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「あのころ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: あのころとは

2025-05-14

GQuuuuuuXを6話まで見たけど、だんだん自分が何を見せられてるのかよく分からなくなってきた

たぶんマチュがああいキャラなのは意図的なんだろうけど、正直見ててしんどいところが多くて、でもそれって多分“今”の視聴者が何に対してしんどさを感じるのかを逆手に取った演出なんだと思う。

6話でキシリア暗殺を絡めて◯◯する展開とかも、視聴者勝手に「そうはならないだろ」って思ってた部分を真正から折ってきた感じがあった。

あれを肯定するのも否定するのもめんどくさくなるような空気感を作ってくるのが本当に上手くて、クランバトルとか一皮むけば殺し合いなのにスポーツだと思い込んで盛り上がってる人がいるって構造が全員にとって当たり前のものとして扱われてるところとか、たぶんあれって「バトルものの皮を被ったSNS劇場」みたいなものとして作られてるんだと思う。

からこそ戦闘シーンより“その後のリアクション”の方が怖いというか、シュウジもマチュもあんだけ暴れまわっておいて結局は自分の中のエゴを発散することしか考えてない所があるっていうか、作品全体が持ってる“立脚点のなさ”みたいなのがファーストガンダムの頃とは視聴者の生きる時代のものが違うんだろうなと思うわけ。

ぶっちゃけこれってファーストとかZをちゃんと通ってきた人間でも、それこそZZ肩透かし食らって複雑な思いしたようなオールドタイプにはむしろ一番きついんじゃないかって感じがあって、あのころ「これもガンダムなのか?」って思いながらなんとか飲み込んできた世代にとって、今作の“やってること全部理解はできるけど心がついてこない”みたいな空気って一番しんどいと思うし、逆に最近若い視聴者からしたら「ガンダムってこういうのもあるんだ」って普通に受け止めてる様子があって、それはそれで悪いことじゃないんだけど、そうやって“全部アリ”にしていくことでシリーズ倫理観がどんどん空洞化していくのが見えてるから怖くて、クランバトルの仕組みとかSNS演出とかも一見新しいことしてるようでやってるのは80年代政治性をエンタメで覆い隠す手法の焼き直しだし、マチュの青臭さに拒否感を持ってる人と共感してる人で会話がまったく成立してないのも、ZZやGレコのときとすごく似てて、なんというか「ガンダムから観てるけどもうこれガンダムじゃないと思いたい」みたいな気持ちになってる人が自分含めてそれなりにいると思うし、それでも観てしまってるのは、たぶんこの作品がいろんな意味シリーズの終着点を一度“茶化しながら焼き払おうとしてる”からで、これを茶番と切るのも、傑作と持ち上げるのも、どっちも疲れるから黙って観てる人が一番多い気がする

2025-05-04

ネット20有余年

最近掲示板全盛時代趣味関係でやり取りがあった数歳年上の人がガンで亡くなったのを知った。もうみんなそんな年齢になっちゃったんだね。

あの頃の知り合いって、SNSにいるのかな?一部はまだ知り合い関係が続いているけど、他の人達ってどうしているんだろう。もうすっかりあのころ趣味からは足洗っちゃったんだろうか。自分は一時期離れても、興味がなくなることはなくて細々心の隅にあったりするんだけど。

もっと若い世代で同じ事に興味ある人達もいるけれど、世代も違うし知り会ったとしてももうそんな親しくなれるとは思えないしなあ。

最近は有名になって商売につなげたい人が多いみたいだけど、ただの趣味として遊んでいるのが良かった。

2025-05-03

あのころクワ

私は昔から寿司大好物だった。

小学生のころは、誕生日にお寿司をねだり、両親に近所の回転寿司に連れて行ってもらった。普段めったにありつけないものだったので、吐くほど食べ続けた。

好きなネタサーモンだ。普通サーモン、炙りサーモンオニオンサーモンを順番に口に放り込んだ。

中学生になってからは、さすがに吐くほど食べることはなくなったが、相変わらずお寿司が好きだった。

高校生になると、アルバイトを始めたので、自由に使えるお金が増えて、友達日常的にお寿司を食べに行けるようになった。

このころから、お寿司のありがたみというかワクワク感が薄れていった。簡単に手の届くものになってしまたかなのだろうか。

大人になって、回らないお寿司も食べに行った。確かに美味しい。美味しいけどなぜかワクワクしない。

お金がなくなって、再びお寿司が手の届かないものになったら、ワクワクする気持ちを取り戻せるのだろうか。

どうすればあのころ気持ちを取り戻すことが出来るのだろうか。

2025-05-01

美味しんぼ 2025年

山岡も栗田さんも定年間近で海原雄山ふくめて富井副部長より上の世代は死んでいるんだろうな

だってあのころ中学生だった自分が50歳なんだもん…

大人になったら岡星みたいな店が行きつけになるかと夢見ていたけどまるで縁がなかったな

大学卒業直後に戻りたいなあ

あのころなら未経験とかインターンバイトで大抵の会社に潜り込めたのでは?と思ってしま

スキルとか知識とかは正直ありものでなんとかしてる感があるけど、経験による考え方とか姿勢とか内面の変化は大きい

2025-04-25

anond:20250425095850

大失敗はなさそうな予感

ドキュメンたる

みたいなちょっとしたヒットでネットでは受けまくる感

ただテレビあのころみたいな大当たりもなさそう

識者はどう見るか

最近就職氷河期話題多いとか言われがちだけど。

あのころああだったこうだったといえる余裕がやっとでてきた人が多いだけなのでは、とちょっと思うのでした。

私が医学部に進まなかった本当の理由

Xを見てたら看護師お金がなかったか医学部に行かなかったんだと医者にたてついているというポストを目にした。

医学部に行かない理由は血が怖いからとか、お金がないからが多いらしいが、

私がいかなかった理由家内安全のためだったんだろうなと時間がたってしみじみ思う。

私には年の離れた兄がいて、その兄が医学部を目指して何度も浪人を繰り返していて、ついに私と一緒に受験することになってしまった。

家の雰囲気で私も何となく大きくなったら医者を目指すものだと思っていたけれど、

ここで私が医学部に受かったら兄が自〇するか兄に〇されると直感して、医学部は全く受験せず最難関大学理科系に進んだ。

そのあとあまり大学が合いすぎたのか、医者じゃないドクターになってしまったのは別の話。

兄はその後も失敗し続け、とうとう父から引導を渡され、医者あきらめた。

あのころ医学部浪人をしていた兄が妹を惨殺するという事件があったのだが、

私が医学部に進んだらあれは私の話だったのではないかと背筋が凍った。

2025-04-22

あのころ

南條あやが死んだ頃。

正確には、たぶんもっとから死んでいたのかもしれない。ネット日記を残し、フォントサイズ1の文字で寂しさを隠しきれずに叫んでいたあの時代。誰かの自傷写真に「綺麗ですね」ってコメントをつけていた時代。今思うと狂っていたと思う。でも、当時はそれしかなかった。

掲示板では薬の名前が飛び交っていた。自分も飲んだ。人からもらった、というよりは、もらいに行った。駅前ロータリートレードした。空き缶が転がっていて、タバコ臭いがして、でも誰も何も言わなかった。何か言うこと自体が野暮だと、全員が知っていた。

最初に好きになった女の子は、詩を投稿していた。毎日長文メールをやりとりして、ICQ寝落ちチャットをして、気がついたら親に新幹線代を借りていた。理由は「模試」だった。ばれてたと思う。ばれていて、でも何も言われなかった。多分もうあきらめられていたんだと思う。

彼女は実物のほうが綺麗だった。生きていた。体温があった。手を握ると震えていたのは自分のほうだった。

ホテルに行って、ぎこちないキスをして、終わったあと天井を見上げて、泣いた。

「これで何かが変わる」と思っていた。でも何も変わらなかった。

その後、ネットは少しずつ「普通」になっていった。

フレームページが消え、個人サイトが消え、Flashが終わり、2ちゃんスレは過疎り、SNSが「リアル」と結びついて、居場所はなくなっていった。

残ったのは、手首の傷と、壊れた体と、死んだ友達だった。

彼女ODで死んだ。

ODってのは、Over Dose。薬を飲みすぎて死ぬこと。

なんのドラマもない。ただ飲んで、寝て、そのまま死ぬだけ。

誰も止めなかった。というか、誰にも止められなかった。

大丈夫?」とチャットで聞いた翌朝、「◯◯さんは、亡くなりました」と親からメールが来ていた。

死ぬことに、あんなに慣れていたのに、その時だけは吐いた。

それでも、生き残った。

彼は、彼女と別れて、バイトをして、専門学校に行って、そこそこの会社に入った。

リスカ跡は消えない。でも隠せる。長袖を着ればいい。薬もやめた。飲まないと眠れない日は酒を飲んだ。

今では上司に笑って返事もできるし、彼女もできた。

結婚もした。子供もいる。家もある。

それでも、夜になると、たまに思い出す。

アクセスカウンターが300を超えた夜のこと。

掲示板で「わかる」と言ってくれた人たちのこと。

誰かが死んで、それでも世界が続いていくこと。

そしてこう思う。

あの頃の自分が、どこかでまだ生きていほしいと。

追記摂食アカを通じて知り合った女の子たちのこと

【4/23 追記

ホッテントリ入りしてて、なんだかあの頃の私たちに気づいてもらえた気がして嬉しくなった。優しい言葉をかけてくれた人ありがとう

摂食障害同士のコミュニティはどちらかといえば危険の方が多かったよ。過食はどうしてもお金がかかる。食べ物代のために、高校生女の子パパ活を始める過程リアルタイムで見ていたことがある。過食嘔吐カミングアウトしたp(パパ)に、ファミレスご飯をたくさん食べさせてもらえると喜んでいた。しまいにはラブホテルで過食している写真までツイートしていた。判断力の未熟な未成年は、たか食べ物代のために大事身体差し出してしまう子もいる。

高校卒業後すぐにデリヘルを始めた女の子のことも見ていた。過食嘔吐界隈には夜職が多い。お金を持っている彼女たちが、机いっぱいに大量の食べ物を広げているのは羨ましかった。家に居場所がない場合も多くて、流されてしまう子がいるのも理解できる。

吐ける人が偉くて、痩せてる人がすごくて、たくさん食べて全部吐けると最高!みたいな価値観が界隈にはある。本当のところ、私たちは食べたくもないし吐きたくもないのだ。泣きながら食べて、泣きながら出していた。そうすることでしか生きていけなかった。

いなくなる人はある日突然消えるし、ずっといる人はもう何年も界隈にい続けているという感じだった。

それと、お店などで吐くことについて、界隈内でも常識のある子はいるけど、そうじゃない場合ほとんどだろうなあというのは見ていたのでよくわかる。ここはそれについて議論するエントリじゃないから別の話をすると、定期的に「食べ放題出禁にされた!💢」とかいう学級会が起きていました。あんまり追求すると別の話になってしまうのでここまで。

【以上追記終わり】

昔、過食嘔吐をしていて、それについてつぶやくツイッターアカウントを持っていた。

摂食障害界隈は基本的に、拒食/過食(非嘔吐)/過食(嘔吐)の3つの島に分かれていた。

私ははじめ過食(非嘔吐)の界隈に属していたが、吐くことに成功したので過食(嘔吐)というツイッター摂食界隈最大の島へ移住したのだった。


同時期に吐く練習をしていた年下の高校生女の子彼女の方が先に吐けるようになって悔しかったのを覚えている。父親のことをパパと呼んでいて、食べ物を買ってきてもらうなどしており家族仲が良さそうで羨ましかった。

ピザ屋でバイトをしているらしく、廃棄をもらっては過食していた。ネトスト気質なので店舗特定できないか試みたが普通に無理だった。摂食アカでは基本食べ物のことしか呟かないのだ。


マックベーコンポテトパイが食べたいけれど、タマネギが入っているかどうかだけ知りたい……とツイートしていたお姉さん。私もタマネギが苦手だったので速攻でリプライした。「タマネギの風味は感じないので安心して食べてください!」と。

お姉さんはおそらく夜職をしていて、あんまり連絡を返してくれないような彼氏がいた。ある日、彼氏電話に出てくれない、と切羽詰まったツイートを何回もしていて、その後自殺を仄めかすツイート最後に、お姉さんのアカウント更新は止まってしまった。何回かアカウントを見に行ったが、新しいツイートが増えることはなかった。


摂食アカを通じて唯一、リアルで会った女の子。なんでかわからないけどノリで一緒に食べ放題に行く?って話になって、DMに移動してからトントン拍子で約束が決まった。待ち合わせして、某食べ放題に行った。

話してみると、彼女学校外のスポーツをかなり頑張っているらしくて、確かに体は筋肉質というかそのスポーツをしている人っぽかった。運動をする人はやっぱりストイックで、一日にサラダチキン一本しか吸収しないと言っていた。そんなに運動してそれだけしか食べないの!?と驚いたのを覚えている。逆にストイックからこそ苦しんでいるんだろうなとも思った。引きこもりだった当時の私は運動もしなければ過食してもちゃんと吐かずにダラダラ吸収していたから……

食べ終わると彼女は速攻でトイレに向かった。私は家以外のトイレでは吐けなかったので(なんかイヤだし)、いってらーと手を振って待っていた。おそらく彼女は1人で食べ放題に行きにくかったんじゃないかなーとも思うけど、でも不思議と波長が合っていたような気もするのだ。インスタも交換したけれど、いつの間にかFFから消えていた。


就活ストレス過食嘔吐を始めたお姉さん。

元が太めの体型だったらしく、凄まじい勢いで痩せていっていた。食べる量もすごくて、毎回フライパンいっぱいの手料理インパクト大!な写真を載せていた。そのためあっという間にフォロワー数の多い大手アカウントになった。

彼女のすごいところは、①ものすごい量を食べる②写真がおいしそう③吸収せず必ず最後まで吐き切る④劇的に痩せていった、この4点だと思う。体重変化が劇的すぎて、大学健康診断で呼び出されたと言っていた。

摂食界隈でフォロワーを稼ぐにはやはり食べ物の量だ。写真インパクトに人は集まってくる。収入源が不明だとなお良し。ちなみに親金だとマシュマロ死ぬほど叩かれるぞ!



他にも、好きなアニメの話で盛り上がった女の子とか、いつもおいしそうな自炊をあげてたお姉さんとか、いろんな子のことを今でも覚えている。

私は嘔吐を克服して摂食アカを消したから、今みんながどうしてるかはわからない。今でも過食に頼った生活をしているけれど、もう食べたものを吐くことはないと思う。

ネットの向こうでも、ほんのわずかな時でも、私たちは苦しみを分け合う仲間だった。あのころ交わった女の子たちが、今は少しでも幸せに過ごしていてくれたらなー、なんて思っている。

2025-04-19

むかし、雰囲気イケメンだったころ、本当にきれいな男の子セックスをされた

思えば当時はモテていた。

あのころは、全然モテない。

からモテたい、モテたいと思ってた。

けど、あの頃はとてもモテていたのだ。

少なくとも自分史の中で言えば。

異性の方から自分に話しかけるのが当たり前のことだ。

と当たり前のように思っていたのだから十分にモテていたのだ。

そんなころにバイトにやってきたのが本当にきれいな男の子だった。

とてもいい匂いがして声が見かけによらず低いとてもいい声。

あっというまに女の子たちの人気者になった。

僕はとても悔しかった。

ずっと狙っていたのに全然気を向けてくれなかったあの子が、、、。

あいいや。

それはいまとなってはどうでもいい。

あとからわかったんだけど(身を持って)、そのきれいな男の子女の子たちに興味がなかった。

とてもやさしかったけれど、女の子の中の誰に対しても興味がなかった。

その男の子は、男の子に対してもやさしかった。

そして僕にもすごくやさしかった。

というか、僕に対するやさしさはちょっと、異常だった。

あとになってからわかったのだけど(僕はいつもあとになってからしかからない)、

そのやさしさは「口説く」ということのシステムの一部だった。

2025-04-10

会議スケジュールを50分で押さえる意識の高さ

それ自体は素晴らしい。それ自体は素晴らしいが、頼むから実際にその時間会議が終わるように努めてくれ。なんで50分予定の会議を毎回平気で90分行っているんだ。Google calendarデフォルトコマ時間を25分にセットしたあのころ意識の高さは一体どこにいってしまったんだ。全社チャットで「いい機能見つけた!みんなでこれを実践しよう!」と意識の高さを見せつけてただろう。それに倣って同じ設定をしてる人もちらちらいる、会議をよくしようとするその姿勢は本当に素晴らしい。だからこそ頼むから実践してくれ。なんでやねん。無理でしたなら分かった別に責めたりしないから60分フルでスケジュールを入れろ。私は会議を少し早く終わらせる意識の高い仕事人ですよアピールスケジュール押さえに混ぜ込むのをやめろ。60分の会議を90分続けたって別に構わない、それは単に時間を気にしない奴なんだなということで片がつく。しかしその会議が50分で押さえられていると話が変わってくる。君は明らかな口だけ野郎になってしまっている。毎回、会議が行われるたびに、そんな口だけ野郎こちらは存在確認させられている。今すぐ意識の高いデフォルト時間設定を削除するんだ。今すぐに。

2025-03-28

さいころスザンヌギャル曽根がひそかに好きで

タイプ女性だった

それ友達に言ったらめっちゃからかわれた

今見たらさすがにおふたりとも老けてて

あのころの顔じゃないなあっていうか

老いってマジ怖いなあと思いました

出来事を思い出す時、その場所記憶からそこに住んでたということは大体あのころか、という時期の絞り方をすることが多いけど、みんなそんなもんかな

2025-03-26

友達彼氏できた途端変わりすぎて泣いた

友達彼氏ができたんだけど、久しぶりに会ってみたら話がおもんなすぎた。ずっとその男の話をしてるから

すごかった。ことある事にその男がでてきた。

相談でもなければオチのない、面白みのない男の話を興味津々に聞ける人っているの?私はその子最近何にハマってて、時には理想男性について語り合ったりするのが面白かったのに、まじでつまらなかった。

彼氏いなくても人生幸せだよね〜!なんて話してたのは別の人格だったのかと思うくらい、人が変わった。

正直その男とは顔見知り程度で、すごく仲いい訳でもないので本当に興味がない。

今までも友達彼氏ができるなんてイベントたくさんあったけど、正直ここまで変わる子は初めて見た。

しかもなんか性格も変わった気がする。

今まではふわふわしてる感じだったのに、言い方にトゲがあったり、私にも攻撃的になったような気がする。

からないけど、私が勝手にそう思うだけかな…

友達が変わってしまったという先入観でそう感じるだけかもしれないな。

私もいい感じの男性がいる時に少し話した時はあったけど、あまり詮索されたくない性格なのもあって話したくなかったから、まさに真逆だっただけなのかな

ぶっちゃけ、その子とはジャンルは違えどオタクという共通点はあって、その時から興味ないアイドルの話を聞くのは正直苦痛だった。

それより最近ハマってるドラマ漫画の話をしている時の方が楽しかったのに、なんかもうあのころ彼女はいないのかなって思ってしまった。

まあでも、その子が悪いとは思わない。正直ウザイなとは思うけど、そんなもんなのかな。

女はライフステージが変わると人間関係も変わるって言うけど、まさにそれを実感している。

2025-03-21

初音ミク望郷

思春期真っ只中にいた僕も今やすっかり都会の味を覚えたけれども、それでもふと故郷のことを思い出して懐かしくなったりする。

ここでいう都会とはつまり僕が今聴いている音楽であり、故郷とはつまり2009年を中心としたニコニコ動画ミュージック、つまり初音ミクとその仲間たちの音楽である。何が言いたいかというと、音楽趣味が変わっても昔聴いてた音楽って特別だし、無性に聴きたくなる時があるよねってこと。

2009年の僕にとっては目の前に広がるインターネットってのが全てであったわけだ。そこにあるのは最先端かつ世界を変える予感を孕んだ音楽ジャンルであった。結局ボーカロイドの全盛期はたったの数年で終わってしまった。2007年の末にメルトが公開され、2011年9月千本桜が公開され、そして2013年サマータイムレコードが公開される。長く見積っても10年無い。2017年には既に砂の惑星となっている事が発見されるわけだしね。まあでもロックだって69年を最後スピリットは売り切れてるわけだし、ジャズだって結局54年にバートランドの夜が明けてから向こう10年くらいに伝説の名録音ってのは集中しているわけで、(ジャンルの細かい定義の話とか、みんなのこだわりは一旦置いといてくれ)そうやって考えると音楽ジャンル絶頂ってのは10年くらいが限界なのかもな。それくらいの年数が経つと、人が集まりすぎたり先鋭化しすぎたり、そもそもみんなが飽きちゃったりってことで萎んでいくんだろう。

こういうことを書きながらSpotify徘徊しているとけっこうまだみんな活動していて、あの頃の曲をセルフリメイクしていたりする。(白い雪のプリンセスはリメイク2022年に公開されてるなんて知ってたか?)聴いてみると、オケクオリティなんかはもちろん上がっている。そりゃ当時はオタクが暗くて狭ーい部屋で安物のDTMソフトで作っていたんだから音のクオリティが上がるのは当たり前だ。初音ミク自体も、あの頃はappendで大騒ぎしていたのにV3,V4と経ていまやNT2(ニュータイプ2)まであるらしい。こういった曲たちを聴いてみると、まあ確かによくなってるはよくなっているんだけど、うん、でもやっぱり、あのころ通っていた店が地元に帰ってきたら改装していたみたいな寂しさがある。一丁目ゆきみ商店街もずいぶん様変わりしているなって感じる。

ちょっと言ったV3エンジンってのは当時めっちゃ革命で、本当にボーカロイドの歌い方それ自体がガラッと変わってしまう代物だった。これは聴けばわかる。V2エンジン特有キンキンした感じがとられて、声は丸みを帯びて親しみやすくなった。でもあの金属音のような感じもボーカロイドの良さであったことに変わりはない。もちろんV3エンジンがもたらした恩恵ってのはものすごい。きっと音声読み上げソフトみたいな、実用的な方面にも影響をあたえてるんじゃないだろうか。でも俺の好きなボーカロイド曲はどれもV2だ。それに、俺が離れていったタイミングV3が発売されたタイミングはほぼ一致している。だから、新しくリメイクされたいろんな曲を聴いてみても、なんとなくしっくりこない。曲自体は、絶対新しい奴のほうがいいんだけどね。

たまーにDECO*27の初期の曲とか聴いてると、しみじみよくって泣きそうになっちゃうね。愛言葉とか本当にいい曲だよ。よかったらみんなの、あの頃のボカロの好きな曲とか教えてくれよな。

2025-03-08

さいきんミニスカで脚をみせる女の子がやたら増えている。90年代ファッションリバイバルだというが、あのころそんなファッション流行っていた記憶がない。安室奈美恵とか若手女性アーティストの一部がミニスカホットパンツだったかもしれない。いずれにせよ脚フェチの私にはとても目の保養になる。前をゆくミニスカ女子高生たちが駅の階段のぼりはじめたときはどうすればいいのかわからなかったが、上を見ないように気をつけながら彼女たちの後ろから階段をのぼった。それでも彼女たちのスカートの中が目に入った。きれいな脚だった。パンツは見えなかった。それにしても寒くないのだろうか。

2025-02-26

押井守イノセンス、って宮崎駿千と千尋の神隠しみたいなポジションになると思うのね。

押井守イノセンス、って村上春樹スプートニクの恋人みたいなポジションになると思う。

あとひとつは?

と聞かれると困るけど、だいたいそういう感じだよね。

いや、宮崎作品だとひょっとしたらハウルの動く城になるのかな?

押井守イノセンス、って富野由悠季でいうと何になるんだろ?

これもわからないな。

押井守イノセンス、って庵野秀明でいうと、、、まだないね

庵野秀明押井守イノセンスをまだつくってない。

庵野秀明はつくらないかもしれない。

いや新劇場版エヴァがそうなるのか?

これもわからない。

押井守イノセンス、って一つの集大成になるんだと思う。

創作者が今までの自分創作の一つの集大成になると意識しながら作った作品ということになる

劇場イノセンスと、攻殻機動隊、をやるらしい。

どっちも見に行くけど、どっちかだけしか見れないという縛りならイノセンスを見に行くと思う。

多分、みんなもそうじゃないかな?

このふたつをわざわざ劇場へ見に行こうと思う人達の今の感じってそうだよね、きっと。

うそ

押井守イノセンスって、ジョージ・ルーカススターウォーズエピソード1だよね。

ああそうか富野由悠季イノセンスって伝説巨神イデオンなのかもしれない。

あの人、キャリアの初期にすでに集大成を先に作っちゃってるんだ。変人だね。

それはともかくイノセンスは見たいよね、今の時代

あの映像だけは桁外れにすごくて(多分あのアニメ映像表現を超えれたアニメは未だにない)

お話はすごく地味なやつ。

見終わったあとにみんなポカーンとしてしまったよね。

え?これで終わり?みたいな。

でもいまにして思えば、そもそも攻殻機動隊の続編を押井守に作らせるというのが間違いだよね。

だって押井守攻殻機動隊って続編が作れるようなものになってないじゃない?

ネットは広大だわ

あれで終わりなんだよ。

あそこから話を作れる戯作者古今東西ひとりたりともいない。

誰がどうやっても蛇足しかならない。

から押井守は続編は最初から創ろうとしてなかった。

トーを主役にして、中年おっさんの切ない恋心を軸にして、なんやかんや、犬の映画を作ったのだ(違うか)。

それなのに攻殻機動隊2なんてタイトルにしようとしてたから、ジブリSさんタイトルを変えさせて、どっかから主題歌を持ってきたんだよな。

まあとにかく今となってはどれもこれもいい思い出だ。

あの世紀の肩透かし感はなかなか味わえないよね。

あのころとにかく世界押井、ということで期待感がすごかったからね。

世界映像表現勝負ができる唯一の日本人、みたいな期待感がすごかったから。

からバンダイもものすごい予算を出してアヴァロンとか作らしてみたら、あれだったわけで……。

いや俺すごくアヴァロン好きなんだよね。

多分、押井守作品で一番好きだと思う。

でも、みんなが期待してたのはあれじゃなかったよね。

なんか地味なんだよな、なんでかわかんないけど。

押井守って多分、有名な原作を改変させるのが得意な生き物なんだと思う。

からオリジナルっぽいことをさせたら駄目なんだよ。

攻殻にしてもパトレイバーにしてもうる星やつらにしても

土台がとてもしっかりとした原作があるじゃない?

あいうのいじらせるとものすごい面白いのを作れるんだよ。

わかりやすくいうと原作の「華」の部分が押井の「地味」さを隠すんだよ。

でも押井守オリジナルをやると「華」がなくて「地味」というか「渋さ」ばかりが出てきて

結局は見てる人が「犬」のことした覚えてないような映画になるんだよ。

まあなんてことはどうでもよくてイノセンス攻殻機動隊も見に行きます

2025-02-18

体育苦手で勉強はできたやつの歪んだ自尊心劣等感

はてなはいつまでも体育についてグチグチグチグチ恨み言を言うのが常態化している

でも他の教科だって苦手な奴にとっては拷問しかないのになんで体育だけこんなに論われるのか

それは、はてなにいる体育が苦手な奴に勉強は得意だった奴が多いからではないか

勉強ができるから今では体育しかできなかった小学生当時の人気者よりも社会的地位が高くなって自尊心が高まっている

からこそあのころ不当な扱いを受けたという思いが強まっているのだと思われる

この歪んだ自尊心と心に残ったやり場のない劣等感いつまでも体育を批判し続ける原動力になっているのだろう

そして、彼らがこの呪縛から解放される日はきっと来ないのだろう

2025-02-10

野生の島のロズは日本ちゃん評価すべき

まずこの映画の要素を語りたいのだが、

大前提、同監督リロアンドスティッチがあり

そこにライオンキングムーラン(両方同監督原案映画)要素があるので、動物の表情だったり関係値や美しい3幕構成に色濃く【あの頃の輝かしいディズニー】を強く感じさせる。

そこにラピュタロボット兵が飛び込んできて、同じ森にはトトロも住んでいるという【あの頃の宮崎駿】が入ってきて、画風が【モネ】っていう…要素だけ見るとなんていうか、いろいろな作品を詰め込んだ?みたいに言いたくなるんだけど、それでもここまで要素つめて、オリジナルにしたらもうそれは「オタク」を煮詰めた結果の「作家性」でしかないんだよな。

勿論「異種との共存」「自然人間」「環境」というテーマ性を強く持った監督だというのはわかるが、まあそれなら監督パヤオ作品が好きになるのも分かるくらいには共通項があるわけで。

このアニメ映画海外が最高評価しているのは実際見れば当然とも言えるのだが、やっぱりアニメ大国日本として、ここまで日本作品の影響を感じる映画は、ちゃん日本人のオタク分析していかないとだめだなと思ったりもした。

映画を見るとロズという作品は全体的に至極真面目に作っていて、そこがボスベイビーの制作会社とは思えない部分でもあり、そこが世界興行収入が伸び悩んだ部分でもあると感じた。(ヒットではあるが、特大ヒットではなかった)

でもこの至極真面目なアニメ映画というのは、ジブリの土壌がある日本でこそ受け入れられると思うし、ちゃんと語れると思うんだよ。そしてきっと監督もそれを待ってるんじゃないかと思う。エスパーになるが。

昨今、ディズニー映画が迷走している。もうあの頃のディズニーは……なのでこの作品は実質ディズニーということにしよう…と考えていたのだが、よく考えたら…あのころジブリだって……。日本国民よ。この作品を、実質ジブリということにしないか?ああ、ジブリオタに怒られちゃうね…。

2025-01-23

SMAP中居くんの思い出

 私がSMAPというグループ出会ったのは、小学生の頃にテレビで偶然見た音楽番組きっかけでした。最初に目に留まったのは、センター付近に立って元気に歌い踊る5人の姿。その中でもひときわ明るい笑顔で、パフォーマンス中にも関わらず絶え間なく周囲にツッコミを入れたり、メンバーをいじったりしていたのが中居正広くんでした。当時は「歌っている最中なのに、こんなにしゃべっていて大丈夫なのかな?」と幼心にも不思議に思ったのを覚えています。けれど、その自由奔放な雰囲気がとても面白くて、気づけば私はすっかりSMAP番組を追いかけるようになっていったのです。

 バラエティ番組での中居くんは、他のアイドルとはひと味違う存在感がありました。いわゆる「アイドルらしさ」よりも、芸人さん顔負けの切り込み方や、気の利いたコメントで場を盛り上げる姿が際立っていたのです。もちろん、格好良く歌い踊る姿も素敵でしたが、それ以上に私が惹かれたのは中居くんが見せる“MC魂”のようなもの言葉で人を笑わせ、安心させ、時には厳しく指摘もするけれど、最後にはその場にいるみんなをちゃん大事にする。その姿勢SMAPというグループの垣根を超えて、多くの芸能人視聴者から愛される理由だと感じていました。

 SMAPを語るうえで欠かせない番組ひとつが、やはり『SMAP×SMAP』です。バラエティコントトーク、そして料理コーナーの「BISTRO SMAP」と、まさに総合エンターテインメント番組と呼べる内容でした。そこでも中居くんは、進行役やツッコミ役として重要ポジションを担っていました。毎回ゲストを交えながらのトークパートでは、中居くんならではの話の引き出し方が際立ちますゲストの経歴や最近出来事を聞きだしながら、時にはメンバーを巻き込んで笑いを作る。そして相手ちょっとした仕草失言絶妙につつきつつも、どこか愛情を感じさせる口調でまとめ上げる。そのやり取りを見ていると、ゲストも居心地の良さそうな雰囲気を醸し出していたのが印象的でした。

 さらに印象深いのは、メンバー間の関係性です。木村拓哉さんがグループの顔としてクールオーラを放ち、草彅剛さんが少し天然めいた穏やかさで空気を和ませ、稲垣吾郎さんが知的スマートな振る舞いを見せ、香取慎吾さんがアーティスティックかつお茶目なアイデアマンとして盛り上げる。その中心で、中居くんはまるでお兄ちゃんのように全員の特徴を把握し、それぞれに合わせた的確なツッコミフォローを入れていました。SMAPバランスを保つ“司令塔”というか、“まとめ役”としての役割があったからこそ、あの自由奔放な個性派集団が一つの大きなエンターテインメントを生み出すことができたのだと思います

 中居くんの思い出を語るなら、『うたばん』も外せません。石橋貴明さんとタッグを組み、ゲストアーティストを迎えてのトークは、時にアイドル番組とは思えないほど鋭いツッコミボケが炸裂し、毎回手に汗握るような面白さがありました。アイドルなのに、ここまで突っ込んで大丈夫なの?と心配になるほどの攻めた展開。でも中居くん石橋さんも、相手の魅力を引き立てるために全力で盛り上げているのが伝わってきました。ゲストとの絡みの中で、ちょっと厳しいことを言っても笑いに変える技術や、相手負担に感じないように言葉を選ぶバランス感覚は、まさに“番組MC”としての腕前そのもの。多くの人気アーティストが『うたばん』に出たがる理由の一つに、中居くんとの掛け合いが生む“ハプニングから面白さ”を求めていた、というのも納得でした。

 また、『FNS歌謡祭』や『NHK紅白歌合戦』など、大規模な音楽特番でも中居くんMCや司会として活躍してきました。特に時間生放送において、時間管理や進行、そして突然のアクシデントへの対処など、さまざまな能力が求められます。そんな状況でも、中居くんほとんど動じることなく、次に話を振る相手を見据えて瞬時にコメントをまとめあげる。その柔軟性と仕切りのうまさは、幼い頃にバラエティで見せていた“自由さ”と表裏一体だったように思います即興のやり取りが求められる中でも、彼が必ず忘れないのが「周りへの気配り」。カメラに映っていない場面でも、共演者に小声で指示を出したり、笑顔フォローしたりと、その人柄がにじみ出ていました。

 そして、一ファンとして忘れられないのが、ライブでの中居くん存在感です。ダンスや歌のスキルに関しては、他のメンバーのほうが得意とされることも多かったかもしれません。だけど、中居くんステージの真ん中で煽りの声を出すと、会場全体がぐわっと盛り上がるのを肌で感じた瞬間が何度もありました。MCタイムでは、時にメンバーからかいながら、時に客席に向かってユーモアたっぷりに語りかけながら、あっという間に空気を一つにしてしまう。あの空気感は、リーダーとしてファンとの距離を一番近くに感じさせてくれる、特別ものだったと思います

 また、中居くんは時に“ヘタレキャラ”を自称することもありました。運動会スポーツ番組などでほかのメンバーに比べて活躍が今ひとつだったり、本人が「オレ運動苦手だから」と照れながら言い訳をしたりする場面もしばしば。でも、そういうところも含めて、ファンとしては親しみを感じるポイントでした。完璧すぎないところがまた魅力で、「自分を落とすことで周りを立てる」というサービス精神根底にあるように思います

 バラエティの場面だけでなく、人をサポートする姿勢SMAP全体にも影響していました。メンバー同士がバラバラ仕事をたくさんこなす中で、それぞれが様々な経験を積み、時に悩んだり迷ったりすることもあったはずです。そのときに「チームとしてどう進んでいくか」を考える上で、中居くんリーダー立場から柔軟にメンバーを受け入れ、必要に応じて背中を押したり、時には厳しく叱咤したりしてきたのではないかと感じます。表向きには冗談混じりで「俺がリーダーだって言ったことは一度もないんだよね」なんて語ることも多かったですが、実質的には最年長としてグループをまとめる心配りを常にしていたように思えました。

 個人的に好きだったエピソードの一つは、番組収録の合間や楽屋で他メンバーと何気ない会話をしているときの話。メンバーが新しく始める企画ドラマに対して、中居くんは「それ、いいねえ!」とすごく興味を示しつつ、具体的にどう盛り上げられるかを一瞬で考えていたというエピソードです。それを聞いたとき、「ただ楽しいねって言うだけじゃなくて、どうやったら番組として面白くなるか、どうやったら視聴者がワクワクするかを常に考えているんだな」と感心しました。アイドルでありながらプロデューサー視点を持っている、そんなところが中居くんのかっこよさの一つだと思います

 SMAPが多くのヒット曲を世に送り出し、国民的なグループとして君臨した理由はさまざまあるでしょう。メンバー一人ひとりのスター性や楽曲の良さ、ドラマ映画での活躍などの要因が重なり合っての成功だったと思います。でも、その大きな渦の中心にいたのが、中居くん存在ではないでしょうか。ライブ番組構成を考え、グループ方向性を冷静に見極めながら、必要とき自分が矢面に立って場を和ませる。その絶妙バランス感覚が、SMAPを一つにまとめる大きな支柱になっていたように思います

 長い年月を経て、SMAPというグループは大きく形を変えました。それでも、私たちの中にはSMAPが残してくれた多くの思い出や楽曲番組での名シーンが色あせることなく生き続けています特に笑顔あふれる中居くんの姿は、当時のファンにとっては鮮明に焼き付いているはずです。自分たちが楽しむだけでなく、視聴者ファン、そして一緒に仕事をする仲間を思いやる彼の振る舞いは、バラエティ番組を中心にした日本エンターテインメント界にとって一つの理想像だったといえるのではないかと思います

 もちろん現在活動でも、その経験値をフルに活かして、さらに磨かれたトークスキルを見せてくれていますしかし、私たちファンが時々思い出すのは、まだ若くて少しやんちゃさもあり、どこかいじられキャラでもあった“旧SMAP時代”の中居くんの姿。テレビの前で腹を抱えて笑ったり、ライブ会場で一緒に声援を送ったりしていたあの頃は、私にとっても青春の一部でした。彼が楽しそうにメンバーとの掛け合いを見せてくれるたびに、「ああ、SMAPって本当に仲がいいんだな」と感じられて、それだけで明日からの元気をもらえたものです。

 今振り返ってみても、あれほど多種多様な才能を持ち寄りながら、しかバラバラ個性をしっかりまとめ上げるグループはそう多くないように思います中居くんはその中でも特に、「自分楽しいと思うこと」を軸に、周りの人たちにも楽しさを広げる才能があるのだと感じます。彼が時折見せる優しい表情や、言葉の端々ににじむメンバーへの思いは、画面越しでも十分に伝わってきました。だからこそ、笑いにあふれたSMAPバラエティコンサートを思い浮かべると、自然こちらも笑顔になるのだと思います

 旧SMAP中居くんを思い返すとき、私が一番大切にしているのは「温かさ」と「笑い」です。さまざまな番組ライブの中で、彼がファン共演者、そしてメンバーに注いでいたものは、アイドルを超えた一種の“人間らしさ”のような気がします。ステージの上でギラギラと輝くだけではなく、どこか隣にいそうな親しみやすさで、でも気づけばしっかりと中心に立って場を回している。そのギャップこそが、中居くんを唯一無二の存在にしている理由ではないでしょうか。

 私にとってSMAPというグループは、思春期から大人になっていく過程で、たくさんの楽しみや感動を与えてくれた存在でした。その中心でいつもバラエティ豊かな笑いを提供してくれたのが中居くんです。リーダーでありながら「リーダーらしくない」態度を取りつつ、それでも大事なところでメンバーを一つにまとめる。そんな中居くんの姿に、今でも私は元気や勇気をもらいます。たとえ環境が変わり、活動スタイルが変わっても、あのころの明るい笑顔と思いやり溢れるトークは、ずっと色褪せずに心に残り続けるのだと思います

 こうして改めて振り返ってみると、“旧SMAP”という一つの時代象徴する存在の中で、中居正広くんがどれほど重要役割を担っていたのかを再確認することができます。彼が築き上げてきたバラエティでのポジションメンバーを支えるリーダーシップは、簡単に真似できるものではありません。これから先、さら活躍の場を広げ、より自由な形でエンターテインメント創造していく中居くん。その姿に触れるたびに、私は「やっぱりあの頃のSMAPは最高だったな」と、懐かしさとともに温かい気持ちになるのです。今でも繰り返し見たくなる映像ライブ音源がたくさん残っていることを幸せに思いつつ、これからもずっと、あの輝かしい記憶を大切にしていきたいと思います

2025-01-18

ガチャピン中の人などいなかった

 子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たち真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。

 ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキースキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物動作しか言いようがなかった。

 確かに人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピン場合、頭の上から足の先まで完璧シンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである

 さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツスキースノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみ構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しか映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。

 その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。

 もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしかテレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムック存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。

 さら子ども向け番組世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組マスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。

 また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間声優存在するとしても、そのピッチトーンを常に一定に保つの至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。

 その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。

 以上のような理由から、私は「ガチャピン中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情からガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキージャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである

 では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間性質によるのだろう。未知や不思議ものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピン超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈はるか凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。

 私はむしろ大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子もの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコ笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルガチャピン”だったのだ。もし、あのころ私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界もっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。

 思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。

 だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピン中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジー証明であり、あの緑色恐竜いつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋気持ちは、決して間違っていなかったのだ。

 誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たち大人になるにつれ忘れかけた好奇心冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつ生命”——それがガチャピンなのである

 きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たち子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。

 そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピン中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。

 こうして振り返ってみると、ガチャピンテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピン勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たち自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界もっと広がるのだと教えられる。

 結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割ひとつではないだろうか。私たち想像余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピン中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。

 そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントステージで、そして私たち想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日自分を取り戻すためにも

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