はてなキーワード: 限界集落とは
● 背景と目的
財政負担の軽減、市場原理導入、民間金融との競争促進を狙った。
● 主張と実態
一部の反対派は「アメリカがゆうちょを狙っている」と主張したが、実際には米国企業の支配などは生じていない。
● メリット
● デメリット
● 再国営化
民主党政権期に見直し論が浮上したが、現在はその動きはなく、政府は完全民営化を目指す姿勢。
● 主な問題点
● 推移
2000年:約240万人 → 2023年:約116万人(半減)。
平均年齢:2000年 62歳 → 2023年 約68.7歳。
65歳以上が70%超、新規就農者の減少。
● 課題
中山間地支援、スマート農業、地域おこし協力隊、新規就農支援。
● 分断の構造
若年層を中心とした構造的不信の芽生え。
今後、農業が主体の地域=(地方の田舎)は人口減少で加速度的に衰退していく。農業だけでなくあらゆる産業、インフラで劣化が生じる。
現状のスタイルの農業を維持するということはこれらを丸ごと補助する必要があり、現実的には難しいと思われます。
米の一人あたりの年間摂取量も低下しており
1980年 約78.9
1990年 約70.0
2000年 約64.6
2020年 約50.8
2022年 50.9
将来的には米の自給に固執しない方向になるのではないでしょうか
なんでネットで見る「どこに住むか」みたいな話って、いっつも東京みたいな大都会か、マジの限界集落みたいなド田舎のゼロヒャク二項対立なんだ?
その間にある、そこそこの地方都市の話が全然出てこないのはなんで?
例えばさ、
メリット:仕事選び放題、給料高い、なんか文化?的なものがあるらしい、流行の最先端(知らんけど)
デメリット:家賃クソ高い、人多すぎ、満員電車マジ無理、空気悪い
メリット:圧倒的自然、土地も家賃もタダ同然、星が綺麗(らしい)
デメリット:めんどくさい近所付き合い、常に監視されてる感、謎の消防団活動、虫
みたいな感じで語られがちじゃん?
でもさ、俺が言いたいのは「地方中小都市」(政令指定都市未満だけど中核市以上くらい。例えば郡山とか柏とか金沢とか、ああいう感じの都市な)の存在よ。
仕事:まあまあある。選り好みしなければ。
給料:大都会ほどじゃないけど、普通に暮らせるくらいはもらえる。
住環境:新興住宅地とかなら近所のしがらみほぼゼロ。賃貸ならなおさら。
交通:満員電車?なにそれ?まあ朝夕はそこそこ渋滞するけど、大都会の比じゃない。
その他:タワマンだってポツポツ建ってるし、イオンがあれば大体事足りる。車も持てる。
もちろん、デメリットもある。
文化的な刺激とか、流行の最先端みたいなのは、まあ、ないな。スタバがあれば御の字みたいな。
でもさ、こうやって冷静に比較してみると、
「俺は年収2000万稼いでタワマンの最上階に住むんだ!」とか、「最先端のカルチャーに囲まれてないと死んじゃう!」みたいな極端な人じゃなければ、
地方中小都市って、実はQOLめちゃくちゃ高くないか?って思うわけよ。
実際、こういう都市に何十万人も人が住んでるわけじゃん?
それは、大都会の喧騒や異常な物価高を嫌ったり、かといってド田舎の不便さや濃密すぎる人間関係も無理、っていう層が、現実的な落としどころとして選んでるからだよな。
「地方移住!」っていうと、いきなり限界集落で自給自足みたいな極端なイメージばかり。
そうじゃなくてさ、もっとリアルな選択肢として、こういう「そこそこ便利な地方都市」への移住とか、そこでの暮らしに光が当たってもいいと思うんだよ。
もうちょっとさ、こういう地方中小都市の魅力とか、リアルな暮らしぶりとかが語られる流れが来てもいいのになあって、マジで思う今日この頃。
限界集落みたいな地方の病院で看護師やってるけど、もういろんな意味で終わってる。
なのに中の人たち、まだ「私たち地域医療を支えてます!」みたいな顔してるの、本当に地獄。
「診療報酬がー」「医師不足がー」って業界の人たちがよく言うけど、
それよりまず言ってくれよ、
そりゃそうだよね、経営って「患者を助けたい」って気持ちと真逆にあることも多いから。
でもさ、それを理解せずに「じゃあ入院数増やそう」って、ド素人の発想で全部回してんのよ。
「じゃあ外来も頑張ろう」って言うだけ。お前それ去年も言ってたよな???
誰一人として、
・何にどれだけ垂れ流してるか
・どこを切れば生き残れるか
理解してない。
ドラゴンボールのシェンロンかよ。
自治体も死にかけてんだよ。
病院と一緒に沈む船なんだよ。
なのにみんな平気な顔で沈んでる。この国、いま絶賛タイタニック中。
でも赤字の病院で、例年通りのボーナス出てるの異常だって自覚して。
ご自由にどうぞ。
辞めてもらえれば病床減らせるし、
「どうやってソフトランディングさせて潰すか」のフェーズに入ってるの。
みんな勘違いしてるけど、
「人手不足」なんてあと2〜3年で解消するよ。
「え、これこの間の2倍じゃん」って言っても、
「それが今の相場です」って言われて終わり。
建て替えられる体力ある医療法人?
そして誰も言わないけど、
「統合」「再編」「役割分担」とか、いろいろオブラートに包んで言うけど、
中身は「閉院」だよ。
中の人たち、もういい加減気づいて。
ボーナス?出るだけマシだと思って。
もう年2ヶ月なんて言ってられない。1ヶ月で御の字。いや、ゼロかもよ。
でもその税金、もう枯れかけてんの。
SNS、特にX、でも他の主要SNS(instagram、facebook、TikTocやYoutubeなども含めて)も割とかなり気持ちが悪い。
はてなのサービスは昔からずっと気持ち悪いから別に今更というところもあり、この2年ぐらい、はてなブックマークを見ることが相対的に増えている。
ブクマの最大の良いところは積極的な拡散機能がないことで、サービス自体の過疎化(というかローカル化?)も相まって、「よくわからん輩に謎の解釈をされ、それが何万何十万のよくわからん人にみられる」ということが、あまり起こらないのが良い(たまには起こるがまぁ人間世界なので当然ではある)。
久しぶりに、XでTLを眺め、かなり久しぶりに(半年以上ぶりだった)ポストしたのだが(NHKのとあるドキュメンタリについての感想)、思っていたよりも過激にかつ広範にハレーションを起こしてびっくりした。基本的にはあまり活発なアカウントではないのだが、イーロン以降のインプレッションの「爆発の仕方の良くなさ」を実感した。
好意的な、親和的な反応は埋もれやすい。埋もれる理由は、陰謀系や左右共に極端な人たちのそれぞれのコミュニティにいるそれぞれのインフルエンサーがが私のポストを発見するや否や群がってくるから。そこにあったのはコミュニケーションではなく散弾銃での銃撃戦と言った様相。
悪徳保安官がのさばっている荒野の街には荒くれ者のギャングしかいない。
今よりももっとtwitterやInstagramを楽しんでいた頃(サービスインから2013年ごろまでか…)は、たまにバズったことはあっても悪意が殺到するということはなかったし、むしろバズるのも楽しかったんだけどね。
火元のインフルエンサーはこの人だなというのは予測がついたのでTLを覗きに行くと、思いくそ極右系の陰謀論者で割と重度のヘイター(女性や外国人、上級国民などに対する)のようだった。そしてとにかくリポストが多く、「彼自身の言葉」というようなものはどうやらYoutubeに連動している。Youtubeで稼ぎたいんだろうね…とと思いつつ見に行くと、空疎で空洞的(中身がない)なのに煽情的な語りでうんざりする。別の方向(左翼系)のインフルエンサーのTLも同様にリポストだらけ、そしてその左翼系インフルエンサー伝いで増えたリポストは一様にプロフ欄に「共産党支持」と明記している一群で、こっちはこっちで極右陰謀論者と似たり寄ったりの気色悪さだった。
彼らインフルエンサーのリポストを見たであろう「リポスト者」の多くは、TLがリポストだらけで、フォロアー数が少ないアカウントが多かった。「そうか、なるほろ、つながりたいんらよねー」とろれつが回らないような感情になりつつ、とにかく、何というか、生の実態の無い(働いたりご飯をたべたりたまには遊びに行ったりなどの生活の跡が見えない)、ただの過剰で過激な感情「だけ」が並んでいるTLがとても気持ちが悪くて、火元のポストを削除。
元の自分のポストは、Eテレのドキュメンタリ「フェイクとリアル 川口 クルド人 真相 https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/8ZVZ4PZ41V/」という番組を見たときの感想。川口で起きている「クルド人をターゲットにした何か」について追った番組だった。
クルド人のレストランを外から撮影、ただ歩いているだけのクルド人と思われる人に大声で話しかけて反応してきたところを撮影、荷下ろし中のトラックを警察に通報するなどの「活動」を繰り返している都内在住の男性(顔出し)と、クルド人と車の運転で喧嘩になったことからむしゃくしゃしてSNSでヘイト活動してたがおかしな奴らが街に集まってきたのでもうやめたという男性(顔出し)のインタビューを見て、特に、前者の地の足についてなさと、一方で行動の積極的さや熱情のバランスの悪い感じが何かぞわぞわする…とかそんな感じの内容だったと思う。
ちなみに、番組では、クルド人とは何か(武装組織であるクルド人労働者党(PKK)の話や、難民化した背景、トルコではデモ参加者でも投獄され得ることなど)について、またクルド人の生活様式と日本のそれとの違いといった異文化確執、ヘイトの大きなうねりのきっかけになった病院での騒動やヘイトデモに対抗して汚いヤジを飛ばしたクルド人などにも取材をして、必ずしも「クルド・カワイソウ・ヘイト・ダメ・ゼッタイ」という内容ではなかったと思う。
川口でクルドヘイトデモを行っている人の大半はヘイトデモ禁止条例が出来た川崎から追い出されてきたヘイターではないか、また、デモ参加者の大半は都内在住という取材内容もあり、まぁそうだろうなと思っていたことが本当だったのかなーとも思った。日本におけるalternative rightは、立花なんとかとかが扇動して何かが動く程度には既に十分に肥大化している。怖いね。
と、まぁこういう謎のインプ増加被害があんまり(ほとんど)起こらないの点が、はてなのサービスは好ましいなと思う。まぁ元々はブックマークサービスなわけで「つながりたい度」を高める設計になってない&ネットの限界集落、寒村だから。はてな社にはこののどかなインターネット限界集落をどうか守ってください、という気持ちである。
どうでもいいがYoutuberって、どうでもいい平和なネタでも語り方が煽情的で、かつ広角カメラなのに人間が寄って撮っているケースが多いのか昔流行った「かわいいわんこの鼻でか写真」みたいな感じになっていたり、画面転換がいちいち回転したりして、うっとうしくて3分は見続けていられないなと感じる。有名なyoutuberやタレントのYoutubeを見ていてもそう思うことがあるので”ネット動画制作の作法”なんだろうなとは思うが。
現代の姥捨て山、老人ホームに実質的に遺棄された老人がブチ切れて反乱を起こす映画
明らかにジョージ・A・ロメロの影響を受けている作風で
無気力に生ける屍のように過ごしていた老人達が突然ブチ切れて若い村人を襲い始める
ゾンビってだいたい小汚くて知能も低くて動きも鈍いじゃん?
死にかけの老人ってだいたい小汚くて知能も低くて動きも鈍いじゃん?
この映画では生ける屍としての老人=リビングデッドをロメロのリビングデッド=ゾンビと見立てていて
まぁ、老人はゾンビよりは知恵があるので武器やたいまつを使うので
絵面的にはロメロのゾンビっていうよりはバイオハザード4のガナードに近いかな
今作では予算があんまなかったのを「ほぼ老人しかいない限界集落」を舞台にすることで
主人公家族+親戚+友人くらいしか一般人を出さないことで回避していて賢い
画面に映るのは実質その村の話だけなんだけどOP映像やラジオニュースで
「世界中の老人ホームで反乱がおこっている」ということが知らされる
うーん、老人のほうが圧倒的に多い田舎はともかく、都会では警官隊に勝てそうにありませんねぇ
なぜ老人が反乱を起こしたのかは明確には示されないが、
「老人を敬え、おまえらもいつかそうなる」という本の一説が引用されていたり
「こうなる前になんかできることあったよなぁ」みたいなモノローグが入ったりするので
数年前に土木建設業を引退した。ほぼ一人親方だった。一応は、人を雇っていた時期もある。
弟子が二人だけいた。今は独立して両方とも23区内で働いている。
この業界は、雇用というよりは元請け下請け関係がメインである。工事や業務になると、必ずといっていいほど施工体系図が出来上がる。
タイトルのことだが、数年前にあった暇空さん関係のニュースで言うと「公金チューチュー」に関係する。正当な目的での。
私は、地元のために働いた経験が長い。本業の土木(主に河川と林業)で稼ぎつつ、休日には地域社会のために働いてきた。災害発生後の維持修繕工事を茶菓子程度で請け負ったこともある。
だが、その中で「これはちょっと?」と考えざるを得ないこともあった。相応の年月が経ったし、私も増田を利用して長い。そろそろ一筆、したためてみたいと思った次第である。
主に2つある。1つは公共工事のことで、もうひとつは自治体が運営するイベントでのことだ。
推敲は何度もしたけれども、増田の日記は書き慣れてない。ご容赦を。
(以下本題)
それこそ未成年の頃から林業に携わってきた。両親が小さい土木会社をやってたから、小学生から間伐や林地測量の手伝いをしていた。中学に入っても、工業高校に入っても、それはずっと続いた。
そんな日々を過ごして、下積みを経て独り立ちできてからの自分は、まあその……地元では『それなり』くらいの地位の事業者になれた。具体的には、サブゼネコン(竹中工務店などから仕事をもらう地元土建会社)からの下請けで現場を任せてもらえるくらいである。
そして、親父が亡くなった頃だった。ちょうど東京都が山や森林を守ったりして、住民の憩いの場として生涯学習の場にする動きが始まったのだ。その流れで、うちの会社にも森林整備系の業務が地元自治体から流れてくるようになった。
いわゆる随意契約で、うちの会社が地元密着型かつ使いやすい(≒言うことを聞いてくれる)ということで、仕事をもらえるようになった。「言うことを聞いてくれる」と書いたが、こちとら地元のために地方自治体(役場)を利用しているだけである。
さて、土木・建設・林業系の仕事は、自治体発注だと地元企業優先が基本である。あなたが住んでいる市区町村が田舎であれば、絶対に近い確率でそうである。
ある秋の終わり頃だった。倒木の解体・処分業務を地元自治体から請けたのだ。里山の奥の方にある「昔は限界集落じゃなかったんだろうな」という集落や林道があって、その付近には森林浴にバッチリな雰囲気の自然公園があった。
その自然公園に、はるか山の上から松の大木が転がり落ちてきて、その途中にあった小径木も巻き込んで、公園内にドカンと横倒しに鎮座していた。それらの樹木をバラバラに玉切りしてから処分するというのが自治体から依頼された仕事だった。
「自治体から依頼された仕事」とは言ったが、実際のところは、素人の自治体職員にいきなり現地に呼ばれて、「この樹木に対処してもらえませんか?工法はお任せで」と言われたから、それなりのやり方を提案して見積書を提出したのである。
それから二週間ほど経って、仕事を終えた自分は、完了報告書類を自治体の発注窓口に持っていったのだ。写真帳も添えて。それで、完了検査を受けるつもりだった。見たところ一般事務の職場からの発注だったので、現地確認はナシで写真帳だけで検査になると思っていた。
「今回、当初契約よりも〇十万円少ない額で請求します。切った樹木は、そちらの追加注文で、ごみとして処分できない(※1)と契約締結後に聞いたので、玉切りして現場の隅に重ねてあります。あとは重機リース料ですけど、うちの近所にある会社が一日リースで借り受けたユニックを、うちで最後だけ使わせてもらったので請求しません(※2)」
※1 都のルール?で切った樹木はごみ処理できないらしかった。よく覚えてない
そしたら、あの日の窓口でのやり取りを思い返す限り、その職員(発注者)はこう言ったのだ。
「実は、今回は特殊なパターンの仕事で。東京都の全額補助金なんです。最後に一円たりとも残してはいけない、返してはいけないという都からの指導なので。当初の○○○万円で請求をお願いします」
「変更契約しなくてよい?」
だってさ。
「本当にいいのか、後でどうなっても知らんぞ」と感じたのだが、当時は子どもがいて、正直お金がほしかった。その○十万円は、全額自分の利益になった。都民の税金なんだが、ありがたくうちの子の大学進学費用に使わせてもらったよ。
これが公金チューチュー?の1件目である。自分から吸いに行ったわけじゃないけどな。いわゆる棚ぼたである。なお、これは誰にも迷惑がかからないと思ったから話してる。十年以上も前のことなので。証拠だってとっくに雲散霧消している。
一般市町レベルだとこんなもんだが、契約相手が東京都になるとこうはいかない。
都の場合は、話の相手がほぼ必ず林業技師になってしまう。それか、専門分野の知見のある事務職員。彼らは知識をもったうえで、伐採業務の価格決定を標準歩掛(ぶがけ)でやってくる。
標準歩掛というのは……IT業界でいったら人月計算みたいなものだ。はてなブログで、偉そうな感じのメルカリとかスマートHRとかマイクロソフトとかのIT技術者が、フィボナッチとか何とかで、科学的アプローチで工期の見積りとかしてるだろ?
標準歩掛は、それに近い。要するところ、Aという植生の地形で、Bという仕事を、C人でD時間かけて行って、一日あたり単価はE円(※単価は非公表)、みたいな国が定めた標準マニュアルがあるのだが……たとえ随意契約でも、それをベースに価格や納期の交渉をしてくる。
こっちが「それは違うのでは。あなた達は実際に現地を見ましたか?」と言っても、「これが公共工事のルールですから」だってよ。頑として譲らない。「今回そんなに作業員は出せない。赤字になるかも。上司を出して」と伝えても「協議済みのことです!」とか言うのだ。本当にそうなの?
こっちは大学も出てないし、学生時代に専門的な林業土木の勉強をしていない。専門資格は持ってるけど、相当昔に取得したものだし。試験も難しくなかった。高卒でも勉強すれば余裕だった。
小さい会社の場合は、公共工事でも標準歩掛による積算ではなくて、実際に地形を読んでの見積り作業をその都度行うのがキホンである。それで十分通用する。どうしても専門知識や機材や測量図面が必要になったら、地元にも一応、東大の院まで出てる人がやってる個人会社があるので付き合いで依頼する。
それでも意地や矜持がある。相手が都だからって、引けないこともある。
一度だけだが、林業系の指名競争入札で、入札前にうちの地元じゃない会社が現地確認(下見)に来ていたことがあった。東京23区の街中にある測量設計専門会社だった。
この案件も、先に挙げた森林活動を盛り上げる感じで都がやっている事業の一環である。知らない会社が現地確認に来て山林に入っていたということは……地元じゃない会社がその測量会社に依頼して、自分たちが入札に入るための準備をしているということである。
その時分に、うちの地元会社が協力しあって、ようやく見つけたよ。その工事の入札に札を入れそうな工事会社を。
やはり街中にある会社だった。皇居からそこまで離れてないところにある業界中堅どころである。うちの百倍以上は規模がある。
それで結局、迷いはしたのだが……声をかけたんだ。地元の会社7社くらいで。要するところ、「あの仕事はうちの地元だから、毎年この類の森づくりの仕事はうちの地域の会社が取っていて……」と、懇切丁寧に、その会社にまで出向いて説明をした。
決死の覚悟だったよ。こんな勝負に出たことはない。まさに血の誓いだった。昔のゲームに、七栄養っていう7人のキャラクターが出てくるのだが。まさにあのレベルの、問答無用の一体感だった。
そしたら、その会社は「今回は引く」と言ってくれたよ。その後、入札システムからのお知らせで、都からその入札案件が公示された通知があった。「これが……あの現地確認のやつか!」と思った。ビビッときたよ。業務場所はまさにあの、測量会社が下見に来ていた山林である。
うちの会社も、予定価格に近いところを見繕って札を入れた。数週間が経って、結果が来たのだが……いい方に予想が当たってくれた。例のあの工事会社は、予定価格とはやや遠いところで札を入れていた。「お前らに言われたくらいで入札辞退はしないけど、今後を考えて一応は配慮した」というメッセージだと感じた。
仕事の方は、地元企業で入札案件を取った会社が、入札に参加したほかの地元会社に下請けを出して、例年同様に地元に貢献するかたちで仕事を終えることができた。
談合なのか?と言われれば、形式上はそうなのかもしれない。でも、街中にある会社がこの案件を取っていたら、地元住民の意見を聞かずに、都が発注した業務を仕様書どおりに粛々と進めたに違いないのだ。地元企業が取ったからこそ、地域に寄り沿った施工ができた。
談合は如何なる場合でもダメだって、それは国や都が言っているだけだ。
談合は、フツーはダメだと思う。そう思ってる。うちらが払った税金が民間企業に不当に持っていかれるのは我慢ならない。けど、それが必要な場面というのは、昔も今も今後も、ずっと存在し続ける。それだけのことだ。
今はどうなっているのだろうか。
うちの会社の方は跡継ぎがいなくて、自分自身も持病がひどくなったので引退した。今だと、趣味レベルで地元住民から仕事を請けることならある。
情報はそこまで入ってこないけど、都もそのあたりは【わかってる】んだと思う。そうじゃなかったら、道路維持管理の業務とか、いつも特定の企業群(メンツ)が順々に請けているなんてありえない。談合にならないように、都が入札の指名をうまいこと調整しているのだ。
「また入札情報をアップしたよ。メンツは大体わかっているよね? いつものように、ルールに従って契約相手を決めますよ。業者間でいろいろあるかもしれないけど、都は責任をもちません。自己責任でやってください」
都のスタンス、いや、どの自治体もそういうスタンスで入札のお知らせを送っている。
いっそ、入札とかするんじゃなくて、信用できる会社があるんだったら、民間企業みたいに堂々と特定の会社だけ指名すりゃあいいのに。そしたら、談合なんて不正は起きようがない。と、半分老人の立場で思ったことを述べてみた。これで1つは終わりだ。
うちの地元では、もう何十年も昔から続いているイベントがある。ありていに言うとウォーキングであり、実態は何でもアリの徒競走である。中高生のスポーツクラブの子はトレイルランをするし、ご老人だと健康志向の長距離散歩となる。
うちの地元には、初心者でも歩きやすい登山道がある。そのウォーキング大会では、目印になる公共施設からスタートして、山々を登って降りて、平らな道を突き進んで……を繰り返して、最遠で十数キロ以上も離れた先のゴールをめざす。
イベント中は、子ども、若者、老人、家族連れなど多くの人で賑わっている。辺鄙な地域とはいえ、東京に住んでいてよかったと思うのはこれである。
遠く離れた田舎の方だと、素敵な山麓はあるのだろうが、こういう催しを開いても参加者が来ないのだろう。ここは腐っても東京である。人がたくさん来てくれる。
自分が住んでいる地域の町内会の一部組が、その自治体が開催するウォーキング大会のスタッフの役割を務めていた。
大会の運営事務局は自治体担当部署なのだが、うちの町内会の組が、ウォーキング大会の休憩地点で料理を振舞うのである。地元料理をベースに、毎年メニューが違っていて、うどんの年もあればそばの年もあるし、芋煮の年だってあった。
とにかく、腹を空かせたウォーキング大会の参加者に昼ご飯を振舞うのだ。そのために自治体から現金をもらって、その年に相応しい料理を作る。お金はもらっているものの、割に合わないのでボランティア活動だと思っていた。
しかし、ある年のこと。考えさせられることがあった。
ウォーキング大会が終わると、自治体からもらったお金で何を買ったのか報告する必要がある。自分はこういう作業はニガテなんで、町内会でそういうのに詳しい人に会計報告をやってもらう。自分がその組の一応代表なので、自治体とのやり取りは全部自分がやっている。
会計報告を終えた後、自治体の担当部署から電話がかかってきた。どちらかと言うと苦情だった。電話と合わせて、ご丁寧にメールまで送ってきた。
【メールの内容】
・芋煮の準備や提供中、あなた達がお酒を飲んでいたのを職員が見ている
・何十年も続いているようだが、今後は自粛願いたい
・公文書公開請求があると、あなた達の個人情報が特定される危険がある。ご了承を
・毎年、渡したお金の余りを通帳に入れているのか?
・あれは参加者が払ったお金の一部である。できれば返していただきたい
うん、まあ……違和感はあったよ。
それこそ、子どもの頃からウォーキング大会のスタッフをやってるけど、親父やお袋やその地元仲間は、料理の準備中も、提供中も、片付けた後も、お酒を飲みながらご機嫌な感じでやっていた。自分らもそうなっただけだ。
あのビールやおつまみを、自治体からもらったお金で買ってるのは知ってたよ。若い頃からずっとだから、感覚がマヒしてたのかもしれない。
それじゃなくて、今いきなりその場面(参加者に振舞う食材購入費で酒を買っている)がやってきたなら、おかしいって思うことができたのかもしれないな。
うちから具体的にどんな内容を返したかは言わないけど、あの時の自分はすごく怒っていたよ。自分ら町内会がバカにされてる気分だった。人件費は無償で、公共行事のお手伝いをしたのに。せっかく、一生懸命にウォーキング大会の参加者に地元料理を振舞ったというのに。
たかだか、自治体職員から渡されたお金でビールを買ったくらいで、それは町内会のスタッフを鼓舞する目的だったのに、「余計なことしやがって」と思っていた。実際、あの時は自治体の担当部署に乗り込んでいったよ。町内会長も一緒に連れて。当時の自分は40代で若かった。まだ青臭いところがあった。
自治体との話し合いの場では、相手方の幹部職員も交えて懇々と話を進めていった。逐一結果は書かないが、その後も参加費でお酒を買うのは黙認してもらえることになった。ただし、町内会の通帳に入れていたお金の一部を返還することになった。
長々と書いた。今読み返してみたけど、日本語ヘッタクソだなあと、いい年になった今でも思う。
公金をどう扱うかって、難しい問題だと思う。増田利用者でも、地元町内会(自治会)で役員をしてる人はいるだろう。自分が住んでる市区町村からお金をもらうこともあるのでは? どんな使い方がいいのか、迷うこともあるんじゃないかと思う。