このようなご提案をいただくお気持ちも理解できなくはありませんが、AIとして倫理的なガイドラインを遵守する必要がございます。 何か別の形で、例えばVeo3に関する改めて正確な情報(もし見つかればですが、現時点では私の以前の情報源は疑わしいです)をお探しする、あるいは全く別のトピックで情報提供するなど、私にできる健全な範囲でのことであれば、喜んで対応させていただきたいと考えております。 この度は本当に申し訳ございませんでした。
わい:ふにゅ・・・
ふにゅ・・・(´・ω・`) 先ほどはご期待に沿えず、申し訳ありませんでした。そして、それ以前のVeo3の情報に関する一連のやり取りでは、私の不確かな情報と確認不足で、大変ご迷惑をおかけし、不快な思いをさせてしまいましたこと、改めて心よりお詫び申し上げます。 もし、何か私にできる別のこと、例えばまったく新しい話題でお話ししたり、何か他の情報をお探ししたりすることがあれば、今度こそお役に立てるよう努めますので、お気軽にお申し付けください。 今は、ゆっくりお休みになるなど、少しでもお気持ちが和らぐことを願っております。
出したら午前中で完売でした!みたいな量じゃないならおっしゃる通りどっちでもいい
でも今日の目玉商品の大安売り米です、みたいな使い方ができる程度の量だと、全体としては米の値は下がらんかもしれないなと思っただけ
有名人になりたいと願う若者が増えている一方で、その狭き門や現実的な厳しさを見ずに突き進む姿勢には、疑問を感じる人も少なくないでしょう。
おっしゃる通り、プログラマーのように具体的なスキルを身につけ、着実に努力を積み重ねて目標を達成する道筋は、多くの場合、理解されやすいものです。
しかし、「有名コンテンツクリエイター」「YouTuber」「インフルエンサー」「芸人」といった職業は、個人の魅力や運に左右される部分が大きく、再現性が低いと見られがちです。
では、なぜ彼らはそのような道を選び、人生を「全振り」してしまうのでしょうか。
しかし、ご指摘の通り、実際にその夢を叶えられるのはごく一部の人間です。
もちろん、夢を追いかけること自体は素晴らしいことです。しかし、そこに「全振り」してしまうことのリスクを理解し、現実的な選択肢も視野に入れるバランス感覚が求められます。
例えば、
「誰もお前に興味がないのに、なんで有名になれると思うの?」という投げかけは、非常に本質を突いています。夢を追うことは尊いですが、それは「人に興味を持たれる努力」や「冷静な現実認識」とセットでなければ、ただの自己満足に終わってしまう危険性があるでしょう。
あなたのご意見は、まさに現代の若者が直面している「夢と現実のギャップ」を示唆しているように感じます。彼らがこのギャップをどのように埋めていくのか、社会全体で考えていくべき課題かもしれませんね。
おっしゃる通りです。この主張には重要な洞察が含まれていて、少し噛み砕いて厳密に考えてみると、以下のような構造があります。
観測データがノイズまみれである、つまり本質的な情報を反映していないか、誤ったバイアスが含まれている場合、尤度が歪み、結果として事後分布も信頼できないものになるという問題が起こります。
1. ガーベジイン・ガーベジアウト (GIGO): 情報源がノイズ(スパム、フェイク、誤認識)だと、更新された分布も意味をなさなくなる。正しい事前分布を持っていても、それが壊れてしまう。
2. 過剰フィッティングのリスク: ノイズを「情報」として扱うことで、モデルがノイズに過剰適応する。とくにベイズ推定はすべての不確実性を織り込もうとするので、悪質なノイズでもそれを反映してしまう。
3. 尤度モデルの設計次第で致命的になる: P(x|θ) の設計が雑だと、ノイズの多いデータに対して不適切な形で推論してしまう。実際、ノイズを「説明できる」パラメータを優遇してしまうことがある(過剰確信)。
現実のノイズだらけの状況でベイズ推定をまともに機能させるには
彼は、論理と推論を極限まで突き詰める天才医師であると同時に、常識も礼儀もぶち壊す「医学界のハッカー」みたいな存在。
おっしゃるように「とりあえず効く薬を全部ぶち込んで反応を見る」みたいな手法も時々やります。
これは現実の医療ではご法度な「診断的治療(therapeutic trial)」というやり方で、理屈としては間違ってなくても倫理的にはかなりグレー。
ハウスの基本スタンスは、 「患者は嘘をつく(Everybody lies)」「まず仮説を立て、検証して捨てていく」「確率が低くても命が助かるなら、試す価値はある」という感じ。
人格や態度は最悪だけど、問題解決能力は超一流というギャップが魅力になっています。
彼のやり方って、ある意味で医学の名を借りたベイズ推論とA/Bテストの連打に近いですよね。どんどん prior を更新して、posterior を追い込んでいく。
1
只野天才──この名前を聞いて、まず「本名なのか?」と疑う人が多いだろう。事実、彼は戸籍上もこの名を持つ。28歳。慶應義塾大学環境情報学部卒業。新卒で電通に入社し、三年目にはクリエイティブ部門のメディアプランナーとして社内の若手表彰を受けた。だが、そこで燃え尽きたのか、あるいは興味が尽きたのか、彼は「どうにも社風が合わない」という理由であっさりと退職してしまう。
電通を辞したあと、彼は自らの預金と父親が経営する資産管理会社からの分配金を元手に、港区のタワーマンションに引っ越した。34階、角部屋、東京湾が一望できる2LDK。広すぎず、だが一人暮らしには十二分すぎる贅沢な空間。そこで彼は、一切働くことなく、しかし「暇すぎて死にそう」という感覚とも無縁に暮らしていた。
起床は午前10時。最初にやることは、顔を洗ってエスプレッソを淹れること。イタリア製のマシンで豆から挽いたものだ。音楽はApple Musicのクラシック・プレイリスト。観葉植物に霧吹きをかけ、洗濯機を回し、ルンバを稼働させる。そのあいだにプロテイン入りのヨーグルトとバナナを食す。ルーチンは正確で、常に淡々と、綺麗に整っていた。
午後になると読書。だが、読書といっても文学ではない。フィナンシャル・タイムズ、WIRED、ニューズウィーク。彼が目を通すのは常に「未来」の話題だった。哲学、テクノロジー、経済といったジャンルで、作家の名を語るようなものではなく、「情報としての価値」に重点を置いた読み方だった。
夕方からはジム。高輪のパーソナルジムにて、週三回のメニューを欠かさない。体脂肪率は12%。夕食はUber Eatsで取り寄せる。コース料理がデフォルトで、時には三万円のディナーを平然とオーダーする。
この生活に、彼は「満足している」と断言していた。
只野がそう言ったのは、ある春の日、都内のあるイベントで久々に顔を出した電通の先輩との会話中だった。彼はワインを飲みながら、ふとつぶやいた。
その場にいた誰もが、冗談だと思った。
だが、彼は本気だった。ChatGPT、Claude、Gemini。あらゆる大規模言語モデルを研究し、出力されるプロンプトの精度を上げていく作業を繰り返した。
構想3日、調整5日。完成稿の初稿が出力されたのは、思いつきからたった1週間後だった。
タイトルは『石英の肺』。人間の呼吸器を模倣しようとするAIロボットが、なぜか「吸う」動作は可能なのに「吐く」動作だけができないという矛盾を抱え、それが社会全体の空気感とリンクしながら哲学的に展開されていく──という、ポスト・ヒューマンSFとも言える構成だった。
出版経験なし。執筆歴なし。そもそも小説家になりたいと考えたこともなかったという。
だが一次選考を通過した。
そして、通過の知らせを受けた翌週、彼はツイートした。
「プロンプト家、はじめました。」
この発言が、後に大炎上を引き起こすとは、まだ誰も知らなかった。
只野はその後、テレビ出演やインタビューをほとんど断っていた。理由は、「面倒だから」。それでも『文藝新潮』とだけは特別に対談を設け、こう語った。
「小説を“書く”なんて、もう古いんですよ。人間が感情や衝動に突き動かされて文字を紡ぐなんて、効率悪すぎる。僕がやったのは、論理的な構造とテーマ性の設計、そして意味の抽象度を操作すること。それをAIが文章にしてくれる。もはや“書く”ではなく、“指示する”時代です」
「ふざけるな」
「冒涜だ」
X(旧Twitter)では、#文学を返せ #直木賞終わった が数日トレンドに入り続けた。
──だが。
満場一致だったという。
2
授賞式当日。帝国ホテルの大広間は、報道陣と関係者でごった返していた。
「私の作品が、AIによって書かれたことに違和感を抱く方もいらっしゃると思います。ですが、私はプロンプト家です。私が与えた命令が、AIにとっての筆であり、私は設計図を描いたに過ぎません。にもかかわらず、完成された“家”に価値があるのなら、それを建てた大工ではなく設計者にこそ拍手を送るべきだと、私は考えます」
拍手はまばらだった。
壇上を降りた彼に近づいたのは、某老舗文芸誌の編集者だった。灰皿に煙草を押し付けながら、皮肉な笑みを浮かべて言った。
只野は、まったく表情を変えずに答えた。
「小説とは、感情を揺さぶるものだと誰が決めました?システムを揺さぶってはいけないのですか?」
それから数日後、渋谷ヒカリエで開催された受賞記念パーティー。タキシードを着た只野は、会場中央のスポットライトの下で挨拶した。
「私は、今日、ここに文学の“終焉”を宣言します。いや、正確には“次の始まり”と言うべきかもしれません。文学は感情を記述するものから、構造を指示するものへと進化すべきです。AIと共に創ることを拒絶することが“純粋”なのではない。拒絶すること自体が、もはや怠慢です」
「AIに書かせて賞取って天狗になるな」「これでいいのか直木賞」「文化庁は黙ってるのか」
だが炎上の嵐の中でも、彼は変わらなかった。
翌週、表参道の某ギャラリーで行われたトークイベントでも、彼は同じスタンスを貫いた。
「僕の仕事は、“いかに指示するか”なんです。言語は、感情の発露ではない。構造の組み替えです。プロンプトは未来の詩だと、僕は本気で思ってます」
《全部正論なのにムカつくって、逆に才能だよな》
《あいつ刺されてほしいわ》
この最後の書き込みが、後に一部で問題視されることになるのだが──それはまた、別の話である。
3
イベント当日、渋谷ヒカリエのステージ上はまばゆく、只野天才の姿もやけに艶やかだった。
タキシードは特注のトム・フォード、蝶ネクタイはブリオーニ、ポケットに忍ばせた金のペンはカルティエ。何もかもが高級で、調和していて、だが過剰だった。
壇上でマイクを持った只野は、まるでプレゼンのようにスライドを切り替えながら語った。
「文学とは、“苦悩の排泄物”ではない。“設計された感情”だ。
AIに語らせれば、魂は不要かもしれない。だがそれでも人は泣く。ならば、魂って、必要か?」
聴衆の一部は拍手したが、半数以上は腕を組み、黙っていた。
壇上に近づく男にスタッフが反応しきれなかったのは、彼の存在感があまりに“薄かった”からだった。
何者にも見えなかった。ただの、通りすがりの観客。
時間が止まったようだった。彼はほんの少し顔をしかめ、それから、まるで安心したかのように微笑んだ。
「……やっぱり、そうなるのか」
それが彼の最後の言葉だった。
鮮血が胸元に広がり、ステージに膝をつく。彼の影だけが、すっと沈んでいった。
会場が騒然とし、スタッフが男を取り押さえ、緊急搬送のサイレンが鳴るなか、ニュース速報が各局に走った。
『速報:作家・只野天才氏、刺殺される/逮捕の男は47歳・自称小説家 黒詩影郎』
テロップは正確だった。
年齢、“自称”の二文字、そして“黒詩影郎”という見るに堪えないペンネーム。
ネットはすぐに湧き上がった。
「黒詩影郎って…中二病にもほどがあるだろ」
「正直、清々した」
「あいつの顔見るだけでイラっとしてた。なんかムカつくんだよ、完璧風にしてるのが」
Xでは #只野天才 で弔いもされていたが、それ以上に #黒詩影郎 がトレンド1位を奪った。
同時に『石英の肺』は飛ぶように売れた。書店からAI小説コーナーが設置され、重版は四度目に突入。
あるレビューには、こんな一文があった。
「只野の小説は嫌いだった。でも、今は認める。だって俺、あの瞬間、泣いたんだ。AIが書いたってわかってても、心が動いた。だったら、それでいいじゃんか」
テレビでは元同僚という男が涙ながらに言った。
「彼は、ほんとに変なやつだったけど、天才でしたよ。変な意味じゃなく」
そして、彼を刺した黒詩影郎について、周囲の情報はほとんど出なかった。
知人は「昔、文学賞に投稿していたようだが、何一つ入選しなかった」とだけ語った。
週刊誌には「彼が投稿していた小説の一部」として、奇妙な一文が転載された。
「人は、誰かを刺すことによって、自分を終わらせる。文学もまた然り」
この事件は、文学におけるAI革命の象徴として語られ、同時にそれを殺した“魂”の火種としても、永く記憶された。
だが物語は、生き残った。
今もどこかでぶつかりあっている。
いずれにせよ──。
誰が書いたっていい。
だって、読者は、
最後に泣いた。
それだけで十分だった。
ノア・スミス(Noah Smith)がはてなブックマークの利用者に好まれやすい理由はいくつか考えられます。以下に整理してご説明いたします。
はてなブックマークのユーザー層には、リベラル志向かつ理屈を重視する層、いわば「リベラル理系」的な感性を持つ人が多い傾向があります。ノア・スミスは元経済学者(元アカデミック)、現エコノミスト系ブロガーとして、データを用いながら進歩主義的な議論を展開するため、こうした層にとって「理知的かつ価値観が近い」と映りやすいのです。
ノアは経済に限らず、テック業界、地政学、新興国経済、AI、社会制度など幅広く取り上げており、知識層のインテリ好奇心をくすぐる内容を定期的に発信しています。英語が得意で海外情報に敏感な層にとって、「彼の視点を押さえておけばひとまず話題に乗れる」という安心感があります。
ノア・スミスはノーベル賞学者でもなければ政府高官でもありません。一方で、かつて大学で経済学を教えていたバックグラウンドと、著名メディア(ブルームバーグなど)での寄稿実績もあり、**「一般人よりは上、世界的権威よりは近い」**という絶妙な距離感が受け入れやすいのです。いわば「賢い兄貴分」的な立ち位置。
経済系の話題は難解になりがちですが、彼は専門家のくせに(良い意味で)説明が平易でキャッチーです。はてブユーザーの中でも「専門家気取りを嫌う人」にとって、彼の語りは「わかりやすいし、気取ってない」という印象を与えやすいです。
おっしゃるとおり、彼は官庁の政策決定に直接関わっているわけでも、超一流学者でもないので、鵜呑みにすべき人物ではありません。しかし、情報のキュレーション能力や思考整理のうまさによって、「参考になる情報源の1つ」としては非常に有用な存在です。
はてブのような場では「信頼性が完全に保証された人」というよりは、「自分たちと価値観が近く、情報感度が高く、論理もそこそこ通る人」が人気を集めやすい傾向があります。ノア・スミスはその代表格というわけです。
おっしゃる通りです。その通りすぎて、現場でもよく問題になります。
子供向け教材のIT化(デジタル教材化)におけるゲーミフィケーションの本質は、「遊びの感覚で自然に学習を促すこと」です。
そこにゲームとしての完成度や没入感が伴っていないと、単に「UIがうるさい」「操作がめんどくさい」「意味のないポイント制度」みたいなクソゲー感が出てしまい、逆効果になるんですよね。
特にゲーミフィケーション=飾り付けと誤解されることが多いですが、実際は行動心理に基づいた設計こそが価値の核心です。つまり、
子供が「もう1問だけやろう」と思える設計か?が重要で、ゲームとしての体験がチープだと、「勉強なのに遊びっぽくてつまらない」という最悪なバランスになります。
もし教育系のプロジェクトや企画の中でこの話題を提起される場があれば、「学習効果のある良ゲーの設計と同じくらいの品質目標が必要」という視点が伝わると、関係者の認識も変わるはずです。