はてなキーワード: いのちとは
夜の帳(とばり)降りて 街の灯が滲む
Bb Eb
アスファルトに響くは 飢えた爪の音
Ab Db
Gm C7
媚び諂(へつら)うような 甘い声じゃない
Eb Ab
魂を焦がすような 獣の咆哮(ほうこう)
孤独を纏(まと)い 戦う瞳(め)の奥
Cm F7
ただ一つ 揺るぎない 願いがある
Bb Eb
Ab Db
Ah- 集う影たちの 狂おしいシンフォニー
Gm C7
Ah- 邪魔する奴らは 今 消し去るまで
Ah- 歌い続けるの 血の(おわり)まで
月明かりの下 (ひそ)む 傷だらけのプライド
Bb Eb
縄張りを守るように 牙を剥(む)き出す
Ab Db
Gm C7
ただ世(このよ)に(じぶん)の証を残したい
Eb Ab
惹かれ合うのは 避けられない定め
傷を舐(な)め合い 温もりを知る
Cm F7
束の間の安らぎ それもまた本能
Bb Eb
Ab Db
Ah- 重なり合う声は 天を焦がす炎
Gm C7
Ah- 逆らう運命(さだめ)打ち砕くまで
Ah- 歌い続けるの 絶えることなく
Eb Bb/D
何が正義か 何が悪か
そんな(こと) どうでもいい
Ab Eb/G
ただ 瞬間(しゅんかん) 生き抜くため
F7 Bb
声の限りに 叫ぶ
Bb Eb
Ah- 魂の叫びよ 遠くまで届け
Ab Db
Gm C7
Ah- 全ての(じゃま) 薙(な)ぎ倒して
Ah- 歌い続けるの 永遠(とわ)に…
(アウトロ - Cm Gm Bb Eb (フェードアウト))
Db: ヘ短調の平行長調(Abメジャー)のサブドミナント(IV)。ここでは借用和音的な響きを持たせています。
C7: ドミナントセブンス。次のFmへの解決をより強くするために使用。
Bb/D: Bbの第二転回形。ベースラインを滑らかにする効果があります。
Eb/G: Ebの第二転回形。同様にベースラインを滑らかにします。
全体的に、ヘ短調の持つ少し憂いを帯びた雰囲気と、Adoさんの楽曲の持つ力強さを両立させるようなコード進行を意識しました。特にサビの部分は、コード進行を少し (ダイナミック) にすることで、 (エモーショナル) な高まりを表現してみました。
今日やで、やっと教会にアレルヤが響き渡って、それが口から口へ、心から心へ、どんどん広がっていくんや。そんで、その歌は世界中の神さんの民を、嬉し涙でいっぱいにするんやで。
エルサレムの空っぽになったお墓から、今まで聞いたこともない知らせが来たんや。「十字架にかけられたイエスは、ここにはおらへん。生き返らはったんや!」(ルカ24,6)。イエスはもうお墓の中にはおらへん、生きてはるんや!
愛は憎しみに勝ったんや。光は闇を負かしたんや。ほんまのことは嘘っぱちを打ち破ったんや。許しは復讐に勝ったんや。悪いことは、この世からなくなることはないやろうけど、もうあんまり力を持たへん。この日の恵みを受け入れる人には、もうどうすることもできへんのや。
姉さん、兄さん、特に悲しみとか苦しみの中におる人たち、みんなの静かな叫びはちゃんと聞いてもらえたで。みんなの涙は受け止めてもらって、一滴も無駄にならへんかったんや。イエスの苦しみと死において、神さんはこの世の悪いことを全部自分で背負うてくれはったんや。そんで、その限りない優しさで悪いことに勝ったんや。人の心を毒して、あちこちに暴力とか悪いことの種をまく、悪魔の偉そうな態度をなくしてくれはったんや。神さんの子羊は勝ったんや!やから今日、わてらはでっかい声で言うんや。「わての希望、キリストは生き返らはったんや!」(復活の続唱)。
せやで。イエスの復活は、希望の土台なんや。この出来事のおかげで、希望はもうただの夢物語やなくなったんや。せやで。十字架にかけられて生き返ったキリストのおかげで、希望は裏切らへんのや。Spes non confundit! (参照 ローマ5,5)。それは逃げていく希望やなくて、立ち向かうべき希望なんや。人に譲れるような希望やなくて、責任を持たせる希望なんや。
神さんに希望を託す人は、神さんの大きくて強い御手のひらに、自分のか弱い手を置くんや。そしたら、神さんに立ち上がらせてもらって、また歩かせてもらうんや。生き返ったイエスと一緒に、その人らは希望の旅人になって、愛の勝利といのちの静かな力をみんなに伝える人になるんや。
キリストは生き返らはったんや!この言葉の中に、死ぬためやなくて、生きるために作られた、わてらの存在のすべての意味が詰まっとるんや。復活祭は、いのちの祭りや。神さんはわてらをいのちのために作ってくれて、人間がもう一度立ち上がることを願うてはるんや。神さんの目には、どんないのちも大切なんや。お母さんのお腹の中におる赤ちゃんのいのちも、お年寄りの人や病気の人らのいのちも、ますます多くの国で、いらんもんやと思われてるけどな。
世界の色んな争いの中で、どれだけの人が死ぬことを願われてるんやろうか。どれだけのひどいことが、家の中とか、女の人や子どもに対して、よう見られるんやろうか。一番弱い立場の人とか、仲間はずれにされてる人、外国から来た人に対して、どれだけの酷い扱いが当たり前になってるんやろうか。
今日こそ、わてらが希望と、ほかの人を信じる気持ちを取り戻したいもんや。たとえ親しい人やなくても、遠い国から来た、習慣とか生き方、考え方、風習が、自分らが慣れ親しんだもんとは違う人でも、わてらはみんな神さんの子どもやからな。
平和はできるっていう希望に、わてらがもう一度立ち返れますように。今年、カトリック教徒と正教徒が同じ日に復活祭を祝うた聖墳墓教会から輝き出る平和の光が、聖地の全部と全世界を照らしますように。パレスチナとイスラエルのキリスト教徒の苦しみに、同じように、イスラエルとパレスチナのすべての人に寄り添いたいと思うんや。世界中に広がってる、ユダヤの人に対する偏見が強まってるのは、心配なことや。同時に、わての気持ちは、恐ろしい争いでたくさんの人が死んで、めちゃくちゃ悲惨で恥ずかしい状況になってるガザ地区の人々、特にキリスト教の仲間たちに向かってるんや。争ってる人たちに言うで。攻撃をやめて、捕まってる人を解放して、飢えに苦しんで、平和な未来を願ってる人たちに手を差し伸べてください!
レバノンとシリアのキリスト教の仲間たちのために祈りましょう。シリアは、歴史の中で大事な変わり目にきてて、安定と、世界の一員になることを強く願うてるんや。すべての教会に、大切な中東のキリスト教徒たちに、関心を持って、祈りを捧げてほしいんや。
それに、特に、戦争のせいで世界でも一番ひどい「長引いた」人道危機を経験してるイエメンの人たちのことを思うんや。みんなに、ちゃんと話し合って解決策を見つけるように呼びかけるで。
生き返ったキリストが、苦しんでるウクライナに、平和っていう復活の恵みをいっぱい与えて、正しい、ずっと続く平和になるように頑張ってる人を励ましてくれますように。
このお祝いの期間に、南コーカサス地方のことを思って、祈ります。アルメニアとアゼルバイジャンの間に、早く最終的な平和協定が結ばれて、実行されて、この地域に待ち望まれた平和が来ますように。
復活の光が、西バルカン諸国に仲良くする気持ちを広げて、争いがひどくなるのを防ぐために、政治の偉い人たちの頑張りを応援してくれますように。同じように、この地域の国々が、危なくて不安定になるようなことをしないように。
わての希望、復活したキリストが、暴力とか争いで苦しんでるアフリカの人たち、特にコンゴ民主共和国、スーダン、南スーダンの人たちに、平和と慰めを与えてくれますように。サヘル地域、「アフリカの角」地域、大湖地域で苦しんでる人たちや、色んな所で自由に自分の信仰を表せないキリスト教徒たちを支えてくれますように。
信仰の自由がないところ、考えたり言ったりする自由、ほかの人の意見を大切にするところがないところに、平和はないんや。
ほんまの軍縮なしに、平和はないんや。それぞれの国が自分の身を守るために準備することは必要やけど、それがみんなが武器を増やし合う競争になったらあかんのや。復活の光が、仲間割れを起こしたり、政治や経済に悪い影響を与える邪魔なもんを取り除くように、わてらを励ましてくれますように。それに、お互いを思いやる気持ちとか、みんなで助け合う気持ちを高めて、すべての人の成長を助ける頑張りを応援してくれますように。
今この時、ミャンマーの人たちに助けがちゃんと届きますように。何年も続く武力紛争で苦しんで、何千人もの人が亡くなって、孤児になった子とかお年寄りとか、生き残った人たちが苦しんでる、サガインの大きな地震に、勇気と我慢を持って立ち向かっています。亡くなった人たちと、残された家族のために祈って、助ける活動をしてる親切なボランティアの人たちに、心から感謝しましょう。国内のいろんなグループが停戦を発表したのは、ミャンマー全体にとって希望の光やで。
政治の責任がある世界中のすべての人に言うで。自分を守ろうとする怖い気持ちに負けんと、貧しい人を助けて、飢えと戦って、発展を助ける取り組みにお金を使うてください。死の種をまくことやなくて、未来を築くこと、これこそが平和の「武器」なんや。
わてらの毎日の行いの大事なこととして、人間の大切な考えを決して忘れんといてください。罪のない市民を巻き込んで、学校とか病院とか、人道支援の関係者を攻撃する、争いの酷い行いの前で、これらの人はただの物やなくて、心と尊厳を持った人間やいうことを忘れんといてください。
この聖なる年に、復活祭が戦争で捕まった人とか、政治的な理由で捕まってる人の解放のきっかけになりますように。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、主の復活において、死と生はびっくりするような戦いの場で向かい合いました。でも今、主は永遠に生きてはって、わてらもまた終わりのないいのちに参加するように呼ばれてる、っていう確信を与えてくれはるんや。そこでは、武器の音も死の響きも聞こえへん。すべてのものを新しくしてくれるたった一人の人に、わてらをゆだねましょう。
皆さん、みんなに、主のご復活のお喜びを申し上げます。
マクドナルドでセットを食べていた時のこと。
昼時で混雑しており、何とかカウンター席を確保して食事を始めた。
すると隣に座った若い男性はスマートフォンを取り出し、動画を再生しながらポテトをつまみ始めた。
私は行儀の善し悪しについて語るつもりはない。
問題にしたいのはマナーではなく、ただそこにある食べ物が「命」だったこと、それを自分が今「いただいている」という意識をほんの少しでも持ってほしいと思ったのだ。
食べるということは、命をいただくということ。
それは厳然たる現実だ。
たとえ加工された食品であっても、元は牛であり豚であり鶏であり、魚であり、どれもが生きていたものだ。
以前に私が教員をしていた頃、小学5年生の道徳の授業で『いのちの食べ方』というドキュメンタリー映画を見せたことがある。
食肉加工工場や畜産現場の様子が描かれている作品で、映像は正直かなりショッキングだった。
だが、私は子どもたちに「食べるとはどういうことか」をしっかりと考えてほしかったのだ。
スーパーマーケットのきれいなパッケージに入った食品だけを見て育つのではなく、その背景にある“命の循環”に少しでも目を向けてほしいという願いがあった。
「授業中に魅せられた映像のせいで子どもが肉を食べられなくなった」といった内容だった。
電話口の相手は感情的で、「教育の名のもとにそんなものを見せるのは非常識だ」と私に何度も怒鳴った。
こちらが丁寧に意図を説明しても相手が納得することはなかった。
確かに刺激の強い映像を一律に見せるべきではないという指摘は尤もかもしれない。
それでも納得できなかった。
しかしそういった大切なものが”無かったこと”にされていく風潮に、少なからず危機感を抱いている。
現代の豊かさの中で命の重さや食の意味といったことが、どんどん見えづらくなっているような気がしてしまうのだ。
極端な前情報ナシで観に行った。泣けるファンタジーラブコメって感じ
中盤まではもっさり進むので、いろいろなピースがつなぎ合わさる中盤以降から楽しめそう
見えてないと思ってたシャオルンの姿を実はシャオミーは見えていたというワクテカ展開。
シャオルンはシャオミーと月老(縁結びの神様)になる未来よりシャオミーが助かるために他の男と糸を結ぶ(身を引く
切ないなぁ。
監督のオンラインイベントの記事読んだら、そうかシャオミーがオーロラをみたい夢をシャオルンは覚えてて
シャオミーを生かしたかった、とあって、映画をぼんやり観ちゃうと読み込みがあさいな、と反省
全てのいのちにやさしくありたい(といいつつ蚊をつぶす
台湾にもコックリさんが!w
冥界の登場人物がよくわからなくて混乱した。相関図があればよかったけど、チラシおいてなかったっぽい
老いぼれに眩しい一作だった
これを書いた後、視聴済みのかたの考察を読みました
https://x.com/mori_arch_econo/status/1916305363441451325
https://x.com/colecameron/status/1915653555471737154
の転載
東京在住ニュージーランド人、コール・キャメロン氏による大阪万博への酷評。
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筋金入りの万博オタクの俺は、これまでも世界中を駆け巡って、人間の創意工夫と文化を鮮やかに表現する様を目撃してきた。
上海万博2010の都会的なスペクタクル、麗水万博2012の海辺の魅力、ミラノ万博2015の活気あふれる雰囲気コロナ禍のパンデミックのせいでドバイ2020行かなかったんだけどな。
2025年の大阪万博は、俺にとっての究極のラスボス。キッチリしてる国、おもてなしの国。日本が誇るハイテクを駆使した素晴らしい万博になってるもんだと思ってたんだ。何ヶ月も前からXでもガンガン大騒ぎし、1年前からチケットを確保。俺のオタク魂は、期待度がどんどん高まっていたよ。
ところがだ、2025年の大阪万博は、すべての可能性を全否定、無駄のお手本、マジイライラするものだわ。退屈でくっそつまんねえ、俺がいままで万博に期待してたもの、そのすべてを裏切るものだよ。
まあ、私の愚痴を聞いてくれよ。
(1)デジタル全滅万博:ダイヤルアップ時代に逆戻りしたような世界
新幹線とロボット専門家はじめ技術があるはずの日本が、なぜか2005年の頃のような(20年前のような)、時代遅れのデジタル体験をさせられたぜ。俺の話を聞いてくれ、万博会場内じゃ、4つの別々のアプリを使わなきゃならない。しかも、どれもバグだらけで使えたもんじゃねえ。
メインアプリは、見た目だけのただのウェブページで、ブラウザの「戻る」ボタンすら付いてなかった。万死にあたるとはこのことだ!なんでまた、画面をスクロールしていくのは、まるで泥沼の中を進むようだった。俺は技術者として素人じゃないけど、これは悪夢だった。ウォークマンを発明したような国が、どうしてこんなにも基本的なアプリデザインをずさんにしてしまうか?不思議でならんよ。
俺は計画を立てたい人間なんだよ。旅程を組むのは本当に楽しい。過去の万博でも、そのおかげで完璧なスケジュールを簡単に組むことができてた。それがだ、2025年の大阪万博はどうだったか?というと、まさに、わけのわからん重労働。万博の予約サイトは、あらゆる人にとって迷路。すべての情報をごちゃ混ぜにした迷宮、まるでデジタル版ピタゴラススイッチだよ。わけもなく無限に複雑だった。
先週、まるでルーブ・ゴールドバーグ・マシン(ピタゴラスイッチのことだよ)と格闘しているようだとツイートしました。完全にお手上げになった俺は、もうこれまでの万博の知識に頼って、現地で臨機応変に対応することにしました。これがまさに、俺としたことが初心者並のミスだった。
上海や麗水、ミラノでは、回る順番を決めて戦略的に列に並べば息を呑むほど美しいパビリオンに入場できたんだけど、大阪万博のシステムではオンライン予約そのものが最初の難関。
ステップ 3: そして「クールな」パビリオン、コンサート、あるいはまともな食事の抽選に応募。
ところが、ここで抽選だ! 話題のパビリオンや展示の予約枠を追いかけて、何時間もアプリを延々と更新するはめになる。パビリオン予約の「空いている」はずの枠は、全部クリックした瞬間に消えてしまう。
しゃあないと、コモンズ館に行くと、予約はいらんけど二流のブースに閉じ込められることになった。それは、もう、まったく魅力のないどころか、見せかけの、見本市や展示会のただのブースだった。それなりに待てば入場できた、ミラノ万博の見事な「生命の樹」や、飛び入り参加可能だった上海万博の「中国館」と比べればわかる。
大阪万博の予約サイトの仕組みは、万博会場に到着する前に、みんなの心を折るように設計されているんだよ。まったく。
大阪湾の人工島、夢洲に足を踏み入れた俺は、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにした未来的なワンダーランドを想像していたんだ。ところがだ、その夢はもろくも崩れ去ったよ。実際には、ただただ過密状態、それが全てという、なんの魂もこもっていない企業展示会のようなものに遭遇してしまった。
会場レイアウトはごちゃっとしたまま、パビリオンはあちこちに散在して、案内の看板はまばらにしかない。至る所に人の動きをせき止めるボトルネックがあったぞ。コモンズ館でのぞいたほとんどのブースは、流行のキャッチフレーズや標語と、パワーポイントのスライドが映し出されるだけで、いいかげんなものだった。万博における文化の深みはどこへ行ったのか?そんなものは全く感じられなかった。
レストランは事前予約をしていないと入れないし、食事は、ぼったくりだった。道頓堀のフードホールで800円で買えるようなスモールピザセットに2000円も払ってしまったよ。
俺が一番悲しいのは、日本は本当はその期待と責任に答えるることができたはずななのに、ということだ。新幹線、スタジオジブリ、そして寿司を運ぶロボットの国、日本は世界へそのラブリーな魅力を発信するべきだった。
ところが、2025年万博はクソ官僚主義といいかげんさで、なにもかも頓挫してしまった。2010年の上海万博は世界的なビジョンで人々を魅了し、2012年の麗水万博は海洋イノベーションで人々を魅了した。2015年のミラノ万博は、食と文化を華やかに融合させた。それに対し、大阪万博は、最悪の欠点ばかりが目立ち、その魅力が消え失せてしまった。
(5)最終判定:とりあえず今持ってる円を使うな
2025年の大阪万博、俺は本当にそれに夢中になりたかったよ。でも、ひどいデジタルカオス、チケット予約地獄、そして退屈なアトラクションの数々を考えると、それは無理だな、断固拒否。
もう万博は諦めて、大阪の真のスター、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ行こうぜ。あんなに楽しい体験をするために(万博予約のような)兵站の博士号並の知識も準備も必要ない。
むしろ東京に来た方がいい。東京は毎日が巨大な万博みたいなもんだ。
熱心なワールドエキスポファンとして、これまで世界中を渡り歩いてきた。
🇨🇳 上海2010の都市のド派手さ、🇰🇷 麗水2012の海の魅力、🇮🇹 ミラノ2015の活気ある文化融合(🇦🇪 ドバイ2020はコロナでパス)。
2025年大阪万博は、日本の技術力とホスピタリティが光る最高峰のイベントになるはずだった。
𝕏で何ヶ月も盛り上げ、1年前にチケットをゲットして、心の準備は完璧だった。
だが、結果は失望の極み。可能性を無駄にした、ガッカリな万博だった。
今回は、その全てを正直に語らせてもらう。
4つも別々にインストールさせられた挙句、どれもバグだらけ、動きは鈍くて、使い勝手は最悪。
メインアプリは、ただの劣化版ウェブサイトのようで、「戻る」ボタンすら正常に機能しない。これはUX設計最大のタブーでしょう?
これが新幹線を走らせる国、世界に誇るIT技術を持つ日本の仕事かと思うと、ショックだった。
俺は、旅の計画を立てるのが好きだ。
行きたいところ、見るべきもの、全部きっちりスケジュールに落とし込むタイプだ。
これまでの万博なら、それが楽しかった。でも大阪では、スタート地点から躓いた。
公式サイトは、あれもこれも詰め込みすぎて、何が重要なのかさっぱり分からない。
必要な情報にたどり着くだけでも一苦労。これじゃ計画なんて立てられない。
仕方なく現地でアドリブ勝負に切り替えたけど、それが大間違いだった。
他の万博みたいに、並んだらすごいパビリオンに入れる――なんて甘いもんじゃなかった。
大阪は、「チケット購入→日付指定→さらに個別抽選」という三段階地獄が待っていた。
しかも、抽選がまたキツい。「予約可能」と表示されてるのに、タップした瞬間に消える詐欺まがいの仕様。
何度アプリをリロードしても、人気パビリオンの枠は幻みたいなもの。
夢洲の人工島、テーマは「未来社会のデザイン」とかでワクワクしたのに、実際は雑多な企業展示会。
レイアウトはグチャグチャ、案内表示は不足、人の流れはボトルネックだらけ。
ブース内も、パワーポイントと流行語を並べただけのやっつけ展示ばかりで、文化的な深みは一切存在しなかった。
食事も高額な割に感動ゼロだった。予約なしで入れるフードコートでは、小さなピザセットに2,000円も払わされた。
日本は、新幹線、ジブリ、寿司ロボットといった世界が憧れるイノベーションを生み出してきた国だ。
本来なら、これらを世界に見せつける最高の舞台になったはずだった。
上海2010は壮大なビジョンを見せ、麗水2012は海の未来を描き、ミラノ2015は食と文化の躍動を体現していた。
だが、大阪2025は、それらの失敗要素だけを寄せ集め、「魔法」を完全に忘れたかのようだった。
しかし、最悪なデジタル体験、ストレスフルな予約地獄、心を動かさない展示。
断言する。「行かなくていい」。
本当の大阪のスター「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」に行った方が絶対にいい。
俺みたいにリアルじゃ全然目立たんし、社会でも居場所ない感じの人間にとって、コスプレって数少ない自己表現のチャンスなんよ。
もちろん迷惑かけたらアカンのはわかってる。通路塞いだりとか、過激な露出とか、それは確かにマナー違反やと思う。でもさ、ちゃんと節度守って楽しんでる人まで「気持ち悪い」とか「場違い」って言われんのはキツいわ…。
俺、コスプレイヤーさんが万博行ったって見て、「いいね!」って感動したんよ。俺も、ああいう風にちょっとでも目立てたら、普段の自分から少しだけ抜け出せる気がするんよね。
万博って「未来の社会」見せる場所やろ? だったら色んな文化とか個性を受け入れる懐の深さも見せてほしいやん。コスプレがあることで、「あ、こんな生き方もあるんやな」って思う人もおるかもしれんし。
だから、頼むから「コスプレ=迷惑」って決めつけんといてほしい。俺みたいな冴えへんやつでも、一瞬だけ主役になれる大事な表現やねん。もっとみんなが寛容になって、誰でも楽しめる万博になってほしいわ…。
それにそもそもやけど、この日本って国は「公序良俗」や「法律」に違反してへん限り、どんな格好しても自由なんよ。これ、当たり前の話な。
論点が整理されていないので、Grok君に整理してもらいました。参考にしてください。
以下は、X上で議論されている「大阪万博にコスプレで参加することの是非」に関する論点を整理し、コスプレ否定派とコスプレ容認派の主張をまとめたものです。各論点について、関連する過去の事例・判例・法令を必要に応じて記載します。主張の評価は行わず、客観的な整理に徹します。
公式ルールの曖昧さ: 大阪万博の公式ルールでは「持込禁止物に該当しないもの」「公序良俗に反しない服装」「平穏を乱す行為の禁止」を条件にコスプレが許可されているが、具体的な基準が不明確である。更衣室がないことやトイレでの着替えが禁止されていることから、コスプレを想定したイベントではないと解釈すべきである。
暗黙の禁止: 公式が明確に「コスプレ歓迎」と明記していないため、「許可されている」ではなく「禁止されていない」に過ぎない。コスプレは運営が想定していない行為であり、ルールの隙間を利用する行為は不適切である。
運営負担の増加: コスプレに関する問い合わせが増えると運営の負担となり、将来的にコスプレが禁止されるリスクが高まる。
公式ルールの明確な許可: 大阪万博の公式FAQで「コスプレまたは仮装をしての入場は可能」と明記されており、特定の条件(持込禁止物、公序良俗、平穏)を満たせば問題ない。ルールに則っている以上、コスプレは正当な行為である。
運営の歓迎姿勢: コスプレイヤーへの現地スタッフの対応が好意的であり、事実上コスプレが歓迎されている。運営側がコスプレを問題視していない証拠である。
多様性のテーマとの整合性: 大阪万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」や「多様性」にコスプレが合致し、文化表現の一環として認められるべきである。
大阪万博公式ルール: 公式FAQによると、「持込禁止物に該当しないものであれば、装着しての入場は可能」「公序良俗に反する服装や平穏を乱す行為は禁止」「更衣室はなく、トイレでの着替えは禁止」「他の来場者に迷惑となる写真撮影や、不安感・恐怖感を与えるものは入場拒否の可能性」と規定されている。
過去の万博: 愛知万博(2005年)ではコスプレサミットが開催され、コスプレが公式イベントとして組み込まれた。上海万博(2010年)やドバイ万博(2020年)でもコスプレ関連イベントが存在し、万博とコスプレの親和性が示唆される。
場違いな行為: 万博は国際的な文化交流や技術展示の場であり、テーマパークやコスプレイベントではない。アニメキャラクターのコスプレは万博の目的(各国の文化・歴史・技術の体験)にそぐわず、場の雰囲気を乱す。
他の来場者への影響: コスプレは目立つため、意図せず注目を集め、写真撮影や囲みの発生で他の来場者の体験を妨げる。特に海外からの観光客がコスプレをイベントの一部と誤解する可能性がある。
公共交通機関や移動の問題: コスプレ姿で公共交通機関を利用したり、会場外を移動することは、コスプレ界隈の暗黙のルール(公共の場でのコスプレは控える)に反する。
文化表現としての正当性: コスプレは日本のサブカルチャーとして世界的に認知されており、万博の多文化交流の一環としてふさわしい。コスプレを通じて日本の文化をアピールできる。
他の来場者との交流: コスプレは同じ趣味を持つ人々との交流を促進し、万博の「共感の輪」を広げる。スタッフやキャラクターとの好意的なやり取りも、ポジティブな体験となる。
個人の自由: コスプレがルールに則り、他の来場者に迷惑をかけない限り、個人の表現の自由として認められるべき。万博の多様性を体現する行為である。
コスプレイベントの例: コミックマーケットやコスプレサミットでは、公共の場でのコスプレ移動を避けるため更衣室が用意され、移動時のルールが厳格化されている。万博では更衣室がないため、移動時のコスプレが問題視される。
テーマパークの事例: ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンでは、特定の期間(例:ディズニーハロウィーン)を除き、コスプレでの入場が制限される。これは場の調和を保つための措置とされる。
著作権侵害の可能性: コスプレ衣装はアニメや漫画のキャラクターを基にした二次的著作物であり、権利者の許可なく製作・着用することは著作権法の複製権や翻案権の侵害に該当する可能性がある。現状は権利者の黙示の許諾に依存しているグレーゾーンである。
不正競争防止法のリスク: コスプレ姿をSNSに公開し、注目を集める行為は、キャラクターの顧客吸引力を利用した「不正競争」に該当する可能性がある。特に万博のような公共の場での露出は、権利者のイメージを損なう恐れがある。
コスプレ界隈への悪影響: 無許可のコスプレが目立つと、権利者が法的措置を取る可能性が高まり、コスプレ文化全体に規制が及ぶリスクがある。
著作権侵害の非該当: コスプレは二次的著作物に該当しない場合が多く、翻案権侵害には当たらない。個人による非営利のコスプレは、権利者が黙示的に許諾しているため問題ない。
ファン活動のポジティブな効果: コスプレは作品の宣伝やファンコミュニティの活性化に寄与し、権利者にとっても利益がある。万博でのコスプレは作品の布教につながり、文化的価値を高める。
法的リスクの低さ: 非営利目的のコスプレは、権利者が訴訟を起こす可能性が低く、実際には問題にならない。万博のルールに則っている限り、法的問題は生じない。
著作権法: コスプレ衣装が元のイラストの「表現上の本質的な特徴」を再現する場合、複製権(著作権法第21条)や翻案権(同第27条)の侵害に該当する可能性がある。ただし、私的使用(同第30条)や非営利目的の場合は権利者の黙示の許諾により問題にならない場合が多い。
不正競争防止法: 「マリカー事件」(東京地裁2018年、知財高裁2020年)では、マリオ等のコスプレ衣装を使用した商業活動が不正競争行為(不正競争防止法第2条1項1号)に該当すると判断された。非営利のコスプレは対象外だが、SNSでの公開が「顧客吸引力を利用」と見なされる可能性がある。
コスプレのグレーゾーン: コスプレは権利者の黙示の許諾により成り立っているが、2021年に政府がコスプレの著作権ルール整備を検討する方針を表明。現時点で明確な法規制はない。
マナー違反の懸念: コスプレは目立つため、意図せず他の来場者に迷惑をかける(例:写真撮影の囲み、スペースの占有)。特に子どもや海外来場者への配慮が不足している。
承認欲求の押し付け: コスプレ姿でSNSに投稿することは、自己顕示欲や承認欲求を満たすための行為であり、他の来場者に強制的にコスプレを見せる結果となる。
悪意ある利用のリスク: 過去にテーマパークで不適切な目的(例:子どもへの接触)でコスプレをした事例があり、万博でのコスプレが同様のリスクを孕む。
マナーを守れば問題ない: ルール(公序良俗、撮影禁止、迷惑行為の禁止)に則り、他の来場者に配慮すれば、コスプレは問題ない。実際、問題行動を起こしたコスプレイヤーの報告は少ない。
テーマパーク的体験の提供: コスプレは来場者にとってテーマパークの着ぐるみのような楽しさを提供し、万博のエンターテインメント性を高める。
個人の楽しみ: コスプレは自己表現やキャラクター愛の表れであり、他の来場者が不快に感じるとしても、ルール違反でない限り制限すべきではない。
過去のトラブル: テーマパークでのコスプレによるトラブル(例:不適切な接触目的のコスプレ)は、公共の場でのコスプレに対する懸念を高めている。ただし、万博での具体的なトラブル事例は未報告。
コスプレイベントのマナー: コミックマーケットやコスプレサミットでは、撮影時の囲み防止や移動時の配慮が暗黙のルールとして存在する。万博ではこれが徹底されていないとの指摘がある。
コスプレ界隈の体質: コスプレ界隈には「ルールを守らない」「文章を曲解する」傾向があり、万博でのコスプレもその延長線上にある。炎上はコスプレイヤーのマナー違反や非常識な行動への反発である。
個人的な不快感: コスプレが万博の場にそぐわないと感じる人々が、ルール以前に「見たくない」という感情から批判している。これは個人の価値観の相違によるもの。
過剰な注目: 特定のコスプレイヤー(例:鹿乃つのさん)がSNSで目立つ投稿をしたことで、他のコスプレイヤーにも批判が波及。影響力の大きい人物の行動が炎上を増幅した。
不当なバッシング: ルールに則ったコスプレが「承認欲求」「場違い」などのレッテルで批判されるのは不当。批判者の多くはルールを把握せず、感情的な反発に終始している。
コスプレ文化への偏見: コスプレに対する否定的な意見は、コミックマーケットなどでのオタクバッシングの延長であり、偏見に基づく。万博の多様性を否定するものだ。
運営の公認: 大阪市長がコスプレ関連の記事をリポストするなど、事実上公認されている。批判は「個人的な不快感」を押し付けるわがままである スpost:1⁊
過去の炎上事例: コスプレ界隈では、イベント外でのコスプレ(例:ディズニーランドでの無許可コスプレ)やSNS投稿が炎上した事例がある。万博のケースも同様の構造を持つ。
SNSと炎上: SNSでのコスプレ投稿は注目を集めやすく、批判が過熱する傾向がある。法的な問題がなくとも、感情的な反発が炎上を招くケースは多い。
炎上の中心事例: 議論の中心は、コスプレイヤー鹿乃つのさんが『ダンジョン飯』のキャラクター「マルシル」のコスプレで万博に来場し、SNSに投稿したことによるプチ炎上である。このケースが多くの論点を引き起こしている。
法的グレーゾーンの影響: コスプレの著作権や不正競争防止法に関する議論は、法的解釈の曖昧さが議論を複雑化させている。明確な法規制がないため、双方の主張が対立する。
万博の特殊性: 国際的なイベントである万博は、テーマパークやコスプレイベントとは異なる目的と雰囲気を持つため、コスプレの適切性が特に議論の焦点となっている。
以上が、X上で議論されている「大阪万博でのコスプレの是非」に関する論点整理です。各論点について、否定派と容認派の主張をバランスよくまとめ、関連する事例・判例・法令を記載しました。
小学生の自殺率、4~6月の増加目立つ 学校始まるストレスと関係か
小学生の自殺率は上昇傾向にあり、とくにここ数年は4~6月の増加が著しい――。
一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター(JSCP)」国際連携室室長の仁科有加さんらが、米医師会雑誌「JAMA Network Open」に論文を発表した(https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2829456別ウインドウで開きます)。仁科さんは「リスクの高い子どもたちに適切な介入をする必要がある」と指摘する。
日本を含む主要7カ国(G7)の10代の死因で、自殺が1位となっている国は日本しかない。一方で、より年少の8~12歳の自殺の背景分析は、これまでほとんど研究されてこなかった。
仁科さんらは、国がまとめた2009~23年の自殺統計を前期(09~15年)と後期(16~23年)に分け、それぞれ自殺率の変化や要因などを調べた。
この間に自殺した子どもは男子159人、女子124人。全般的な傾向として自殺率は上昇傾向にあり、その割合は女子の方が目立った。100万人あたりの自殺件数は、前期が平均2.84件だったのに対し、後期は平均4.03件と、統計的にも有意な差で増えていた。
特に「女子」「12歳」「飛び降り」「西日本」「非都市部」といった要因で増加が目立った。また前期に比べ後期は、自殺を実際に企てた「企図歴」がある子や、4~6月に亡くなる子の増加が特に顕著で、4~6月に亡くなった子は1.93倍に増えていた。
日本人全体では、女性より男性の方が自殺率が高いが、この年代では女子の増加が目立つ。また飛び降り自殺が占める割合は日本人全体では12%だが、この年代では前期が16%、後期は29%と高かった。ほかの自殺方法に比べて準備の必要が少ないため、衝動的に行動した背景がうかがえるという。
また4~6月の自殺率が急増した背景には、学校が始まるストレスと関係している可能性があると指摘する。
自殺の企図歴はハイリスク要因であり、仁科さんは「自殺未遂を経験した子どもへの重点的な介入が必要だ」と指摘する。
厚生労働省が3月末に公表した24年の自殺者数によると、小中高生の自殺は529人で統計のある1980年以降、過去最多となった。
【生きづらびっと】
【あなたのいばしょ】
【いのちの電話】
査読付き論文であるが、そもそも書いている人が同じなため、中立性が欠落している。
査読付き論文さえあれば、どんなことでも書いていいことにならない。
またそうであれば査読付き論文は全部掲載すべきである。例えば女性が過剰に優遇されていることも査読付き論文で存在する。
研究としてはそうなっているが、記事としては4月~6月に区切る合理的理由がない。以前は5月病と言われており、5月だった。だんだん拡大している。
https://x.com/sumomodane/status/1914307397025513949
2024年の小学生の自殺は男女合わせて15人しかおらず、これでは一人ふぇるだけでとんでもない増加が生じるため、実際は増減率は意味がない。
つまり、この記事は意図的に小学生の自殺を強調していることがわかる。それが大事なら、もっと他に、特に40代~50代男性を完全に無視している。
これについて一切記事を書かないのは自殺しろという主張をしているのと同じである。
つまり氷河期世代は自殺しろ、というのが朝日新聞の女性記者であり、論説委員という肩書がある以上、朝日新聞自体が自殺しろと言っているのと同じ記事となっている。ゴミすぎるだろ。
@MIKITO_777
オーストラリア、ニュージーランド、米国、ロシア等の方が子供の自殺率は高いです
項目 | 内容 | 評価・コメント |
------ | ------ | ---------------- |
① 「小学生の自殺率が上昇傾向」 | 2009–2023年の自殺統計から小学生の自殺者数は増加傾向とされる[^1] | ✅事実だが注意が必要。母集団が小さく(年間10人前後)、1件の増加でも大きな率の変動を生むため、「有意差あり」と言っても社会的インパクトとして過剰に見せる可能性がある |
② 「4~6月の自殺が1.93倍に増加」 | 後期(2016–2023年)に4~6月の小学生自殺者が増加[^1] | ⚠️誇張の可能性あり。3か月間だけを抽出して「倍増」と述べるのは、季節性や偶然の偏りを無視した印象操作の恐れがある |
③ 「日本だけがG7で10代の死因1位が自殺」 | 事実。事故死や病死が少ない社会で相対的に自殺が1位になる[^2] | ✅事実だが、他の国との直接比較には文脈が必要(たとえば米国では銃が死因1位[^3]) |
④ 「自殺の企図歴はハイリスク要因」 | 自殺未遂経験者は再企図のリスクが高いとする[^4] | ⚠️一般論としては妥当だが、記事内では根拠となるデータが提示されていないため、読者の納得を得るには不十分 |
⑤ 筆者・編集者の主張が前面に出ている | 小学生の自殺増加傾向を社会的危機として強調し、他世代との比較や冷静な補足が不足 | ⚠️一部事実に基づくが、全体構成としてバランスを欠き、ミスリードの恐れがある |
[^1]: JAMA Network Open掲載論文(仁科有加ほか), 2025年 https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2829456
[^2]: 朝日新聞「小学生の自殺率、4~6月の増加目立つ」2025年4月21日 https://www.asahi.com/articles/DA3S16022649.html
[^3]: Forbes JAPAN「アメリカの19歳以下の死因1位は銃」2023年 https://forbesjapan.com/articles/detail/66508
[^4]: 厚労省『自殺総合対策大綱』(2022年改訂)https://www.mhlw.go.jp/content/000909437.pdf
小学生の自殺率や自殺数は、統計的に極めて小さい数字でありながら、「増加率」「季節要因」「女子に多い」といったセンセーショナルな切り口のみを強調しており、読者に不安を与える構成になっている。
一方で、自殺率が圧倒的に高い40代・50代男性(年間自殺率25~29人/10万人)の実態には一切触れず、論点が子供のみに限定されているのも不自然。
論文が査読付きであること自体は信頼性の一つの指標ではありますが、それが即座に社会的意味を持つ一般化を許す根拠とはならない。
特に、「1.93倍」という数字を4~6月にだけ焦点を当てて抽出した手法は、読者を誘導するリスクが高い(いわゆる「統計のパラドックス」的手法)。
すると、このような信憑性に疑問のある記事の末尾に名前が掲載されることで、あたかも信頼性の高い団体であるかのような印象を与える。しかし、「あなたのいばしょ」の代表である大空幸星氏は現職の衆議院議員であり、さらに内閣官房「孤独・孤立の実態把握に関する研究会」構成員や、こども家庭庁「こどもの居場所部会」委員など、政府機関に深く関与している。代表がこういう人物の団体が、裏付けの乏しい記事と並んで紹介されることは、特定団体への便宜供与とも受け取られかねない。
さらに、
@anselyosemite
あのー、東京都のサイトからあなたのいばしょの事業報告書 令和3・4年度が削除されてるんですけど、何か修正でもあるんでしょうか?
https://seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/houjin/npo_houjin/list/ledger/0013611.html
衆議院議員が代表であり、かつ政府機関に深く関与しているにも関わらず、この団体の会計はおかしく、まずこの会計が解決されない限り、政府機関に関与することができないのは当然のことである。
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🚆2025年日本国際博覧会の開幕を取材しようとスプートニク特派員が大阪へ出発! 現地からとびっきり新鮮な情報をお届けします。
🤩 大阪・万博の一番の見どころはスプートニクで! 皆さんもご一緒に見学をお楽しみください。
#大阪万博をスプートニクが取材 #大阪・関西万博 #EXPO2025
https://x.com/sputnik_jp/status/1910656068109160448
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大阪・関西万博の開幕を取材しているスプートニク特派員が、稼働を開始したメディアセンターの雰囲気をお届けします!
映像はワーキングスペースの様子、写真は展示されているグッズ、そして「夢洲駅」のオールジェンダートイレ。
大阪・万博の一番の見どころはスプートニクで! 皆さんもご一緒に見学をお楽しみください。
#大阪万博をスプートニクが取材 #大阪・関西万博 #EXPO2025
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石破首相は12日、大阪・関西万博の開会式で「世界の人々が対話し、交流する舞台を提供する。ここから新しい日本の姿を世界に発信していく」とあいさつした。
「コロナ禍を乗り越えた世界は、様々な分断の危機に直面している。こうした時代に、世界中の人々が集まり、『いのち』というテーマに向き合い、最先端の技術や多様な考え方、そして文化に触れることは極めて大きな意義がある」
続けて石破氏は、会期を通じて各国や来場者相互の交流が進み、世界が再び結びついていくことを期待してやまないと述べた。
大阪・関西万博は13日開幕する。会期は10月13日までの184日間。会場は大阪市の人工島「夢洲」で、テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。
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2025年大阪・関西万博の会場は、13日の開幕に向けて最終準備が進められている。
現在、会場への入場が許されているのは関係者と取材許可を得た報道関係者のみ。
スプートニク特派員は、会場のシンボルである「大屋根リング」やその内側のゾーンの様子を撮影した。ここにはまもなく、世界中から代表団が集まる!
「大屋根リング」は、日本の神社仏閣などの建築に使用されてきた伝統的な貫(ぬき)接合に現代の工法を加えて建築しているという。1周およそ2キロ、高さは最大20メートルで、「世界最大の木造建築物」として2025年3月4日にギネス世界記録に認定された。
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自然は、語らずとも語る。空のひかり、木々のざわめき、川のささやき。あらゆる場所に息づいているその存在は、人の目を見つめずに、しかし人を生かしている。
空気は、木々のくれる贈りものである。目に見えぬ酸素を、当たりまえのようにわたしたちは受けとり、日々の呼吸をくりかえす。その静かな循環のなかで、気づかぬうちに自然に守られている。
一匹のハチが、ひとつの花にふれ、やがて果実が実る。そんな小さな営みにも、世界の秩序がある。虫も鳥も、森の奥のけものたちも、すべてが一つの調和をつむいでいる。
自然は、心にも語りかける。森を歩けば、思考はしずまり、海を見れば、胸の波はおさまる。木漏れ日のしたにすわり、風のうたを聞くとき、人はようやく自分の輪郭を思い出すのかもしれない。
だが、今、この美しさは音もなく失われてゆく。森はきられ、川はにごり、生きものたちは声をひそめている。人が手に入れたものと引きかえに、失いつつあるものの重みは、計り知れない。
それでも、まだ遅くはない。自然は、敵ではない。わたしたちの内にひそむ、忘れかけた原風景である。敬い、まもり、ともに生きていくことが、ほんとうの豊かさを呼びもどす。