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「黄表紙」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 黄表紙とは

2025-04-23

anond:20250422144401

元増田です。

結局、自分でも答えはわからんかった。

限られたスペースで、たくさんの人々に楽しんでもらうためには、これが最大公約数なのかなと思うのだが、あえて、「自分ならこうする」という展示を考えてみたい。

結論は、一般公開レプリカでよくないか

ということ。

歴史資料としては、収集すべきだけど、見せ物としてはレプリカでいい。

事前に理解しておく基礎知識文脈が多すぎる。

そして、まずもって殆どの入場者にオリジナルレプリカの違いを見極める目がない。

教科書でみたアレ、ドラマで出てきたアレ、くらいの感想で、「本物はこうなってた」みたいな感想があったとしてと、素人が感じ取れる写真との違いは、レプリカでも十分わかる。

それに、オリジナルは褪色していて、作られた当時の意匠を留めてない。

神社仏閣だって当時の色を再現する修復をしてるんだから、こういう美術品、とくに浮世絵なんてのは商業印刷なのだから、派手でケバケバしい猥雑な色を再現して展示したほうがよいだろう。

というわけで、

「ぼくのかんがえたさいこうの蔦屋重三郎展」

を述べてみる。

第一蔦屋重三郎時代

江戸メディア王となった男の展示であるからには、江戸後期におけるメディアについて入場者に知って帰って貰わないと意味がないと思う。

江戸も中期まで、絵や本というのは大半が注文生産だった。

まり、この屏風にこういう絵を描いて欲しい、誰々の肖像をこんなふうに描いて欲しい、という依頼に応じて制作したものだった。

それが、蔦屋重三郎時代には、木版によるカラー印刷という技術発明されたことと、貨幣経済が発展したことにより、需要を見越して出版活動を行うようになった。

王侯貴族ではなく、庶民が店先で本や絵を買う時代がやってきた。

本や絵のテーマになるのは、山水画花鳥風月じゃなく、もっと庶民の娯楽に直結したもの、芝居、女、旅行etc

それぞれについて掘り下げておく。

例えば芝居なら、芝居小屋でみる歌舞伎は照明演出蝋燭と窓の開閉でしか調整できないから、まず薄暗い。

毎月演目が切り替わっていたこと。

俳優一年ほぼ固定で、「うちは今年一年この顔ぶれでやって行きますよー」という俳優の紹介があったこと。

みたいなことを触れておく。

第二部 江戸メディア役割

蔦屋重三郎ら、メディア役割について学ぶ展示にする。

例えば役者絵なら、役者絵は芝居に乗っかって売るものから、上演期間に合わせて売り出す必要がある。

観劇して、印象に残ったところをスケッチして、それをもとに一年かけて一枚絵に仕立てる。などというやり方はありえない。

ここで、入場者にいくつかの問いかけに考えてもらう。

例えば、役柄に寄せて描くべきか、役者がわかるように描くべきか?

実写版白雪姫ポスターを作るとして、アニメ白雪姫に寄せて描くべきか、俳優の特徴に寄せて描くべきかに置き換えるとわかると思う。

もちろん正解はない。

例えば、舞台のものを描くべきか?話の世界観で描くべきか?

俳優は厚化粧しているが、それを描くべきかとどうか、芝居小屋は薄暗いがそれも描くべきかどうか、これだって答えはない。

どの問いも答えはない。

しかし、商売である以上、決断して絵を作る必要がある。

この部では、蔦屋重三郎を忘れて、バリエーションかに当時の解答例(作品)を提示すればいい。

写楽と春章と国貞あたりを並べるといい。

役者絵だけでなく、全ての出版物についてそうだ。

ソープランド写真指名用のパネルを作るとして、無加工ってありえないだろう?

吉原年齢ではなく実年齢を載せるのも野暮だろう?

かといって、加工されほぼみんな同じ顔になったとして、指名したくなる推しポイントは含めないといけないだろう?

写真加工には流行りがあって、流行は抑えないといけない。

例えば、素人っぽさ、生活感がある日常を切り取った普段着のほうが萌えるって流行もあるだろう?

それだって素人っぽく、普段着っぽく、日常っぽく加工してるだけで、本当の素人でも普段着でも日常でもない。

江戸時代のそれが、つまり美人画だよ。

煌びやかな花魁が描かれてるだけじゃなく、女郎日常が描かれたり、女郎じゃなく茶屋娘の絵が売り出されたりしてたわけ。

次の展示の前に様々なバリエーションを並べて、当時の価値観について理解の分解能をあげておく。

第三部 革新者蔦屋重三郎

ここがメインで、蔦屋重三郎足跡を辿る展示に入るわけだけど、どこで生まれ最初に出したのがこれで、みたいなのはまり重要ではないと思う。

研究としては大事だろうけど、知識がない一般人にとっては、蔦屋重三郎がなにをどう変えたのか?どこが革新的だったのか?だけ覚えて帰ってもらえば十分。

例えば、スティーブ・ジョブズ展をやるとして、学生時代ヒューレットパッカードバイトしてたとき記念品とか、要らないと思うんだ。

出した製品が、世界をどう変えたか?それが重要で、例えばiMacなら、そのころ主流だったPCと外観がどんなに違うか、並べたらいいと思うし、iMac模倣して作られた他社製品を並べてやるのもいいと思う。

同じことを、歌麿写楽でやる。

歌麿の登場の以前と以後で、画風の流行がどう変わったとか、写楽の絵はあまり売れなかったけど、一部に熱狂されてインスパイアされた絵師が出たこととかね。

ただし、歌麿展でも写楽展でもない。

もちろん蔦屋重三郎を語る上で、歌麿写楽重要だけど、版元の関与、つまりアイデア、コンセプトがどう革新的だったか、そういう見せ方をするべきだね。

例えば、写楽の大首絵は背景がガンメタリックのように黒光してる。

同じ絵に違う背景を複数作って、この背景色を選んだのが必然であったのを理解してもらうのがいいと思う。

その数だけ複製版画を用意する。

それから写楽の大首絵の輪郭線は薄墨で目立たなく、最小限の線だけど、効率的デフォルメされている。

3Dモデリングしたり、3Dモデリングから作ったフィギュアを展示して、線は最小限なのに顎や小鼻の丸みがちゃんとわかる確かなデフォルメなことを理解できる展示にしたらいいと思う。

黄表紙本なんかは、どれだけふざけた内容で絵が多いかわかるように、写真から製本して触れるようにしちゃったらいいと思う(できればこれも木版で印刷して製本して欲しいが、コスト的にキツいしね)。

わざわざ美術館にこなくても、デジタルアーカイブとしてみれるんだけど、製本したもののページをめくることができたら、また印象が違うと思う。

四部 メディアを支えた印刷技術

今回の展示で最後オマケ程度に現代職人仕事ぶりや制作過程が紹介されてたけど、あれをもっと広げてやる。

手に持って鑑賞できる触り放題な複製版画を大量に用意する。

第三部までの知識インプットしたあとに、手に持って鑑賞するのがミソで、これ以上ない体験になると思う。

ここでアピールして、物販コーナーで複製版画がたくさん売れた方が、文化の保存に貢献できる。

承認欲求モンスターばかりなんだから写真撮影可能な複製版画コーナーは大変重要

第五部 オリジナルの展示

さすがにオリジナルの展示もいるだろうなと思うので最後に設ける。

客はラーメンではなく情報をくってる。オリジナルをみたっていう情報お腹を満たしてもらえばそれでいい。

「さっきみた複製とはここが違うね」

と通ぶってくれてもいい。

建設的な意見なら職人たちの叱咤になる。

「さっきの複製のほうが好きだ!」

と感じてくれたら、職人たちへの激励になる。

追記 木版印刷物の写真と実物、オリジナルと複製違いについて

当時、本も絵も、木版印刷なわけだが、写真と実物、複製の違いについて軽く触れる。

油絵油絵具で光の屈折が関係するので、写真では伝わらない部分があるが、その点では木版画フラットでマットなので、概ねかわらない。

雲母のような、光の反射を使った技法については写真ではなかなか伝わらないし、版木が押し当てられたことによってエンボスになってるようなのは写真になるとわかりにくいが、それこそ手に持ってこそなので、ガラス越しでみてどうなんだろという感じはある。

うまい例えができないが、ビックリマンシールシルクスクリーン印刷は、触ってこそだよ。傾けて覗き込んでみて反射や屈折を楽しんで、手触りまでがワンセット。

複製については、当然複製なので、いい複製、悪い複製があるはずなのだけど、これを論じるのはなかなか難しい。

これだけ写真印刷ができる時代に、わざわざ彫って摺ることに意味があるかと言われても、木版印刷だけの味わいがあると断言できるのだけど、そこから先のいい複製については正解がわからない。

例えば、褪色した今現在を複製するか、制作当時の色を再現すべきか、オリジナルにある制作上のミスは複製でも模倣すべきか、ベスト状態の摺りを再現すべきかという議論がある。

私は、絵そのものよりも、その背景にある表現したいモノを形にするのがいいと思うので、当時の色を再現し、ミス修正したほうがいいと思うし、ベストな仕上がりを想像して作るべきだと思う。

また、制作方法材料は当時の方法材料踏襲すべきか?という議論もある。

これについて私は、絵を通じて表現たかたことが大事だと思っていて、当時のなかった便利な方法材料も使っていいと思う。

当時の職人だって、もしそれを知ってたら喜んで使ったはずだ。わざわざ制作ハードルを上げて、彫り摺りのレベルを落としたら本末転倒だと思う。

一応、私見は上のようではあるが、あくま私見だ。

結論としては、やっぱり答えはない。

ただ、手にとって楽しめるのは複製の利点なので、ぜひ触るべきだと思う。

追記追記

世界で一番ゴッホを描いた男」というドキュメンタリー作品がある。

10万枚も複製画を描いた男が、ゴッホオリジナルをみるためオランダに行き、初めてみたホンモノにうちひしがれる話だ。

取引先の画商は、

そっくりだ。ホンモノとすり替えてもわからないよ」

というけれど、本人には悔しくてたまらない。

たぶん、画商の言葉はお世辞じゃなくて本当にそっくりだと思ってるんじゃないかな。

ホンモノは、こういう人にだけ鑑賞させてやって、一般人は複製画で十分だ。

美術館でありがたく鑑賞する程度では、ホンモノとニセモノを見分けるような目は持てない。

2020-11-27

もふもふ」は、いかにして生まれたのか

オノマトペの「もふもふ」はここ10年位で定着したものだろうが、「もふもふはいかにして意味確立し、市民権を得たのか。これについて考察し、一定の知見が得られたので報告する。

もふもふ」の初出

まず、「もふもふ」の初出には諸説あるが、調べた限り最古のものは、筋肉少女帯の「香菜、頭をよくしてあげよう」 という曲である1994年発売の8cmCDに収録されているこの曲の中で「モフモフ」は、ジャムパンを食べる際の擬音として用いられている。

次に登場する用例は、2001年発売の武井宏之漫画シャーマンキング」14巻である。やはりパンを食べる際の擬音として「モフモフ」が登場する。

その後、2004年高橋弥七郎氏のライトノベル灼眼のシャナ」に、メロンパンをあらわす擬音として登場する。この用例では、メロンパン上部のクッキー生地を「カリカリ」、中心部パン生地を「モフモフ」と形容している。

現在書籍などで「もふもふ」の初出とされているのは、概ね上記の3つである筋肉少女帯ジャムパンを食べる際の擬音が最も古く、また3例ともパンを表す擬音であることが分かる。これらは似た時期に自然発生したものではなく、初出である筋肉少女帯と、それに関連づいた2例であると言えるだろう。

もふもふ」の変化

さて、ここで気になるのが、2020年において「もふもふ」は、パンを食べる際の擬音としてはあまり用いられていない点である。肌感覚ではあるが、2010年ごろには、もっぱら動物等の質感や毛並みを表す語として「もふもふ」を使用していたように思う。

2013年にはドコモの「iコンシェル」のキャラクターの羊が「きゅるりんきゅるりんモフモフきゅるりんきゅるりん♪」と歌っていたことが、SNS投稿などから分かる。少なくとも2013年においての「もふもふ」は、動物の毛並みを表す言葉として一定市民権を得ていたようだ。

では、いかにしてパンを表す「もふもふ」は毛並みを表すものに変わったのか。

先述の3つの用例のうち、灼眼のシャナメロンパン描写した際に使用されていた「カリカリモフモフ」が、「もふもふ」が動物の毛並みを表すに至るターニングポイントになる。

髪髪モフモフ

ルイズコピペ」を覚えているだろうか。2006年2ちゃんねるゼロの使い魔スレ投稿されていたもので、ゼロの使い魔登場人物に対する愛の叫びである

少々長いが、以下にコピペ全文を引用する。

ルイズルイズルイズルイズぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!

あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ルイズルイズルイズぅううぁわぁああああ!!!

あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハスーハー!スーハスーハー!いい匂いだなぁ…くんくん

んはぁっ!ルイズフランソワーズたんの桃色ブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!

間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!

小説12巻のルイズたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!

アニメ2期放送されて良かったねルイズたん!あぁあああああ!かわいいルイズたん!かわいい!あっああぁああ!

コミック2巻も発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!

ぐあああああああああああ!!!コミックなんて現実じゃない!!!!あ…小説アニメもよく考えたら…

ル イ ズ ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!

そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!ハルギニアぁああああ!!

この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?表紙絵のルイズちゃんが僕を見てる?

表紙絵のルイズちゃんが僕を見てるぞ!ルイズちゃんが僕を見てるぞ!挿絵ルイズちゃんが僕を見てるぞ!!

アニメルイズちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!

いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはルイズちゃんがいる!!やったよケティ!!ひとりでできるもん!!!

あ、コミックルイズちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!

あっあんああっああんあアン様ぁあ!!シ、シエスター!!アンリエッタぁああああああ!!!タバサァぁあああ!!

ううっうぅうう!!俺の想いよルイズへ届け!!ハルゲニアルイズへ届け!

注目するべきは、「カリカリモフモフ」が転じて「髪髪モフモフ」になっている点だ。駄洒落のようだが、これがパン専用の擬音だった「もふもふ」が、毛並みを表す語として使われた最古の例ではないだろうか。

このコピペや、これを改変したものは大いに流行し、当時2ちゃんで見かけない日はなかった。2ちゃん(というよりはVIP)のまとめブログ等も流行っていた時代であり、このコピペ認知度はそれなりに高かったように思う。

ここからふわふわした毛並みのものを「もふもふ」と形容するようになり、近年の猫ブームも手伝って広く定着し、NHKけしからんモフきゅん番組に「もふもふモフモフ」というタイトルをつけるに至ったのではないだろうか。

さいごに

長くなったが、ここまでが「もふもふ」がいかにして生まれ意味確立たかについての考察である

他に「もふもふ」の起源や遷移についての知見があれば、ご教示願いたい。もふもふ

追記 2020.11.27

様々な用例や知見が集まり、とても参考になった。挙げられた例や参考資料については、可能な限り後で目を通そうと思う。

もふもふ」の語源について調べると、ネットマンガラノベ由来で近年発生した語である説明されている場合が多いため、新語だと思い込んでいた。中にはシャーマンキングが初出だと言い切るインチキ書籍である始末だ。

案外毛並みの「もふもふ」の歴史も古いようなので、元々毛並みとパンの2系統存在していた「もふもふ」を、たまたまルイズコピペが結び付けてしまったに過ぎないのかもしれない。

それから2020年ルイズコピペにこれほどの求心力があるというのも、興味深い事実である

追記2 2020.11.28

ブコメで挙げられていた「オノマトペの謎――ピカチュウからモフモフまで」という本を読んだ。シャーマンキングシャナパン描写を挙げ、00年代半ばの2ちゃんねるで「もふもふ」が使われ出したような説明がされており、結局「もふもふ」の初出と遷移について目新しい知見は得られなかった。なぜ本を書く人は筋肉少女帯無視するのか。

しかし、その本の中で「は」行が柔らかな印象を付加する効果を担っているため、「もこもこ」に無いニュアンスを補完する新たな語として「もふもふ」が定着したと説明されており、それについては合点がいった。

また、女子中高生ケータイ流行語大賞2010に「もふもふ」がノミネートされていたことも、この本で示されていた。2010年の「もふもふ」は、2020年における、「〇〇しか勝たん」のような位置付けの言葉だったというなら、やはり「もふもふ」は新語なのだろうか……

また、このトラバも大変参考になった。

https://anond.hatelabo.jp/20201127104845

ここでは、旧仮名遣いについても言及されているが、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることのできる1784年黄表紙もふもふもふ怖噺」が「モウモウモウコワイハナシ」であることから、旧仮名遣いの「もふもふ」は「モウモウ」と読むのが適当かと思う。

2020-06-02

anond:20200602141648

次のように考えてみればどうだろう?

そもそも漫画家」が職業として成立しているのは、歴史的日本人に「図像を介したコミュニケーションリテラシー」が高かったから。それは、他国にあまり例がない「絵巻物」の隆盛であったり、青表紙赤表紙黄表紙などの絵本・絵入り雑誌文化であったりを見ても分かる。法隆寺金堂にある「大工落書き」を見ても、昔から日本人デフォルメされた図像に対するセンス絵心は伝わってくるだろう……云々。それは、文化を「内側から発生」ではなく「海外から輸入」することで発展させてきたこ民族独自に身に付け発達させてきた、異文化間での高度な伝達・学習ツールだったのかもしれない。たとえば、自分たで発明したわけではない地獄極楽概念一般大衆に分かりやすく広めていくために「地獄絵図」の描き方がやたらと進化した、とかそういう意味で。

こう考えれば「漫画家職業として成立しているかイラストが描ける人が多い」というのは、説明としては順序の逆転した不正確な説明なのではないだろうか? むしろ漫画家職業として成立するほど日本人は(古来から絵心にあふれている」のであって、これはやはり民族的(文化的)特性と言えるのではないだろうか。

2019-11-28

anond:20191128133720

未婚も離婚も多く、独身男性が多く暮らす町・江戸からこそ芽生えた文化というものがある。

自炊をしない独身男が多かったからこそ、世界のどこよりも早く17世紀には外食産業確立した。

寿司(すし)や天婦羅てんぷら)、蕎麦そば)などは、当時は移動式屋台で売られ、今でいうファストフードとして栄えることになる。

居酒屋という業態発明されたのもその頃である

食にうるさい江戸の男たちのために、今のグルメ口コミサイトミシュランに当たる料理茶屋番付表」なるものも配られていた。

から一歩も外に出ることなく、必要食材料理は「棒手振り(ぼてふり)」という行商から買うことができた。

今でいうデリバリーフードサービスである江戸独身者たちは、モノを所有せず、必要な時だけ借りるという消費形態を好んだが、それはまさしく今のシェアリングエコノミーのものだ。


現代東京秋葉原で隆盛を誇るアイドルビジネスメイドカフェビジネスも、原型は江戸時代にあった。

アイドル写真集とも言うべき浮世絵美人画)や、マンガに相当する黄表紙という本のジャンルもこの時代に生まれた。

江戸独身男たちは、未婚のまま生涯を終え、確かに子孫は残せなかった。

しかし、彼らはその代わり、今に続く、世界通用する文化をたくさん残したと言えるのだ。

おもしろいw

2019-03-24

anond:20190324040152

オタク利用者人口の大半を占めるコミュニティ女性として参加すれば女性である利益不利益は当然ある。女性である利益を存分に享受してる女性もいる。

もちろん、例えばガールチャンネル等に見られるようにその逆も当然ある。ただことネットにおいては黎明期理工系ギークを初めとしたインテリブルジョワ男性達が築いたコミュニティを土台にした文化が連綿と今に至るまで引き継がれている為に、通常用いられる一人称が「俺」や「ワイ」であることが当たり前になっている様に基本的男性が利用する前提の文化成熟している。

また、貴女はまるで自分女性オタクけが特別迫害対象だった様に言っているがそれは私の認識とは違う。

恐らく貴女迫害の加害側に認定している匿名掲示板においては、ありとあらゆるものが時に加害され、時に賞揚され得るのだから

例を挙げると5ch、つまり旧2chにはなんでも実況jという掲示板がある。

この掲示板の成り立ちについてここでは説明を避けるが、野球を愛好し、猛虎弁と呼ばれる似非関西弁を用いてレスをする利用者が多数を占めることで有名な掲示板だ。

ここではかつて、貴女のような女性オタクを含めた「オタク」そのものが押し並べて差別されていた歴史がある。

オタク達が立てる声優アニメスレッド嫌悪され迫害対象だったのである

しかなんでも実況jへのオタク達の流入とその活動は止むことがなく、遂には相次ぐオタク迫害の波を退けることに成功し、今ではなんでも実況jにおいてほぼ恒常的に何らかのオタク関連スレが立っているという状況にまで好転せしめたのである

この事例から得られることは、迫害にあっても折れることな自己主張を続けることで迫害を退け自らの地位を獲得することが可能になることもある、という教訓である

貴女は一部の男性オタク達に対して、傍観しているだけだった、と批難しているが、そういう貴女女性オタクこそ迫害に対して傍観しているだけだったのではないか

男性オタク擬態して会話などせず、自らの女性性を存分に主張して活動すれば良かったのではないか

迫害に屈することを選んだ貴女女性オタクには何らの責任存在しないのか?

それとこれは蛇足である萌え絵少女漫画インスパイアされているという話は、結局手塚メビウスの話からまり黄表紙にまで遡ったりするので、そういった起源を主張するのは言うだけ野暮であると思う。

またコミケ起源の話についても同様だが、初期のコミケ女性主体としたイベントであったこから現在コミケ文化男性側の盗用のように批判することは、例えば少年漫画誌における男性読者の女性向け批判の様な水掛け論に回収されるのでやはり言うだけ野暮であると思う。

2013-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20130420005320

なにも考えずにただ楽しむだけのなにがいけないのか

そうなんだよね。

「美味礼賛」(辻調理師学校設立者・辻静男の小説風評伝、海老沢泰久著)の中で、自宅でパーティーを開いた辻静男がお客の質問に対してイラッとするシーンのことを思いだした。

お客の中の一人が、「これは何を使ってるのか」「どういう風につくるのか」と、気を利かせたつもりで質問するのね。それを横の客がたしなめる。「そういう質問はよしなさい」「それを聞いてどうするんですか。知ったところでこれがつくれるわけじゃないでしょう?」と。で、件の客が「おいしいですね」とだけ言う。辻がほっとする、という。冒頭の一シーン。

ただ、これは「好きなものについて語るな」ということではないのね。事実、辻静男自身が、膨大な「料理関係本」コレクターであると同時に、山のようなエッセイを書き残しているから。「楽しむ」という行為理屈はいらないんだけど、その先まで行くと、そこには創造表現することが現れてくる。


半可通(はんかつう:中途半端な、自称「通」の人)という言葉江戸の昔からあって、人間記号的な存在から趣味にのめり込む際にどうしても「本物」より「情報」先行型になってしまタイプが昔からいるのね。たとえば、江戸黄表紙本の先駆けである「金金先生栄華夢」は、そういう「半可通」を描いた作品だったりする。「オタク」というのも、本来はそういう側面への批判を含んだ言葉だったんだね。何も生み出さない・生み出すことができないのに、生み出す側の人間であるかのような口ぶりでモノを言うカッコ悪さ。ただ、そういう「オタク」の中から本当の作り手が現れたりしたこともあって、「オタク」という言葉から悪いニュアンスが軽減されていった。

まあ、それはそれで当然かもしれない。誰だって、始めにあるのは「何も考えず楽しむ」段階だと思うしね。つまり

Ⅰ.楽しむ → Ⅱ.関心をもつ → Ⅲ.思考・分析する → Ⅳ.訓練する → Ⅴ.表現する

おおよそ、こういう段階があるんではないか、と。趣味ジャンルにもよるし、趣味に対する個々のスタンスによっても違うんだろうけど、たとえば料理という「作り手と受け手が遠いジャンル」では「Ⅴを目指すのが真の趣味道で、Ⅴを目指せない・目指さないならⅠでよい」という若干窮屈ではある考え方になるのかもしれないし、逆に読書スポーツのファンなんていう”消費”を基本とした趣味なら、「Ⅴ(作家スポーツ選手)を目指す」まで進むという人はあんまりいないから、Ⅲあたりの人が偉そうな顔をしてⅠの人がなんだか肩身の狭い思いをさせられるのがデフォとか、まあそんな感じになるのかね。


そうは言っても、所詮趣味世界で、「○○であるべき!」という限定主義者は大変だなあ、と思うわけですが。

2010-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20101130211148

ほら、江戸時代から「改革」と称して、黄表紙とか弾圧してたような人たちのすることですから。

2008-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20080818003122

いや、いわゆる同人はその本家取りとは全然違うだろ。

人様のキャラを使ってオマンコさせるのは、オマージュでもパロディでもなんでも無えよ!

そういや手塚絡みの著作権問題がネット上で盛り上がっていた時、浦沢直樹の「PLUTO」を二次創作と呼んでいるヤツがいて、ぶっ飛んだわ。

ああいうのを初めて本家取りというんであって、オタのズリネタと一緒にしてくれるなよ。

PLUTO」には「オリジナリティがあるから」OKなの?同人のいわゆる「二次創作」には「オリジナリティがないから」NGなの?それともエロネタで下品だからNGなの?じゃあ古典ネタを取った江戸黄表紙人情本の類はNG?あるいは浦沢直樹はOKでも田中圭一はNG?

そもそも浦沢の初期絵柄なんてあからさまに大友克洋リスペクトな絵柄なわけだけど(まあそんな人は当時山のようにいたけどね)そこは問題じゃない?

……だからね、文化ってそんなに高尚なもんじゃないと思うのよ。歴史的に見れば。模倣もパロディも山のようにあふれかえってて、そんな膨大な、そして下らない作品の中からホンの一握りものすごい輝きを放つ作品が生まれてきたりするわけで、だからといってその「素晴らしい作品」以外を全部無しにしてしまえ、なんて言えるわけじゃないってこと。

それでもまだ人のレベルを云々するなら、自分はどこで線を引くつもりなのか、その線引きは歴史的に見て間違いないと言えるレベルの線引きなのか、感情的にならずきちんと述べて欲しいね。あなたがリアルでどれだけ賢い人か知らないけど、まだここでは「全然違う」以外に何も言ってない。平気で人を貶すなら、せめて自分の賢さの片鱗くらいは見せて欲しいよ。それからついでに言うけど「本『家』取り」じゃない、「本『歌』取り」。変換ミスかと思ったら二回も使ってるから訂正しておくよ。それじゃよろしくね。

2007-10-17

孔子縞于時藍染

http://anond.hatelabo.jp/20071017144742

江戸時代山東京伝黄表紙コメディ)が世間に孔子様のご期待通り礼が浸透した場合の社会が描いている。

江戸時代の戯作黄表紙:作品鑑賞其の弐 孔子縞于時藍染(こうしじまときにあいぞめ)

http://kibyou.hp.infoseek.co.jp/sakuhin/sakuhin2.htm

当世は、朱子学藍染めの格子縞が大流行。礼を好み、金銀を嫌う世の中になった。 乞食が礼を学び、金持ち商人が金を施そうとして断られる。傾城買いも大金を使うのを色男とされ、女郎は客に金を押しつけようとする。客の息子株は大金を背負い込んだため、朱子学が孝行を勧める通り、勘当を受けようとするが、親は朱子学の通り、子供を許す。 呉服えびすや貧乏神屋と屋号を変え、悪い商品をもっと高く売ってくれと客に言われる。そば屋は無料でそばを振る舞い、金をおいて逃げ出した客をそば屋はその客を追いかけ、握り拳でその頭を撫でる。通人は木綿を着、追い剥ぎならぬ追いはがれが出没、大豊作ゆえたくさん年貢を納め、天は米と小判を降らせる。小判に埋もれた人々は何とか助かる。

何時だって理想は現実ではないので気に病むことでもない。

 
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